 Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100
1909年(明治42年)に名古屋の公園第一号として鶴舞公園(つるまこうえん)は誕生した。名古屋では桜の名所としてよく知られている。私は長年名古屋に住みながら、おととし初めて訪れた。それから都合3回行っているのだけど、なんとなく居心地が良くない。人と場所にもそれぞれの波長のようなものがあって、相性の良し悪しが存在する。鶴舞公園と私は、シンクロ率が低い。どちらが悪いというわけではなく。 二度目のとき、PENTAX SPでフィルム写真を撮った。36枚撮り切って、巻き戻そうとしたらフィルムが切れて写真が全部消えた。カメラの巻き戻し部分が壊れていたのだった。相性の悪さがこんなところでも出る。 そのままでは悔しいから、もう一度フィルムで写真を撮りに行った。今度はNikonのF-801を持って、7月の終わりに。あれからひと月近く経ってしまったけど、ようやく鶴舞公園を紹介できることになった。フィルム写真ということで思い出っぽくていい。 枚数が多くなったので、2回に分けることにした。1回目の今日は鶴舞公園スケッチ編で、鶴舞公園の成り立ちなどについては明日の2回目で詳しく書くことにする。写真点描で鶴舞公園が持っている空気感が伝わるといいのだけど。 まずはJR中央本線の鶴舞駅(つるまいえき)の前から出発しよう。ここが公園の西玄関ということになる。
 北の玄関口はこちら、名古屋市公会堂がある方だ。駐車場がこちらなので、車で訪れる人はこっちの方が馴染み深いだろう。 入ってすぐに噴水塔がある。カップルの女の子が池に手をつっこんで魚をつかみ取りしていた(ニセ情報)。
 これも鶴舞公園のシンボルの一つ、奏楽堂(そうがくどう)だ。フィルムで撮ると、自転車に乗った女の子が女学生といった風情になる。昭和の映画のワンシーンみたいだ。
 この公園は、街中のにあって、駅に近く、住宅地に囲まれて、周りに学校が多いという立地条件のため、客層が非常に幅広くて雑多という特徴がある。夕方ともなると、学校帰りの学生の集団、ちびっ子ども、駅利用の勤め人、近所の散歩人、カップル、リタイアした人たち、お年寄り、ホームレスなど、様々な人種が入り乱れる。それで異人種同士の波長がぶつかり合って、ザワザワした感じで落ち着かないのだろう。私が公園を訪れる目的は主に写真を撮ることだから、どうもリズムが合わないと感じるのはそのあたりに原因がありそうだ。 ただ、公園のはずれまで行くと、人通りの少ない静かなところがあちこちにあって、カップルやおじさんたちがのんびり過ごしてる姿を見ることができる。いろんな顔を持った公園という言い方もできるだろう。
 ヤングカップルとハトの群れ。 胡蝶ヶ池の南には、朝日新聞社寄贈の鶴の噴水がある。 鶴舞という名前だけど、もちろん、鶴が舞ったりはしていない。
 この公園は暇なおじさんたちの憩いの場となっていて、よく将棋や囲碁、麻雀なんかをしているのを見かける。名古屋ではこういう光景は珍しい。ここだけは妙に関西っぽい。東京でも野外の公園で将棋を指してるおじさんたちは見たことがない。
 野良猫がたくさんいる公園はいい公園という定義が私の中にある。世知辛い都会の公園でノラが生きていけるということは、地域住人で世話をする人がいて、それを容認してるということだ。猫だって生きてるんだし、少しくらい迷惑をかけるのはお互い様だ。好き嫌いは別にして、猫くらいはのんびり暮らせる街であって欲しいと思う。野犬のように人を襲ったりするわけでもないのだし。 まだ子供だけど、外国猫の血が入ったきれいな猫だった。目がブルーで。このときはカリカリを持っていくのを忘れていてあげることができなかった。すまん。これで反省して、次の日からは散策のときは常にカリカリを持参している。気休めでも一食おごることは無駄じゃないと思いたい。
 カメさん、ベストポジションを独り占めして、どうだといわんばかりだ。
 夕方、長く伸びた影をセルフポートレート。 こういう写真を見ると、やっぱりフィルムの味って捨てがたいなと思う。同じシーンをデジタルで撮っていたら、全然違う雰囲気になっていたはずだ。フィルムにはなんというか、温度がある。夏は暑苦しく、冬は寒々しい空気まで写し込むのがフィルムの特質だ。非リアルタイムという決定的なマイナス要素が致命的にならない時と場所を選んで、これからも使っていきたい。
次回、鶴舞公園の由来と歴史編につづく。
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