現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
100年後の誰かに届け2007年夏の田舎風景写真
2007年08月16日 (木) | 編集 |
田舎の夏風景-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f11 1/1000s(絞り優先)



 この夏も松阪の田舎へ短い帰郷をしてきた。毎年変わり映えのしない風景だと思うけど、本当はそんなことはなくて、子供の頃と比べたら大きく変わっているはずだ。昔はしっかり目に焼き付けようだなんて思わなかったから、もうよく覚えていない。どれくらい変わったのかも、今となっては知るすべもない。そして、今見ている風景もまた、永遠ではない。やがて失われてしまう景色を、私はこの先どれくらい覚えていられるだろうか。
 そんなことをぼんやりと思いながら、いつもの場所を歩いて、いつもと同じところで写真を撮った。デジタルデータとしての写真も永遠なんかではないけど、私の記憶よりは長持ちするだろう。ネットの海に流したデジタル写真は、私がこの世から消えて100年後もこの場所にあって、誰かがここへたどり着くかもしれない。100年後、私が今日立った同じ場所に立った誰かが、目の前の風景と私が撮った写真を見比べて、100年前はこんなふうだったんだと思ってくれたなら嬉しい。
 それにしても田舎の夏は暑い。都会とはまた違った暑さがある。太陽が直接攻撃してくるように感じるのは、光を遮る日陰がないからだ。じりじりと照りつけてくる太陽に容赦はない。今日は特に暑い一日だった。

田舎の夏風景-2

 ここから見る川風景が子供の頃から好きだった。夏休みの絵の宿題でこの風景を描いたことがある。あのときは力が入った。好きな場所なんだからちゃんと描かなくちゃと。田舎のことを思い出すとき、その象徴としてこの風景が頭に浮かぶことが多い。
 ずっと下の方を緑色をした櫛田川が流れ、向こうには高橋が見える。ここだけは物心ついてからほとんど変わってないように思うのだけど、実際はどうなんだろう。昔描いた絵はどこへいってしまっただろう。

田舎の夏風景-3

 夏の青い花といえばツユクサだ。この時期の青は珍しいからよく目立つ。街中では見ることが少なくなったツユクサだけど、田舎では雑草のようにいくらでも咲いている。
 朝咲いて午後には閉じてしまうから露草とも、月草から転じたものとも言われているけど、そのイメージとは裏腹にかなりたくましい。田んぼでは養分を吸い取る害草として農家の人に嫌われている。

田舎の夏風景-4

 昔走っていた三交バスはだいぶ前に廃線となって、今は町営バスがそれに代わった。
 時刻表を見ると、かなりスリリングなバスだということが分かる。朝のバスを乗り過ごしたら次は昼までない。5分や10分寝過ごしても多少の遅刻で済む街中とは事情が違う。1本逃しただけで、登校や出社は午後からになってしまうのだ。なんて厳しい生活。毎朝が綱渡りだ。帰りも早い最終に乗り遅れたら、もう帰ってこられない。都会暮らしに慣れた人間にとって田舎暮らしは思いがけないところにスリルが潜んでいる。
「ご乗車の際には手をあげて合図してください」というただし書きも気になる。手を挙げないと止まってくれないのだろうか。こんな周りに何もない場所でバス停の前に立っていたらバスを待っているとしか考えられないのだけど、何か私の知らない事情があるのかもしれない。もしかしたら、バス停じゃないところでも手を挙げてくれたら止まりますよっていう意味だろうか。乗る人はたいてい常連さんだから、家の前で待っていたらいいのかもしれない。

田舎の夏風景-5

 今も現役の井戸。私の子供の時はもちろんのこと、家を建てた100年近く前から変わらず活躍している。
 21世紀になっても100年前の地下水脈から汲み上げた水が飲料水になるというのはすごいことだ。私は大人になってさすがに飲むことはなくなったけど、飲もうと思えばいつでも飲める。井戸水は夏冷たくて、冬暖かいからいいのだ。夏にスイカを冷やしたり、冬に顔を洗うときなどは特に。

田舎の夏風景-6

 うちの田舎のほとんど唯一の自慢と言えるのが丹生大師さんだ。奈良時代の末期の774年に、光仁天皇の勅願によって空海の師匠である勤操大徳によって創建された。
 この仁王門も古くて立派だ。子供の頃は、中にいる仁王さんが怖かった。赤い顔して怒ってるから。
 道を隔てた向かいに昔は駄菓子屋のような店があって、よくジュースやアイスを買ったり、ガチャガチャをやったのだけど、今はもう店も閉じてしまった。デジカメプリント18円という看板が時代を感じさせる。

田舎の夏風景-7

 大師堂へ登る石段の横には回廊があって、少年時代の私は喜んでこの中を駆け上がり、駆け下りていた。昔は高貴な人専用で、外敵から身を守るためだったと言われているけど、本当だろうか。この場所だけ守っても仕方がないのではないか。広い境内で襲おうと思えばどこでも襲えるのだから。

田舎の夏風景-8

 四季の花々が咲く中で、特にアジサイとササユリとホテイアオイには力を入れている。私が訪れるのはお盆なので、アジサイとササユリの盛りのときは見たことがないのだけど、ホテイアオイはちょうどこの時期なので毎年見ている。今年はタイミングがちょうどよかったようで、絶好調に咲いていた。こんなに咲いてるのは初めて見た。去年は少なかったのに、今年は天候がよかったのだろうか。
 ホテイアオイも水の浄化作用がある一方で、繁殖力が強すぎて場所によっては害草となっている。撤去作業もままらないくらい繁茂してかえって環境破壊になったりもしているから、なかなか難しいところだ。
 花自体は、きれいではあるけど、ややグロテスクな感じも受ける。無数の目玉がこちらを向いてるように思えるのも怖い。

田舎の夏風景-9

 田舎の水路にはお馴染みの沢ガニがいた。子供の頃はよく釣りをしたもんだ。煮干しやスルメイカを糸に付けて垂らすと、いくらでも釣れた。でもこいつだけは釣っても仕方がないから、すぐ放してやることになって、今ひとつ張り合いはなかった。
 大人になって一時ずいぶん減って絶滅寸前なのかと思ったら、まら最近になって増えてきたような印象がある。ドジョウはさすがにいなくなった。

田舎の夏風景-10

 夏休みといえばなんとってもセミ捕りとカブト探しだ。田舎へ遊びに行く一番の楽しみがこれだった。カブトやクワガタは家の方まで飛んでこなくなったから、やはり数が減っているのだろう。
 セミは今日もたくさん鳴いていた。今の時期はまだアブラゼミとクマゼミが優勢で、たまにミンミンゼミが鳴くくらいだ。夕方のヒグラシの声も弱い。あと一週間もするとツクツクボウシが鳴き始めて、夕暮れ時はヒグラシの合唱になるだろう。カナカナカナカナカナ……。あの声を聞くと、ああ、もう夏休みも終わりが近づいたんだと、少しもの悲しい気分になったものだ。

 少年時代の夏休みにもう一度戻りたいとは思わない。楽しかったけど、もう充分堪能した。2週間も3週間も田舎暮らしはしていられない。もうすっかり街中の人になってしまった。
 戻りたくなはないけど、あの頃の楽しかった思い出を持っていることは幸せなことだ。田舎を持たない子供が田舎に帰る私たちのことをうらやましがった気持ちが今なら分かる。夏休みの思い出というのは、大人になっても大切なものだ。
 目を閉じれば、少年時代の夏休みの記憶が次々によみがえる。断片的なシーンだけど、それはどれも懐かしくて、甘くて、少し苦い。楽しいことばかりじゃなかった。でも、みんないい思い出だ。
 何十年かして、自分がまだ生きていたら、田舎を歩きながら写真を撮っていた頃の記憶を懐かしく思い出すのだろうか。それとも、やっぱり子供の頃の思い出だけが残るのか。
 バスの一番後ろの席から振り返ると、バス停まで見送りにきてくれたじいちゃんが手を振っている。それが夏の終わりの一番切なくて懐かしい記憶だ。




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