現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
夕暮れ時に見上げる視線の先の空には動物たちの故郷があるのさ
2007年08月13日 (月) | 編集 |
視線のゆくえ-1

PENTAX K100D+Super Takumar 300mm(f4), f5.6 1/100s(絞り優先)



 東山動物園のナイトZOOでは、夜よりも夕方に多くの収穫があった。日も暮れ始めたたそがれ時、一日の終わりを迎えて動物たちはどこか遠くを見ていた。遠い故郷のことでも思っているのか、見つめる視線の先は空だった。切ないような表情に見えたのは、単に私の感傷だったのだろか。
 今日は印象的だった動物たちの表情を写した写真を集めてみた。

視線のゆくえ-2

 カンガルーの濡れた黒い瞳は、オレンジに染まる夕焼け空をずっと見ていた。

視線のゆくえ-3

 夕陽を浴びたラクダは、いつまでもじっと動かない。砂漠で見た夕陽を思い出していたのだろうか、静かに微笑んでいるようにも見えた。

視線のゆくえ-4

 いつもはうるさく吠え立てているカリフォルニアアシカも、夕暮れ時は黙って空を見上げていた。日暮れ前の動物たちはみな、神聖な儀式のように夕陽の方向を見上げたまま静かにたたずむ。

視線のゆくえ-5

 私の視線に気づいたのか、振り向いたボンゴと目が合った。森の貴公子の瞳は、動物園暮らしでもその光を失ってはいない。誇り高く美しい生き物だ。

視線のゆくえ-6

 最も人間に近い類人猿のチンパンジーは、その表情もひどく人間くさい。すべてを悟ってあきらめてしまった人のような目をしていた。それを私が悲しげだと感じたのは思い上がりだろうか。

視線のゆくえ-7

 檻の中という言葉はとても残酷な響きを持っている。残酷さを教えることが動物園の使命ではないとするならば、檻の形状や在り方にもっと工夫をすべきだと私は思う。動物園へ行きたいないと思う人の多くが、動物園の動物を見てかわいそうだと思うからだ。珍しい動物を呼んだり、触れ合うチャンスを多くすることが人を呼ぶ特効薬なんかではない。残酷だと思わない飼育展示をすれば、潜在的に動物園に行きたいと思っている多くの人を呼ぶことができる。生き生きとした動物を見るのが嫌いな人は少ないだろう。旭山動物園が成功したのはそういうことだ。本質を読み間違えれば、いくら施設を新しくしてもいい動物園にはならない。
 動物たちにとっても、檻越しに見る空はひどく悲しく、打ちのめされる思いがするに違いない。

視線のゆくえ-8

 そんな目をされたら、檻を開けて外に出してやりたくなる。でも、彼らは外では生きていけないから、それは決して親切でも思いやりでもないのだ。
 動物園は、生き物として生きていくことの意味を自分自身に問いかけ直す場所でもある。

視線のゆくえ-9

 動物たちが何を考えているのかいないのかはともかく、その表情やしぐさから人間が感じ取れることはたくさんある。子供の頃は可愛いとしか見えなかった動物たちも、大人になれば違った印象を受けるようになる。けど、ただかわいそうとか気の毒と思って目をそらしてしまえば、動物園で生きる動物たちは報われない。もっと多くのことを見て感じて考えて、自分自身が生きていく上でのエネルギーに変えなくては。

 動物園は普段の暮らしの中で忘れている地球というものを思い出すところだ。世界は広く、様々な生き物たちが競争と共存の中で懸命に生きている。どこへ向かうでもなく、完成を目指すでもなく、ただただ生き延びるという一つの目的のために。それは人間も変わらないはずだ。
 私たちもまた、進化の過程を生きている一種類の生物に過ぎない。やがては別の生き物に取って代わられ、滅び去る運命にある。それでも、命は次につながっていく。私たちの時代は無駄じゃない。時間を重ね、命をつなぐことでしか生命は次の段階へ進むことができない。そう思えば、動物園の動物たちも、私たち人間もたいした違いはない。同じ地球という船の上に乗り合わせた運命共同体だ。
 ずっと先の未来、別の星で、檻の中に入っているのは人類かもしれない。そうなったとき、私たちもやっぱり夕暮れ時の空を見上げて故郷のことを思い出すことだろう。高度な知性を持った異星人は、そんな人間を見ても、実際は何も考えてなんかいやしないさと言うだろう。でもそんなことはない。動物たちの瞳に切ない感情が浮かんで見えたとしたら、それは本当にそう感じているのだ。誰か故郷を思わざる。


フランス行きの列車に乗ったつもりが気づけば無国籍難民サンデー
2007年08月13日 (月) | 編集 |
ありふれたサンデー

PENTAX K100D+Super Takumar 50mm(f1.4), f4.0, 1/60s(絞り優先)



 予定では今日は松阪に帰郷してるはずだったのだけど、それがあさってに延期になったことでサンデー料理の出番が回ってきた。準備が足りず、イメージも不足で、いいアイディアも浮かばないまま、なし崩し的に作ったサンデー料理となってしまった。
 こうして完成した3品を並べてみても、統一感がない。料理としての方向性も明確ではなく、どれがメインかも判然としない。何料理なのかと問われても答えられないようでは、趣味の料理としては失格だ。漫然と作る夕飯のおかずではないのだから。
 ただ、あまり何も考えなくても料理できるようになったというのは成長したということだろう。レシピ本を見なくても作れるようになった。大きな失敗もなくなったし、味の安定感もだいぶ出てきた。まだ料理上手というにはほど遠いし、味も人様に自信を持って出せるようなものではないけど、まあ食べられなくはないものを作れるところまではきた。新米主婦とならいい勝負ができそうだ。
 あとは自分が作りたい料理をイメージ通りに作れて、味も自分自身が本当に美味しいと思える域までいけるかどうかだ。このあたりは写真にも通じるところがある。誰でもカメラのシャッターを切れば写真は撮れるし、ある程度経験と知識を身につければ一眼レフも使えるようになる。美味しい料理はいい写真に似ている。技術、経験、知識、そしてイメージ、それらが高いところで融合したとき、いい写真が撮れたり、美味しい料理が作れたりする。もともとのセンスや偶然の要素も確かにあるけど、いいものにはやはり根拠があるものだ。私の料理の進歩具合というか停滞感は、私が撮る写真と同じようなところにある。どちらももっと上手くなりたいという思いと、思い通りにならないもどかしさを抱えている。こればっかりはある日突然上手くなるというものでもないから、実践を積み重ねていくしかないだろう。

 今日の料理は最初、フランス料理を作るつもりだった。それがどういうわけか、作っている間に方向がそれて国籍不明の難民料理になってしまった。さまよえるサンデー料理と名付けよう。フランスでも中華でも洋食でもなく、和食ともほど遠い。日本でしか食べられないような料理だけど、日本料理という呼び名も違う。家庭料理といえばそうなるだろうか。でもこの料理を頭に思い浮かべてお店で食べたいと思ったとき、どこの店へ行けば出てくるのかさっぱり見当がつかない。あえて言えば、フランスの家庭料理を出している店で出てこないとも限らないか。この料理をお母さんに作ってもらおうと口で説明するのもまた難しい。
 なんなんだこの料理は、と自分で今あらためて思った。とりあえず作り方を書くので、お母さんや奥さんに作ってもらいたい場合はそのまま伝えてください。料理の名前はまだない。

 今回の中で一番美味しくてオススメなのは手前のナス料理だ。
 ナスの皮をむいてスライスしたものを、しばらく水につけてあく抜きをする。それを取り出して水分を拭き取ったら、ビニール袋にカタクリ粉と一緒に入れてよく振って、粉を全体によくまぶす。こうすることでまんべんなくカタクリ粉をまぶすことができて、粉も無駄にならない。それをたっぷりのオリーブオイルで揚げ焼きにする。
 上にのせる具材は別に作る。タマネギのみじんをオリーブオイルで炒めて、白ワイン、塩、コショウ、コンソメの素で濃いめに味付けする。そこへみじんにしたトマトを加えて炒める。できあがったものをナスにのせれば完成だ。
 ナスの外はカリカリになって、中はとろりととろける食感となる。これは新食感で美味しかった。今回はコンソメ味で洋風にしたけど、かつお節としょう油やめんつゆベースの和風にしても美味しそうだ。

 左奥は、海と山のケチャップ炒めといったようなものだ。
 まずはタマネギと鶏肉をオリーブオイルで炒めて(好みでニンニクも)、あらかじめ下ゆでしたニンジン、ホタテ、キノコ類(今回はしめじ)を加えて、白ワインでざっと炒める。塩、コショウで味付けもする。
 ソースは別で作る。トマトジュース、白ワイン、オリーブオイル、ウスターソース、マヨネーズ、砂糖、タバスコを混ぜ合わせて煮立たせる。最後に炒め物にソースを絡めてできあがりとなる。
 味の決め手はやはりソースだ。トマトソースと思わせてマヨネーズを加えることでだいぶまろやかになりつつ、タバスコの辛みが効いている。
 苦手の野菜やキノコ類も、こういう強い味のソースで絡めることで食べられたりするから、このソースは他にもいろいろ応用が利きそうだ。

 右のやつが一応フランス料理風と言えるだろうか。
 白身魚(今回はメカジキ)と海老をそれぞれ魚焼きグリルでホイル包み焼きにして、最後に直接焼いて表面に軽く焦げ目をつける。あまり長い時間焼くと固くなってしまうので、やや焼き足りないくらいで止めて、余熱で中まで火を通した方がいい。
 アスパラは塩水で下ゆでして、グリルで少し焼きをいれる。
 ソースは、マヨネーズ、カラシ、しょう油、白ワイン、砂糖、塩、コショウ、白味噌を混ぜてひと煮立ちさせる。
 魚介類の中でも白身は味にクセがないから、ソースによって自分の好みのおかずにできる。塩焼きや煮魚は私も嫌いだけど、洋風のソースをかける魚は好きだ。肉だけでなく魚も充分美味しい料理になるから、使わないのはもったいない。

 急場しのぎのようなサンデー料理になってしまった割にはまずまずまとまったものとなった。国籍は不明でも、日本人の舌に合った味となってるから、美味しく食べられた。家で食べる夕飯のおかずとしてはまあ文句のないところだろう。レストランでこの料理が出てきたら、評価はそこそこ止まりだろうけど。
 今月はいろいろ予定がずれて、来週も再来週もサンデー料理ができるようになってしまった。本来なら一回しかチャンスがなかったはずなのに。喜んでいいものなのかどうか。作るのは楽しいけど、メニューを決めるのがひと苦労になっている。目新しい食材があるわけでもなく、メニューそのものに行き詰まり感がある。何かいいレシピ本が欲しいところだ。
 でも、せっかく作れる機会が巡ってきたのだから、何かテーマ性のあるものを作りたい。まずは来週までに何か考えておかなくては。
 というわけで、また来週のサンデーにお会いしましょう。




プロフィール

オオタ(マサユキ)

Author:オオタ(マサユキ)
ブログランキング・バナー(FC2)
ブログランキングに参加してます
Dry&Wet(ホーム)



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する