 Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100
鳳来寺のヤマユリを見たあとは、お寺の鳳来寺も参拝していこうということになった。ヤマユリは3度目でも鳳来寺は初めてだった。 本来なら、一番下の参道から1425段の石段を歩いて登るのが筋というものだけど、そんな根性がなかった我々は車で上まで登った。決してズルではない。あくまでも目的は参拝であって、山登りではないのだから。おととしまで有料だった鳳来寺山パークウェイが無料になったこともあって、一度走ってみたかったというのもあった。500円の山頂駐車場に車をとめて、鳳来寺へ向かう。ここからだって10分はかかる。 入り口にあるおみやげ屋さんの並びは昭和が色濃く漂っていて素敵だった。フィルム写真がまたマッチしている。これを見たら小学生のとき両親に連れて行ってもらった養老の滝の記念写真を思い出した。懐かしすぎて泣けそうだ。ペナントさえ売っていそうな気がする。この写真の中に21世紀はまるで感じない。
 この景色を見るとかなり高いところまで登ってきていることが分かる。山間の集落が遠くて小さい。あれは門谷集落だろうか。 歩いて石段を登ると、約1時間かかる。鳳来寺山の標高は684メートル。車でもつづら折りの道だから15分くらいはかかった。涼しいときはいいけど、真夏の歩きはちょっと危険だ。当然のことながら、ヒールの彼女を連れてデートで行くようなところではない。 松尾芭蕉も鳳来寺を訪れているから、あの道を歩いて登ったのだろう。参道の途中にはたくさんの歌碑が建っている。 私の好きな歌「白鳥は哀しからずや 空の青海のあをにも染まずただよふ」と詠んだ若山牧水も、旅の途中でこの場所にやってきて、「仏法僧仏法僧となく鳥の声をまねつつ飲める酒かも」など、いくつもの歌を残している。 鳳来寺山といえば仏法僧(ブッポウソウ)が有名だ。実際はコノハズクのことなのだけど、「ブッポウーソー、ブッポウーソー」と鳴くことから仏法僧と名付けられた。かなり珍しいフクロウの仲間で、こんな険しい山の中にしか生息していない。4月から9月くらいにかけて、夜その鳴き声が聞こえるそうだ。夕方だからちょっと期待したのだけど、さすがに無理だった。でも、夜はあんな怖いところへ行きたくない。録音された声なら「鳳来寺山自然科学博物館」で聞くことができる。コノハズクは愛知県の県鳥に指定されている。 ちなみに、ブッポウソウという名の鳥もいて、こいつはゲッゲッゲッというだみ声でしか鳴かない。以前はこいつがブッポウソウと鳴く鳥の正体だと思われていてそう名付けられたのだけど、実際にそう鳴いているのはコノハズクだったということが分かって、ちょっとややこしいことになっている。
 5分ほど歩くと、遠くに鳳来寺が見えてくる(と思ったら、あれは休憩所を兼ねた見晴台だったことがあとで分かった)。 手前の尖った崖の上に立つ一本松が印象的だ。あんなところに誰かが行ってわざわざ植えたのだろうか。それとも、自然にあそこに生えたのだろうか。 鳳来寺の背景の岩肌がむき出しになっているところは、鏡岩と呼ばれていて、古くからそれ自体が信仰の対象となっている。この場所からは昔の鏡などが数多く発見されているそうだ。 鳳来寺山は山岳信仰の山として開かれた。ずっと時代をさかのぼれば、約2000万年ほど前に何度かの火山活動によってできた山だ。花崗岩や片麻岩の上に、砂岩や凝灰岩などの層が積み重なり、浸食され、地殻変動が起こり、人を寄せ付けない複雑な地形の岩山となった。 この山を開いたのは、570年に山城国(京都)で生まれた利修仙人(一説では役行者の兄弟ともいわれている)とされている。多分に伝説的ではあるのだけど、鳳来寺山にあった杉の霊木を切って峰薬師如来を彫ったとか、百済に渡って仙術を身につけて鳳凰(ほうおう)に乗って帰国したとか、鳳来寺山で3匹の鬼と竜を家来にしていたとか、698年に文武天王(もんむてんのう)が重い病にかかったときは鳳凰に乗って駆けつけて治したとか、いろいろな話がある。 鳳来寺を建てたのは天皇の病気を治したのがきっかけで、お礼として天皇が建ててくれたのだった。それが703年のことで、この年が鳳来寺開山の年ということになっている。利修仙人はこのとき133歳の計算だ。先年生きる仙人だからまだまだ若手ということか。 それまでこの山は、100メートルを超える桐の大木がたくさんあったところから桐生山と呼ばれていた。鳳来寺というのは、鳳凰に乗ってやって来たというところから命名されたもので、そのとき以来、山も鳳来寺山となったのだった。鳳来寺の正式名は、煙厳山鳳来寺という。 聖武天皇(しょうむてんのう)が病気になったとき、光明皇后が薬師如来に祈願したらすぐによくなったというエピソードもある。仁王門にかかっている額の字は光明皇后の筆とされている。
 古い歴史と山岳信仰ということで期待させる鳳来寺は、本堂を見て腰が砕ける。なんなんだこの軽さは、と。これはいただけない。全盛期は24院坊もあったという大伽藍寺院の面影はほとんどまったく残っていない。しばし、呆然とたたずむ私。こりゃまいったね。 ここは火災の多いところで、燃えるたびに規模が小さくなっていってしまったようだ。現在の本堂は、大正3年に火災で燃えたあと、昭和49年に再建されたものだ。これほど長い間仮本堂だったところからも、すっかりかつての勢いを失ってしまったことが分かる。 どういう縁があったのか、鎌倉時代に源頼朝が大々的な再興を行っている。三重塔の他、いくつもの伽藍や堂宇を新築して、大寺院となった。頼朝は名古屋の熱田生まれという説もあるし、おやじさんは愛知の知多で死んでるし、けっこうこの地方にもゆかりがあるのだ。 いったんは衰退したものの、徳川家康の母である於大の方がここに参拝して、立派な跡取り息子が生まれますようにとお願いして家康が生まれたということがあって、江戸時代初期には二度目のピークを迎えることとなる。幕府の手厚い保護を受け、三代家光は東照宮と仁王門を建てた(完成したのは四代家綱のとき)。 しかし、ここからは火事の連続で、江戸時代に数度の火災で多くの伽藍を失い、明治に入って更に規模が縮小された。現在残っているのは、本堂と、仁王門(国の重要文化財)、奥の院のみという寂しいことになっている。古い絵図を見ると、こんな山の中にこれほど巨大な寺院が本当にあったんだろうかと信じられないくらいの立派さだ。今となっては三重塔の礎石さえ見つかっていない。 鳳来寺の絵馬には鏡がついている。どういう意味があるんだろうとそのときは分からなかったけど、どうやら鏡岩に関係があるようだ。古くから鏡は神聖なものであり、思いは鏡に映って封じ込められるといった意味もあるのだろうか。鏡絵馬は1,000円と、ちょっと高め。高いといえば、山頂にあった自販機のアクエリアスが160円でびっくりした。山頂価格かい。
 鳳来寺からほど近い東照宮にも当然寄っていった。 三代将軍家光が日光東照宮に参拝したとき、祖父である家康が鳳来寺に祈願したことで生まれたことを知って、それじゃあ鳳来寺山にも家康を祀るための東照宮を造ろうではないかということで造れたのが、鳳来山東照宮だ。建立は1651年。完成を見ずして家光はこの世を去り、出来上がったのは四代将軍家綱のときだった。 家康や将軍家にこびるために、江戸時代たくさんの東照宮が全国に造られた。一番多いときで500以上あったという。日光、久能山とともにうちの東照宮が日本三大東照宮だと言い張っているところは多い。鳳来寺山もその一つだ。規模という点では全然小さいけど、関わりの深さという点ではここも三大の一つと主張しても間違いではなさそうだ。
 社殿は日光東照宮のミニチュア版のようで、なかなか豪華絢爛だ。ただ、これは最近の姿で、少し前の写真を見ると朽ち果てそうなほど古びている。300年以上、修繕でなんとか保ってきたものが昭和になってとうとう持たなくなって、1971年(昭和46年)から4年かけて大がかりな修復工事が行われた。更にそれも古くなってきて、2002年から1年半で屋根の葺き替えや漆塗りなどを施したのだった。どうりでビカビカに光ってると思った。 祭神は言わずと知れた徳川家康だ。御神体の家康木造は、江戸城の紅葉山にあったものをここに移してきた。 御利益は、家内安全、商売繁盛、厄除、無病息災、安産、子宝、縁結びなど、何でもありだ。タヌキオヤジはちゃんとみんなの願いを聞いているだろうか。
 このあたりは樹齢数百年を超える杉の木がごろごろしている。見上げると鬱蒼とした杉林で、昼でも薄暗い。樹齢700年という杉もあるようだ。 鳳来寺山は人が入っていけるところが限られているから、貴重な動植物が数多く生息しているといわれている。タヌキや猿やキツネ、イノシシだけじゃなく、もっと驚くような動物もいるかもしれない。日本全土はほぼ開発し尽くされたような気がしているけど、まだまだ手つかずの山深いところはたくさんあるのだろう。
 これが鳳来山東照宮のほぼ全景だ。ごく規模は小さいことが分かる。本殿、拝殿、幣殿、中門、左右透塀、水屋くらいしかない。本当にミニチュア版みたいだ。でも、鳳来寺よりもずっと風情があっていい感じだった。空間的にもこちらの方に親しみを感じた。 ここから山道を登っていくと、鷹打場展望台、天狗岩展望台、奥の院、山頂などがある周回コースとなる。私たちも鷹打場くらいまで行こうかと15分ほど歩いたところで残り40分の案内標識を見て引き返した。片道1時間ってことは往復2時間だ。そんなにここで時間を食ってるわけにはいかない。まだここから豊川稲荷と蒲郡まで行かなくてはいけなかったから。 鳳来寺の本格的な山登りをするなら、丸一日かけるつもりで訪れないといけない。そのときは下から石段を登って歩くことにしよう。参道の途中にある仁王門も見てみたいし。
 なんだかんでけっこう歩いて入り口まで戻ってきたときはけっこうくたびれていた。みやげ物屋の前に座ってアイスを食べる。疲れた体にはアイスが染みる。 それにしてもこの風情はどう見ても昭和だよなぁ。
鳳来寺の本堂にはちょっとがっかりしてしまったけど、鳳来寺と東照宮を参拝できたことはとても嬉しいことだった。前からずっと気になっていて、心のつかえが取れた。家康、家光だけでなく源頼朝まで深く関わっていたことを初めて知って、それもちょっと得したような気分になった。お目当てのスターを見に行ったら他のスターも来ていたみたいな感じで。利修仙人も我々の訪問に気づいてくれていただろうか。鳳凰や竜は山深いところでまだ生きてたのかな。1,300年の歴史は長いけど地球の歴史に比べたらごく短い最近の話だ。家康なんてほんのちょっと前に生きていた先輩のようなものだ。仙人だってまだ生きているかもしれない。 鳳来寺を歩きながら家康の言葉を思い出していた。 「人の一生は、重き荷を背負いて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」 若い頃はこんな言葉は嫌いだったけど、ここまで生きてきて今は素直にうなずける。そんなにのんびりはしてられないけど、先はまだ長い。まあ、焦らずいくとしますか。
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