現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
天国も地獄も見た興福寺の建物たち <奈良シリーズ第五回>
2007年12月04日 (火) | 編集 |
興福寺-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 香嵐渓で中断してしまったけど、もう一度奈良編に戻ることにする。まだネタはたくさんあるのだ。
 今日は興福寺について書いてみたい。大仏と並んで奈良を代表する観光スポットだから、行ったことはなくても知っている人は多いだろう。名前に馴染みはなくても、五重塔でお馴染みと言えば分かると思う。位置的にも近鉄奈良駅から一番近いスポットだから、はずすことは少ないはずだ。通り過ぎるだけでも見ている人が多いんじゃないだろうか。私たちも今回一番最初に寄ることになった。ただ、あとあとの時間配分をあって、さらっと表面をなでるだけの見学になってしまったのがあとになって惜しまれた。帰ってきてから復習してみると、大事なものをたくさん見逃していたことに気づいた。なので、今日の興福寺編も表面的な紹介となってしまう。
 上の写真は、猿沢池から見た五重塔と南円堂だ。奈良らしい風景の一つとされている。夜間はライトアップされた五重塔が夜空に浮かび上がる。
 かつてはこの位置から建物の全景がよく見えたそうだけど、今は植林によって視界が悪くなってしまった。左手にある三重の塔も隠れて見えない。木が多い割には紅葉が少ないのは惜しいところだ。ここが甘く染まったら、もっと美しい奈良風景となっただろうに。桜の季節はどうなんだろう。

興福寺-2

 五重塔はさすがに国宝としての貫禄充分で、遠くから眺めても圧倒的な存在感を見せつける。京都の東寺にある五重塔についで、現存するものの中では日本で二番目に高い木造塔だそうだ(約50メートル)。
 一番最初に建てられたのは730年で、それ以降、災害や戦火で5度の消失と再建を繰り返し、現在のものは1426年に再建された。500年以上の木造建築が今もこうして建っているというのは驚きだ。
 江戸時代末期の神仏分離令と廃仏毀釈で興福寺は徹底的に叩かれて一時は廃寺同然になっていたことがあった。そのとき25円だか30円だかで五重塔も売りに出されて、あやうく薪の材料になりかけたという。市民の大反対によってなんとか取り壊しを免れて現在に至っている。それが世界遺産になって、こうして世界中から人を呼んでいるんだから、古いものをなんでも壊せばいいってもんじゃないことが分かる。

興福寺-3

 近づくと更に威圧感が増す。こりゃ立派なもんだと感心せずにはいられない。五重塔は近くで見ると意外と華奢な感じに見えるものが多いけど、こいつはそんなヤワなものじゃない。屋根の大きさも下から上まであまり変わらない。
 遠巻きに柵で囲まれていたのは最近のことだろうか。昔はもっと近くまで寄れたような記憶があるけど気のせいだろうか。これ以上近づけないのが残念だ。できれば至近距離からじっくり見たかった。何年か前に期間と人数限定で五重塔内部の特別公開が行われたようだ。次はいつになるか分からない。
 内部の四方には、薬師如来像、阿弥陀如来像、釈迦如来像、宝生如来像が安置されている。

興福寺-4

 五重塔に西側にあるのが南円堂だ。渋い建築物が多い興福寺の中では派手な印象を受ける。
 最初に建てられたのが813年と、初期の興福寺の中では最も遅く建てられたもので、これをもって興福寺は完成したとされている。
 現在のものは4度目の再建で、江戸時代の1741年だから比較的新しい。それと、平成4年から3年かけて解体修理もされているので、見た目も最近の建物に見える。

 現在の興福寺は、どこからどこまでが寺の敷地なのか判然とせず、ポツリポツリと建物が無造作に散らばっているように見える。けれどこれは、長い年月の中で様々な紆余曲折と浮き沈みを経た結果こうなったわけで、もともとは理路整然といくつもの伽藍がきれいに並んだ大寺院だった。
 境内の中心には中金堂(ちゅうこんどう)がでんと構え、西には西金堂、東には東金堂が直線に並んで建ち、東側には食堂(じきどう)と五重塔、西には南円堂、北円堂、中央には講堂と正面玄関としての南大門があった。
 それらは、災害で焼け落ち、戦争で燃え、その都度再建され、あるいは再建されないままのものあり、だんだん秩序を失っていった。寺を囲っていた塀もなくなり、今は奈良公園の中に溶け込むようにして伽藍が点在するのみとなっている。現在の姿からかつての大伽藍寺院の様子を想像するのは難しい。

 南円堂も特別公開時をのぞいては一般公開していない。この日は普段は見せていない秘仏の特別公開とかで、隣の建物の中に続々と人が入って行っていた。せっかくだから私たちもと思ったら、1,000円だか1,050円だかと書かれていて恐れをなして後退した。仏像好きにはそれくらい安いものなのかもしれないけど、ブツに対しては特別な思い入れのない我々には高かった。
 南円堂には木造不空羂索観音坐像や木造四天王立像などの国宝が安置されている。興福寺はもう、文字通り国宝の宝庫で、重文などはゴロゴロしていて、逆にありがたみがないほどだ。焼けたものも多かっただろうに、今でもこれほどの質量を所有してるのは驚異的だ。それだけ藤原氏時代に権勢を誇ったという証でもある。

興福寺-5

 こちらは五重塔の並びにある東金堂。
 726年に聖武天皇が伯母の元正太上天皇の病気平癒を祈願して建てたものだ。これも国宝に指定されている。かつては五重塔と一緒に塀に囲まれていたそうだ。
 現在のものは1415年に再建されたもので、6代目に当たる。
 本尊は重文の銅造薬師三尊像だけど、木造維摩居士坐像や木造文殊菩薩坐像、木造四天王立像などは国宝となっている。
 ここも個別拝観料が300円で、私たちは飛ばしてしまった。
 この左奥には食堂の跡地に建てられた国宝館があって、そこでも入るには500円が必要となる。全部回っていたらなかなかの散財だ。鹿せんべいを買う金がなくなってしまう。でも、国宝館だけは入っておけばよかったかもしれない。教科書などでお馴染みの国宝たちがうじゃうじゃいるところだから。次回があればぜひ入ってみたい。

興福寺-6

 興福寺っていついっても工事してるような気がするんだけど、たまたまだろうか。この日も大がかりなことになっていて、工事中の光景はなんともがっかりしてしまう。あのオレンジと黒のやつはどうにかならないものか。こういう歴史的な建築物でも工事が当然あるんだから、それ用のものを作って使って欲しい。模様だけでも昔っぽいものにできるはずだ。外国人も大勢訪れるのだから、こういう無粋なことはやめた方がいい。テレビの時代劇でも、時代考証に反するものが出てきたらいっぺんに興醒めしてしまうのと同じことだ。
 2010年に創建1300年を迎える興福寺は今、大規模な再建工事に入っている。一般公開を続けながら工事を進めていくのは難しそうだ。
 710年、藤原鎌足の発願で作られた釈迦三尊像を安置するために、寺の中心的な堂として中金堂が建てられた。南大門の正面、現在空き地になっているあたりにそれはあった。
 他の建物同様、中金堂も消失と再建が繰り返され、江戸時代の1717年に火災で燃えてからは100年以上も再建されることがないまま歳月が流れることになる。その後1819年に寄付によって再建されたものの、それはかつてのものより規模が小さなものだった。1974年に裏の講堂跡に薬師寺の旧金堂を移築して建てて、仮金堂とした。
 江戸期の中金堂は老朽化のため2000年に解体されて、現在その場所に新中金堂を建てようとしているところだ。2010年までに間に合うだろうか。今のところまだ建てられ始めている様子はなかった。

 興福寺はもともと、藤原鎌足の奥さんだった鏡王女(かがみのおおきみ)が夫の病気平癒を願って、669年に京都の山科に建てた山階寺(やましなでら)が起源となっている。
 壬申の乱に勝利した天武天皇(大海人皇子)が藤原京に移した際に、地名から厩坂寺(うまやさかでら)と名前を変え、さらに鎌足の息子である藤原不比等が平城京に遷都したときに現在の地に移転させて興福寺を名づけた。
 その後は藤原一族を始め、天皇家の尽力もあり興福寺は国家的な寺院となり繁栄の絶頂を迎えることになる。平安時代には春日大社をも飲み込み、大和国一国を支配するまでとなる。
 しかし繁栄も永久には続かず、戦国時代になると徐々に勢力が衰え、江戸時代には焼けた伽藍を再建する力もなくなっていった。明治には廃寺寸前にまで追い込まれるのだから、まさに天国から地獄だ。神仏分離令によって職を失った住職たちは、春日大社の宮司になってしまったというから節操がない。背に腹は代えられないということか。
 明治14年(1881年)に興福寺の再興が許可されるに至って、ようやく再建への長い道のりが再び始まったのだった。往年の栄光が戻ることはなくても、かつての繁栄の一部でも残ったことはありがたいことだ。2010年までにどこまで整備されるか楽しみに待ちたい。

興福寺-7

 南大門跡地は、少し塀に囲まれた空き地のようになっている。これの再建は規模を考えると難しそうだ。東大寺の南大門と同じくらいのものだったのだろうか。今となっては想像するしかない。あるいは、何十年後か後に再現されることもあるのかもしれない。平城宮の朱雀門だって復元できたのだ、やる気になればできないことはない。

 その他、今回見て回れなかった見所としては、北円堂、三重塔、大湯屋、本坊、菩提院大御堂などがある。ほとんど予習もせずにちらっと見ればいいやくらいの軽い気持ちで行ってしまったから、大事なものを見逃した。特に三重塔は一枚くらい写真に撮っておきたかった。奥まったところにあるから分かりづらい。
 ただ、国宝館などを全部見て回ろうとすればかなりの時間を要しそうだ。興福寺だけで半日かかってしまいかねない。一度に見て回ろうとせず、次回へ半分残しておいたのは正解だったかもしれない。これでもう一度行っても楽しめる。次はボストンバッグいっぱいに鹿せんべいを焼いて持っていこう。
 次回は東大寺編を予定している。大仏殿だけじゃなく二月堂、三月堂などもあるから、前後編に分かれそうだ。朱雀門ネタもあるし、番外編もある。まだしばらく奈良シリーズは続く。


紅葉写真で見た目と写真の違いを思う <香嵐渓紅葉その4>
2007年12月04日 (火) | 編集 |
香嵐渓番外編-1

FUJIFILM FinePix S2 pro+Nikkor 35mm f2D / SIGMA 17-35mm f2.8-4



 香嵐渓の紅葉シリーズは今日が最終回、番外編として紅葉以外の写真などもまじえつつ締めくくりとしたい。
 上の写真は特に狙いもなく漠然と撮ったものだけど、帰ってきて写真を見たら意外によかった。一面を覆った枯れ葉が山里の風情を感じさせる。赤でも黄色でもない枯れ葉色も、こう見ると悪くない。
 右の赤い橋は吊り橋の香嵐橋だ。歩くとぐわんぐわん揺れて手持ちで写真が撮れない。渡りきったあと普通の地面も揺れてるように感じる。
 一般の観光客はあまりこちらまで来ないようだけど、この吊り橋付近にもきれいな紅葉があるので見逃すのはもったいない。私は奥の落部駐車場近くに車をとめたから、こちらから歩くことになった。
 駐車場は普段500円なのにこの時期は紅葉価格ということで1,000円に跳ね上がる。言い値なので言われた通り払うしかない。悔しいので個人宅で呼び込みをしているところを探して、700円のところにとめさせてもらった。落部をすぎて川の反対岸の臨時駐車場は500円だった。歩く距離は変わらないから次はあちらにとめよう。

香嵐渓番外編-2

 冬桜か十月桜かが満開で、紅葉と競演していた。
 小原村の四季桜で見慣れた光景とはいえ、突然この時期に満開の桜を見るとちょっとびっくりする。知らない人は暖冬で狂い咲きしたかと思うかもしれない。
 今年は小原村は休みになりそうだ。去年ある程度しっかり撮ったから、今年もう一度行っても同じそうな写真になってしまいそうで気が乗らない。あそこは撮るのが難しい場所だから、もう一段自分がレベルアップしたと思ったら行くことにしよう。ブログ検索で今日の様子などを見てしまうと行きたくなるのだけど。

香嵐渓番外編-3

 紅葉バックのススキは心なしかピンクに染まる。
 逆光の光があればもっときれいだったのに。

香嵐渓番外編-4

 紅葉の時期になると撮る花もなくなって、こういう赤い実を見つけるとありがたがって撮ってしまう。
 赤い実は判別を最初から放棄している。

香嵐渓番外編-5

 考えてみると紅葉というのは日本の風景の中でしか似合わないものなのかもしれない。ヨーロッパの宮廷の庭に咲いてたらおかしいし、アメリカの郊外にもマッチしない。アフリカ、中近東、北欧、南米。どの国のどんな風景を考えても違和感がある。冬になればどの国の木も紅葉はするのだろうけど。
 中国は日本とよく似た紅葉風景がありそうだ。ただ、中国の場合は山の紅葉というイメージで生活圏の中というのはどうなんだろう。日本と同じように紅葉が似合う国があるとすれば、それは台湾くらいかもしれない。韓国も少し違う気がする。
 四季折々の花を愛でる日本人のメンタリティーというのは、本当に特別なものだ。

香嵐渓番外編-6

 香積寺の参道と紅葉の様子。
 一応紅葉のトンネルにはなっているのだけど、ちょっと中途半端。もう少し秋の見栄え重視で整備したらどうだろう。せっかく大勢が訪れるのにもったいない。庭師を呼んで全面的に造り直してもいいくらいだ。

香嵐渓番外編-7

 飯盛山は紅葉の時期は人気がないようで、登っている人はまばらだった。
 カタクリの時期は、この散策路が鈴なりの人になって、高級レンズと三脚がずらりと並ぶ。斜面は一面のカタクリが咲いて、見渡す限りの薄紫になる。
 紅葉は日本全国どこででも見られるけど、大規模なカタクリの群生を見られるところはなかなかないから、私としては春の香嵐渓こそオススメしたい。

香嵐渓番外編-8

 落部駐車場の山も赤に染まる。ここは角度的に西日が当たるときがきれいそうだ。
 落部駐車場は秋の紅葉シーズン以外は無料なので、香嵐渓に遊びに行くときはとめどころだ。香積寺や飯盛山へ行くには少し歩くけど、巴川をプラプラ散歩しながら行けばそれほど気にならないだろう。
 鳥スポットとしても一部では有名で、ヤマセミやカワガラスも見られるという。私もヤマセミはぜひ一度は見てみたい鳥だ。

香嵐渓番外編-9

 待月橋もこれだけ人がまばらでは雰囲気が出ない。香嵐渓名物は細い待月橋にあふれるほどの人が乗ってる光景だったのに、新しい橋は広すぎて失敗だ。渡るにはいいけど、面白くない。この日は特に人が少なくていけなかった。
 コンクリート剥きだしのようなデザインも残念なところだ。無粋な護岸工事といい、香嵐渓もだんだん風情がなくなる。

香嵐渓番外編-10

 もう少し普通の紅葉写真も載せてみる。
 この場所を見つけたときはいい写真になりそうだと思ったのに、できあがりを見てみたらそうでもなかった。こんなこともあるし、その逆もある。人の見た目と写真が写すものとは別物だ。ときにそれは大きな違いとして表れる。

香嵐渓番外編-11

 日暮れが近づいて家の中で灯った明かりが窓越しに漏れて、それを紅葉が彩った。屋根に降り積もった紅葉も秋の終わりの風景だ。

 これで今年の香嵐渓紅葉写真はおしまいとなる。自分の中でも完結した。
 気持ちはもう次の紅葉へ向かっている。この週末は鎌倉の紅葉を見に行く予定でいる。その前に東京もある。神宮外苑一周年記念のイチョウ並木も楽しみだ。まだ落ち葉の絨毯になってないようだけど、今週いっぱいでどこまで進んでくれるか。
 週末の前にもう一日地元で紅葉を撮りに行きたいと思っている。行けてもたぶん一ヶ所だから、一番行きたいところを選ぼう。できれば犬山の寂光院だけど、近場で岩屋堂あたりになってしまうか。
 紅葉シーズンも残りわずかとなった。もう少し楽しんでおきたい。紅葉が終われば、来年の春まで撮るものは鳥だけになってしまう。だからデジスコ?




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