 Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS
今日ふと桜並木を見たら、若葉を青々と茂らせるまったく別の木のようになっていた。ついこの間まで満開の花をつけていた桜の木は、10日もしたらもう次の季節に移行している。なんて変わり身の早さ。季節の移ろいの速度にあらためて驚かされる。 季節は前へ進んでいるけど、話は少し前に戻したい。今日は滋賀巡りの3番目に行った彦根城について書きたいと思う。 現存する12天守のうち、国宝に指定されているのは4つ。姫路城、松本城、犬山城、そして彦根城だ。このブログでは、姫路城と犬山城についてはすでに書いた。松本城もこの前外観だけは撮ってきたから、近いうちに書くつもりでいる。 現存12天守は、北から弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知となる。明治維新で多くが取り壊されて、第二次大戦の空襲が追い打ちをかけた。 個人的には彦根城の訪問はこれが二度目となる。小学生のとき両親に連れて行ってもらったことをうっすらと覚えている。ただ、城少年ではなかった小学生の私にとっては決して楽しい思い出の場所というのではなく、むしろ一緒の日に回った近くの醒ヶ井のマス釣りの方が印象深い。 今でも城野郎になったとは思ってないけど、このブログの城コレクションがだんだん充実していっているのは確かだ。今日の彦根城で国宝コンプリートに近づくことになる。
JR彦根駅から彦根城まではのんびり歩いて10分くらいだから、歩いている人がけっこういた。この日は桜がほぼ見頃ということで、平日にもかかわらず大勢の観光客が訪れていた。 彦根城は去年、築城400年祭で、史上2番目の入場者数だったそうだ。話題になったマスコットキャラクターのひこにゃんが集客に一役買ったとか買わなかったとか。城に興味のないちびっ子もひこにゃん見たさに彦根城へ行ったとしたら、ひこにゃん大活躍ということになる。この日は姿を見せなかった。ひこにゃん、見たかったのに。バイトの学生でいいんだから、毎日城の中をうろつかせておかないと。 入り口はいくつかある。駅から普通に行くと、自然と二の丸佐和口多聞櫓に着く。上の写真がそうで、堀はかつての中堀で現在は外堀ということになる。このあたりも当時の姿をかなり残している。 佐和口門という櫓門はすでにないものの、佐和口多聞櫓が現存しており、国の重要文化財に指定されている。 堀には水戸市から贈られたというコクチョウが泳いでいた。そういえば姫路城もコクチョウだった。名古屋城などはハクチョウだ。 彦根城といえばこの地方の桜の名所としても知られている。昔から城と桜はセットだったわけではなく、たいていは戦後だったり昭和のはじめ頃に植えられたものだ。戦国時代にのんきに桜を植えて花見をしてる余裕はなかっただろうし、江戸時代にしてもお殿様のお城に庶民が入れるはずもなく、大名の間でもそういう発想はなかったらしい。 彦根城の場合は、昭和のはじめに市民運動で桜が植えられた。今では城内に1,200本まで増えて、城内のあちこちがピンクの彩りを添える。
 彦根城は琵琶湖にほど近い彦根山の上に建っている。当時はもっと近くまで琵琶湖の湖岸が来ていたようだ。 彦根城の別名「金亀城(こんきじょう)」は、平安時代にあった彦根寺に金の亀に乗った観音様が祀られていて、金亀山と呼ばれていたところから来ている。 標高136メートルだからそんなに高い山ではないとはいえ、天守閣へは登りの道を歩くことになる。年配の方はちょっと大変だ。私も安土城のダメージを引きずっていたので、けっこうしんどく感じた。この頃になるとだいぶ疲れの感覚が麻痺していた頃ではあるのだけど。 現在でもかなりの部分の遺構が残されているとはいえ、かつては全体の規模が姫路城くらいあったそうだ。今でもそれくらい残っていたら間違いなく世界遺産になっていただろう。1992年(平成4年)に暫定リストに載ったとはいえ、やや決定打に欠けるか。世界遺産になるとたちまち外国人観光客が押し寄せるから、必ずしもいいことばかりではないようにも思う。世界遺産というのは絶対的なお墨付きだけに、国外にも強い影響力を持つ。
 ここはテレビでもよく見かける場所だ。自分が訪れたときの遠い記憶が、ここへ来てようやくよみがえった。そうそう、ここ来た、来たと思う。時代劇でもお馴染みだ。 廊下橋と天秤櫓があるこの場所が、彦根城の最初のクライマックスと言える。
 ぐるりと回り込んで廊下橋の手前にやって来た。奥に見ているのが天秤櫓だ。 天秤櫓は長浜城の大手門を移築したものだと言われている。これも重要文化財。 多聞の左右に2層2階の隅櫓があって、天秤ばかりのような格好をしてるところから名づけられた。
 まだそう簡単に天守には辿り着けない。次に出迎えるのは、佐和山城の城門を移築したとされる太鼓門櫓だ。これも重文指定。
 ああ、来たなここと、鮮やかに記憶がよみがえる。運動場の隅にポツンと建つようなこの感じが彦根城だ。思い出した、思い出した。この前で家族写真も撮ったんだった。
徳川四天王と呼ばれた猛将の一人、井伊直政は、関ヶ原の合戦ののち、家康に18万石を与えられて西軍大将・石田三成の居城だった佐和山城に入城した。1601年のことだ。 佐和山城は、彦根城から見て1キロちょっと東にいった山の中にあった。本来ならここの城主におさまるはずだった井伊直政は、この城を嫌い、琵琶湖に近い西側に新しい城を築くことにする。佐和山城は交通の要所からはずれているからとか、敗北の敵大将の城で荒れ果てていたからとか、敵勢力の痕跡を消すためだったとか、いろいろな理由があった。いまだ大阪に健在の豊臣方に対する備えと威圧という意味からも、あたらな城を築く必要があったとも言われている。 佐和山城自体は名城として名が通った城だったから、壊す必要はなかった。「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」と言われていたくらいだ。 当初、井伊直政は湖岸に近い磯山(現在の米原市磯)に新しい城を築くことを計画していた。しかし、関ヶ原で受けた鉄砲傷が治らず、計画が進まないまま1602年に死去してしまう。41歳だった。 家督を継いだ直継(のちの直勝)がまだ幼かったため、家臣たちが遺志をついで城が建てられることになる。再検討した結果、場所は彦根山が最適だろうということになった。 翌1603年に築城が始まり、天守は大津城から移築してきたため2年ほどで完成した。移築の際に、もともと4層だったものを3層に縮小したため、下半身の優美なラインが失われてずんどうな格好になってしまった。 その後も造営は続き、彦根藩のみならず、家康の命令で全国12の大名も手伝わされることとなり、天下普請となっていった。大阪城に対する重要防衛拠点という位置づけだったのだろう。 1606年までに二期の工事が終わり、天守に直継が入城したあとは彦根藩単独となりなりながら、最終的には20年の歳月をかけて1622年にようやく完成をみたのだった。藩主は三代目の直孝に代替わりし、気づけば大阪夏の陣も1615年に終わって、豊臣家は滅びたあとだった。当初の目的はどこかへいってしまっていた。 井伊家は加増を重ね、1633年には譜代大名では筆頭の35万石となった。 彦根城のユニークなところは、初代藩主から明治維新の14代藩主まで、一度の領主替えもなかったという点だ。こういうことはめったにない。 13代藩主があの桜田門外の変で討たれた大老・井伊直弼だ。井伊直弼が藩主になるまでの不遇の時代を過ごした屋敷が埋木舎(うもれぎのや)として今も残っている。 彦根城のもう一つの特徴として、リサイクルの城だったということもある。いろんな櫓をあちこちから持ってきて、天守まで他の城から移してしまうなんてのも珍しい。西ノ丸三重櫓は小谷城の天守だし、石垣は安土城の石垣から持ってきた。だから、寄せ集めの城なんて言われ方もする。 明治維新の際にこの城が取り壊されなかったのは、明治天皇が彦根を通ったときにその姿を見て保存するように命じたからとか、大隈重信の助言によるものなどとされている。第二次大戦でも焼けなかったのは幸いだった。
 天守に入るのに入城制限がかかって、まさかの20分待ちとなった。そんなこともあるんだ。桜の季節の週末は1、2時間待ちということもあるらしい。 やることがないので桜と天守の写真でも撮ってみる。右後方のはるか遠くに佐和山城が建っていた山も見えた。敗軍の将の城が残っているはずもなく、現在はわずかに遺構が残るのみで、訪れる人も少ない。勝てば官軍負ければ賊軍というのが歴史だ。
 懐かしい昭和ムードたっぷりのおみやげ物屋さんもあった。 昔、ここでペナントを買ったかもしれない。ミニチュアの城は持っていた記憶がないから、買ったとすればキーホルダーかペナントだっただろう。
 戦に備えての城とはいえ、関ヶ原以降に立てられた城だから、当然戦の舞台にはなっていない。籠城戦などはあまり想定していなかったんじゃないか。 天守はどこのものも一番上は狭くて、生活するような空間ではない。実際、政務などは下の御殿で行われていたようだ。 天守に登って何があるというわけではないけど、せっかく来たらここまで見ておかないと行った気になれないというのが人情だ。行って何もないことを確認すればそれで気が済む。 それにしても階段が恐ろしく急だ。ほとんど垂直に近い。
 これまでに何度か修理や改装はあったのだろうけど、天守の内部などはほとんど当時の姿そのままなんじゃないだろうか。 金網などという無粋なものも一部付けられているものの、純木製の造りは歴史の重みを感じさせる。 人が多くてざわめきに空気は乱されていたけど、ひとけのない夜に一人でここに登ったらさぞかし恐そうだ。 ここは城主の多くが若死にしている城でもある。
 天守からの眺めは花盛りだった。向こうに見えているのが琵琶湖だ。昔はもっと近かったのだろう。
 彦根城の天守は、あまりフォトジェニックとは言えない。姫路城のような優美さがなく、本丸に行ったときに真正面から見ることになるので損をしているところがある。城はやはり、斜めからの角度が美しい。
 帰りは裏の黒門から庭園の玄宮園・楽々園を通って帰った。かなり大回りで相当歩くことになった。 写真は大手橋で、こちらも桜がよく咲いていてなかなかよかった。
彦根城とその周辺の写真がまだだいぶ残っているので、近いうちに彦根第二弾として紹介する予定だ。彦根城の総括もそのときでいいだろう。 ひこにゃんのライバル、しまさこにゃんと、いしだみつにゃんについてもそのとき書こう。
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