 PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/160s(絞り優先)
今日は田舎歩きで出会った生き物たちを。 まずは大師の鯉から。 池のそばに立つと、鯉たちがどこからともなく集まってきて、けっこうな数になった。どうやら日頃から人にエサをもらっているようだ。昔からこの池には鯉がたくさんいた。お寺さんか神社さんが飼っているのか、昔からいるのをそのままにしているだけなのか。私たちが子供時代から数えて、一体何世代目の鯉になるのだろう。いや、鯉の寿命は30年から40年というから、もしかしたら子供時代に出会っている鯉がまだいたのかもしれない。長生きするのは100年以上とも言われている。
 鯉といえば、なんといってもエサやりが大師の定番だ。準備していった麩を投入すると、すごい大騒ぎになった。バシャバシャと音を立ててエサに食らいつき、激しい争奪戦が展開される。その騒ぎを聞きつけて、更に別の鯉も集まってきた。少し遅れてミシシッピアカミミガメも参戦だ。 最後は昔を懐かしむ意味でかっぱえびせんも投入してみた。鯉は味覚があるのかないのか、それにも大喜びで食いついていた。あまりやると鯉にも水にもよくなさそうだったので、少しだけにしておく。でも、やっぱり大師の鯉にはかっぱえびせんがよく似合う。
 池の別の場所にはチビの魚もたくさん泳いでいた。メダカの仲間か、フナか鯉の子供なのか。 昔は当たり前にいたニホンメダカも今や絶滅危惧種というから、時代の流れを感じずにはいられない。田舎の田んぼにはまだいるんだろうか。村を流れる水路に沢ガニはまだたくさんいるけど、ハヨやドジョウの姿は見られなくなった。子供の頃、30年後にはそれらが見られなくなるなんて思いもしなかった。
 カエルはあちこちで飛び跳ねていた。池の周りや田んぼのあぜ道を歩くと、目の前でピョンピョン逃げていく。バッタも跳ね、ヘビもチョロチョロし、田舎の生き物たちはまだ健在だった。ちょっとホッとした。 生き物は本来、人が守るべきものではなく自然に普通にいるものだ。それを特に気にもとめずに生活していくというのが、昔からの当たり前の関係性だった。夏休みに子供たちが少々虫を捕ったりするくらいではびくともしない自然であり続けて欲しい。
 激しく鳴いているセミを背後から狙うカマキリ。まだチビだし、この体格差はいかんともしがたい。どうするつもりだろうと見ていたら、思い切りよく飛びかかっていった。びっくりだ。セミも驚いてわめき散らしながら飛んでいった。いくらなんでも獲物が大きすぎた。このサイズのカマキリでセミは捕まえきれない。 セミの立場からみれば助かったともいえるし、カマキリから見れば残念だった。これもまた夏のワンシーンだ。 子供時代に比べて街中から一番姿を消したのはカマキリなんじゃないかというのが私の印象だ。カブトやクワガタなんかは昔から街にはいなかったし、セミは変わらない。トカゲやバッタもそれなりにいる。カマキリだけは本当に見かけなくなった。昔はちょっとした空き地にはいつでもカマキリの卵があって、カマキリも普通に見られたのに、最近は本当に見ない。里でも数を減らしているのだろうか。
 田舎暮らしの人は自然の花が周りにたくさんあるから花は足りているのかといえばそうでもない。庭や田んぼの脇などに園芸品種の花をよく植えている。そのあたりの感覚は、都会でも郊外でも田舎でも変わらない。主食があれば嗜好品は必要ないかといえばそうではないのと同じだ。 そろそろ夏の花も終わりが近づいて、秋の花が咲き始める季節が近づいてきた。萩も早くもちらほら花がつき出している。お盆が過ぎた夏休みの後半というのは、夏の名残でもあり、秋の入り口でもある。
 10日前は池一面を覆うほどの花を咲かせていたホテイアオイも、半分以下になっていた。こんにも急激に減ってしまうものなのか。 気温は相変わらず高くても、季節というのは確実に進んでいくものだ。人間だけが鈍くて、季節の移り変わりに一番最後に気づく。気づいたときにはたいてい季節は行ってしまったあとだ。
 夜の自販機にカエルがへばりついていた。のどが渇いからジュースをよこせということか。それとも、光に集まってくる虫を狙ってのことか。 しっかり見なかったけど、これは何ガエルだったろう。アオガエルか、アマガエルか、アカガエルか、そのあたりだろうか。 自販機にカエルがくっついてるってのも田舎ならではの光景だけど、それを驚きもせず普通に受け止めてしまう私は、やっぱり田舎者ということだろう。
 家に戻ったらアイが出迎えてくれた。あ? 帰ってきたの? ってな感じで。 きみ、一度田舎に連れて行ってやろうか? ハンター・アイだから、最初は喜んでいろんな生き物を追いかけ回すだろう。けど、田舎暮らしをしていけるかといえば、それはまた別の問題だ。好きというのと生活するのはまったく違う。子供の頃に河原でしばらく野良暮らしをしていたとはいえ、そのときでも人にエサをもらっていた。田舎での自給自足となると、これは厳しいものがある。私もそうだけど、今更田舎暮らしは無理だ。軟弱な都会者として生きていくしかない。 今回の帰郷は、自分たちが野生児であることの再確認と、田舎暮らしはできないことを思い知る里帰りでもあった。それでも、いざとなったら帰れる場所があるということは心の支えになる。お金もなくなって、どこへも行くところがなくなったとき、あそこに住む場所があるというのはありがたいことだ。 心の中にはいつでも田舎の思い出があって、私たちは田舎を捨てたわけでも、田舎に捨てられたわけでもない。あそこは一生帰らない場所であり、いつでも帰れるところでもある。
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