 Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100
鳳来寺へヤマユリを見に行ったときはセットで四谷の千枚田も見に行く。今年もまた稲は順調に育って、夏空の下で棚田は鮮やかな緑に彩られていた。上空を流れる雲が太陽を隠し、棚田の上に強い影を落とす。影は潮の満ち引きのように寄せては返す。小学生の頃、逃げる影を全速力で追いかけた運動場を思い出した。 苦肉の策とでもいうべき生きていくための知恵が、美しさに昇華することがある。千枚田もそういうものの一つだ。ここで稲作をしていくのは大変けど、一年を通じてここから四季の千枚田を見れば、少しは苦労が報われることだろう。水を張った田んぼに映る空の青や、黄金に実った稲の黄金色、冬の雪景色や夕焼けの中で作業する人たちのシルエット。誰かに見せるための光景ではなくても、それはやっぱり美しいものだ。目を閉じれば確かにそんな風景が見えた気がした。
 棚田は山の斜面を削って作るのではなく、城の石垣のように石を組んで平らな面をいくつも作る。この石組みが非常に高度な技で、誰にでもできるものじゃないそうだ。今では棚作りの名人なんて人はほとんどいなくなったのだろう。この時代に新たな棚田を作るなんてことはめったにないことだから。高齢化が進んで棚田農家も深刻な跡取り問題を抱えている。 ここ四谷の千枚田も、かつては1,000枚以上あったものが、今では800枚ほどに減っているという。遊んでいる田んぼもちょくちょくある。今後も減っていくのを食い止めるのは難しいだろう。田んぼのオーナーを募集して体験的に米作りをしてもらうという試みが各地で行われているから、ここもそういう制度ができているのだろうか。
 棚田の間の農道を少し歩いていくと、休憩所があった。多少は観光地化しているから、ここも観光客用だろうか。木で作った椅子とテーブルが設置してあるから、休んだりお弁当を食べたりできる。ちょうどおあつらえ向きということで、私たちもここでランチにした。 最近ちょっと調子がよくて、ケーキ作りもコツを掴みつつあるかと思いきや、今回はまたもや先祖返り的な失敗をやらかした。伊達巻き卵の固い版みたいな、びっちり中身の詰まったパウンドケーキになったのだった。すごく筋肉質。なんでぇ? 店では売っていない不思議な食感のケーキを複雑な気持ちで味わう我々であった。パウンドケーキの素というのを見つけて、試しにそれを使ってみたのが失敗の原因だ。 しかし、ここの景色とケーキランチはかなりミスマッチだな。このロケーションならやはりおにぎりだろう。葉っぱか何かでくるんだ塩むすびがベストマッチだ。おかずは味噌。
 夏を迎えて、田んぼの中にはたくさんのカエルやオタマジャクシがいた。そっと近づいてのぞき込んでも、みんな一斉に逃げていく。人慣れしてない天然のやつらだ。懐かしい感覚がよみがえる。 オタマジャクシというよりも、足が生えたオタマガエルがほとんどだった。そういえばオタマジャクシは手よりも足から先に生えるんだったか。 夜になればここはカエルの大合唱になるのだろう。それもまた、近頃では耳にすることがなくなった懐かしい音の一つだ。
 四谷からずっと南に下ったところに、長篠の戦いが行われた長篠があって、かつて長篠城があった場所は、跡地として残されている。説明がなければただ草が茂る空き地でしかないこの場所も、かつては戦いによって多くの血が流された。今となってはまさに、夏草や兵どもが夢の跡、というやつだ。 オヤジの武田信玄の遺志を受け継いで天下統一を目指した勝頼の夢が破れた場所でもある。1万5千の兵を引き連れて上洛する途中、長篠城攻略に手間取ったことで徳川家康と織田信長連合軍が駆けつける時間を与えてしまって、織田軍の鉄砲隊によってさんざんに打ち負かされた。武田家重臣の多くと求心力を失った勝頼に天下統一の道がひらけるはずもなかった。 時代の歯車がカチリと音を立てて動く瞬間がいくつかある。長篠の戦いでもカチリと音がした。古い騎馬隊の時代は終わり、鉄砲の時代へと移り変わる決定的な戦が長篠だった。勝頼は古い時代に殉じたという言い方もできるかもしれない。 何も残っていない城跡に立ってみても、戦国の息吹はもはや感じられない。かすかな記憶も記録となり、歳月とともに薄れていくばかりだ。あの頃の人たちが求めた自由や平和というのはいったい何だったのか、それさえももうおぼろげで手を伸ばしても掴めない。
 長篠城址史跡保存館(210円)では、長篠の戦いの文献や遺品、武器などを展示している。私はまだ入ったことがない。そのうち一度は入ってみよう。 城跡で現在も残っているものとしては、土塁、石段、内堀などがある。線路を渡った南側の高台から全体を見下ろすと城がどんなふうに建っていたかがよく分かるそうだ。 長篠城は、戦いのあと、新城城が築かれて廃城となった。なので本丸の跡が何も残っていないのは仕方がない。 辺り一帯の足跡としては、野戦場となった設楽が原に信長連合軍が作った馬防柵が復元されている。新城市設楽原歴史資料館などもあり、医王寺には勝頼本陣跡の石碑が建っている。家康、信長本陣跡の案内標識なども立っているから、戦国好きなら一日かけて回ってみるのもよさそうだ。 5月の連休には火縄銃の実演などがある「のぼりまつり」が行われ、お盆には兵たちの霊を慰める「火おんどり」が400年以上も続けられている。
 長篠城の敷地内にはJR飯田線の線路が走っている。これまた懐かしい単線のローカル線だ。電車野郎にはたまらないロケーションだろう。私も少し電車を待ってみたけど、いっこうに走ってくる気配はなかった。1時間に1本もないんじゃないか。ここでたまたま電車を撮れたら、それはよほど運がいい。飯田線のことをネットで調べていたら、「JR飯田線フォトコンテスト」というのを見つけた。ただ、残念ながら応募締め切りが2007年6月30日までだったので、もう間に合わない。この距離感なら電車の中で乗客が何をしてるかまで写りそうだから、そのあたりを狙ってみると面白そうだと思ったのだけど。 愛知の豊橋から長野県辰野町の辰野駅まで、約195キロを結んでいる。険しい山の中を走っているから、急カーブや急勾配の連続で、なかなかにスリリングらしい。停車駅が94もあって、スピードも上がらないから、電車をたっぷり6時間堪能できる。往復12時間、休日の一日、そんな過ごし方も贅沢なのかもしれない。辰野町には何があるんだろう。
愛知県は、郷土三英傑の出身地ということで戦国時代の歴史の跡がかなり色濃く残っているところだ。ただ、不思議なことに、そこから時代は一気に昭和まで飛んでしまう。江戸、明治、大正の名残がほとんどなく、いきなり昭和になる。東京へ行くと、それぞれの時代の面影が残っていて、新しい時代は古い時代の上に積み重なっているんだということが感覚的に理解できるのだけど、愛知にはそれがない。この地方の人たちが江戸時代や明治にどんな暮らしをしていたのか、それが見えてこない。信長も秀吉も家康も、みんなこの地を離れて出て行ったから、愛知はただの地方都市になってしまった。古いものを大事に残そうという気持ちが弱かったというのもあるのだろうか。 それでも戦国時代が残っているから、よしとしようか。小さな城跡などを細かく回っていると回りきれないくらいたくさんある。そんなところを一つひとつ見て回るほど私は戦国野郎ではないけど、今後も折に触れてあちこち巡っていきたいとは思っている。金華山の岐阜城もまだ見てないし、関ヶ原の合戦場も行っていない。関ヶ原は昼間行っても空気が冷たくて恐ろしいそうだから、もし行くなら体調を整えてからにしよう。 戦国の跡地に立って思うのは、私たちは今、彼らの夢の続きを生きているだろうかということだ。彼らが血を流して獲得した平和の中で、私たちが彼らに報いるにはどうしたらいいだろう。その答えは簡単には出ない。だから私は戦国の名残を求めて出向いていくのかもしれない。
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