現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
鳩山会館の2番ダシ写真はごった煮のとりとめのないフラグメント
2007年09月30日 (日) | 編集 |
鳩山会館パート2-

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4)



 今日は鳩山会館の2回目。2番ダシ写真だ。1番ダシは味噌汁に使って2番ダシは煮物などに使おう。というわけで、今回は鳩山会館のごった煮写真編をお送りします。
 1枚目は屋敷から見た庭の様子だ。とびきり広いわけでもないけど、庶民レベルの庭でない。テニスコートくらいな充分に作れる。ゴムボールとプラスチックバットならちょうど野球が楽しめるくらいだろう。由起夫、邦夫兄弟は年子だから、子供の頃はここでよく遊んだに違いない。あの銅像に当てたらツーベースな! なんてルールもあったかもしれない。
 でもその銅像は、鳩山一郎の両親である和夫・春子像で、作者は東洋のロダンといわれた朝倉文夫だ。野球のボールを当てていいようなものではない。ツーベースどこか、あれに当たったらトリプルプレーのアウトにしなければなるまい(そういう問題でもない)。
 純洋風庭園の手前には純和風の盆栽が置かれている。このコントラストも面白かった。これは誰の趣味だったのだろう。
 奥にはちょっとしたバラ園がある。これはバラ好きだった一郎が始めたもので、総理在任中も休みの日は自分で買ってきた苗を植えたりして楽しんでいたそうだ。5月にはバラと庭園と洋館という黄金の組み合わせを見ることができる。

鳩山会館パート2-2

 これはテッセンかクレマチスかそのあたりのどれかだろうか。でもクレマチスは初夏の花だ。9月まで咲いてるだろうか。違う花かもしれない。
 見上げる洋館の窓から外を眺める深窓の令嬢が見えそうな気がした。私は住み込みの庭師の息子で、花の手入れをしているふりをしながらお嬢様を盗み見る。洋館にはそんなドラマが似合う。これが日本家屋の2階ならそうはいかない。よくても屋根の上に登った女の子がギターを弾きながら下手な歌を歌うくらいのものだ。

鳩山会館パート2-3

 一目見ただけで生まれも育ちもいいということが分かるカラフルな鯉たち。近所の川で泳いでる黒い鯉とは何もかもが違っている。田舎の工業高校と都内のお嬢様私立くらいの違いがある。
 こちらはチビの池で、もう一つ大人の鯉の池もある。かっぱえびせんなんか投げても見向きもしないだろうか。その前にそんなことをしたら出入り禁止になりそうだ。
 上にはさりげなく鳩の置物がくっついている。鳩山さんはホントに鳩が好きらしい。

鳩山会館パート2-4

 なんだこのオレンジはと思って葉っぱを見たらイチョウだ。ああ、そうか、ギンナンだと思い出した。もうそんな季節なのか。ギンナンを拾う季節はイチョウが黄葉する12月の始めだから、今の季節とギンナンが結びつかなかった。もう実はなってるんだ。
 今年もまた神宮外苑のイチョウ並木を見に行こう。

鳩山会館パート2-5

 ミカンももうたくさんなっていた。まだ夏の延長戦をやっているかと思いきや、すでに秋の向こうで冬が着々と準備を進めている。ここからは季節が一気に加速していくから、こちらも遅れないように進んでしかないといけない。
 それにしてもこの庭はバラエティーに飛んでいるというか、いろんな草木がとりとめもなくたくさん植わっている庭だ。

鳩山会館パート2-6

 廊下に置かれた絵画のようなヒマワリ花瓶。ゴッホの「ひまわり」を思い起こさせる。品種としてはなんだろう。ゴーギャンでもないし、マチスとも似てるようで違う。ヒマワリも品種が多くて区別をするのが難しい。

鳩山会館パート2-7

 グラスや食器なんかに関してはまったく知識がないから、こういうのを見てもきっと高いんだろうなと思ってそれ以上のことは分からない。こういう無駄なところにお金をかけられるかどうかが真の金持ちとそうでない金持ちとの差なのだろうか。
 このグラスは実際に昔から使われていたものなのか。デザインとしては古そうな気もするけど、どうなんだろう。

鳩山会館パート2-8

 応接室やサンルームとつながっている食堂は、開放的ではあるけど食事をする空間としては少し落ち着かない。そもそも庶民の私からすると広すぎる家自体が落ち着かない。食事もテレビのある居間でしたいし、必要なものは身の回りに置いていつでも手に取れるようにしておきたい。
 ヤドカリが自分の身の丈に合った貝殻を選ぶように、私もまた狭い家を選ぶ。いくら大金持ちになっても広い家に住みたいとは思わない。負け惜しみとかではなく。

鳩山会館パート2-9

 お金持ちの大きな家は、お呼ばれするだけで充分だ。遊びに行くにはよくても住むとなると大変すぎる。不便なことも多い。子供の頃からそこで育っていれば、それが当たり前になるのだろうけど。
 玄関を出て、振り返って見上げるとそこには鹿の首。このセンスだけは共感できなかった。もし私がここのうちの子だったら、あれだけは降ろしてくれと泣いて頼むだろう。
 鳩山会館は、普通のトーンでいいところですよとオススメできる場所だ。ハイトーンでもロートーンでもなく、地声で。とりあえず行ってみて損はない。建物としても、内装も、歴史的な価値を考えても、ここはいいところだ。魅力という点でいうと横浜の山手の方が上かもしれないし、建物としての存在感は古河邸の方が印象が強いけど、鳩山会館はトータルとしてのよさがある。外観と庭だけでなく内部もしっかり見せてくれるのがありがたい。
 鳩山由紀夫、邦夫兄弟に対する見方もかなり変わった。ずいぶん親しみが持てるようになった。元タカラジェンヌのパンチの効いた由起夫のカミさんも好きになれそうだ。

 東京の洋館や古い建物もけっこう巡ってきた。けど、まだ他にもいろいろ見られるところが残っている。今日話題に出た朝倉文夫のアトリエだった朝倉彫塑館、旧東京音楽学校奏楽堂、渋沢栄一の青淵文庫、柴又の山本亭など、今後もひとつずつ回っていくことにしよう。横浜の山手もまだ3分の1を残している。
 名古屋にはあまり洋館というのは残っていないのだけど、次の週末に行く予定の豊橋にはハリストス正教会や豊橋市公会堂、愛知大学記念館などがある。時間があれば寄ってこようと思っている。
 この調子でいくと古い建物好きが高じて、そのうち廃墟巡りとかしてしまいそうだ。そうなったら誰か私を止めてください。


ちょっと総理大臣の家まで行ってきましたと言える鳩山さんちのお宅訪問
2007年09月29日 (土) | 編集 |

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4)



 鳩山一族と聞いて即座にピンと来る人はそれほど多くないかもしれない。私も最初、鳩山会館と聞いて、なんのこっちゃと思った。あの鳩山一郎の鳩山御殿じゃないかと言われても、どの鳩山だよと思う。
 よくよく考えてみると、戦後自由民主党(当時は自由党)の結成に尽力して、初代自民党党首で総理大臣になった鳩山一郎をよく知らなかった私にも問題がある。ただ、佐藤栄作や田中角栄ほどの知名度はない首相だから、私同様鳩山会館と聞いてすぐに鳩山一族を思い浮かばなかった人もたくさんいるに違いない。だいたい、会館という名前が紛らわしい。公会堂とか市民会館みたいなものを連想してしまいがちだ。
 調べてみると、その鳩山一族が暮らしていた洋館が一般公開されているという。元首相の家なんてのはそうそうお邪魔する機会もない。入れてもらえるものなら是非入れてもらおうではないかと、我々は庶民らしく自転車で鳩山邸に乗り付けた。
 立派な門をくぐったところで自転車を置き、そこからはふんぞり返ると後ろにひっくり返って転げ落ちそうなほどの急坂を登って玄関を目指す。丘の上にある家に行くには坂道と相場が決まっているにしてもこの坂はきつい。S字を描いていて、足腰と心臓の弱い人は登り切れずにあきらめて帰ってしまうかもしれない。
 道の両脇には桜の木が植えてある。春になるとここの桜が見事なのだそうだ。他にも木々や草が生い茂っていて、蚊がすごい。逃げるように坂道を登った。屋敷の中でも何ヶ所も蚊取り線香を焚いていた。

鳩山会館-2

 坂を登り切ると目の前に玄関がある。そこから入り口までは階段だ。赤絨毯も敷いてある。ややひるんで及び腰になっていると、入り口の扉が開き、上品な女性がいらっしゃいませと我々に声をかけてくれた。そこまでいったらもう引き返せない。2人分の入館料1,000円を払ってお邪魔させてもらうことになった。
 上を見上げると、鹿の顔と飛び立つ白鳩がいる。趣味の良し悪しは別にして、いかにもお金持ちのお屋敷アイテムだ。部屋の中に熊の毛皮が敷かれたりしてないだろうかと心配になる。いや、それは田舎の猟師の家か。お金持ちは虎の毛皮だろう。いずれにしても毛皮関係は勘弁して欲しいところだ(もちろんそんなものはなかった)。

鳩山会館-3

 入り口から入ってすぐ、いきなり部屋が3つ、つながって並んでいる。写真に写ってるのが第二応接室で、手前に第一応接室、奥には第三応接室(食堂兼用)となっている。この構造は不思議だ。かなり変わっている。一般公開用に扉が全部開け放たれているというのもあるのだろうけど、かなり開けっぴろげな印象を受けた。よく言えばオープンだし、逆に言えば密室感がなくて落ち着かない気がする。
 独立した一つの椅子は鳩山一郎愛用の椅子で、ここが定位置だったようだ。この応接室はしばしば政治の重要な会合に使われた場所で、大勢の政治家がこの部屋を訪れている。自由党結成の相談がなされたのもここだったし、日ソ国交回復の準備も行われたという。
 各界のVIPも訪れ、水原監督や川上繁も来ている。一郎の孫である前民主党代表の鳩山由紀夫が桜を見る会(観桜会)を毎年開いていて、政党を超えて土井たか子や志位和夫なども顔を揃えるそうだ。最近では麻生太郎も4月にこの部屋を訪ねている。向かって左手の椅子に座ってワインらしきものを飲んでいる写真を見た。背景に同じ時計が写っていたから間違いない。
 鳩山由紀夫の弟で、現職の法務大臣である鳩山邦夫も兄と共にこの家で育った。子供の頃は芝生広場で一緒に野球をやったそうだ。弟の方が学校の成績はよかったようで、今は紆余曲折を経て違う政党の政治家になった。アニキの方が変わり者だから、それほど負い目には感じてないのかもしれない。
 政治一家の始まりは、一郎の父親である和夫からだった。生まれは江戸時代の人だ。早くからアメリカへ渡った学問の人で、外務省、教授などを経て、34歳のときにはすでに現在の早稲田大学(東京専門学校)の学長にまでなっている。どれだけ優秀だったか知らないけど今ではちょっと考えられない若さだ。37歳のときに衆議院銀に当選して、39歳で衆議院議長となる。出世も早かったけど亡くなるのも55歳と早かった。
 一郎の息子であり由起夫、邦夫の父である威一郎も政治家で、外務大臣をつとめている。四代に渡って政治家を出し続けているわけだ。
 その次の第五世代はどうかというと、由起夫の息子は大学関係、邦夫の息子は東京都議会議員に一度当選して二度目で落選。さて、今後はどうなっていくことか。

鳩山会館-4

 シャンデリアにステンドグラスにサンルーム、お金持ち御用達アイテムが過不足なく揃っている。ただ、部屋自体はさほど広くもなく、調度品もこれ見よがしに豪華絢爛というわけではない。全体的な趣味もよく、嫌味なところがないて好感の持てるお金持ちの家だ。冷たい感じもないし、落ち着いた雰囲気も持っている。実際にここで家族が暮らしていたという温もりが残っているのだろう。
 一郎の死後、かなり老朽化が進んで取り壊しの話も出たそうだ。それでも結局は壊さずに一般公開を実現したのはありがたいことだった。ここは都や国の文化財指定を受けていない。今でも鳩山家の持ち家のままだ。当主は威一郎氏の妻で由紀夫、邦夫兄弟の母である安子さんとなっている。受付の人も鳩山家の人なのかもしれない。
 それにしてもこれは鳩山家は資産家だからできたことだ。平成7年に行われた大改修には6億5,000万かかったといわれている。民主党を結成したときの資金も大部分が鳩山家の資産から出たという話もある。それは由起夫が当然初代代表になるわけだ。由起夫さんいわく、オレは自転車に乗れるから庶民だそうだ。そんな金持ちの坊ちゃん育ちの庶民はいない。
 一般公開は平成8年から始まってるから、もう10年以上になる。1人500円ではいつになったら6億5,000万円を取り返せるのだろう。

 建物の設計は、一郎の親友であり、当時の日本を代表する建築家だった岡田信一郎がおこなった(丸ノ内の明治生命館が有名)。最初他の人に設計を頼んだら岡田がなんで自分に頼まないんだと怒ったそうだ。それであらためて岡田に頼んでこの洋館は完成した。謝礼は一切受け取らなかったという。
 音羽の丘の上に洋館ができたのが関東大震災の翌年大正15年だった。近所の人は音羽御殿と呼んだそうだ。
 外観はイギリス風で、鳩やミミズクをモチーフにした装飾や、アダムスタイルの応接室なども岡田信一郎が設計を担当している。いかにもハイカラな洋館というよりも、暮らす人のことをよく考えて作られていて、形式はけっこう崩れているという。親友の家を自分のための作品として作るつもりはなかったからだろう。
 海外の建築に憧れ、誰よりも海外様式に造詣が深かったといわれる岡田は、生涯一度も海外へ行くことはなかった。自分の目で実際に見なかったことが良い方に作用した部分もあったに違いない。それは、誰よりもニューヨークを愛し、誰よりもニューヨークに詳しかった植草甚一が実は一度もニューヨークへ行ったことがなかった(晩年に行くことになる)というエピソードに似ていて私は好きだ。

鳩山会館-5

 サンルームというのはとても贅沢な空間の使い方だけど、どの洋館へ行ってもやっぱりサンルームはいいよなぁと思う。悪いサンルームというのは見たことがない。太陽の光がふんだんに差し込む部屋というのは、人の気持ちを優しくもするし温かくもする。暗い家に住むのは精神的によくない。人工の光をいくら集めても太陽光にはかなわない。
 ここの屋敷は重要文化財とはではないので、マナーを守れば椅子に座ったり多少は触れたりしてもかまわない。サンルームでは無料のお茶マシーンが備え付けられていて、ここでくつろいで飲むこともできる。応接室のソファーはふんぞり返るにふさわしい座り心地だった。無印良品のソファーとはモノが違った。

鳩山会館-6

 建物は3階建てで、2階までは上がることができる。
 赤絨毯の階段は庶民の家にはないものだ。

鳩山会館-7

 踊り場には大きなステンドグラスがはめ込まれている。和風の絵柄というのはちょっと珍しい。五重塔らしきものはどこから出てきた発想だろうか。鳩山家だけに鳩もたくさん飛んでいる。
 実際、鳩山家は鳩を大事にしていて、いたるところで鳩のマークやオブジェなどがあった。かなり鳩が好きらしい。鳩サブレーとコラボレーションしたら何か作れそうだ。鳩の方は鳩山があまり好きではないのか、一羽も姿を見せなかった。庭が鳩だらけでもいいくらいだけど、鳩はフンで汚れるから、実際に鳩が来たら追い払ってる可能性はある。

鳩山会館-

 純和室もあって、母親か奥さんの部屋かと思ったら、改修のときにあらたに作ったものだった。洋館の中にあって独特の和空間としてすごく落ち着くなと感心したのに。
 ここは一応、一郎の妻である薫の記念室という扱いになっていて、ゆかりの品などが並べられていた。共立女子学園理事長などをつめて女子教育に尽力した人らしい。昭和41年には勲一等瑞宝章を授与されている。
 改修の際に他にもあちこち手が加えられていて、2階は完全にオリジナルの姿をとどめているわけではない。
 その他の部屋としては、一郎、威一郎の記念室があって、そちらは撮影禁止になっていた。成績表や持ち物などがいろいろ展示されていてちょっと面白かった。

鳩山会館-9

 この大広間も改修工事のとき作られたもののようだ。いくらハイカラ趣味でもこの空間は無駄に贅沢すぎる。首相といえどもダンスパーティーを頻繁に開いていたわけでもあるまい。
 現在ここは写真撮影やちょっとした催し物を開催するために借りることができるようになっている。結婚式もできるようだ。ただちょっと面白かったのは、ゴスロリやパンクファッションの人は入館が断られるというシステムだ。前に女性ファッション誌がゴスロリの似合う場所という特集記事を書いて、それを見たそっち系の人が大挙して押し寄せてトラブルになったことがあったんだそうだ。確かにここはそういうのが似合いそうだし、モメてる様子も想像できる気がする。
 この日は祝日で、そこそこ訪れる人がいた。見たところ10人か15人くらいだったろうか。昼過ぎには団体客もやって来るらしい。鳩山だけにはとバスで。いや、ホントにはとバスツアーに鳩山会館も組み込まれているので、ゆっくり見学したい場合は1時くらいは避けた方がいいかもしれない。
 月曜定休。最寄り駅は、地下鉄有楽町線の江戸川橋駅か、護国寺駅になる。どちらからいっても徒歩7、8分だろう。

 ゆっくり見させていただいたのでそろそろ帰ることにする。写真もたくさん撮った。撮った写真を一回では使い切れなかったので、もう一回鳩山会館写真が続く。


彼岸花の持つ暗いイメージを覆す巾着田の明るい曼珠沙華群生地
2007年09月28日 (金) | 編集 |
巾着田の彼岸花-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4)



 今日は巾着田で撮った彼岸花の写真をお送りしたい。人混みの中で傘を差しながらの撮影は厳しいものがあったけど、ツレに助手役をやってもらいながらなんとか撮ってきた。ひとりではできないことはたくさんあって、それはじゃんけんとかキャッチボールとかだけではない。写真も一人では撮れない写真というものが確かにある。

 巾着田の彼岸花は全国的に有名らしいということを知ったのは、出向く一週間くらい前のことだった。それまではそんな情報はかけらも知らなかった。私が世間に疎いだけなのか、言うほど有名ではないのか、どちらだろう。関東地方の人には馴染み深いものなのか。
 東海地方では、半田の矢勝川がよく知られている。新美南吉の故郷であり、童話「ごん狐」の舞台ともなった場所だ。彼岸の頃になると土手が一面真っ赤に染まり、大勢の人が見物に訪れる。
 しかしなんといっても巾着田は埼玉県で東京から1時間半の関東エリアだ。全国から人が集まってきても不思議ではない。実際、観光バスも続々と乗り込んできていた。あれも遠くからのツアーだったのだろう。あの現地の様子を見せられたら、日本一というのもそうなんだろうなと納得するしかない。

 巾着田が彼岸花の名所となったのはわりと最近のことだ。遊んでいて草ぼうぼうになっていた高麗川沿いの土地を日高市が買い取って、さて何に使おうかという話になったのが昭和40年代後半のことだ。これといったアイディアも浮かばないまま時が流れ、平成元年(1989年)にとりあえず何にするにしてもまずは整備しなくちゃいけないと草刈りをしたところ、思いがけず彼岸花の群生地が顔を出した。これがのちに日高市にとって大きなドル箱になるとは、このときはまだ誰も思わなかったことだろう。中にはもしかしてこれはいけるかもと思った人も少しはいただろうか。
 それからほどなくしてここの彼岸花が近隣住民の話題にのぼるようになり、マスコミにも取り上げられて少しずつ遠くからの見物人が増えていく。まだこの頃は観光地ではなく、ちょっとした地方の名所程度の存在だった。
 現在のように全国区の観光名所となったのは、ここ10年くらいのことだ。地元の人たちが根を掘り起こして整理して埋め直すという作業を繰り返すことによって、その本数は100万本を超えるまでになった。今では押しも押されもしない激混みスポットだ。いや、押され押しまくる激混みスポットと言った方がいいかもしれない。狭い通路を歩くのもままらない。
 巾着田の名前の由来は、高麗川の蛇行で作られた土地の形が巾着(きんちゃく)に似ているところから来ているそうだ。ただしその形を目で見て確認するためには、日和田山(ひわださん)の山頂近くの二の鳥居まで30分の道のりを歩かなければならない。ナスカの地上絵みたいだ。

巾着田の彼岸花-2

 このあたり一帯を地元では「巾着田曼珠沙華公園」と称しているようだ。あわせて3万4,000平方メートルの土地に130万本の彼岸花が群生している。早咲き、遅咲きのようにエリア分けされているので、見渡す限り一面の彼岸花を想像していくとやや拍子抜けするかもしれない。ただ、数は圧倒的だ。この規模はすごい。半田などでは勝負にならなかった。
 主に高麗川沿いと、雑木林の中に固まって咲いている。特に雑木林の中に咲く風情が独特で素晴らしい。
 高麗川も、晴れた日にはもっとよかっただろう。清流と呼んでいいほどきれいな水で、カワセミなどもいるそうだ。この日はアオサギとダイサギとカルガモを見かけた。
 見頃は例年彼岸の日あたりということで、今年は秋になっても暑い日が続いているので少し遅れた。ちょうど今日あたりが早咲きのピークだったらしい。私たちが行った23日は少し早かった。遅咲きの方もようやく咲き始めといったところで。10月の始めまでは充分楽しめそうだ。

巾着田の彼岸花-3

 一番多くの人が狙っていたこの日のベストポジションがここだ。なるほど、木の造形と彼岸花の取り合わせがいい。見ようによっては人影が彼岸花畑の間を駆けているようにも見える。まだ隙間が多いけど、雨に濡れた黒い木肌と彼岸花の赤と緑の組み合わせに風情があった。
 今日のニュース写真では、ここも一面真っ赤に染まっていた。見渡す限り赤の世界というのは、不気味なようでいて不思議に心惹かれる美しさだ。彼岸花というのはなんとなく薄暗くて不健康なイメージがあったけど、ここの群生を見て考えが変わった。ここまで揃うと、それはもう見事としか言えない。天晴れ、文句なしにきれいだった。

巾着田の彼岸花-4

 同じ場所から少し角度を変えて。緑を多く入れて、赤い川のようになった。
 左側に土手があって、駐車場とコスモス畑が広がっている。これより奥は遅咲きエリアなので、まだあまり咲いてなかった。奥まで行くと人もやや少なくなって、一息つける。人気ポイントはすれ違うのもやっとだから。
 ここはもう少し整備して、順路を作った方がいいと思う。三叉路などでは三方から人が流れ込んできてひどい渋滞になる。通路を一方通行にすれば、もっと人の流れもスムースになるし、写真撮り待ちでつっかえることも少なくなるはずだ。入り口から出口までというふうにせず周回路を作るくらいの通路はあった。あと、せっかくだから上から見下ろすための物見台も欲しい。小さい見晴台は混雑を避けるためか、封鎖されていた。

巾着田の彼岸花-5

 あ、シロバナだ、と言いながらみんなが撮っていくポイント。私もやっぱり撮ってしまった。ここはシロバナが少なくて貴重だったから。
 シロバナをコントールして増やせるものなら、あるエリアだけは紅白にするというのもよさそうだ。白だけ固めるよりも赤白の方が映える。

巾着田の彼岸花-6

 少しレンズテスト。中間距離で一枚。
 マクロレンズのようにピントの合ったところはシャープでそれ以外はきれいに溶けるなんて描写はできないけど、解像感は申し分ない。さすがに標準レンズよりは一段、二段上の写りだ。
 けっこう寄れるから、広角のまま目一杯近づいて、近くのものと遠くのものを一緒に入れ込むなんてのもできる。

巾着田の彼岸花-7

 更に寄ってみる。倍率は5.4倍と低いけど、全域で30センチまで寄れれば、ちょっとしたマクロ撮りもできる。
 もっとマクロに特化した広角レンズということになれば、SIGMAの17-70mmという選択になるだろう。あれはレンズ前2センチまで寄れて、倍率も2.3倍と高い。17-70mmといえどもオールラウンダーではないけど、標準ズームとしては使い勝手が一番よさそうだ。メーカー純正より安いのもいい。

巾着田の彼岸花-8

 奥の遅咲きのところ。ここがなんだか妙に面白くて気に入った。彼岸花らしくなくて。花菖蒲の赤版みたいだ。
 今日あたりはこのへんももっと咲いていることだろう。彼岸花も咲き始めれば、あとは終わりに向かって駆け足となる。

巾着田の彼岸花-9

 最後にコスモス畑の方も少しだけ寄っていった。
 ずっと彼岸花のきつい赤と緑ばかり見ていた目に、コスモスのピンク色は目に優しい。彼岸花は油絵で、コスモスは水彩画の風情だ。
 晴れていたらこちらもゆっくり歩いてみたかったけど、ここは休耕田で歩く道はあぜ道。それ以上どろんこ道を歩く気にはなれず、入り口で写真だけ撮って帰ることにした。
 おそらく最初で最後になるであろう巾着田の彼岸花は、雨の記憶と共に私の中に深く刻まれることになりそうだ。

 巾着田の彼岸花は、いろいろと厳しい部分もあるけど、最終的にはオススメできるという結論となる。遠いし、人は多いし、観光地としての整備も不十分で快適な散策にはならないだろうけど、それでもここの彼岸花には特別な魅力がある。彼岸花群生地の常識を覆すところが。河原や田んぼに咲く彼岸花とはずいぶん趣が違っていて、それまで自分の中にあった彼岸花のイメージを大きく変える力を持っている。意外といいじゃん、彼岸花、とここを訪れた多くの人が思ったんじゃないだろうか。それまでキワモノだと思ってあまり食べなかったウニやイクラを北海道で食べたらすごく美味しくて見直した、みたいな感じだろうか。私も、巾着田の彼岸花を見てなければ、彼岸花は暗い花という思い込みのままずっと過ごすことになっただろう。これからの私は、彼岸花が好きかと訊かれたら、迷わず嫌いじゃないと答えることができる。巾着田の彼岸花がとってもよかったから、と。
 行けるチャンスがある方はぜひ一度行ってみてください。人混みが苦手なのは克服できます。重症だった私ができたのだから間違いない。私の場合は、愛・地球博の度を超えた人混みで感覚が麻痺した。だから、あえて激混みに飛び込んでみるのが一番の特効薬なのだと思う。人混みに対する恐れがなくなれば、もうどこにだって行ける。有名観光地も、シーズン限定イベントも恐るるに足りない。
 さあ、次は紅葉だ。腰が引けたら負ける。私は負けない。今年こそ、香嵐渓だって行ってみせる。日光の紅葉もよさそうだ。私は涙目になんてなってないぞ。行けるといったら行けるのだ。
 でも、人が少なくていい穴場があったら教えてくださいね。行けるのと行きたいのとでは、やっぱり違うのですよ。


日本一の彼岸花名所を侮りすぎていた我々が目にした激混み巾着田風景
2007年09月27日 (木) | 編集 |
曼珠沙華と人々-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4)



 連休初日の23日、私たちは少し早起きをして、埼玉県日高市にある彼岸花の名所、巾着田(きんちゃくだ)へと向かった。池袋から西武池袋線の黄色い電車に乗って、最寄りの高麗駅(こまえき)に到着したのが午前10時30分。うひょ、こりゃ混んでるなぁ、というか激しく混んでますよ。アジサイのときの北鎌倉駅並ではないですか。びっくり仰天。前の日に新聞に載ったからちょっと混んでるかもね、などとのんきにしゃべりながら軽い気持ちで出向いていった我々は、ここで事態の深刻さを初めて知ることとなる。まさかこれほどの人混みとは想像もしていなかった。あとから知ったところによると、朝っぱらの6時くらいからすでに大勢の人が訪れていたんだとか。それは恐れ入りましたと謝るしかない私たちであった。
 しかも悪いことに雨が降り始めてきた。天気予報では午後から天気が崩れるということだったからあえて午前中に行ったのに、予想は外れた。おかげで雨の中での悪条件での撮影となり、靴もパンツもドロドロになった。私の風邪ひきの要因もここにあったのだ。
 なにはともあれ、ここまで来てしまったからには引き返すわけにもいかない。傘は二人で一本の折りたたみ傘しかなくても雨天決行だ。ゾロゾロと続く人波に従って私たちも現地を目指すことにした。

曼珠沙華と人々-1.5

 田舎のローカル線の駅も、この時期ばかりは新宿駅を超えるような混雑となる。焦って撮った私の写真も傾きがち。そんな人数を想定して作られてないから大渋滞となるのは当然のことだ。昔は私も人混みが苦手だとか言っていたものだけど、最近はそんなことも言っていられなくなった。どこ行っても混雑に巻き込まれてしまうものだから、すっかり慣れてしまった。悟りの境地に達したと言ってもいいかもしれない。何故混むのか? それはみんな見たいものが一緒だからだ。仕方がない、みんな仲良く見ようではないか。前が詰まって動かなくなったら動くまで待とう。靴を踏まれてもいえいえ大丈夫ですよ、気にしないでください。もはや仏になる日も近いか!?
 駅の構内からも全面的に彼岸花を押し出していることがうかがえる。電車も池袋から直通のレッドアロー号という特急を臨時に走らせている。私たちの乗った西武池袋線はぎりぎり満席という程度だったけど、特急は早くから満席になっていたようだ。
 何しろ巾着田の彼岸花は日本一ということになっている。かつては数万本程度だったものを地元の努力で100万本まで増やして宣伝を打った結果、今では期間中だけでも30万人以上が訪れる立派な観光地に成長した(年間では80万人)。
 おかげでかつては無料だった自生地も、今では周りを取り囲んで入場料200円を徴収するようになった。駐車場は1回500円と抜かりはない。もちろん普段はタダの場所だ。こういうシステムは当たり前といえば当たり前なのだけど、なんとなくしてやれた感があってチェッとか思ってしまう。仏への道のりは遠い。

曼珠沙華と人々-2

 今回も写真が多くなってしまったので、2回に分けることにした。一回目の今日は、彼岸花とそれを取り巻く人々というテーマで写真を集めてみた。これだけ大勢が見に来てるのだから、人が入ってない写真を撮るなんて無理なこと、それならいっそのこと人がたくさん入った写真を撮ってしまえというのが私のスタイルだ。人が占める割合を半分くらいまで増やしてもいい。人が撮りたいというわけではないけど、人がそこにいて自分も同じ空間にいて、みんなでその場を共有してる感じが写せればいいなと思っている。
 今回はTAMRON SP 17-35mmという広角レンズの試し撮りも兼ねていた。PENTAXデジは1.5倍換算だから、24-52mmと超広角から標準の画角となる。これだけ広角に特化したレンズだと表現の幅が狭くなってしまうのはしょうがないところだろう。他にもレンズを持っていったのだけど、雨降りでレンズ交換もままらなかった。レンズとデジを濡らさないようにするだけで精一杯で。雨は途中から本降りになってきた。

曼珠沙華と人々-3

 普通の人は自分が撮ろうとするところで前に人が立っていると、ああー、邪魔、とか思うんだろうけど、私の場合はこりゃラッキーと思う。特にそれがカップルだったりすると格好のターゲットとしていただきになる。
 ただ、ここまで人の割合が多いと何を撮りたかったのか伝わりづらくなる。これはちょっとやりすぎた。

曼珠沙華と人々-4

 ここでもなかなかの機材を見せていただいた。白レンズ、赤帯、高級デジの数々。三脚のゴツさが気合いの表れだ。頭を叩かれたら気絶くらいでは済まないような大きな三脚を持ってる人も多かった。
 私はもちろん、今回も三脚はなしだ。あんな邪魔なもの、とても持ち歩く気になれない。雨降りとはいえ、昼間の明るさならK100Dの手ぶれ補正で充分止まる。
 画質でいえばEOS 20Dの方が上だからここぞというときではあちらを使いたいところなのだけど、手ぶれ補正がないとブレ失敗ボツ写真の割合がどうしても増えてしまうのが難点だ。17-85mmのISレンズは高い割には写りが見合わないしF値が暗い。
 
曼珠沙華と人々-5

 500メートルほどの間に彼岸花が密集するように群生している中、やけに人が固まっている地点がある。こういうところは魚がよく釣れるポイントと一緒で、撮りどころである可能性が高い。撮る場所に迷ったら、一番人が集まっているところに行けば、大きく外すことはないものだ。
 気合いカメラの人々の背後に回ってみると、なるほどねと深く納得するものがあった。この日のこの場所が、まず間違いなくベストポジションだった。みなさん、よく見てる。

曼珠沙華と人々-6

 別の角度から見ると、こんな感じになっていた。自分が濡れるなんて気にもとめず、カメラだけビニールなどをかぶせて脇目もふらずに撮っていた。見習うべき姿勢なのかどうなのか、私としては迷いどころだ。私は自分でも充分自覚しているけど写真に対する姿勢が甘すぎる。粘りがないし、必死さが全然足りない。もっと執念というものをもって撮ってもいい。人目なんて気にしちゃいけない。いい写真を撮るということは、ある意味では自分を捨てることでもある。いや、これは冗談ではなく捨て身の覚悟が決定的な一枚につながることはよくあることだ。電車を撮るならひかれてもいいくらいの心意気で臨まないと。彼岸花なら、のめり込みすぎて群生に頭から突っ込んで人に救助されるくらいの勢いが欲しい。

曼珠沙華と人々-7

 雨の中、河原に座ってお昼を食べる人たち。これもなんだかすごいなと感心してしまった。昼ご飯への執念を見た。
 ここは屋根のある場所がほとんどないから、雨が降るとどうしようもなくなる。晴れていたら河原でも土手でも食べたり休んだりするところはたくさんあるのだけど、観光地としての整備が整ってない。この時期限定とはいえ、気持ちよく迎え入れて帰ってもらうにはまだいろいろと改善の余地がある。駅から現地へも徒歩10分と書いてあるけど、あの混雑の中ではとてもじゃないけど10分じゃ着けないし、大回りすぎるからなんとかできないものかとも思う。今後は花の数を増やして日本一がどうこうよりも、施設的な部分にお金を使った方がいいだろう。単純計算して、30万人から200円で6千万円プラス駐車代金が入っているのだ。

曼珠沙華と人々-8

 雨の中、厳しい彼岸花撮りとなったけど、雨で緑色がきれいだったのでマイナスばかりではなかった。彼岸花は強い日差しを浴びると白く飛んでしまうから、日差しはないくらいでちょうどいいかもしれない。花の持つイメージとしても、あんまり明るくて健康的すぎるのも似合わない。
 広角レンズは使い勝手はいいものの、広く入るからどうしても欲張ってしまいがちになる。望遠側が35mm(52mm換算)までしかないというのも面白みに欠ける。やはり広角の本命レンズはSIGMAの17-70mmになるだろうか。高倍率の18-200mmなどは便利だけど画質的にやや物足りなくなる。むしろ同じTAMRONで評判のいい28-75mmを標準レンズにして、広角が足りないときだけ広角レンズに交換するという方が、結果的に写真はよくなりそうな気もする。超広角というのは自分と対象との距離が遠くなりすぎる。
 2回目の次回は、人があまり入ってない彼岸花写真編になる。今回とあまり変わり映えはしないのだけど、現地の様子が伝わるといいなと思っている。
 つづく。


風邪ひきで一日遅れの再開はフォトコン報告から
2007年09月26日 (水) | 編集 |
フォトコン-1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm(f1.4)



 東京で風邪をひいて、ブログ再開が一日遅くなった。
 かなり久々のダウンだったけど、一日で復活したのは上出来だ。もう大丈夫なので、差し入れはマスクメロンでも高級マンゴーでも松坂牛でもなんでも食べられます。辛抱強く待ってます。

 今月も「デジタルカメラマガジン」のふぉとコンは佳作だった。
 前回よりも今回の方が嬉しかったのは、一回目はたまたまのまぐれ当たりだったかもしれないという疑いが強かったから。ふた月連続は素直に嬉しかったし、これから写真を撮り続けていく上で励みにもなった。人に評価されるために撮るわけじゃなくても、評価されることは喜ぶべきことだ。人に誉められてケッと思うほど私は人間がヒネていないのだ。自分で思う以上に誉められて喜ぶタイプなのかもしれない。
 期せずして選ばれたのは2回連続で「撮る人を撮る」写真になった(前回は「江ノ電を撮る人たち」)。1年半の間に、何枚も応募してる中でこの2枚だけが選ばれたということは象徴的なことだ。おまえはこういうのだけ撮っておけということだろうか。確かに人がいる光景こそが私の一番撮りたいと思ってる写真だから、ここは素直にこの路線でいくべきだろうとも思う。「撮る人を撮る」は今後シリーズ化していこう。

フォトコン-2

 選ばれたといってもまだ佳作。上には入選も優秀賞もある。その差は決して小さいものではない。私自身もまだ大きな隔たりを感じている。
 一概にいい写真というものがどういうものかを決めるのは難しいところなのだけど、自分の中の会心の一枚というものが撮れたら、それがいい写真ということになるのだろうと思う。それは他人の評価とは関係ない。私はまだ、そういう写真は一枚も撮れたことがない。頭の中のイメージにだけ存在するそんな一枚を求めて、これからも写真を撮っていこうと思っている。
 趣味でも遊びでもなんでも、どうせやるなら上手くなりたい。下手よりも上手くできた方が楽しいから。


東京行きの前に長久手田んぼ写真
2007年09月22日 (土) | 編集 |
長久手田んぼにて-1

Canon EOS 20D+EF 75-300mm f3.5-5.6 IS



 連休中は東京にいます。

長久手田んぼにて-2



長久手田んぼにて-3


長久手田んぼにて-4


 更新再開予定は火曜日です。
 ちょっといってきます。


いけるときにいっておかないとすれ違って終わってしまうから、今D100
2007年09月22日 (土) | 編集 |
D100試し撮り-1

Nikon D100+VR Nikkor ED 24-120mm f3.5-5.6


 明日から東京行きなので、今日は写真を並べて寝てしまう。長々と書いている時間がない。でもただ写真を並べるだけでは芸がない。ここはひとつ、いつもとは違うデジで撮った写真にしてみよう。
 ということで、NikonのD100の登場となった。あれ? 私そんなの持ってたっけ? 持ってませんよ、買いましたよ。しかもレンズは手ぶれ補正のVRレンズじゃないか。うーん、いつの間に。いろいろ経緯はあったんだけどその説明は省くとして、とにかく今手元にあるのでこうなったら使うしかない。おそらく所有期間はさほど長くはならないだろう。カメラも縁というのがあって、買えるときに買っておかないとそのまますれ違ってしまう。買えるときは買ってしまうのが正解なのだ。という、かなり強引な理屈をつけて自分を納得させた。
 弟分であるD70との付き合いは短かった。どうも色合いがしっくりこなくて3、4回持ち出しただけで手放してしまったけど、あの頃はまだデジというものも写真というものもよく分かってなくて使いこなせなかっただけということもあった。チャンスが会ったらもう一度買い直そうと思っていたところにD100の値下がりというタイミングで出会うこととなった。どれくらい違うものなのか前から一度使ってみたいという思いもあった。
 D70の感触はあまり覚えてないのだけど、D100の方がやはり作りは上だ。特にシャッターがいい。このマイルドテイストはE-1にも通じるものがある。PENTAXの入門機のようにパコーンなんて音はしない。
 操作系はかなり煩雑で分かりづらい。設定できる項目も多くてマニュアルを読まないと使いこなせそうにない。この時代は中級機といえども半ばプロユースを想定して作られたものだろうから、こんな複雑なことになってしまったに違いない。Nikonというメーカーは特に独自性が強いから他のメーカーを使い慣れてると戸惑うことも多い。
 あ、いけない、カメラ話をしてたら長くなってきた。今日の私は時間がないのだ。こんなおしゃべりをしてる場合ではないぞ。ここからはササッといこう。
 なんて言いながら、明日出かける前にもう一回更新することになるかもしれないけど。

D100試し撮り-2

 道ばたや民家の前なんかで最近よく見かけるやつで、なんて花なのか気になっていた。こういうつぼみような咲き方なのか思ったら、この前咲いているところを見た。
 調べてみると、どうやらチョウセンアサガオの一種のようだ。ただ、ヨウシュチョウセンアサガオ、シロバナヨウシュチョウセンアサガオ、アメリカチョウセンアサガオなど、いろいろ種類があるようで、これが何なのかまでは調べる時間がなかった。宿題とする。それに咲いているところも撮りたい。前に見たときはあまりにも人通りと車通りが多い場所で、バッグからデジを取り出して撮るのをちゅうちょしてしまったのだった。

D100試し撮り-3

 西日を受ける萩。ヤマハギだろうか。
 萩に対しては特に思い入れもないけど、これを見ると否が応でも秋を思わずにはいられない。
 そういえばそろそろ中秋の名月だ。来週の火曜だったか。おはぎも最近食べてないから、久しぶりに月を見ながら食べてみよう。思い出したら無性に食べたくなってきた。

D100試し撮り-4

 ここではまだ夏が頑張っていた。光を透かしたモミジアオイの赤がきれいだ。キバナコスモスも秋よりも夏のイメージが強い。晩夏から秋にかけて長く咲いている花ではあるけれど。

D100試し撮り-5

 特に意味はないけど、この風景はよく撮っている。東山方面だ。
 24-120mmの広角はNikonの場合1.5倍だから36mmになる。ここ最近24mmの世界を知ったから、36mmが狭く感じる。望遠側が180mmだから、このレンズの画角は標準レンズとしては少し中途半端だ。もともとフィルム用に開発されたものだから仕方がない。

D100試し撮り-6

 この色合いはいかにもNikonの色だ。最近のNikonもD50、D80あたりからずいぶん鮮やかで抜けがいい方向性に変わってきてるけど、この頃のNikonはこんな色をしていた。良く言えば暖かい色、悪く言うと黄色く濁ってる。特に空の色がどうも気に入らなくてD70を手放したことを思い出した。このあたりの色合いはRAWで撮ってホワイトバランスや色合いを調節しても上手く好みの色に近づけることができない。画質というのは単に解像度やクリア感やノイズだけで決まるものではなく、メーカー特有の色味というものもある。それはいい悪いではなく、個人の好みの問題だ。私はやっぱりPENTAXの色が好きだとあらためて思う。Canonは抜けすぎて薄味すぎる。

D100試し撮り-7

 まともな夕陽の逆光で、不思議なゴースト(というのか)が出た。なんだこのびよ〜んと曲がった光の筋は。これは本体ではなくレンズの仕業だ。デジタル用のコーティングがされてないからだろう。個人的にはこういうのも嫌いじゃない。味として楽しめばいいと思ってる。
 こういうコントラストの強いシーンはNikonが得意とするところだ。黒つぶれが出ても不自然じゃないシーンにおいては、他のメーカーにはない深い味わいが出る。

D100試し撮り-8

 個人的に懐かしのシーン。おととし2005年の3月に初めてレンズ交換式のデジタル一眼レフCanon D30を買ったとき、ここで試し撮りをした。あれはまだ愛知万博が始まる前だった。それと同じ場所に2年半ぶりに戻ってきたのは感慨深い。あのときと比べるとずいぶん画質は上がっている。デジの世代としてはD30もD100それほど変わってないけど、たぶん自分も少しは成長してるからだろう。
 万博の2周年を記念して、22、23日の連休に愛・地球博記念公園で夜まつりが行われる。午後5時から9時まで(23日は8時まで)、外国料理店やグッズショップなど15店が出るそうだ。万博ロス症候群の愛知県民が大挙して押し寄せることとなるだろう。私も家にいたら行きたかったけど、その日は東京だ。

D100試し撮り-9

 VRレンズの手ぶれ補正効果はどうかといえば、効いてる感じはないけど効いてることは確かなようだ。Canonの手ぶれ補正はジージー小さくうなって頑張ってるなと分かるのだけど、Nikonは静かすぎて動いてるのかどうか分からない。でもオフにするとやっぱりブレるから動いてるのだろう。撮れた写真でも効果は認められる。まだ限界がどのあたりなのかまでは掴んでない。1/2秒でもけっこうブレたから、ボディに内蔵してるK100の方が効果は高そうだ。レンズ内補正だとファインダーで揺れを確認できるから使いやすいというのはある。

D100試し撮り-10

 やっぱり手ぶれ補正は効いてるようだ。これくらいの暗さでも止まってる。細い電線もつぶれずに残った。
 けど、このレンズ、定価9万4,000円という割に描写は高級レンズとまではいかない。F値も3.5-5.6と暗いし、標準レンズにEDレンズと手ぶれ補正を加えただけといったところか。廉価レンズよりは数段上にしても、D70レンズキットのED18-70mmにも解像度で負けるかもしれない。

 まあ、いろいろ書いたけど、おおむねD100はいいデジだと思う。入門機とは確かに違った存在感があるし、持ったときも撮るときもその気にさせてくれる。このあたりは言葉では上手く説明ができないのだけど、作り手の情熱と思い入れが使い手にも伝わるからだろうか。定価30万はダテじゃない。
 何にしてももうしばらく使ってみないことにはなんとも言えない部分も多い。ちょっと手持ちのデジが増えすぎてるけど、整理するまで交代で使っていくことになるだろう。最終的にはPENTAXのK10D一本で落ち着きたいのだけど、Canonの20Dも捨てがたいし、一本化するのは難しそうだ。
 東京はK100Dと最低限のレンズという軽装で行く。さて、どんな写真と出会えるだろう。


いつかデンパークがもっとデンマークらしくなるようにと願いを込めて最終章
2007年09月21日 (金) | 編集 |
デンパークとデンマーク-1

Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6



 デンパーク最終回は、メイン施設である大温室フローラルプレイスを紹介しつつデンマークについて少し勉強してみたい。デンパークが思いのほかデンマークではなくてがっかりしてしまった私だけど、じゃあデンマークについでどれだけ知っているんだと訊かれると答えに詰まってしまうくらいよく知らない。日本で普通に暮らしている中でデンマークの話題が出ることはほとんど皆無に等しい。デンマークのニュースなどテレビではやらないし、デンマーク人が道ばたを歩いているわけでもなく、デンマーク料理の店が近所にオープンしたなんて話もついぞ聞かない。せいぜいスポーツの世界でたまに見かけるくらいなものだ。海外旅行へ行こうとなってもデンマークというのはかなり優先順位が低くなる。
 そんなわけで、興味がなければ知りようもなく、情報も流れてこないから知識も増えない。デンマークについて詳しい日本人は一体どれくらいいるというのか。日本というのは情報過多と思われているけど、案外外国のことを知らないものだ。名前と場所だけは知っていてもそれ以上のことは知らない国も多い。特に北欧というのは馴染みが薄い。だから、私にとってはデンパークへ行ったことがデンマークについて勉強するいいきっかけになった。あそこへ行ってなければ、もしかしたら一生デンマークについては何も知らないまま終わっていたかもしれない。これを読んでデンマークについて興味を持ち始めた人がいたなら、私もデンパークへ行ったかいがあったというものだ。

 上の写真はデンパーク館という建物だ。入ってないので何をするところかよく分からなかった。催し物や展示、体験教室みたいなものが行われる施設なのだと思う。建物のスタイルとしてはデンマークらしさを装っているのだろう。たぶん。
 手前のいかりのようなものはただのオブジェではなく日時計になっている。日時計とデンマークが関係あるのかどうかはよく知らない。デンマークについての予備知識がある人はほとんどいないはずだから、デンパークはいろんな部分でもう少し説明が必要だ。

デンパークとデンマーク-2

 大温室というわりにはそれほど大きくはない。これで全体の半分くらいだ(3,600平方メートル)。冬は暖かく、夏は蒸し暑い。温室だから当然だけど、この中でミニコンサートなども行われているというから出演者は大変だ。楽器にも悪そうだけどそうでもないのか。
 花よりも緑が多い熱帯温室で、周りにはデンマークの街並みや民家を再現してあり、それが店舗を兼ねている。ここの手前にはおみやげ屋や飲食店などもあり、そちらはエアコンが効いて涼しい。
 温室の中にもみやげ物屋やグッズ屋、レゴで遊べるスペース、貸衣装屋などがある。デンマークに限らず北欧の衣装を着て記念撮影ができるようで、衣装代と写真代で1,000円くらいなので、そんなに高くない。外まで着て出ることができないのなら、犬山のリトルワールドの方が上だ。
 デンパークウエディングというのもあって、ここで結婚式が挙げられる。デンパークで結婚式というのもちょっと考えてしまうけど、イタリア村でするのとどっちがいいか選べと言われたら迷う。

デンパークとデンマーク-3

 ここへきてようやく分かりやすいデンマークらしさに出会えた。人魚姫といえばアンデルセン、アンデルセンといえばデンマークだ。おそらく日本で最も有名なデンマーク人はアンデルセンだろう。人によっては哲学者のキェルケゴールや詩人のイエンス・ペーター・ヤコブセンなんかにも馴染みがあるかもしれない。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『奇跡の海』で知られるようになったラース・フォン・トリアー監督もデンマーク人だ。他にはレゴの創業者であるオーレ・キアク・クリスチャンセンや、サッカー選手のミカエル・ラウドルップあたりが知られたところだろうか。ノーベル賞をとった学者なんかもけっこう出ている。
 アンデルセンの童話は日本でもよく読まれている。グリム童話かアンデルセンかというくらいだ。『裸の王様』、『みにくいアヒルの子』、『人魚姫』、『親指姫』、『マッチ売りの少女』など、誰もがなんとなくは知ってる話ばかりだ。けっこう悲しい話が多いのは、北欧という土地柄と、アンデルセンそのものの性格もあったのだろう。晩年の作品は明るい話も多い。
 アンデルセンは独身のまま70歳で死ぬことになるけど、すごく心配性で、寝てるときに死んだと勘違いされて埋葬された男の話を聞いて以来、寝るときは枕元に「死んでません」と書いた紙をいつも置いていたという。本人は大まじめだったに違いないけど、なかなか笑えるキュートなエピソードだ。私もやむを得ず野宿するときは見習うことにしよう。

デンパークとデンマーク-4

 デンマークの木工玩具デザイナー、カイ・ボイスンの作品が入り口近くに飾られていた。コペンハーゲン名物、王立衛兵隊の木製人形だ。けっこう大きい。
 デンマークは正式名称をデンマーク王国というように、1972年に即位したマルグレーテ2世女王がいる国だ。デンマークの王室はヨーロッパで最も古く、最も開かれた王室と言われている。女王が住んでいるアメリエンボー宮殿は塀もなくて、誰でも自由に敷地内に入っていけるそうだ。
 ここで少しデンマークについて基本的な勉強をしておこう。
 スカンジナビア諸国の中ではもっとも南に位置していて、ドイツと国境を接している。緯度はイギリス北部と同じくらいなのですごく寒い国というわけではない。ユトランド半島と4つの大きな島、その他小さな島々からなっていて、面積は北海道の3分の2くらいと北欧ではもっとも小さい。そのわりには人口530万人とスカンジナビア諸国の中では最も人口密度が高い国となっている。
 首都はコペンハーゲン。公用語はデンマーク語で、各地に方言がある。割と英語に近い言語のようだ。南はドイツ語の影響が大きい。
 デンマークは英語読みで、本当の読み方ではダンマルクとなる。アンデルセンも国ではアナスンと呼ばれていて、これはデンマークではとてもあふれた名字なんだそうだ。だから、デンマークへ行ってアンデルセンの住んでいた場所はどこですかと訊ねるのは、日本で伊藤さんちはどこですかと訊くのと同じくらい漠然とした問いかけになる。ホセ・アナスンといえば通じるらしい。
 日本ではデンマークのことを昔はデンマルクと呼んでいた。漢字の当て字は、丁抹。略すと丁となる。これも馴染みがない。
 歴史的にみると、かなり昔から人が住んでいた土地のようで、いわゆるヴァイキングと呼ばれたノルマン人が8世紀から11世紀にかけてデンマークを本拠地にしていた。この頃はヨーロッパの暴れん坊としてこのあたりで大いに幅をきかせていた。イギリスも征服し、アイスランドを発見し、一説によるよコロンブスより先にアメリカ大陸に到達していたという話もある。
 その後スウェーデンなど近隣諸国との戦争を繰り返し、やがて力を失っていった。第一次大戦は中立を守ったものの、第二次大戦ではナチス・ドイツに占領されて戦後を迎える。現在は歴史上の表舞台に出てくることはほとんどなくなった。わりとのんきに平和に暮らしているようだ。ただし、今でも徴兵制度があって、18才から32才までの男子は9ヶ月ほどの兵役義務がある。
 産業としては資源が豊富で、エネルギーには困っていない。石油自給率も100パーセントで、昨日も書いたように風力発電も盛んに行われている。鉱物などもたくさんとれるようだ。
 他の北欧諸国同様、超福祉国家でもある。学校を始め教育に関するものはすべて無料で、医療費も全面的にタダ、手術代もかからない。公共の施設はものすごく充実している。けど、夢のような国だと思うのは早い。税金がものすごいことになっている。一般人でも所得税と市民税などで50パーセント以上とられて、消費税は25パーセントで物価も日本並みに高い。車を買うと180パーセントの自動車税がかかる。200万の新車を買うと360万円になってしまう。いくら公共のものがタダといっても、これはちょっと考えてしまう。逆に言うと、日本など大借金をしてるわりには税金が安すぎるのだ。消費税は10パーセントでも仕方がないし、将来は20パーセントくらいまでいくかもしれない。
 自然あふれる観光地としても人気が高くて、ヨーロッパを始め、世界中から観光客が訪れる。日本人は年間どれくらい行ってるのだろう。私の周りには一人もいないけど、好きな人はよく行くのだろうか。
 国民性は温かくて人なつっこいというから、行ってみれば楽しいところなのだろうけど、私が行くことはまずないと思う。デンパークでさえ今回初めて行っただけなんだから。

デンパークとデンマーク-5

 みやげ物屋に入って、何か記念にデンマークらしいものを買っていこうと思ったのだけど、これがまるで充実していない。缶に入ったクッキーや、ロイヤルコペンハーゲンの食器くらいしか見あたらない。そんなものはここじゃなくても買える。ここでしか買えないようなデンマークグッズが私は欲しかった。なんでそういうものを取りそろえないのか不思議だ。売れるようなものがないのか、デンマークらしさというものが伝わりにくいからなのか。確かにそもそもデンマークのものというイメージが買い手の側にないのだから、そこに需要を生み出すのは難しいのかもしれない。それでも、もっとデンマークらしくあって欲しいというのが私の願望だった。デンマークのペナントはないのか。

デンパークとデンマーク-7

 結局、温室の外のみやげ物屋で、デンマーク製のジャムを買った。これは種類が充実していて値段も500円前後とお買い得だった。食べてみると甘さ控えめでとっても美味しくて気に入った。これはオススメできる。デンマークとジャムというのが結びつかないというのはあるものの、家が近かったらもう一度行って何種類か買い込みたいところだ。
 その他のおみやげ物としては、デンマークに関係なく、名古屋ものだったり、他の国のものだったり、安城特産品だったり、ひどくとりとめのない感じだった。あの統一感のなさはかえってすごい。

デンパークとデンマーク-6

 今年の4月にできた、世界最大級のオルゴールからくり時計「ポール・ラッシュ」だ。幅5.6メートル、高さ2.8メートルと、相当な大きさだった。中には木管楽器や金管楽器、打楽器、オルガンなどが仕込まれていて、時間になると自動演奏を始める。音量は100人のオーケストラに匹敵するんだとか。
 このときは時間が合わずに聞くことができなかった。みんなこの前で記念写真を撮っていた。当然、私たちもだ。

デンパークとデンマーク-8

 帰り際、入り口から入ってすぐに立っているツリーのオブジェを見て、初めてこれがデンマーク国旗を模しているということに気づいた。さりげなさすぎ。
 公園としてはいいところなのに、デンマーク色が足りなすぎるというのがこの施設に対する私の結論だ。安城は日本のデンマークというわりにはデンマークに対する思い入れがあまり感じられない。2002年に日韓ワールドカップでデンマーク代表が来日したときも、どうしてキャンプ地として名乗りでなかったのか。誘致合戦に負けたのか、最初から設備が整わずに断念したのか。キャンプ地となった和歌山県でデンマーク代表と地元民との心温まるエピソードも伝わってきている。こんなチャンスを逃すなんて、熱意が足りなかったとしか思えない。まだ5年前のことだから、当然デンーパークもすでにできていたときだ。
 入場者数も最初の年の120万人から現在は40万人台にまで落ち込んでいる。それはなんといってもリピーターを獲得できてないという証拠だ。どの程度商売気があるのかは分からないけど、やっぱり年間100万人くらいは呼びたいところだろう。そのためにはぜひもっとデンマークであって欲しいと私は願う。デンマークという国の魅力を日本人に伝えるんだという強い思いを持って。小手先のイベントなどでは一時的な集客にしかならない。
 個人的なことを言えば、デンマークについて多少なりとも知るきっかけになったデンパークには感謝している。物足りなかった分、自分で補うしかなくて、それが結果的にはよかったのかもしれない。でも、もし私にプロデュースを任せてくれるなら全面的にデンマークに改装したい。ミニディズニーのデンマークバージョンみたいにしたら楽しいだろう。川を船で行くと人魚姫が泳いでいて喜んでると、向こうからヴァイキングの船がやって来て身ぐるみはがされてしまうとか。一角でもいいからデンマークコーナーというのを作るのはどうだろう。衣食住、遊び、体験すべてをデンマークにするのだ。大きなオルゴールを作るお金があるなら、そういうことに使って欲しかったと今更言ってももう遅い。
 もし、デンマークに大改装されたら、私も喜んでもう一度行こう。その日を夢見つつ、デンパーク紹介はこれにて終わりとなる。


何故デンパークはもっとデンマークではなかったのかというもどかしさ
2007年09月20日 (木) | 編集 |
デンパーク風景-1

Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6



 デンパーク第三弾になってようやく本編、デンパーク風景の紹介となる。結論を言えば、デンパークはデンマークではなかった。デンマークらしさを探して園内を一周した私たちは、ついにデンマークをあまり感じられないまま公園をあとにすることになる。いや、まったくデンマーク色がないというわけではない。少しだけデンマークを意識した作りにはなっている。期待度の問題として、個人的に物足りなかったというだけだ。
 断片的な風景写真からそれがどこまで伝わるか自信はないけど、今日のテーマはデンパークにおけるデンマークを探せだ。何の予備知識もなくふらっと歩けばいつの間にかデンマーク通になっているなんてことはないので、できればデンマークのガイドブックを手元に置いてこれを読んで欲しいと思う。一般家庭にそんなものがあるとも思えないけど。

 デンマークといえばなんといっても風車だ。ん? そうなのか? 風車の故郷はオランダではないのか? 風車に挑んでいったドン・キホーテはスペインの話だった。デンマークも風車が有名なのだろうか?
 答えはイエスだ。上の写真のものは古典的なスタイルのデンマークの風車で、最初は主に製粉のために使われていたんだそうだ。やがてそれを電力発電に利用するようになり、今ではデンマークは世界有数の風車王国となっている。
 特徴的なのは政府の押しつけではなく市民主導で風車が導入されるようになったことで、国内にある約6,000機のうち5,700機が個人所有というから驚く。デンマーク人の多くが共同でマイ風車を持っているのだ。黒板五郎父さんもびっくり。電力も16パーセントを風力発電でまかなっていて、今度30年で50パーセントまで引き上げる計画もあるという。デンマーク国内の地形や風土も風車に合っていたのだろうけど、デンマーク人の性格というのもありそうだ。
 というわけで、デンマークといえば何が思い浮かぶかという問いかけに対して風車と答えるのは、間違っているどころか大正解なのだった。

デンパーク風景-2

 風車の近くに行ってみるとなにやら人だかりができている。なんだなんだと思ったら、ギャル撮影会が行われていた。おー、これはすごいぞ。遠巻きに私も乗っかってみた。
 けど、いわゆるカメラ小僧とかアキバ系とかのコスプレ撮影会ではない。カメラを持っているのがおじさま、おばさまだ。小僧や若者ではない。でも何故かモデルはミニスカの衣装を身にまとったギャル。どういう集まりなのか不思議だった。
 帰ってきてから知ったのだけど、どうやらデンパーク内に写真講座みたいなものがあって、その受講生の人たちだったようだ。それ以外でも、ここは撮影会によく使われるところのようで、ネットで検索するとコスプレ写真の人たちがたくさん出てくる。確かにモデル撮影には格好の場所と言えそうだ。

デンパーク風景-3

 花畑の中の女の子を四方八方から狙うおじさん軍団。かなり気合いが入っている。みなさん、いいカメラとレンズを持っている。赤帯、白レンズ当たり前という世界だ。私の装備など見られたら恥ずかしいくらい。こういうところって持っていくカメラやレンズには気を遣う。コンパクトデジならかえって平気なのだけど、デジイチだとみんな人のものをチラ見するものなのだ。あまり重装備だと逆に反感を買いそうだし、レンズキットのレンズなんて付けてるとケッとか思われそうで思わず隠したくなる。かえってTakumarあたりのオールドレンズをつけてる方がはったりが効く。私も役に立たないミニバズーカでも持っていけばよかったか。あれなら木の陰からこっそり便乗してモデル撮影会に参加できた。

デンパーク風景-4

 ここでも汽車型のバス「メルヘン号」がのんびり走っていた。岐阜の花フェスタでも同じようなものを見た。
 園内を15分ほどで一周するようだ。大人200円だから、乗ってもよかったけど、乗ると人に写真を撮られてしまうので照れくさい。すごくスピードが遅いので、横を通るときに飛び乗れる。もちろんタダ乗りは許されない。

デンパーク風景-5

 ところでデンパークというネーミングは、単なるデンマークとパークをあわせたものではなかった。デンはデンマークのデンであり、田園のデンであり、伝統のデンもかけられていたのであった。その裏話を聞いて軽い衝撃を受ける私。まさか三重のダジャレだったとは。だから、必ずしもデンマークをメインテーマにした公園ではなかったのだ。私はひとりでデンマークにこだわりすぎて空回りしていた。
 デンマークということをいったん忘れて、客観的にこの施設を見たとき、ここは花と緑の公園だ。作られたときのコンセプトは「花・みどり・暮らしの提案」というものだったようで、正式名称は安城産業文化公園となっている。
 どうしてデンマークかといえば、かつて安城市は先進的な農業スタイルから日本のデンマークと呼ばれたことがあって、それが縁でデンマークと姉妹都市となったという経緯がある。
 デンパークは、デンマークをモチーフにした遊びのためのテーマパークとして作られたわけではなかった。
 ちなみに、デンパークのマスコットガール(?)は、紺野美沙子だ。これまた渋いチョイスだ(2005年でお役ご免となったようだ)。
 もともとは道の駅がここにあって、それに隣接する形で平成9年(1997年)に作られた。今年で10周年になる。年間の目標を50万人としているようだけど少し届いてない。安城市という場所にあって、しかも駅からも市の中心からも遠い場所では、大勢の人を呼ぶのはなかなか難しいものがある。入園料600円というのもやや高い。花のテーマパークとしてならもっと充実したところがあるし、動植物園が500円ということを考えるとそれ以上に魅力的と言えるかどうか。
 近所の人にはいい場所だ。2,400円の年間パスポートを買っておけばいつでも気軽に立ち寄って、半日でものんびりできる。ただ、遠くから行く人間にとってもう一度行きたくなるかというと、なかなか厳しいものがある。少なくとも、高速道路を使ってまで行きたくなるほど魅力的とは思えなかった。だからこそ私は強くデンマークを願ったのだ。デンマークを感じられる場所など、日本の中ではそうそうあるものではない。客層を狭めても、あえてデンマークでいって欲しかった。

デンパーク風景-6

 花時計のある花広場は見事だった。みんなここで記念写真を撮っていた。グループは集合写真を、カップルはツーショット写真を。
 花は今の季節はデンマークらしさはない。春は一面のマーガレットが咲くのかもしれない。

デンパーク風景-7

 ファンタジーガーデンと名づけられたこの空間は、メルヘンチックだ。キャラクターが少しディズニーっぽくはあるけど、パクリではない。デンパークには、花の妖精「ペタル」、ブタの兄弟「ピッピとグーグ」、農夫「デアリー」のマスコットがいる。写真に写ってるのはデアリーだろうか、別人なのか。
 けど、なんでここでデンマークが生んだ偉大なる童話作家アンデルセンを前面に押し出さないのか。まさか版権とか肖像権とかそういう問題でもあるまいに。水のプールには人魚姫、通りにはマッチ売りの少女、池にはみにくいアヒルの子であるハクチョウ、花畑の中には裸の王様をそれぞれ職員もしくはアルバイトで配置すべきだ。人形なんてケチなことを言わず、リアルでいって欲しい。マッチ売りの少女からマッチを買ってあげたかったし、裸の王様にはハダカですよと教えてあげたかった。
 不満というよりもどうして利用しないのかが不思議だ。デンマークらしさを出そうという意志があまり感じられない。

デンパーク風景-8

 葉っぱに子供が乗れることで有名なパラグアイオニバスだ。実際に子供を乗せるというイベントも行われたようだ。
 直径は1メートル以上になり、きれいな花も咲かせる。

デンパーク風景-9

 デンパーク内の電力の一部を担っている風車もあった。風力発電を成立させるためにはほどよく安定した風が必要だそうだけど、この程度の大きさでいいなら個人宅でも建てられそうだ。これで一部でも電力をまかなえるなら設備投資としては安いのではないか。日本でも一部で導入され始めているけど、まだまだ個人レベルではない。石油も高いし、日本はエネルギー自給率が低すぎるから、今後は風力発電をもっと積極的に取り入れていくべきだろう。ビルの屋上なんかはどうなんだろう。電気が暗くなって電力不足になってきたら、お父さんが自転車を漕げばいい。コントみたいだけど、家族の絆は強まりそうだ。お父さん、しっかり、なんて子供が声援を送る風景は微笑ましい。

デンパーク風景-10

 ランチは例によって自家製のスポンジケーキだ。今回は今までの中で一番できがよかった。粉の分量をいつもより多くしたのがよかったのだろうか。食感もだいぶフワフワに近づいてきた。理想のスポンジケーキまではまだ遠いものの、少しだけ光が見えてきた気がした。

 このあとは花の大温室フローラルプレイスへ向かうことになるけど、その話はまた次回ということで。
 今回で多少はデンパークの様子も伝わっただろうか。まさかデンパークネタで連載4回になるとは思ってなかった。そういう意味ではデンパークはとてもいいところだ。家から近ければ、撮るものがなくて困ったときはデンパークへ行けということになったかもしれない。写真ということで考えて個人的なローカルスポット比較をすると、デンパークはグリーンピア春日井以上東山植物園以下、といったところだろうか。ブルーボネットよりは上で、魅力的なところには違いない。
 最終回につづく。


夏の終わりのデンパークに咲いている花を並べてみてもデンマークは見えてこず
2007年09月19日 (水) | 編集 |
デンパークの花-1

Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6



 百聞は一見にしかず。デンパークがどんなところだったかを私が語る前に、写真で見てもらった方が手っ取り早いだろうということで、デンパークの第二弾は花特集としてみた。昨日の第一弾は虫紹介だったので、もしかしたら虫の楽園の森林公園のようなところをイメージさせてしまったかもしれない。でもそうではない、むしろ花の公園と呼ぶにふさわしい、花に満ちた公園こそがデンパークなのだ。
 ただし、植えられている花がデンマークに特化したものかといえばそういうことはないと思う。デンマーク固有の花がどんなものだかは知らない私でも、一見してデンマークっぽくないことだけは分かる。けど、見たこともないものもあったから、その中の一部はデンマークゆかりの花だったのかもしれない。
 デンマークらしさとは何か、デンパークとはなんぞやということを考えつつ、写真で足りないところは想像でおぎなってください。
 一枚目の写真はいきなり名前が分からない。デンマークの花じゃないことは確かだと思うけど。

デンパークの花-2

 これは前にどこかの温室で見た記憶がある。違っただろうか。たぶん、アスクレピアスというやつだ。
 原産は南北アメリカやアフリカなどで、ギリシャ神話の医術の神アスクレピアスから名付けられている。根や草に止血や殺虫効果があるそうだ。
 葉や茎を傷つけると乳液が出ることから英名はミルクウィードと呼ばれ、日本では種に光沢のある綿毛がつくことから唐棉(とうわた)と呼ばれる。
 いくつか品種があって、白花やピンクなどもある。

デンパークの花-3

 私の中にあるイメージとは少し違っているのだけど、これもランタナなのだろう。始めは黄色や橙色で、そこから赤や紫紅などに花色が変化していく。そこから別名を七変化ともいう。これはまだ咲き始めで、これから変色していくところなのだろう。
 花や葉っぱの様子は少しアジサイに似ている。アジサイシーズンに見かけると一瞬アジサイと間違えそうになる。種類としてはクマツヅラ科なので仲間ではない。
 原産は中南米あたり。上のアスクレピアスといいランタナといい、北欧のデンマークからはほど遠い。
 日本には江戸時代末期にはすでに入ってきていたそうだ。

デンパークの花-4

 これはちょっと自信がないけど、センニチコウ(千日紅)でいいのか。
 もちろん千日間咲いているわけはなく、長く咲くという意味で千日という名前がつけられたのだろう。百日紅(サルスベリ)や百日草(ヒャクニチソウ)の場合は、実際に3ヶ月くらい咲くから名前に偽りはない。
 花期が長いということで、昔は仏前やお墓によく供えられていたそうだ。江戸時代の初期に日本にやって来た。
 これも原産は熱帯アメリカ。この時期に咲く日本の花が少ないから、たまたま熱帯の花が揃ってしまっただけだろうか。夏のデンマークではどんな花が咲いているのだろう。デンマークの国花はマーガレットだけど、当然今の時期は咲いてない。春にデンパークを訪れると一面のマーガレット畑だったりするのだろうか。

デンパークの花-5

 サルビア花壇は特別に設けられていて、なかなか充実していた。
 こうして見るとサルビアの花色や種類はたくさんあるんだということをあらためて知る。品種改良が盛んなのだろう。
 原産は南米のブラジルあたり。日本では和名の緋衣草(ひごろもそう)の通り、赤い花が一般的だ。花の少ない真夏の花壇では主役となっているところも多い。

デンパークの花-6

 黄色い花は調べたけど分からなかった。赤い葉っぱはコリウスの一種だろうか。
 このあたりはちょっと宿題とする。

デンパークの花-7

 これはヘチマの花だろう。見覚えがある。ひょうたんも近くになっていたけど、ひょうたんの花は白いはずだ。黄色はヘチマでいいと思う。
 ヘチマは大昔から日本にいるような気がするけど、実際は江戸時代にやって来た新参組だ。原産はインド。風情としてはとても日本的だ。
 漢字で書くと糸瓜となる。もともとは果実から繊維がとれたので糸瓜(いとうり)と呼ばれていて、これが「とうり」と訛り、「と」はいろはにほへとちりぬるわの中で「へ」と「ち」の間ということで、「へちま」と呼ばれるようになったという嘘のような本当の話。シャレというより暗号みたいだ。

デンパークの花-8

 一般的にムラサキシキブと呼ばれることが多いこの紫の実は、実際はコムラサキという種類だ。民家の庭や公園などに植えられてるものは見栄えのいいコムラサキがほとんどで、ムラサキシキブは山の中などでわりとひっそり実をつけている。実のつき方ももっとまばらで野生の感じが強い。
 ムラサキシキブという名前の方が受けがいいからということで、店では知っていてあえてコムラサキをムラサキシキブといって売っているところもあるようだ。
 源氏物語の紫式部から来ているかと思いきや、もともとは紫の実がたくさんなるという「シキミ」からムラサキシキミと呼ばれていたものが、のちに語感が似ているところからムラサキシキブと呼ぶようになったのだとか。
 花よりも実の方が目を引くということで秋の方が存在感が強い。初夏にはピンクの可憐な花を咲かせる。

デンパークの花-9

 いよいよ彼岸花が咲き始めた。この花も咲き始めると一気に咲きそろって、駆け足で秋を告げて去っていく。半田のごん狐の里、矢勝川の彼岸花もそろそろ咲き始めた頃だろう。満開まではあと一週間くらいだろうか。
 真っ赤な彼岸花が土手を埋め尽くす光景は、きれいというより鬼気迫るものがあって少し恐い。夕暮れ時などは特に不気味でさえある。日本人のイメージの中にはそういう感覚があるようだ。あんなに派手な色なのに陽気さが感じられない。
 白い彼岸花はまたイメージがずいぶん違ってくる。けど、これも見ようによっては少し妖しい雰囲気もある。清楚なふりをして実はしたたかな女の人のようだ。

デンパークの花-10

 これは売り物のサボテン。花が鮮やかで目を引いた。普段の地味な姿から想像できないような花が咲いてくるのがサボテンの面白さだ。

 こうして並べた花写真をあらためて見てみると、デンパークってどんなところなのかますます分からなくなる。どんどんデンマークから離れていく。そしてはたと気づく。もしかして、デンパークというのはデンマークをモチーフにしたテーマパークではないんじゃないか、と。デンパークというからにはデンマークなんだろうという私の思い込みが根本的に間違っていたのかもしれない。
 第三弾ではいよいよデンパークの核心に迫っていくことになる。デンパークが実は名前の出オチで終わってしまうということが知れてしまうのも時間の問題となった。
 次回はデンパーク本編について書かねばなるまい。これ以上引っ張ってもいいことはない。ネタ不足で水増ししてるんだろうと疑われても損だ。デンパークの魅力について余すことなく紹介するという私の試みは、すでに失敗の予感がただよい始めた。でもまだ2回ある(あと1回では終わらない)。だからもう少し頑張ってみようと思う。読んだ人が自分も行ってみたいと思えるようなものを書けるだろうか。
 つづく。


知って得しない虫についての知識を余すところなく披露してみる
2007年09月18日 (火) | 編集 |
デンパークの生き物たち-1

Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6



 今日はデンパークで撮った生き物たちの写真を使って、虫についての復習をしようと思う。だからデンパークってなんだよという方もいるだろうけど、それはまあおいおい紹介するとして、今日のところは虫でいかせてほしい。
 ところで虫(むし)の定義をあなたは知っているだろうか。これは分かっているようで案外難しい問題をはらんでいる。虫と昆虫は完全なイコールではないと意識している人がどれくらいいるだろう。虫(むし)というのは本来、鳥でも獣でも魚でもない生き物を指す総称だった。昔の人がはっきりと分類できないものを「むし」と呼んで誤魔化していたという歴史がある。だから蛇も蟹も虫という字が入っている。昆虫というものが学問として確立するのは、虫という言葉が生まれたずっとあとのことだ。昆虫とういうのはむしの中の一つであって、昆虫と虫は同義語ではない。昔は昆虫を指す場合は「蟲」という字が使われていた。
 とまあ、そんな雑学も絡めつつ、今日は虫について書いてみよう。あまり気持ち悪い虫は出てこないけど、苦手な人は逃げる準備をしてください。

 まず最初はナミアゲハから。
 一般的にはアゲハチョウと呼ばれることがほとんどだけど、実はアゲハチョウという名前の蝶は存在しない。たいていはこのナミアゲハ(チョウはつかない)のことをいう。もしくは、黄色味が強いキアゲハのどちらかだ。
 ナミアゲハのナミは、波ではなく並だ。普通にありふれているという意味でつけられたのだろうけど、それはちょっとないだろうとナミアゲハに代わって抗議したい。上とか優とかそんな高級なアゲハがいるならともかく、いくら平凡でも並扱いは失礼だ。可もなく不可もなしみたいで、なんだか納得がいかない。あんなにきれいな体をしてるのに。ナミアゲハだって自分たちの名前を知ったら黙っちゃいないだろう。せめてオオアゲハなんてのがいるなら仕方ないなと思っただろうけど。
 キアゲハは名前の通り黄色いアゲハだ。でも区別は割と難しい。黄色加減では見分けづらいときは、前翅の付け根を見る。黄色地に黒い横線が入っていたらナミアゲハで、この部分が黒く塗りつぶされていたらキアゲハだ。
 ナミアゲハは、春から秋にかけて4回ほど世代交代をする。成虫での寿命はひと月ちょっとということだ。秋を迎える前にその年最後の産卵をして、寒くなる前に卵からかえって幼虫になり、サナギの姿で冬を越す。それが春に孵ってまた世代を重ねる。春に生まれたやつよりも夏に生まれるやつの方が体が大きい。

デンパークの生き物たち-2

 アオスジアゲハの鮮やかなブルーは南国を思わせるけど、これも昔から日本にいたアゲハチョウだ。アジアやオーストラリアにも広く生息している。
 アゲハチョウというと、ナミアゲハなどのグループと黒いアゲハの仲間に大きく分かれる中で、アオスジアゲハはどちらにも属さない独特のアゲハだ。翅を動かす速度も速く、飛び方もシャープな感じで、止まるときは翅を閉じて止まる。動きが全体的にアゲハらしくない。
 九州や四国あたりにはこれに似た青いミカドアゲハというのがいるらしいけど、私は見たことがない。いるところでもそれほど数は多くないようだ。
 黒い蝶に関してはまたいずれ書くこともあるだろう。黒い蝶もたくさん種類がいて、話はそう単純ではないのだ。

デンパークの生き物たち-3

 モンシロチョウやアゲハなんかが少なくなってきた夏の終わり頃から俄然目立つようになるのが、このセセリチョウだ。茶色くて地味な体をしてるから蛾に間違われそうだけど、これでも立派な蝶の一種なので蛾扱いしないでやってほしい。
 よく似たイチモンジセセリとチャバネセセリは、翅の裏側を見れば一目瞭然、白い点が大きく並んでいるのがイチモンジセセリで、白点が小さくまばらならチャバネセセリということになる。写真のものはちょっと見づらいけど、イチモンジセセリだ。
 肌寒くなった11月くらいまでしっかり生きて、こいつらは幼虫で越冬する。イネやススキなんかを食べて寒い冬を乗り切る。
 近くで見ると意外と目がつぶらでかわいい。

デンパークの生き物たち-4

 ここ数年、名古屋でもクマゼミが激増して、アブラゼミと勢力を二分するくらいにまでのし上がった。けど、今年はどういうわけか少なかった。鳴き声もあまりしなかったし、うちのアイもクマゼミを1匹もとってこなかった。今年の暑さと関係があったのか、それとも他へ分布が移動したのだろうか。今のところまだ関東へはほとんど勢力を伸ばしていない。西日本は完全に制圧したのに。
 東京へ行ったときはミンミンゼミの声が大きくて少し驚いた。名古屋にミンミンゼミはほとんどいない。地球温暖化もあって、今度はクマゼミの関東進出も充分あり得る。そうなったとき、ミンミンゼミはどうなるのかちょっと心配だ。
 上の写真は腹(腹弁)がオレンジをしてるからオスだ。これを使って鳴いている。
 細い木の枝を伝ってもぞもぞしてたから卵を産んでるのかと思ったら違った。関西では光ファイバーのケーブルに卵を産み付けて断線するという被害がけっこう出ているとか。
 蝉は近代化に一番上手く適応した虫かもしれない。他の虫たちが生活の場を奪われ、郊外や田舎へと押しやられたのに、蝉だけは子供の頃と比べても数が全然減ってない。一日中明るいような都会でもたくましく生きている。特別賢いわけでもないのに、なんとなく平然と生き延びてきた。そう考えると蝉ってけっこう不思議な生き物だ。

デンパークの生き物たち-5

 木の上で変な鳴き方をしてるツクツクボウシがいてどうしたんだろうと見上げたら、カマキリに捕まっていた。蝉側からいえば気の毒だし、カマキリ側からいえばよかったねだし、こういう光景は複雑な気持ちになる。
 ハラビロカマキリは久しぶりに見た。前に見たのは子供の時だったんじゃないだろうか。普段は木の上で生活してるからあまり見かけることがない。
 名前の通り腹の広いカマキリで、多くは緑色をしてる。まれに茶色いのもいる。
 もともと茶色くて小さいのがコカマキリで、これも昔はよく見たのに最近は見ない。
 あと一般的なカマキリとしては、大きくて太いオオカマキリ、それより少し細いチョウセンカマキリあたりだろう。ヒナカマキリ、モリカマキリ、ウスバカマキリ、ヒメカマキリなんてのも日本にいるそうだけど、このへんは意識したことがないから、見たことがあるのかないのかも分からない。
 カマキリは腹から出てくる黒い針金みたいなハリガネムシが恐かった。

デンパークの生き物たち-6

 トンボの区別はとても難しいけど、シオカラトンボも油断ができないトンボの一つだ。たいていの人は青白っぽい体をしたトンボを見たらシオカラトンボだと思ってそこで終わる。その先まで深く潜ろうという人は稀だ。
 シオカラトンボと見えて実はシオヤトンボかもしれないし、オオシオカラトンボかもしれない。黄色い体をしたやつはムギワラトンボと呼ばれるシオカラトンボのメスだというところまでは常識の範囲内にしても、本当のところは未成熟なオスかもしれないというところまで疑ってかかるのがトンボの人たちだ。トンボの世界もなかなかに奥が深い。よく似てるけどちょっと太ってるなと思ったら、それはハラビロトンボだ。
 シオヤトンボは腹が少し平たい感じで、シオカラトンボは灰色に近い白、オオシオカラトンボは青白い。だから上の写真はオオシオカラトンボということになる。たぶん。そうだといいな。違ったら誰か指摘してください。

デンパークの生き物たち-7

 最後はカエル。緑色の小さい蛙を見たら反射的にアマガエルだと思うのは勇み足だ。それが本当にアマガエルかどうか、もう一度よく確認する必要がある。テストも見直しが必要ですと先生も口を酸っぱくして言っていたのを思いだそう。
 目の横に黒い線はあるか、目玉(光彩)は赤くないか、体の大きさはどうか。答えを言えば、上の写真はいわゆるアマガエルと呼ばれるニホンアマガエルではない。ニホンアマガエルの場合は目の横に黒い線がある。これはそれがなく、光彩が金色をしてるから、シュレーゲルアオガエルだ。目が赤くて、体も少し大きくてくすんだ緑色をしていたらそれはモリアオガエルということになる。
 だんだんややこしくなってきて、もういいやとあなたは投げ出しそうになったかもしれない。そんなに全部覚えられないし、そんなものの細かい区別がついてどうなるんだと。確かにどうにもならない。自慢しても誰も誉めてくれないし、第一最後まで聞いてくれない可能性の方が高い。アゲハはアゲハでシオカラはシオカラでいいじゃないかと言われておしまいだ。できることなら私もそんな時代に帰りたいと思わないでもない。ただ、気になり始めると気になるもので、区別つかないとモヤモヤが乗って気持ちが落ち着かなくなる。分からないと自覚することが知ることの第一歩だ。もう引き返せないところまで来てるから、このまま行けるところまで行くしかない。目指せ、虫博士。いや、蟲博士と書くべきか。まだまだ先は長い。

 次回こそデンパークの全貌を暴く編へとつながっていくと思いきや、まだデンパークの花編でもうワンクッション置くことになりそうだ。実はデンパークへ行ってきたものの、どんなところだったかと訊かれてはっきり答えられるほどデンパークについてのイメージが固まってないのだ。なんとなく漠然とした感じで、とらえどころのないところだったから。なのでもう少し周辺から固めていって、最終的に本編を書こうと思っている。
 私自身、デンマークという国について基本的な勉強をしてから出直さないといけない。デンパークを語るにはまずデンマークについて知るべきだ。けど、デンパークは思いのほかデンマークではなく、私たちを戸惑わせることになるのであった。
 つづく。


第三のアプローチ方法、始めにソースありきのサンデー料理
2007年09月17日 (月) | 編集 |
ソース出発サンデー

Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II



 料理を作るアプローチ方法は大きく分けて二つある。完成した料理から逆算して食材を買い揃えるやり方と、手元にある食材から料理にしていく方法の二通りだ。毎日の食事を作っている人なら、この両方のアプローチを組み合わせて作っていることだろう。常に食べたいものを作るために食材を買い揃えていては無駄が出過ぎてしまう。食べたいものを作りつつ、余った食材を次の料理に使ったりするのは当然のことだ。
 実はこの二つの他に、アプローチ方法がもう一つある。それは、始めにソースありき、という発想だ。まずその日の気分でどんなソースを食べたいかを決めて、揃いそうな食材を思い浮かべつつ、どんな料理にしようかと考えるのだ。何を作ろうか献立に困ったときは、食材側からのアプローチよりもソース側から決めてしまった方が早い。味付けが決まれば食材は限られてくるし、調理法は最後に決めればいい。
 私が趣味の料理で気づいたのは、料理はソースで決まってしまうという身も蓋もない現実だった。どんな嫌いな食材も、加工して好きなソースで食べれば食べられてしまう。逆に、どんな好きな食材も嫌いなソースで食べたら美味しくない。食材とソースの相性というのはもちろんあるにしても、結局のところ何が食べたいかというのはどんなソースを食べたいかということなのだ。和食と洋食の違いも大部分はソースの違いでしかない。同じ材料でも味付けで和食になったり洋食になったりする。
 というわけで、今日のサンデー料理は3種類のソース作りから始まった。まずはホワイトソースを食べたかったのでメインは魚介類であっさり決まった。もう一つ、新しいソースとしてオーロラソースというのを試してみたかった。マヨネーズとケチャップをあわせたオレンジのソースだ。最後にもう一つ、取り合わせとしては合わないかもしれないけど味噌ソースを作ってみたくなったので、それにしてみた。そこまで決まればあとは手持ちの食材をベースに足りないものを少し買い足すだけだ。もう完成図は見えたようなものだ(ホントはよく見えてないのだけど)。

 まずは左奥のホワイトソースの魚介煮込みから。
 これは一番イメージからズレた。最初は乾いた魚介の上からホワイトソースをかけるつもりだったのに、最終的にはホワイトソース煮込みに仕上がった。私が注文を出して私が作ったのに、注文とは違う料理が出てきて私もびっくり。
 殻をむいたエビ、白身魚、鶏肉、タマネギ、マッシュルームをコンソメスープで下茹でする。それをフライパンに移してある程度焼いたものの、かなり汁っぽいままだった。いっそのこと別に作っておいたホワイトソースをこれに入れて煮込んでしまうことにした。こんなことになるなら最初からホワイトソースで煮込んだ方が早かった。無駄な遠回りをしてしまった。
 最後に牛乳たっぷり半熟のスクランブルエッグを上に乗せて完成となった。方向性としてはともかく、美味しかったことは美味しかったので問題はない。たぶん当初予定していた料理よりもこっちの方がよかったような気もする。

 右奥のオーロラソースは、料理自体は単純でひねりはない。ジャガイモをコンソメスープで煮込んで柔らかくして、フライパンに移してカニ缶と一緒に炒めただけだ。
 オーロラソースは、ケチャップとマヨネーズを半々くらいで混ぜて、しょう油を少し、カラシを加えて混ぜあわせる。加熱はしない。
 ジャガイモの上にとろけるチーズをたっぷり振りかけて、フタをしてしばらく蒸らして溶けるのを待つ。あとはオーロラソースをかければできあがりだ。
 ソースとしては美味しかったけど、料理としてはまだ工夫の余地がある。むしろジャガイモをゆがいてつぶして、団子にして揚げたものにかけた方がよかったようにも思う。白身魚のフライなんかにも合いそうだ。

 右手前は味噌ということで和食と思うかもしれないけど、中華に近いものとなった。
 大根と豆腐はだし汁で煮込んで柔らかくして、それを取り出して小麦粉をまぶして、フライパンで焼きを入れる。このときの油はごま油を使う。
 味噌スープは、赤味噌、だし汁、酒、みりん、砂糖、唐辛子、長ネギの刻み、ごま油を混ぜて、一煮立ちさせる。あとは豆腐と大根にかけるだけだ。
 この味噌スープは甘辛で美味しいのでオススメしたい。トンカツにかければ名古屋名物味噌カツになる。

 組み合わせとしては、思った通り味噌味が強すぎてやや全体のバランスを欠いた。ここをもっと単純にコンソメベースのソースにしておけば破綻のないものとなっただろう。けど、一つひとつはなかなかいいできて合格点だったと言える。味だけでなく趣味の料理としても、今の私のちょうどいい難易度だった。簡単すぎず、難しすぎず、作る楽しさも味わえた。問題がなさすぎて面白くなかったくらいだなんていうのは贅沢だろうか。
 さて、次はどんなサンデー料理を作ろうか。また再来週のサンデーにお会いしましょう。

魚焼き食パン

 今日のオマケは、食パンのススメ。
 私はあまりトーストが好きじゃなくてずいぶん長い間食べなかった。けど、美味しい食パンを買って美味しく焼けるトースターを買ったことでトーストに目覚めた。トースターで焼いたトーストは、オーブントースターで焼いたものよりずっと美味しい。火加減が違うのだろう。
 それでしばらくは喜んで食べていたのだけど、そのうちだんだん面倒になってきた。食べるといっても週に1度程度だから、トースターは使うたびにしまっていた。次に食べるときはそれを取り出して、コンセントをつないで、また使ったらしまうという行為が邪魔くさくなってきて、だんだんまた食パンから遠ざかるようになっていた。
 そんなときに出会ったのが、魚焼きグリルを使った方法だった。ガスコンロはいつでも使える状態にあるから、思いついたときすぐに焼くことができる。方法もごく簡単だ。アミははずして、しばらく空焼きしてグリル内を充分に温めておく。あとは受け皿の上に直接食パンを乗せて、一番弱火で裏表2分くらいずつ焼くだけでできあがる。トースターとは違って厚さの制限がないから厚切りトースターだってできる。
 この方法で焼くと、表面がカリカリで中身はふんわり柔らかの仕上がりになる。しっとりさせたければ、表面を霧吹きで吹くといい。中身までしっかり焼きたい場合は、アルミホイルを上からかぶせる。
 焼き上がったらあとは好きなジャムをたっぷりつけて食べるだけだ。私はデンパークで買ったデンマーク製のいちごジャムをつけて食べた。デンパークって何だと思ったかもしれないけど、それはまた近いうちに紹介したいと思っている。わざわざジャムを買いにデンマークまで行ったわけではない。
 というわけで次回はデンパークについて書く予定です。この食パンネタはデンパークへと続く前振りでもあったのだ。


夏の名残の花火大会はヘビ花火で幕が開き吹き出し花火で幕を閉じた
2007年09月16日 (日) | 編集 |
9月の花火-1

Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II



 上の写真を見て、すぐに正体が分かった人は30代、40代かもしれない。おお、これは懐かしいと思うことだろう。20代は知ってるだろうか、ヘビ花火のことを。
 私たちの子供時代において、ヘビ花火はシャレの一つとして確固たる地位を築いていた。おもちゃ花火の中ではもちろん中心を担うような花形ではなかったけど、冗談や笑いのネタとしてヘビ花火はいつも子供たちの身近にあった。
 あれからずいぶん長い年月が経って、ヘビ花火はどうなったんだろうと思ったら、いつのまにやらかなりマイナーな地位へと滑り落ちていたようだ。昔は駄菓子屋やおもちゃ屋なんかで普通に売られていたのに、今は探してもそう簡単に手に入らなくなっていた。いつからか子供たちに人気がなくなったのだろう。オークションで探してみても、出品が一つしかないところを見ると、今どきもう誰もやらなくなったらしい。その存在さえも遠い過去のキワモノとして忘れ去られてしまったのだろうか。
 けど、ツレが東急ハンズで見つけてきた。なるほど、あそこはこういうものを置いていそうだ。恥ずかしさに耐えて買ってみせたツレの勇気をたたえつつ、吉良ワイキキビーチで我々は夏の名残の花火大会を開くことになった。
 花火といえば当然夜暗くなってからなのだけど、ヘビ花火の場合は暗くなったら何も見えなくなってちっとも楽しくない。これだけは昼間にやらないと意味がない。これを花火の範ちゅうに入れてもいいんだろうかという疑問はひとまず棚上げにしておいて。
 はやる気持ちを抑えつつ、辺りをうかがい、人の目がないことを確認する。海辺でヘビ花火をする大人二人は客観的に見てかなり怪しい。というか、馬鹿っぽい。この姿を見られたらちょっと恥ずかしいので、人がいないタイミングを見計らってやらないといけない。わっ、なんだあれ、なんて言いながら子供が集まってきたら最悪だ。大人に見られたらくすくす笑いが起こりそう。
 よし、今がチャンス、着火オーライだ。よし、いけ、とばかりにヘビ花火に点火する。うわー、なんだこの煙は。怪しく黄色い煙がモクモク出てきて焦る二人。これは目立ちすぎるぞ。のろしを上げたみたいではないか。ホラ貝の音が聞こえてきそうだぞ。でも、おー、ヘビが伸びてきたー、わはは、これこれ、これぞヘビ花火だと大受けの私たち。何十年ぶりかで見るヘビ花火の勇姿は、子供の頃の記憶そのままだった。黒いニョロニョロは昔も今も何も変わってなかった。

9月の花火-2

 これがヘビ花火だ。ヘビ玉という商品名で売られていた。製造元が愛知県の西尾市というので驚いた。全国的にも製造業者は減っていることが予想される中、どうして西尾だったのだろう。西尾が特に花火の生産で有名というわけでもないのに。
 ヘビ花火なんかは販売価格も原価も安いものだから、100円ショップでも売ればいいのに。話のネタにでもと買っていく人がけっこういると思うけどどうだろう。でも、リピーターはあまり期待できそうにない。こんなもの、久しぶりに一回やったら充分だから。

9月の花火-3

 今回一番できがよかったのがこの双頭の蛇だ。2つ同時点火作戦で、いい感じに伸びていった。
 最後まで切れずに上手く伸びれば成功で、途中で切れてしまったら失敗だ。どういうふうに伸びるかはやってみなければ分からない。伸びる姿の変化がヘビ花火の面白さで、これが一定なら楽しさも半減してしまう。

9月の花火-4

 3個同時はグロテスクになって美しくなかった。2個がヘビ花火本来の姿を失わず楽しめる限界とみた。数十個同時になんてことを面白半分にやってみても、炎と煙でヘビの姿が見えなくなってしまう。もはやそれは違う遊びだ。一つずつニョロニョロさせるのが正しいヘビ花火のやり方に違いない。
 燃えている最中や燃え残りは、赤々と火を内部に保っていて近づくと怪我をしそうだ。噴火した溶岩のようでもある。伸びている最中のヘビを持つことは大変危険なのでちびっ子はしちゃいけないぞ。
 2袋のヘビ花をやりきって、すっかり堪能した私たちは、夏の名残の花火大会第一部を終えたのだった。たぶん人にも見られてないと思う。浜辺で怪しいものを燃やしているという通報もされずに済んだ。第二部は暗くなるのを待って、おもちゃ花火をやることになる。これまた何年ぶりか。
 最近は夏の公園などでも花火を楽しむ人が少なくなった。私たちが子供の頃は、毎日何組もの親子やちびっ子たちが公園で花火をしていたのに。それだけ昔は娯楽がなかったということか。テレビは一家に一台で、まだビデオも普及してなくて、テレビゲームもなかった。今振り返ると、毎日何をしてたんだろうと不思議に思うけど、あの頃はあの頃で毎日することがたくさんあって楽しかったはず。与えられることが少なかった分、自分から楽しさを見いだしていこうという積極性があった。今の時代に子供時代を過ごすよりも、あの頃過ごせたことは幸運なことだったと思う。昔と今と、別々の時代の両方の楽しみを楽しむことができたから。ヘビ花火もこうして、二度違う楽しみ方ができた。

9月の花火-5

 第二部は手持ち花火から静かに始まった。これまたとても懐かしい感覚だ。
 おもちゃ花火の撮影は初めてだったので、最初は全然勝手が分からず手探りでの撮影になった。ツレは右手で花火を持ちながら左手にコンパクトデジを持っての撮影という無茶なことになっていた。
 基本的にシャッタースピードを何秒くらいにすればいいのか予測がつかない。絞り開放のf1.8とかで撮ると、花火の明るさにつられてシャッタースピードが1/200とかの高速になってしまう。そうすると手ぶれはしなくても、花火の質感がうまく出ない。あとになって気づいたのだけど、手持ち花火の場合は、絞り優先ではなくシャッター速度優先モードにした方がコントロールしやすくなる。今回は最後までそれに気づかないまま終わってしまった。花火は時間が短いからあれこれ考えたり試したりしてる余裕はない。

9月の花火-6

 これなどもシャッタースピードが速すぎる。でも、偶然面白い写真になった。海の中の生物のような、宇宙を漂う生き物のような、不思議な世界だ。
 たまたま失敗から生まれた写真だけど、花火撮影は必ずしも花火らしく撮らなくてもいいということが分かった。速いシャッタースピードでも間違いじゃない。
 花火をやっている人と花火を一緒に写す場合は、ストロボでスローシンクロをすることになる。私はフラッシュ撮影はしないので、スローシンクロなんてやりたくてもできない。

9月の花火-7

 これも花火写真としては失敗だけど、写真としては気に入った。花火の光がネオンライトのようで儚くもあり、幻想的でもある。

9月の花火-8

 次は吹き出し花火だ。このへんの花火は昔のものよりも進歩して多彩な表現をするようになっていた。
 今回はセット買いをしたので、自分で選んだ花火ではない。夜の海岸で暗闇の中懐中電灯で照らしながら花火を選んでいたから、ほとんど闇鍋に近いようなものがあった。闇花火だ。短い時間の中で、手に持った花火を順番に点火していった。
 昔一番好きだったのが、パラシュート花火だ。打ち上げ花火と同時に落下傘が打ち上がって、それがゆらゆらと落ちてくるのを拾うのが楽しかった。なんでそんなことくらいであんなに楽しかったのかは、今となっては自分でも理解できない。もう一度思い出すために、今度パラシュート花火も買ってやってみようか。
 ロケット花火やネズミ花火なんていう派手なのはあまり好みではなかった。線香花火は時間が短くて、それがいつも残念に思ったものだ。今回も線香花火を何本かやってみたけど、風が強くてダメだった。すぐに玉が落ちてしまって。浜辺というのは実は花火にはあまり向いてないことにも今回分かったことの一つだ。吹きさらしで風を遮るものがない。

9月の花火-9

 吹き出し花火もシャッタースピードを何秒にするかで表現が違ってくる。速くすると火の粉の感じなって、遅くすると火が軌跡を描く。あまり長すぎるとわずらわしい感じになる。
 位置取りも難しくて、上がってみないとどの程度の大きさになるか分からないから、偶然を味方に付けるか、慣れるまで撮るしかなさそうだ。
 風に流されすぎてもあまりきれいにならない。

9月の花火-10

 高速シャッターで撮るとこうなる。これはこれで成立してるし、好みとしてはこういう弾ける感じの方が好きだ。
 今回で少しだけコツが分かりかけてきたので、次はもう少しいい写真を撮りたい。花火セットは遊びきれずにまだ半分残った。来月もう一度海へ行くから、そのとき再チャレンジしたいと思っている。

 何年ぶりか思い出せないくらい久しぶりの花火となったけど、やっぱり花火は楽しいものだ。やる前の予想よりもずっと楽しめた。打ち上げ花火にはない面白さがある。大人が二人でヘビ花火をしてはしゃいでいるのはどうなんだなどと反省してはいけない。楽しんだ方が勝ちなのだから。人に見られない範囲で。
 こうして夏の名残の花火大会は無事に終わった。吉良ワイキキビーチのみなさん、お騒がせしました。2007年の夏もそろそろ行こうとしている。今年は心おきなく夏を見送ることができそうだ。また来年と笑顔で手を振りながら。


岩屋堂完結編は花写真を並べて短文であっさり締めくくった
2007年09月15日 (土) | 編集 |
岩屋堂9月の花-1

Canon EOS 20D+Canon EF50mm f1.8II/EF75-300mm F4-5.6



 今日は岩屋堂で撮った花の写真をあっさり並べて終わる。というのも、さっきまで調子よく書いていたら途中でページが勝手にリロードされて、書いた記事が跡形もなく消えてしまったから。それですっかり力尽きた。FC2ブログは時々挙動不審になるから信用ならない。普段は気をつけてこまめに保存するようにしてるのだけど、今日は油断した。
 というわけで、文章はごく短くなる。またにはこういう日があってもいいだろう。毎日長文が続いてるから。

 一枚目の写真の花は調べがつかなかった。特徴のある花だから図鑑を調べればすぐに出てくるだろうと思いきや、意外にも手強かった。花としてはクサギに似てるし、色合いはシモツケっぽい。でも、もちろん両方違う。
 民家の前の道の反対側に咲いていたから、野草なのか人の手で植えられたものなのかも判断が難しいところだった。いや、草ではなく木の花だ。有名なのだろうか。
 そのうちひょっこり分かる日が来るだろう。

岩屋堂9月の花-2

 これはツルボ(蔓穂)だ。たぶん間違いない。
 島原川の土手にたくさん生えていた。花はまだこれからだ。薄ピンクのツルボが一斉に咲いて光を浴びている光景は、なかなか可憐できれいなのだ。地味だけど風情がある。
 昔は食糧難のときに食べられていたんだとか。

岩屋堂9月の花-3

 こういう思わせぶりでいて実は意味がない写真というのはあまり撮らないようにしようと気をつけてはいるのだけど、いざ自分が見つけるとやっぱり撮ってしまう。演出ではない偶然が面白くて。
 これにあと一つ要素が加われば意味のある写真になる。バックが真っ赤とか、光を浴びているとか、虫か何かが一緒に写ってたりするともっとよかった。

岩屋堂9月の花-4

 コケの緑に惹かれるのは日本人にある程度共通の感覚なのだろうけど、私もかなり好きな方だ。きれいに苔むしている光景を見ると、軽く気持ちが高揚する。わー、コケだ、コケだ、と言いながら走り出したりはしないけど。

岩屋堂9月の花-5

 さすがに紅葉まではまだ遠かった。モミジの葉も青々としている。
 やっと9月になったばかりだから、紅葉まであと3ヶ月はかかる。
 それにしても色の違いだけでここまで扱いが違ってくるのも面白い話だ。緑のときは誰も見向きもしないのに、それが赤に変わったというだけで大注目となる。
 でもまあ、それをいえば空だって海だって山だってそうか。世界は色に満ちていて、人は色によって一喜一憂する生き物だ。

岩屋堂9月の花-6

 蜘蛛シーズンももう終盤。蜘蛛がいなくなると森歩きで蜘蛛の巣が顔にかからなくなるから助かる。でも、蜘蛛にとってはそろそろ命の終わりが近づいたことを思うと、そう喜ぶ気にもなれない。
 巣を張るタイプは、エサとなる虫がいなくなれば当然生きていけなくなる。虫シーズンの終わりが自分たちの季節の終わりを意味する。秋に卵を産んで、その状態で越冬するものが多いようだ。蜘蛛の巣を張らないタイプは幼体で冬を越す。
 この蜘蛛の巣はだいぶボロボロになっていた。網目も破れて、障子や襖が破れたまま放置されている家みたいだ。もう今の時期から新しい巣を張り直す気力が持てないのかもしれない。

岩屋堂9月の花-7

 ユリも8月で終わりかと思ったら、9月になってもしっかり咲いていた。でも、タカサゴユリではありがたみがない。ユリはユリでも、これは美しさも気品もぐっと落ちる。
 今年もヤマユリをなんとか見られてよかった。その代わりササユリが見られなかったのが少し心残りだ。そういえばオニユリもほとんど出会わなかった。来年はしっかりユリフルコースを堪能したい。

岩屋堂9月の花-8

 これはダイコンソウでいいだろうか。相変わらず葉っぱを撮るのを忘れる。名前を特定するためには、花だけではなく葉や茎などの全体像も撮っておく必要がある。できればポケット図鑑でも持っていってその場で確認するのが一番早くて確実性がある。触った感じや葉っぱの裏などに特徴がある場合は、あとから写真を見ても区別がつけられないから。
 花の終わった姿に特徴があるから、たぶんダイコンソウでいいと思う。

岩屋堂9月の花-9

 散策路はい