現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
ついでというにはちょっと遠いけど行く価値は充分にある書写山円教寺<前編>
2007年10月20日 (土) | 編集 |
円教寺1-1

Nikon D50+SIGMA 17-70mm F2.8-4



 姫路観光の目玉として姫路城の他に書写山円教寺(しょしゃざん・えんぎょうじ)がある。神社仏閣に興味がない人にとってはそんなところ行かなくてもいいやと却下されてしまいそうなところだけど、近年NHKの大河ドラマ「武蔵」や映画『ラストサムライ』のロケ地になったことで脚光を浴びるようになった。トム・クルーズや渡辺謙が撮影をした場所となればちょっと興味が湧く。せっかくだから足を伸ばして行ってみようではないかということになった。
 しかしこれがちょっとついでにというわけにはいかなかった。上の写真を見てもらえば分かるように、ロープウェイを使って行かなくてはいけないような険しい山の上にあるお寺なのだ。姫路で一番高い書写山(371メートル)山頂にそれはある。歩いても山登りできるそうだけど、観光で行って山登りしてる場合じゃない。ロープウェイを使えばたった5分だ。その前に姫路駅からバスで30分近くかかるのだけど。
 バスはターミナルから書写山ロープウェイ駅行きというのが出ていて、往復のバス代とロープウェイ代がセットになった割引チケットが売っている。1,200円くらいだったと思う。
 そんなこんなでなんとかロープウェイに乗って、いざ参拝だ。

円教寺1-2

 それにしてもロープウェイに乗るなんてずいぶん久しぶりだ。いつ以来か思い出せない。子供の頃の御在所ロープウェイに乗って樹氷を見て以来かもしれない。
 この日は空気澄んでいて遠くの海まで見渡すことができた。風が強くてけっこう揺れた。確かこのロープウェイ、途中で止まったことがあったはずだ。そんなことになったら失神してしまいそうだ。高所恐怖症の人はたぶん乗れない。

円教寺1-3

 山上駅に着けばもう着いたも同然かといえばそうではない。目的のお寺まではここから登りで20分歩かねばならない。円教寺は甘くないのだ。でも軟弱な人用にここから手前まで行くマイクロバスが用意されている。往復のバス代と入山料、食堂(じきどう)拝観料がセットになって1,000円なので、迷わずバスを選んだ。歩きたくないわけじゃなく、帰りの時間が迫っていて時間がなかったからだと一応言い訳をしておく。でもバスに乗って正解だった。あの道はけっこう厳しい。姫路城でだいぶ歩いたあとだけに、山歩きは深いダメージになる。ただし、バスは揺れに揺れる。道が山道でガタゴトなので、おしゃべりに夢中になってると舌を噛みそうだ。バスの中で口紅を塗ろうなどとしてはいけない。着いた頃には顔中赤い落書きだらけになっている。半分折れた口紅が鼻の穴に刺さってるかもしれない。

円教寺1-4

 姫路駅からあれやこれやで1時間ほどかかってようやく目的地に到着した。やれやれといったところだけど、こいつを見ればそんな気持ちも吹き飛ぶ。わー、すごいとあちこちで声が上がった。私も思わず、おーとうなった。
 磨尼殿(まにでん)と呼ばれる巨大建築物が崖の上にそびえ立ってこちらを見下ろしている。京都の清水寺を下から見たようなものだ。写真ではそのスケール感が伝わらないのだけど、これは圧巻だった。
 創建は970年。この場所にあった桜の木に天界人が降りてきたのを見た性空上人が、その木に如意輪観世音を刻んだことでそれが本尊となり、そのままそこに本堂を築いたのでこんな崖の上に建てることになったとされている。こういうのを懸造り(かけづくり)というそうだ。
 何度か火事で焼けたあと大正10年に全焼してしまう。現在のものは昭和8年に武田五一の設計で再建されたものだ。そう聞くとちょっとありがたみがなくなるけど、それでもこの立派さは本物だ。

円教寺1-5

 近づいて見てみると、木組みがすごいことになっている。マッチで作った建物の拡大版みたいだ(たとえが正しくない)。こういうふうに木を組み合わせるだけでこんな建物ができるとういのは不思議でもありすごいことでもある。日本人の木造建築のセンスというのはどこから来たものなのだろう。こういう巨大なものを建てたのも驚きだけど、千年以上も前にこういう建築物の構造を思いついたのが素晴らしい。

円教寺1-6

 書写山円教寺は、比叡山、大山と並んで天台宗三大道場のひとつとされ、西の比叡山とも呼ばれている。一般的な知名度は低いけど、歴史があり、意外な有名人も多く関わっている。こんな地の山上にありながら、天皇をはじめ皇族との関わりも深い。西国三十三箇所の中で最大の規模を誇っている。
 創建は平安時代中期の966年。京都の貴族の子として生まれた性空上人(しょうくうしょうにん)は、36歳のときに遅い坊さんデビューを果たす。長い間九州で修行をして、だいぶ名前が知られるようになったものの、それでもまだ足りないと九州をあとにして旅に出る。京都へ向かう途中、姫路のこの場所でビビビと来たという。導きがあって何か感じるものがあったのだろう。ここをすみかと定めて再び修行が始まった。性空上人57歳のときだ。
 質素な草庵を結んで、普賢菩薩の絵をかかげたのが円教寺の始まりとされている。正しく書くと、書寫山圓教寺。
 山の上の寺院としての姿が整い始めるのは、性空上人が入山してから20年近く経った985年に法華三昧堂が建立されてからだった。性空上人の名は京都でも知られるようになっており、翌年天皇職を退いた花山法皇が参詣してきた。そのとき圓教寺という名を授けられることになる。
 それから1007年に性空上人が98歳で死ぬまでに少しずつ建築物が増えていき、やがては大伽藍寺院となった。講堂をはじめ、常行堂、多宝堂、大経所、鐘楼などは性空上人が生きている間に立てられたものだ。その後も跡を継いだ弟子の延照が開山堂を創建するなど、鎌倉、室町、江戸と、浮き沈みを経ながら歴史を積み重ねていった。
 伽藍は失火や落雷などで何度か燃えて再建されたものもあり、されなかったものもある。かつては五重塔や多宝塔もあったそうだけど、それはもう残っていない。

円教寺1-7

 最初の摩尼殿の本尊になった六臂如意輪観音像は焼けてしまい、性空上人が同じ桜の木で彫っていた六臂如意輪観音像が現在の本尊となっている。それは秘仏とされ、普段は見ることができない。本尊を守る四天王像も一緒に安置されていて、年に一度1月18日の修正会のときのみ公開されるそうだ。
 摩尼というのは、梵語でどんな願いもかなう如意宝珠のことをいう。摩尼殿は一般的な位置づけとしては観音堂のことで、本堂は更にこの奥にある。

円教寺1-8

 摩尼殿の舞台の上は清水寺のように広くはない。大勢が集まったら傾いてみんな転げ落ちていきそうだ。清水の舞台から飛び降りるというのはあっても、摩尼殿の舞台から転げ落ちるのは嫌だ。ちなみに、清水の舞台から飛び降りてもけっこうな確率で助かるらしい。自分で試してみようとは思わないけど。
 だいぶ日が傾いてきて帰りの時間が迫ってきた。ここからは少し駆け足での見学となる。姫路城と円教寺を一日で回るのはけっこう慌ただしい。

円教寺1-9

 西日を浴びた石仏がきれいだったので撮ってみた。顔も美しく、彫りも繊細だ。凝った帽子と衣装もなかなかのオシャレさん。

円教寺1-10

 摩尼殿をいったん降りて左手(西)へ進む。この先に『ラストサムライ』で出てきた講堂などがある。その空間は予想以上に素晴らしいものだったのだけど、それはまた次回の話となる。
 上の写真も雰囲気のあるいいところだった。コケ好きの私としてはたまらない。鎌倉でよく似た寺を見たのを思い出した。
 明日はこの続きで、三堂の紹介をしたいと思っている。
 つづく。




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