 PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di 揚輝荘シリーズもなんだかんだで長引いて、今回が5回目となった。もうそろそろ終わらせようと思って写真をみたら、今日を入れてあと2回分残っていた。少し駆け足で紹介していくことにしよう。 今回は南庭園の聴松閣と揚輝荘座敷の外観の写真が中心になる。 北庭園から行くと、建物の裏手に当たる。かなり古めかしいたたずまいで、昭和の日本家屋の雰囲気を持っていて、ちょっと懐かしい。ただしこちらは裏の顔で、表に回るとずいぶん印象が違う。あえてそういう作りにしたのか、改築を重ねることでそうなっていったのかはよく分からない。こちら側の建物はもともとが古いもので、空襲があったり戦後の変遷をへているので、もとの姿をあまり残してはいないのだろうとは思う。 かつてここは、揚輝荘座敷、聴松閣、端の寮と3つの建物が横に並んでいて、それぞれが渡り廊下で結ばれていたようだ。現在は、揚輝荘座敷と聴松閣の2つだけとなり、揚輝荘座敷は非公開となっている。 それでは、表に回ってみることにしよう。
 古い白壁のこれは土蔵だったか。これだけの邸宅だから、土蔵の一つや二つ、ないはずがない。 全体の整備が進んでいって、詳しい敷地図なども描かれるといいのだけど、そこまでいくかどうか。もう少し体裁が整ったら、観光地として有料にしていく方向で考えてるのだろうか。
 これが揚輝荘座敷で、現在の松坂屋がある場所に建っていた屋敷を移築してきたものだ。矢場町にあったときは、一時期、川上貞奴が住んでいたんだとか。こちらに移築されたとき、貞奴は現在東区の撞木町で公開されている二葉館に移り住むこととなった。二葉館はきちんとした観光地となっていて私も行ったことがある。このブログでは紹介したことがないから、今度もう一度行って写真を撮ってこよう。あそこはきれいな洋館でなかなかのものだ。 揚輝荘座敷ができた当初は、茶室などの和室の他にサンルームなどもあるモダンな作りになっていたそうだ。 戦後は米軍によって製パン所にされたり、松坂屋の女性用独身寮として使われたりで、当時の面影は消えてしまったという。周りがフェンスで取り囲まれているのは、敷地内にあった男性用の独身寮から夜中に男が忍び込めないようにするためだったとか。
 こちらが表から見た聴松閣で、やぱり立派な建物だということが分かる。 日本家屋の三階建ては迫力があるし、横に付いた石造りの煙突は斬新だ。そもそも普通の家に暖炉はない。
 南庭園にも、池泉回遊式庭園があったようで、かつては屋敷からこの風景を楽しんだのだろう。 今は水も抜かれて枯れ葉に埋もれてしまっているけど、ここも再現して欲しい場所の一つだ。手入れや維持も大変だし、復元そのものが困難だから、昔の姿が蘇ることはないか。庭の隅っこで作業をしていた人たちがいたけど、あの人たちは何をしてたのだろう。
 庭園の周りには土塀があって、ここが屋敷の南端だったことを示している。かつての正門はこちら側にあったようだ。この写真でいうと向かって左側になる。 今西門として使っているのは勝手口のようなもので、一般のお客は建物の裏手に回ることはなかっただろう。だから作りを手抜きしたというわけではないだろうけど。
 石段の横を見ると、文政の文字が彫られている。1800年代前半だから、江戸時代後期のもののようだ。どの程度の価値があるものかは分からないけど、とにかく古いものであることは確かだ。
 聴松閣の中と庭園の見学を終えたら、ツアーはもう終わりだ。裏手に戻ってきて、再びマンション敷地内の通路を通って、北庭園の入り口でアンケート用紙の記入というのもメニューの中に含まれている。 あまりゆっくりだとだれるし、これ以上短いと回りきれないから、1時間コースというのはほどよいところだ。実質は1時間半近くになってしまうだろうか。
 強い逆光で撮ったら古いフィルム写真のようになった。面白いからこれも載せておこう。 こういうレトロな場所だから、フィルムカメラで撮っても面白かったなと帰ってきてから思った。デジで撮るなら、CanonやPENTAXのすっきり画質よりも、NikonやMINOLTAの深い画質の方が味が出そうだ。特にMINOLTAの渋い色調が似合いそうに思う。
これで私の揚輝荘紹介もほぼ終わりとなった。写真もだいたい巡った順番になってるから、ガイドツアーはこんな感じというのが分かってもらえたと思う。 あとはこぼれ写真が何枚かあるから、それを番外編として付け加えたら終わりだ。もう1回、つづきます。
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