 OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f8, 1/640s(絞り優先)
愛知県津島市にある津島神社は、愛知県を代表する神社の一つだ。知名度こそ熱田神宮や豊川稲荷に劣るものの、立派さや歴史では同格と言ってもいいんじゃないかと思う。今日はそんな津島神社について書いてみたい。 言い伝えでは創建から1460年なんてことも言われたりする。その伝説はこうだ。 天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟で暴れん坊の建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が、父の伊邪那岐神(いざなぎのみこと)の言うことをまったく聞かず、父の怒りを買い、姉貴は悲しんで天岩戸(あめのいわと)に隠れてしまい、神様会議でついに追放の憂き目にあってしまう。こりゃまずいと思った須佐之男命は、出雲の国で八岐大蛇(やまたのおろち)退治して汚名返上、名誉挽回したのち、八岐大蛇尾から出てきた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を天照大神に渡してなんとか許してもらった。その後、須佐之男命の荒御魂(あらみたま)は出雲にとどまり、和御魂(にぎみたま)は紆余曲折を経て津島の地に収まり、それが津島神社の始まりとなったというのだ(540年)。 しかしながら、延喜式神名帳(平安時代に編纂された公式の神社一覧のようなもの)に記載されてなくて、公式記録に出てくる最初が1175年ということで、平安時代後期の創建というのが実際のところのようだ。 ちなみに、これに載っている神社を「式内社」と呼び、式内社といえば由緒正しい格式のある神社ということになる。 古くは、津島牛頭天王社(つしまこずてんのうしゃ)と称して、牛頭天王を祭神としていた。牛頭天王はもともとインドの祇園精舎の守護神で、疫病をまき散らしながら一方で病から人々を救うという複雑な神だ。現在、牛頭天王信仰では西の八坂神社、東の津島神社と並び称され、東海地方を中心とした約3,000の津島社、天王社の総本社となっている。 戦国時代、地元出身の織田信長、豊臣秀吉、徳川家に大事にされて大きくなった。特に信長は津島神社を氏神として手厚く保護した。織田家の家紋と津島神社の神紋は同じ木瓜紋が使われている。秀吉も楼門を寄進したり、社領を与えたりしている。 江戸時代にはお伊勢参りのとき一緒に津島神社も参るのが習わしとなり、伊勢神宮だけでは片参りとまで言われたんだとか。 現在でも全国から人が訪れ、初詣は30万人、年間の参拝者は100万人を超える。
 津島神社の中で最も目を引くのは、なんといっても秀吉が寄進した朱塗りの楼門だ。1591年に建てられた楼門は、三間一戸の入母屋造、檜皮葺で、桃山時代の壮麗な造りになっている(重要文化財指定)。 これは立派なものだ。ほほー、と感心する。派手好みの秀吉らしい絢爛さだ。
 小振りな南門は、豊臣秀頼が父秀吉の病気平癒を祈願して寄進したものだ(1598年)。 父を超えるような立派なものは造ってはいけないと思ったのか、この神社にあまり思い入れがなかったのか、楼門と比べてしまうとちょっと残念な感じがある。
 東に楼門があって、本殿は北に位置して南を向いている。境内はそれほど広いというわけではない。ただ、南にある大鳥居までがかつての境内とするなら、昔はもっと広かったのだろう。今は参道と駐車場を兼ねていて情緒がない。 社殿を囲むようにたくさんの摂社、末社があるのもここの特徴で、全部で34社も入った大所帯となっている。
 社殿は尾張造りと呼ばれる形式で、本殿、祭文殿、拝殿が左右対称に配置されて回廊によってつながっている。 1605年、家康四男の清洲城主松平忠吉の病気がよくなるようにと、妻の政子が寄進した。 三間社流造の檜皮葺で、桃山時代の建築美を残すということでこちらも重要文化財に指定されている。 祭文殿、拝殿、回廊、いずれも江戸時代に造れたものがそのまま残っていて、歴史的な価値が高い。空襲にやられなかったのが幸いした。 現在の祭神は、建速須佐之男命と、息子の大穴牟遅命(おおなむちのみこと)になっている。明治の神仏分離令で仏教的なものが排除されて、社名も牛頭天王を外して津島神社となった。
 神社に日常的に通っているお年寄りは多い。それは神への信仰とかとは違うものだろう。ほとんど習慣のようなもので、毎日特に重要なお願い事があるわけではないはずだ。家族の無事と健康を願うくらいで。 神社に通い詰めたからといって幸せになれるわけではない。けど、信心というのは必要なものだと思う。すがるのではなく、自らの心を正すという意味において。人間は世界の王様なんかじゃない。 それにしても、こういう姿を見ると私はいつも不思議に思う。ギャルはいつ神社通いをするおばあちゃんになり、ボーイはどこで神社じいさんになるのだろうか、と。その境がよく分からない。はっきりしたものではないだろうけど、どこかで神社通いが始まるのだ。その境界線がなんとなく気になるのであった。私はまだまだ日常レベルにまでは達していないし、自分がそうなるような気はしないのだけど、いつか気づいたら神社通いじじいとなっているのだろうか。
 神域を写真に撮っていいのかどうかはいつもちょっと迷う。迷いながらも惹かれて撮ってしまう。興味本位というよりも、その空間が好きだからという気持ちが大きい。何か写ってはいけないものが写ってたらいいなと思いつつ、霊感がまったくない私にはいつも何も見えない。
津島神社といえば、500年続く津島天王祭で有名だ。毎年7月の最終土日ということだから、今週末に迫った。 土曜日の宵祭(提灯祭)と、日曜日の朝祭(車楽祭)を中心として、3ヶ月に渡って行われる津島神社の大祭で、大勢の見物客が訪れる。365個の提灯を掲げた5艘のまきわら船が夜の天王川をゆらゆらと渡り、能人形を飾った6艘の車楽船(だんじりぶね)が朝の天王川に勢いよくこぎ出す。桶狭間の戦いの2年前に織田信長も奥さん連れで見物した。秀吉もお気に入りの祭りだったという。 大阪の天満天神祭、広島厳島神社の管絃祭(かんげんさい)とともに日本三大川祭りの一つとされている。今年もきっと、大盛り上がりなのだろう。いつかチャンスがあれば宵祭を見てみたい。
津島神社は由緒もあって、立派な建物が揃ったいい神社なんだけど、いかんせん情緒が足りない。神聖さをぶちこわす無粋な看板やレッドコーン、プレハブ建築などが至る所に散乱していて、どうにも興醒めしてしまう。これでは神妙な気分に浸れない。演出がなってないというか、徹底が足りないというか、美意識に欠ける。神社もある意味ではテーマパークのようなものなのだから、時代考証が間違っていたり、雰囲気を壊してしまうようなことではいけない。全体としてセットなのだから、きちんと細部にまで気を遣わないと。神社プロデューサーという職種の人間がいたとしたら、一目見てここはダメだし連発となる。格式を上げるためにも、歴史のある神社として自己演出を一から見直した方がいいと思う。ちょっとの工夫と気遣いでもっといい神社になるに違いないから。 と、ここまで書いて、津島神社の御利益を知らないことに気づいた。元暴れん坊でのちにヒーローとなった建速須佐之男命に私たちは何をお願いすればいいのか。そして、スサノオは私たちのどんな願いを叶えてくれるのだろう。スサノオといえば、日本初の和歌を詠んだり、寂しがり屋だったり、ただの暴れん坊ではない。敵にすると恐ろしく、味方にすると人なつっこくて頼りになるやつという気がする。だから、願い事はともかくとして、友達になっておいて損はない。男気あふれる神だから、困ったときには助けてくれるだろう。信長も秀吉も、そんなスサノオが好きでこの神社を大事にしたのかもしれないな。
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