現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
庄内川の軽いスナップショットを並べて一つの河原風景になるかならないか
2007年08月31日 (金) | 編集 |
庄内川-1

PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm(f3.5-5.6)



 庄内川では特に深い考えも狙いもなく、気の向くままたくさん写真を撮った。目についた風景や光景を軽くパチパチと。いわゆるスナップショットだ。
 こういう撮り方はフィルムでは決してできない。デジタルになって写真が軽くなったけど、軽さというのは必ずしも悪いものではない。晩年の松尾芭蕉は「軽み」という言葉をよく使った。対象をそのまま素直に受け止めてありのままを句にするという方法論というより境地としてそこに至ったのだろう。太宰治もこのことを自分の発明のように語っていた。まあそれは大げさなたとえだけど、写真もまた向かうべきは重厚さではなく軽さなのかもしれないと最近思う。重くて意味ありげな写真はある程度上手くなれば誰でも撮れる。軽くていい写真を撮るためには長い歳月と努力の継続が必要だ。
 ちなみに、スナップショットというのは、急いで射落とすという狩猟用語が語源で、そこから転じて人物や情景などの瞬間的な動きを素早く写すというのが元々の意味だった。今ではもう少し広い意味で、人物撮影や風景撮りなどに使われることが多い。
 そんなわけで、今日は庄内川のスナップショットを並べてみる。コマ切れのような断片的な風景がうまくつながって河原の空気感が伝わるだろうか。

庄内川-2

 橋桁を見るとなんでこれで道路が落ちないんだろうと思い、エレベーターに乗るとロープが切れて落下するんじゃないかと少し心配になる。鉄のかたまりの飛行機が空を飛ぶことも、鋼鉄の船が水に沈まないことも、私の中では完全に納得できているわけではない。技術というのはそれだけ発達してすごいことだと頭では分かってるつもりでも、どこか信用しきれない部分が残る。実際、そういう事故がたまに起こったりするから余計に。すごく心配性というわけでもないのだけど。
 上の写真はなんとなく造形に惹かれて撮った。橋のフォルムというのも人の心に訴えかける何かがある。

庄内川-3

 河原も緑がモコモコ状態で、いかにも夏という風景だった。
 一年を通して花や生き物を追いかけて歩いていると、緑のビビッドな増減というものに驚きを感じる。冬に枯れ果てて茶色になったものが春になると少しずつ緑色に色づいてきて、夏にはこれでもかとばかりに緑が爆発する。そして秋になるとまた枯れて、気づくと緑はどこかへ消えてなくなっている。
 近年は季節がおかしくなっていると言うけど、自然を観察していると狂いはないことに気づく。花は咲くべき月に咲き、渡り鳥は来るべき時にやって来て去るべき時に去り、昆虫は夏と共に現れて秋と共に消えていく。一年の移り変わりを高速カメラで捉えたら、その移り変わりは実に鮮やかなものだろう。
 地球の偉大さは近所の河原でも感じることができる。

庄内川-4

 渡らないカモのカルガモは、日本の夏の暑さにもすっかり馴染んで、しばし静かな時を過ごしている。なのに、私というちん入者が突然近くまでやって来たので慌てて逃げ泳いでいった。大急ぎで水をかきながら、さりげなく、でも全速力で。なんだか、女子校の嫌われ教師にでもなったような気分でちょっと悲しかった。わっ、先公が来やがった、逃げろ、みたいな感じでみんな遠くへ散っていった。世の中にはいろんな悪夢があるけど、女子校で嫌われ者になるというのは私の中では最大級の悪夢だ。一般企業でイジメにあうよりつらい。
 夏が終わればそろそろまた冬の渡り鳥たちが戻ってくる。虫や花が少なくなって撮るものもだんだんなくなっていっても、冬の間はカモたちがいるから寂しくない。

庄内川-5

 河原でひたすら石を投げてる人がいた。何か嫌なことでもあったのだろうか。見てはいけないものを見たような気がしたけど、写真まで撮ってしまった。水切りとかではなく、ただ普通に石を投げていた。グラブ2つとボールを持っていってキャッチボールに誘うべきだっただろうか。そんなやつはいないけど、やってやれないことはない。公園のベンチに座ってぼんやりしてる人に、「キャッチボールしませんか?」と呼びかけたら、何人くらいつき合ってくれるだろう。私がもしそんな誘いを受けたら、とりあえず少しだけ誘いに乗ってしまいそうな気がする。現代人は心のどこかでキャッチボールに飢えているのかもしれない。

庄内川-6

 犬を連れたお母さんと自転車に乗った小さな女の子。世の中の平和の象徴のような光景だ。戦時中にこんなシーンは見られない。おなかが空いて食べるものがなくても、こんなのんきなことはしてられない。
 テレビで伝えられる殺伐としたニュースは世の中がどんどん悪くなっていってるかのような印象を与えているけど、50年前、100年前と比べて世界は劇的によくなっている。日本も豊かになったし平和にもなった。悪いことももちろんたくさんあるけど、それはどの時代でも変わらない。私は世界の明るい面を見ていきたい。

庄内川-7

 少年時代の夏休みが人生最良の時だとは思わない。何の気苦労もなく遊んでいられたあの季節を懐かしむ気持ちはあっても、無知であることはいいことではない。物事が理解できるようになった大人こそ、いい時間だ。
 それでも、思い出というのはとても大切なものだ。子供の頃たくさんの思い出を作った人間ほど、大人になって豊かな心を持てる。人の総体というのは突き詰めていけば記憶と意識だ。それは過去の経験が作り上げたものに他ならない。感受性が豊かな時代にたくさんの刺激を受けた方が人格形成の上でも有利に働くのは当然だろう。
 日本全国の少年少女たちはこの夏、どんな思い出を作っただろう。いっぱい日焼けして、めいっぱい楽しめただろうか。夏休みを超えられなかった子供たちも少なからずいた。
 私が今少年少女として生きている彼らにかけられる言葉があるとすれば、たくさん遊んで、自分の好きなことに熱中して、いい大人になってくださいね、ということだけだ。

庄内川-8

 スケボー・ボーイたち。もう少し近くから撮れるものなら撮りたかった。撮らせてもらっていいですかと声をかけて撮るスタイルじゃないから、どうしても被写体との距離感が遠くなる。このあたりも今後の課題だ。当面は風景の中の人たちということで撮っていくことになるだろうか。

庄内川-9

 カメラのレンズはすごく優秀でもあり、その一方で人間の目には遠く及ばない部分もある。人間の目の優れたところは、明暗差の強いシーンで明るいところと暗いところを同時に見ることができるところだ。カメラ用語で言えばダイナミックレンジが恐ろしく広い。カメラは人間の目では捉えられない一瞬を切り取り、見えない細部まで写し取ってみせるけど、明るさと暗さを同時に捉えることができない。逆光のときは特にそうだ。
 カメラは万能じゃない。できることとできないことがある。でもそれを限界としてあきらめるのではなく、逆に利用して人間の目に見えるのとは違う光景を写すという方向で考えていくのがいい。

 スナップショットは誰にでも撮れる写真だけど、奥が深くて底がない。センス、偶然、幸運、経験。いろんな要素が重なって、ときにいい写真として結実する。
 写真というのは麻雀に似ているなと思うことがよくある。どんな牌が来るかは運次第だけど、運を呼び込むのは実力で、読みも大切だけどいつも読み通りにいくとは限らない。たまたま幸運なシーンによく出会う人がいて、写真運がない人もいる。最終的には人間力とでもいうようなものがいいシーンを呼び込むものなのかもしれない。
 いい写真に偶然はないと達人は言うだろうか。それでも一生に一度くらいは、配られた牌がすでに上がりとなっている天和(てんほう)のような写真を撮ってみたいと思うのは、写真を撮る人共通の願いだろう。
 自分が撮りたい究極の写真が頭の中にあるとしたら、それはいつかどこかで撮れるはずだ。なければ、まずはそれを見つけることから始めないといけない。


デジ写真の思い出の長い前フリとフォトコンのこと
2007年08月30日 (木) | 編集 |
フォトコン

PENTAX K100D+RICHO XR RIKENON 50mm f2



 ちゃんとした写真を撮ろうと初めて思ったのは、2004年の7月だった。2002年、2003年というのが私にとってかなり低調な2年間で、2004年の半ばを過ぎた頃、そろそろ何か新しいことを始めようかなと思って思いついたのが写真を撮ることだった。その少し前にネットで見つけたある人の写真が気に入って、それが直接のきっかけとなったということもあった。
 それまでもデジカメは持っていたし、自分のHPでも撮った写真を載せていた。SANYOのDSC-SX150という150万画素のコンパクトデジを使って日常のヒトコマを切り取っていた。けどそれは、HPで使う素材としての写真を撮るということで、趣味としてカメラを使うということではなかった。
 そして選んだのがそのMさんという人が使っていたNikonのCOOLPIX 950というデジカメだった。これはかなり変わったデザインのデジで、200万画素クラスながら1999年発売当時の定価が12万オーバーというけっこう本格的なものだった。そこから私とカメラとの本格的な付き合いが始まることとなる。と同時に、写真を撮るための散策が日常的なものとなったのもこのときからだった。

 その後は、オークションの一般化という流れも手伝って、デジを何度も買い換えていくことになる。中古で買ってしばらく使ったら売って、また別のものを買うというサイクルは、非常にありがたいものだった。新品で次々に買うなんてことは非現実的だし、いまだに私は新品のデジというものを買ったことがない。中古相場は半年やそこらで急激に下がるということがないから、趣味としてはむしろ金がかからないものだった。
 CASIO QV-3000EX、OLYMPUS C-2020ZOOM、OLYMPUS C-3030ZOOM、TOSHIBA Allegretto M70、MINOLTA DiMAGE S304、Kodak DC4800、OLYMPUS C-2100UZ、MINOLTA DiMAGE7 UG。数えたら2004年だけで8台買っている。この中では鮮やかコダカラーで広角のDC4800と、手ぶれ補正10倍ズームのC-2100UZがお気に入りだった。DC4800は今でも欲しいくらいだ。
 こうなってくるとだんだん欲が出て物足りなくなってくるのは当然の流れだった。一眼が欲しいと思い、でもまだ早いと思いとどまり、とうとうこらえきれずにレンズ一体型のOLYMPUS E-10を買ったのが、2005年3月のことだった。ちょうど愛・地球博が開催されるときで、愛知万博記念だと自分の中で強引な理屈をつけて買ったのを覚えている。それにE-10は目標とするMさんもCOOLPIX 950の次に選んだ機種だった。ここまで来たら、もう後戻りはできない。行くところまで行くしかない。

 E-10はとてもいいデジだったと思う。400万画素ながら35-140mmでF2-2.4という明るいレンズは今考えても魅力的だ。テレコンを使うと200mmでF2.4のレンズとなる。こんなもの、交換式のレンズで買おうと思ったらいくらになるか。
 それから半年の間、E-10はどこへ行くにも連れて行くよき相棒となった。思えば2005年のこの半年ほどいろんなところへ散策へ行ったことはなかった。春の桜から季節の花々、神社仏閣に森や公園巡り、愛地球博にも行ったし、海にも山にも一緒に行った。とても思い出深いデジだ。
 最終的にはレンズ一体式ゆえの不自由さがどうしても物足りなくなって、初めての本格デジイチCanon EOS D30をその年の10月の終わりに買うことになるのだけど、何故かそこから急激に私の散策熱は冷めていってしまう。愛地球博で燃え尽きたような妙な脱力感に襲われて、2006年は散策冬の年となる。月に一度も散策に出かけないような一年だった。デジタル一眼にステップアップしたことがどの程度散策行きに影響を与えたのか、自分でもよく分からない。

 デジイチになっても買い換えグセはいっこうに直っていない。一番よく使って気に入っていたEOS 10Dでもメインとして半年使ってない。その間にもちょくちょく買ってはちょこっと使って売り、また他の機種を買っては売りということをしていた。キスデジは旧もNewも使ったし、NikonのD70なんかは散策では2回か3回しか使わないまま手放してしまった。PENTAXのistDも何回使ったか。
 そんな中で感覚的にぴたりときたのがistDSだった。istDはしっくりこなかったのに、その後継機でほとんど変わってないistDSがはまったというのも不思議なことだった。デジはスペックだけでは語れないところがあって、実際に使ってみないと相性の良し悪しは分からない。何がどうよくてどこが気に入らないのかを言葉で説明するのは難しいのだけど。
 OLYMPUSのE-1も独特のよさがあるいいデジだった。持ってよし、シャッター切ってよし、画質もよし、と一時はこれ以上のデジはないかもしれないと思うほどだった。これまたMさんがE-10のあとに使った機種ということで、私の追っかけぶりもかなりのものだ。ただE-1はフォーサーズという規格がどうも納得いかず、最近は出番も減ってきている。これさえ普通だったら、私はOLYMPUS党になってもよかったのに。そろそろ売りに出す時期に来た。
 istDSを買ったのは2006年10月の終わりで、これはこれまでの最長記録となっている。K100Dへの買い換えが2007年の8月だから10ヶ月もメインとして使い続けた。東京通いが始まったのが2006年の12月だから、これもまたいろんなところへお供したデジとなった。K100Dは手ぶれ補正という決定的な利点を持ったデジだけど、どちらが好きかといえば間違いなくistDSの方が好きだ。画質もだし、使っているときの感覚がistDSの方が楽しい。istDSのグリップは最高だったのに、K100Dはミシミシきしむようなヤワさで、なんだか持っていて頼りない。カメラのグリップというのは車でいうハンドルのようなもので、握り心地はけっこう重要なのだ。

 さて、非常に長い前置きとなったけど、今日の本題はここからだ。前置きが長すぎるだろうというツッコミは置いておいて、話はいきなりフォトコン、写真コンテストの話題に飛ぶ。
 写真をちゃんと撮ろうと思ったのが2005年の7月で、せっかく趣味として撮ってるんだから何か目標を持とうと思って始めたのがフォトコンへの挑戦だった。それが2006年春のことだ。最初に自信を持って送った桜の写真が選ばれなかったときのがっかりさは忘れられない。
 あれから目標を達成できないまま1年半の歳月が流れ、この夏ようやく最初の一歩が実現したのだった。1年半の間にたくさん写真も撮って、少しずつ写真というものがわかりかけてきたところで、でもまだまだと思っているところに一つ結果が出たというのはいいタイミングだった。
 フォトコン狙いのアマチュアカメラマンなんて、ミスコン荒らしの高慢ちきな女みたいなものだと、以前の私は思っていた。人に誉められたり選ばれたりするような写真を必死に撮ってるなんて、ケッと正直思っていた部分もある。半分以上はやっかみと自覚しながら。でも、フォトコンなんてと言うなら一度くらいはフォトコンに選ばれてみなければ言う資格がないんじゃないかと思い直した。フォトコンを非難するならそれからでもできるだろう、と。
 自分の気に入った写真を数枚、月に一度雑誌に送るというのは、結果はともかく一つの目標にはなる。それ用に意識して撮ったものじゃなくても、送るときにひと月分の自分の写真を見返すというのも意味があることだ。けど、何度送っても通らないというのは、やはりそれなりにへこむものだ。選者と自分の写真の相性が悪いんじゃないかと人のせいにしてみたり。
 そんなふうにして半ばあきらめていたところで今回初めて選ばれたのは、嬉しいというより意外さが先立った。自分の写真が急に上手くなったわけでもないのに、なんで今までダメだったのに今回だけよかったのだろうという戸惑いが大きくて。
 けど、選ばれた写真を見て、なるほどそういうことだったのかと納得もした。今までは上手く撮ろうとして自分なりに上手く撮れたものがいい写真なんだと思っていたけど、そうじゃなかったのだ。その人なりの独自の視点から撮られた写真がフォトコンでは選ばれやすいということに気づいた。テクニックは選考の上位項目ではない。プロのように撮ってもプロのようには撮れないのだから、アマチュアとしてユニークな写真を撮ってくださいというメッセージなのだろう。選者によってもいろいろ基準や好みがあることは間違いないにしても、選ぶ方向性というのはある程度一致してるのだと思う。
 初めて選ばれたのが、江ノ電とそれを撮る人たちだったというのは、偶然なのか必然なのか、私にはとてもラッキーなことだった。きれいな風景写真で入っていたら、自分の向かうべき方向を見失っていたかもしれない。結果が出てみれば、これこそ私の理想とする一枚ではないか。撮りたい被写体があって、季節があって、人がいる写真だから。
 佳作に一回入ったくらいでどうこうということはないのだけど、ここは素直に喜んでおこう。むしろ、突然入選なんてしてしまったらどうしていいのか舞い上がって自分を見失ってしまいそうだから、これくらいでちょうどよかったのだ。自分自身、まだまだ下手だと思ってるし、自分の撮りたい写真を撮れているわけではないから、これからももっと上手くなりたいと思って撮っていく姿勢に変わりはない。
 私が撮りたいのはやはり、人がいる風景や光景だ。人物像でもなく、風景写真でもなく、花のアップや生き物だけでもなく、人がいる写真が撮りたい。それはおそらく、私の世界との関わり方にも深くつながっているのだと思う。私は世界の参加者としてではなく傍観者として世界を見ているところがあって、でもそれは世界や人間と関わり合うのを嫌っているというではなく、人が生きているこの世界を愛しているから、この場所から世界を見ていたいというのがある。人間がいるからこそ、この世界は美しく、愛おしい。だから、そういう写真を撮りたいと願うのだろう。

 たかがフォトコンというなかれ。写真を撮るすべての人々に、私はフォトコン参加をすすめたい。人に評価されるために頑張るというのは悪いことではないし、どんな結果でも努力は無駄にならない。向上心を持たずにどれだけ続けても上手くならないのは写真も同じだ。選ばれないことで謙虚にもなれるし、選ばれれば嬉しくもあり、励みにもなる。
 写真というのは、自分のためだけではなく、誰かのためにあるものだ。自分のためだけのものなら、人に見せなくてもいいし、ましてやネット上に公開する必要もない。写真もまた、人を幸せにするためのものだとするならば、見てくれる人のために撮るという発想も必要となるだろう。自分がどこかへ行ってきれいなものを見て、これをあの人にも見せてあげたいと思って撮るのが写真の基本だ。視点や記憶の共有と言ってもいい。これ見よがしにテクニックを駆使して奇をてらった写真を撮るのは自己満足のためだ。人のためにはならない。
 見た人が感動したり笑顔になるような写真が撮れたら、それは誰が何と言おうといい写真なのだ。技術やカメラやレンズなんて関係ない。そんな写真が撮れたら、迷わずフォトコンに応募したらいい。それがフォトコンと趣味として写真を撮ることとの幸せな関係性だと私は思う。


庄内川の河原に天然のカワラナデシコを探したけど見つからず
2007年08月29日 (水) | 編集 |
庄内川河原風景-1

PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm(f3.5-5.6)



 少し前に放送した「そこが知りたい特捜!板東リサーチ」で、志段味(しだみ)付近の庄内川でカワラナデシコが咲いているのが紹介された。まさか家の近所でまだナデシコが咲いている河原があるとは思ってもなかったので驚いた。
 カワラナデシコといえば、大和撫子の語源ともなった可憐なピンクの花で、私の好きな野草ベストテンにも入っている。ぜひとも見に行かなければと思っていた。
 昔はありふれた花だったカワラナデシコも、近年は野生のものはかなり貴重になっている。私も園芸品種以外では松平郷で半野生のものを見ただけで、純粋な野生は見たことがなかった。今日やっと時間を作れたので探しに行くことにしたのだった。
 しかし、気になる点が二つあった。一つは咲いている場所が志段味橋付近という漠然とした手がかりしかないことと、もう一つはネットで読んだお盆あたりに草刈りをするから見るならその前という情報だった。これはちょっと厳しそうだ。それでもとりあえず行ってみないことには始まらないので、何はともあれ河原を歩いて探すことにした。
 まずは大留大橋近くの路上に車をとめて、支流の内津川の河原から捜索を開始した。言うまでもなく、カメラを持って河原をうろついてるお仲間はいない。ひとりぼっちのカワラナデシコ探索隊だ。
 探すこと15分、まったく気配すらない。そもそも花自体咲いてない。カワラナデシコがどんなところにどんなふうに咲くのかも知らない私としては、左右をキョロキョロしながら激しく探すより他に手がない。人が見たら完全に落とし物を探す人となっていた。もしくは、河原で石ころを拾って集めている変わり者と思われたかもしれない。
 けっこう歩き回ったけど、結局内津川では見つからなかった。それ以外にもめぼしい収穫もなく、庄内川に移動することにした。

庄内川河原風景-2

 花といえば、こんなヤブに咲く地味な花しか咲いてなかった。アレチハナガサっぽいけど、違う。どこかで名前を見た気がするのだけど、忘れてしまった。おそらく、南米からの帰化植物のクマツヅラ属の仲間だろうとは思う。
 ミツバチにとっては魅力的な花のようで、小さい花から花へ飛び移ってせっせと密を集めていた。2週間の寿命の中で、休みなく働いてもティースプーン1杯分しか集められない彼らだから、それはもう必死だ。写真を撮られていることに気づいても、そんなのかまっちゃいられない。

庄内川河原風景-3

 河原ではなく近くの小公園に咲いていたヒャクニチソウ(百日草)。
 夏の暑い盛りの3ヶ月間にわたって咲いているところから名付けられた。いかにも夏らしい色合いのこの花は、メキシコからやって来た。園芸品種として品種改良も盛んで、様々な色や形のものが作り出されている。
 ヒャクニチソウもコスモスも、同じメキシコ出身というのも面白い。夏向き、秋向きと全然キャラが違うけど、それぞれが日本に馴染んで、ずっと前からいたような顔をしている。

庄内川河原風景-4

 捜索ポイントを志段味橋近くの庄内川河原に移してはみたものの、ここでもカワラナデシコの姿は見つけられなかった。川近くの砂地のような土壌に咲くとも思えないのだけどどうなんだろう。私は探す場所を決定的に間違えていたのだろうか。
 ここも花は少なく、唯一咲いていたのはムラサキツメクサだけだった。同じピンク紫でもキミじゃないんだよなぁ、私の探してるのは。
 川辺ではなく土手に咲いているのだとしたら、確かに草が刈り取られた様子だったから、もう刈られてしまったあとだったのかもしれない。機械で刈るだろうから、わざわざカワラナデシコだけ残して刈るとも思えない。人によっては貴重な野草も、別の人から見たらただの雑草だ。
 ついにカワラナデシコ発見ならず。日没が近づき、捜索を断念。やはり訪れるのが遅かった。お盆の草刈りの前なら咲いていたのだろうか。残念無念、また来年だ。
 帰宅後もう一度ネットで調べたところ、もう少し東の野添川の河原に咲いているという情報を得た。こちらは10月くらいまであるらしいから、機会を見つけてもう一度探しに行きたい。天然のカワラナデシコは今や、天然の大和撫子と同じくらい貴重なものだから、一度は自分の目で見ておきたい。園芸種のカワラナデシコなんてコスプレの巫女さんみたいなものなのだ。

庄内川河原風景-5

 地平線近くの雲に太陽が隠れて、河原も夕暮れ時間となった。
 日暮れの空を川面に映して、庄内川はゆっくりと流れている。

庄内川河原風景-6

 雲が多い夕焼け空も、ドラマチックで悪くない。
 今日の空はまだ秋の夕焼けという感じではなかった。夏の焼けない夕空だ。
 昼間は暑い日が続いているけど、朝夕は少し涼しくなってきたから、夏ももう残り少なくなった。

庄内川河原風景-7

 黒いはねをヒラヒラさせてオハグロトンボが川面を飛んで枯れ草に止まった。オハグロトンボがいるあたりに自然度の高さを感じる。街中の川ではめったに見られなくなった。
 水面にたくさん見えている黒いツブツブはアメンボウだ。魚が口をパクパクさせてるのかと思ったら、無数のアメンボウが水の上を滑っていた。

庄内川河原風景-8

 日も沈んだし、もう帰ろうか。母と娘でそんな会話を交わしていたのかもしれない。
 河原の土手は、家路につく人、犬を散歩させる人、小さな子連れの親子たちが夕陽の中でシルエットになっていた。

庄内川河原風景-9

 さて、私も帰るとするか。カワラナデシコは影も形もなく、これといった花や生き物の収穫もなかったけど、河原風景は撮れた。河原というのはなかなか絵になるシーンが多くていい。特に夕暮れ時はロマンチックでドラマチックだ。時間と共に移り変わっていく空と水の色に、通りかかる人間が彩りを添える。人がいる風景写真が一番好きな私としては、河原は写真を撮るのに最適な場所と言えそうだ。もしかしたら海よりも。
 カワラナデシコは、秋までに再チャレンジしたいと思っている。だいたいあのあたりの様子も分かったから、もっと時間をかけて捜索の範囲を広げれば発見の可能性は高まる。
 庄内川の河原で下を向いてキョロキョロしてる男を見かけても、何か落としましたかなどと声をかけず、遠くからそっと見守ってください。


2007年お大師参りは過去と未来をつなぐお礼参り
2007年08月28日 (火) | 編集 |
大師さん-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/200s(絞り優先)



 思えば神社仏閣との縁は、子供時代から慣れ親しんでいる田舎の丹生大師にあったのかもしれないと、今更ながら思った。名古屋に移ってからは、少年時代も学生時代も、自分から神社仏閣に行くことはほとんどなかった。長い空白の後に、再び私が自らの意志で寺社へと向かうようになったのは、写真を撮り始めたここ数年のことだ。決して根っから信心深い神社野郎などではなかった。
 夏休みや冬休みに田舎へ行くと、たいていお大師さんへ行っていた。昔は大師前に三交バスのバス停があったというのもあったし、大晦日はどんど火を見に行き、正月は初詣がいつもここだった。
 村の人間は誰もがみなお大師さんの馴染みであり、村人の誇りでもある。私は何度くらい行ってるのだろう。少なくとも50回以上はいってるから、そんなに何度も行ったことがある神社仏閣はもちろんここしかない。
 丹生大師については、以前ここで書いたのでもうやめておく。今日は2007年に行ったときの記録をとどめるという意味で写真を貼り付けておこう。何年か経って見返したとき、私はこの日のことをどれくらい覚えていて、写真を見てどんなことがよみがえるだろうか。

大師さん-2

 丹生大師の中で最も印象的な風景は、奥の大師堂へ向かう石段と回廊だ。下から見上げる光景が好きだけど、上から見下ろすのも悪くない。
 丹生大師の創建は奈良時代の774年とされているけど、この回廊はいつ造られたのだろう。時代劇っぽい感じも受けるから江戸時代のもののような気がする。伽藍は何度か焼けて再建されているから、おそらくこれもそれくらいの時代のものだろう。他では見たことがないから、なかなか珍しいものなんじゃないだろうか。

大師さん-3

 昔はこの回廊の中が恐かった。暗くて何か出そうで。今は別の意味でちょっと恐い。今にも崩れてきそうなほど古めかしくて。
 かなり老朽化してるけど、今度も大丈夫なんだろうか。ずっと残して欲しいものではある。

大師さん-4

 石段を登り切ったところに大師堂がある。手前の龍がついてるやつは何だろう。子供の頃、これに乗ってるところの写真を撮ったのが残っている。あのときと変わらず同じだろうか。でも、龍が青いガラス玉のようなものを持っているのは記憶にない。昔から持っていたのか、最近持たせたものなのか。
 大師堂の本尊は、弘法大師空海が42歳のとき自ら刻んだ自画像なのだそうだ。のぞいたとき見えたあれがそうだったのか。

大師さん-5

 大師堂の右側奥に、丹生都比売神社(二ウツヒメ)がある。こんなところにあったとは初めて知った。こっちまでは来たことがなかった。
 どうして寺の境内に神社があるかというと、弘法大師は丹生都比売に導かれてこの地にやって来たということと、丹生都比売は弘法大師の守護神ということでここに祀られているのだった。
 平成6年に新しく建て直したようだ。ただ、入り口の鳥居まではお金が回らなかったのか、古いままだ。

大師さん-6

 石段の下にあるこちらが、もともの本堂である観音堂だ。開基は空海の師匠(兄弟子とも)にあたる勤操大徳で、こちらには十一面観世音菩薩像が祀られている。
 空海が建てたといわれる七堂伽藍は、このあたりで起こった戦によってほどんど消失してしまった。現在残っているほどんどのものは江戸時代に再建されたものだそうだ。観音堂は1684年とされている。それでも320年以上経ってるわけで、相当古びている。よくぞ建っていると思うほどに。昔の宮大工さんは優秀だった。

大師さん-7

 丹生大師は、明治の神仏分離令をなんとかやり過ごして、現在も境内は神仏が渾然一体となっている。入り口は神宮寺の仁王門と丹生神社の一の鳥居で別になっているものの、中ではひとつにつながっている。男女の入り口が別なだけの混浴温泉みたいに。
 昔は寺院である神宮司の方ばかり行っていたけど、最近は丹生神社の方が近しいものに感じるようになった。お寺よりも神社の方が好きだから。
 丹生神社の祭神は、埴山姫命、水波売命(美津波女神)などで、できたのは523年というから神宮寺よりも古い。
 拝殿は昭和5年の伊勢神宮式年遷宮のとき、外宮の御正殿のそばにあった東宝殿を移築したものだそうだ。これも20年に一度、伊勢神宮の遷宮のときに出る木材をいただいて建て替えをするという。

大師さん-8

 こちらは参道一番奥の丹生中神社。祭神は、金山彦命、金山比女命など。明治になって村の神社30ほどをここにまとめて合祀した。

大師さん-9

 この日も暑かった。風がなくて、境内を歩きながら大汗をかいた。でも、強い光が作るこのコントラストは夏ならではの光景で、とても素敵だった。

 2007年夏の丹生大師は、思い出深いワンシーンとなった。過去と未来をつなぐ中間地点として記憶に残るだろう。
 昔ばあちゃんがよく言っていた。お願い事があったら、お大師さんにお願いするんだよと。今回の大師参りは、お願い事というよりもお礼参りだった。こちらは元気でやってるから、そっちも元気でやってください。これからもよろしくお願いしますということで。
 お大師さんは神様という感覚はなくて、私にとってはお墓参りみたいなものかもしれない。また来年の正月には初詣にいこう。


ノーコン料理人は言った、料理の行き先は料理に聞いてくれ、と
2007年08月27日 (月) | 編集 |
和食崩れサンデー

PENTAX K100D+RICHO XR RIKENON 50mm(f2), f4.0, 1/50s(絞り優先)



 今日のサンデー料理は、洋風味付けの和食の予定だった。メニューもそのように考えて作ったつもりだった。結果は上の写真の通りだ。
 最近の私はひどいノーコンピッチャーのような料理人となっていて、行き先はボールに聞いてくれじゃないけど、できあがりは料理に聞いてくれ的な状態に陥っている。作っていて途中からこれはおかしいぞと気づくものの、そのときはすでに私の思惑から料理が一人歩きをし始めていて、軌道修正は不可能となっている。そのまま料理が向かう先に私はあとからついていくしかないのだった。
 完成した3品は、またもや正体不明の訳の分からない料理となった。名前は自分でも思いつかない。人に出してこれなんていう料理と訊ねられても答えようがない料理だ。とりあえず食べられることは食べられるから食べてみてとしか言えない。ただ、まんざら暴投というわけでもない。インローを狙った球が外角高めにいったようなものだ。ぎりぎりストライクには違いない。

 左手前は、この中では一番和食に近いと言えるだろうか。
 ダイコンを切って水にさらしたあと、下ゆでして柔らかくする。その後、塩を加えただし汁で更に煮込んでいく。
 それを水切りして、カタクリ粉をまぶし、カレー粉を振りかけながらフライパンで焼いていく。軽く塩コショウもする。
 上に乗っているのは、アイのエサのフレークだ。やつのを盗んで使ってみた。といっても猫用ではない、人間用だ。猫缶を食べなければ食べるものがないほどせっぱ詰まってはいない。
 マグロフレークを鍋で温めつつ、カレー粉で味を加えて、少しだし汁で薄める。
 あとはダイコンの上に味付けフレークとパセリの刻みを乗せればできあがりだ。
 和食とも洋食ともつかないようなどっちつかずの一品だけど、これはなかなか悪くない。フレークとカレー味はマッチする。ダイコンの代わりにジャガイモでもいい。

 右は魚のつくねの洋風バージョンとでも言おうか。
 今回はアジを使ってみた。小骨を取りつつ砕いて刻んで、小エビの刻み、長ネギの刻み、小麦粉、しょう油、酒、塩、コショウと混ぜ合わせる。団子状にしたらカタクリ粉をまぶして、沸騰したお湯の中にゆっくり沈めて煮ていく。
 取り出したものをフライパンに移し、オリーブオイルで転がしながら焼きを入れる。
 たれはマヨネーズ、カラシ、しょう油、塩、コショウを混ぜて作る。
 青のりとかつお節を振りかけて、たれをつければ完成だ。
 肉で作った方が美味しいのだけど、魚をこういうふうにして食べる方法もありだ。子供や魚嫌いの人でも、これなら美味しく食べられる。
 ノーマルな味付けがよければ、しょう油、みりん、酒の和風味にして、串焼きにしてもいい。

 左奥は洋風肉じゃがを作るというのがスタート地点での思惑だった。途中からどんどんおかしくなって、最終的にはホワイトシチュー崩れになった。しかし、これが美味しいから、料理というのは分からない。フライパンでもシチューが作れるというのを発見した。
 まずはジャガイモとニンジンを切り分けて、塩を入れたお湯で煮込んでいく。アクを取り除きつつ。このとき煮込むか煮込まないかでその後の料理が変わってくる。私は煮込みすぎて肉じゃがから方向転換を意義なくされた。
 柔らかくなったところでいったんザルに上げる。そのお湯に今度はタマネギ、鶏肉を入れてある程度煮る。最後にブロッコリーを加えてさっと煮る。
 それらをフライパンに移動させて、たっぷりのバターで焼いていく。ジャガイモが崩れてぐだぐだになってしまうけど、今更後戻りはできない。さきほど煮込んだときに使ったお湯を加えつつ、コンソメの素、塩、コショウで味を整える。
 最後に、とろけるチーズをたっぷり乗せる。表面を覆うくらい。蓋をして蒸し焼きにしていく。チーズが溶けたら肉じゃが崩れシチューもどきがいっちょあがりとなる。
 料理としては失敗だし、こんなもの店で出せるものじゃないけど、家庭料理の一品としては成立すると思う。見た目がよくなくても、味が美味しければよしとしたい。いちいち分けて煮込まなくても最初から全部放り込んで煮てしまっても同じかもしれない。ポイントはバターとチーズだ。もう少し品よく仕上げようとすれば、ジャガイモやニンジンが型くずれしないようにレンジで蒸したあと焼けばいいだろう。チーズを乗せたあとはオーブンで加熱した方がいいとも言える。

 最近、何を作っても基本形から逸脱してしまうのは、良いことなのか悪いことなのか、それさえも判断できなくなりつつある。次の段階に登るための過渡期なのか、それとも単なる我流が身についてしまっただけなのか。基本の料理が何でも一通り作れて、その上で自己流にアレンジするならいいのだけど、私の場合基本もできないのに応用に走りすぎる。物心ついてから何事につけ、いつでもそうだった。習い事が苦手で、人に指図されることが嫌いだった。誰に教わらなくても人並みのことはできたけど、本当にはモノにならなかったのは、基本の反復を怠ったからだ。器用貧乏という自覚はある。料理も例外ではなかった。
 だからもう一度初心に立ち返って、和洋中と基本の料理を作ってみるべきだ。それをマスターしてから次へ進めばいい。でも、性格というのはなかなか直らないもので、次に作るときはやっぱりヒネリを加えずにはいられなくなるのだろうなという予感はある。基本通りにしてもつまらないと思ってしまうから。
 私はこのままノーコン料理人として突き進むしかないのだろうか。けど、メジャーリーグにこんな言葉がある。コントロールを持たないピッチャーは何も持ってないと同じ。その言葉を思い出すと、料理においてもコントロールは一番大事なことに違いない。レシピ通りに作れるというのが基本だ。
 凝った料理を作れることが料理上手なのではなく、基本の料理を美味しく作れる人が真の料理上手なのだということを、最近の私は知ったのだった。
 今度は脱ノーコンの方向で精進していきたい。来週は和洋中3品の基本レシピを作ってみよう。


田舎の変わらない生き物と変わった時代と野生児の我々と
2007年08月26日 (日) | 編集 |
田舎の生き物-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/160s(絞り優先)



 今日は田舎歩きで出会った生き物たちを。
 まずは大師の鯉から。
 池のそばに立つと、鯉たちがどこからともなく集まってきて、けっこうな数になった。どうやら日頃から人にエサをもらっているようだ。昔からこの池には鯉がたくさんいた。お寺さんか神社さんが飼っているのか、昔からいるのをそのままにしているだけなのか。私たちが子供時代から数えて、一体何世代目の鯉になるのだろう。いや、鯉の寿命は30年から40年というから、もしかしたら子供時代に出会っている鯉がまだいたのかもしれない。長生きするのは100年以上とも言われている。

田舎の生き物-2

 鯉といえば、なんといってもエサやりが大師の定番だ。準備していった麩を投入すると、すごい大騒ぎになった。バシャバシャと音を立ててエサに食らいつき、激しい争奪戦が展開される。その騒ぎを聞きつけて、更に別の鯉も集まってきた。少し遅れてミシシッピアカミミガメも参戦だ。
 最後は昔を懐かしむ意味でかっぱえびせんも投入してみた。鯉は味覚があるのかないのか、それにも大喜びで食いついていた。あまりやると鯉にも水にもよくなさそうだったので、少しだけにしておく。でも、やっぱり大師の鯉にはかっぱえびせんがよく似合う。

田舎の生き物-3

 池の別の場所にはチビの魚もたくさん泳いでいた。メダカの仲間か、フナか鯉の子供なのか。
 昔は当たり前にいたニホンメダカも今や絶滅危惧種というから、時代の流れを感じずにはいられない。田舎の田んぼにはまだいるんだろうか。村を流れる水路に沢ガニはまだたくさんいるけど、ハヨやドジョウの姿は見られなくなった。子供の頃、30年後にはそれらが見られなくなるなんて思いもしなかった。

田舎の生き物-4

 カエルはあちこちで飛び跳ねていた。池の周りや田んぼのあぜ道を歩くと、目の前でピョンピョン逃げていく。バッタも跳ね、ヘビもチョロチョロし、田舎の生き物たちはまだ健在だった。ちょっとホッとした。
 生き物は本来、人が守るべきものではなく自然に普通にいるものだ。それを特に気にもとめずに生活していくというのが、昔からの当たり前の関係性だった。夏休みに子供たちが少々虫を捕ったりするくらいではびくともしない自然であり続けて欲しい。

田舎の生き物-5

 激しく鳴いているセミを背後から狙うカマキリ。まだチビだし、この体格差はいかんともしがたい。どうするつもりだろうと見ていたら、思い切りよく飛びかかっていった。びっくりだ。セミも驚いてわめき散らしながら飛んでいった。いくらなんでも獲物が大きすぎた。このサイズのカマキリでセミは捕まえきれない。
 セミの立場からみれば助かったともいえるし、カマキリから見れば残念だった。これもまた夏のワンシーンだ。
 子供時代に比べて街中から一番姿を消したのはカマキリなんじゃないかというのが私の印象だ。カブトやクワガタなんかは昔から街にはいなかったし、セミは変わらない。トカゲやバッタもそれなりにいる。カマキリだけは本当に見かけなくなった。昔はちょっとした空き地にはいつでもカマキリの卵があって、カマキリも普通に見られたのに、最近は本当に見ない。里でも数を減らしているのだろうか。

田舎の生き物-6

 田舎暮らしの人は自然の花が周りにたくさんあるから花は足りているのかといえばそうでもない。庭や田んぼの脇などに園芸品種の花をよく植えている。そのあたりの感覚は、都会でも郊外でも田舎でも変わらない。主食があれば嗜好品は必要ないかといえばそうではないのと同じだ。
 そろそろ夏の花も終わりが近づいて、秋の花が咲き始める季節が近づいてきた。萩も早くもちらほら花がつき出している。お盆が過ぎた夏休みの後半というのは、夏の名残でもあり、秋の入り口でもある。

田舎の生き物-7

 10日前は池一面を覆うほどの花を咲かせていたホテイアオイも、半分以下になっていた。こんにも急激に減ってしまうものなのか。
 気温は相変わらず高くても、季節というのは確実に進んでいくものだ。人間だけが鈍くて、季節の移り変わりに一番最後に気づく。気づいたときにはたいてい季節は行ってしまったあとだ。

田舎の生き物-8

 夜の自販機にカエルがへばりついていた。のどが渇いからジュースをよこせということか。それとも、光に集まってくる虫を狙ってのことか。
 しっかり見なかったけど、これは何ガエルだったろう。アオガエルか、アマガエルか、アカガエルか、そのあたりだろうか。
 自販機にカエルがくっついてるってのも田舎ならではの光景だけど、それを驚きもせず普通に受け止めてしまう私は、やっぱり田舎者ということだろう。

おまけのアイ

 家に戻ったらアイが出迎えてくれた。あ? 帰ってきたの? ってな感じで。
 きみ、一度田舎に連れて行ってやろうか? ハンター・アイだから、最初は喜んでいろんな生き物を追いかけ回すだろう。けど、田舎暮らしをしていけるかといえば、それはまた別の問題だ。好きというのと生活するのはまったく違う。子供の頃に河原でしばらく野良暮らしをしていたとはいえ、そのときでも人にエサをもらっていた。田舎での自給自足となると、これは厳しいものがある。私もそうだけど、今更田舎暮らしは無理だ。軟弱な都会者として生きていくしかない。
 今回の帰郷は、自分たちが野生児であることの再確認と、田舎暮らしはできないことを思い知る里帰りでもあった。それでも、いざとなったら帰れる場所があるということは心の支えになる。お金もなくなって、どこへも行くところがなくなったとき、あそこに住む場所があるというのはありがたいことだ。
 心の中にはいつでも田舎の思い出があって、私たちは田舎を捨てたわけでも、田舎に捨てられたわけでもない。あそこは一生帰らない場所であり、いつでも帰れるところでもある。


帰郷再び、それぞれの記憶をつなげて、重ねて、一つに
2007年08月25日 (土) | 編集 |
帰郷再び-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/100s(絞り優先)



 ツレと二人、共通の第二の故郷、丹生へ里帰りをしてきた。私は10日ぶり、ツレは10年ぶりの帰郷となった。
 断片的な記憶をつなぎ合わせて重ねるために、過去をたどりながらぐるりと一周歩いた。ツレにとっては懐かしくも新鮮で、私にとっては見慣れているけど新鮮な光景に映った。
 今日はその写真を何枚か並べてみる。私たち以外の誰かにも、心のどこかにリンクする田舎風景であるだろうか。

帰郷再び-2

 この道は私の知らない道だ。見慣れた場所を違う角度から見るのは不思議な感じがする。よく知ってる場所なのに知らないところのように思えたり。

帰郷再び-3

 うちの家の庭からモクモクと白煙が上がっていた。火事かと思うほどに。でも、田舎では庭で何でも燃やしてしまうから、これを見ても驚かない。私も子供の頃、庭でゴミを燃やすのが好きだった。あの頃は誰もダイオキシンなんて言葉は知らなかった。

帰郷再び-4

 家の裏手にこんな地蔵堂があるとは知らなかった。ツレに教えてもらって初めて知った。
 勝手知ったるつもりの場所でも、道を一本入ると知らないところがたくさんある。一度も歩いたことがない道は、永遠に未知のままだ。それは街でも村でも変わらない。

帰郷再び-5

 青く澄んだ空は、10日前よりも少し優しかった。クマゼミの鳴き声が消え、ツクツクボウシが勢いを増していた。ツクツクが夏の終わりが近いことを告げる。
 期待していたカナカナの声があまり聞かれなかったのは少し残念だった。夏休みの思い出の一つに、夕方、遠くから聞こえるヒグラシの鳴き声というのがあって、あれを聞くと夏休みの終わりを思って切なくなったものだ。

帰郷再び-6

 山の向こうに日が沈んだ。放射状に伸びた光のラインがよかった。
 日暮れも初夏に比べたらずいぶん早くなった。山に囲まれた田舎は特に早い。

帰郷再び-7

 河原も夏休みの記憶として外せないものの一つだ。いつもこの川で釣りをして、泳いだ。ここの風景だけは、大昔から変わってないんじゃないだろうか。物心ついた頃からまったく変化がない気がする。
 しかし、思い出に浸ろうとしたら、蚊の猛攻にあって、2分で逃げ帰った。30年以上の思い出の重みよりも数匹の蚊の方が強かった。

帰郷再び-8

 まっすぐ伸びる田んぼの一本道。川への行き帰りに歩き慣れた道だ。

帰郷再び-9

 日暮れまで田んぼの草取りをしていたお母さんを、他で作業をしていたお父さんが軽トラで迎えに来て、家に帰っていった。今日も一日ごくろうさまなんてことを口に出して言ったりはしないだろうけど、そこには確かな思いやりを感じた。
 もうすぐ稲刈りの季節がやって来て、また忙しくなる。今年は雨が少なかったけど、暑い日が続いて、台風は来なかった。新米はけっこう期待できるんじゃないだろうか。

 日が暮れてから、空を見上げて星を探した。でもまだ時間が早く、雲がどんどん増えてきて、思ったほど見ることができなかった。そんな夕暮れの空を貫くように人工衛星の明るい光がまっすぐに横切って、山の向こうに消えた。人工衛星があんなにも明るくてはっきり見えるものだとは知らなかった。
 夜になると田舎ではやることがまったくなくなる。それこそ星を見るくらいしかない。帰る家がなければ、もう行くところもない。私たちは都会のそれぞれの家に戻ることにした。故郷における私たちは、訪問者でしかない。
 帰郷というとたいていが盆と正月で、それ以外の季節をほとんど知らない。次は別の季節に行ってみよう。桜の春か、紅葉の秋か。二人の里帰りに少し落とし物をしてきてしまったので、それを拾いに、また。


お上りさんによるお上りさんのための羽田空港の歩き方指南
2007年08月23日 (木) | 編集 |
羽田空港ターミナル-1

PENTAX K100D+TAMRON 28-200mm XR(f3.5-5.6), f6.3 1/15s(絞り優先)



 羽田が国内線で、成田が国際線という、ぼんやりとした認識はあった。どっちがどっちか分からなくなったときは、成田離婚という言葉を思い出すことにしている。そうだ、そうだ、成田が外国行く方だ、と。
 羽田空港は、東京23区の南東のはずれにある人工の埋め立て地だ。多摩川を挟んですぐ南は神奈川県川崎市になる。都心からはやや遠いものの、成田に比べればずっとましだ。成田は遠すぎる。あんなところしか土地がなかったのか。
 基本的に国内線のみだけど、小さな国際線ターミナルもあって、近場の外国への路線はある。それと、政治家などのVIPが政府専用機などで公務で外国に行くときも羽田が使われる。こちらの方が近いのと、警備しやすいということがあって。
 現在でも羽田は日本最大の空港として機能している。国内線がメインでも発着数、利用者数とも国内最大となっている。確かにターミナルは人でごった返しているし、滑走路の飛行機も混雑していた。いろいろ問題も山積みで、騒音問題という難問を抱えつつ、今後も拡張していく方向にあるようだ。

 羽田空港は、1931年8月25日、日本初の国営民間航空機専用空港、東京飛行場として誕生した。当時はまだ戦前で民間の航空機も少なかったということで、利用数は少なかった。
 戦中は軍事用として利用され、戦後は当然のごとくアメリカ軍のものとなった。日本人は立ち入り禁止となり、米軍が空港の拡張工事をする際は、近隣住民に48時間以内の立ち退きを命令する傍若無人さだったという。この地域の守り神だった穴守稲荷も移され、あとには穴守稲荷の大鳥居だけがぽつんと残った。これだけは撤去しようとするたびに工事中の事故が起きて、結局そのまま残されることとなったのだった。
 日本に一部が返還されたのが1952年で、そのとき東京国際空港と名前が改められた。全面返還は1958年のことだった。
 1955年に新しくできた旅客ターミナルは、たちまち東京の新観光名所になったそうだ。新しい空港ができると旅行もしないのに大勢の人が観光目的で押し寄せるというのは昔も今も変わらない。愛知にセントレアができたときは旅行者が入れないくらい観光客で大混雑した。
 1978年、あまりにも発着数が増えすぎてさばきれなくなったため、新東京国際空港開(成田国際空港)を作って、海外便はほぼそちらに移っていった。
 その後も何度も増改築を繰り返して現在に至っている。ビッグバードという愛称は、1993年に国内線のターミナルが第1旅客ターミナルビルに移転したとき以来で、2004年12月には第2旅客ターミナルビルが新たに完成した。
 と、軽く歴史を振り返ったところで、そろそろターミナル内をうろついてみることにしよう。これから羽田空港へ行こうと考えているお上りさんに贈る、これがビッグバードだ。

羽田空港ターミナル-2

 飛行機に乗るときは北ウイングか南ウイングかは大切になるけど、観光の場合はどちらから行っても違いはない。店舗の顔ぶれが違うくらいだ。ただし、ターミナル内は相当広いので、どこへ行っていいものやら見当がつかないことがある。困ったような顔で上を見上げてキョロキョロしていると、どこからともなくお姉さんが近寄ってきて、何かお困りですかと声をかけてくれる。私たちのように。いや、大丈夫ですと強がってみたものの、完全にお上りさんと思われたな。迷ったときは、とりあえず恥ずかしがらずにターミナルマップを入手して見てみた方がいい。あるいは、素直にお姉さんに救いを求めるか。空港の中心で、誰か助けてくださいと大声で叫んでみるという手もある。
 ビルは地下1階から6階の展望デッキまであって、各フロアーにはそれぞれ店舗などが入っている。衣食住なんでも取りそろえられているので、その気になれば空港から一歩も出ずに生活することは可能だ。銀行も郵便局もある。お金は持ってるけど家はないという場合は空港に住むのが快適でよさそうだ。羽田は24時間運用可能空港なので、頑張ればできるかもしれない(たぶん無理)。

羽田空港ターミナル-3

 6階展望デッキと、更にもう一段上の屋外にまで出ることができる。暑い日は暑く、風も強いし、飛行機臭いけど、備え付けの椅子があったり、見学者に対する受け入れ態勢は整っているので、気兼ねなく近くで飛行機を眺められる。見学者も思ったよりも多かった。デートコースとしても定着してるらしい。子供を連れて行けばきっと喜ぶだろう。親にとってこんな安上がりな行楽地はなかなかない。
 撮影は金網に空けられた穴にレンズを入れて行うことになる。しかし、建物の前に出っ張っている部分も邪魔になって、思い通りのポジションは取れない。夢中になってレンズを左右に振ってると、マウントの根本からバキッと折れたりするかもしれないので、くれぐれも気をつけない。ここから右へ行った方は視界が開けているので、止まっている機体を撮るには問題ない。ただ、離陸はここからずっと左に行ったところで、そちらで撮ろうとするとやっぱりままならない。

羽田空港ターミナル-4

 ある程度写真を撮ったところで満足することにして、次に第2ターミナルに移動した。昨日も書いたように、無料巡回バスが出ている。
 新しくできた方ということで、何か目新しいものがあるのかと思ったけど、第1とそれほど変わらない印象だった。
 ちなみに、第1はJALメインということでシンボルカラーが赤で、第2はANAメインでイメージカラーは青になっている。
 第2の方が店が閉まるのが早かったと思う。夕飯を食べようとしたら、どこも早々に閉店していて見つけられなかった。それ以前に、どこで何を食べればいいものやら、さっぱりイメージがなくて、探すにも探せなかったと言った方がいいかもしれない。空港へ行くときはある程度予習が必要かもしれない。おみやげ屋も早々に店じまいしていて、結局もう一度第1まで戻る羽目になった。

羽田空港ターミナル-5

 第2ターミナルの展望デッキはこんな感じになっている。こちらの方がより見学者を意識した作りになっていて、椅子だけでなく、テーブル付きのオープンデッキや、軽食店なども完備している。暑さ寒さよけの室内通路も用意されているのは嬉しい心遣いだ。
 デートにはこちらがオススメだ。遠くに観覧車や打ち上げ花火なんかも見えたりして、雰囲気もいい。
 昼間の撮影は第1と第2とどっちが向いているのかはよく分からなかった。第2の方が少し近いけど、障害物は多い気もした。

羽田空港ターミナル-6

 第2は早じまいだったので、第1で夕飯を食べることにした。最初、2階の「チャオ」というカレー専門店で食べるつもりでいたら、20時で閉まってしまっていた。失敗した。
 あちこち探し回ってようやく「ブルースカイ カフェレストラン」というのが開いてるのを見つけて、なんとかここに入った。軽食屋のような感じで、夜の22時30分まで開いている。半分セルフサービスで、テイクアウトもできる。

羽田空港ターミナル-7

 私はシンプルにカレーを、ツレはオムハヤシライスを食べた。どちらも平均点くらいには美味しかった。値段もそこそこだし、軽く食べるならここは悪くない。
 空港だから本格的な食事というわけにもいかないけど、各種食事は揃っている。あらかじめ何を食べるか決めておくか、調べてくるかした方がよさそうだ。その場で急に何か食べようとなったとき、どの店に行っていいのかとまどってしまうから。

羽田空港ターミナル-8

 おみやげは、羽田空港限定「空とぶでかドラ」だ(東京ばな奈)。標準レンズと比べてもこの大きさ(20センチ)。1個400円で、ふわふわで味も美味しいので、おみやげに最適だ。話のネタとしてもインパクトがある。小さめの子ドラもあるけど、やっぱりでかドラで決まりだ。学校や会社の昼ご飯のとき、これをおもむろに取り出して食べ始めればたちまち人気者になるだろう。

羽田空港ターミナル-9

 行きも帰りも結局、京浜急行に乗った。小松未歩の「東京日和」に出てくるように、天空橋からモノレールに乗りたかったのだけど、ロマンチックな名前とは裏腹に、単なる地下駅だったのであえて行くこともないかと思ってしまって。特に行きはしながら水族館からの流れだったので、京浜急行でそのまま行けたから。
 電車賃は妙に高い。品川から天空橋までは230円と普通なのに、次の羽田空港駅まで行くと400円になってしまう。工事費がそれだけかかっているということなのか。天空橋でいったん外に出て、そこから羽田空港までの切符を買うと150円なので、20円浮かすためにそうするというせこいテクニックもある。
 羽田空港まで歩いていけるか、というのがときどき話題になる。かつて「水曜どうでしょう」で、歩いて外に出られるかというのがあって、そのときは出られないということだったけど、実際に実験した人がいて、結論としては徒歩でも出入りできるというのが正しいようだ。天空橋から途中車用のトンネルの歩道などを歩きつつ、1時間半くらいかかるそうだけど。
 羽田空港は、行ったことがないという人は充分観光地として楽しめるので、ぜひオススメしたい。飛行機に詳しくなくても、飛行機撮影は思いのほか楽しいし、ターミナルの中は見所もけっこうある。デートなら夕景から夜景にかけてがいい。
 私は富士山が見える時期にもう一度行きたいと思っている。旅行で羽田から飛行機に乗る予定は、ない。


お上りさんは羽田空港へ行って飛行機に乗らず写真を撮る
2007年08月23日 (木) | 編集 |
羽田空港の飛行機-1

PENTAX K100D+TAMRON 28-200mm XR(f3.5-5.6), f9 1/500s(絞り優先)



 この前初めて羽田空港へ行ってきた。旅行のためではない。人を出迎えるためでも、誰かを見送るためでもなく、観光に。
 これはけっこう恥ずかしい告白かもしれない。六本木ヒルズへ行ってきたとか、浅草寺へ行ったとかよりも更に度の強いお上りさん度を示す行為だから。地方出身者でも東京に住んでいる人なら、照れくさくて観光で羽田空港へは行けないかもしれない。ヒコーキ野郎は別として。これもお上りさんの特権というものか。私なんか、ちっとも恥ずかしくないもんね。羽田のターミナルで喜んで写真を撮ってるのが私たちだけだったときは、ちょっとまずいかなとは思ったけれど。
 展望デッキまで登ってしまえば大丈夫。飛行機見学のお仲間がたくさんいるから、もう恥ずかしがることはない。思う存分飛行機を撮りまくればいいのさ。ここには羽田空港に観光で来ている人間を笑う者はいない。
 今日は羽田空港前編ということで、飛行機編をお送りしたい。飛行機には何の思い入れも知識もない私だけど、飛行機撮影は思いがけず楽しいものだった。時間帯が夕方から夜にかけてということもあって、なかなかいい雰囲気でもあった。

羽田空港の飛行機-2

 まずは第一ターミナルの方から。展望デッキは無料で登ることができて、飛行機見学者のための椅子なども用意されている。なかなか気が利いている、、飛行場ってやっぱり一種の観光地でもあるのだなと少し安心する。飛行場側も見学者をあらかじめ想定してるということだから。
 この日は夏休みの日曜日ということもあって、カップルや家族連れなどで賑わいを見せていた。一眼で写真を撮っている人もいたけど、それは少数派だった。本格的な写真撮りは日中ということか。

羽田空港の飛行機-3

 撮影は障害物が多くてけっこう苦しいものがある。安全対策のためのネットも、写真という点では邪魔以外の何ものでもない。ネットには撮影用と思われる穴が開けられているのだけど、その穴はレンズを入れると左右に振れないくらい小さい。バズーカ砲なら入らない。直径10センチ四方くらいだったろうか。どこまで穴を空けると危険なのかは分からないけど、せめて15センチ四方は必要だ。下のコンクリートの部分に乗って撮れる上のところにも穴を空けておいて欲しかった。
 レンズは単焦点では自由度が低すぎて飛行場では扱いづらい。デジでも300mmくらいの望遠ズームがよさそうだ。400mmクラスのレンズになると穴に入らないおそれがある。キヤノンの白レンズもここでは宝の持ち腐れになりそうだ。

羽田空港の飛行機-4

 飛行場での撮影で一番楽しいは、やはり離陸のときだろう。ふわっと浮いた瞬間を捉えられると嬉しくなる。けど、穴からののぞき見撮影なので、必要以上に難易度が上がってしまうのがもどかしい。自分の好きな位置で狙えないし、機体の種類や操縦士のクセによって離陸ポイントがかなりずれるから、あらかじめ構えた場所で浮かび上がるとは限らない。
 このときはわりとひんぱんに離陸してくれて何度かチャンスがあったけど、途中からピタリと飛ばなくなってしまった。どの滑走路を使うかとか、時間割はどうなのかなど、飛行機や飛行場に関する知識が全くないので、事情が掴めなかった。風向きによっても使う滑走路や角度が変わるのだとか。
 それでも、うまくいったりいなかったりするギャンブル的な楽しさもあって、ツレと二人ではしゃぎながら写真を撮っていた私たちは、どこからどう見てもお上りさんだったに違いない。途中からは人目も気にせず夢中になって撮っていた。

羽田空港の飛行機-5

 これはいいタイミングで撮れた。できればもっと前方から飛び立つところを撮りたかったところだけど、そんなにこちらの都合よくはいかない。もっと前の方にいくと、今度は建物の手前部分の出っ張りが障害物になってうまく撮れないのだ。
 この位置からはちょうど富士山が見える方角のはずだ。冬の晴れた日は富士山をバックに離陸する飛行機の写真が撮れるんじゃないだろうか。真冬はしかし、吹きさらしのこの場所はさぞかし寒かろう。
 羽田空港に出入りする飛行機撮影スポットは空港だけじゃない。周辺の浮島公園、京浜島つばさ公園、城南島海浜公園などでも撮れるそうだ。距離は遠くなっても障害物がなければ撮影にはよさそうだ。気合いの入った飛行機好きはそれぞれお気に入りのスポットを持っているのだろう。

羽田空港の飛行機-6

 向こうに見えているのが新しくできた第2ターミナルだ。こっちの方が見てる限り、激しく発着陸を繰り返していた。ANA、ANDO、SNAなどが入っている(第1ターミナルはJALやJTAなど)。
 どっちがどうなのか、初めて訪れたのでよく分かってないまま、今度は第2の方へ行ってみることにした。歩いていくのは距離があるから大変で、電車で行くのも面倒だ。地下にある動く歩道という手もあったのだけど、私たちはターミナル前から出ている無料巡回バスを利用した。頻繁に出てるし、飛行機を利用しない観光客も区別せずに乗せてくれるので、遠慮せず乗ってかまわない。

羽田空港の飛行機-7

 最後にもう一度挑戦して、なんとか狙ったシーンを撮ることができた。ちょっとズームしすぎて、ぎりぎりしっぽが切れたのは残念。
 この角度なら、もっとアップにして、後ろを通る東京モノレールと絡めて撮ると面白い写真になりそうだ。その両者がちょうどいい位置で出会う瞬間を捉えるためには相当粘らないといけないだろうけど。

羽田空港の飛行機-8

 第2ターミナルに移動し終えたときは、すっかり日も暮れていた。夜の飛行機撮影は、はっきり言って無理だ。50mmレンズに交換して、絞り開放f1.4でISOを800くらいにしても、この暗さではシャッタースピードが稼げない。機体を止めて写すのは不可能だろう。流し撮りするにしても1/20秒程度では現実的じゃないと思う。ツワモノなら可能なのだろうか。いずれにしても、飛行機の離陸速度はけっこう速い。
 第2ターミナルの展望デッキも、撮影事情は第1とさほど変わらない。しっかり金網が張られているし、穴の大きさも位置も同じだ。滑走路までの距離はこちらの方が少し近いかもしれない。手前の障害物も似たようなものか。一つこちらの特徴としては、ガラス張りの室内から眺められるというのがある。暑さ寒さを避けつつ見物するにはいい。
 方角は東京の臨海地域で、遠くにはお台場、葛西臨海公園、ディズニーランドがある。この日は打ち上げ花火が小さく見えた。あれはディズニーのものだっただろうか。
 オープンテラスのようなものあり、空港デートにはこちらの方が向いている。飛行機にまったく興味がない彼女でも、夜の空港というのはなかなかロマンチックだから、おすすめできる。

羽田空港の飛行機-9

 ANAのピカチュウバージョンがあった。おお、これは撮らねば。機体の知識がないので、目に付くものといえば広告ものやキャラものしかない。通の人なら、あれは747で、こっちが777、あそこには767があるぜ、なんていう楽しみ方ができるのだろう。私にはジャンボとエアバスの区別さえつかない。見分けることができるのは、プロペラ機とそうじゃない飛行機くらいのものだ。電車もそうだけど、世の中には飛行機に異常に詳しい人たちがたくさんいる。好きこそものの上手なれの言葉通り、自分が好きなものは勉強するつもりがなくても知識が身につくものだ。私も乗り物はどれも嫌いじゃないけど、そういう方向には気持ちが向かわなかった。車についても、学生時代の走り屋カーの時代で知識が止まっている。

 飛行場は面白い。想像してたよりも5倍は楽しかった。飛行機撮影は難しくもあり挑戦のしがいがあって燃えるし、ターミナルの中は一大ショッピングモールのようになっていて買い物や食事も楽しめる。空港という場所がある意味では非日常的な場所で、訪れる人たちの浮き立った気持ちが空港内に満ちていて、それが心地いいのかもしれない。高揚感が伝染する。
 成田は遠いけど、羽田なら東京都内で交通の便もいいから、東京観光のコースに組み入れるのは充分可能だ。お上りさんが観光気分で行くのも場違いではない。私が身をもって証明した。断言してもいい、羽田空港は観光地だと。
 次回はお上りさんのための羽田空港の歩き方を紹介しようと思う。ビッグバード・ターミナル編につづく。


名古屋人だけど鶴舞公園ってそんなところだったんだと初めて知った
2007年08月22日 (水) | 編集 |
鶴舞公園-1

Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100



 今日は鶴舞公園の成り立ちについて、写真を交えながら少し書きたいと思う。
 名古屋で初めての公園として鶴舞公園が誕生したのは、明治42年(1909年)と意外にも遅かった。日本初の公園として上野恩賜公園ができたのが明治6年(1873年)、日本初の西洋式公園日比谷公園も明治36年にはできている。以前から名古屋にも公園を作って欲しいという市民の強い希望があったのに、名古屋市はそんなもの必要ないと言い張って作ろうとしなかった。しかし、翌年誘致が決まっていた第10回関西府県連合共進会(地方の博覧会のようなもの)の会場をどうするかという段になって、ようやくそれじゃあ公園でも作るかとなったのだった。
 現在にその姿をとどめている噴水塔などのモニュメントはそのときの名残だ。共進会は大成功で、当時の名古屋市民が40万人だったところへ期間中には260万人も押し寄せたという。現在の名古屋市の人口が約220万人で、愛知万博の入場者数が2,200万人だったことを考えると、盛り上がりは相当なものだったようだ。
 この場所が選ばれたのは、ちょうど堀川(当時の精進川)の整備をしていて、そこで大量の土砂が出たもんだから、ここの沼地をその土で埋めてしまえば一挙両得と名古屋市が考えたからだ。ケチな名古屋市らしい発想だ。名古屋人は「お得」とか「お値打ち」とかいう言葉に極端に弱い人種だと言われている。
 全体の設計を本多静六と鈴木禎次が、日本庭園を村瀬玄中と松尾宗五がそれぞれ担当した。
 共進会終了後は市民公園として開放される一方、動物園も作られることになった。これが東山動物園の前身で、のちに手狭になったということで現在の東山に移っていった(1937年)。
 鶴舞公園の正式名称は「つるま公園」という。これ、名古屋人の常識、他県民の非常識。もともとここの地名が鶴舞だったわけではなく、「水が流れるところ」という意味で、つるま公園と名付けられた。それが鶴舞の字を当てるようになって、公園に隣接する駅を作るとき、旧鉄道院が間違えて「つるまい駅」としてしまったため、混乱が生まれることとなった。旧鉄道院は、秋葉原も本来「あきばはら」だったのを間違えて「あきはばら」と読んでしまったという間抜けなことをしている(それまではあきばっぱらなどとも呼ばれていて、だから今の若いやつがアキバと略すのは正しい略語だったりする)。この混乱は現在まで続き、公園は「つるま」で、駅は「つるまい」、町名も「つるまい」で、小学校は「つるま」などというややこしいことになっている。「大須ういろ」と「青柳ういろう」の争いみたいになっているのだ。

 上の写真は、公園の北にある名古屋市公会堂だ。昭和天皇の成婚記念として昭和5年に建てられた。茶色のタイル張りで、なかなかレトロな雰囲気を持っている。
 戦中は陸軍の司令部が置かれ、戦後は進駐軍に奪われた。昭和31年(1956年)に日本に返還されるまで、戦後11年間も連合軍兵士専用の劇場として使われていたのだった。戦後というのは私たちが思っている以上に長く続いたらしい。
 公園の西には鶴舞図書館が、南には愛知県勤労開館が隣接している。
 そのほか、陸上競技場、野球場、テニスコート、グリーンプラザなどの施設があり、鶴舞小学校は公園の敷地内に建っている。そのすぐ横に東海地方最大規模の円墳、八幡山古墳(直径82メートル、高さ10メートル、外側幅10メートル)があるというロケーションもなかなかすごいものがある。

鶴舞公園-2

 共進会のとき、正面玄関を飾った噴水塔が今も残されている。設計は鈴木禎次で、外国文化に強い憧れを持っていた明治時代を象徴するような和洋折衷デザインになっている。当時の名古屋人にはすごくモダンに見えたことだろう。
 昭和48年に、地下鉄鶴舞線を走らせる工事をする際、一時的に解体撤去されたものの、地下鉄完成後の昭和52年に復元された。古い建築物の価値としては公園の中でこれが一番高いんじゃないか。

鶴舞公園-3

 これはデジ写真。急に画質が変わった。こうして並べてみるとあらためてフィルムとデジタルの質感の違いを思い知る。
 これは奏楽堂。共進会のときには、ここで多くの演奏会が開かれたそうだ。これも設計は鈴木禎次が担当した。ただし、オリジナルはもうない。老朽化が進んでいたところへ昭和9年の室戸台風が直撃して砕け散ってしまった。
 二代目は間に合わせのように昭和12年に再建されたのだけど、これも平成7年には古くなって解体撤去された(二代目は設計者不明)。現在のものは、平成9年にオリジナルのデザインを再現して建てたものだ。新しいものだから存在としての迫力はないものの、見た目の雰囲気はある。
 今でもここで音楽会などが開かれたりするようだ。

鶴舞公園-4

 もう一度フィルムに戻って鶴々亭。昭和3年(1928年)に開かれた御大典奏祝名古屋博覧会のときに名古屋材木商工会が出品した茶席で、そのまま寄贈された。見本市ということで、高級材木がふんだんに使われているらしい。
 現在は予約制で市民も使えるお茶室となっている。ただし、お茶会と俳句しかしたらいけない。宴会などもってのほか、家族でお弁当を食べるために借りてももちろんいけない。なかなか条件が厳しいのだ。

鶴舞公園-5

 胡蝶ヶ池の北側は夏場は蓮池になる。夕方ではこの通り、開いている花もないけど、朝っぱらは大勢の見物客とカメラを持った人で賑わうそうだ。
 これも共進会のときに作られた池で、鈴菜橋で仕切られて蝶が羽根を広げたような形をしているところから、そう名付けられた。南側は回遊式日本庭園になっている。
 鈴菜橋は当時、木造の太鼓橋だったのが、戦後の改修工事のときに鉄筋コンクリートのものに架け替えられた。
 この東にもう一つ、龍ヶ池(竜ヶ池)という池がある。公園になる前はこのあたり一体は田園地帯で、灌漑用水路をせき止めて作ったのが龍ヶ池だ。今は誰も乗らないボート池となっている(桜の季節なんかは乗ってる人もいるのかな)。ボートは朽ち果てそうな風情で、池の水は落ちて飲んだら大変なことになりそうな色をしている。

鶴舞公園-6

 桜の名所として有名な鶴舞公園だけど、四季折々の花がいろいろ咲いていて、彩りを添えている。バラの花壇もそこそこ充実していて、シーズン中は楽しむことができる。

鶴舞公園-7

 これもデジ写真。PENTAX SPのフィルムがダメになったとき、予備でデジ撮りしておいた一枚だ。
 花菖蒲園もここの名物の一つで、5月下旬から6月にかけてそれなりに賑わう。 
 もともとは大正時代に作られたもので、戦争中は芋畑になっていたそうだ。食うのに困っているときは花を愛でる心の余裕など持てない。ハスはレンコンになるからいいんだけど。現在の姿は、戦後になって再現されたものだ。
 私は花菖蒲の品種などはさっぱりなのだけど、なかなか珍しい品種もあるそうだ。

鶴舞公園-8

 アジサイもずいぶん遠い日の出来事になってしまった。6月といえばまだ2ヶ月前なのに。いや、もうあれから2ヶ月というべきか。
 遊歩道に沿ってアジサイがずっと植えられているので、公園を横切るだけの人たちの目も楽しませている。

 こうしてあらためて鶴舞公園を見てみると、なかなか魅力的な公園ではないかと思い直した。明治から続く歴史に思いを馳せながら四季の花を楽しめる公園なんてのは、名古屋にはほとんどない。今回これを書くに当たって勉強して、初めて噴水塔や奏楽堂の意味や価値を知った。戦争中のことを考えても、そういうことがあったんだなぁと感慨深い。いつもザワザワしてるとか、トイレが汚いとか、駐車場が有料(30分180円)だとか、不満なところもあるけど、いいところを見ながらこれからもつき合っていくことにしよう。何しろ私はまだ鶴舞公園の桜を見たことがないのだ。そんなのは名古屋人のモグリと言われても仕方がない。来年はちゃんと見に行かないと。ここ夜桜名所でもある。
 せっかくフィルムに縁があるところだから、今後もここはフィルムで写すことにしようか。歴史のある公園だし、フィルムの味がよく合ってる。秋になったらもう一度行ってみることにしよう。


フィルムカメラで夏の暑苦しい鶴舞公園の空気をスケッチ
2007年08月21日 (火) | 編集 |
鶴舞公園スケッチ-1

Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100



 1909年(明治42年)に名古屋の公園第一号として鶴舞公園(つるまこうえん)は誕生した。名古屋では桜の名所としてよく知られている。私は長年名古屋に住みながら、おととし初めて訪れた。それから都合3回行っているのだけど、なんとなく居心地が良くない。人と場所にもそれぞれの波長のようなものがあって、相性の良し悪しが存在する。鶴舞公園と私は、シンクロ率が低い。どちらが悪いというわけではなく。
 二度目のとき、PENTAX SPでフィルム写真を撮った。36枚撮り切って、巻き戻そうとしたらフィルムが切れて写真が全部消えた。カメラの巻き戻し部分が壊れていたのだった。相性の悪さがこんなところでも出る。
 そのままでは悔しいから、もう一度フィルムで写真を撮りに行った。今度はNikonのF-801を持って、7月の終わりに。あれからひと月近く経ってしまったけど、ようやく鶴舞公園を紹介できることになった。フィルム写真ということで思い出っぽくていい。
 枚数が多くなったので、2回に分けることにした。1回目の今日は鶴舞公園スケッチ編で、鶴舞公園の成り立ちなどについては明日の2回目で詳しく書くことにする。写真点描で鶴舞公園が持っている空気感が伝わるといいのだけど。
 まずはJR中央本線の鶴舞駅(つるまいえき)の前から出発しよう。ここが公園の西玄関ということになる。

鶴舞公園スケッチ-2

 北の玄関口はこちら、名古屋市公会堂がある方だ。駐車場がこちらなので、車で訪れる人はこっちの方が馴染み深いだろう。
 入ってすぐに噴水塔がある。カップルの女の子が池に手をつっこんで魚をつかみ取りしていた(ニセ情報)。

鶴舞公園スケッチ-3

 これも鶴舞公園のシンボルの一つ、奏楽堂(そうがくどう)だ。フィルムで撮ると、自転車に乗った女の子が女学生といった風情になる。昭和の映画のワンシーンみたいだ。

鶴舞公園スケッチ-4

 この公園は、街中のにあって、駅に近く、住宅地に囲まれて、周りに学校が多いという立地条件のため、客層が非常に幅広くて雑多という特徴がある。夕方ともなると、学校帰りの学生の集団、ちびっ子ども、駅利用の勤め人、近所の散歩人、カップル、リタイアした人たち、お年寄り、ホームレスなど、様々な人種が入り乱れる。それで異人種同士の波長がぶつかり合って、ザワザワした感じで落ち着かないのだろう。私が公園を訪れる目的は主に写真を撮ることだから、どうもリズムが合わないと感じるのはそのあたりに原因がありそうだ。
 ただ、公園のはずれまで行くと、人通りの少ない静かなところがあちこちにあって、カップルやおじさんたちがのんびり過ごしてる姿を見ることができる。いろんな顔を持った公園という言い方もできるだろう。

鶴舞公園スケッチ-5

 ヤングカップルとハトの群れ。
 胡蝶ヶ池の南には、朝日新聞社寄贈の鶴の噴水がある。
 鶴舞という名前だけど、もちろん、鶴が舞ったりはしていない。

鶴舞公園スケッチ-6

 この公園は暇なおじさんたちの憩いの場となっていて、よく将棋や囲碁、麻雀なんかをしているのを見かける。名古屋ではこういう光景は珍しい。ここだけは妙に関西っぽい。東京でも野外の公園で将棋を指してるおじさんたちは見たことがない。

鶴舞公園スケッチ-7

 野良猫がたくさんいる公園はいい公園という定義が私の中にある。世知辛い都会の公園でノラが生きていけるということは、地域住人で世話をする人がいて、それを容認してるということだ。猫だって生きてるんだし、少しくらい迷惑をかけるのはお互い様だ。好き嫌いは別にして、猫くらいはのんびり暮らせる街であって欲しいと思う。野犬のように人を襲ったりするわけでもないのだし。
 まだ子供だけど、外国猫の血が入ったきれいな猫だった。目がブルーで。このときはカリカリを持っていくのを忘れていてあげることができなかった。すまん。これで反省して、次の日からは散策のときは常にカリカリを持参している。気休めでも一食おごることは無駄じゃないと思いたい。

鶴舞公園スケッチ-8

 カメさん、ベストポジションを独り占めして、どうだといわんばかりだ。

鶴舞公園スケッチ-9

 夕方、長く伸びた影をセルフポートレート。
 こういう写真を見ると、やっぱりフィルムの味って捨てがたいなと思う。同じシーンをデジタルで撮っていたら、全然違う雰囲気になっていたはずだ。フィルムにはなんというか、温度がある。夏は暑苦しく、冬は寒々しい空気まで写し込むのがフィルムの特質だ。非リアルタイムという決定的なマイナス要素が致命的にならない時と場所を選んで、これからも使っていきたい。

 次回、鶴舞公園の由来と歴史編につづく。


自分の料理を作るということが趣味としてのサンデー料理
2007年08月20日 (月) | 編集 |
洋食崩れサンデー

PENTAX K100D+RICHO XR RIKENON 50mm(f2), f4.0, 1/25s(絞り優先)



 今日は洋食を食べたい気分だった。私のサンデー料理の気分を大きく分けると、和食を食べたいとき、フランス料理を作りたいとき、洋食を食べたいとき、たまには中華もいいかというとき、その他変わったものを作りたいとき、とだいたいこのパターンに分類される。料理を始めた頃は何を作りたいかが最優先事項だったけど、この頃は食べたさの占める割合が大きくなってきた。それだけ作るということに関して余裕が出てきたということだろう。
 そんな中で今日は洋食気分だった。しかし、結果的に当初の気分はどこかへ置き去られて、正体不明の料理になってしまった。上の写真を見てもらえば分かる通り。名古屋から東京へ向かったはずが気づけば富山県に出ていたというくらいのズレを見せた。いったい、ここはどこですか? アレンジにアレンジを加えていたら、どんどん洋食から離れていってしまったのだった。もはや洋食崩れという体もなしていない。作っている途中から、こりゃあ道が違うぞと気づいてはいたのだけど、もう引き返すことができなかった。この料理を洋食だといってだませるのは小学三年までだ。小四なら、これは洋食じゃないやいと見破られてしまう。最近の私の料理は国籍不明となっている。迷子の料理人だ。

 最初の予定では、ハンバーグとプレーンオムレツと白身魚の団子を作るはずだった。信じられないと思うけど、実際そうだったのだ。思惑通りにいかないのは人生も料理も同じらしい。
 ハンバーグになるはずだったものは手前の緑色のものではなく、左奥のものだ。お好み焼きの出来損ないに大量のマヨネーズがかかっているように見えるかもしれないけど、そうじゃない。これがハンバーグのなれの果てだ。
 名付けるとすれば、「絹ごしフワフワ豆腐ハンバーグのタルタルソース掛け」といったところか。作り方はこうだ。
 まずは絹ごし豆腐をペーパーでくるんでレンジで加熱して熱を飛ばす。それをボウルに入れて適当に砕き、白身魚、刻みタマネギ、とろけるチーズ、カタクリ粉、卵、パン粉を混ぜあわせる。通常のハンバーグならここでこねて形を整えるところだけど、絹ごし豆腐でやわやわなのでそれができない。なので、このままフライパンに流し込んで焼く。質感も食感もお好み焼きっぽいものの、これはこれでけっこう美味しい。とてもヘルシーでもある。もっとしっかり味が欲しければ挽肉を加えてもいい。
 ソースは、マヨネーズ、ゆで卵、刻みタマネギ、パセリ、塩、コショウ、ヨーグルト、レモン汁でタルタルソースを作った。しょう油やカラシなどを加えてもいい。

 右奥のプレーンオムレツは、プレーン度が足りずにやや不満の残るものとなった。卵をあまりかき混ぜすぎず、塩、コショウ少々、牛乳を混ぜ入れ、バターを敷いたフライパンで、よく動かしながら焼いて、半分に折りたたんだらバターを加えて、手早く焼き上げて完成となる。はずだった。少し焼きすぎたようだ。これは加減がすべてだから、かえって難しい。
 トッピングとして小エビとしめじの炒め物をのせて、ソースはいつものようにトマトソースを作ってかけた。
 味としては問題ない。体裁を気にしなければ、エビやキノコも一緒に加えてスクランブルエッグのようにしてしまった方が手間がかからず早い。

 手前の緑のものは途中から自分でも何を作ってるかよく分からなくなった正体不明の料理だ。
 なんとなくイメージだけで白身魚とほうれん草を混ぜあわせて団子にしてみようというのがあって、まずはそこまで手順を踏んでみた。けど、そのままではパサパサなので小麦粉を混ぜた。これでお湯の中に落としたら茹で団子になるだろうかと思って、試しに小さく丸めて湯の中に投入したところ、あっという間に分解してどこかへいってしまった。こりゃいけない。
 気を取り直してジャガイモを加えてみることにする。小さく切ってお湯で茹でたあと、砕いて混ぜ込んだ。これでけっこう団子のタネっぽくはなかった。まだ寂しい気がして、シラスも入れてみた。特に意味はない。これでもお湯に入れたら砕け散りそうだったので、仕方なく焼くことにした。そしてできたのがグロテスクな緑のハンバーグ風の料理だったというわけだ。子供が泣いて逃げそう。
 味付けもどうしていいのかよく分からないまま、コンソメの素をお湯とオリーブオイルで溶いたものをかけてみた。
 おっかなびっくり食べてみると、これが意外と美味しい。ジャガイモの少しくちゃっとした感じも嬉しい食感につながっている。これは結果オーライで成功だったんじゃないか。誰も食べたことがないであろうオリジナルの料理にもなった。失敗は成功の母とはこのことか。
 見た目をもう少しなんとかして、グリーンソースの上に浮かべたりしたら、けっこうしゃれた料理になりそうではないか。今度、これをもっと発展させたやつを作ってみよう。

 予定通りに事が運ぶことはもちろんいいことだけど、予定外の事が起きて思いがけないところに自分が運ばれるのも、それはそれで楽しいものだ。私は好きだ。ドライブでも見知らぬところへ行って、現地で迷って泣きそうになることがあるけど、それだって嫌いじゃない。偶然の発見や出会いこそが旅の醍醐味であり、それは人生にも通じるものだと思っているから。
 料理というのも、無謀な挑戦や失敗や偶然から生まれることが多い。たくさんの食材の中から無限の組み合わせがあるというのは、音楽と同じようなものだ。同じ曲が2曲とないように、同じ料理というのもない。料理を作るというのは二通りの意味があって、人が考えた料理を真似て作るということと、自分が料理を創作するという意味での作るということがある。人が作った曲を弾くのも楽しいけど、自分が曲を作れたらもっと楽しい。料理もそうだろう。レシピ通りに作っているだけでは面白くない。
 今後もいろいろトンチンカンなチャレンジをしていこう。その中で自分独自の料理もできてくるはずだ。誰も名前を知らない料理をたくさん作れるというのはちょっとした自慢になる。美味しいかどうかはともかくとして。
 題名のないサンデー料理会は今後もまだまだ続いていくのであった。


動物園の脇役動物たちはときに主役以上に魅力的だ
2007年08月19日 (日) | 編集 |
脇役動物たち-1

PENTAX K100D+Super Takumar 300mm(f4), f5.6 1/25s(絞り優先)



 動物園では、キリン、象、ライオンといったメジャー動物の他にも、個性豊かな脇役陣が様々な味付けをして彩りを添えて私たちを出迎えてくれる。それらはときに脇に徹し、ときに主役を食ったりしつつ、さりげなく存在感を示す。今日はそんな脇役動物たちにスポットを当ててみることにしよう。
 たとえばこのカピバラさん。一般にはあまり知られてない動物ではあるが、動物園好きの中ではファンが多い。真っ先にカピバラのところへ行って癒されるというカピバラ好きもいるという。確かにカピバラには人の気持ちを和ませる魅力を持っていて、私も好きだ。大ネズミでありながらなんとも愛嬌があるのだ。
 和名をオニテンジクネズミという。鬼のように恐いというのではなく、鬼のように大きいという意味で付けられたのだろう。テンジクネズミといえばモルモットの和名だから、大きなモルモットといったところか。
 南米のアマゾン川流域にすむ世界一大きなネズミで、最大で130センチ、65キロくらいになる。ぽっちゃりした小学生くらいのネズミといえばいかに大きいかが分かるだろう。
 特徴としては泳ぎが上手いというのがある。手足の指の間に水かきがついていて、器用に泳ぐことができる。アマゾンは敵がいっぱいで危険だから、泳いだり水中に潜ったりして逃げなければならない。
 NKH大河ドラマ「風林火山」の武田信玄をやっている市川亀治郎がカピバラに似ているともっぱらの評判だ。

脇役動物たち-2

 変な位置で黒と灰色のツートンカラーなのは、マレーバク。どうしてこの位置でツートンカラーになったしまったのか、何度見ても不思議で笑える。チビの頃はイノシシの子供のようなうり坊姿をしているというのも面白い。東山で春に生まれたチビも、すっかり大人の配色になっていた。
 バクというのは非常に原始的な動物で、200万年くらい前にはすでにこんな姿をしていたと言われている。主な生息地は南米で、マレーバクだけが東南アジアにすんでいる。
 中途半端に長い鼻(吻)からゾウに近い生き物と思わせて、動物学的にはサイなどに近いとされている。純然たる陸生生物ではなく、泳ぎが得意で水陸両用の生活を送っている。

脇役動物たち-3

 これは非常に珍しいドールシープというヒツジの仲間で、日本では東山動物園にしかいない。
 アラスカからカナダにかけての切り立った断崖で暮らしている。立派な角を持っていても平和主義者で、暴れん坊の動物がいない山岳地帯で家族と一緒に静かな生活を送ることを選んだ。とはいえ、発情期になるとオス同士がこの角で頭突き争いをしてメスを賭けた勝負をする。勝った方は家族を持てて、負ければ持てない。平和主義なだけでは生き残れないのが自然の厳しさだ。

脇役動物たち-4

 白い体にピンクに染まった顔がなんとなく色っぽい、アルパカさん。
 南米アンデス山の標高4000メートルの高地で生活する彼らだから、暖かい毛に全身が覆われている。高級生地アルパカはアルパカさんの毛から作られている。
 名古屋の夏はこの高級毛がむしろあだとなる。さぞかし暑いことだろう。夕方になってもまったりとして動かなかった。東山動物園でも毛を刈ってやればいいのに。そうすれば彼らも多少は涼しくなるし、東山としても毛を売って儲けることができる。毛を刈られたアルパカさんの姿はちょっと情けないのだけれど。

脇役動物たち-5

 トナカイといえばサンタクロースのソリを引く動物として日本でもすっかりお馴染みだけど、実物のトナカイというと意外と馴染みがない。実物を見たことがないという人も多いんじゃないか。
 ユーラシア大陸や北アメリカの寒冷地では古くから家畜として人々の生活の近いところにいた。乳や肉の他、荷物運びのソリ引きとしても活躍した。その流れでサンタクロースのソリを引くことになった。
 寒冷地仕様の動物ということで、日本で家畜として導入されなかった。一般家庭や農家で飼っているところはほとんどないと思う(北海道にトナカイ牧場があるそうだけど)。飼ってみればなかなか役に立ってくれる頼もしい相棒になるようだ。

脇役動物たち-6

 アザラシなんてのはもともと動物園の脇役で、さして注目の存在ではなかった。それを一躍人気者の地位に押し上げたのは、やはりなんといっても『少年アシベ』や『コマゴマ』だろう。ゴマちゃんがアザラシの一般的な知名度を上げた。近年では多摩川や鶴見川に迷い込んでアザラシブームまで作ったアゴヒゲアザラシのタマちゃんの存在も大きい。動物園でもアザラシを見ると反射的にタマちゃんだと言ってしまう人は多い。写真のやつはゴマフアザラシなんだけど。
 アザラシは冬の間、流氷に乗ってオホーツク海を漂流している。生まれたての子供は真っ白の毛に覆われていて、とにかくかわいらしい。野生の赤ちゃんアザラシを見学するツアーなんかもあって、写真を撮りたいと思っている人も多いことだろう。

脇役動物たち-7

 私は猫派なので犬に対してはさほど思い入れはないのだけど、オオカミに対しては相当強い思いがある。オオカミが好きというよりも、オオカミには何か近いものを感じるのだ。たとえば前世で共に暮らしていたような、そんな感覚だ。だから、絶滅したとされるオオカミのことを思うと、飼っていた猫が家出してしまって今もどこかで生きているのではないかと思いを巡らすような、そんな感じがしてならない。
 上の写真は北アメリカに生息するシンリンオオカミだ。こいつはそんなにぐぐっとはこないのだけど、それでも長い間見てしまった。犬といえば犬だけど、違うといえば断然違う。
 ニホンオオカミが最後に目撃されてから100年近い歳月が流れてしまった。今でも山奥のどこかでひそかに生き延びていると思いたいけど、やっぱりもういなくなってしまったのだろうか。もし、生きているニホンオオカミが見つかったとしたら、それは私にとって最大級に嬉しいニュースとなる。

脇役動物たち-8

 孫悟空のモデルとなった猿だと言われたり、いやそうじゃないんだと言われたりするキンシコウ。
 中国やチベットの山奥に生息していて、世界で最も寒い地域に暮らす猿としても有名だ。氷点下でも生きていける。だから名古屋の夏は暑すぎて、なかなか外に出てきてくれない。中国から預かっている貴重なキンシコウだから、いつもクーラーの効いた部屋で大事にされているのだ。
 日中共同研究の繁殖計画ということで日本の動物園にいるので、いずれは返還されることになる。東山でも何頭か子供が生まれている。前に見たチビはだいぶ大きくなって、またあらたに小さいのが暴れ回っていた。そのうちに見られなくなりそうだから、一度くらいは外の運動場で駆け回っている姿を写真に撮っておきたい。

 東山動物園の生き物たちも、だいたい見たと思う。鳥などの細かいところや、すっこんでいてなかなか出てこないもので見落としてるものが少しありそうだけど、ほぼ見るには見たはずだ。去年から今年にかけて5、6回行ったから。ただ、写真となるとまだ撮れてないものがたくさんある。金網の状況が悪いところが多くて、撮りたくても撮れないところもあるし、自然動物館もまだ撮れてないものが多い。
 そろそろ年間パスポートを買うべきなのかもしれないと思い始めた。通常の入場料が500円で、年間パスポートが2,000円だから、年に5回行けば得になる。パスポートがあれば、閉園まで1時間なんてときでもふらりと立ち寄ることもできる。
 今回の東山ナイトZOO編はこれで終わりとなる。また来月あたり行って、たくさん写真を撮ってこよう。ミニバズーカ砲も手ぶれ補正のおかげで失敗確率がかなり減った。次は200mmも持参して、万全の態勢で臨みたい。9月になれば少しも涼しくなって、動物たちも元気を取り戻すだろう。


いつか鳥たちが空を飛べる動物園ができることを願って
2007年08月18日 (土) | 編集 |
東山の鳥たち-1

PENTAX K100D+Super Takumar 300mm(f4), f5.6 1/100s(絞り優先)



 動物園と鳥というのはイメージとしてあまり結びつかないものだけど、実は動物園にはたくさんの鳥がいる。東山にも、外国の珍しいものから日本でお馴染みのもの、大きいやつから小さいやつまで、数十種類の鳥が飼育展示されている。今日はそんな鳥たちの中から、たまたま目について撮った写真を紹介しようと思う。
 今回は300mmの単焦点望遠レンズということで、必然的に顔のアップが多くなっている。ズームレンズじゃないと動物園では扱いづらいのだけど、不自由さが普段と違う写真を撮らせてくれることもあるから、これはこれで楽しかった。ただ、Takumarのミニバズーカ砲300mm F4は、最短焦点距離が5.5メートルという致命的ともいえる難点があって、これはやっかいだった。鳥舎などはゲージの近くまで寄れるから、なるべく近づいて撮るのが普通なのに、私の場合は5.5メートル離れなければならない。バックオーライ、バックオーラと下がっていって、しまいには通路を隔てた反対側で撮らなければならないなんてこともあった。鳥かごから5.5メートル離れたところからバズーカ砲で鳥を狙ってる男ってヘンだ。当然の道行く人はそんな私をけげんそうに見ながら過ぎていった。私としては、このレンズは5.5メートル離れないと撮れないんですよ、てへへ、などといちいち説明したかったのだけど、そんなことを言われた方も困ってしまうから、ここはぐっと我慢して好奇の視線に耐えた。これらの写真はそんな苦労の結晶なのだ(大げさな)。

 最初は、ベニイロフラミンゴ。鮮やかな赤い体色が、光と影のコントラストに中に浮かび上がっていた。みんな揃って身繕いに夢中だ。
 子供の頃、うちの近所に「喫茶フラミンゴ」というのがあって、よく父親に連れていってもらった。窓から中庭で飼っているフラミンゴが見える店で、私のお気に入りだったのだ。そこでいつも飲んでいた緑色をしたクリームソーダを今でもよく覚えている。東山でフラミンゴを見ると、あのときの味がよみがえる。

東山の鳥たち-2

 タンチョウといえば、ドラマ「池中玄太80キロ」だ。西田敏行演じるカメラマンが丹頂鶴に魅せられて、北海道の鶴居村でタンチョウの求愛ダンスを夢中で撮りまくるというシーンが出てきた。あれはいいドラマだったし、タンチョウの撮影シーンも感動的で、強く印象に残っている。
 動物園でのタンチョウは、狭いカゴの中ですっかり精彩を失っている。本当は大空を飛び、真冬のもやの中でダンスを踊り、夕陽を浴びているはずなのに。
 動物園でしか見られないような鳥もたくさんいて、見られるのはいいことなのだけど、カゴの中の鳥というのは現実的にも象徴的にも、見ていて少しつらいものがある。鳥は空を飛んでこそ鳥だから。
 オシドリなんてのは、おしどり夫婦とは名ばかりで、実際は毎年相手を変える浮気性の鳥だけど、おしどり夫婦という言葉はこのタンチョウにこそふさわしい。タンチョウは一度決めた相手と生涯寄り添って生きる。決して別れない。だからきっと、愛の求愛ダンスがあんなにも美しいのだ。

東山の鳥たち-3

 この顔を見て、死神博士の天本英世を思い出した。ハゲた頭に長い白髪、血走った目は、どこから見ても悪の親玉面だ。
 アネハヅル(姉羽鶴)は、世界で最も高い空を飛ぶ鳥の一つで、アジアで繁殖をして、冬になるとヒマラヤ山脈を越えてインドやアフリカに渡る。時々日本にも迷い込んできてニュースになる。
 ツルの中では最小で、普通のツルの半分くらいの大きさしかない。そんな小さな体で8,000メートルの山々を越えるというからすごいもんだ。
 じっと遠くを見ていたのは、ヒマラヤの上を飛んでいるところを思い出していたんだろうか。

東山の鳥たち-4

 ハクトウワシを神聖化していたアメリカの先住民が動物園に来たら、この姿を見て嘆くことだろう。神様の使いを檻に閉じこめて何事かと。
 現代のアメリカ人のハクトウワシに対する思い入れはどの程度なんだろう。アメリカの国鳥になっていることさえ知らない人が多いのかもしれない。日本の国鳥がキジだということを意識しながら暮らしている日本人だってほとんどいないから、アメリカも同じようなものなんだろう。
 当のハクトウワシは長い動物園生活でも眼光の鋭さは失っていない。これが野生の誇りというものか。

東山の鳥たち-5

 こいつは確か、コサンケイというやつだったと思う。ベトナムの森林にすむ、キジの仲間だ。
 ベトナム戦争で多くの森林が燃えて、数を大きく減らしてしまい、野生のものは絶滅の危機に瀕している。遠くを見つめるまなざしは、故郷の仲間たちを心配しているようにも見えた。

東山の鳥たち-6

 8月2日に東山動物園で一つの事故があった。1日に新しくキリン舎の担当になった女性飼育員がダチョウに蹴られて頭蓋骨骨折の大けがをしてしまったのだ。
 キリン舎の広い運動場には6頭のキリンの他に、2頭のダチョウも放し飼いにされている。飼育員が掃除をしていると、ダチョウが突っ込んできて慌てて逃げようとしたところ、尻餅をついてしまい、そこへダチョウキックが頭に炸裂したのだという。ナガブチばりのキックだったのだろう。
 その張本人はこいつかもしれない。2頭は何事もなかったかのように、今日も元気に走り回っていた。

東山の鳥たち-7

 飛べない鳥ペンギンは、空の代わりに海で飛ぶことにした。水中で泳ぐ姿はまさに飛んでいるという形容がふさわしい。地上のヨタヨタ歩きも、海で飛ぶことを思えば苦にならない。
 しかし、自然というのはすごいものだ。海から進化して地上に出てきた生き物がまた海へ戻っていくという進化さえも見せるのだから。
 ペンギンは触りたいと思う。私はそれほど触りたがり屋ではないのだけど、ペンギンだけは触ってみたいという思いが強い。「志摩マリンランド」でペンギンタッチという夏季限定のイベントがあるそうだけど、9月2日までということで今年は無理そうだ。いつかどこかでペンギンにお触りしてみたい。

東山の鳥たち-8

 空を自由に飛べる野生の鳥にとっては、動物園というのは魅力的な場所で自ら飛び込んでくる。カゴの中の鳥は外へ出たがりカゴの外の鳥は中に入りたがると結婚をたとえて言ったのは誰だったか、あれと同じだ。
 チリーフラミンゴがいる古代池あたりには、カルガモやらカラスやらカワウやらハトやらが入り乱れていて雑然としていた。本来の住人であるモモイロペリカンなんかは隅っこの方に追いやられていて気の毒なほどだ。
 仲間がいる気安さと、エサがあるから、好きこのんでやって来るのだろう。冬場になると渡りのカモたちでますます賑わうことになる。

東山の鳥たち-9

 東山動物園のボートに乗ったカップルは必ず別れるという都市伝説を知らない名古屋人はたぶんいない。昔から言われ続けている話だ。けど、ここのボートに乗るカップルといえば、たいていは中学生か高校生くらいのもので、そこで知り合ったカップルが結婚までいく確率は相当低いわけで、結果的に分かれるというのは当たり前の話だ。だから、名古屋の若者たちは恐れずにデートで乗ってもらいたいと思う。じゃあ、おまえが乗ってみろよとあなたは言うだろうか。いやいや、私は乗らないですよ。私はチャレンジャーじゃないし、若者でもないから。

 幸せな動物園の形というものを考えてみる。そんなものは存在し得ないかもしれないけど、理想のないところに幸せの実現はないのだから、考えてみることは無駄じゃない。
 たとえばサファリパークというのは一つの理想の形だろう。けど、あれは規模が大きくなりすぎて、街中では実現が難しい。
 私が考えるに、まず全体を透明なドーム場にするところから始める。そして、飼育している動物を人間が見るのではなく、動物の暮らすところに人間が観察するための通路やスペースを作る。まず動物のための生息環境を作って、人間をゲストにするわけだ。
 旭山動物園の成功はそこにあわったわけだし、日本モンキーパークなんかでもある程度できている。今ある動物園を手直しするくらいでは無理な話だけど、近いうちに大改修することが決まっている東山動物園には期待をしたい。一から発想を変えて設計し直せば、ある程度は動物主体の動物園にできるんじゃないだろうか。
 生き物たちがいかに野生の姿を垣間見せてくれるかが、子供たちにとっても大切な教育にもなる。寝ているだけのライオンを見たらライオンってあんなものかと思ってしまうし、飛べない鳥が感動を与えることはない。動物園というのは命を閉じこめておくところではなく、命が輝くところであって欲しいと私は願っている。


誰の関心を引かなくても田舎の夏に花は咲く
2007年08月17日 (金) | 編集 |
田舎の花たち-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f8 1/320s(絞り優先)



 普段は朝っぱらから散策するなんてことがめったにないから、夏といえどもしっかり咲いているアサガオを見る機会はほどんどない。私にとってアサガオ写真を撮ることは、簡単なようで難しい課題だったりする。けど、田舎の朝は早いから、否が応でもたたき起こされてしまい、高校野球を観ることくらいしかやることがなくて、午前中からふらりと出かけることになる。おかげでこの夏初めて、アサガオ写真を撮ることができた。
 昔はどこの家でもよくアサガオを植えていたものだけど、最近は少なくなった。街中ではもちろん、田舎でもどこでもここでも咲かせているというわけではない。
 夏休みの自由研究といえば、男の子は昆虫採集、女の子はアサガオの観察と相場が決まっていた。最近はどうなんだろう。今はいろんな小道具や情報があふれてるから、そんな古典的なことをする子供は少なくなっただろうか。ネットからなんでも好きなネタを集めることもできる。
 今ふと思ったけど、このブログは自由研究に近いかもしれない。フィールドワークとして歩きながら写真を撮って、帰ってきて調べて、書いてまとめて提出するというスタイルだから。知らない間に私は毎日自由研究をしていたのか。昔は夏休みの宿題なんて面倒でやってられないと思ったけど、今ならクラス全員の自由研究と読書感想文を代わりにやってあげてもいいくらいだ。40日あれば40人分はできる。

 アサガオは江戸時代に入ってから品種改良が盛んになって、現代に至るまで多くの品種と愛好家を生み出した。もともとは奈良時代に(平安時代という説も)遣唐使が中国から種を薬として持ち帰ったのが始まりとされている。
 幻のバラといえば青いバラだけど、幻のアサガオといえば黄色いアサガオのことを指す。江戸時代には薄黄色のきれいなアサガオがあったと言われている。今はきちんと系統立ったものはないそうだ。そういえば黄色いアサガオは見たことがない。私は薄いブルーのアサガオが一番好きだ。

田舎の花たち-2

 サルスベリも夏を代表する花の一つだ。暑い時期にショッキングピンクの花はよく目立つ。
 江戸時代の始めに中国南部から入ってきた。暖かい地方の花らしく、日本でも夏に好んで咲く。
 サルスベリというのは、木の幹がツルツルでサルでも滑りそうだということでつけられた。だから猿滑りと表記する場合もある。ただ、一般的には百日紅と書く。7月から9月にかけて100日間も咲いている紅色の花というところからきている。白花もよく見かける。

田舎の花たち-3

 丹生大師の池は夏空を映し、鯉が泳ぎ、咲き残ったスイレンの姿がポツリポツリとあった。ここには亀もたくさんいたはずだ。トンボたちも飛び交って、水面に卵を産み付けていた。
 子供の頃、ここでよく鯉にかっぱえびせんをやったのを覚えている。今考えると、かっぱえびせんは鯉にも池にもよくないだろうと思うけど、自分が食べるついでにあげたかっただけで、鯉のために家から食パンを持ってきてあげようとかそういうことではなかった。ベビースターラーメンとかもあげたかもしれない。