 Nikon D100+TAMRON SP 90mm f2.8 / SIGMA 17-70mm f2.8-4 / SIGMA 55-200mm F4-5.6
2月の岩屋堂は冷蔵庫の中よりも寒い。これは比喩ではなく本当だ。瀬戸の冷蔵庫の異名はダテじゃない。冬晴れの名古屋を出発して車で30分走って岩屋堂に着くと、そこは雪が舞い散る白銀の世界だった。ウソみたいだけどホントだ。岩屋堂、恐るべし。 そんな寒い中にノコノコ出向いていくには理由がある。冷蔵庫に入っている肉や野菜の気持ちが知りたくて行くわけではない。2月の岩屋堂にはセリバオウレンが咲くからだ。去年初めての出会いを果たして、今年はもう一度会いに行ってきた。これをもって早春の野草シーズン開幕とするために。
それにしてもこの日はコンディションが悪かった。日没前の曇天という悪コンディションに加えて雪が舞うという状況で、普通なら出直すところだ。けど、岩屋堂に入って初めてそんなふうになったわけで、その直前までは太陽も出ていたから、そこまで行って引き返すわけにもいかない。 ただでさえ難しい被写体のセリバオウレンなのに、光の支援を受けられないとなると、今の私の力ではいい写真は望めなかった。去年も力不足で悔しい思いをしたけど、今年ももどかしい思いが残ったのだった。 撮る前のイメージがどうにも作れない。この花は、上手い人とそうじゃない人との差がはっきり出る被写体だ。これを上手に撮れれば野草写真愛好家としては一人前と言えるだろう。絵作りのセンスが問われる。レンズパワーだけでは押し切れない難しさがある。
 咲いている場所さえ見つけられれば、ぼこぼこ咲いている。1センチほどの白い花で、立っている視点では分かりづらいけど、視点を低くするとたくさん咲いていることに気づく。あっちにもこっちにも無造作に散らばって群生している。咲いている場所は日本全国でも非常に限られているのに、あるところにはあるものだ。ありがたみがないほど咲いていて、知識がなければ雑草と変わらない。 この花の魅力は、なんといっても接近して見てみて初めて分かる。白い花火が弾けるような可憐さは、早春の妖精と呼ぶのにふさわしい。マクロの世界でのぞき見たとき、人はこの花の美しさに魅せられる。
 今回一つ持っていたアイディアとして、広角マクロで撮るというのがあった。通常のマクロ撮影は、90mmなどで接近して大写しにするというものだけど、28mmなどの広角で被写体に近づいて周りの風景も同時に写し込むというのが広角マクロだ。 これをやるためにマクロに特化した広角レンズであるSIGMAの17-70mmを持っていった。Nikonなら35mm換算で25.5mmの広角マクロ写真になる。それが上の写真だ。 うーん、ちょっとイメージと違うな。画角や構図としてはこんなものなんだろうけど、背景がよくない。広角だからf2.8で撮ってもバックのボケが雑然としてしまう。もっと面白いものが写る状況なら絞って奥までピントを合わせるという手もありなんだろうけど。 ここでは背景としては枯れ草か木の幹かそんなものしか選べないから、広角マクロはあまり向かないかもしれない。雪が積もっているときなら、白バックに白い花というのが絵になっただろう。光があるときなら逆光で狙えば面白い写真になっただろうか。
 通常のマクロ撮影ではこんなふうになる。タムロン90mmの等倍撮影は、被写界深度が薄くてピント合わせがとても難しい。これもしっかり合ってない。この場所では三脚はまったく役に立たないから、安定させるためには地面に肘を立てる姿勢くらいしか選べない。それでもブレとボケは防ぎきれない。せめて光のあるときならシャッタースピードが稼げたけど、このときは感度を上げてもスローシャッターという厳しい条件だった。 これは背景にきれいな色を持ってこられたから、それなりの写真になった。背景って大事なのだ。グラビアアイドルがわざわざサイパンやグァムへ撮影に行くのは、いい背景を求めてのことだ。背景なんてなんでもよければ、お台場でも九十九里浜でもどこでもいい。
 普通にマクロ撮影するとこんな感じになる。この写真にセリバオウレンの被写体としての難しさがよく表れている。 花の咲く向きが自分勝手にバラバラで、奥行きもあるから、構図を決めるときに思い通りにならないのだ。どの花をどこに持ってきて、どこにピント合わせてどこをボケさせるかと考えたとき、すべてをコントロールするのはとても困難だ。結果的にいろいろな角度から何枚も撮っておいて、PCで見ていいのを選ぶしかないということになる。絞ってピントの深さを稼ぐと、今度は背景がガチャガチャとうるさくなる。 やっぱりセリバオウレンは難しい。今年もその思いが深まった。家からもう少し近ければ何日か通って練習を重ねたいところだ。また来年となるとそれまた気の長い話になる。
 ブレボケ写真も使えるものは使おう。無条件に捨ててしまうのはもったいない。少し加工してイメージ画像のように仕上げれば、それはそれで写真として成立する場合もある。 何事もそうだけど、写真の場合も失敗の中に成功のヒントがある。ありきたりから一歩抜け出すためには何かの工夫が必要で、それはときに失敗から偶然得られたりするものだ。露出のオーバーやアンダーも、自分の中にイメージがあれば意識的にそちらへ持っていくことも一つの表現となる。
 日没が近づいてセリバオウレン撮影も厳しくなった。少しでも明るさが残っているうちに岩屋堂をちょっと散策することにする。 このときこの場所で、すぐ目の前にルリビタキのオスが現れた。あわてて撮ろうとしたのだけど、暗くなっていて撮れなかったのは残念だった。 名古屋に雪が降ったのが10日のことだ。15日にしてこの雪の残り具合はどうだ。あれ以降も降ったんだろうか。アスファルトの道路はだいたい溶けてなくなっていたものの、道の両脇やちょっと入ったところはまだしっかり雪が積もっている。あれから晴れが続いてるのにこれだけ残っているということは、やはりここは冷蔵庫の中なのだ。冷蔵庫の中に入った雪はそう簡単に溶けない。 この日は風もないのに、しんしんと冷えていて体の芯から冷えた。ちょっとやそっと歩いたくらいでは体はまったく温まらない。歩けば歩くほど冷える一方だ。だんだん手の感覚がなくなってきて、持っているデジをうっかりすると落としそうになる。ここは市街地と同じ感覚で行くと痛い目に遭う。
 散策路は全面的に雪模様。ウォーキングシューズでは足を踏み入れるのをためらわれた。冬の岩屋堂へ行くときはトレッキングシューズを履いていかないといけない。瀬戸市内なのに。
 駐車場もこの通り。手前のクランク橋も雪で凍り付いているから、私のインテグちゃんでは進入不能だ。雪のないアスファルトの駐車スペースにとめた。雪上運転の練習をするにはちょうといい場所と言えば言えるかもしれないけど。
 岩屋堂といえばここ。個人的に一番のお気に入りスポットである、ひなびた昭和観光地のなれの果て風情。ここまで来ないと岩屋堂へ行ったことにはならないというほど外せない場所だ。この光景を見ると条件反射のように昭和枯れすすきが頭の中を流れ出す。 考えてみると、私は岩屋堂がかなり好きかもしれない。世間の人の数倍は岩屋堂を訪れている。お金は一切落としていっていないから、貢献度はゼロなんだけど、このブログでちょくちょく登場してるから多少の宣伝にはなってるかもしれない。 ただ、人がたくさん訪れる夏休みと紅葉シーズンに一度も行ったことがないというのはよくない。それでは岩屋堂マスターとは言えない。今年こそ夏秋も完全制覇できるだろうか。
 酔いつぶれて街角でぐったりしているサラリーマンのような雪残り。私が作った雪だるまではない。でも、こういう面白雪だるまもありだなと思った。
 この日の夕焼け色は、ピンクパープル。雲が速い速度で流れて、半月が隠れたり顔を出したりを繰り返していた。 地表近くでは春の息吹も、樹上はまだ春遠し。2月の岩屋堂はまだまだ深い冬の中にある。
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