 PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4
鎌倉最古のお寺という杉本寺には前から興味があった。神社仏閣は古ければ古いほどありがたいもので、一番古いなんて聞くと、それだけで俄然行ってみたくなる。ガイドブックを見ると、古いお堂に苔むした石段などの写真が載っていて、いかにもという感じだ。だから、金沢街道方面へ行くと決まったとき、ここが一番楽しみなところだった。 しかし、想像と現実は往々にして違うもので、杉本寺もちょっと拍子抜けするようなところだった。まず、車の往来の激しい金沢街道に面しているところから、あれあれとなった。こんなところだったんだと。金沢街道自体、車も人も通らないような山道をイメージしていたから、まずそこから崩れてしまったというのがある。そこへもってきてこのロケーション、私ががっかりしてしまったのも無理はない。もっと山の中の人里離れた古寺かと思っていた。 とはいえ、ここまで来たからには寄らないはずもなく、本堂の方に期待して石段を上がっていった。入り口の石段はそんなに古くもないし苔むしてもいない。
 この仁王門(三門)は古そうだ。かなり年季が入っている。たくさんの千社札が貼られているのも、いかにもといった感じだ。茅葺屋根の仁王門というのはちょっと珍しい。この門が作られたのがいつだったのかは調べがつなかった。 おじさん、ややカメラ目線でフレームイン。上の写真にも背中が写っている。エキストラ参加だ。
 左右の仁王像は運慶の作と伝えられている。 仁王像というと怒りの表情を浮かべていて恐ろしげという印象があるけど、ここのは少しデフォルメしたようなコミカルさを感じた。そんなに怒ってるふうでもない。子供の頃見た丹生大師の仁王像は恐かったな。
 ああ、ここだ、ここだ。ガイドブックに出ていた苔むした石段。 でも、時期的に少し遅かったようで、苔も冬枯れの手前だった。夏の終わりくらいならもっと青々としてきれいだったろうに。光もこのときは強すぎたかもしれない。 現在この石段は封鎖されていて歩くことができないようになっていた。残念。ここを歩けると思っていたのに。老朽化して危ないということだろうか。人が歩かない方が苔の状態がよくなるから、景観保存のためにはいいか。
 三門をすぎてすぐ右側には鳥居が建っていて、中に大蔵弁財天がある。 どういう歴史や由来があるのかは分からない。大蔵だけにお金に関係あるのかと思うのは間違いなようだ。杉本寺の正式名が大蔵山杉本寺だから、そこから来ているのだろう。 鎌倉には銭洗弁財天もあるけど、あちらはお金に関係がありそうだ。 杉本寺の紅葉はこの場所が一番きれいだった。おじさん入りの写真もあったけど、あまり登場するとしつこいので、このシーンではおじさんの出番はカットとした。
 拝観料は200円。微妙なところだ。お賽銭は、なしになる。入り口で払っておいたから、あっちでもらってくださいと。人間にばっかりお金がいって、仏さんに回っていかないような気がしないでもない。賽銭なら気持ちよく入れられるのだけど。 観音堂は1189年に焼けたのをはじめ、何度か焼けていて、現在のものは1678年に再建されたものだそうだ。それでも江戸時代の初期だから、すっかり古びていい感じになっている。茅葺屋根は何年か前に葺き替えられたようだ。かなりお金がかかったことだろう。拝観料の200円くらいじゃ追いつかない。 最初に観音堂が焼けたとき、本尊の十一面観音三体は燃えずに助かった。燃える観音堂から自ら逃げ出した十一面観音が杉の木の下で見つかったという話が「吾妻鏡」に出てくる。そこから杉本観音と呼ばれるようになったのだと。
731年、関東地方を訪れていた行基(ぎょうき)が、この場所に自分で彫った十一面観音像を安置したことから杉本寺の歴史が始まった。 734年に光明皇后の発願で、行基と藤原房前が杉本寺を創建したとされている。 その後、851年に慈覚大師が、985年には花山法皇の命を受けた恵心僧都(えしんそうず)がそれぞれ十一面観音を杉本寺に納めている。これで十一面観音は三体となった。 更に1193年には頼朝が運慶に造らせた十一面観音を寄進し、杉本寺は十一面観音だらけになっている。観音堂には運慶作の観音像が立っていて、奥に秘仏として三体の観音像が安置されている。同じく運慶作の地蔵菩薩もいる。 頼朝が修理費を出したり、実朝も参詣したりと、鎌倉時代も大切にされた。 観音堂の中に入ってブツを見ることはできるけど、撮影は禁止となっていた。こういうところの撮影禁止というのはよく分からない。フラッシュ禁止なら分かるけど、まさか写真を撮られると魂を抜かれるのを恐れるわけでもあるまいに。肖像権とかそっち関係なんだろうか。あまり撮られて写真が出回るとありがたみがさがるとか。 歴史をさかのぼると、この地は三浦氏の一族である杉本義宗が築いた杉本城があったところで、鎌倉時代に斯波家長が南朝の北畠顕家に攻めらて落城した。寺の裏手に少し跡が残っているようだ。
 観音堂の向かって右手にも上り下りする階段があって、こちらからは視界が開けていて家並みを見下ろすことができる。帰ってきてから知ったのだけど、左側からは富士山が見えたらしい。 このあたりがかなり山側に入っているというのがこの写真でも分かる。山間の狭いところによくもこれだけ詰め込めたもんだと感心する。ぎゅうぎゅうの押し合いへし合いをしながら、みんな思い思いの方向も向いて建っているのも面白い。それぞれの家に通じる道はどんなふうになっているんだろう。 鎌倉に住むというと優雅なイメージがあるけど、実際に住むとなると不便そうだ。車がないと動きが取りづらいし、道は狭い。観光客はいつでも多くて邪魔くさい。スーパーやコンビニのたぐいがほとんど見あたらないけど、住人はどこで買い物してるんだろう。電気屋やホームセンターもドラッグストアもない。Book offもないし、私にとっても住みづらそうな街だ。もはや鎌倉文士の時代ではなくなった。
聞くと見るとでは大違いの杉本寺ではあるけど、なかなか雰囲気もあって、観光客も少なくて静かないいところだった。ただ、山奥の苔むした寺を求めていくと肩すかしを食う。鎌倉最古というほど圧倒的な古さは感じない。 今回の金沢街道行きの旅も残すところ浄妙寺と報国寺の二つとなった。その先の明王院や光触院は遠いし時間もないからやめておいた。 その後は鎌倉駅に戻って江ノ電で長谷へ行って、文学館と長谷寺のライトアップを見て回った。順調にいけばあと4回で終わるのだけど、来週は途中で遠出も予定してるから来週中に終わるかどうか。次はクリスマスだ。 鎌倉編はまだ折り返し地点。もう少しおつき合いください。
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