現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
伊吹おろしの寒風を逃れて駆け込んだ野鳥観察館から鳥までは遠かった
2008年01月30日 (水) | 編集 |
名古屋市野鳥観察館-1

Canon EOS 20D+EF 75-300mm f4-5.6 IS



 鍋田干拓をあとにした我々が次に訪れたのが、稲永公園内にある名古屋市野鳥観察館だった。
 庄内川河口の稲永公園内にそれはある。広く言えば藤前干潟に隣接してるとも言えるかもしれない。私の中の藤前干潟のイメージは、日光川の河口付近で、もう少し西側だと思っている。実際どこからどこまでを藤前干潟としているのかはよく分からないのだけど。
 ここも前に一度行ったことがある。藤前干潟の帰りに寄ったのか、別の日に単独で行ったんだったか。風の強い寒い日だったような覚えがある。この日も強風が吹き荒れていて、とてもじゃないけど屋外での撮影は無理だった。歩いていたら涙が風に吹き飛ばされた。もちろん、感動して泣いていたわけではない。
 早々に野鳥観察館に逃げ込むと、そこはぬくぬくの世界だった。駐車場にとめた車から降りて急速冷凍されて、観察館で急速解凍された。これは体によくない。水分が出てしゃびしゃびになってしまいそうだ。
 観察館の中は暖かくていいのだけど、ここからでは鳥までの距離が遠い。海岸沿いの水辺でも100メートル以上ありそうだし、海の上の鳥は数百メートル先だ。備え付けの双眼鏡で見れば個別に確認できるものの、一眼の望遠ではまるで歯が立たない。デジスコの3000mmでさえアップにならない距離感だ。外から撮っても遠いには遠いけど、写真重視なら表で撮るべきだろう。観察だけなら館内からでも楽しめる。
 観察館の中には1階、2階あわせて30台の望遠鏡が備え付けられていて、自由に使って鳥を見ることができる。館の人も常駐しているから、いろいろ教えてもくれるし、話しかけなければ一人でも見ていられる。野鳥検索用のパソコンや、各種鳥の剥製なども置かれている。
 最近はデジスコセットも置くようになったようで、頼めば使わせてもくれる。KOWA提供のスコープはTSN-664とTSN-884、デジはEX-Z1080があった。自分のSDカードを持っていけば鳥撮りのデータも持ち帰ることができる。
 ここは昭和60年にオープンした施設で、一時閉鎖という話があったとかなかったとか。藤前干潟がラムサール条約に登録されたから、当分は大丈夫だろう。藤前干潟の北にもこういう観察館が必要だと思うけど、今のところ予定はなさそうだ。あちらもまったく歓迎ムードがなくて、名古屋市もまるで力が入っていない。

名古屋市野鳥観察館-2

 このときはちょうど干潮を少し過ぎたくらいの時間帯に当たっていて、観察館の前に大きな干潟ができていた。普段ならここにシギやチドリなどが集まってくるところなのだろうけど、この日は強風だったからか、まったく姿がなかった。ユリカモメなどのカモメたちがうずくまるように座り込んでいるだけで。
 他の鳥たちも全体的に少ない印象だった。カモは、オナガ、マガモ、キンクロ、ヒドリといったあたり、ユリカモメはたくさんいた。普段は群れて飛んでいるというハマシギもこのときは見かけなかった。遠すぎて見えていなかっただけかもしれない。
 猛禽も風が強すぎて飛ばなかった。もう少し早い時間には多少飛んだらしい。鳥撮りとしての収穫はあまりなかった。

名古屋市野鳥観察館-3

 キンクロハジロが少々。東京の淡水にはこいつらが大量にいる。名古屋市内では数が少ない。海で見るとちょっと違和感がある。海水でも大丈夫なんだ。
 風の強さは、この海面の波立ち具合で分かってもらえると思う。岸壁と干潟の間でさえこの状態だった。

名古屋市野鳥観察館-4

 観察館の中の様子はこんなふうになっている。Nikonのスコープが並ぶ。
 日曜の夕方前という時間ではあったけど、わりと訪問者があって、7、8人くらいはいただろうか。入れ替わりでもう少しいたかもしれない。みんなが鳥の人ではないにしても、けっこう楽しんでいたようだ。チビたちも親に連れられてきていた。

名古屋市野鳥観察館-5

 ハマシギの舞いは見られなかった代わりにカモメの飛翔は見られた。ユリカモメだったか、セグロカモメなども混じっていたのか。遠すぎて判別不能。

名古屋市野鳥観察館-6

 これはユリカモメじゃない気がする。セグロカモメのような違うような。カモメの見分けも難しい。
 このあたりで見られるカモメとしては、オオセグロカモメ、カモメ、ウミネコ、コアジサシなどがいるようだ。
 年間を通じて100種類以上、冬のカモはあわせて数万羽になるという。
 名古屋市はここにゴミ焼却場を作ろうとして市民の反対にあって断念したという経緯がある。そのとき藤前干潟が注目を集めることになった。それまで市民の大部分は名古屋に野鳥の楽園の干潟があるなんて知らなかったに違いない。結果的にそれがゴミの分別につながっていくのだけど、ここは残されてよかった。全国的に干潟というのもが消えていく中で、わずかでも残していくことに価値はある。

名古屋市野鳥観察館-7

 周辺は典型的な工場地帯で、港の風景が広がっている。名古屋港も埋め立てに次ぐ埋め立てで、自然の海岸線などはほとんど残っていないだろう。
 去年が名古屋港開港100周年だった。100年前とはもはや比ぶべくもなく、ここ20年、30年でも大きく様変わりしているのだと思う。金城ふ頭ができたのが1990年と、まだそんなに昔のことじゃない。
 観光地化することには失敗した。名古屋港水族館やイタリア村だけでは弱い。場所的にどん詰まりに位置していて、他の場所との連絡が悪いのもよくなかった。おそらく、今後とも劇的な発展は望めないだろう。

名古屋市野鳥観察館-8

 藤前干潟は、野鳥観察館から見てちょうど正面右手あたりになる。見えている橋が日光川大橋だろうか。だとすれば、その右側には日光川公園とサンビーチ日光川があるはずだ。
 藤前干潟の方に公共交通機関で行くのは難しい。サンビーチ日光川行きのバスがオールシーズンあるのかどうか。名古屋市野鳥観察館は、あおなみ線が開通して行きやすくなった。野跡駅(のせきえき)を降りて10分も歩かない。車なら駐車場も無料だ。
 このあたりの地名は読みが難しい。野跡は「のせき」と読ませているようだけど、もともとは「のぜき」と濁っていたようだ。稲永の「いなえ」も地名は「いなえい」だからややこしい。

名古屋市野鳥観察館-9

 冬は遠くの景色が本当によく見える。夏場は遠くの山がこれほどくっきりは見えないはずだ。
 ここで吹いていた強風は、この地方特有の伊吹おろしというやつだろうか。見えている山が伊吹山ではないにしても、あっちから吹いてくる風だ。
 冬の富士山も撮りに行きたいところだけど、名古屋からだと近いようで遠い。

名古屋市野鳥観察館-10

 観察館は夕方4時半まで(月曜定休)。日没が近づいたところでぼちぼち帰ることにする。
 防風林も風よけにどれくらい役に立っているのか。なければもっと風が強くなっているのだろうけど。

 ここのベストシーズンは、やはり冬だ。渡りの鳥たちで賑やかになる季節だから。しかし、寒さが強敵になるので、なるべく穏やかな冬晴れの日を選びたい。
 時間は午前の方がいい。というのも、観察館が真西を向いてるから、午後からは逆光になってしまう。それと、当然、干潮時の方が楽しみが多い。満潮のときはただの海だ。
 飲食施設は一切ないからお弁当持参で行きたいところだけど、観察館の中は飲食禁止になっている。隣に建っている稲永ビジターセンターというのも学習施設というからお弁当スポットではないだろう。暖かい日なら、観察館の前の芝生に座って海と鳥を見ながらランチというのもよさそうだ。
 写真に関しては、デジスコじゃないと厳しい。一眼の望遠では限界がある。ここの鳥は人に慣れてなくて、少しでも距離を詰めるとさりげなく逃げていくし。
 次は春の渡りシーズンあたりで行けたらいいなと思っている。


鍋田といえば猛禽が見られる干拓地としてその筋では有名な探鳥地
2008年01月29日 (火) | 編集 |
鍋田干拓-1

Canon EOS 20D+EF 75-300mm f4-5.6 IS / EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 名古屋近郊の猛禽スポットとして知られる鍋田干拓は、おそらく一般の人は一生無縁の場所だろう。名前くらいは聞いたことがあるかもしれないけど、普通は行こうとは思わない。何かのついでに行くようなところではないし、たとえ行ってみたとしても何もない。だだっぴろい農耕地と荒れ地が広がるばかりだ。
 にもかかわらずというべきか、だからこそというべきか、ここはたくさんの野鳥が棲みつく自然の野鳥園となっている。特に猛禽が多いことでその筋の人の間では有名な場所だ。今日あたり鍋田へ行ってみようかといえば、それは鍋田干拓で鳥撮りをすることを意味している。昔は、ゼロヨンやドリフトの会場がある走り屋御用達スポットとして知られていたのだけど、最近はどうなんだろう。
 3年ほど前に一度、一人で鍋田干拓を訪れたことがある。あれは確か手ぶれ補正の10倍ズーム機C-2100UZを買って、鳥撮りに目覚めて間もない頃だったと思う。漠然と猛禽が撮れたらいいなくらいの軽い気持ちで出向いていって、手ぶらで帰ってきた。鍋田干拓といっても400ヘクタールからある広大な干拓地だから、どこが鳥スポットなのかまるで見当もつかず、しばらく呆然と立ち尽くしたのを覚えている。あのときは水路のカモだけ撮って帰ってきた。
 今回はツレと二人で、ある程度あのへんだろうなというイメージを持って行ってきた。残念ながら猛禽は空振りだったものの、他の収穫が少しあって、まずまずの満足度となった。風が強い午後でコンディションと時間が悪かったけど、今後への可能性を感じることはできた。穏やかな日の午前がねらい目となるのだろう。
 今回一番の収穫はキジだった。鳥の人にとってはキジなんて珍しくないんだろうけど、私は初めて野生のものを見たのでけっこう嬉しかった。おー、キジじゃーん、と。こんな冬の田んぼでうろついてるとは思ってなかった。もう少し茂みの中のようなところでコソコソしているイメージだった。
 畑を歩き回ってさかんに地面をつついていた。車に対しては無警戒のようで、こちらを気にする様子もなく、エサ探しに夢中だ。距離的にもう少し近づきたかったけど、たぶん車から降りたら逃げていくのだろう。

鍋田干拓-2

 しばらく観察しながら写真を撮っていると、いつの間にか二羽になっていた。と思ったら、三羽になった。全部オスだけだったけど、メスも近くにいたのだろうか。
 調べてみると、キジは毎年全国で10万羽も養殖したものが自然に放たれているんだそうだ。そんなことはまるで知らなかった。主に狩猟用というから、一般にはあまり知らされていないのだろう。そう、キジは日本の国鳥でありながら狩猟対象の鳥なのだ。国鳥になった理由は、狩猟対象として最適で肉が美味しいからなんだとか。そんな理由でー。
 放鳥組の中の一部は野生化しているというから、私たちが野生として見ているつもりでも実は養殖ものだったりするのかもしれない。ただ、野生化したものも多くは猛禽や動物に食べられてしまうそうだから、なかなか目にしない理由はそのあたりにもありそうだ。
 自然の中で見るキジはかなりの存在感で、初めて見ると驚く。少し違和感もあって、不思議な気もする。ノラニワトリの仲間のような、どこかから逃げ出してきた鳥がうろついているような感じで、野生の鳥のようには見えない。

鍋田干拓-3

 これも私にとっては初対面のタゲリだ。
 平安貴族がかぶっていた冠がぴよーんと立っているような冠羽が目印となってすぐに分かった。よく見る人にとってはお馴染みの鳥なんだろうけど、うちの近所では見かけないものだからありがたみがある。
 飛び上がると白黒ツートンの羽がきれいでよく目立つ。できればタゲリの飛翔シーンも撮りたかった。群れて飛んでいると特に絵になる。
 歌舞伎役者の化粧をほどしたような顔と深いグリーンの羽も美しい。
 中国やシベリアなどのユーラシア北部で繁殖して、日本には冬鳥として渡ってくる。
 田んぼなどで小さな群れを作って、地面の中のミミズや虫などを食べている。そのときの様子が足で地面を叩いているように見えることからタゲリと名づけられたとされている。植物の実や貝類なども食べるという。
 ちょっと意外ないことに、チドリ目チドリ科に分類される鳥なんだそうだ。

鍋田干拓-4

 こちらはお馴染みのケリ。今回はどの写真も鳥が小さい。それだけ近づけなかったことを意味している。自然のフィールドでは野鳥園のようにはいかない。鍋田干拓でもデジタル一眼では厳しい。車の中に三脚を立てられるなら、デジスコが威力を発揮する。
 ケリの名前は、田んぼを蹴ることからではなく、鳴き声がケリッとかキリッとかでそこからきている。タゲリとは似ているけど名前の由来は違う。分類は同じチドリ目チドリ科となるから、種としては近い。
 ケリについては以前、尾張旭で撮ったときに詳しく書いた。

鍋田干拓-5

 これはたぶん普通のスズメ。後ろで飛んでるやつもそうだと思う。
 一見するとスズメだけどよく見るとホオジロだったりタヒバリだったりすることもあるから、スズメっぽく見えてもすぐに決めつけない方がいい。でもやっぱりこれはスズメだな。

鍋田干拓-6

 これもスズメだろう。遠くて逆光なのでシルエットになってよく見えない。
 猛禽は電柱や電線にとまっていることもよくあるそうだから、そのあたりもじっくり探していったのだけど、見つけることはできなかった。チュウヒの一羽でも見られれば満足度はもっと高くなってただろうに。

鍋田干拓-7

 あ、モズ。
 猛禽ツアーでかろうじて小さな猛禽と出会うことができた。体は小さくてもするどいクチバシを持つ肉食の鳥がこのモズというやつだ。とった獲物を枝などに刺しておく「早贄(はやにえ)」が知られている。昆虫やトカゲ、カエルなどがよくやられている。どうしてああいうことをするのかはよく分かっていないらしい。
 モズは漢字で書くと百舌となる。これは、モズが他の生物の鳴き真似をよくするからで、そこから百の舌という字が当てられた。
 モズの高鳴きで秋の深まりを感じるという人もいるだろう。

鍋田干拓-8

 これもモズだろうか。後ろ姿しか見えなくてよく分からなかった。
 目の上に黒い線がないから、モズとすればたぶんメスだ。
 最初、ジョウビタキのメスあたりかとも思ったのだけど、ジョウビタキはこんなところにはいそうもない。

鍋田干拓-9

 後半は撮るものがなくなって、目についたハクセキレイでも撮ってみた。
 これは街の公園でも河原でもよく見られるからありがたいものではない。
 鍋田はカラスも多いところだった。あれだけ数がいると、単独行動の猛禽では勢力争いに負けてしまうかもしれない。

鍋田干拓-10

 冬の鍋田干拓は、こんな風景が見渡す限り広がっている。農耕地として稼働している土地は一部で、農作業をしている人も数人しか見かけなかった。有効活用されているとは思えない。夏に訪れると、もっと青々とした豊かな土地となっているのだろうか。
 鍋田干拓の歴史は古く、江戸時代の1835年には八穂新田というのが完成して農耕地となっていた。
 しかしその後、1837年の暴風雨や1842年の洪水など、たびたび水の被害にあい、戦後の食糧難で再開拓されたものの、1957年の伊勢湾台風で大打撃を受けてしまう。海岸の堤防は95パーセントが決壊して、入植者の半数近くが命を落とした。
 1960年に堤防が復旧したあとも農業の先細りなど時代の移り変わりもあり、現在では数戸しか専業農家が残っていないという。近くには東名阪道や伊勢湾岸自動車道などが走っていてインターもあるので、農地以外に利用した方がいいのではないかという声をあるようだ。
 ただ、こんな荒れ地だから猛禽などの野鳥が暮らしやすい土地となっているわけで、こんなふうに遊んでいる土地があってもいいではないかとも思う。

鍋田干拓-11

 遠くに目をやれば、ナガシマスパーランドの観覧車やジェットコースターが見える。向こうの山脈は三重県の山だろう。
 高くなっているのは木曽川の土手で、この向こう側が葦原となっていて猛禽スポットになっているようだ。車では近づくことができそうになかったので、行くなら歩きということになるのだろうか。干拓地の中は狭い農地があるだけで、どこまで進入していいものやら迷う。下手なところに入っていくと、細い一本道をバックで出ないといけないことになりそうだ。
 結局、猛禽スポットがどこなのかはよく分からなかった。日曜日だし鳥のお仲間がいるんじゃないかという当ては外れた。時間帯がよくなかったかもしれない。ネットでも、猛禽を鍋田で撮ったという情報はあるものの、詳しい場所までは説明がない。どのあたりと説明しようにも周りに目印となる建物などがないということもある。こうなったら野鳥の会に入って鳥の人に教えてもらうしかないか(本気か、私?)。
 チョウゲンボウ、コチョウゲンボウ、ノスリ、ハイイロチュウヒ、ミサゴ、オオタカなどもいるというから、見られるものなら見てみたいし撮ってみたい。夕方にはコミミズクなんかも飛ぶらしい。
 弥富野鳥園は鍋田の東のはずれあたりに位置しているから、セットで行くのもオススメだ。私もまた行きたいと思っている。次は春くらい、もっと暖かくなってからにしよう。迷彩模様のテントを持っていれば話は別なんだけど。


たくさんのインコを見て無駄の美しさを思う ---花鳥園新シリーズ第8回
2008年01月29日 (火) | 編集 |
花鳥園のインコたち

FUJIFILM FinePix S2 pro+Nikkor VR 24-120mm f3.5-5.6 / TAMRON SP 90mm f2.8



 花鳥園ネタはまだ残っている。今日はインコ特集としてみよう。
 トップは、ズグロインコから。頭が黒いという理由だけのネーミング。他にも特徴はいろいろあるだろうに。体はこんなに派手なのに、一つの要素で決めつけられてしまっては納得できないだろう。人でいえばメガネをかけているだけで、メガネ呼ばわりされてしまうみたいな悲しさだ。

花鳥園のインコたち-2

 オオハシさんにもいろいろ種類がいて、これはクリハシオオハシ。クチバシがオレンジのやつはオニオオハシで一番大きくて、クリハシは2番目になる。
 私はやっぱりオニオオハシさんの方がいい。あっちの方がかわいい。カラーリングの違いで差が出るものだ。

花鳥園のインコたち-3

 オニオオハシを真正面から撮ったら、ヘンな顔になった。ちょっとおかしい。地底人みたい。悪の手下みたいにも見える。

花鳥園のインコたち-4

 上手に足を使ってエサを食べる、コミドリコンゴウインコ。けっこう賢そうだ。
 ペットとしてもわりとポピュラーなようで、値段は15万円前後らしい。

花鳥園のインコたち-5

 これまで何度も登場している、ヨウムのアンソニー。
 とぼけた顔でいたずら坊主なのに人なつっこくて憎めないやつ。掛川花鳥園のアイドルとしてファンも多い。

花鳥園のインコたち-6

 同じヨウムでもずいぶん顔つきが違う。見慣れてくると違いが分かってくる。
 こいつは温室の中でみんなと一緒に放し飼いにされていた。あまり個性がないのか。顔つきはアンソニーよりも目がパッチリしていて凛々しい感じなのに、アンソニーのような味わいに欠ける。

花鳥園のインコたち-7

 たぶん、ゴシキセイガイインコ。ゴシキは五色から来ていて、個体によって色の違いが大きい。色合いが異なる亜種が20種類以上いるそうだ。
 基本は青い頭と、緑色の背中。青色と緑色を組み合わせて成立させてしまうのが自然のすごさであり面白さだ。人間ではこの着こなしは難しい。

花鳥園のインコたち-8

 オオハナインコのメス。オスは緑地に赤や黄色などが混じり、メスは赤と青のツートンになる。スーパーマンカラーだ。
 オスとメスでここまではっきり違う色のインコはあまりない。昔は別の種類の鳥と思われていたようだ。
 漢字で書くと大花だけど、もともとは大鼻からきている。やや大きめのクチバシを大きな鼻に見立てたのだろう。

花鳥園のインコたち-9

 これは名前の調べがつかなかった。ヨダレカケズグロインコかとも思ったけど、ちょっと違う気もする。それなら頭の上部が黒いはずだ。
 背中のウロコ模様は、お馴染みのセキセイインコを思い出させる。

花鳥園のインコたち-10

 ギニアエボシドリはインコの仲間ではないけど、ここではお仲間に入れてもらおう。分類としては、ホトトギス目エボシドリ科になる。
 頭のトサカがもちろん一番目立つ特徴ではあるのだけど、目のふちどりの赤や、化粧を施したような白い線も印象的だ。

花鳥園のインコたち-11

 ギニアエボシに似ているけど、カラーリングが違う。ツンツンヘアーでもない。でも顔はそっくりだ。ただのエボシドリか、ホオジロエボシドリか。エボシドリは19種類いるそうだ。オウカンエボシドリかもしれない。

 花鳥園にもたくさんの鳥たちがいるけど、野生にはその何百倍もの種類の鳥たちがいることを思うと、今更ながら地球の多様さに驚く。地球の本質の一つは間違いなく、無駄の美学だ。必要不可欠ではないところに美しさが存在している。たくさんの鳥や生き物たちを見ることは、その一端を知るための大事な手がかりとなる。実際に見にいかなければ日常には存在しておらず、普段の生活で意識することもない。自分たち以外の多くの生き物について知れば知るほど、人は謙虚になれるものだ。この地球は決して人間中心に回っているわけではないことに気づく。
 花鳥園新シリーズはまだ終わりが見えてこない。少なくともあと3回分くらいは写真がありそうだ。終わってしまうとまた行きたくなってしまうから、ここからはぼちぼち出していくことにしようか。


トラフズクに会いに行った庄内緑地でフクロウと出会ってびっくり
2008年01月28日 (月) | 編集 |
庄内緑地風景-1

Canon EOS 20D+EF 75-300mm f4-5.6 IS / EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 2月の庄内緑地といえば、お馴染みになりつつあるのがトラフズクだ。3回目の今年もトラを求めてツレと共に出向いていった。
 しかし、残念ながらトラフズクとの出会いはならなかった。その代わり、フクロウを見られたのは大収穫だった。
 そのあたりを含めて庄内緑地レポートをしたいところなのだけど、もう眠たくて力が残っていない。今も何を書いているのか、半分ハラヒレホロ状態なので、今日のところは写真だけ並べて終わりとしたい。明日、コメントを書き加えることにする。写真だけならなんとかやれそうだ。

 と、ここで昨日はダウンした。今日はその続きを書いていこう。

庄内緑地風景-2

 庄内緑地は、名古屋の北西の端っこにあって、名古屋駅のちょうど北に位置している。だから、高層ビル群がおっと思うほど近くに大きく見える。夜に訪れたことはないけど、公園周囲の土手から見る名古屋駅方面というのはなかなかよさそうだ。
 都市公園では近年、ユリカモメが数を増やしている。名古屋でも知らない間に多くなった。一昔前までカモメなど海のものという思い込みがあって、初めて公園でユリカモメを見たときは何かの間違いかと思った。今では当たり前の風景として見ている。
 エサをやるとギャーギャーうるさく騒いで取り合いをするユリカモメも、ここでは餌付けされていないようで、人を見ても無反応だった。みんな寒そうに固まって体を丸めていた。

庄内緑地風景-3

 ここのところ名古屋も冷えている。確か5日連続で氷点下まで下がったと言っていた。
 この日も冷たい朝で、庄内緑地の池も氷が張ってた。久しぶりに池が凍っているのを見た。近年は温暖化で池も氷を張らなくなっていたのに。
 日陰の芝地では霜柱ができていて、歩くとザクザク音がするあの経験も久々に味わった。寒さゆえの風情や情緒というのもある。

庄内緑地風景-4

 渡りのカモたちもそれなりにいる。マガモ、オナガ、ヒドリガモなどが中心で、特に珍しいやつは見かけなかった。
 ここは鳥までの距離が遠いところなので、300mmの望遠レンズ(480mm換算)ではまるで届かない。フォーサーズ規格の600mm換算でも物足りないくらいだから、ここで鳥撮りを仕様と思えばデジスコに走るしかない。実際、鳥の人のほとんどがデジスコ組だった。
 鳥の種類は豊富で、名古屋市内では屈指の鳥スポットとなっている。

庄内緑地風景-5

 ここはカワセミ確率の高いところで、この日もしっかり見ることができた。鳥の人たちはみんなカワセミ好きだから、自力で探さなくても鳥の人が集まっているところへ行けば、たいていカワセミがいる。
 このときは自力でも見つけたし、鳥の人にも教えてもらった。二度目は、金属の手すりの珍しいところにとまった。池の上を人が歩いてもわりと平気だ。カワセミはいったんとまるとじっとしているから撮るのはやさしい。それほど警戒心が強い方ではない。

庄内緑地風景-6

 更に近づいても逃げることはなかった。4、5人がデジスコのスコープで狙っていても動じないところをみると、かなり人に慣れている。もちろん、近づきすぎれば猛スピードで飛んで逃げてしまうのだけど。
 カワセミの魚キャッチシーンとホバリングをいつか撮れる日が来るだろうか。

庄内緑地風景-7

 今回の目的は、トラフズクに会いにいくことだった。ネットではまったく情報が出てこなくて、今年はまだ来てないのだろうかと思いつつ行ってみた。自力での発見はほとんど不可能なので、デジスコを持った鳥の人に訊いてみたところ、いるにはいるけど奥に引っ込んでいてなかなか出てこないとのことだった。その代わりフクロウがいるという。それはぜひ見たいものだ。
 いつもいるポイントを教えてもらって行ってみると、鳥のお仲間が3人ほど集まっていた。訊ねてみると、さっきまでいたのにどこかへ飛んでいってしまったらしい。しばらく待っても戻ってこないので、いったん離れることにした。
 しばらくしてもう一度行ってみると、さっきの人たちが上を見上げている。どうやら戻ってきたらしい。私たちもいる場所を教えてもらって撮ることができた。運がいいことに、ほぼ全身が見える位置にとまってくれた。風が強くて枝と葉がワサワサ揺れる中、なんとか顔まで撮れたのがこの一枚だ。
 残念ながら目は開かなかったものの、ここまではっきりと野生のフクロウを見ることができたのは感動だった。花鳥園でも見てはいるけど、天然ものはありがたみが違う。
 しかし、まさか名古屋市内の公園にフクロウがいるとは思ってもみない。その事実にむしろ驚いた。いるところにいるもんだ。
 鳥の人はみなさん親切で教えたがり屋さんが多いから、思い切って訊ねてみるのがいい。
 ふと周りを見渡すと10人以上のギャラリーが集まってきていた。けっこうな騒ぎになっているのに、フクロウは知ってか知らずか眠り続けていた。

庄内緑地風景-8

 ツレが作ってくれたロールケーキ。紆余曲折を経て、この完成型で落ち着いた。制作を試みた名古屋ロールは完成品に至らず、幻となった。
 ジャムバージョンも申し分なく美味しかったけど、いつか幻の名古屋ロールを食べてみたい。

庄内緑地風景-9

 日差しは暖かいけど、風は冷たい一日で、ときどき猛烈に寒かった。
 それでも子供たちは全然平気で、サッカーなどをしていた。
 もう菜の花も咲き始めている。いよいよ春は近い。

庄内緑地風景-10

 春の花と思われているタンポポも、1月にはもう咲き始めてくる。今年は例年より早いようだけど、狂い咲きというほどもでもない。花も春を待ちきれないのだろう。

庄内緑地風景-11

 あ、オオイヌノフグリ。これも今年は早い。2月くらいになればどこかで咲いてないかと探すものだけど、1月の終わりにもう咲いてきているとはちょっと意表を突かれた。思っている以上に季節の歩みは早い。
 冬来たりなば春遠からじ。年を越すことを新春という。一年で一番寒い大寒も過ぎて、初春はすぐそこまで来ている。2月4日はもう立春だ。

 今回の庄内緑地も、なかなか収穫の多い訪問となった。いつも言うように、ここの駐車場が無料ならもっと頻繁に訪れているのにと思う。半日も過ごしたらけっこう高価な娯楽施設になってしまう。有料にするにしても、30分まで無料で、1日500円とかでいいじゃないか。なんでこんなところで儲けようとするんだ、名古屋市。
 まあそれはともかくとして、一つ心残りは、やはりトラフズクに会えなかったことだ。3年連続とはならなかった。今シーズン中にもう一度くらいチャンスがあるだろうか。現れたという確実な情報が出てくれば、そのときはまた行ってみたいと思っている。中日新聞に載れば確実なのだけど。
 近所の方はぜひ、フクロウを見に行ってみてください。


鳴いて騒いで飛んでたかってコガネメキシコ ---花鳥園新シリーズ第7回
2008年01月26日 (土) | 編集 |
コガネメキシコ-1

FUJIFILM FinePix S2 pro+Nikkor VR 24-120mm f3.5-5.6 / TAMRON SP 90mm f2.8



 とぎれとぎれになっている花鳥園シリーズの更新は、この先もとぎれがちになる。本編としてはもう終わっていて、あとはつなぎのネタになっているといった方がいいかもしれない。再訪の報告をして、フクロウコレクションも終わったから、あとはノンテーマ、ノンジャンルの写真が残っているだけとなった。
 第7回の今回は、テーマ別として最後になりそうなコガネメキシコインコ編だ。掛川花鳥園を代表する鳥のひとつで、フクロウやタカ、オオハシ、ヨウムなどと並ぶ人気者でもある。花鳥園を紹介する写真では必ずといっていいほど、こいつを肩や頭に乗せた人が写ってるし、それを見て花鳥園へ行きたいと思う人も多いという。
 というわけで、今日はコガネメキシコの写真を集めて並べてみることにする。飛んだり、とまったり、食べたりと、やつらはせわしない。もし、こいつらを10匹家の中で飼っていたとしたら、家に帰るのがイヤになるかもしれない。とにかく、人なつっこくて、落ち着きがなくて、騒がしいやつらなのだ。色も派手だから、見てると目がチカチカしそうになる。でも、どこか憎めないのがコガネメキシコインコというやつで、そこが好きという人が多いのだろう。

コガネメキシコ-2

 どんなキューが誰から出てるのか分からないけど、広い温室の中で突然一斉にコガネメキシコが飛び出すことがある。間欠泉のようにタイミングは一定ではない。しばらくおとなしかったと思うと、何の前触れもなく(実際には何かあるのだろうけど)、ギャーギャーギャーと鳴き騒ぎながら、端から端まで全速力で飛んでいく。何がしたいのかよく分からない。ネットの向こうに何かがあるというわけでもなく、ただ運動不足を解消するかのように飛ぶ。人がいても平気で、けっこう頭の上すれすれを飛んでいくのでびっくりする。理由はなくても、飛びたいから飛んでいるだけといえばそうなのだろう。
 名前はメキシコとついているけど、実際の生息地は、ブラジルやベネズエラなど、南米大陸の北東部の明るい森林地帯だ。野生のものも小さな群れを作って暮らしていて、穀物や果物、花の蜜などをエサとしている。花鳥園でも雑食性で、リンゴやパイナップルを小さくカットしたものや、小鳥のエサらしきものまで両方よく食べる。

コガネメキシコ-3

 迫力ある飛翔シーンを見ると、やはり撮ってみなくなるのが人情だ。ただ、スピードがかなり速いから、ビシッと撮るのは難しい。ハウスの中ということで明るさも充分ではないので、シャッタースピードも稼げない。流し撮りがうまくはまるといい写真になる。
 飛ぶのは人が少ない平日や午前中が多いとのことだ。やっぱり人によるストレスの発散を目的としたものかもしれない。

コガネメキシコ-4

 高速飛行の先でどうなるかというと、こうなる。張られたネットにぶつかるように突っ込んでいって、そのまま引っかかってぶら下がっている。柔らかいネットだから安全なのだろう。
 ひとしきりネットでギャーギャー騒いだあと、また反対側に向かって全速力で飛んでいく。たちの悪い子供みたいだ。

コガネメキシコ-5

 鈴なりとはまさにこのこと。コガネメキシコインコのなる木みたいだ。
 それにしてもこんなに数はいらない。いつからこんな大家族になったのだろう。園のオープン時にこんなに導入したとも思えないし、園内で増えていったのだろうか。
 コガネメキシコはペットとしてもわりとポピュラーな種で、飼っている人もけっこういるそうだ。インコの中では1羽7万円ほどと、そこそこ高価な部類に入る。
 花鳥園では100羽くらいいそうだから、ざっと700万円が飛び交っていることになる。肩の上に5羽乗せたら、それだけで35万円が乗っていることになる。花鳥園の中でしばらく過ごしていると感覚が麻痺していくのだけど、あの中の鳥をお金に換算すると、数千万ではきかない。自覚のないまま、お宝に囲まれていることになる。そういう意味でも、あそこはまさに夢の楽園なのだ。

コガネメキシコ-6

 夕方の閉園間際になると、エサ代が無料となってエサやり放題になる他、通常メニューのエサ箱も置かれ、食事タイムとなる。それに一斉にたかるコガネメキシコたち。
 その頃になると鳥たちもおなかがいっぱいになるので、あまり相手をしてくれなくなる。普通にエサを食べるのに必死で、食べ終わるとおなかがいっぱいになって、お愛想もしてくれない。やつらは人間が好きなのではなく、エサをくれる人間が好きなだけなのだと気づかされる。

コガネメキシコ-7

 手乗り、肩乗り、頭乗りなどお手の物。手からエサを食べるのも平気だ。
 家庭でチビから育ててもここまで手なずけるのには苦労するだろうに、ここのやつはどれもが当たり前のように慣れている。人を警戒していたらメシにありつけないという事情がそうさせるのか。

コガネメキシコ-8

 両肩にマイインコ状態。花鳥園ではごくありふれた光景だ。この格好の人が電車の中にいたら相当おかしいけど、花鳥園の中では何の違和感もない。誰もがマイインコを持っているから。

 そんなこんなのコガネメキシコインコ編でした。
 飼うといってもなかなか高いし、毎日世話をするのも大変だから、花鳥園へ行って一日オーナー気分になるのが手頃で楽しい。両手、両肩、頭と7羽も乗せれば50万円相当だ。ヨウムやオオハシさんをメンバーに加えれば金額は一気に一桁跳ね上がる。そんなひそかな楽しみもある花鳥園なのです。
 花鳥園写真はまだだいぶ残っている。残り回数は未定だ。
 明日は名古屋で鳥巡りなので、また花鳥園シリーズは中断となる。日曜日の明日、名古屋の鳥スポットで張っていると、私がのこのこ現れる可能性大です。トラフの来るところとか、干拓地とか、観察館のあるあそことか、そのあたり。


急に決まった帰郷は雪降る中の高速ドライブとなった
2008年01月26日 (土) | 編集 |
雪の帰郷-1

Panasonic DMC-TZ1



 急に田舎に帰らなくてはいけないことになって、今日日帰りで行ってきた。
 三重県に入って突然雪が降り始めて、進むにつれて雪景色になっていったのは驚いた。名古屋を出たときは冬晴れの青空だったのに、1時間走ったら真っ白の世界になってしまうなんて思いもしなかった。
 積もるほどの雪ではなかったものの、雪降りの高速走行は初めてだったから、少し緊張した。吹雪のようになって前が見づらいのでちょっと恐い。写真には雪はあまり写らないから、そのときの状況をお伝えすることはできないのが残念だ。
 走行中の一眼撮影はさすがに無理があるので、今日はコンパクトデジの撮影だけになった。田舎でも雪で濡らすのがイヤで、コンパクトしか使わなかった。今日は写真を撮りにいくような用事でもなかったし。

雪の帰郷-2

 長らく工事をしていた第二名神がようやく完成に近づいて、2月23日に開通するようだ。ただしまだ全体の一部で、まずは亀山と草津田上の間の暫定開通ということになる。神戸までつながるのはいつになることやら、気の遠くなるような話だ。今のところの完成予定は2018年となっているけど、そんなにすんなりいくとも思えない。
 うちは名古屋の北東なのであまり関係ない。大阪への時間が15分短縮するということくらいか。豊田方面に住んでいる人は、伊勢湾岸自動車道から関西方面へ行くのに便利になる。
 渋滞緩和や雪が降りやすいところを避けるなど、いろいろ効果はいわれている。高速道路はあればあるほど便利ではあるけど、必要ないようなところもけっこうありそうだ。昔は、高速道路はいずれ無料になるって話だったのに、今は誰もそんなことを言う人はいなくなった。民主党もそこまでは言わないだろう。
 新名神の愛称は、畿央まほろばハイウェイに決まったそうだ。響きはいいけど、まほろばなんて言葉の意味を知ってる人がどれだけいるか。

雪の帰郷-3

 雪は御在所から亀山あたりまでだと思っていたら、松阪に入っても降り止むことはなかった。松阪は雪の少ないところだから、こんなに降るのは珍しい。

雪の帰郷-4

 大師前のふれあいの館。
 雪が降ると、案外寒くない。風が吹いて吹雪くと体感的に冷たく感じるのだけど、風がない雪の日はむしろ暖かいくらいだ。今日も、雪が降っていた三重よりもよく晴れた名古屋の方が寒かった。放射冷却もあったのだろう。

雪の帰郷-5

 田舎のノラ。雪が降る中、出迎えてくれて、だみ声でニャーニャー鳴いていた。
 カリカリを投入したらよく食べていた。デカい図体だから、かなり食べるのだろう。アイの倍くらいの大きさがあって、同じ猫とは思えないくらいだ。

雪の帰郷-6

 雪でも見上げていたのか。見慣れないものが空から降ってくるとでも思っていたのかな。
 まだ当分寒い日が続くけど、夏に行くまで元気でいて欲しい。

雪の帰郷-7

 サービスエリアに寄ったら、御福餅(おふくもち)が売っていたので買って食べた。ちょっとお久しぶりです。
 赤福の販売再開は来月の中旬くらいになりそうなことをいっていた。御福餅は短い自粛期間のあと、本店と伊勢で販売再開したのは知っていたけど、サービスエリアまで復活してるとは思わなかった。赤福がいぬ間にたくらん売っておかないと。
 すごく久々に食べた御福餅は、イメージの中にあったものよりずっと美味しかった。昔は、赤福のニセモノで味もだいぶ落ちるといった思い込みがあったのだけど、どうやらそれは間違いだったようだ。御福餅も、これはこれで美味しい。
 赤福と比較すると、御福の方が甘さ控えめのあっさり味で、あんのキメが荒くて粉っぽい。餅は赤福よりも柔らかいかもしれない。赤福ではなく御福餅の方が好きという人の気持ちもようやく分かった。ずっとパチモンだと思っていた御福餅に謝りたい。
 でも、どっちが食べたいかというとやっぱり赤福なのだ。赤福の方が甘いけど美味しいし、あんの舌触りがなめらかだ。営業再開したら、みんなこぞって買いに行くだろう。最初は直営店だけの復活になるようだから、すぐに売り切れてプレミアがつくかもしれない。

 今日はこんな落ち着かない一日だった。そしてこのバタバタ感は来週いっぱい続く。その間、ブログが少し軽めになるかもしれないけど、2月からは落ち着いてしっかり書いていきたいと思っている。
 明日も早寝でのんびり更新してる時間はない。花鳥園の写真になりそうだ。日曜は出かけるから今週のサンデー料理はない。
 2008年も、もうひと月が終わろうとしてるなんて、信じられない。


息抜き夕暮れ香流川模様写真でインターミッション的簡易更新
2008年01月24日 (木) | 編集 |
夕暮れ香流川-1

Canon EOS 20D+EF 75-300mm f4-5.6 IS



 揚輝荘シリーズが終わってちょっと息抜きということで、今日は夕暮れに近所の香流川を歩いて撮った写真をお届けします。
 夕暮れ間近でかなり暗くなっていたからブレとの戦いになってしまい、手ぶれ補正のレンズと感度を上げてなんとか生き残ったのが今日の写真だ。高感度ノイズが少ない20DならISO800までは充分実用範囲なので安心して使うことができる。ISO1600もシーンによっては使えると思う。
 それでも被写体ブレはどうしようもなく、シャッタースピードが上がらない状況では厳しさもある。やっぱり写真は光があるときに撮りたい。

夕暮れ香流川-2

 コガモさんたちはお昼寝中。日没で本格的な睡眠に入ったところだったかもしれない。
 寒い日だったから丸まっているのかとも思ったけど、それなら水の中には入ってないだろう。そもそも、寒い日は、外と水の中とどっちが体感的に暖かいのだろう。カモたちが寒いと感じているのかどうかもよく分からない。寒さには強いにしても、ユーラシアの北では寒すぎて越冬するために日本などにやって来るわけだから、ものすごく強いわけではなさそうだ。ただ、これ以上は南下しないから、日本の冬を寒すぎるとは思っていないはずだ。
 一年中日本にいるカルガモと渡りのカモと、体の構造も全然違っているのだろうか。

夕暮れ香流川-3

 オナガガモはみんなそろって毛繕い中。
 派手にブレているのは私の手だけじゃなく、オナガたちが激しく動いていたせいだ。

夕暮れ香流川-4

 カルガモの姿も増えていた。渡りのカモたちがいってしまった夏場は、カルガモたちも寂しそうにしてるけど、冬になると仲間が増えて安心してるように見える。
 カルガモだけで小さなグループを作っていることもあり、他のコガモなどと一緒にいることもある。そのあたりも性格だったり個性だったりするのだろうか。

夕暮れ香流川-5

 向こう岸で何か黒いものが動いたと思ったら、ノラらしい黒猫だった。
 大あわてで走っていったと思ったら、上の遊歩道に散歩の犬が歩いてきたからだった。
 ここは猫の多いところで、ノラや半ノラたちがよく歩いている。今うちにいるアイも、しばらくこの川辺でノラ生活を送っていた。

夕暮れ香流川-6

 空飛ぶ猫とまではいかないけど、ジャンプして上の方に駆け上がっていった。
 暗い上に黒猫でシャッタースピードが上がらず、こんなふうにしか撮れなかった。残念。ジャンプする猫をきれいに撮れたら、フォトコンの「そらとぶねこ」に応募しよう。

夕暮れ香流川-7

 この川はいつもどこかで工事をしている。一体何を直していることやら。
 間の悪いことに、花見の時期もやっていることが多い。今年はそれまでに終わるといいけど。
 もうそろそろ1月も終わりに近づいて、春の桜もそう遠くないところまでやって来た。一年が過ぎるのは本当に早いものだ。

夕暮れ香流川-8

 ペンキ塗りたての注意書きを見ると、なんとなく昭和っぽくて懐かしい気がする。ペンキを塗ったばかりのベンチに座るみたいな古典的なコントを思い出して。
 ペンキを塗るっていうこと自体が昭和だ。21世紀的じゃない。時代が進んでもペンキってのは残っていくものなんだろうか。

夕暮れ香流川-9

 飛びものはとりあえず撮る。意味や理由はなくても。
 この飛行機は今でも小牧空港に降りているどこかのマイナー会社のものだ。ほとんどこのタイプしか見ないようになった。主だったところは、みんな知多のセントレアへ行ってしまった。

夕暮れ香流川-10

 すっかり葉の落ちた桜の木は、春に向けてもうつぼみの準備をしている。寒い冬に耐えてこそ、花を咲かせることができる。ソメイヨシノの木を常夏の地に持っていっても花は咲かない。

夕暮れ香流川-11

 ちょっと幻想的な写りになったマガモカップルの後ろ姿。
 適正露出だけが正しい写真の在り方じゃない。

 ここのところバタバタと慌ただしさが続いて散策に行けてない。明日もちょっと田舎に帰らなくてはいけなくなった。今週末の日曜は久しぶりに出かけられそうなので、それを楽しみにしている。
 まだ花鳥園の写真が残っているから、明日から再開しよう。
 最近、神社仏閣ネタがないではないかとお嘆きの方、もうしばらくお待ちください。え? 待ってない? いやいや、きっといるはず。期待に応えるべく、また神社仏閣巡りもしていきたい。
 2008年のブログの目標や方向性としては、特に去年と変わったところはない。継続することを第一の目標と決めている。2005年の開始当初と比べると少しずつ様変わりしてきているけど、それもまた必然だと思っている。個人的な思いとしては、もう少し読み物ネタを復活させていきたいというのはある。ここのところ写真重視に偏りすぎているところがあるから。長くなると書くのも読むのも大変になるのだけど。
 そんなこんなで今年も更新あるのみなのだ。


揚輝荘も文化のみちの一員になるといいね ---揚輝荘第6回<最終回>
2008年01月23日 (水) | 編集 |
揚輝荘最終回-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 長くなった揚輝荘シリーズも6回目でようやく最終回となった。最初は3回くらいのつもりだったのに、調子に乗って写真をたくさん撮ったから。最後は本編に入りきらずにこぼれてしまった写真を集めて並べて終わりとしたい。

 この人形はけっこう古そうだ。外国の人形だから、どこか海外へ行ったときのおみやげだろうか。ここの家の娘さんにお父さんが買ってきたものかもしれない。

揚輝荘最終回-2

 こちらには日本人形が置かれていた。
 部屋のふすまや壁紙が古びて、染みなども浮いてきている。ちょっとおどろおどろしい雰囲気。泊まった田舎の古い旅館がこんな部屋だったら寝るのに勇気がいりそうだ。

揚輝荘最終回-3

 このあたりの作りも非常に凝ったものとなっている。
 樹齢数百年だかの巨木から切り出した一枚板で作られているとのことだ。

揚輝荘最終回-4

 揚輝荘の中では伴華楼が一番きれいな状態になっている。応接間もそのまま使えそうなほど整っている。
 暖炉の上にいる置物は猫だったか違ったか。犬だったかもしれない。

揚輝荘最終回-5

 一階から二階へ上がる途中の、床の高さと目の高さが同じになる風景がなんとなく好きだ。家の中をこの水平レベルで見ることは普通ないから、新鮮な景色に映る。

揚輝荘最終回-6

 古い柱と鏡。どちらも年季が入っている。
 古い鏡はちょっと恐い気もする。たくさんの人の顔や、移り変わる部屋の様子を長い年月映し出してきて、何か自らの意志のようなものを持っているような、そんな想像をしてしまう。

揚輝荘最終回-7

 昔ながらの柱時計。すでに時を刻むのをやめていた。

揚輝荘最終回-8

 日曜大工で作ったような机と椅子だけど、これも手が込んでいる。椅子の背もたれには、階段の手すり同様、透かし彫りが施されていて、向こうが透けて見える。手すりの上の部分にも模様が刻まれている。
 家の中の至る所がこういう意匠を凝らしているところはあまりないんじゃないか。高い家具を揃えるとか、派手なインテリアで飾るとか、そういうことではない。こういう工夫もあるんだと参考になるところがいろいろあった。もちろん、使われている素材は高級品で庶民が気軽に使えるようなものではないけれど。

揚輝荘最終回-9

 聴松閣の玄関前には石の虎が構えている。
 当主が中国旅行のとき手に入れたもので、大齊永明六年と刻まれているそうだ。それが本当なら488年に彫られたものということになる。

 これにて揚輝荘見学報告は終わりです。お疲れ様でした。
 建物も庭も、まだまだ整備はこれからで問題も山積みのようだけど、今後に期待したい。名古屋市が金を出すだろうか。古くて貴重なものは残して守っていって欲しいと思うけど、それは部外者の勝手な願望で、実情はなかなか大変のようだ。
 名古屋市も遅ればせながら文化財や古い建築物の保存に力を入れるようになって、「文化のみち」として歴史的な地域一帯を観光コースとして育てようという活動を始めた。現在のところ、二葉館(旧川上貞奴邸)、橦木館、旧豊田佐助邸、故春田鉄次郎邸が指定されて、一般公開されたり使われたりしている。今後は、この輝揚荘もそれに組み入れられるといいんじゃないかと思う。コースとしても大きくは外れていない。
 去年から名古屋観光バス「メーグル」というのも運行されるようになった(ネーミングがまたアレだ)。いくつかのコースがあって、「歴史探訪ツアー」では、名古屋駅から徳川園、徳川美術館、二葉館、市政資料館、名古屋城を、「産業観光ツアー」では産業技術記念館、名古屋テレビ塔、広小路栄、ノリタケの森をそれぞれ巡っている。1回どこまで乗っても250円で、一日乗り放題券も500円だから、ちょっと魅力的だ。バスは金ピカに塗られていて、乗り降りするとき恥ずかしいけど、屋根に金鯱を乗せなかっただけましだ。私も一度乗りたいと思っている。早めに乗っておかないと、いつ廃線になってしまうか知れないし。
 そんなわけで、名古屋にもまだまだ隠れた観光スポットがあるという話でした。また名古屋のマイナー見学ネタでお会いしましょう。


揚輝荘ネタもだいぶ引っ張ってラスト前は南庭園 ---揚輝荘第5回
2008年01月22日 (火) | 編集 |
聴松閣3-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di


 揚輝荘シリーズもなんだかんだで長引いて、今回が5回目となった。もうそろそろ終わらせようと思って写真をみたら、今日を入れてあと2回分残っていた。少し駆け足で紹介していくことにしよう。
 今回は南庭園の聴松閣と揚輝荘座敷の外観の写真が中心になる。
 北庭園から行くと、建物の裏手に当たる。かなり古めかしいたたずまいで、昭和の日本家屋の雰囲気を持っていて、ちょっと懐かしい。ただしこちらは裏の顔で、表に回るとずいぶん印象が違う。あえてそういう作りにしたのか、改築を重ねることでそうなっていったのかはよく分からない。こちら側の建物はもともとが古いもので、空襲があったり戦後の変遷をへているので、もとの姿をあまり残してはいないのだろうとは思う。
 かつてここは、揚輝荘座敷、聴松閣、端の寮と3つの建物が横に並んでいて、それぞれが渡り廊下で結ばれていたようだ。現在は、揚輝荘座敷と聴松閣の2つだけとなり、揚輝荘座敷は非公開となっている。
 それでは、表に回ってみることにしよう。

聴松閣3-2

 古い白壁のこれは土蔵だったか。これだけの邸宅だから、土蔵の一つや二つ、ないはずがない。
 全体の整備が進んでいって、詳しい敷地図なども描かれるといいのだけど、そこまでいくかどうか。もう少し体裁が整ったら、観光地として有料にしていく方向で考えてるのだろうか。

聴松閣3-3

 これが揚輝荘座敷で、現在の松坂屋がある場所に建っていた屋敷を移築してきたものだ。矢場町にあったときは、一時期、川上貞奴が住んでいたんだとか。こちらに移築されたとき、貞奴は現在東区の撞木町で公開されている二葉館に移り住むこととなった。二葉館はきちんとした観光地となっていて私も行ったことがある。このブログでは紹介したことがないから、今度もう一度行って写真を撮ってこよう。あそこはきれいな洋館でなかなかのものだ。
 揚輝荘座敷ができた当初は、茶室などの和室の他にサンルームなどもあるモダンな作りになっていたそうだ。
 戦後は米軍によって製パン所にされたり、松坂屋の女性用独身寮として使われたりで、当時の面影は消えてしまったという。周りがフェンスで取り囲まれているのは、敷地内にあった男性用の独身寮から夜中に男が忍び込めないようにするためだったとか。

聴松閣3-4

 こちらが表から見た聴松閣で、やぱり立派な建物だということが分かる。
 日本家屋の三階建ては迫力があるし、横に付いた石造りの煙突は斬新だ。そもそも普通の家に暖炉はない。

聴松閣3-5

 南庭園にも、池泉回遊式庭園があったようで、かつては屋敷からこの風景を楽しんだのだろう。
 今は水も抜かれて枯れ葉に埋もれてしまっているけど、ここも再現して欲しい場所の一つだ。手入れや維持も大変だし、復元そのものが困難だから、昔の姿が蘇ることはないか。庭の隅っこで作業をしていた人たちがいたけど、あの人たちは何をしてたのだろう。

聴松閣3-6

 庭園の周りには土塀があって、ここが屋敷の南端だったことを示している。かつての正門はこちら側にあったようだ。この写真でいうと向かって左側になる。
 今西門として使っているのは勝手口のようなもので、一般のお客は建物の裏手に回ることはなかっただろう。だから作りを手抜きしたというわけではないだろうけど。

聴松閣3-7

 石段の横を見ると、文政の文字が彫られている。1800年代前半だから、江戸時代後期のもののようだ。どの程度の価値があるものかは分からないけど、とにかく古いものであることは確かだ。

聴松閣3-8

 聴松閣の中と庭園の見学を終えたら、ツアーはもう終わりだ。裏手に戻ってきて、再びマンション敷地内の通路を通って、北庭園の入り口でアンケート用紙の記入というのもメニューの中に含まれている。
 あまりゆっくりだとだれるし、これ以上短いと回りきれないから、1時間コースというのはほどよいところだ。実質は1時間半近くになってしまうだろうか。

聴松閣3-9

 強い逆光で撮ったら古いフィルム写真のようになった。面白いからこれも載せておこう。
 こういうレトロな場所だから、フィルムカメラで撮っても面白かったなと帰ってきてから思った。デジで撮るなら、CanonやPENTAXのすっきり画質よりも、NikonやMINOLTAの深い画質の方が味が出そうだ。特にMINOLTAの渋い色調が似合いそうに思う。

 これで私の揚輝荘紹介もほぼ終わりとなった。写真もだいたい巡った順番になってるから、ガイドツアーはこんな感じというのが分かってもらえたと思う。
 あとはこぼれ写真が何枚かあるから、それを番外編として付け加えたら終わりだ。もう1回、つづきます。


聴松閣の後編はトンネルやら壁画やら内装の話 ---揚輝荘第4回
2008年01月21日 (月) | 編集 |
聴松閣2-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 昨日は聴松閣の後編を書くことができなかったので、今日はそのつづきを書きたい。今回も写真が中心となる。
 上の写真は、聴松閣のミステリーと呼ばれる地下トンネルの出入り口だ。
 総延長170メートル、地下30メートルほどの位置に水平に掘られていて、南北の庭園と東の衆善寮を丁字形に結んでいるという。建物と同時進行で工事が行われたらしく、最初からここにトンネルを掘る予定だったようなのだけど、どんな目的で作られたのかは分かっていないらしい。揚輝荘では戦前からアジアの留学生をたくさん受け入れていたことや、日中戦争が始まった時期から考えて、身内の避難所と皇族や政財界の要人をかくまうためだったのではないかといわれている。
 現在は一般公開されておらず、中に入ることはできない。2007年の夏の一時期、マンション工事で掘り返したときにトンネルが露出して中の様子を見ることができたようだ。今はまた埋められてしまった。トンネルとしての形が残っているところも少なくて、復元は無理のようだ。
 そんな説明をするボランティアのガイドさんと、それを聞いてほうほうと感心する見学者一行が上の図だ。

聴松閣2-2

 地下のトンネル付近の壁には、ヒンズー教の女神などの宗教画が描かれている。有名な画家の作品だろうと喜んで写真を撮っていたら、戦前のインド人留学生が描いたものだと知ってガクッときた。それなりに価値のあるものなのだろうけど、一般人の留学生の絵ではねと思ってしまうのも無理はない話だ。冷静に見てみると、確かにプロの絵ではないなと思う。
 だいぶ傷みが進んでいるから、残すなら早めに手を打たないといけない。

聴松閣2-3

 いろんなパイプが縦横に走っていて、ちょっと怪しげな雰囲気をたたえている。何が通っているのか分からないけど、やや恐ろしげだ。家の中にこんなにもむき出しのパイプがあったら落ち着かない。パイプ自体古いものだし、壁や天井もはがれかけてきている。

聴松閣2-4

 ピアノが置かれた小さな半円形のステージがあって、向かい側はちょとしたホールのようになっている。このピアノも古いものなんだろうと思う。
 ここでは最近もミニコンサートなどが開かれているようだ。
 戦後はここを接収した米軍兵たちが、このホールでダンスなどをしていたのだろう。
 考えてみると、この建物ができたのが1937年だから、すぐに戦争になってしまって、伊藤次郎左衛門祐民一家がここで優雅に過ごした時間は短かった。戦後もすぐには元の生活に戻らなかっただろうし、あまり使わないまま歳月だけが流れて古びてしまったともいえるだろう。

聴松閣2-5

 ホールの奥はキッチンのようになっていたから、米兵たちはここをカウンターバーのように使っていたんじゃないだろうか。
 伊藤家でもパーティーのとき使っていただろう。
 壁の凝ったレリーフと「火の用心」と書かれた張り紙のアンバランスさが面白い。

聴松閣2-6

 古い写真などを見る一行。いろいろ説明してくれていたのだけど、ものこの頃になるとわりとみんな勝手にあちこち見て回ってバラバラになりがちで、説明を聞く人の数は少なくなっている。
 平均年齢は高い。完全にオーバー60だ。でもみなさん、元気で好奇心がある。夫婦連れの参加者も多かった。若者はあまりこういうものに興味は持たない。当然、名古屋嬢とかのギャルもいない。

聴松閣2-7

 撮る人を撮るシリーズは私の定番だ。
 年配の人も今はみんなコンパクトデジやカメラ付き携帯を持っている。年齢層が高いということで、フィルムカメラ派の人も3人くらいいた。これはかなり高い確率だ。最近はどこへ行ってもフィルムカメラの人はあまり見かけなくなった。

聴松閣2-8

 昭和モダンのルームライト。灯りというのは用途を満たせばそれでいいというわけではないということを再認識する。店で売ってる安い実用品のライトでは、本当の意味で部屋を明るく照らすことはできないのかもしれない。私もインテリアというものに対してもう一度考え直すきっかけになった。

聴松閣2-9

 ここもちょっと変わった小部屋で、何のための部屋か分かってないとのことだ。水が使えるようになっていることから、宗教的な儀式に使われたのではないかと考えられているらしい。ただ、この家にはキリスト色がないから、洗礼とは違うのだろう。
 住むための家じゃないから、実用よりも趣味や遊び心を優先させることができたというのもありそうだ。

 ざっと見て回った聴松閣はこんなところだ。実際に自分の目で見ると、いろいろ感じるところもあるだろうから、近くの方はぜひ応募して見に行ってください。一ヶ月先しか予約できないというのがなんとも悠長な話ではあるのだけど。
 揚輝荘シリーズはもう少し続きます。あと1回か2回。私の中でもだんだん印象が古くなってきてるから、早めに終わらせてしまわないと。明日、あさってには完結させたいと思っている。


聴松閣の内部を早足で巡る<前編> ---揚輝荘第3回
2008年01月21日 (月) | 編集 |
聴松閣-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 揚輝荘シリーズ第3回は、南庭園にある聴松閣(ちょうしょうかく)へと舞台を移す。
 前回も書いたように、こちらへは往復ハガキの抽選で当たらないと入ることも外観を見ることもできないので、なかなか貴重な体験になる。北庭園と南庭園を分断しているマンションの問題があるから、今後とも自由な一般の出入りは難しいんじゃないだろうか。南庭園全体の整備が進んでいないという事情もある。
 この建物が建てられたのは1937年(昭和12年)というから、日中戦争が起こった年だ。そんな時期に新たにこんな趣味的な建物を建ててる場合かと思うのは、のちの時代から見てるからだろう。このときはまだ誰も戦争が長く続くなんて思ってなかったはずだ。他の多くの建物が空襲で燃えた中、これは一部が焼けただけで生き残った。
 外観は山荘風で、軽井沢だかどこかのホテルを参考にして設計されたとのことだった。上高地の帝国ホテルだったか違ったか(説明を聞いたのに忘れてしまった)。
 地上3階建てで、地下もある。内装は中国、インドなどのアジアのテイストと和洋が入り交じったちょっと変わった趣になっていた。揚輝荘の主である伊藤次郎左衛門祐民がインドやタイなどを旅して回ったときに受けた影響が建物に反映されているとのことだ。
 見学できるのは、1階、2階と地下で、3階へは行けなかった。それでもなかなか見所があったので、そのあたりを写真で紹介したいと思う。

聴松閣-2

 すでに記憶があやふやになりつつあるのだけど、確か1階はそれほど見るところがなくて、見学は2階と地下に集中していたような気がする。見学コースとしては1時間の予定なのでそれほどじっくり見て回っていられないというのもある(結局1時間半近くかかることになるのだけど)。
 玄関の説明が済むと、一行はすぐに2階に上がることになった(はず)。
 このあたりの吹き抜けというのも、一般家庭にはないものだ。普通はこんな贅沢な空間の使い方はできない。ふと、一作目のバイオハザードを思い出した。

聴松閣-3

 たくさんある暖炉の中でも二階の暖炉は特に凝っていて、珍しい瓦が埋め込まれている。どういうつてで手に入れたのか、古い東寺のものや、飛鳥時代のものまで使われている。
 ちょっとすごいなと感心しつつ、そもそもなんで暖炉に瓦を埋め込む必要があったんだろうと思わないでもない。単なる遊び心といえばそうなのだろう。珍しい瓦を手に入れたものの、他に使い道を思いつかなかったのかもしれない。

聴松閣-4

 確かここは書斎のような感じだったと思う。書棚が壁に並んでいたからそうだろうとは思うけど(本は入っていなかった)、部屋の作りは書斎風ではない。中央にテーブルと椅子が置かれている様子は、食堂のようでもある。
 ここは北向きの部屋だったか。日が差してなくて暗くて寒い印象を受ける。光の大切さとありがたみをあらためて感じる。

聴松閣-5

 こちらは西向きのようで光があって明るい部屋だった。居間か何かだったのだろう。
 使われなくなって久しいこの建物だけど、当時の内装がどこまで残っているのかはよく分からない。あとから演出のように手を加えた部分は少ないにしても、上の写真のような乱雑な椅子の配置などはどう解釈していいのか迷う。生活感があるようでない。

聴松閣-6

 こういう使い道のよく分からない部屋もいくつかある。もしくは、私が説明を聞いてなかっただけかもしれない。
 別宅としての建物で家族が毎日生活していた建物ではないので、全部が使われていたわけではないのだろう。
 それでも床は凝っている。自分の思い描く建物を建てることそのものが目的だったとも言えるだろうか。

聴松閣-7

 高そうな籐椅子だ。狭い部屋に置いたら邪魔そうでもある。
 左の方で壁がむき出しになっているのは、内部の調査をするためにはがしたもののようだ。他にもあちこちでこんなふうになっていて、整備の途中だということが分かる。

聴松閣-8

 天井もなにやらすごいことになっている。元々こんなふうだったわけはなく、ここも設計を調べるためにはがしたのだろう。それ以前に痛んでいて自分で落ちてきていた可能性もある。
 木造建築に興味がある人にとっては面白い教材になりそうだ。

聴松閣-9

 当時の生活が想像できるような部分で、ここはよかった。一度に何人も使える洗面所なんていうのも普通の家にはない。昔の小学校みたいだ。
 タイル貼りの流し台に庶民と同じような昭和を見た。

 聴松閣の内部に関しては、実はあまり書くことはない。見て回ってる分には、へぇーとか、ふーんとかいろいろ感じたり思ったりはするし、写真も撮るところは多いのだけど、言葉で説明するといっても特に何かあるわけではない。写真を並べて、まあ、こういうところですと、そういうことだ。
 まだ写真が残っているから、後編につづくということにしよう。余力があれば今日中に。なければまた明日。


サタデーナイト料理と最近のケーキ事情についての報告
2008年01月20日 (日) | 編集 |
サタデー料理

Canon EOS 20D+EF50mm F1.8 II 他



 今週は訳あって、サンデー料理ではなくサタデーナイト料理となった。明日は用事があって夕飯を作ってる時間がないから一日早めた。特に深い理由があったわけではない。
 今日は今日とて夕方はバタバタしていたのだけど、簡単な料理にすればいいやと安易に考えていた。しかし、見通しが甘かった。1時間半コースのつもりがしっかり2時間を要してしまう結果となった。自分の料理の実力を見誤った。相変わらず料理脳が発達せずに能率が悪い。作っている最中のキッチンもひどいことになっている。
 ただ、振り返ってみると、この料理を今の私が1時間半で作れるはずもなかった。今回はソース作りがないから楽勝だと思っていたら、こねものや刻みものが多くて、いちいち時間を食った。自分がいっぱしの主婦レベルに達したなんて思ったら大間違いだ。まだそんな実力はない。なんてったって月に2度か3度しか料理をしない日曜料理人なんだから。

 今日も例によって3品。テーマは特に決めなかった。前回、来週は肉料理にしようと書いたと思うけど、いざとなったら予定もテーマも飛んでしまった。方向性もないまま、思いついた料理を作っただけになってしまった。メニューを考える時間も、作る時間も足りなかったというのもある。
 右手前はミニハンバーグの何風というんだろう。作った自分もよく分からない。
 ハンバーグは普通に、豚の挽肉、タマネギ、卵、カタクリ粉、パン粉、塩、コショウを混ぜてよく練り合わせて焼いたものだ。普通サイズではなくミニにしたのは、基本的に私は大きい料理よりも小さい料理が好きだからだ。
 水にコンソメの素を溶かし入れて、焼けたハンバーグを軽く煮込む。
 豆腐はレンジで水切りをしたあとサイコロ切りにして、カタクリ粉をまぶしてオリーブオイルで焼く。
 ハンバーグを煮ているところに焼いたサイコロ豆腐とコーンを加えて、しょう油、塩、コショウで味をととのえて、最後に水溶きカタクリ粉を入れてとろみをつけたら完成となる。
 これは当たり前に美味しい。豆腐とカタクリ粉の組み合わせは、つるんとした食感を生んで舌触りがよくなるし、ハンバーグとの相性もいい。
 別バージョンとしては、ミートボールにして揚げてから煮込むというのもよさそうだ。

 右奥はサラダっぽいけどそうじゃない。
 まずジャガイモを適当な大きさに乱切りして塩水で茹でて柔らかくする。そこへタマネギとブロッコリーを加えて、中華の素、塩、コショウ、しょう油で味付けをする。
 取り出して耐熱皿に移して、カニ缶、マヨネーズ、とろけるチーズを乗せて、オーブンで焼く。あらかじめ温めておいたオーブンで10分くらいでいいだろう。
 水分がない分、あっさり味になるから、下茹での段階である程度しっかり味をつけておいた方が美味しくなる。

 右奥の料理は、見た目がとても私の料理っぽい。中身は違えども、外観は一緒のものを何度か目にしていると思う。刻んでこねて焼いた料理だ。こういうのが好物なので、よく作ってしまう。食材の原形が残ってる料理は好きじゃないのだ。
 今回はまた新たな一品を生み出した。使ったのは、レンコンと山芋。レンコンを茹でて柔らかくして、大きめのみじん切りにする。
 山芋をすり下ろして、刻んだレンコンに混ぜて、そこへ小麦粉、カタクリ粉、だし汁、長ネギ、酒、しょう油、塩、コショウを混ぜたら、あとはフライパンで焼くだけだ。味はめんつゆでつける。仕上げに青のりをたっぷりを振ったらできあがりとなる。
 見た目上品な料理とは言い難いけど、味は保障する。美味しい。ふわとろでコリコリの食感もいい。これは追加の一品としてオススメできる。

 全体としての味は申し分ないものだった。和食とも洋食ともつかないような取り合わせとなったけど、バランスも悪くなかった。それぞれがケンカすることなく、3品として成立していた。少し料理に安定感が出てきたかもしれない。自分自身合格点をつけられることが多くなってきた。
 そろそろ次の段階にステップアップすることを考えてもいい時期だろう。盛りつけ、彩りというテーマとは別に、調理方法という点でも何か新機軸を打ち出していきたい。せっかく圧力鍋もあることだし、料理時間短縮のためにもそのあたりも活用していきたいし、ガスコンロだけでなく、魚焼きグリルも、レンジも、オーブン機能もある。それらを上手く組み合わせて同時進行させることで、もっと料理の効率は上がるはずだ。フードプロセッサーも持っていれば料理の幅が広がることは間違いないのだけど、果たしてちゃんと使い続けるかどうかというと自信がない。ミキサーくらいなら一台持っていてもいいのかもしれない。得意のくだき料理がますますエスカレートしそうだけど。
 とにかく料理脳を発達させることが今後の課題だ。これまで使ってこなかった部分の脳だから、鍛えて性能を上げるしかない。イメージトレーニングをするだけで足りなければ、今更だけどDSの脳トレでも買ってやるか。

最近のケーキ-1

 年末年始はケーキを作る機会が増える。普通の男性は特に増えないと思うけど、私は増える。クリスマスから身内の誕生日続きで。
 今日は最近のケーキ事情と題して、続けざまに三回作ったケーキを紹介したいと思う。サンデー料理は少しずつ成長している私も、ケーキに関しては一進一退を繰り返している。なかなか安定飛行にならない。一回成功しても次は失敗するし、新しい試みをしては撃沈している。ケーキは料理以上に難しい。ジーンズが似合う人はどんな服を着ても似合うというけど、ケーキはジーンズに当たりそうだ。ケーキが上手く焼ける人はどんな料理も上手いに違いない。その逆は当てはまらない。

 上の写真は、クリスマスに焼いたケーキだ。ここ最近の中では一番出来が良かった。黒豆ココア入りのスポンジケーキはまずまずふんわり焼けて、一応合格点だった。上の白いのはホワイトチョコを溶かして塗ったものだ。
 実はこのケーキ、去年のクリスマスに初めて作ったケーキと同じものだ。あのときはびっくりするような大失敗で、もう笑うしかなかった。それを臆面もなく持参していった自分が今更ながら恐い。ツレもびっくりしたことだろう。ブログの去年の写真を見ると、あらためてひどいなと思う。ケーキの形をしてないし。
 あれと比べたら一年で格段の成長を遂げた。ちゃんとケーキの形をしてる。ふんわりきめ細かなスポンジにはまだ遠いけど、なんとかぎりぎりのラインまでは達している。でもまだ、道のり半ばといったところだ。理想のスポンジはまだずっと先にある。
 上の飾り付けとクッキーはツレの担当だ。おかげでだいぶクリスマスらしい雰囲気になった。食べているロケーションは、堀川の川沿いのベンチともいえないようなところという、およそクリスマスらしからぬ場所ではあったのだけど。

最近のケーキ-2

 これはツレの誕生日に焼いていったケーキだ。半失敗。というより、これはバースデーケーキじゃない。ただ、高速バスで掛川の花鳥園へ行たときだったから、普通のデコレーションケーキを作って持っていくことができなかったので仕方がない部分はあった。
 完成度は低い。白黒シマシマ模様の三角ケーキというのはよかったのだけど、テクニックがついていかなかった。黒い方の焼きに失敗して、切るときにボロボロになってしまって取り返しがつかなかった。切れ味の悪いナイフで切ったのもよくなかった。
 でもこれは上手く作ればかわいいケーキになるので、私の代わりに誰か上手に作ってみてほしい。
 パウンドケーキの型のようなもので白と黒のスポンジを2つ作って、それをそれぞれ2枚に切り分けて、交互に重ねる。間にクリームか、バタークリームなんかを塗る。今回はカスタードクリームを塗った。あとは重ねたケーキを立てて斜めに切って、三角形にくっつければできあがりだ。
 持ち歩かず家で食べるなら、三角の屋根部分にクリームなどを塗ったり、粉砂糖を振りかけたりしてもよさそうだ。
 ケーキの手前に乗っているのは、ツレのみやげの「神戸ミルクチョコラングドシャ」と、私の賢島みやげ「真珠のたまご」だ。どちらも美味しかった。やっぱりプロの仕事は違う。自分でいろいろ作るようになって市販の食べ物の偉大さを思い知った。

最近のケーキ-4

 これは身内の誕生日ケーキとして作ったデコレーションケーキだ。
 しかし不細工だ。これは言い訳がきかない。デコレーションの失敗は致命的だ。一度走り出したら引き返せないし、やり直しもきかない。途中から波模様がヨラヨラし始めて、脱線したまま戻らなかった。一筆書きみたいにしようとしたのが間違いだった。もっと、チョン、チョン、と区切って模様を描いていけば良かった。ちょっと焦りすぎた。土台の横も上手く平らにならすことができなかった。これも意外と難しい。
 何しろ生クリームがすごいことになっている。こんな生クリームまみれのデコレーションケーキはどの店でも売ってない。けっこう斬新かもしれない。食べるとはっきりした美味しさだ。有無をいわせぬ甘さというか、甘さ控えめケーキが全盛の今、時代に逆行するケーキという言い方もできる。子供の頃食べた甘ったるい不二家のケーキみたいだ。いや、あれさえも超えていた。フルーツの酸味がある程度甘みを打ち消してくれたから食べられたものの、それがなければ胸焼けしそうだ。
 実はこんなにも生クリームを塗りたくったのはスポンジが失敗したからというのがあった。原因はよく分からないのだけど、焼き上がっていったんふくらんだスポンジがプシューと音を立てるようにしてしぼんでしまったのだ。それで、傾いた二階建ての木造家屋のようなスポンジになって、それを隠すために生クリームで誤魔化すことになってしまったのだった。

 スポンジはケーキの基本であり、最終目的地なのだろうと思う。中華料理でいえばチャーハンのようなものだ。シンプルだけど奥が深くて極めるのが難しい。
 自分が思い描くふわふわスポンジへの道のりは遠い。ケーキ屋のケーキなんていう大それたことを考えてはいない。せめてコンビニのケーキくらいのものは作れないものだろうかと思っているだけだ。どんなコツがあるんだろう。
 使う粉、卵、砂糖によっても違ってくるだろうし、粉の混ぜ方や焼き温度と時間など、結果に影響してくる要素がたくさんありすぎて、失敗の原因を特定するのも難しい。レシピ通りにしてるつもりでも毎回結果が違ってくる。こればかりは回数を重ねて自分なりの攻略法を編み出していくしかないのだろう。挫けず続けたいとは思っている。
 料理のように毎週一回やれば上達も早いだろう。曜日を決めて習慣にするといいかもしれない。今後新展開がみられたら、ブログで報告します。


松坂屋は明智光秀が作ったという風が吹けば桶屋が儲かる的な話<揚輝荘2>
2008年01月18日 (金) | 編集 |
揚輝荘2-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 松坂屋の創始者・15代伊藤次郎左衛門祐民の別邸「揚輝荘」見学レポートが、一回書いただけでそのままになっていた。そのすぐあと花鳥園へ行って、そちらが先行してしまった。もう忘れかけている人も多いと思うけど、ここらで揚輝荘シリーズを再開したいと思う。花鳥園の写真もまだだいぶ残っているけど、それはちょっと置いておいて、まずは揚輝荘を完結させてしまいたい。全部で4回か5回くらいになる予定だ。

 名古屋では一番の老舗デパートとして知らない人はいない松坂屋も、全国的な知名度としてはどうなんだろう。銀座にもあるし、大阪の高槻にもあるから、本州では一応知られた存在ということになるのだろうか。名古屋では絶対的、圧倒的な力を持っている。いや、持っていたというべきか。
 名古屋では昔から五摂家というのがあって、松坂屋、名古屋鉄道(名鉄)、東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)、中部電力、東邦ガスの5社がこの地方での名門といわれ、地元では大きな発言力を持ってきた。あのトヨタでさえこれら5社の仲間に入れてもらえず、豊田市という郊外にとどまったくらいだ。
 この地方のお中元、お歳暮は松坂屋と相場が決まっていて、三越や高島屋などの包装紙にくるまれたものが送られてくると、バカにしてるのかと本気で怒る人もいるくらいだ。中身の問題ではない、格の問題だというわけだ。
 しかしそれも近年、だいぶ様変わりしてきた。松坂屋も大丸と合併、東海銀行もUFJに飲み込まれた。一方ではトヨタが世界のトヨタとなり、名古屋駅の一等地にミッドランドスクエアという超高層ビルを建てた。もはや松坂屋神話は崩れたといってもいいのかもしれない。名古屋でも若い世代では松坂屋の包装紙へのこだわりは消えてなくなりつつある。

 松坂屋の歴史をさかのぼると織田信長に辿り着く。本能寺の変のとき、伊藤蘭丸祐広(すけひろ)・祐道(すけみち)父子は、揃って蘭丸を名乗り(信長は蘭丸という名前が好きで二人の名付け親になっていた)、信長の小姓として仕えていた。そのとき19歳だった息子の祐道の禄が八百石というからかなりのものだ。単純に一石を現在の貨幣価値に換算するのは難しいのだけど、一石10万円としても年収8,000万円ということになる。
 本能寺の後、新たな主君に仕えることなく清洲で浪人生活を送っていた祐道は、1611年、48歳にして突然武士を捨て、商人になることを決意する。妻と次男の祐基を連れて、名古屋の本町に小さな呉服小問物問屋を開業した。これが後のいとう呉服店であり、松坂屋の前身となる。
 祐道は大阪夏の陣で豊臣方について戦死するも、息子の祐基が跡を継ぐこととなる。名古屋の茶屋町にあらたな呉服小間物問屋を開いたのが1659年のことだった。
 その後、江戸上野の松坂屋や、大阪のゑびす屋呉服店を買い取ったりして、商売は順調に伸びていく。店の名前はいろいろ変わったりしつつも最終的に松坂屋に統合されたのは、江戸で一番知名度がある名前だったからという理由のようだ。
 時は流れて初代から数えて15代目の伊藤次郎左衛門祐民(すけたみ)が名古屋の覚王山に建てた別邸が、今回紹介している「揚輝荘」だ。
 最初は、1918年(大正7年)、現在松坂屋本店がある矢場町にあった揚輝荘座敷と、徳川邸から有芳軒をこの地に移築したのが始まりだった。
 それから約20年にわたって増築が繰り返され、最盛期には敷地1万坪の中に30数棟の建物が建っていたそうだ。その当時は、この地方の財界人、政治家、皇族などが多数訪れ、華やかな社交場となっていたという。
 現存するのは南北に分断された3,000坪の敷地と数棟の建物だけで、建物の多くは空襲で焼けてしまって古いものはほとんど残っていない。
 戦時中は焼け残った建物を米軍に接収されたり、戦後は松坂屋の独身寮などに使われたりもした。
 平成18年に名古屋市に寄贈されて、現在は少しずつ整備が進んで一部が一般公開されている。

 前回は伴華楼(バンガロー)の内部を紹介した。今日はその外観などをガイドツアーで回った順にレポートしていくことにしたい。
 上の写真がその伴華楼の外観だ。建物の基本部分は尾張徳川家から譲り受けた茶室付きの和室で、そこに鈴木禎次設計の洋室が増築されている。

揚輝荘2-2

 このあたりまで鈴木禎次の設計なのか、家主の趣味なのか、いろいろと凝った装飾が施されている。貼り付け細工が特に好きだったようで、ここ正面玄関テラスは五色石で飾られている。他にもこの細工はあちこちで見られるから、やはり鈴木禎次設計ということではなさそうだ。
 けど、これは現代でも通用しそうなデコレーションだ。古めかしくなくて、むしろ新しい感じがする。素っ気ないコンクリート剥きだしの塀にするくらいなら、こういう石でも貼り付けておけばセンスがよく見える。石は買うと高いから、河原で拾ってくればいい。逆に貧乏くさいって?
 二階洋間外壁面などはサワラのうろこ壁になっていて、暖炉用の煙突もくっついている。

揚輝荘2-3

 藤棚もただの藤棚では終わらない。隅々まで意志が感じられるのがこの屋敷の特徴だ。何か手を加えないと気が済まない性格だったようで、どこもかしこも何かしている。素材そのままの部分がない。
 凝り性といってしまえばそうなのだろうけど、この精神は商売の方に通じているに違いない。創意工夫というのは、どんな細かいところにも手を抜かないことだというのがここを訪れた人間に対しても教えとなっている。

揚輝荘2-4

 別宅の庭にここまで本格的なお稲荷さんを建てているところはそうはないんじゃないだろうか。
 この豊彦稲荷は、 昭和初期に松坂屋京都店から勧請されたもので、京都仙洞御所にあった御所稲荷(豊彦稲荷)が本社だということが最近分かったそうだ。
 朱色の柱は一般から寄進されたもので、ここの景観とよく合っている。名古屋市に寄贈されたときに、宗教色が強いから取り壊した方がいいのではないかという意見が出たそうだけど、そういうことはしない方がいい。何かよくないことが起きそうだ。それでも、名目上はこの部分をマンションの敷地にしたようだ。市が稲荷さんを所有するのは確かにまずいといえばまずいかもしれない。

揚輝荘2-5

 屋根付き橋(亭橋)の白雲橋。
 北庭園は京都の修学院離宮を模して作られていて、この橋は本家の千歳橋にならったものだ。こちらの方が大きく作られている。
 屋根は緑釉瓦で一部が銅版葺きになっている。千歳橋はこけら葺だから、見た目の印象は違う。
 まだまだ整備されてなくて周囲は荒れた印象だけど、今後整備が進めばここの見所の一つとなるだろう。たまに橋の上を舞台として舞踊などのイベントが行われているそうだ。

揚輝荘2-6

 横から見るとこんな感じ。なかなか立派で美しい姿をしている。石垣風の脚も、全体の形も、写真で見る修学院離宮の千歳橋によく似ている。
 池も周りの木々も草も乱れ放題だから、まだまだ手を加えないといけない。少人数でコツコツ手入れをしてるようだけど、これだけの規模となると市が予算を組んで整備事業にしないとなかなか終わらないんじゃないか。現状では、ようやく建物の一部を見学に耐え得るように整備したといったところだ。

揚輝荘2-7

 白雲橋の向かいには野外ステージがある。石張りの半円型客席が設置された円形ステージで、ここはまだ手つかずのままだ。
 かつてはここでどんなものを演じ、誰が観ていたのだろう。

揚輝荘2-8

 長らく使われていなかったようで、ステージそのものも残っていない。古い写真を見ると、なかなか立派なものだ。大がかりな芝居などはできないにしても、漫才くらいなら充分できる(そんなものはやってないと思うけど)。

揚輝荘2-9

 こんな小さな橋にも石の装飾がなされている。この下にはかつて小川も流れていたようだ。
 左手の竹林には、名古屋では珍しいリュウキュウチクが生えているというし、野生のヒトツバタゴもあるそうだ。この地域ではどちらもかなり貴重なものといえる。
 この右手には信長塀があって、ちょっと驚いた。まさか熱田神宮から持ってきたものだろうか。あるいは、あれをまねて作ったのか。けど、本物であったとしてもここのことだから驚くには値しないのかもしれない。

揚輝荘2-10

 ここから先は、見学ツアーの人間だけが立ち入れる南園に向かうことになる。何しろ間にあるのは高級マンションだ。一般の人間が自由に出入りされては困るということで、鍵のかかった扉で仕切られている。見学ツアーのときだけ許可を得ていて通路を渡れることになっているようだ。静かに歩いてくださいという注意がある。
 億ションは外観からして違う。六本木ヒルズを手がけたところの仕事なんだとか。

揚輝荘2-11

 名古屋人にはお馴染みの松坂屋のロゴマーク。大丸との合併後はロゴも変わったから、旧ロゴマークとなってしまった。1926年から使用されていたデザインらしい。
 これは玄関のアプローチの踏み石だったか、違ったか。自分のところのマークを踏んで家の中には入らないか。かなり大きなものだ。

 このあとツアーは、南園の聴松閣内部の見学へと移っていく。そこがクライマックスということになるだろう。そのときの様子はまた次回ということで、今回はここまでとしたい。あと一回では終わりそうにないから、少なくとも残り2回にはなりそうだ。
 つづく。


フクロウコレクション第三弾<クール編> ---花鳥園新シリーズ第6回
2008年01月18日 (金) | 編集 |
凛々しきフクロウ-1

FUJIFILM FinePix S2 pro+Nikkor VR 24-120mm f3.5-5.6 / TAMRON SP 90mm f2.8



 フクロウコレクション第3弾で最終回はフクロウたちの凛々しい姿をお送りしたいと思う。
 今日登場するのはこれまでに出てきたものがほとんどだと思うので、名前調べはほどほどにして、フクロウのカッコいいところを見てもらうことにしよう。鋭い眼光に揺るぎはなく、立ち姿は威風堂々、飛んでいるところはワシタカに劣らず勇壮なフクロウたち。彼らは獣の風格を備えているといっても大げさではない。実にクールな生き物なのだ、このフクロウというやつは。花鳥園へ行って実際に間近で見てみると、フクロウに対する認識が大きく変わる。フクロウはカワイイだけではないのだ。ヒヨコやネズミだって丸呑みだし。
 上の写真は、たぶんユーラシアワシミミズクだったと思う。両足ですっくと立ち、遠くをにらみつけている姿は、勇猛な武士を思わせる。とてもクールだ。
 大きなものは体長80センチを超えて1メートル近くになるという。体重は3キロにもなるというから猫が空を飛んでいるようなものだ。
 シベリアの北へ行くほど羽は白っぽくなる。北の大陸で吹雪の中でもゆるぎなくじっとしたままオレンジの瞳で一点を凝視している姿を想像すると、日本の温室の中などではぬるま湯生活でまったく物足りないと感じていることだろう。
 エサにつられてとはいえショーもこなすくらいだから、知能もなかなか高そうだ。気が向かないと飼育員さんが呼んでもそっぽを向いてちっとも飛ぼうとしない。

凛々しきフクロウ-2

 険しい目つきというか、意地悪そうにも見えるこの瞳の前では愛想笑いは通用しない。ヘラヘラと笑って誤魔化そうとしても笑顔の途中で固まってしまいそうだ。
 ミミズクの顔がちょっとコミカルでキュートなのは、クチバシが小さいからというのがある。これがおちょぼ口のようだからそんなに凶暴そうに見えないけど、実際の口はこの下に隠れていて、グエェーとだみ声で鳴くと大きな口が開くのだ。それを見ればこいつが紛れもなく猛禽だということが分かる。もしミミズクのクチバシがワシのような立派なものだったら、見た目の印象はもっと恐ろしげに思えたに違いない。目だけでも充分恐いけど。

凛々しきフクロウ-3

 こちらは少し色白なベンガルワシミミズクだ。
 インドなどの山岳地帯に生息しているわりには人によく慣れて、好奇心旺盛でフクロウの中でも知能が高いといわれている。フクロウショー向きな性格といえるだろう。
 そういわれてみると、同じワシミミズクでもこちらの方が目の表情が軟らかく感じる。食べてるエサは結局同じなんだけど。
 ミミズクの耳(羽角)はなんのためについているのかよく分かってないそうだ。もちろん耳としての機能はなく、何かの器官でもないわけだけど、それにしても何か意味があるだろうと思うのは人間の側の勝手な思い込みなんだろうか。仲間のフクロウでもこれを持たないものが半数いるから、なければ絶対困るというものでもなさそうだ。単なるオシャレでもなく、オスだけでもないからメスのためのアピールとかでもない。ミミズク本人にもなんでついてるのか分かってないのかもしれない。

凛々しきフクロウ-4

 そりゃっと飛び出したところ。この大きな体で平行に飛び出して地面スレスレを飛べるというのはすごい能力だ。脚力と翼の羽ばたきがよほど強いのだろう。
 飛び姿もやっぱり格好いい。

凛々しきフクロウ-6

 これは上のワシミミズクとは別のやつだ。上の写真と比べると、顔つきや毛並みが違っているのが分かる。ん? 分かる? ホントに? こっちの方がクチバシの周りの白ヒゲがもしゃもしゃしている。
 小屋の中にいたけど、こいつもショー担当をするやつなんだろうか。ショーのメンバーはその都度呼ばれてる名前が違うから、いろんなやつが交代で担当してるようだ。何度も通っているうちに見分けられるようになるだろうか。

凛々しきフクロウ-5

 これはたぶんアフリカワシミミズクだと思うけどちょっと自信がない。
 掛川はガラス張りの小屋に入ってるやつと、温室の止まり木のようなところにいるやつといて、これは温室の方にいたやつだ。たぶんそれは、人に対する慣れ度合いによって居場所が変わってくるのだと思う。こっちにいるやつは人を怖がらないやつのはずだ。触れられはしないけどかなりかなり近づける。けどまったく恐れている様子はない。写真を撮られていてもまるで平気だ。
 上の方に何か気になるものがいたのだろうか。じっと上を見ていた。こういうところもちょっと猫っぽい。でも猫の何十倍も落ち着きがある。猫の知能とフクロウの知性は根本的に方向性が違う。

凛々しきフクロウ-7

 これはアフリカワシミミズクでいいと思う。
 2羽揃ってどこか遠くを見ている姿になると、またちょっと違った雰囲気になる。
 この顔つきは、キツネザルにちょっと似ている。2羽を見比べるとやはり模様が違っている。特徴を覚えれば一目で区別がつくようになりそうだ。その域に達するためにはあと何度通わないといけないだろう。

凛々しきフクロウ-8

 横顔はこんな感じ。こいつは特に丸っとしている。耳がなければだるまみたいだ。
 こうして横から見ると、左右の視界は人間以上に広そうだ。フクロウは首をぐるりと180度回転させることができるから、体を正面に向けたまま360度を見渡すことができる。フクロウも猛禽とはいえ、他の大型動物に狙われたらやられてしまうわけで、常にあたりを警戒していないといけない。夜起きているのは自分たちだけではないし、昼間寝てるときも身の危険がある。
 フクロウはカラスの天敵の一つとされているから、街の近くにフクロウがもっといれば、今ほどカラスは大きな顔をしてなかっただろう。地方の農家などでは、悪さをするネズミを食べてくれるフクロウはありがたい存在となっている。

凛々しきフクロウ-9

 これもユーラシアワシミミズクだと思うけど、かなりでかい。図体も大きく、態度もふてぶてしくて、森の主のような風格をたたえている。
 同じ種類でも個性があって、それぞれに持っている雰囲気も違う。こいつは強烈な存在感を示していた。

凛々しきフクロウ-10

 前回のお眠編に入りきらなかったのでここに入れてしまおう。見ようによってはカッコいい仲間に入れてもいいかもしれない。
 ウサギフクロウという名前を聞いて、なるほど大きな耳からそうきてるのだねと納得した。ただ、英名はStriped Owlと、縞模様のフクロウという名前になっている。耳よりもおなかの模様を特徴として捉えたようだ。
 中南米のフクロウで、見た目のかわいさとは裏腹にけっこう凶暴な性格をしているらしい。開けた草原の草の上に巣作りをする変わった習性を持っている。
 ぱっちり目を開けるととてもカワイイ顔をしていて、その姿は白っぽいマントを羽織った王子様みたいだ。このフクロウのファンも多いという。

凛々しきフクロウ-11

 最後はケープワシミミズクの凛々しい姿で締めくくろう。
 エチオピアやケニアなどのアフリカの山岳や峡谷に暮らす大型のフクロウで、体長は50センチを超える。ときにウサギなどの小動物も捕らえて食べる。
 他のワシミミズクよりも羽の色が濃いめで、森の中ではなかなか姿を見ることができないそうだ。
 野生のフクロウには珍しく、昼間も活動してハントをする。いつ寝てるんだろう。

 3回にわたってお送りしたフクロウコレクションはこれで終わりです。おつき合いいただきありがとうございました。お疲れ様でした。これでもう当分フクロウは見なくていいと思ったことでしょう。
 いやいや、ますます見たくなったという方はぜひ、お近くの花鳥園に出向いていって実物を見てください。どこの花鳥園もへんぴなところにあって、誰にとってもお近くではないと思うけど、頑張って行く価値はありますから。
 私もますますフクロウに対する興味がわいてきたから、今後とも折に触れてフクロウを追いかけていこう。掛川花鳥園でも更にコンプリートを目指したいし、できれば富士国際や神戸、松江まで足を伸ばしたいと思っている。
 フクロウはかつて死の象徴とされていた時代があった。現在では不苦労、つまり苦労しないということで受験生などにも人気なんだとか。今後は知性の象徴というだけでなく、強さのシンボルとしても認識される日が来ることを願おう。メガネ屋のマスコットだけでなく、もっといろんなところでキャラクターとして使われてもいい存在ではないだろうか。
 フクロウはかわいくてカッコいい鳥なのです。


フクロウコレクション第二弾<お眠編> ---花鳥園新シリーズ第5回
2008年01月17日 (木) | 編集 |
お眠なフクロウたち-1

FUJIFILM FinePix S2 pro+TAMRON SP 90mm f2.8



 昼間のフクロウは眠たい。明るいうちは、お眠の時間だ。野生のフクロウのように獲物を捕るために夜起きている必要はないとはいえ、やはり長年の習慣を変えるのは難しいのだろう。ショーを担当しているフクロウはぱっちり目を開けているけど、小屋にいるやるはけっこう居眠りをしがちだ。じ様のようにうつらうつらしている。この寝姿も、フクロウがじじむさいイメージを持たれる要因になっているのだろう。
 まあしかし、小屋の中では飛び回るわけにもいかず、おしゃべりするでなく、娯楽があるわけでもないし、エサも時間になったらもらえる。特にやることもないから眠たくないけど寝ておくかってなもんだ。フクロウは無駄に鳴くでもなく、騒ぐでもない。たいていはじっとしていて、何かを考えているのかいないのか。
 今日のフクロウコレクション第二弾は、そんなフクロウの寝顔特集とした。寝てる動物はなんでもかわいいもので、フクロウもそうだ。見ていると自然と顔がほころんでくる。眠たいのを我慢して薄目を開けていたりするのもおかしくて笑える。今寝てたでしょ? って訊くと、いや、寝てないってとムキになって反論する人みたいだ。別に寝てたって認めてもいいじゃん。
 寝姿はかわいいけど、目を見ないと種類を判別するのがますます難しくなるというのがある。見分けるための重要な手がかりを一つ失ってしまうから。上のもの分からずにずいぶん悩んだ。たぶん、アフリカオオコノハズクだろうとは思うけど確信は持てない。
 それが正しいとすると、アフリカのサハラ砂漠の南に暮らす小型のフクロウだ。個人的には、このカラーリングはかなり好きで、お気に入りとなった。

お眠なフクロウたち-2

 フクロウがこんなにもたくさん種類がいるとは知らなかったけど、それにしても似ているものが多くて見分けるのが難しい。ヨーロッパ人がアジア人の国が分からないように、私もフクロウなんてどれも似たものに見えてしまう。あるいは、日本人が中東の人の国名を言い当てるのと同じくらい困難かもしれない。イラン人とイラク人くらいならなんとなく分かりそうな気もするけど、アラブ首長国連邦人とバーレーン人の区別がつくかといえばつきっこない。まあ、フクロウの見分けはそれよりは簡単だろうけど。
 上のフクロウはなんだろう。手がかりとしては、花鳥園グループのサイトにあるフクロウ紹介の写真しかなく、個体差の大きなものは判別が非常に困難となる。こいつはヒガシアメリカオオコノハズクなのかなとも思いつつ、掛川と富士国際の同じ種の写真を見てもずいぶん違っているからややこしい。腹の模様や色で見分けようとすると分からなくなる。やはり目が見えないと厳しい。

お眠なフクロウたち-3

 これもどうもよく分からない。あっちの写真を見て自分の写真を見て、こっちを見てあっちを見比べてとやってると、だんだん間違い探しクイズをしてるような気分になる。合ってるんだか合ってないんだか。
 耳がないタイプでクチバシが黄色となると、オオスズメフクロウということになるのだろうか。掛川の写真は種類を見分けるために使うにはちょっと見づらい。

お眠なフクロウたち-4

 これがヒガシアメリカオオコノハズクなのか。プレートを見てなかったけど、別の小屋に入ってるやつでも同じ種類のフクロウがいたのかもしれない。でもけっこうおなかの色が違っている。体型や頭の形は似てるけど。
 だんだん見分けるのに疲れてきた。こんなことではヒヨコのオスとメスを見分ける名人にはなれない。

お眠なフクロウたち-5

 こういう分かりやすいやつは大歓迎だ。こいつはオオフクロウで間違いない。個性的なカラーリングで、他とは明らかに違っている。顔にも特徴があるけど、おなかの細い横ストライプが特徴だ。頭は坊ちゃん狩りのヘアスタイルみたいにも見える。
 東南アジアの熱帯雨林やネパールの山岳にいて、野生のものはなかなか見られないそうだ。普段は木の陰でじっとしていて、獲物を見つけると素早く飛ぶから見られても一瞬なんだとか。
 自然界では決して出会うこのない世界のフクロウたちが隣り合わせになっていて、彼らは他のフクロウをどう思っているのだろう。ちょっと違ってるけど仲間と思っているのか、似てるけど別のやつと思ってるのか。

お眠なフクロウたち-6

 パッと見は、オオフクロウかと思うけど、おなかのストライプがないから違うことが分かる。これはメガネフクロウだ。目のふちどりが黒メガネをかけてるように見えるところから見ている。黒メガネって最近あんまり言わない? 英名もSpectacledで、メガネをかけているフクロウと名づけられている。
 メキシコなど中南米の森に生息する中型のフクロウで、夜間に活動して小動物や昆虫などをエサにしているから、サングラスはかけていない(当たり前)。
 チビの頃は真っ白な頭巾をかぶった猿みたいな顔をしていて、まったく別の種類に見える。

お眠なフクロウたち-7

 これは個人的に馴染み深いトラフズクだ。毎年1月の下旬に庄内緑地に飛んできてしばらく滞在していくので、おととし去年と2回、野生のやつを見た。今年もまた見に行くつもりでいる。
 小屋の中で横並びになってしまうと特別な感慨はなくなってしまうけど、やはり自然の中で野生を見ると感動する。花鳥園の触れ合えるすばらしさはすばらしさとして、野生のものはまた格別なのだ。
 夏場は本州の北の涼しいところで暮らして、冬になって寒くなると南下してくる。すごく珍しいフクロウというわけではないからそれなりの数がいるのだろうけど、偶然見つけるのはかなか困難だ。情報を頼りに出向いていっても木の高いところで枝に隠れるようにじっとしているから、自分では見つけられない。現地の鳥の人に居場所を教えてもらってやっと見られるくらいだ。
 今年はまだ来たという知らせがない。もうあと1、2週間で来ると思うのだけど。

お眠なフクロウたち-8

 さてこいつは、アビシニアンワシミミズクか、アフリカワシミミズクか。アビシニアンなら眼の色が茶褐色で目の縁取りが赤いというのだけどどうなんだ。うつむき加減ではっきり見えない。
 フクロウは、似ている種類の場合、南へ行くほど体が小さ