現身日和【うつせみびより】
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春日大社と鹿と奈良の関係が腑に落ちた <奈良シリーズ第四回>
2007年11月30日 (金) | 編集 |
春日大社-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 今日は奈良を代表する寺社の一つ、春日大社(かすがたいしゃ)について勉強しつつ書いていきたいと思う。
 奈良観光でははずせない有名スポットでありながら、春日大社そのものについては意外と知らない人が多いんじゃないだろうか。いつ誰が造ったのかとか、祀られている神様はどんな神なのかとか、どこからどこまでが春日大社なのかもはっきりしない。私自身も、御利益がなんなのかも知らずにお参りだけしてきたのだった。
 帰ってきてから調べたところによると、やはり創建は平城京ができたときだった。
 聖徳太子が活躍したのが飛鳥時代で、その時代の最後に造られたのが藤原京だった。710年、平城京遷都。ここに奈良時代が始まる。細かいことをいえば、この前後で何度か都は移っている。それだけ国が不安定だった証拠だ。
 784年に長岡京遷都、10年後にはなくようぐいすでおなじみの平安京へと都が移っている。
 そんな時代背景の中、春日大社が創建されたのは768年だった。もともとは710年の平城京遷都の際に、藤原鎌足の子である藤原不比等(天智天皇の子という説もあり)が、藤原氏の氏神である武甕槌命(タケミカヅチノミコト)を春日の御蓋山に祀って春日神としたのが始まりとされている。
 現在のように本格的な社殿ができたのが768年で、藤原永手が茨城県の鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、千葉県香取神宮から経津主命(フツヌシノミコト)、大阪府枚岡神社から天児屋根命(アメノコヤネノミコト)と比売神(ヒメガミ)の4神を春日の地に迎えて祀った。もともとは藤原氏の氏神を祀る神社だったのだ。
 それ以前にもこの地で神を祀っていたという記録もあって、はっきりしたことは分かっていないようだ。
 平安時代に入ってからは藤原氏の興隆と共に栄え、造営が繰り返され、現在のような規模になった。神仏習合の流れもあってしだいに興福寺とも合体するようになり、一時は興福寺が春日大社の実権を握っていた時期もあったようだ。
 皇族や貴族の春日詣も盛んとなり、天皇もたびたびここを訪れ、寺社としての格も上がっていった。
 中世以降は、武家や庶民にまで信仰が広がって、日本全国で春日神社が建てられるようになる。現在でも1,000社ほどがあるという。

 とまあ、こんな歴史があったわけだ。ここまでで一つ分かったことは、どうして奈良に鹿かということだ。鹿島神宮の神の使者といえば鹿で(鹿島アントラーズを思い出す)、そこから神様を呼んだとき、向こうの神が白い鹿に乗ってたくさんの鹿を引き連れて1年がかりで奈良の春日までやって来たという伝説があって、そこから春日大社といえば鹿ということになったようだ。
 実際、平安時代からこの場所にはたくさんの野生の鹿がいたようで、平安貴族は鹿を見ると神の使いということで鹿に向かっておじぎをしたんだそうだ。それをマネて鹿もおじぎをするようになったのだとか。彼らは鹿せんべい欲しさにおじぎの芸をしているわけではないのだ(たぶん)。現実に、おじぎをする鹿は日本でも世界でも例を見ないというから、まんざら作り話でもないかもしれない。
 かなり前置きが長くなったけど、そろそろ本殿に向かって進むことにしよう。上の写真は二の鳥居だ。入り口にあるはずの一の鳥居は修理中とかで取っ払われてなくなっていた。ちょっとびっくり。

春日大社-2

 手水舎では大きな鹿が口にくわえた筒から水を出している。趣向は面白いけど、水が飛び散る。手を洗うときデジを濡らさないように気をつけないといけない。
 参道の両脇にはいろいろな形をした石灯籠がずらりと並んでいる。これはとても春日大社らしい光景で好きだ。
 ひとけのない静かな参道もいいけど、この日のように人が多くて賑やかなのも悪くない。春日大社はけっこうな人気だった。

春日大社-3

 長い参道を10分ほど歩いただろうか。ようやく本殿前の南門の下までやってきた。この先撮影禁止なんてのがないのがいい。そういえば、奈良では撮影禁止の場所はなかった。宝物庫などはダメなんだろうけど。
 奈良の寺社は意外と明るい。陽気な気に満ちている土地だ。怨霊が跋扈していたという平安京とは違い、奈良にはそういう暗さがあまりない。春日大社も、神域というよりも親しみやすい神社の雰囲気だった。

春日大社-4

 色鮮やかな朱塗りの南門。当然のように重要文化財に指定されている。ここは本殿4棟が国宝指定されている他、重要文化財の宝庫となっている。たいての建物は重文指定だ。それでもなんというか京都のように居丈高な感じがしない。私が奈良好きなのは、奈良が威張っていないところだ。京都が必ずしも威張っているというわけではないけれど。
 春日大社ができた当時は、この場所には鳥居が建っていたそうだ。現在の楼門になったのは1179年という。それでも平安末期だから充分古い。

春日大社-5

 春日大社はとてもいい神社だけど、案外フォトジェニックではない。撮りどころがあまりないような印象を受けた。私がうっかり中門を撮り忘れたということもあるのだろうけど、どこを撮れば様子が伝わるのか考えてしまいがちだった。ネットの写真を見ても、春日大社の全容や主要ポイントは見えてこない。ひとつには本殿が隠れて見えないということもあるだろう。
 しょうがないのでこんな石灯籠と紅葉でも撮ってみる。とにかくここは石灯籠がめったやたらに多い(全部で約2,000基だそうだ)。

春日大社-6

 朱塗りの門や廻廊とは打って変わって、神拝所はぐっと地味で質素な造りになっている。本殿もそうだ。こちらの色合いの方が本来の春日大社の色だったのだろう。朱塗りは平安時代になって後付けされた色だ。
 神拝所は幣殿と舞殿が一棟になっている。この奥が本殿で、第一殿から第四殿まで四つの社が横に並んでいる。裏手にまわると屋根の一部がちらりと見える。本殿に入るには申し込みをして特別拝観料を払わなくてはならない。
 本殿は切妻造で、少し変わった春日造と呼ばれる様式になっている。通常の神社建築ではなく、仏教建築の影響を受けているとされている。現在のものは江戸時代(1863年)に建て替えられたものだ。
 ところで春日大社の御利益って何だろうという疑問の答えが見つからなかった。4人も神様がいて、境内には60以上の摂社・末社があるから、何かお願いすれば誰かが聞き届けてくれそうにも思うけど、一番メインとなるものは何になるのだろう。日本で唯一という夫婦大国社は縁結びの神として知られているけど、それがすべてではもちろんない。第一の神であるタケミカヅチは、一般的には戦の神だ。何かの戦いに勝ちたいわけではない。いや、災いと戦うという意味ではタケミカヅチに力を借りるのは筋違いではないか。
 願い事は自己確認ということでは、お参りの対象は誰でもいいといえばいいのかもしれない。

春日大社-7

 これも春日大社では欠かせない釣燈籠だ。直会殿(なおらいでん)にかかる釣燈籠は1千基だそうだ。多くが寄贈なのだという。古くは平安時代の関白藤原頼通の瑠璃燈篭から江戸庶民のものまで、皆様々な願いが祈りを込めて贈られたものだ。
 毎年2月の節分と、お盆8月14、15日には万燈籠が行われ、境内にある1,000の釣燈籠と、2,000の石燈篭が一斉に灯される。その光景はさぞや幽玄だろう。

春日大社-8

 境内にはご神木や巨木がたくさん立っている。古くから神地だっただけに、そのまま切られずに残ったのだろう。ある一定以上の巨木に対して、人は自然と畏敬の念を抱くようにできているらしい。それは信仰心とは関係ない。
 春日神社の裏手には春日山原生林が広がっていて、あちらもかなりすごいらしい。今回は時間がなくて行けなかったけど、紅葉の季節は特に素晴らしいというから、いつか機会があれば歩いてみたい。

春日大社-9

 寺社の境内に鹿がさりげなく溶け込んでいる風景こそ最も奈良らしい。しばらく奈良で過ごしていると、目に映る範囲のいたるところに鹿がいるのが当たり前になってくる。違和感がなくなる。このあたりに住んでいる人は、逆によそへ行って鹿がいないと何か物足りないような思いがするんじゃないだろうか。

 やっぱり春日大社はいいところだ。前回はひっそりした平日の春日大社を見たけど、今回は週末の紅葉シーズンで賑やかな春日大社を見ることができた。だいぶ印象も違った。
 どこがどういいというわけではないのだけど、境内の中にいると安心感があって心穏やかになる。それは奈良そのものが持っている空気感でもあるし、私自身と奈良との相性の良さでもあるのだろう。普通の観光とはちょっと違った感覚がする。
 近しいようで実際はよく知らなかった春日大社についても、今回勉強したことで多少分かるようになった。どうしてここに鹿がいて大事にされているかもようやく腑に落ちた。前回書いた、早起きは三文の得というのが奈良の鹿に由来するという話は半信半疑だけど。
 今後の奈良シリーズは、興福寺、東大寺、その他編へと続いていく予定になっている。今回の奈良行きでは鹿とたわむれることが第一の目的だったので、寺社はあまり回ってない。途中で飛ばしたところもあるから、シリーズとしてはあと3回か4回だろうか。もうしばらくおつき合いください。
 つづく。


タワーズライツ2007で気の早いクリスマスシーズンが開幕した
2007年11月29日 (木) | 編集 |
名古屋駅の冬の光景-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 名古屋駅にセントラルタワーズができたのが1999年。タワーズライツと銘打って駅前でクリスマスイルミネーションが初登場したのが2001年のことだった。それから今年で7年目。年によって好評と不評の浮き沈みがありつつ、2007年も11月8日からタワーズライツ2007が始まった。
 こういうものはたいてい年を追うごとに派手になって洗練されていくものなのに、ここのイルミネーションは出来不出来の落差が激しい。毎年楽しみ半分、あきらめ半分でこの季節を迎える。そういうところが名古屋らしいといえばらしい。
 始まった2001年は、初めてということもあって今振り返ってみるとまだおとなしかった。電飾の色も単色に近く、派手な仕掛けなどもなかった。2002年は前年のバージョンアップという感じで、SLのデコレーションなども増えてだいぶ賑やかになった。
 2003年はよかった。一気に色も増えて華やかになり、デザインも素敵だった。SLに加えてメリーゴーランドなども登場した。この年がこれまでの歴史の中で最高の出来だったんじゃないかと個人的には思っている。
 期待した2004年はなんともショボかった。翌年に愛地球博を控えてそれどころじゃなかったのか、地味な白いツリーが3本立っているだけで、色的にも寂しく、バックのスクリーンに降りそそぐ雪の仕掛けだけではなんとも寂しいものがあった。毎回コンセプトがあって、この年は「年の瀬を心豊かに」だった。
 2005年のテーマは「星降る街で逢いましょう。―夜空と光たちの語らい―」で、このときはまずまずよかった。相変わらずメインは白いツリーだけだったけれど、バックのスクリーンにさまざまな星座が映し出される仕掛けで、見ていて楽しめた。正面のイルミネーションの他に光のプロムナードが始まったのもこの年からだ。
 2006年はがらりと趣向を変えて、巨大プロジェクターに映像を映し出すというスタイルになった。テーマは「いつかどこかで・誰かどこかで」。世界各国のクリスマス風景の映像が映し出されるといったものだった。これは一般的な評判はよくなかったようだ。映像ならテレビでも見られるのに、こんな寒空にじっと立って見てなどいられないし、見たいのはイルミネーションなんだと思った人も多かったことだろう。
 そして2007年。今年は原点回帰というか、当初のスタイルに戻してきた。ツリーの後ろに色鮮やかなお城というのは悪くない。見た目もきれいで、時間になると花火が打ち上がる仕掛けも楽しい。テーマは「ようこそ!温もりとときめきのファンタジーワールドへ」だそうだ。なんとなくディズニーのパクリっぽい気がしたのは気のせいだろう。
 期間によってバックの仕掛けが変わるんだとか。今回のバージョンは11月いっぱいで、次がクリスマスバージョン、その後は最終日の1月6日までが第三弾となるらしい。クリスマスにはサンタも登場するというから、チャンスがあれば見てみたいと思っている。
 点灯時間は夕方の5時から11時までで、時間が来るとバタンという感じで突然電気が落ちるという。ホームパーティーで盛り上がっていたらブレーカーが落ちて真っ暗みたいな。それまで甘いムードだったカップルも急に夢から覚めたように現実に戻ってしまいそうだ。11時というのが夜が早い名古屋を象徴している。

名古屋駅の冬の光景-2

 タワーズライツを楽しむのは後回しにして、まずはミッドランドスクエアに登ることにした。
 名古屋駅前にできたトヨタや毎日新聞などが入った超高層ビルで、オープンしたのが2006年の10月だから、もう一年前のことになる。前々から行こういこうと話していて延びのびになっていた。今年の3月には映画館などが入った商業棟も全面オープンとなった。目指すのは展望台であるスカイプロムナードだ。
 眼下にはタワーズライツがよく見える。ミッドランドスクエアの高さは247メートルで、タワーズを2メートル抜いて中部地区で一番高いビルになった。41階までの直通エレベーターは、「世界初のシースルー・ダブルデッキ・シャトルエレベーター」だそうだ。世界初という冠がどこにかかるのかよく分からないのだけど、とにかくシースルーで外がよく見える二階建てのエレベーターであることは間違いなかった。上下2フロアーに同時に止まって一度に大勢の人間を乗せて運べるようになっている。
 41階までは40秒と超高速で、動きも非常になめらかだ。ほとんど振動もない。その代わり耳がツーンとする。速すぎて最初の加速感も不安になるほどだ。ちょっと近未来を感じた。

名古屋駅の冬の光景-3

 ここの最大の売りは、日本一高いオープンデッキ展望台だということだ。サイドはガラス張りなものの、天井は全面的にオープンしている。その意図は今ひとつ理解できない。夏は暑く、冬は寒い。おまけに雨が降っても傘を差すことが禁止されている。ではどうするかといえば、カッパを着ろということらしい。そんなアホな。雨降りでカッパを着ながら展望台で名古屋の街を見下ろすなんて、考えただけでも楽しそうじゃない。そんなデートについてくる女の子はめったにいない。通路の部分は雨を防げるのだろうけど、あえて天井をオープンにした戦略的意図はどのあたりにあったのだろう。単に日本で一番高所のオープン展望台と言いたかっただけなんじゃないか。開放感とかそういう問題ではない。
 エレベーターを降りてから展望スペースまで行くのもちょっとややこしいことになっている。エレベーターで下りたところが41階で、エスカレーターで42階に上がってチケットロビーでチケットを買って、更にエスカレーターで46階まで上がって、出口は44階になる。なんでと思うのだけど、スカイプロムナードは下り傾斜の回遊式になっていて、歩いていると自然と下の階に移動しているということになるからだ。結果的に展望室は220メートルくらいとなって、セントラルタワーズの展望台より低くなってしまっている。
 ところでそのセントラルタワーズ展望台だけど、私が知らない間に営業終了となっていた。さっき知ってびっくりした。一体いつの間に!? 私が行ったのは、2001年だったか2002年だったか。最初は大評判で名古屋中の人間が登ったんじゃないかというほどだったのに、冷めやすい名古屋人気質にしてやられて、2005年の10月で閉鎖になってしまっていた。あれだけ大規模な展望台がオープンから6年やそこらで終わってしまうなんてことは他ではなかなかないんじゃないだろうか。
 そんなわけで、現在名古屋で一番高い展望台はミッドランドスクエアのスカイプロムナードということになっている。700円はまあ妥当なところか。

名古屋駅の冬の光景-4

 360度の展望で眺めは最高なのだけど、写真を撮るには障害物が多すぎる。柱なのか壁なのか、広角に撮ろうとすると左右が遮られてしまって広く撮れない。こういう場所柄、夜景写真を撮ることは当然なのだから、設計の段階でそこは折り込むべきだろう。全面的に広くする必要はなくても、写真用のスペースは作っておくべきだった。根本的にここの設計者は何かが間違っていると思う。後ろの光の映り込みもあって、全般的に写真が撮りづらいところだ。
 設計でいえば、座る場所が少ないのも不親切だ。しかも、冷たい金属のベンチしかないから、尻が冷たくてしょうがない。上からは風が吹き込んでくるしベンチは冷たいし、長居してくれるなということか。確かに、セントラルタワーズではふかふかのベンチを置いてしまったことでカップに長時間占拠されて問題になっていたけど、もう少し快適に過ごすための心遣いが欲しかった。ソファーでは雨が降ってきたら一発でダメになってしまうということもあるけど。

名古屋駅の冬の光景-5

 こちらは駅西方面。オーバー露出にすると、ネオンきらめく未来都市のようになって面白い。実際の名古屋はこんなにも明るくない。
 名古屋モード学園のスパイラルタワーズもだいぶできてきた。名古屋嬢のクルクル巻きヘアーのような格好で空に向かって伸びていく。
 完成予定は来年の3月。これができれば名古屋で5本目の超高層ビルということになる(セントラルタワーズを2本として)。
 駅方面以外の夜景の見所としては、テレビ塔、東山のスカイタワー、ライトアップされた名古屋城あたりだろうか。プロ野球シーズンで試合があればナゴヤドームも見られるはずだ。
 昼間は遠く名古屋港や猿投山などまで見渡すことができる。

名古屋駅の冬の光景-6

 スカイプロムナード名物のひとつとして、ミストショーがある。時間になると足下から霧が出てきて、それを様々な色が染めていくという演出だ。なかなか幻想的でいい。霧というかドライアイスのような感じだ。
 時間は18:30、19:30、20:30、21:30の4回。どうしても見なければいけないようなものではないけど、ちょっとした演出としては面白い。

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 ミッドランドスクエアを降りて名古屋駅の方へとやってきた。
 ここは左手のタワーズガーデンの手前で、ちょっとしたイルミネーションで飾られている。このあたりも全部含めてタワーズライツというのだろうか。
 この日は日曜の夜ということで大勢の見物客が訪れていた。カップルも多く、あたりは浮かれ気分の雰囲気に支配されている。まるでもうクリスマスのようだ。みんなずいぶん気が早い。
 ただ、まだ寒くないから、イルミネーションを楽しむなら今の内の方がいいのかもしれない。クリスマスや年末年始は身動きもままらないほどの混雑になるらしいし。

名古屋駅の冬の光景-8

 こちらはタワーズガーデン。このイルミネーションは今年から始まったようだ。たぶんここは花壇があるところだと思う。
 庭園風になっていて、テディベアやペンギンなどの光のオブジェがあったり、ベンチも置いてあって座って眺めることもできる。ただし、こんなところでカップルで座っていると格好の被写体となってしまうのは避けられない。このカップルだらけの状況中、一人で来て三脚で撮っているツワモノもちらほらいた。すごい。旅行や仕事帰りの勤め人やOLさんたちも携帯で写真を撮っていた。

名古屋駅の冬の光景-9

 光るペンギンさんと、後ろはミッドランドスクエア。タワーは高さのわりにはスリムだ。
 どうしてここにペンギンなのかは謎だけど、名古屋港水族館からの出張組だろうか。愛地球博のときは、モリゾーとキッコロがいた。さすがにもうモリコロは古いと判断したのかいなかった。でもあれは愛知県のマスコットキャラクターとして今後も定着させていったらどうだろう。万博が終わってしばらくはあちこちに担ぎ出されていたけど最近見なくなった。このまま消えさせてしまうのはもったいない。

名古屋駅の冬の光景-10

 2階のタワーズテラスからタワーズガーデンを見ると全景はこんな感じになっている。実際はもっと賑やかで華やいだ雰囲気なのだけど、イルミネーションは写真に撮ると実際よりもおとなしくなってしまう。もう少しシャッタースピードを遅くして撮った方がよさそうだ。K100Dの手ぶれ補正なら1/4秒くらいまでなら止まるはず。

名古屋駅の冬の光景-11

 テラスは光のプロムナードになっている。こちらにもテディベアなどがいて、カップルの記念撮影スポットになっている。お互いに撮ったり、人に頼んで撮ってもらったりという光景が繰り広げられていた。私もカップルの写真を撮ってあげたり。

名古屋駅の冬の光景-12

 ツリーを見上げるカップルと、その向こうには満月が浮かんでいた。その隣には大名古屋ビルヂング。
 このほかでは、セントラルタワーズ15階のスカイストリートでもツリーなどのイルミネーションで飾られているそうだ。クリスマス前後にはコンサートなどのイベントも行われる。

 クリスマスシーズンはまだ始まったばかりだ。というよりもまだ始まっていないのかもしれない。年々クリスマスムードが早まっていくような気がする。そのうち街にもジングルベルが流れ出すだろう。
 名古屋駅のイルミネーションは毎年ちゃんと撮りたいと思いつつ、実は今年が初めてだった。いつもは見るだけか、車の中から何枚か撮るだけで終わっていた。今回ある程度撮ってみて難しさやポイントが分かったから、もう一度挑戦したい。クリスマスにチャンスがあったら再チャレンジしてみよう。
 24日は去年に続いて名古屋港のスター☆ライトレビューを見に行く予定でいる。寒い中での花火というのもそれなりの厳しさがあるけど、今年は名古屋港100周年記念だから力を入れてくるだろう。
 東京のイルミネーションは、来月の頭しか機会がない。去年は東京駅の丸の内で見た。今年は東京タワーに登るつもりでいる。あと一ヶ所くらいどこかで見られるといいと思っている。

 奈良写真がまだしばらく続きそうだったから、今日は息抜きで名古屋駅のイルミネーションを挟んでみた。明日からはまた奈良編に戻る。次は寺社ネタになりそうだ。もし紅葉を撮りに行ってきたら、それが割り込むことになるかもしれない。


私が見た奈良らしい風景と紅葉写真 <奈良シリーズ第三回>
2007年11月28日 (水) | 編集 |
奈良紅葉風景-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 奈良と京都は、あらゆる意味で違った街だ。どちらも歴史のある古都でありながら、観光地としての性格はまるで違っている。良くも悪くも京都は都会で奈良は田舎だ。
 私はいつまでも変わらず垢抜けない奈良が好きだ。京都には惹かれる気持ちと反発心と両方を持っているけど、奈良には好感しか抱いていない。奈良には古き良き昭和の観光地の面影が色濃い。それがとても居心地がよくて、気持ちが落ち着くのだ。
 今日は私が奈良らしいと感じた光景と紅葉の写真をお送りしたいと思う。京都ほど華やかでもないし洗練もされてないけど、奈良には奈良のよさがたくさんあった。この日は青空と光も手助けしてくれて自分の好きな写真を撮ることができた。こちらの気持ちに向こうが応えてくれるという相性の良さも感じたのだった。

奈良紅葉風景-2

 春日大社裏のおみやげ屋通りは、昭和を再現したセットのようだ。昔とほとんど変わってないんじゃないだろうか。このままそっくり昭和50年代に運んでいってもほとんど違和感がない。さすがにペナントは売ってないようだったけど、並んでいるおみやげ物は懐かしい感じのものが多くて、ちょっと笑えた。外国人向けの怪しいジャパニーズグッズも置いてある。とても売れそうにない気がしたけど、面白がって買っていく人もいるのだろう。

奈良紅葉風景-3

 鷺池に張り出した浮見堂。六角形のお堂で、水上の休憩所となっている。
 最初に作られたのがいつだったのか調べがつかなかったのだけど、平成3年から6年にかけて修復されて、かつての姿がよみがえったのだそうだ。それもまた10年以上が経って少し古びてきている。
 撮影ポイントは左の岸からだったようだ。ネットを見るとそこから撮られた写真が多い。奈良の大文字送り火のときは、これを手前に入れつつ送り火を写すというのが定番になっている。
 夜は通年ライトアップされていて、その姿も美しい。池の水がきれいじゃないだけに、夜の方が雰囲気がよさそうだ。

奈良紅葉風景-4

 春日大社の裏手あたりにあった祈願所。七五三はもう過ぎたはずだけど、それっぽい親子の姿が目立った。
 こんもり盛り上がる絵馬の数に圧倒される。親の我が子に対する願いは、自分自身の願望や恋愛なんかよりもずっと強くて切実だ。けれど、このときは健康に育ってくれさえすればいいというささやかな希望も、やがては恋愛もお金も成功もとだんだんずうずうしく欲深くなっていく。それもまた愛すべき人間の性というべきか。

奈良紅葉風景-5

 春日大社の廻廊。
 斜めに差し込む明るい木漏れ日に照らされる朱色が鮮やかだった。
 本物の寺社が持つ朱色は私の心に強く訴えかけてきて、深い部分で共感するものがある。この色を見ると、ふと我に返る。単純にきれいだと思うのではなく、自分の感覚をニュートラルに戻してくれるような感じがある。都会暮らしのあとで田舎の実家に帰るとこんなふうに感じるのかもしれない。
 創建時の春日大社もっと質素なたたずまいだったようで、今のような姿になったのは平安時代になってからだそうだ。春日大社についてはあらためて詳しく書きたいと思っている。

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 奈良公園周辺には大きく景観を壊すような建物も少なく、民家も風景の中にさりげなく溶け込んでいる。
 志賀直哉は奈良公園のはずれに居を構えて10年間暮らした。現在は旧宅として公開されている。何年か前に奈良を訪れたときは、こんなところに住むなんて志賀直哉は相当変わり者だなと思ったのを覚えている。けど、今はその気持ちが分かるようになってきた。だんだん歳を取るということはそういうことなのだろう。
 京都から奈良に移ったあと、志賀直哉は鎌倉へと移り住んだ。

奈良紅葉風景-7

 東大寺裏の紅葉並木。
 奈良は紅葉の名所といいながら、ここという決まったポイントがない。イチョウの黄葉でいえば正倉院周辺ということになるのだろうけど、もみじの紅葉は一応奈良公園全体がそうなるのだろう。
 いくつかポイントがある中で、ここはなかなかよかった。染まり具合がまばらでまだ少し早かったけど、今週末あたりは見頃になるはずだ。夕方になると光が当たらなくなるから、太陽の高い内の方がよさそうだ。

奈良紅葉風景-8

 これは東大寺南大門の南あたりだったろうか。
 赤い葉を西日が更に赤く染めて、後ろの白塀とのコントラストが鮮やかだった。

奈良紅葉風景-9

 紅葉とお茶屋さんと若いカップル。注文を聞きに来た店員さんと対峙した一瞬が、あ、絵になると思って慌てて撮った。後ろのおばさまたちがちょっと邪魔だった。惜しい。
 でも、これは今回奈良で撮った写真の中でお気に入りの一枚となった。

奈良紅葉風景-10

 老若男女、誰もがデジタル写真を撮る光景が当たり前となった。一眼にしろコンパクトにしろ携帯にしろ、デジタル派が圧倒的に多数になったのは、ほんのここ数年のことだ。10年前を思い返してみると、デジカメを持っていた人間などほとんどいなかった。5年前、デジタル一眼を使っていた人間もごく限られた人たちだった。今では子連れの若いお母さんもデジイチで写真を撮っている。
 おそらく、世界の中で今一番多くの写真を撮っているは日本人に違いない。この先の未来の写真事情はどんなふうになっていくのだろう。

奈良紅葉風景-11

 日没が近づいて、写真時間はほぼ終わりとなる。晴れのち曇りの天気予報を覆して、最後まで晴れ続けていてくれたことは幸運だった。夕焼けは見られなかったけど、光に関してはまずは申し分ない条件だった。
 転落して壊れたのがレンズフードだけだったというのも、考えてみると非常な幸運だった。前半でカメラが壊れていたら、後半は楽しめない奈良となっていた。奈良の神が守ってくれたのだろう。鹿にたくさんご飯を食べさせたお礼だったかもしれない。どうせならコケる前に助けて欲しかったとも思うけど、それをいっちゃあ、ありがたみが感じられないというものだ。奈良の関係者の人たち、どうもありがとう。

 奈良の写真はまだやっと3分の2くらいが現像できたところで、使いたい写真はまだまだたくさんある。
 明日以降の奈良シリーズは、そろそろ寺社編に入っていく予定でいる。調べて勉強もしないといけない。また長編になりそうだ。
 つづく。


撮って撮られて鹿コレクションin奈良公園 <奈良シリーズ第二回>
2007年11月27日 (火) | 編集 |
奈良の鹿コレクション-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 東大寺大仏殿と中門と鏡池と鹿。欲張って全部入れてみた。とても奈良らしい風景だ。奈良へ行ってきましたという証拠写真としてこれ以上はないといってもいい。
 現在、奈良公園には約1,300頭の鹿がいるといわれている。鹿密度としてはどうなんだろう。至るところに点在しているとはいえ、イメージの中ではもっと密集して群れになっているような思い込みがあったから、今回行ってみて意外と少ないようにも感じた。1,300頭といわれてみれば、なるほどそれくらいかなと納得する。
 あまり意識されてないと思うけど、奈良公園の鹿は国の天然記念物に指定されている。もちろん、ペットとして飼ってはいけないし、傷つけたりすると処罰の対象となる。
 あいつらは一体誰の所有物で誰が世話をしているんだと疑問に思ったことがある人も多いんじゃないだろうか。基本的にやつらは野生なので誰のものでもなく、誰も世話をしていない。勝手にあそこで暮らして、勝手に繁殖している。強いていえば国のものであり、奈良の鹿愛護会というところが世話をしているということになるだろうか。鹿せんべいの売り上げが保護活動資金の主な財源となっている。
 ただ、鹿せんべいが彼らの主食ではなく、あれはおやつに過ぎない。主食は草や木の実や皮などだ。観光客が少ないシーズンオフの平日はさぞやおなかを空かせているだろうなどと心配することはない。鹿は鹿せんべいなしでも生きていける。もしあれがなければ生きていけないのなら、店先で売ってる鹿せんべいはあっという間に襲撃されてなくなっている。おみやげ物屋のおばちゃんと鹿たちの激しい攻防戦が日々繰り広げられているという話も聞かない。なんでも店先に置いてある鹿せんべいには決して手をつけないんだそうだ。意外と賢いというか律儀な鹿さんなのだった。

 今日は奈良公園で撮ってきた鹿写真コレクションをお送りします。紅葉とのセットではほとんど撮れなかったのが残念だったのだけど、鹿はなかなかのフォトジェニックでよかった。中でも人と絡んでいる鹿が奈良公園らしくて、そういう写真が多くなった。最後には私まで登場してしまっている。

奈良の鹿コレクション-2

 春日大社の一の鳥居から中に入って浮見堂へ向かう途中あたりに鹿がたくさんいた。やつらは犬のように鼻が利かない。この時点ではまだ私が持っている特製鹿せんべいに気づかず、平和な雰囲気の中で地面で食べ物を探っていた。このあと私が一頭の鹿に自家製鹿せんべいをあげたことで事態は一変することになる。
 このあとどういうことになったのかは最後の写真で。

奈良の鹿コレクション-3

 時系列は前後するけど、興福寺の境内が鹿とのファーストコンタクトとなった。鹿に鹿せんべいをあげるヒルトン姉妹(たぶん違う)。
 鹿はかなり広範囲に散らばっていて、ときには県庁や近鉄奈良駅あたりまでやって来ることがあるそうだ。奈良公園近くに住んでいる人は自分ちの庭に鹿がいても驚かないのだろう。夜はJR奈良駅でも目撃例があるという。
 そもそもどうして奈良に鹿がいるのかといえば、それは春日大社と大いに関係がある。
 かつて春日大社がこの地に創建されるとき、鹿島神宮の祭神が神の鹿に乗ってやって来たという伝説が始まりだった。そのため、もともといた鹿が大事にされ、それ以来どんどん増えていって現在に至っている。ただし、戦後は食糧難で鹿の数は100頭を切るところまでいっている。
 早起きは三文の得のことわざは奈良の鹿が由来になっているという説がある。昔は鹿に危害を加えたり殺したりすると厳罰に処せられて、不慮の事故でも責任を取らされて罰金刑になったそうだ。それで、もし朝、家の前に鹿の死骸があったりすると三文の罰金が取られたのだとか。早起きして家の前を見て、鹿が死んでないか確認して、もし死んでいたら罰金を逃れるためによそへ持っていくということが行われていて、そこから早起きすると三文の得になるということわざが生まれたのだとか。
 たぶん、あとから作られた話だろうとは思うけど、話のネタとしては面白い。

奈良の鹿コレクション-4

 サツマイモをあげて鹿たちに襲われる中国人の女の子たち。喜びつつもちょっとひるんでいた。
 世界遺産の強さと中国の発展を強く感じる。世界遺産関係の場所はどこへ行っても外国人が多く、中でも中国人は最近すごく増えた。それだけ国に裕福な家族が多くなったということだろう。外国の日本ガイドブックにもかなり偏りがあるようで、世界遺産のところに外国人が集中して、それと同じくらい日本で有名なところでもバタッと外国人の姿がなくなるところがある。そのギャップが激しい。
 これは日本人の海外旅行にも同じことが言えるのだろうけど、ガイドブックを見るなら国内向けのものを見た方がいいところを見逃さずに済む。

奈良の鹿コレクション-5

 立派な角を持ったオス鹿が春日大社の参道にいて、人々がちょっと恐れをなしつつ周りを取り囲んで撮影会になっていた。やはり鹿の角というのは迫力があって、みんなこれを見るとうかつに近づけないでいる。刺されたら痛そうだ。
 9月から11月は鹿の発情期だから、オスの角は切り落とされているものが多いのだけど、中には角をつけたままのやつもいる。性格で判断されているのだろうか。
 その角はおみやげ屋で売っていて、これが高くてびっくりする。ちらっと見たら1万5,000円くらいしていた。頭にくっつけて街を歩けばみんなよけて通るだろう。

奈良の鹿コレクション-6

 茶色っぽい粉をなめている鹿がいて、鹿のエサでももらっているのかと思ったら、どうやら玄米を精米したときに出た米ぬかのようだ。米ぬかは鹿せんべいの主成分だから、鹿の好物なのだろう。一所懸命ぺろぺろなめていた。
 私の鹿せんべいもそうだったけど、特にせんべい状にこだわる必要はないようだ。わざわざ焼いてせんべいにしなくても、米ぬかとサツマイモをそのまま持っていけばよかったのだ。食感に対するこだわりはないと見た。

奈良の鹿コレクション-7

 若草山から二月堂などがあるあたりに向かう道路脇には、おみやげ物屋さんや旅館が立ち並んでいる。どこも昭和の香りが色濃い。
 鹿もたくさんうろうろしている。観光客が多くて、おみやげ物を買うついでに鹿せんべいも買ってしまうというパターンを狙っているのだろう。店の前で人の後ろに並んでいる鹿もいた。
 写真はレンズフードが壊れたあとに撮った写真なので、盛大にフレアが出ている。CGっぽくて私は嫌いじゃないのだけど、これを見るとフードの必要性がよく分かる。あれは単なる飾りではないのだ。光が入り込みすぎることで写真のコントラストも下がってぼんやりした画像になってしまう。
 逆光でフードがない場合は、レンズの上に手をかざせばある程度フレアやゴーストは抑えられる。

奈良の鹿コレクション-8

 鹿の群れを撮っていたら、何の断りもなく突然女の子が走ってフレームインしてきた。うわっ、なにするんだー、と思ったけど、面白いから採用してしまう。これがおっさんなら怒るところだけど、小さな女の子ならかまわない。

奈良の鹿コレクション-9

 撮りたかったのはこういうところだったけど、これでは要素が全部不足している。絨毯となるイチョウの落ち葉も足りないし、鹿の配置もよくないし、光線も少ない。残念、惜しい。

奈良の鹿コレクション-10

 夕暮れが近づくと鹿たちのテンションが一気に下がる。メシも食べておなかいっぱいになって、やれやれ今日も観光客の相手は疲れたなとばかりに、とぼとぼとどこかへ歩き去っていく。ねぐらに戻るのだろうか。
 そんな後ろ姿を見て思う。鹿の尻って白いんだ、と。

奈良の鹿コレクション-11

 ツレが撮った写真。鹿を引き連れて歩く私の図。
 ものすごい慕われようで、取り囲まれたり、鹿せんべいを入れている袋を噛みちぎられそうになったり、尻に頭突きを食らわされたり、鼻汁を服につけられたり、走って逃げてもどこまでもついてきたりして大変だった。
 ここで得た教訓としては、たくさん鹿がいるところで無闇に鹿せんべいを与えてはいけないということだ。調子に乗るとエライ目に遭う。鹿せんべいを与えるときは、2、3頭のところにしておいた方が無難だ。それでもいつの間にか他のやつが駆け寄ってきたりするから油断ならない。

 今回の奈良行きの第一の目的であった鹿との触れ合いは、充分達成されたといっていい。鹿せんべいは好評の内に完食となったし、鹿にも触ったり触られたり、写真もたくさん撮った。楽しくもあり、面白くもあった。けど、鹿があれほど凶暴だとは思わなかった。特にオスが荒っぽい。頭突きをしてきたのは全部オスだった。発情期だったということもあるかもしれない。これが子育ての季節ならメスの方が凶暴になるのだろうか。
 鹿と遊んでもらって、もうおなかは八分目くらいまでふくれた。残りの2割が紅葉と神社仏閣巡りとなった。そのあたりについては明日以降また書いていきたいと思っている。奈良編はまだ始まったばかりだ。
 つづく。


乗り継いで囲まれてすべって転んだ奈良
2007年11月26日 (月) | 編集 |
奈良行き-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4/Panassinic DMC-TZ1



 奈良行きから戻りましたこんばんは。
 いろいろあって必ずしも無事というわけではないのだけど、なんとか無事帰宅。いやはや盛りだくさんだった。
 写真のRAW現像を一気にやるのは無理なので、今日のところは時間経過に従って主だったところの写真を紹介するにとどめておこう。奈良シリーズはけっこう長くなりそうだ。個別に書いてると大変だから、多少はまとめつつ省略しつつという感じで6、7回におさめたいと思っている。
 まずは近鉄の朝写真から。
 近鉄の旅はいたってのんきなものだ。名古屋から三重、関西方面では馴染みのある鉄道会社だけど、全国的な知名度はどうなんだろう。
 名古屋から奈良へは、JRの直通が今年の3月くらいに廃止になってしまって、乗り継がなくては行けなくなってしまった。どうせ乗り継ぐなら近鉄の方が安いということで近鉄で行くことにした。よく知られたウラワザとして近鉄の株主優待乗車券というのを1,000円くらいで買って、急行のみで乗り継ぐとその金額で奈良や京都、大阪まで行ける。
 写真はどこの駅だったか忘れてしまったけど、聞いたことのないローカル駅だ。朝の光とのんびりムードがただよう近鉄のホームの風情がよかった。

奈良行き-2

 近鉄奈良駅から歩いて巡る奈良の旅は、興福寺の五重塔から始まる。
 横の方で大がかりな工事をしていて雰囲気を壊してしまっていたのだけど、五重塔は相変わらず立派だった。何年か前、車でふらっと行ったときもここは見ているはずだ。初めて見たのは中学の修学旅行だったと思う。そのときの記憶は残ってない。
 先を急ぐので、興福寺は五重塔を見ただけで終わった。国宝の特別展示もしていたけど、入場料1,000円に恐れをなして逃げた。奈良もちょくちょくお金を取るところがあって、どこも高いから油断できない。

奈良行き-3

 今回の奈良行きの一番の目的は、紅葉撮りでも寺社巡りでもなく、自分で焼いた鹿せんべいを奈良の鹿にやって食べるかどうかを見るためだった。シャレではなく本気で。枚数というか分量も、合計1キロ以上はあった。
 しかし、それによって大変な目に遭うことにこのときの私はまだ気づいていない。女の子が市販の鹿せんべい(10枚150円)をやっているところを写真に撮る余裕があった。鹿がまさかあんなに凶暴だったとは。

奈良行き-4

 問題の鹿たちの登場だ。立ってぼぉーっとしてるやつやひなたぼっこをしながらしゃがんでるやつなど、5、6頭がいて周りに人影がなかったので、ここはチャンスと試しに持参した鹿せんべい(見た目は鹿お好み焼き直径約30センチ)をちぎってやってみた。最初は見慣れない食べ物に警戒して食べなかったやつも、くんくん匂いを嗅いで一口食べたところで態度が急変。やつらが好物だというサツマイモをふかして練り込んだ特製鹿せんべいの美味しさに気づいたようで、次も早くよこせと矢の催促。それを見た他の鹿たちも寄ってきて、調子に乗った私はあっちにもこっちにもやってしまい、あっという間に取り囲まれた。身の危険を感じて逃げる私。追う鹿の群れ。気の荒いオスは角で私の尻をこづき回してくる。わー、たすけてー。
 逃げてもにげてもどこまでも追いかけてくる鹿たち。この日私は、奈良公園で鹿たちの一番の人気者になった。そのときの様子をツレが激写していたので、もしかしたら紹介できるかもしれない。あまりにも恥ずかしい写真だった場合は日の目を見ることもないだろう。

奈良行き-5

 鹿たちの襲撃から這々の体で逃げ出した我々は、息を整えつつ春日大社へ向かった。その途中で事件は起きた。
 道を渡って芝生広場に降りる途中、階段状の段差から私が落下。落ち葉に乗って足を滑らせたのだ。左腕からたたきつけられて、デジもどこかに打ってレンズフードが砕けた。腰と足も打ったようで一瞬どうなったか分からなかった。左腕は大きくすりむけ、骨までいってしまったかと思うほど腫れ上がってきてびっくり。
 結果的には体もデジも無事だったからよかったものの、へたしたら大けがになっているところだった。危ない、危ない。
 鹿騒動といい、転落事故といい、波乱含みの奈良巡りはまだ始まったばかりだ。

奈良行き-6

 春日大社本殿の入り口に来た。紅葉はまだ早かった。見頃は来週末くらいだろうか。
 春日大社については、また改めて書こうと思っている。しっかり復習しなければ。

奈良行き-7

 大仏殿裏の鹿さんたち。実はここでも懲りずに自家製しかせんべいをばらまいて取り囲まれるという事態に陥った。そのときの様子を見知らぬ人たちが撮っていたから、きっとネットのどこかで私の写真が載っている。
 特製しかせんべいの作り方は簡単だ。玄米を精米したときに出る米ぬかに、つなぎとして小麦粉を混ぜて、ふかしたサツマイモをつぶして水を加えて一緒に練り込む。それをお好み焼きみたいに焼けばできあがりだ。調味料や油などは一切使用してはいけない。鹿に味付けはかえって毒になる。
 お好み焼き風、クッキー風、せんべい風と3種類作ってみたのだけど、混乱の中でどれが一番食い付きが良かったのかよく分からなかった。とにやくやつらは一飲みなのだ。せんべいじゃないと噛まなくていいから飲み込んでしまって、こちらに逃げる間を与えない。時間稼ぎができないからあっという間に取り囲まれることになる。
 これから奈良へ行く人はぜひ自家製の鹿せんべいを焼いてもっていくといいと思う。人気者になれること間違いなしだ。

奈良行き-8

 大仏殿と正倉院の間あたりの黄葉は、なかなか見応えがあった。
 正倉院が午後3時で閉まるということを知らずに行って入れなかったのは残念だった。イチョウは正倉院が一番きれいらしかったのに。教科書でもお馴染みだった高床式倉庫は、裏手の塀の隙間からちらっと見えただけだった。

奈良行き-9

 鹿と撮る人たちとシルエットの私たち。
 ここでも特製鹿せんべいを蒔いてみたのだけど、週末の夕方ともなると観光客にたくさんせんべいをもらっておなかいっぱいになっていたようで、食い付きは悪かった。鹿の取り巻きおっかけ体験は午前中がベストタイムだ。

奈良行き-10

 紅葉の中の鹿風景写真は、もう一つ満足のいかないものだった。紅葉の進み具合がまだで、ロケーション的にも頭に思い描いていたような場面がなかった。イチョウの葉の絨毯の上で鹿たちが草をはんでいて夕方の光に長く伸びた影、といったようなところが撮りたかったのだけど。

奈良行き-11

 これは奈良の写真じゃない。奈良行きの翌日は名古屋に戻ってきて、弥富野鳥園でデジスコ教室に参加した。
 かなりデジスコやる気満々の私とツレ。教室にまで行ってしまう熱の入れよう。
 これは実際の機材を使わせてもらって撮った写真だ。100メートル以上向こうにいる鳥をこの大きさで写せるというのは魅力的だ。
 ただ、思った以上にピント合わせが難しくて、ブレもシビアだ。三脚に固定してレリーズケーブルを使っても、ラフに操作するとはっきりブレる。ピント合わせもコンパクトデジのオートフォーカス任せになるのだけど、これもあまり当てにならない。
 実際に使ってみて難しさと面白さが分かった。結果的には近い将来買ってしまいそうだ。難しくて失敗写真ばかりになってしまったとしても、挑戦する価値はある。世界がぐっと広がる。

奈良行き-12

 名古屋駅セントラルタワーズもイルミネーションが始まっていた。まだクリスマスまでひと月もあるのに気が早い話だ。今日の夜などはイルミを見に来た客で大賑わいになっていた。
 私は3年くらい前に車の中から一度だけ撮ったことがある。あれから来年こそちゃんと撮りたいと思っていて、今年ようやく念願が叶った。このときの写真もたくさんあるから、また別の機会に紹介したい。

 明日からの奈良シリーズは、もう少しテーマを絞って紹介していくことにする。今日のところはここまでにしよう。眠気に襲われて負けた。文章の読み返しと手直しもまた明日。もう寝る。
 つづく。


冬の朝6時は誰もいない教室のように静かだ
2007年11月24日 (土) | 編集 |
小学校教室

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4



 奈良行きの朝、時間もないのに更新してみる。朝の6時。誰もいない教室のように外はまだ静かだ。
 さて、それじゃあ、そろそろ着替えて出かけよう。
 奈良の空は秋晴れだろうか。


気がつけば終わっていた野草たちの2007年 ---森林公園の続き
2007年11月23日 (金) | 編集 |
森林公園2-1

Canon EOS 20D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 / EF75-300mm F4-5.6 IS



 11月の終わりともなると、野草もめっきり少なくなる。気づいたら虫も飛び交っておらず、クモの巣さえ見ない。秋が深まり、季節はいよいよ冬へと向かう。
 森林公園の花もほとんどなくなっていた。わずかに残っていたのは、ノコンギクくらいのものだった。
 今年は夏以降の野草をほとんど全部すっ飛ばしてしまった。このブログでも野草の登場は少なかった。春先まではそれなりに追いかけていたのに、他ごとに気を取られていたらいつの間にか終わってしまっていた。また来年だ。
 今日は森林公園でわずかに残っていた花などを中心に、昨日の続きとなる。明日は奈良行きで朝4時半というスーパー早起きなので、今日はもう時間がない。ざっと写真だけ並べて終わりとする。

森林公園2-2

 上の写真のようにうす紫が一般的なノコンギクの色だけど、この濃い青も同じノコンギクだろうか。たぶんそうだと思うけど、種類が違うのかもしれない。
 この深い青はいい色だ。秋の枯れ葉ともよく合う。

森林公園2-3

 紅葉以外に色がなくなった森の中で、白色はよく目立つ。
 これはサザンカでいいのだろうか。サザンカ、サザンカ咲いた道、炊き火だ炊き火だ落ち葉炊き、だから、季節としても冬の始めでいいはずだ。
 でも、相変わらずツバキ、サツキ、サザンカ、ツツジなどは混乱しがちだ。

森林公園2-4

 夏は賑やかだった湿地帯も、今は寝静まったように動きがない。花は咲いておらず、虫の動きもない。寒さというものがいかに生き物にとって過酷なもので死をもたらすかというのを目の当たりにした気がした。
 ただ、その一方で寒くないと生きられない生き物もいるわけで、そういう意味でもこの世界は良くできていると言うべきなのだろう。

森林公園2-5

 シラタマホシクサも枯れ草同然の白い玉になっていた。姿はとどめていても、もう生きてないのかもしれない。
 そういえば今年はシラタマホシクサも見逃したし、一度見たいと思っているワレモコウも見られなかった。野草の勉強もまったく進まなかった。

森林公園2-6

 冬に赤い実をつける木はたくさんあるけど、私はナンテンくらいしか知らない。ガマズミとか、シロダモとか、マンリョウ、センリョウなどいろいろあっても、あまり区別をつけようとは思わない。樹木は花も実も見分けが難しい。

森林公園2-7

 グラデーション。

森林公園2-8

 紅葉はまだこの程度。全国的に今年は遅いようだけど、その中でも名古屋は遅れている方だと思う。見頃は来週末くらいだろう。
 奈良も場所によっては見頃が近づいたところと終わったところがあるようだ。混雑はどの程度なんだろう。奈良は人が少ないときしか行ったことがないから、賑わっている奈良の姿が想像できない。

森林公園2-9

 葉を落とした木々と秋の夕空。
 秋は空気が澄んで空が高いというのは本当だ。遠くまでよく見渡せる。その原理がどういうものだったか、前に勉強したような気がするけど忘れてしまった。春と秋の違いなども覚えたつもりなのに思い出せない。近いうちにもう一度調べ直そう。

 今日はここまでとする。
 明日はちゃんと早起きして、近鉄を乗り継いで奈良まで行くのだ。くれぐれも寝過ごさないようにしなければ。
 ということで、明日土曜日は更新休みの予定です。
 日曜の夜に持ち帰った奈良写真をちょこっと紹介できるといいな。
 ちょっと行ってきます。


紅葉と鳥撮り準備運動として森林公園へ行くも中途半端に終わる
2007年11月23日 (金) | 編集 |
森林公園紅葉前-1

Canon EOS 20D+SIGMA 17-35mm f2.8-4 / EF75-300mm F4-5.6 IS



 そろそろ紅葉も本格化したというのに、最近少し散策を怠けていた。というよりも日没の早さに後れを取って、行きたくても行けない日が続いていた。
 このままずるずるいってしまうのはよくないと、今日は少し時間を作って、夕方尾張旭の森林公園へ行ってきた。どこに行こうか迷ってここに決めたのは、ここなら紅葉と鳥と両方撮れるだろうと考えたからだ。しかし、結果的にはどちらも中途半端になって、失敗したなと思うことになる。
 それでもそれなりに写真は撮ってきたから、その写真を並べることにした。季節外れとはいえ、森林公園は一年中何かは撮るものがある。

森林公園紅葉前-2

 いつも森林公園は北門から入る。一般的な東門からよりも、植物園に行くにはこちらの方が回りやすい。
 駐車場から上がったすぐにある大道平池は毎年カモがあまりいない池なのに、今年はけっこう数がいた。写真の黒いツブツブがそうだ。今日がたまたまそういう日だったのか、今年から傾向が変わったのか。
 けれど、ここはカモとの距離があまりにも遠すぎて、デジタル一眼の望遠レンズではまるで届かない(上の写真は広角レンズ)。これくらい離れてしまうとデジスコでも大写しにするのは難しそうだ。
 
森林公園紅葉前-3

 今日は風が強い寒い日で、空はよく晴れていた。秋空らしい青だった。
 紅葉はやや進んでいるものの、まだ本番というほどではない。ここへきて一気に冷え込んではいるけど、秋が暖かかったから、木々も慌てて冬支度をしてる頃だろう。今年の色づきはあまり期待できないかもしれない。いい色になるためには寒暖の差がなくてはならないのに、今年の秋はそれが弱かった。

森林公園紅葉前-4

 赤だけでなく、黄色の黄葉もいい。シチュエーションによっては絵になる。落ち葉の絨毯になったときは、紅葉の赤よりむしろ黄色の方がきれいな場合がある。

森林公園紅葉前-5

 今日見た中で一番紅葉が進んでいたのがここだった。まだまだ染まり具合がまだらで、ピークには遠い。見頃は来週以降になりそうだ。12月に入ってからという可能性もある。このまま地球温暖化が進むと、30年後くらいにはクリスマスと紅葉が同時期になってしまうなんてこともあり得る。
 紅葉は赤一色よりも染まりかけのオレンジと緑色がある方が立体感があっていい。桜がそうであるように、紅葉も7分、8分くらいが一番いいときなんじゃないだろうか。写真を撮るなら特にそうだ。

森林公園紅葉前-6

 ここへ来て毎回思うのが、やっぱり鳥まで遠いなということだ。懲りずに何度行っても遠い。岩本池は広くて、ほとんどの鳥たちは散策路の対岸近くに固まっている。あちらまでは人間が行けないことを知っているのだろう。たまにこちら岸近くにいても、近づくと慌てて逃げていく。警戒心が強くて愛想がない。
 遠くてはっきり確認できなかったのだけど、ここは毎年マガモ、コガモ、ヒドリガモあたりが多い。決まった顔ぶれがほとんどで珍しいカモはあまり飛んでこないような気がするけどどうなんだろう。私はたまにしかいかないし、何しろ距離が遠くてはっきり見えないから実際のところは分からない。
 とにかくカワウがやたらたくさんいて、木の上にコロニーを作っている。それもあってあまりたくさんのカモが飛来しないのかもしれない。

森林公園紅葉前-7

 比較的近くに浮かんでいてなんとか捉えることができたこいつらは何者だろう。ファンダーの中で見たときはカイツブリかと思ったけど、写真で見たらカモだった。単純にキンクロハジロかとも思ったけど、違う気もする。
 キンクロハジロなら体の横はもっと白が目立つはずだ。羽がまだ冬羽に生えかわってないからだろうか。スズガモはこんなところにいない。キンクロハジロのメスだろうか。

森林公園紅葉前-8

 スポットライトを浴びるように、止まり木に止まったサギ。コサギとは思ったけど、これまた遠すぎてコサギかダイサギかの区別もつかない。

森林公園紅葉前-9

 そうこうしてるうちにすぐに日没となってしまった。秋の夕暮れは容赦がない。逃げるように去っていく。
 日没になれば、鳥も紅葉も終わりだ。

 今日は軽くこんなところにしておこう。週末の奈良行きに備えて準備をしつつ早寝早起きをしなければいけない。明日は前日ということで、もっと手短になりそうだ。
 奈良の紅葉で2007年の紅葉撮りが本格的なスタートとなる。ここまではまだ準備運動を兼ねた前哨戦だった。
 メインに考えてるのは奈良公園で、鹿と人と紅葉を絡めてどう撮れるかがテーマとなる。頭の中に撮りたいイメージはあるけど、そんなシーンが実現するだろうか。
 今回、神社仏閣はついでで、写真以外では鹿との触れ合いが優先する。自家製の鹿せんべいを作ったから、それを奈良の鹿にあげるのだ。ちゃんと食べてくれるだろうか。かなり大量に焼いたから食べてくれないと困る。米ぬかが主成分だから、余ったら自分で食べるというわけにもいかない。
 家から鹿せんべいを焼いて持っていく人は少ないはずだから、土曜日に奈良公園で変わった大きな鹿せんべい(見た目は鹿お好み焼き)をやっている男がいたら、それは十中八九、私です。鹿に囲まれていたら激写してください。
 日曜日は愛知県のはずれで鳥の人になってます。
 紅葉と鳥撮りの準備は整った。あとは行って撮るだけだ。どちらも楽しみにしたい。


明治村を素直な気持ちで撮るとこうなる ---明治村で撮る<第六回>
2007年11月22日 (木) | 編集 |
明治村外風景-1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4



 明治村で撮った写真はまだある。整理にもずいぶん時間がかかって、今日になってようやくRAW現像を終えたのだった。自覚した以上にたくさん撮ったらしい。もうしばらく明治村ネタが続きそうだ。
 今回は明治村の外風景を集めてみた。ここまでの中で最も明治村らしさが出ている写真かもしれない。素直な気持ちで撮るとこういう写真になるという典型と言ってもいい。
 上の写真は帝国ホテル前の芝生広場だ。天気がよくてみんな気持ちよさそうだった。こういうふうに座ってくつろげるスペースが少ない明治村では貴重な場所となっている。お弁当を広げるにもいい。実際、小学生のチビどもはここでお弁当タイムをしていた。
 写真の右側に「食道楽」というスタンド食堂があって、そこの名物の「ひき肉と男爵芋のコロツケー(150円)」を食べたいとずっと思っているのに、いまだに食べられないでいる。一人で行って、コロッケ1個買って、歩きながら食べるってどうなんだという心の葛藤があって、それにいつも負けてしまう。いつの日か、私は明治村のコロッケが食べられるだろうか。

明治村外風景-2

 工部省品川硝子製造所の中には「デンキブラン汐留バー」というのがあって、そこで日本初のカクテル「デンキブラン」を飲むことができる。飲んだらしびれそう。
 その他、ワイン、コーヒー、ジュースなどもあって、オープンテラスが用意されている。ここで絵になる人が何か飲んでいる姿は格好の被写体だ。

明治村外風景-3

 明治の終わりに半田市にあった半田東湯が移築されていて、古い銭湯の姿を見ることができるようになっている。
 中は狭い。これで一体何人入れたのだろう。私たちがイメージするような大きな銭湯は、思っているよりも新しいスタイルのようだ。
 見学だけではなく、100円で足湯を楽しむことができる。冬場は出てから寒そうだけど、夏は気持ちいいだろう。歩き疲れたらここで一服してもいい。私は先を急ぐ。この日は3時間半ほぼノンストップで歩き続けて撮り続けた。

明治村外風景-4

 赤レンガの優美な門は、金沢監獄の正門だったものだ。監獄の門にさえこの造形美というのが明治の偉大なところだ。気持ちに余裕がある。建物というのは機能的でありさえすればいいとうわけではないということがこの門一つ取っても分かる。お金をかけて豪華にするというのではなく、きちんと時代の美意識を持って、100年後まで残したいと思える建物を建てて欲しい。
 手前にとまっているのは村営バスで、これに乗って主要なところを見て回ることもできる。ただ、500円の1日券しかないからちょこっと乗るにはもったいない。途中の建物もだいぶ飛んでしまう。1回乗るのに100円とかにしてくれた方が親切だ。

明治村外風景-5

 このときはまだ紅葉が始まったばかりだった。今頃は村内のあちこちが色づいてきれいになっている頃だろう。何度も行ってるのに、桜と紅葉に当たらない。どちらも絵になりそうなポイントはいくつもある。
 向こうに見えているのは、金沢監獄中央看守所だ。その下が檻房になっている。
 当時の金沢監獄では、この看守所を中心に檻房が放射状に伸びていて、一階にある看視室から廊下の様子がすべて見えるような作りになっていたそうだ。
 現在は監獄内に囚人人形がいて、当時の生活の様子を再現している。布団に入るところだったり、ご飯を食べているシーンだったり、生活感たっぷりでちょっと笑ってしまう。狭いながらも楽しい我が家という感じで、監獄の厳しい日々を再現できていない。

明治村外風景-6

 明治村2丁目のメインストリートであるレンガ通りは私の好きな風景だ。このときは閉園間際で人がほとんどいなくなっていたけど、ここはいつも賑わっている。
 正面の建物は山梨県にあった東山梨郡役所で、事務所や村長室などがある。明治村の初代村長が徳川夢声だったことを覚えている人は少ないかもしれない。2代目の森繁久彌の方が印象が強い。現在は3代目を小沢昭一がつとめている。といってもめったに来るものではなく、何かのイベントくらいにしか顔を出さないのだろう。

明治村外風景-7

 明治5年に日本で初めての鉄道駅「新橋」が汐留にできて、その跡地から出てきた赤レンガで作ったのが汐留レンガ迷路だ。明治時代の人がレンガ迷路で遊んでいたとかそういうことではない。
 この発掘赤レンガは汐留火力発電所の煙突基礎部分にも使われている。
 無料で簡単な迷路なので、入った人は迷わずすぐに出てきていた。私は一人で迷路に興じている場合ではないので写真を撮っただけで終わった。

明治村外風景-8

 江戸末期から明治にかけての開国によって外国船のための灯台が必要となった。この品川灯台は、明治3年(1870年)に建てられた最初期のもので、同時期に観音崎、野島崎、城ヶ島も作られている。一番古かった観音崎灯台がなくなってしまった今では、この品川灯台が現存する日本最古の灯台となった。
 とても小さくて、中に入ったりすることもできない。
 光源の機械部分は左の建物の中に保存展示されている。

明治村外風景-9

 明治村の隣には入鹿池(いるかいけ)が広がっている。夏はブラックバス、冬はワカサギ釣りで有名なところだ。私も中学の頃何度か来たことがある。あのときは早朝の3時頃みんなで集まって、自転車でここまで来たのだった。4時間くらいかかっただろうか。今は4時間も自転車をこぐなんてことは考えたくもない。
 だいぶ水量が減っていたのは季節柄なのか、雨不足だからか。カモたちの姿は見あたらなかった。

明治村外風景-10

 日没が近づくと太陽が雲に隠れてしまった。こういう場所でも光は重要で、光があるとないのとでは写真も全然違ってくる。光がなければつまらない写真になってしまうし、光があることで平凡な風景が非凡なものになる。
 でも、夕暮れ時の聖ヨハネ教会堂はちょっとよかった。引きの美学という言葉があるけど、写真における自分と被写体の距離感というのは大切で、近づいた方がいいこともあれば離れた方がかえって印象的になることもあって、そこが難しいところでもある。私が引いた絵が好きなのは、それが私の世界に対する見方だからなのだろうと思う。

 素直にありのままの明治村の様子を撮ろうとすると、今日のような写真になるのが普通だろう。平凡で面白みはなくても、狙いすぎてない安心感はある。もともと私はこういう写真が好みだった。絵はがき的な写真も嫌いじゃない。
 ただ、ここに戻ってくるには一周してくる必要がある。創意工夫と奇をてらった狙い写真を通過して突き抜けた向こう側からぐるりと回って元の場所に戻ってくればいい。狙ってみないと狙いが何故よくないのかも分からないし、これ見よがしで嫌味な写真というのも撮ってみてこそ駄目なところを理解できる。
 明治村というのは本当に勉強になるところだ。被写体に事欠かなくて、可能性がたくさんある分かえって難しくなる。必ずしも上手く切り取る必要はないけど、平凡じゃない個性的な写真を撮ろうとしたときどうやって撮ればいいのか考えるきっかけになる。
 写真を撮るということは、いい写真というのはどういう写真なんだろうという自問自答を続けることでもあると思っている。その答えは撮りながら探していくしかない。私にはまだ見えない。


名古屋を走ればコメダさんに当たるから入ってシロノワールを食べよう
2007年11月21日 (水) | 編集 |
コメダさん-1

Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6



 あなたはコメダさんを知っているだろうか。
 その問いに対して8割の名古屋人はもちろんと答え、中部地区以外の人の8割は誰ですかそれと答えるだろう。いやいや、人じゃなくて喫茶店のことなんだが。
 全国平均2.5倍の喫茶店がある喫茶店王国の名古屋の中でも、群を抜く知名度と支持を集めているのが、喫茶所コメダ珈琲店だ。中部地区を中心としたチェーン展開の喫茶店で、ここらの人は親しみを込めてコメダさんと呼ぶ。ちょっとコメダさん行こまい、ってな感じで。
 名古屋を歩けばコメダに当たる、というとちょっと大げさだけど、車で15分も走ればコメダに当たるのは間違いない。そこからどの方向に走り出しても15分後にはまた別のコメダがある。黒字にオレンジ色の看板と、ログハウス風の建物が目印だ。
 たいていお店は広めの駐車場を持っているのも特徴の一つで、車社会の愛知県らしい店構えとなっている。駐車場がないような喫茶店に名古屋の人間は行かない。名古屋人は家から歩いて3分のコンビニだって車で行く人種なのだ。
 それにしてもコメダさんの人気はすごい。いつ行っても店の中は人がいっぱいで、駐車場も混み合っている。休みの日などは駐車待ちの車の列ができるくらいだ。その原因は長居する客が多いところにもあるのだけど。
 客層は多岐にわたっている。午前中のモーニングタイムにはサラリーマンから暇そうなおじさん、おばさまが占拠し、午後は主婦の井戸端会議に使われ、夕方からは学生なども増えてくる。赤ん坊連れのお母さんからおばあちゃん、女子高生、ニイチャンからおじさん、じいさんまで、それこそゆりかごから墓場まで状態になっている。自由業的な人が仕事をしていたり、デートにも使われたりするあたりにもコメダの懐の深さがある。
 行ったことがない人がイメージするのは難しいだろうけど、昭和の喫茶店とファミレスが合体したようなところといえばなんとなく分かってもらえるだろうか。おしゃべりするにも仕事をするにも雑誌を読みふけるにも、長居しても大丈夫な雰囲気が人気の秘訣なのだろう。なので、混雑している割には客の回転率が悪くてそれほど儲かっていないのかもしれない。
 ファミレスほど洗練されてもおらず、照明はやや暗めで、必要以上に干渉されないところがいいというのもある。珈琲はお代わり自由とかではないし、水の継ぎ足しに回ってきたりもしない(たぶん)。誰かがどこかで書いていたけど、「ノーメイクで行ける喫茶店」というのがコメダの特質を端的に表しているかもしれない。コメダさんは決してカフェなどではないのだ。

 このように名古屋人にとってはなくてならない喫茶コメダなのだけど、実は私はつい最近まで入ったことがなかった。大学生の頃は毎日のように喫茶店に入り浸っていた私だけど、卒業後はまったく行くことがなくなってしまったので、コメダさんも入る機会がなかった。大学の頃は今ほどコメダは多くなくて、その存在も知らなかった。それではいけないということで、ツレを伴って初めて入ったのが夏の終わりのことだった。一回ではネタ的に弱かったので、この前もう一度行ってネタを集めてきた。
 今日は私たちが食べたコメダさんのメニューを紹介しながら、コメダさんについて少し勉強していこうと思う。
 コメダ1号店ができたのが1968年のことだ。西区の那古野に個人経営の喫茶店として誕生した。コメダの名前は、オーナーの実家が米屋だったからというずっこけそうな由来だ。マスターが米田という名前だったわけではない。
 かつて瑞穂区にあった「本店」は別のオーナーに売却されて、今は「上山店」となっている。あれが1号店ではない。2号店は高岳店で、3号店は今池店だそうだ。
 1970年には株式会社となってフランチャイズ展開が始まった。それから40年近くで300店舗ということは、1年に7店舗のペースで増えていることになる。確かに油断しているといつの間にかできているからうっかりできない。レシートの裏にはたくさんの店舗名が印刷されているけど、あれは全部収まっているのかどうか。
 コメダの増え方の面白いのは、主要都市や立地がいい場所にいきなり飛び込むのではなく、搦め手で周りからじわじわ浸食するように増えていくところだ。
 たとえば関東でいくと、直接東京に殴り込むようなことはしない。まずは神奈川に上陸して様子を見つつ、その地域での浸透をはかる。そこから少しずつ東京に向かって距離を縮めるように店舗と陣地を増やしていって、やがて町田市まで到達した。まるで桜前線のように西から東へ進んでいき、気がつけば東京に入っていたという作戦だ。そして今年2007年8月、ついに東京23区内に進入することに成功した。コメダは多摩川を越えたのだ。しかし、そのチョイスが大田区「下丸子店」というのが渋いというか奥ゆかしい。いきなり東京の中心部に食い込もうとして見事にはじき飛ばされた「すがきや」とは違うのだ。
 2006年11月には関西進出1号店を奈良県(奈良中央店)に出している。関西1号店を大阪でも京都でも神戸でもなく、あえて奈良に出すあたりがコメダさんらしい。こうして日本全国、いつの間にか知らない間に自分の街がコメダに占領されていることに人々は気づくのだ。コメダ深く静かに潜行せよ作戦とでも名づけよう。
 実はもう、あなたの街にもコメダさんが素知らぬ顔をしているかもしれない。公式サイトでぜひ確認して欲しい。
 って、なんだこりゃー、と驚く。喫茶コメダは300店舗も持つ大チェーン店なのに、つい最近まで公式サイトを持っていなかった。少し前にやっと作ったと思ったら表紙しかなかった。ごく最近になってやっとページが増えたのだけど、一部のメニュー紹介と、何故か三重県の店舗が5軒紹介されているだけだ。ぺージ数も3ページになったにすぎない。前回表紙のときは3年間そのままだったから、今回もまた2、3年このままなのかもしれない。
 だから、コメダの店を探すときは個人が運営しているファンサイトを見るしかない。まったくもって宣伝活動には興味がないコメダさんなのだ。そのあたりもコメダらしいといえばらしい。
 でもコメダがのんきな性格とかやる気がないとかそういうことではなく、通常の店舗の他にも「和風喫茶 甘味喫茶おかげ庵」や「高級喫茶 吉茶」の実験店も展開するなど意欲的なところも見せる。その店はコメダテイストを残しながら和風や高級に特化したものとなっているらしい。機会があれば一度行ってみたい。
 前置きがすごく長くなった。コメダさんについてだいぶ分かったところで、そろそろメニュー紹介といこう。

コメダさん-2

 コメダさんを代表するメニューであり、コメダさんの代名詞ともいえるのが、このシロノワールだ。シロノワールを食べずしてコメダに行ったことにはならないと言い切ってもいい。コメダ名物を飛び越えて名古屋名物の域にまで達している。
 暖かいデニッシュの上にどーんと乗っているのは生クリームではなくソフトクリームだ。パンが暖かいからソフトがだんだん溶けてくるので、溶けるのが早いか食べるのが早いか勝負となる。この上にメープルシロップをかける。もちろん、甘い。けど、暖かいのと冷たいのと甘いのが口の中で混ざり合って甘いのがよく分からない。最初はなんだこりゃと思う。でも、食べている内に妙に美味しく感じられて、食べ終わる頃にはなんだか知らないけど美味しかったなと思う不思議な食べ物だ。一度食べるとやみつきになって、しばらくするとまた食べたくなってくる。こうしてシロノワールのことを話している今も食べたくなってきている。
 ただし、相当大きいので注意が必要だ。直径20センチくらいあるだろうか。よほどおなかが空いてないと一人では厳しいものがある。二人で一つで充分だ。一人のときはミニシロノワールがオススメだ。普通サイズが560円で、ミニサイズは390円となっている。
 私はシロノワールの巨大さを知らなかったので、うっかりウインナーコーヒーを注文してしまった。クリームまみれになって、半分でもちょっときつかった。
 右にちらっと見えている袋は、名古屋名物喫茶店の豆お菓子だ。ピーナツだったり、ナッツだったり、甘い豆だったりする。名古屋では普通だから当たり前なのだけど、県外人に言うと笑われる。名古屋では昔からコーヒーを注文するともれなく豆お菓子がついてきた。別に全然おかしくない。これをポリポリ食べながらコーヒーを飲むのだ。
 開店から11時まではモーニングサービスとして、飲み物には問答無用にモーニングセットのパンとゆで卵が付いてくる。名古屋ではこれでも少ない方で、たいていのところではこれにサラダや果物などが付いてくるのが普通だ。パン食べ放題とか、トーストにおかず系のものが付いてきたりしてなにがなんだか大変なことになっているところもある。

コメダさん-3

 これまたコメダ名物、ブーツグラスに入ったクリームソーダだ。こんなものもわりと恥ずかしげもなく注文できてしまうところもコメダさんの偉大なところだったりする。
 長靴の形をしたグラスなんて、「男女7人夏物語」以来だ。靴先を上にしてビールを飲むと空気がごぼっとなって顔にかかるという懐かしいシーンを思い出す。
 しかしこいつもクリーム大量で食べるのが大変だ。うかうかしてるとソフトが溶け出してきてグラスからあふれ出してしまう。ちょっと焦る。
 味は昔ながらのクリームソーダで嬉しかった。子供の頃大好きだった味だ。
 左はツレが注文した名古屋名物の代表選手のひとつである「小倉トースト」だ(360円)。これは全国的に有名だと思うのだけど、名古屋人が思っているほどの知名度はないのかもしれない。
 いろいろバリエーションがあって、コメダのは小倉をトーストに乗せて食べるタイプだった。通常はマーガリンを塗ったパンに小倉を挟んで食べることが多い。コンビニでも菓子パンとして小倉サンドは普通に置いてあって、普通にみんな買って食べる。チョコサンドとかメロンサンドと同列のものと名古屋人は思っている。
 ツレの感想はまずまずといったところだったようだ。次はもっと美味しい小倉サンドを食べさせてあげよう。

コメダさん-4

 基本的にコーヒーなどの飲み物がメインの喫茶店ではあるけど、ちょっとした軽食なども用意してある。
 二度目に入ったときは名古屋名物とかコメダ名物にこだわらず、ミニコロッケを注文してみた。通常サイズはコロッケ3個とパン2個で710円で、ミニは510円だ。その他にもミニシリーズが増えてきて食べやすくなった。ミニとはいうけど、元々のサイズが大きすぎたり多すぎるから、ミニサイズでちょうどいい。
 味は普通に美味しい。びっくりするほどじゃないけど、まあ美味しいと言える。

コメダさん-5

 ツレが食べたカニグラタンもまずまず美味しかったとのことだ。私も一口もらって食べたけど、素朴な味だった。料理が得意なお母さんの料理レベルと思っておけば大きくは外れないだろう。
 食事系のメニューとしては、カツサンド、ハンバーガー、ピザなどの軽食がそれなりに揃っている。確かご飯類はなかったと思う。パスタもなかったような気がする。チェーン店でありながら店によってメニューのばらつきがある。店主によってある程度自由に決められるらしい。しっかりした食事は摂れないまでも、昼食や夜食なんかには必要充分だろう。
 コーヒー、紅茶などは360円と、名古屋では高くもなく安くもなくといったところで、味の方はなかなか評判がいい。チェーン店にしては美味しいというのが一般的な評価なんじゃないだろうか。
 一つ注意しなければいけないのは、アイスコーヒーを注文するときだ。何も言わないと有無を言わせずガムシロップ入りのアイスコーヒーが運ばれてくる。昔からの伝統として、アイスコーヒーはガムシロップが入ってくるものというのを頑なに守り続けている。もしブラックで飲みたい場合は、アイスコーヒーのシロップ抜きで、と注文しなければならない。

 こんなコメダさんをあなたは魅力的に思ってくれただろうか。明日にでも行きたいっと思ったなら、コメダさんファイサイトで店舗を調べて行ってみて欲しい。もし家の近くにない場合は、名古屋に来たときはぜひ寄ってみてください。名古屋市内ならたいていのところにあるから。なければ道行く人に、「このへんにコメダさんありませんか?」と訊ねればいい。10人中8人は教えてくれるはずだ。
 コメダさんの人気の秘密がどこにあるのか、それは名古屋人も分からない。もしかしたらコメダさん自身もよく分かってないのかもしれない。みんなぼんやりとは感じていても、はっきり言葉で説明するのは難しい。単純に言ってしまえば、ほどよい感じがいいのだと思う。東京的でもなく大阪的でもなく、どっちつかずの名古屋的なのが名古屋人にとっては心地がいいのだ。高すぎず安すぎず、美味しすぎず不味くもなく、オシャレすぎない。一度行けば自分も常連みたいな気分になるのもコメダさんの魅力だ。どのコメダさんへ行ってもだいたい同じという安心感もある。
 今後もコメダさんからは目が離せない。公式サイトも気がついたら5ページくらいになっているかもしれないから、たまに見に行かないと。あと10年もしたら、北関東から東北あたりまで浸食しているだろうか。西は鳴門海峡を渡れるかどうか。
 いつか日本中がコメダさんであふれる日を夢見ながら、私のコメダさん紹介を終わりとしたい。


明治村の鉄撮影で撮り鉄二等兵を自覚する ---明治村で撮る<第五回>
2007年11月20日 (火) | 編集 |
明治村で鉄-1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4



 明治村は建築物でだけでなく、鉄道の楽しみもある。動く市電やSLの他に動かない列車なども保存されていて、おそらく全国の鉄道マニアの人はそれだけを見に来たりもするのだと思う。他の建物そっちのけで。
 私もこの日はにわか鉄になったつもりでいろいろ鉄道関係の写真を撮ってきた。蒸気動車キハ6401の前で写真を撮っていたら、たまたま通りかかった明治村の職員の人に、よかったら中に入って見ていってくださいと声をかけられてしまった。いや、私、鉄の人じゃないんですと言い出しにくくて、それじゃあせっかくだからということで中に入らせてもらった。
 蒸気機関の扉を開けてもらったり、親切にもあれこれ説明してもらってありがたいことだった。写真もどんどん撮ってくださいというので必要以上に撮ってみた。上の写真はその中の一枚で、蒸気機関のアップだ。ちょっと鉄っぽくぐっと迫ってみた。鉄の人の特徴としては一般人が興味を持たないような細かい点に注目するという特質があることに最近気づいた私なのであった。

明治村で鉄-2

 蒸気動車という聞き慣れない名前のこの列車は、蒸気機関車と電車の間をつなぐ珍しいもので、明治村にあるものが現存する唯一のものなんだそうだ。
 一番の特徴はなんといっても蒸気機関が列車の内部にあることだ。一両の中に蒸気機関と客室と機関室が全部同居している。客室の隣で石炭なんかをくべて蒸気の力で走っていたというからすごい。すごいとうか無茶だ。夏場なんて暑くて乗ってられないだろう。
 さすがにそんな無理な列車が主力にはるはずもなく、ごく短期間で姿を消していった。ただ、これを日本で最初に導入したのが我らの瀬戸電だったというのはちょっと嬉しい。名鉄になる前の瀬戸自動鉄道が、1905年(明治38年)にセルポレー式を走らせたのが始まりだった。ただ、あまりにも故障が多く、しかも頑張っても時速20キロくらいしか出ないことから早々に見切りを付けられたのだった。
 明治村にある蒸気動車キハ6401号車(工藤式蒸気動車)は、明治45年(1912年)に現在の関西本線で短期間使用されたもので、そこでもあまり活躍できないまま名鉄蒲郡線に払い下げられた。そこでしばらく走ったあと廃車となり、長い間犬山遊園で野ざらし展示されていたそうだ。そろそろ廃車かと思われたところで明治村から声がかかり、ここで保存展示されることになったというわけだ。
 外観も元の姿に復元されて、鉄道記念物にも指定された。一般人の私は鉄道記念物なんてものがあることも知らなかったけど、かなり名誉なことなんだそうだ。

明治村で鉄-3

 朽ち果てそうな荷物棚と、朽ち果てたつり革。年季が入っているという度を超している。うっかりつり革につかまったらちぎれて顔からシートに突っ込んでいきそうだ。荷物を乗せたら、突き抜けて座っている人の頭の上に落ちる。
 列車自体が木でできているというのも驚く。これは確かに機関車でもないし電車でもない。走る木造建築だ。こんなものが実際に走っていたというのだからびっくりする。ガタゴトというよりギシギシきしみながら走っていたんじゃないだろうか。脱線したらバラバラに分解してしまいそう。

明治村で鉄-4

 これが外の前から見たとことだ。蒸気機関が列車内にすっぽりおさまっているのが分かる。扉が前開きになるのは、やっぱり熱対策だったりするのだろうか。狭い機関室に閉じこめられたら大変だ。
 ちょっと暗いけど、上からは煙突が突き出している。ここから煙を吐きながら走っていたのだろう。
 車輪の仕組みは蒸気機関車とそっくりなスタイルをしている。

明治村で鉄-5

 移築保存されている鉄道局新橋工場の中には、明治天皇、皇后の専用列車である6号御料車と5号御料車の二両が保存展示されている。両方とも鉄道記念物に指定されている。写真は明治天皇用の6号の方だ。
 明治には数台の皇室専用列車が作られて、6号は一番最後であり最も豪華な御料車とされている。外観はもちろん、内装にも力が入れられていて、走る芸術工芸品といわれていたという。残念ながら普段は中にはいることができず、触ることもできない。ただ、見学ツアーみたいなのがあるようで、一度団体で中に入っているのを見たことがある。
 かつてはこんな列車で優雅に旅をしていたのだ。ちょっと信じられないような気もする。電車は自動車や飛行機とは違って決まった線路を走るものだ。のんびりしていた時代とはいえ、マイ列車ということは、その時間は線路も独占してしまうということだ。
 大正から昭和にかけても御料車は歴代天皇家のために作られ、かつては全国を走っていたそうだ。現在はわずかに一台(3代目1号)だけが使用可能な状態だそうだ。天皇専用列車で天皇一家がどこかへ旅行へ行ったなんてニュースは聞いたことがない。今の時代だからそんなこともあっていいとも思う。
 その他の車両は、今年になってできた埼玉県大宮駅近くの鉄道博物館に展示されている。

明治村で鉄-6

 皇室といえばやはり菊の御紋だ。この紋が入ってるだけで恐れおののいてしまうところがある。
 内部は確かに豪華絢爛なものだった。家具類や内張なんかも大変な手間暇とお金がかかっている。

明治村で鉄-7

 明治村の村内では9号と12号の蒸気機関車が動態保存されていて、毎日お客を乗せて走っている。
 12号は明治7年のイギリス製で、新橋-横浜間を走っていたものだ。動く状態としては日本で一番古い蒸気機関車となった。
 9号は明治44年のアメリカ製で、富士身延鉄道で活躍していた。
 この日は機関車が走っている場面に遭遇せず、写真を撮ることができなかった。残念。
 上の写真は静態保存されている尾西鉄道1号機関車。これが乗っているオレンジ色の橋は、新橋-横浜間にあった六郷川に架けられた日本最古の鉄橋だ。

明治村で鉄-8

 走る京都市電は撮れた。
 京都市電は明治28年に開業した日本初の市電で、明治村では明治44年に製造された車両が2両今でも現役で走っている。これは戦後しばらくまで都市電北野線(伏見線)を走っていたものだそうだ。
 京都市電は、1978年に廃止というから、私は見たことがあるのかどうなのか。ぼんやりとしたイメージがあるような気もするのだけど、それは気のせいかもしれない。

明治村で鉄-9

 一日の仕事を終えてドッグ入りする蒸気機関車。まだ少し名残の煙を吐いていた。
 手前は燃料だろう。このあたりも本物っぽい。

 こうして振り返ってみると、にわか鉄にしてもまだまだ対象への迫り方が甘いことを自覚する。鉄道はまず乗ってみてこそというところがあって、離れたところから写真に撮るだけでは近しい関係を築けず、写真としても緊張感が足りないものとなる。最初の蒸気動車は中に入ったからこそ撮れた写真だ。
 今回は蒸気機関車が走ってるシーンも撮り逃したし、いずれにしてもまた行かないといけない。そのときは蒸気機関車と市電と両方乗ることにしよう。御料車もどうしたら内部を見物できるのか調べないと。見学時間というのが決められてあるのかもしれない。
 本格的に鉄の人となれるとは思わないけど、鉄道を撮る楽しさには目覚めつつある。鉄道撮りも面白い。それはもう認めよう。撮り鉄予備軍から撮り鉄二等兵くらいになったことは自覚しないといけないか。
 秩父鉄道のSLもこの前行こうとして行けなかったから、来年の課題の一つとしたい。大井川鉄道も機会があれば乗ってみたいし撮ってみたい。愛知から長野へ行く飯田線も魅力的だ。
 この週末は奈良まで近鉄を乗り継いで行くことになってるから、ここでも恥ずかしがらずに写真を撮りたいと思っている。旅の恥はかき捨てということで、ホームの一番先頭で一心不乱に電車の写真を撮る人となろう。そのためにはほとんど捨て身の覚悟が必要だけど。
 というわけで、明治村は鉄の人にとっても魅力的な場所なのです。ぜひ、全国の鉄軍曹や鉄将軍の人は行ってみてください。私も頑張って撮り続けて、最終的には撮り鉄少尉くらいにはなれるといいな。


趣味としてのサンデー料理は作る楽しさと食べる美味しさの両立が必要
2007年11月19日 (月) | 編集 |
洋風サンデー

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4



 先週は和食だったから今週は洋食にしたかった。料理というものがメニュー決定の困難さとの戦いであり、飽きとの戦いであるということも最近だいぶ分かってきた。性格的にも同じものばかり作っていると飽きる。一週間に一度でこれだから、毎日食事を作ってる主婦の人はどれだけ大変か。世の中のお父さんも月に一度くらいは料理をするといいと思う。そうすれば、毎日の夕飯のありがたみがよく分かって、いっそう美味しく食べられるようになるから。
 洋食というのはすんなり決まったものの、その先がやっぱり苦労する。特に2品決まって3品目が難しい。なかなかアイディアが出てこなくて、たいていここで時間を食うことになる。
 今回もそうだった。白身魚のピカタとジャガイモとカニかまというところまではすぐに決まったのにその先が決まらなかった。最終的にはホワイトソースを食べたいというのと、ピカタでくぐらせた溶き卵が無駄になるということでオムレツに落ち着いたのだった。

 ピカタというのは、溶き卵を絡めて焼いた料理というようなぼんやりしたイメージだったのだけど、調べてみたらイタリア料理のひとつで、小麦粉をつけた肉などにパルメザンチーズを混ぜた溶き卵を絡めてソテーしたものをいうんだそうだ。日本ではもう少し広い意味で使われていると思う。肉以外にも魚や豆腐などでも卵を絡めたものはピカタと呼んでいる。
 今回は白身魚を使った。切り身2枚を塩、コショウして、間に大葉ととろけるスライスチーズを挟んで、小麦をまぶして、溶き卵で絡めて、フライパンでバター蒸し焼きにした。重ねてある分、火が通りにくいので、弱火でじっくり焼いていく。
 ソースは、オリーブオイル、白ワイン、粉チーズ、しょう油、からし、塩、コショウ、砂糖を混ぜたものをひと煮立ちさせて、そこにマヨネーズを混ぜ込んで作った。
 最後に青のりを振りかければ完成となる。写真の左手前がそうだ。
 これは作る前から美味しいと分かっていた。白身魚とチーズの相性はいいし、大葉は初の試みだったけど組み合わせとしては問題ない。ソースもしょう油ベースにからしとマヨネーズはよく合う。
 魚の代わりに鶏肉でも味付けは同じでいいと思う。見た目もちょっと洒落てるし、おもてなし料理にもいいかもしれない。大人にも子供にも受けそうだ。

 奥は、とろとろジャガイモとカニかま煮込み焼きといったような料理だ。
 これはいい方に転ぶか悪い方に転ぶか作ってみるまで分からなかった。結果的には成功だったからよかったけど。
 まずはジャガイモを適当な大きさに切って、たっぷりのオリーブオイルで炒める。その横でお湯を沸かして塩を加える。
 そこにジャガイモを入れ、コンソメの素と塩コショウで味付けをして、じっくり煮込んでいく。煮くずれる寸前まで煮る。完成間近でいったん火を止めて1時間ほど冷ます。ここがポイント。煮込み料理は冷めていく過程で味が染みこんでいくから、一度冷ましてから再加熱した方が味が染みて美味しくなる。カレーやシチューなどもそうだ。
 それとは別にフライパンでタマネギとベーコンを炒める。火が通ったらカニかま、アスパラを加えて、白ワインを振って、塩、コショウ、コンソメの素で味をつける。
 そこにさきほどのジャガイモを投入して焼きを入れたあと、ジャガイモが溶け出した煮汁もひたひたになるくらい入れて少し煮る。
 あえてカニかまを使った意味があるのかと思うかもしれないけど、それは特にない。たまたまカニかまのことを思い出して久しぶりに食べてみたくなっただけだ。贅沢に作るなら本物のカニの身を入れれば更に美味しくなるだろう。
 カニはともかくとして、味が染みこんだとろとろのジャガイモは美味しいので、少し変わり種のジャガイモ料理としてこれはオススメしたい。

 柔らか料理好きの私としては、オムレツもふわとろバージョンでいった。
 まずは具を切り分ける。タマネギ、マッシュルーム、鶏肉、エビをそれぞれみじん切りにしてボウルに入れる。そこへ小麦粉、しょう油、塩、コショウ、コンソメの素、粉チーズを入れてよく混ぜる。
 オリーブオイルで具材をよく炒めて、最後に溶き卵を加え入れてこちょこちょっと混ぜて、少し固まり始めたところですぐに火を止める。あとは余熱で適当な固さになるまで待って皿に移す。
 ホワイトソースは、小麦粉、バター、牛乳、コンソメの素で作る。レンジで作った方が簡単だけどダマが残るから、なめらかさを求めるなら手間暇かけてフライパンで作った方がいい。
 オムレツにもホワイトソースはよく合う。食べるときはホワイトソースを全体に絡めてしまう方が美味しい。

 今日のサンデー料理は、作る楽しさと食べる美味しさのバランスがとてもよかった。見た目も私の料理にしたらいい方だ。トータルでこれだけまとまりのあるサンデー料理はめったにない。食べ終わっての満足感が高かった。
 ここのところ無国籍料理や酒の肴みたいなキワモノ料理が続いていたけど、これで少し戻しただろう。その気になればまともな料理も作れるんだと自分自身少し安心した。
 今年も残り少なくなってきて、予定を見るとサンデー料理ができるのは2回となった。その次はおせち料理再びが待っている。
 残り2回となると、何か総集編みたいなものを作ってみたくなる。作る方を優先するか食べる方に重きを置くかで作るものが違ってくる。何を作るか、2週間の間に考えておこう。
 来年のことは分からないけど、作りたい気持ちがあるうちは続けていこうと思っている。サンデー料理は義務ではなく、習慣でもなく、趣味だ。大切なのは楽しむことと向上心を持ち続けることだということを忘れないようにしたい。


ブツ撮りの苦手意識克服のために ---明治村で撮る<第四回>
2007年11月18日 (日) | 編集 |
明治村ブツ撮り-1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4



 そろそろ明治村シリーズを再開しないと自分の中で旬の気持ちが色あせてしまうし忘れられてしまいそうだから、ここに再開。今日はブツ撮り編でいこう。ブツ撮りとは言えない写真も混ざっているけど。
 私は写真を撮り始めた頃からブツ撮りに対する苦手意識があって、それは今でも克服できずにいる。ブツ撮りが妙に上手い人がたまにいて、ちょっとうらやましいことがある。ああいうのは大部分センスなんだろうと思うけど、向き不向きというものなのかもしれない。人物写真が上手い人が必ず風景写真も上手いとは限らないように。
 今のところはいろんな人のブツ撮り写真を見て、なんとなくそんなのを真似しながら試行錯誤しているというのが現状だ。確信を持って撮っているわけではない。私が多少なりとも分かって撮ってるのは、人がいる光景の写真くらいなものだ。あれだけは自分がいいと思う光景に確信が持てる。あとは風景も建物もよく分からないまま撮ってる場合が多い。
 そんなわけなので、明治村では意識的にいつもより多めにブツ撮りをしてきた。今日はそんな写真を並べてみたいと思う。

明治村ブツ撮り-2

 シンガーミシンだ。相当使い込まれたようで年季が入っている。
 1号機が発売されたのが1853年だそうで、日本には1900年代になって入ってきた。これは明治の中後期くらいのものだろうか。さすがにここまで古い型のものだと懐かしいというより骨董品だ。私が子ども時代に見たものはここまで旧型ではなかった。もちろん電動でもなかったけど。
 今は、ミシンを踏むなんて言葉も使わなくなった。破れた服は捨ててしまうし、雑巾を縫うなんてこともしなくなった。母親がミシンをする姿というのはなかなかいいものだけに惜しいことだ。
 それにしてもこのミシンはセクシーだ。道具としての美しさがある。明治村を歩いていると、昔の時代の人の方が美意識が上だったんだということをつくづくと思い知る。建物もそうだし、こういう生活用品もそうだ。いつから性能ばかりを追い求めてデザインを置き去りにするようになってしまったんだろう。

明治村ブツ撮り-3

 私は古いものを好む方ではないのだけど、こういう温かみのある暮らしぶりを見るのは嫌いじゃない。昔の家具や生活道具には温もりがある。今は何もかもが冷たい感じがする。味気ないと言ってもいい。
 私も年と共にそういう思いが強くなっているのかもしれない。それが歳を取るということなら、歳を取ることもそんなに悪いことじゃない。

明治村ブツ撮り-4

 懐かしの黒電話だ。最近はまた黒電話がリバイバルブームになっているという話を聞くけど、本当だろうか。それなら、今こそ肩に担ぐタイプの弁当箱スタイル携帯電話を復活させて欲しい。新宿あたりであれを肩に提げて通話してたら人気者間違いなしだ。
 うちの田舎はいまだに黄緑色のような色をしたダイヤル式を使っている。回したダイヤルがジィィィィーといいながらゆっくり戻ってくるから、市外局番の電話番号にかけるとやたら時間がかかるのだ。
 手前のプッシュホンも昔よく見た。一般家庭ではあまり導入されてなかったと思うけど、会社や事務所のようなところはこれが多かった。
 私の年代だと、さすがに交換手につないでもらうというシステムは経験したことがない。けど、子どもの頃は電話を持ってない家庭がまだけっこうあって、アパートなどでは大家さんちの電話にかかったきたものを取り次いでもらうということはよくあった。

明治村ブツ撮り-5

 柱時計はじいちゃんの部屋にあった。じいさんはいろんなものを作るのが趣味で、柱時計も作っていたから、部屋にいくつも時計があった。子供心に、じいちゃん変わってるなと思ったものだ。
 夜中静かな部屋にチクタクチクタク響く振り子の音はけっこううるさかった。時間になるとボーン、ボーン、と鳴る音も。今でもあの音は覚えている。ボーン、ボーン、ボーン。

明治村ブツ撮り-6

 移築された帝国ホテルの内部は、当時の様子が再現されている。食器などはどの程度かつてのものを使っているのだろう。実際に使っていたものではないとしても、時代的には合わせてあるに違いない。
 窓辺の静かなテーブルという感じに写っているけど、実際はこの周りを小学生のチビどもが走り回っていた。まるで帝国ホテルの雰囲気なし。
 明治村と小中学生の相性はかなり悪いと思うんだけどどうだろう。今の時代の小学生に明治時代に興味を持てと要求すること自体に無理がある。行きたくもないのに連れて行かれて、面白くなかったという印象を持ったまま大人になってしまうということも考えられる。家族で行けばいろいろ体験したりして楽しめるだろうけど、学校単位で勉強のためにいくと面白くないところだ。

明治村ブツ撮り-7

 目黒にあった西郷従道の邸宅が明治村に移されて建っている。
 ただし、インテリアはそのままではないようで、このテーブルなどもコーディネーターが資料を参考にしながら作ったものだそうだ。実際にこんな感じだったのかどうかは分からない。
 兄貴の西郷隆盛は無骨な人だったけど、弟の従道はそれなりに洗練された人物だったのだろう。のちに伯爵の位をもらい、伊藤博文内閣では大臣もつとめている。邸宅を見ると、かなり贅沢に暮らしていたようだ。

明治村ブツ撮り-8

 西郷従道邸の書斎。こちらはいたって質素というかすっきりしている。使っていた頃はもっとゴタゴタと混乱していたはずだ。
 この椅子と机は当時のものだろうか。

明治村ブツ撮り-9

 明治時代の薬局の看板だろう。昔の薬の名前や宣伝文句は、すごく大げさだったりまがまがしかったりして、笑えたりのけぞったりしてしまう。疲労がポンと治るからヒロポンという名で普通に覚醒剤が売られていたり。
 かつては大らかな時代であったと同時に、薬に対する信奉心は今よりずっと強かったに違いない。生活程度に対して値段が高かったというのもあるだろうから、あこがれもあっただろう。

 並べた写真をあらためて見てみると、ブツ撮りというほど対象に迫れてないものを感じる。もう少し寄っていかないとブツ撮りでさえないとも言える。やっぱりブツ撮りは苦手なままだ。
 それでも撮っていかなければ上手くなることはないから、今後も少し意識していこうとは思っている。
 明治村の写真はまだだいぶ残っている。ここからはテーマ別というよりも、在庫を順番に出していくということになりそうだ。ネタに困ったときのつなぎとしてもいい。
 明治村というところは建物ばかりが注目を集めがちだけど、内装も被写体としては申し分ないところだ。インテリア写真を得意とする人なら、きっといい写真が撮れる。私のように人がいる写真が好きな人は、ここほど絶好の撮影スポットはないと言える。自分の上達によって撮れる写真も変わってくるから、半年か一年に一度くらい行くといいところだ。
 明治村もそろそろ紅葉が始まった頃だろう。これからの季節もオススメしたい。


まだ染まりきってない平和公園から2007年の紅葉撮りが始まった
2007年11月17日 (土) | 編集 |
平和公園紅葉始め-1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4 / Super-Takumar 300mm f4



 近頃めっきり秋の空が定着して、見上げるといつもそこには秋特有の雲が浮かんでいる。鰯雲、鯖雲、鱗雲、羊雲。そして、毎回思うのが、秋だなぁ、というしごく当たり前の感想だったりする。
 季節は秋から冬へ。暖かかった秋もそろそろ終わりが近づき、遅れていた紅葉の便りも届くようになった。気がつけば11月も半ばを過ぎている。私としてもぼちぼち紅葉に向けて準備を始めなくてはいけない時期のようだ。うっかり遅刻しないようにしなければ。
 まず手始めとしてどこへ行こうかと考えて思いついたのが平和公園だった。あそこなら同時に鳥撮りができるかもしれない。夕方の短い時間しかなかったものの、まずは偵察のつもりで行ってみることにした。

平和公園紅葉始め-2

 いやはやまだ全然染まってない。これは聞きしにまさる遅さだ。例年に比べて10日か2週間くらい遅れてるだろうか。自分の服装を見ても、紅葉見物の服装じゃない。まだ長袖Tシャツ一枚でうろつける気温だから、そりゃあ木々も冬支度しようとは思わないだろう。
 平和公園はどこが紅葉スポットというわけではないけど、公園周辺の道路沿いがなかなかきれいだ。特に東山公園へ向かう方にカーブしていくあたりがいい。お墓の方に行くとどうやってもお墓の群れが写真に入ってしまうから、写真に撮れる場所は限られてくる。

平和公園紅葉始め-3

 平和公園の中にある猫ヶ洞池は不思議な池だと思う。水はそんなに汚れてないし、釣り人も多く、水量も豊かで、周りには雑木林があるという好条件にもかかわらず、意外にも渡りのカモが少ない。いるときはいるのに、いないとなると1羽も浮かんでいない。この日はいない日だったようで、まったく見あたらなかった。ここから少し南に行った星ヶ丘の小さな新池の方がずっとたくさんいる。あちらは大通りに近い街中で、ここより騒がしい場所なのに。
 エサの関係なのか、水質なのか、環境なのか、カモの気持ちまでは分からない。私が見てないだけで、いるときはたくさんいるのだろうか。
 そもそも、平和公園は野鳥の宝庫だというのだけど、私はあそこでほとんど鳥を見たことがない。行くのはいつも夕方だから時間帯が悪いのか。やっぱり鳥撮りは早朝だろうか。そこまでの根性はないのだけど。

平和公園紅葉始め-4

 この日唯一撮れた鳥がスズメっ子だった。よりによってスズメって。でもこいつらだって野鳥は野鳥だ。数が多いからありがたがられないけど、よく見るとかわいいやつらだ。一枚の写真の中にこんなにもたくさんおさまっているのを撮ったのは初めてだったから、これはこれでよしとしよう。
 スズメも真正面から見るとけっこうキュートだということを発見した。

平和公園紅葉始め-5

 飛びものといえばローカル線の飛行機だけ。オオタカも生息してるというのだけど、いつ行けば見られる可能性があるのだろう。
 おしりに円盤みたいなのが付いたこの型のものをよく見かける。国内線なのか、どこかマイナーが外国の飛行機会社のものか。
 かつて名古屋の空港が小牧にあったときは、ここは飛行機が飛ぶ真下に当たっていて、地域住民は騒音に悩まされていた。セントレアが知多にできて移っていってからはずいぶん静かな土地になった。物足りないくらいに感じているかもしれない。だから、たまに飛行機を見ると私も珍しいものを見たような気になって、けっこう写真を撮ってしまう。以前は外に出れば必ずといっていいくらい何機も飛行機を見たから、そのときは何も思わなかったけど。

平和公園紅葉始め-6

 紅葉もまだだし、鳥もいないし、日没も近づいた。最後は少しでも高い位置に登って夕陽と夕焼けを撮ろうと、平和の塔に移動した。
 手すりに夕陽が当たってオレンジに染まった。お墓もきれいにオレンジになっていたのだけどそれを撮るのはやめておいた。

平和公園紅葉始め-7

 モミジなんかの紅葉は遅いのに、桜の紅葉は早いような気がする。鈍い赤色に染まった桜の葉はすでにあらかた落ちて地面を覆っていた。桜の園の桜並木もそうだった。
 桜の紅葉は上から見るときれいだけど、下から見ると茶色くてあまり印象は良くない。上から見下ろせる場所があれば、桜並木の紅葉も一見の価値がある。

平和公園紅葉始め-8

 塔のある広場は視界が開けてないから、夕焼け撮りには向かない。一部開けているところからは名古屋駅のタワー群が見える。
 夕陽はこのあとすべるように落下して、地上近くの厚い雲に隠れてしまった。短い夕焼けショーだった。

平和公園紅葉始め-9

 なんとなくシュールなシーンに思えて慌てて一枚撮った。道路を横断する人はけっこういてそれを見ても特に何とも思わないけど、写真で捉えるとなんとなく不思議な光景に思えて面白い。時間が止まっているようにも見える。

 紅葉のスタートとしてはやや収穫不足に終わったものの、遅れ具合が感覚的に掴めたし、自分の中で気持ちが紅葉モードに切り替わった。まだこれからだ。今年はずれ込む分、12月の中旬くらいまで楽しめるんじゃないだろうか。
 名古屋周辺の紅葉名所といえばどこだろう。一年経つとすっかり忘れてしまう。一番有名どころが香嵐渓で、その次に続くところがないというのは毎年変わらない。ずっとランクとしては下がって定光寺、犬山寂光院、岩屋堂あたりだろうか。白鳥庭園、名城公園、八事興正寺、東山植物園あたりも一応そうだろう。鳳来寺や茶臼山はちょっと遠すぎる。小原村の四季桜と紅葉の競演はそろそろ始まっただろうか。多治見の永保寺は去年行ったからもういいか。
 今年は奈良の紅葉に賭けているところがあるから、そこでしっかり撮ってきたいと思っている。上手く鹿と夕焼けと絡めて撮れるといいんだけど、どうだろう。
 去年から一年経って、自分がどれだけ撮れるようになったか楽しみだ。桜と紅葉を思い通りに撮れるようになりたいと思ったのが3年前だった。今はあの頃よりも写真を撮ることを楽しく感じている。