現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
東大寺後編は二月三月四月堂、一月堂や五月堂はないですよ
2008年03月10日 (月) | 編集 |
東大寺後編-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 東大寺の魅力は大仏殿だけじゃない。二月堂をはじめ他にも見所はある。私たちは時間が足りずにやや駆け足の見学になってしまったものの、二月堂だけは見にいった。三月堂、四月堂は外見だけとなってしまい、三月堂の内部を見られなかったのはちょっと残念だった。
 乾漆不空羂索観音立像や塑造日光・月光菩薩立像など国宝ゴロゴロで、宝庫とはまさにこのことを言うのだというくらいの充実ぶりを誇る三月堂。国宝、重文仏像がギュウギュウ詰めなんだとか。ただし、内部は撮影禁止で、拝観料も500円と高めだ。金額はともかく、撮影禁止というのはどうにかならないのか。国宝ってのは国の宝でも、寺の宝でもなく、国民の宝なのだから、自分の宝をお金を払って見せてもらってなおかつ写真まで撮ってはいけないというのも考えてみればおかしな話だ。
 建物自体も国宝指定になっている。東大寺に残る数少ない奈良時代建築の一つで、金鐘寺(こんしゅじ)時代に羂索堂(けんさくどう)として建てられたものだ(743年)。東大寺最古の建物でもある。
 当時そのままは仏像が安置されている北部分の正堂で、南側の礼堂(らいどう)は鎌倉時代(1199年)に再建されたものだ。写真に写ってるのが新しい南部分で、この裏手にあたる部分が奈良時代のものになる。
 本尊が不空羂索観音ということで昔は羂索堂と呼ばれていたのが、毎年3月に法華会が行われたことから法華堂や三月堂と呼ばれるようになった。

東大寺後編-2

 三月堂から二月堂に向かう途中の反対側にあるのが四月堂だ。それぞれ特徴と人気のある二月・三月堂に比べるとすごく地味な存在で、みんなに素通りされがちだ。
 重文の本尊千手観音像や阿弥陀如来坐像などが安置されていたり、室町時代に再建されたお堂だったり、それなりに見応えもあるのだけど、東大寺の中では目立たない。他のチームにいけばレギュラー確実なのにビッグチームにいて補欠に甘んじている選手のような存在だ。
 創建は1021年、仁杣、助慶両上人で、かつては普賢菩薩像を本尊としてために普賢三昧堂とも呼ばれていた。三昧堂の名は、毎年4月に法華三昧堂が行われるところからきている。四月堂の呼び名の由来もそこからだ。

東大寺後編-3

 三月堂、四月堂ときたら次は五月堂だろうと思いきや、二月に戻る。そしてそこで月シリーズは終わる。一月堂はない。五月堂も。昔は一月堂から十二月堂まであったんだよ、なんてもっともらしいことを言うと、へぇーなんて感心されてしまいそうだけど、実際はそんなものは昔からなかった。あるのは二・三・四月堂だけだ。
 二月堂の由来も他の二つと同じで、旧暦の2月に修二会(しゅにえ)という大切な行事が行われているところからきている。東大寺のお水取りといえば関西では有名な行事で、お水取りが終われば春が来るというのはよく言われることだ。
 修二会は752年に開山の良弁僧正の弟子だった実忠和尚(じっちゅうかしょう)によって始められたとされている。国家安泰や五穀豊穣を願う行で、中でも二階の舞台をたいまつの火が駆けめぐるのが有名だ。テレビのニュース映像などで見たことがある人も多いだろう。
 源平合戦のときも、第二次大戦中も途絶えることなく、1200年以上続いている伝統の行事だ。松明(たいまつ)の火の粉を浴びると無病息災ということで、大勢の人が詰めかける。お松明は期間中毎日行われているのだけど、クライマックスは12日の夜で、この日が特に盛り上がりを見せる。
 正式名は、十一面悔過(じゅういちめんけか)といい、本尊の十一面観世音菩薩に祈る行だ。修二会というのは、二月に修する法会という意味で、修二という人が開催する飲み会とかではない。
 お水取りというのは、若狭井(わかさい)という井戸から観音様に供えるお香水(おこうずい)を汲み上げる儀式からきている。いろんな呼び方があったり、読み方が難しかったりして、最初どういうことかよく分からなかった。帰ってきてから調べてようやく理解できた。
 こんな純木造建築で火を振り回して大丈夫なんだろうかと思うけど、1200年で一度しか火事になってないから大丈夫なのだろう。でも一度はそれで全焼している。平重衡の兵火でも、三好・松永の戦いでも燃えずに焼け残ったのに、自分のところの行事で焼けてしまったのはちょっと皮肉な話だ。現在の建物は、1667年に焼けて2年後には再建されたものだ。
 国宝指定は2005年と最近のことだ。建物は江戸時代のものだから、とびきり古いものでもない。
 本尊は秘仏の十一面観世音菩薩。

東大寺後編-4

 二月堂は崖の上に建っているから、石段を登っていかないといけない。ここが登り切ったところだ。
 左が二月堂の建物で、正面右手は手水舎だっただろうか。大きな提灯のようなものがたくさんぶら下がっている。

東大寺後編-5

 舞台からは大仏殿や、その向こうに奈良の街並みを見渡すことが出来る。奈良時代はこのあたりも山の中だったのだろう。遠くに平城宮が見えていたんだろうか。
 西向きだから夕焼けがきれいだろう。シーズンオフで人が少ない夕暮れどきなんかもよさそうだ。

東大寺後編-6

 左が舞台で、右には屋根付きの登り回廊がある。帰りはこちらから帰ることにした。
 この日は紅葉シーズンの休日ということで、二月堂の舞台上も大変な賑わいをみせていた。あさって12日はあの上を松明の火が走り回ることになるのだろう。行事は深夜だからニュース映像で見られるのは13日になる。YouTubeなどで映像だけならいつでも見られるのだけど。

東大寺後編-7

 登廊下から舞台を見上げたところ。ここからが一番絵になる姿かもしれない。秋の青空を背景に、二月堂は凛と建っていた。

東大寺後編-8

 石畳と土塀が続く東大寺の裏参道は思いがけずよかった。奈良は鎌倉や京都とは違って、意外と古都という言葉が似合わないところなのだけど、その理由はこういう風情のある場所が少ないからだろう。寺社も町も申し分なく古いのに、しっとりとした趣が足りない。街に色気がないとでも言うんだろうか。
 でもここはよかったから、東大寺へ行ったときはぜひ歩いてみて欲しいと思う。

東大寺後編-9

 たくさん撮った奈良写真の中でも、これは好きな一枚だ。無関係の他人だけど、家族写真のような親しみを感じる。見知らぬ一家の思い出の一枚としてここに貼り付けておこう。

東大寺後編-10

 ほぼ同じカットの写真を以前にも載せたけど、東大寺の締めくくりはこのシーンにした。東大寺大仏殿と中門、鏡池と鹿のショットは、これ以上ないというほど奈良らしい光景だ。
 東大寺編は前後編、これで完結となる。見物という点では少し心残りがありつつも、書くことに関しては思い残すことはない。書きたいことと書くべきことは書ききった。
 写真についてはどれだけ撮っても満足するということはない。今回も、もう一度行ったらもっといろんなものを違った風に撮れたのにという思いが強い。またすぐにでも行って撮りたいくらいだ。奈良にはいつでも行きたいという気持ちもある。
 また鹿せんべいをたくさん焼いて奈良へ行こう。完全に鹿の好みは掴んだから、今度は大量生産していっても大丈夫だ。ボストンバッグいっぱい分持っていっても残ることはない。しゃべる鹿には会えるかな。
 奈良公園周辺だけでなく、法隆寺や唐招提寺、飛鳥方面にも行ってみたい。奈良巡りはまだ始まったばかりだ。楽しみはたくさん残っている。


落下傘料理人は中華を目指してごま油を買い忘れて日本海越えならず
2008年03月10日 (月) | 編集 |
中華サンデー

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 今日のサンデー料理は中華だった。のつもりだったと言い直した方がいいかもしれない。作り始めてからごま油がないことに気づいた。それはある意味致命傷だった。オリーブオイルで作った中華料理を果たして中華料理と呼んでいいのかどうかという疑問は、食べ終わったあとまで頭を去らなかった。
 落下傘料理人の私が作る料理は風任せの運任せだから、どこに着地するかは作ってみなければ分からない。中華に向けて出発したとしても、狙い通りのところに降りられる保証はどこにもない。
 そもそも中華料理の定義って何だろう。中国で作られている料理は中国料理であって中華料理ではない。たぶん、中国の人は自分のところの料理を中華料理とは呼ばないだろう。となると、これは日本における中国料理全般を指す言葉と思えばいいんだろうか。
 しかし、どこからどこまでが中華なのかを定義するのは難しい。ギョーザやチャーハンは中華だろうけど、ラーメンは中華なのかとか。コンソメスープにワンタンを浮かべたものは中華なのか洋食なのかとか。肉団子にあんをかけたものは中華なのか和食なのか洋食なのか、たれの味付けによっても違ってくるし。
 とりあえず分かっていることは、支那料理って言わなくなったということくらいだ。

 定義問題はひとまず置いておくことにして、今日作った中華のつもり料理3品を紹介しよう。
 まず左手前から。基本はワンタンだけど、これはたぶん中華から逸脱した料理だと思う。でも片足は中華に突っ込んでいるから中華料理の仲間に入れてもらいたい。
 ワンタンの皮にツナ缶ととろけるチーズを入れて、いったんフライパンで焼きを入れる。このとき水溶きカタクリ粉を多めに流し込んで表面に膜を作ってしまう。
 軽く焼いたら中華スープの中に移してしばらく煮込む。スープは、中華味の素、塩、コショウ、一味、酒、しょう油で作る。
 たれはマヨネーズベースだから、この時点で完全に中華から脱線した。マヨネーズ、からし、しょう油、酒、一味を混ぜたものをひと煮立ちさせる。
 これは普通に美味しいのでジャンルにこだわらずに作って食べてみてくださいと言いたい。ワンタンの食感は美味しいことを再確認した。あのツルツル感はギョウザにもシュウマイにもない独特のものだ。水溶きカタクリ粉がそれに追い打ちをかける。

 右手前は、分類としては八宝菜になるのだろうと思う。ただ、少し違うというか間違えたというか、別の料理を作ろうとして結果的に八宝菜みたいになってしまっただけなので、私としては八宝菜を作ったつもりはない。
 基本にあったのは、肉団子のとろみあんかけで、それだけじゃ寂しいってことで白菜を足し、エビを足し、彩りにニンジンも加えていったら、どこかで見たことがある料理になった。ばったり八宝菜と出くわしたというわけだ。
 鶏の挽肉に刻んだタマネギを混ぜ、塩、コショウ、中華の素で味付けをする。それをこねて団子状にして、カタクリ粉をまぶす。
 エビは皮をむいて、わたを取って、塩、コショウ、酒を振って、これもカタクリで衣をつける。
 中華スープで輪切りにしたニンジンを煮込みつつ、フライパンでエビと肉団子を炒める。炒めたら中華スープに移動させて、切った白菜も入れる。ここにもワンタンの皮を投入する。ワンタンは皮を食べるものだから間違ってない。
 ある程度煮込んだところで水溶きカタクリ粉を少し加えて、更にもう少し煮る。あとは、塩、コショウ、中華の素、一味、ラー油、しょう油などで味を調える。

 奥のはカニ玉あんかけなんだけど、これも結果論にすぎない。私が作りたかったのはこんなものではなかった。
 ちょっとぜいたくなスクランブルエッグのあんかけバージョンみたいなものをイメージしていたのに、できたものは卵焼きのあんかけに成り下がってしまった。こんなはずでは。
 失敗だったのは、白身魚を入れてしまったことだ。ふわふわのふっくら卵にしたかったのに、これを入れてしまったことでしっかり火を通さなくてはいけなくなって、結果的に堅焼き卵焼きになった。間違えた。入れるなら別に焼くか煮るかしておかなくてはいけなかったのだ。
 カニ缶も入ったちょっと高級な卵料理だったのに、貧乏くさい料理となってしまった。

 今日はとにかくごま油がなかったのが敗因の一つだった。あるとなしとでは風味がまったく違ってくる。ワンタンはかえってよかったかもしれないけど、あとの2品はごま油で作っていたらもっと中華らしい味になっていただろう。ややパンチを欠いたのが惜しまれる。
 ここのところ味に関してちょっとスランプだ。まずくないけど、満足度がもう一歩で、あー、美味しかったと思うことが出来ない。何か物足りない。普通に美味しいものを作ることの難しさをあらためて感じている。
 今回の収穫はワンタンだ。ワンタンの皮は中華に限らず他の料理にも応用できそうだ。詰める具材とたれによって和風にも洋風にもできる。ワンタンスープだけがワンタン料理じゃない。
 中華は作り慣れていないこともあって難しい。料理としてのバリエーションは豊富なのに、家庭で作れるものは限られるから、サンデー料理として採用しづらいというのもある。基本的なものと高級料理の中間のものが少ないから、工夫して作れるメニューがあまりない。美味しさ優先なら作るものがいろいろあるけど、炒め物とかは趣味の料理にはちょっと向かない。食べるのは好きだけど作風が合わないというのか。
 でも、ごま油を買ってきてまた違うものに挑戦してみたい。中国料理といっても、広東、四川、上海、北京と幅も広く、それぞれに特徴がある。そのあたりを勉強しながら、各地の代表料理を作ってみるという試みも面白そうだ。
 次こそ、ゼンジー北京もびっくりの中華料理を作るアルヨ。




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