 PENTAX K100D+PENTAX FA 18-55mm(f3.5-5.6)
京急の穴守稲荷駅から3、4分歩いたところに穴守稲荷神社はある。駅を出て、ローソンを斜め前に見ながら右へ進むと、左手の方にそれらしい建物が見えてくる。昨日の写真にあった自販機を見つけたら、その道は間違ってないことになる。まさかああいうのがあっちにもこっちもあるというわけではあるまい。 穴守稲荷に関しては、行く前から下調べをして行ったわけではなく、帰ってきてから勉強して、その変遷を知ることとなった。予備知識なしに行った感想としては、なかなか立派なところだけど、それほど神聖な空気感というのはたたえてないなというものだった。全体的に古いような新しいような微妙な違和感を感じたのも、ここの経緯を知って納得した。歴史の積み重なった古さではなく、昭和の古さだったのだ。単純に木造家屋が古びてしまったあの感じと同じものだった。
穴守稲荷はもともと、現在の羽田空港がある場所に建っていた。 江戸時代後期の1800年頃、あのあたりが干拓されて漁師などが住み着くようになり、1804年に海の災害から家や人を守ってもらうために稲荷大神を祀ったのが穴守稲荷のはじまりとされている。 穴守の名前は、1819年に大津波で堤防に穴が開いても田畑が守られたところからそう呼ばれるようになったんだとか。 きちんとした社殿ができたのは明治18年(1885年)のことで、それから一般の参拝客が増えだして、そこへもってきて明治27年に和泉茂八という男が温泉を発見したことで、稲荷を中心として江戸の歓楽地として発展していくことになる。門前には料亭や旅館が建ち並び、稲荷さんは徐々に海難の神様から商売の神様への性格を強めていく。 明治35年(1902年)には、京浜電車が蒲田から穴守まで開通して、門前は大いに賑わったそうだ。後半は健康な行楽地というよりも茶店や賭場などが建ち並ぶ荒っぽい場所だったようだ。羽田空港のあたりがそんな歓楽地だったとは、今となってはちょっと信じられない。 夏目漱石の『我輩は猫である』にも穴守稲荷のことがちらっと出てきている。知り合いが穴守稲荷で河豚(ふぐ)の提灯をみやげに買ってきてくれたというエピソードとして。 大正6年(1917年)、羽田に日本飛行学校ができ、昭和6年(1931年)に現在の羽田空港である東京飛行場ができた。ただ、まだそのときは穴守稲荷は動いていない。動かされたのは戦後のことだ。 GHQが羽田空港を占領して、米軍が使うには狭すぎるということで突然拡張を宣言した。穴守稲荷も、近所の住民も、48時間以内に強制撤去命令が出された。住民はほとんど家財道具も運び出せないまま追い出されてしまい、穴守稲荷も急な引っ越しということになった。そりゃないぜ、マッカーサー。神社は急には動けないぞ。 とりあえず羽田神社に合祀ということにして、その後昭和23年(1948年)に地元有志の尽力で現在の地へと移ってきたのだった。しかし、仮社殿から再建されるまでにはさらに17年の時を要している(昭和40年)。 ここまで分かって、あの様子の意味が理解できた。なるほどあれは築40年くらい経った感じの古び方だったのだなと。 ところで1999年以前の羽田を知っている人なら、羽田空港の駐車場に不自然に大きな赤い鳥居が建っていたことを覚えているかもしれない。あの場所がもともとの穴守稲荷があったところだったのだ。どうしてあの鳥居だけあそこに残ってしまったのか。実はあの鳥居だけは動かそうとするとブルドーザーが壊れたり、工事関係者が怪我をしたりと不吉なことが続いたので、タタリを恐れて移動させるのをやめてしまったのだった。平将門の首塚と話が似ている。 その後、1999年に羽田空港が滑走路を増やすということで、いよいよ取り壊されることになった。しかし、ここでまた地元の人たちが立ち上がった。工事費2,000万円を集めて負担することで残されることとなったのだった。取り壊していたらまた何かが起こっていたかもしれない。現在は800メートルほど移った弁天橋の近くで、柵に囲まれて建っている。 すごく前置きが長くなったけど、そろそろ鳥居をくぐって中に入ることにしよう。
 民家が建ち並ぶ中に無理矢理押し込めてしまったような作りになっているから、どこからどこまでが神域でどこからが通常域なのか、区別がつきにくい。すぐ後ろに見ているのは神社の関係の建物なんだろうか。 境内の配置は一般的な神社のものだ。鳥居があって、手水舎があって、拝殿、社務所などがある。 でも、なんとなくしっくりこないのは何故だろう。地面の感じが違うのか、空気が密度不足なのか、神社特有の居心地の良さみたいなものが感じられなかった。
 お稲荷さんだから神の使いは狛犬ではなくキツネさんだ。子供を抱えたお母さんキツネと、お父さんキツネで左右を守っている。
 祭神が豊受姫命(トヨウケビメ)というのがちょっと変わっている。これは伊勢神宮の外宮で祀られている女の神様だ。 稲荷神社の総本宮は言わずと知れた京都の伏見稲荷大社だ。全国に4万もあるという稲荷神社の総元締めとなっている。そこで祀られているのが、いわゆる稲荷大神と呼ばれる宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)だ。 もう一つの大きな山として、愛知県にある豊川稲荷がある。あそこではインドの女神である荼吉尼天(だきにてん)が祀られている。神仏習合思想においては荼吉尼天が本来の稲荷の神様であるという話もある。 穴守稲荷はそのどちらの流れもくんでいない。神社の中にある稲荷さんで豊受姫命を祀っているところはあっても、こうして単独で祭神にしてるところはあまり多くない。ただし、稲荷と書くようにお稲荷さんは稲、つまり穀物の神様だから、衣食住を受け持つ豊受姫命は決して不自然というわけではない。力のある神様だから、味方に付ければ心強いのは間違いない。 ここの神社はもともと正当な稲荷の流れにあったところではないので、途中でいろんな神様を取り込んで、ちょっとごた混ぜになっているところがある。奥に進むといろんなお稲荷さんが並んでいる。開運稲荷、出世稲荷、必勝稲荷などなど。受験を賭とみるなら、ここへ来て片っ端からお願いしておけばどこかで引っかかりそうな気もする。 羽田の海にあった頃は、近くの海岸の砂を持ち帰って家の庭などにまくとご利益があるとされていたそうだ。甲子園の土みたいだ。福砂などいう名前で売られたりもしていたらしい。
 こちらは神楽殿だ。昭和43年に建てられたもので、節分、初午、秋季大祭の年に3回使われるそうだ。普段は赤い柵で囲まれていて近づけない。
 帰り際に振り返ったら、夫婦連れらしき二人組が参拝に訪れていた。この場所までわざわざ遠くから観光気分で訪ねる人はそう多くないと思うけど、地域住民には大事にされているのだろう。年末年始は京急が深夜まで時間延長して走らせているそうだから、初詣客もけっこう多いのかもしれない。 かつては賑やかな歓楽地にあって参拝客がひっきりなしだったろうけど、今では地域住民のための守り神となった。豊受姫命は昔を懐かしむ気持ちもあるだろうか。いまだにGHQめー、なんて思ってるかな。 歴史の中で浮き沈みがあり、時代が変わって、歳月が流れた。それでも続いていくことが一番大事なことで、それは昔も今も変わらない。激動の昭和を乗り切り、今は穏やかな平成の時代になった。けどそれもいつまで続くか分からない。もっと激しい時代がこの先やってくる可能性もある。そのときでも、互いに支え合う気持ちがあれば、きっと乗り越えていける。困ったときはお互い様、弱い者が強い方を助けてもいい。人が助ける神社があってもいい。 穴守稲荷はそんなことを感じさせるために私を呼んだんじゃないだろうか。
|