 Nikon F-801+TAMRON 28-200mm XR f3.5-5.6+Kodak GOLD 100
今日は鶴舞公園の成り立ちについて、写真を交えながら少し書きたいと思う。 名古屋で初めての公園として鶴舞公園が誕生したのは、明治42年(1909年)と意外にも遅かった。日本初の公園として上野恩賜公園ができたのが明治6年(1873年)、日本初の西洋式公園日比谷公園も明治36年にはできている。以前から名古屋にも公園を作って欲しいという市民の強い希望があったのに、名古屋市はそんなもの必要ないと言い張って作ろうとしなかった。しかし、翌年誘致が決まっていた第10回関西府県連合共進会(地方の博覧会のようなもの)の会場をどうするかという段になって、ようやくそれじゃあ公園でも作るかとなったのだった。 現在にその姿をとどめている噴水塔などのモニュメントはそのときの名残だ。共進会は大成功で、当時の名古屋市民が40万人だったところへ期間中には260万人も押し寄せたという。現在の名古屋市の人口が約220万人で、愛知万博の入場者数が2,200万人だったことを考えると、盛り上がりは相当なものだったようだ。 この場所が選ばれたのは、ちょうど堀川(当時の精進川)の整備をしていて、そこで大量の土砂が出たもんだから、ここの沼地をその土で埋めてしまえば一挙両得と名古屋市が考えたからだ。ケチな名古屋市らしい発想だ。名古屋人は「お得」とか「お値打ち」とかいう言葉に極端に弱い人種だと言われている。 全体の設計を本多静六と鈴木禎次が、日本庭園を村瀬玄中と松尾宗五がそれぞれ担当した。 共進会終了後は市民公園として開放される一方、動物園も作られることになった。これが東山動物園の前身で、のちに手狭になったということで現在の東山に移っていった(1937年)。 鶴舞公園の正式名称は「つるま公園」という。これ、名古屋人の常識、他県民の非常識。もともとここの地名が鶴舞だったわけではなく、「水が流れるところ」という意味で、つるま公園と名付けられた。それが鶴舞の字を当てるようになって、公園に隣接する駅を作るとき、旧鉄道院が間違えて「つるまい駅」としてしまったため、混乱が生まれることとなった。旧鉄道院は、秋葉原も本来「あきばはら」だったのを間違えて「あきはばら」と読んでしまったという間抜けなことをしている(それまではあきばっぱらなどとも呼ばれていて、だから今の若いやつがアキバと略すのは正しい略語だったりする)。この混乱は現在まで続き、公園は「つるま」で、駅は「つるまい」、町名も「つるまい」で、小学校は「つるま」などというややこしいことになっている。「大須ういろ」と「青柳ういろう」の争いみたいになっているのだ。
上の写真は、公園の北にある名古屋市公会堂だ。昭和天皇の成婚記念として昭和5年に建てられた。茶色のタイル張りで、なかなかレトロな雰囲気を持っている。 戦中は陸軍の司令部が置かれ、戦後は進駐軍に奪われた。昭和31年(1956年)に日本に返還されるまで、戦後11年間も連合軍兵士専用の劇場として使われていたのだった。戦後というのは私たちが思っている以上に長く続いたらしい。 公園の西には鶴舞図書館が、南には愛知県勤労開館が隣接している。 そのほか、陸上競技場、野球場、テニスコート、グリーンプラザなどの施設があり、鶴舞小学校は公園の敷地内に建っている。そのすぐ横に東海地方最大規模の円墳、八幡山古墳(直径82メートル、高さ10メートル、外側幅10メートル)があるというロケーションもなかなかすごいものがある。
 共進会のとき、正面玄関を飾った噴水塔が今も残されている。設計は鈴木禎次で、外国文化に強い憧れを持っていた明治時代を象徴するような和洋折衷デザインになっている。当時の名古屋人にはすごくモダンに見えたことだろう。 昭和48年に、地下鉄鶴舞線を走らせる工事をする際、一時的に解体撤去されたものの、地下鉄完成後の昭和52年に復元された。古い建築物の価値としては公園の中でこれが一番高いんじゃないか。
 これはデジ写真。急に画質が変わった。こうして並べてみるとあらためてフィルムとデジタルの質感の違いを思い知る。 これは奏楽堂。共進会のときには、ここで多くの演奏会が開かれたそうだ。これも設計は鈴木禎次が担当した。ただし、オリジナルはもうない。老朽化が進んでいたところへ昭和9年の室戸台風が直撃して砕け散ってしまった。 二代目は間に合わせのように昭和12年に再建されたのだけど、これも平成7年には古くなって解体撤去された(二代目は設計者不明)。現在のものは、平成9年にオリジナルのデザインを再現して建てたものだ。新しいものだから存在としての迫力はないものの、見た目の雰囲気はある。 今でもここで音楽会などが開かれたりするようだ。
 もう一度フィルムに戻って鶴々亭。昭和3年(1928年)に開かれた御大典奏祝名古屋博覧会のときに名古屋材木商工会が出品した茶席で、そのまま寄贈された。見本市ということで、高級材木がふんだんに使われているらしい。 現在は予約制で市民も使えるお茶室となっている。ただし、お茶会と俳句しかしたらいけない。宴会などもってのほか、家族でお弁当を食べるために借りてももちろんいけない。なかなか条件が厳しいのだ。
 胡蝶ヶ池の北側は夏場は蓮池になる。夕方ではこの通り、開いている花もないけど、朝っぱらは大勢の見物客とカメラを持った人で賑わうそうだ。 これも共進会のときに作られた池で、鈴菜橋で仕切られて蝶が羽根を広げたような形をしているところから、そう名付けられた。南側は回遊式日本庭園になっている。 鈴菜橋は当時、木造の太鼓橋だったのが、戦後の改修工事のときに鉄筋コンクリートのものに架け替えられた。 この東にもう一つ、龍ヶ池(竜ヶ池)という池がある。公園になる前はこのあたり一体は田園地帯で、灌漑用水路をせき止めて作ったのが龍ヶ池だ。今は誰も乗らないボート池となっている(桜の季節なんかは乗ってる人もいるのかな)。ボートは朽ち果てそうな風情で、池の水は落ちて飲んだら大変なことになりそうな色をしている。
 桜の名所として有名な鶴舞公園だけど、四季折々の花がいろいろ咲いていて、彩りを添えている。バラの花壇もそこそこ充実していて、シーズン中は楽しむことができる。
 これもデジ写真。PENTAX SPのフィルムがダメになったとき、予備でデジ撮りしておいた一枚だ。 花菖蒲園もここの名物の一つで、5月下旬から6月にかけてそれなりに賑わう。 もともとは大正時代に作られたもので、戦争中は芋畑になっていたそうだ。食うのに困っているときは花を愛でる心の余裕など持てない。ハスはレンコンになるからいいんだけど。現在の姿は、戦後になって再現されたものだ。 私は花菖蒲の品種などはさっぱりなのだけど、なかなか珍しい品種もあるそうだ。
 アジサイもずいぶん遠い日の出来事になってしまった。6月といえばまだ2ヶ月前なのに。いや、もうあれから2ヶ月というべきか。 遊歩道に沿ってアジサイがずっと植えられているので、公園を横切るだけの人たちの目も楽しませている。
こうしてあらためて鶴舞公園を見てみると、なかなか魅力的な公園ではないかと思い直した。明治から続く歴史に思いを馳せながら四季の花を楽しめる公園なんてのは、名古屋にはほとんどない。今回これを書くに当たって勉強して、初めて噴水塔や奏楽堂の意味や価値を知った。戦争中のことを考えても、そういうことがあったんだなぁと感慨深い。いつもザワザワしてるとか、トイレが汚いとか、駐車場が有料(30分180円)だとか、不満なところもあるけど、いいところを見ながらこれからもつき合っていくことにしよう。何しろ私はまだ鶴舞公園の桜を見たことがないのだ。そんなのは名古屋人のモグリと言われても仕方がない。来年はちゃんと見に行かないと。ここ夜桜名所でもある。 せっかくフィルムに縁があるところだから、今後もここはフィルムで写すことにしようか。歴史のある公園だし、フィルムの味がよく合ってる。秋になったらもう一度行ってみることにしよう。
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