 PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4
岡崎城へ桜を見に行くときに下調べをしていたら、NHK朝の連続ドラマ「純情きらり」のロケ地が岡崎にあることを知った。このドラマは観ていなかったし、宮崎あおいにも思い入れはないのだけど、ついでに見に行ってきた。 ドラマの主人公である桜子は、岡崎の八丁味噌の蔵元に生まれ、ジャズピアニストを目指して東京へ出て行くというストーリーだったようで、そのロケ地として八丁味噌の「カクキュー」が使われたということのようだ。 で、訪れたカクキュー前。私は道に迷って辿り着くのに30分もかかってしまったけど、岡崎城から迷わず行けば歩いて10分くらいだろう。ところどころに案内が出ていることに帰り道で気づいた。
 ちゃっかり便乗している、きらり通り。何年有効かは分からないけど、放送が2006年だっから、もうしばらく効果は続くだろう。 下に写っている手形は、主な出演者のもので、この周辺のあちこちに点在している。私が見たのは、福士誠治のものだった。誰だよそれと思って素通りしてしまった。帰ってきてから調べてみたら、「のだめカンタービレ」の黒木くんだった。それならもうちょっとちゃんと見ておいてもよかった。最近、時代劇とかでもよく見かけるようになった。 もう一つ、中岡崎駅の前には室井滋のものもあった。宮崎あおいのは、このあと登場する。
 丸の中に「や」で「まるや」と、四角の中に「久」で「カクキュー」と、現在はこの二軒のみが八丁味噌を作っている。上の写真は、まるやの工場入り口だ。 二軒はライバル関係にあり、お仲間でもある。創業は、カクキューが江戸時代の1640年代(家光の時代)で、まるやは1337年とのことだ。 この二軒は、共同で八丁味噌の商品名を他のところが使うのはやめてもらいたいと訴えを起こして、裁判で負けた。八丁味噌の名前の由来は、岡崎城から西に八丁離れた村で作られていたことからきているのだから、他のところで作った味噌を八丁味噌と名乗るのはおかしいと、 実際のところ、八丁味噌と赤味噌はイコールではなく、八丁味噌は赤味噌の中のブランド名なので、主張は間違っていない。フランスのシャンパーニュ地方で作られた発泡ワインだけがシャンパンであって他のものは厳密にはシャンパンではないのと同じように。 現在このあたりは八帖町という地名になっている。
いい機会なので、味噌について少し勉強してみた。知っているようで知らないことが多いのが味噌だ。赤味噌と白味噌と、それぞれ何からどんなふうに作っているのかを正しく説明できる人はあまりいないんじゃないだろうか。 基本的に味噌の材料となるのは、米、麦、豆の3種類のどれかで、その3つを組み合わせた調合味噌の4種類がある。 赤味噌と白味噌は材料の違いではなく、塩分濃度と成熟期間の違いによる。数ヶ月しか成熟させないと白味噌になり、1年以上寝かせると赤味噌になる。だから、米の白味噌もあれば米の赤味噌もある。 米から作った白味噌は塩分が少なくて麹の糖分で甘くなり、赤味噌は塩分が濃いのでコクがあって塩辛くなる。 地方によってそれぞれ特色があり、米の白味噌の代表は西京味噌と信州味噌あたりで、米の赤味噌には津軽味噌と仙台味噌などがある。同じ白味噌でも西京は甘く、仙台は辛いとか、津軽は濃くて信州はあっさりなど、味にも大きな違いがある。 九州、四国は麦の白味噌が一般的で、北関東では大麦の赤味噌が作られている。 豆から作る赤味噌は愛知県を中心とした中部地方のみで、その代表が岡崎の八丁味噌というわけだ。 八丁味噌は、丸2年成熟させて作る。白味噌などは数ヶ月で、普通の赤味噌でも1年だから、いかに手間暇をかけているかが分かる。二冬二夏かけてじっくり成熟させた味噌は、独特の渋みとうまみを持ち、甘みが少ない。 使うのは丸大豆と水と塩だけで、添加物は一切使わず、加熱や殺菌もしない。木の桶の中に材料を入れて、上から石の重しを乗せるという昔ながらの製法で作られている。 味が濃い割には塩分が少ないので、健康にいい自然食でもある。家康も八丁味噌が大好きで、岡崎から江戸まで届けさせて毎日食べていたという。当時としては75歳という異例の長生きだったのも八丁味噌のおかげだったという話もある。 じゃあ、味噌汁だ味噌カツだ味噌煮込みだと、赤味噌ばっかり食べている名古屋人は長生きかといえばそうでもない。家康は健康オタクだっから長生きできたのだろう。
ついでに味噌の歴史をたどってみると、すでに縄文時代から味噌は食べられていたといわれている。酒と同じで、材料と作り方が単純だから偶然発見されて、それが定着したとしても何ら不思議ではない。 奈良時代になると文献にも登場するようになり、平安時代には味噌屋もあったという。 当時は豆味噌が主流だったようで、室町時代には広く食べられるようになっていた。 戦国時代には携帯食として一般的なものとなっていて、調味料というよりおかずとして食べられていたようだ。肉食の習慣がなかったから、当時の貴重な蛋白源だった。 米麹が使われるなど、味噌が多様になっていったのは江戸時代以降だ。 「手前味噌」という言葉があるように、かつては多くの家庭で味噌を作って食べていた。私の子供の頃にはもうなくなっていたけど、町や村に小さな味噌蔵などがたくさんあった時代もある。そこで量り売りをしていた。 外国でいうと、中国の豆板醤のように似たようなものもある。東南アジアにもあるようだから、アジアの発想で生まれたものなのだろう。 最近は外国でも味噌の存在は広く知られるようになっていて、欧米でも健康食としてよく食べられているそうだ。 一通り味噌の勉強が終わったところで、きらり散策に戻ることにしよう。
 カクキューの裏手は八丁蔵通りと名づけられていて、ここが一番雰囲気のいい場所となっている。 見えている手形が、宮崎あおいのものだ。 電柱が地下に入っていると更に良くなるから、なんとか岡崎市には頑張ってもらいたい。
 私はドラマを観てないので、へぇーという感じだけだけど、観た人なら、そうそう、ここ、ここ、となるだろう。 ドラマを抜きにしても雰囲気のあるいい通りだから、訪れてみる価値はある。
 ドラマ直後はこのあたりも人がぞろぞろ歩いていたのだろう。2年経った今は、すっかり元の静かさを取り戻していた。岡崎城へ桜を見に来ていた人も、ここまでは足を伸ばそうと思わなかったらしい。通りかかるのは地元の人だけだった。
 岡崎城が描かれたマンホールのフタ。最近、こういうデザインマンホールが増えたのはいいことだ。昔は実用本位だったけど、生活空間にもちょっとした彩りがあった方が楽しい。
 八丁味噌作りの舞台裏が垣間見えた。向こうに見えているのが味噌を作る桶で、手前は上に乗せる石だ。どっかから拾ってきたものだ。いや、本当に江戸時代に河原で拾ってきた石を今もそのまま使っているそうだ。
 カクキューの表に出てきた。まるやと共にどちらも予約をすると無料で工場見学をできるようになっている。ガイド付きで30分のコースだそうだ。 これがなかなかの人気らしく、年間10万人も訪れるというから驚く。このときも駐車場から観光バスが2台出て行った。見学内容も面白くて飽きさせないというから、私も機会があれば行ってみたいと思う。 見学の最後には味噌の試食ができたり、おみやげも売っている。普通の味噌だけではなく、味噌アイス、味噌カレー、味噌キャラメルなど、味噌づくし。トンカツなどにかける味噌だれを私は買いたい。 見学しなくても、入っていけば売店でおみやげ物だけ買うことはできるんだろうと思う。
 下を見ながら歩いていてもお金は落ちてないけど、道に迷うことはなくなる。案内はこんなところにあったのか。 岡崎城を出て、真っ直ぐ西に向かって、中岡崎駅を越えればすぐに分かる。
 味噌をつける、味噌っかす、そこが味噌なんだなど、味噌を使った言葉がけっこうある。それだけ日本人には欠かせないものとして昔から食生活の中にあった。長く外国へ行っていると味噌汁が恋しくなるという人も多いという。愛知の赤味噌に限らず、味噌は故郷の味でもある。と同時に、家庭の味でもある。結婚すると味噌汁の違いでもめるなんて話も聞く。 日本人は明治以降、長く日本の味をないがしろにしてきた。特に終戦後はひどかった。ここへ来て少しずつ日本の味が見直されてきているところだけど、もっと和食を大切にしてもいい。 味噌は味噌カツに代表されるように意外と応用の利く調味料だ。味噌おでんも美味しいし、味噌で煮込めるものもたくさんある。名古屋メシブームがもっと広がりを見せて、日本中でもっともっと味噌が食べられるようになるといいと思う。 そんなこんなで、愛知の八丁味噌をよろしくお願いしますという話でした。私自身は白味噌の方が好きなんだけどね。
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