現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
曇天だから散策はやめて暮らしの中の日常写真を撮って並べてみよう
2008年05月31日 (土) | 編集 |
日常写真-1

KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8 + Canon EOS 20D+90mm f2.8



 晴れたら夕方散策に出かけようと思っていたのに、見上げる空は曇天の灰色。一時的に日差しが戻ったと思ったら、またすぐに太陽が隠れてしまった。晴れていたら植物園へ行く予定だったけど、光がなければ面白くない。神社仏閣巡りも、光があるとなしとでは写真が全然違ってくる。どこへ行こうか、行こうかどうしようか迷っているうちに時間がなくなってしまった。散策は来週に延期だ。
 そこで今日はいつもと趣向を変えて、暮らしの中で撮った日常写真を集めて並べてみることにした。こういう写真は最近あまり紹介してなかった。

日常写真-2

 今日作っていた守山区の神社仏閣・歴史巡りの手製マップ。これだけ一度に回ろうとしたら大変だけど、2回か3回に分ければ回れるだろう。たぶん来週行くことになると思う。
 守山区の北ゾーンは、馴染みのある場所が限られていて、知らないところは全然知らない。歴史散策の見所を調べていて、こんなにもあったのかと驚いた。このあたりは古墳もたくさん見つかっている場所で、かなり昔から人が住んでいたようだ。その流れで、神社仏閣も多い。また行ってきたら、詳しく書こうと思う。

日常写真-3

 PC周りはこんな感じ。最近は黒で統一している。PC関連が白系だとなんとなく落ち着かない。
 マシンはIBMのNetvista、モニタはEIZOの液晶、キーボードはお気に入りのELECOM TK-P2109JPWB。マウスはMicrsoftの5ボタンで、これも黒。
 ミネラルウォーターはたまたま買ったもので、いつもこれを飲んでいるわけではない。気休めと分かっていても酸素入りのものが好きだ。飲むとシャキッとするような気がするから。まず気のせいだと思うけど。

日常写真-4

 最近、雑誌というものをまったく買わなくなった中で、唯一買ってるのが月刊テレビガイドの「TV Taro」だ。ネットで無料の番組表があるから一時買わなくなったのだけど、それだと見逃す番組が増えたので、やっぱり毎月買うことにした。紙媒体というのも、まだまだ捨てがたいものがある。
 観るか録画する番組を蛍光ペンで囲って忘れないようにしている。でも、よく忘れる。

日常写真-5

 ビデオデッキは消耗品だから、中古で安く買って、不調になったら売るというのを繰り返している。一時自分で修理することを趣味としていたけど、最近は面倒になってやってない。前は電源部のコンデンサ交換とかもやっていた。
 高級デッキはもったいないからもう買わないようにしている。VictorのX-3とか好きだったけど。
 今は丈夫なパナソニックを録画専用に使って、再生を東芝や三菱に担当させている。巻き戻しは日立に限る。巻きムラが一番少ないのが日立だから。

日常写真-6

 梅雨時が近づくと、ワッと咲いてくるイソトマ。咲き方はちょっと雑然としているけど、花は涼やかできれいな青紫だ。
 原産がオーストラリアというのは少し意外だった。でも、和製ではないとは思う。
 豪州の乾燥地帯で鍛えられているから、丈夫な花だ。他っておいてもよく咲く。

日常写真-7

 ビオラとパンジーの違いは、タカとワシの違いと同じで、大きさによって曖昧に区別されているだけだ。大きければパンジーで、小さいものをビオラと呼んでいる。タカとワシも、大きいのがワシで、小さいのがタカだ。細かいことをいろいろ違いはあるそうなのだけど、絶対に区別をつけなければいけないものでもないし、そのへんは適当でいい。
 これは小さめだからビオラだろう。一応の目安として、4センチを超えるとパンジーになるらしい。
 三色スミレという言い方も情緒があっていいけど、あれはパンジーを指す。三色は、「さんしき」と読むのが正式なんだとか。さんしょくでも間違いではない。

日常写真-8

 久々に登場のオヤブン。体長5センチくらいで槽の掃除屋さんという紹介だったのでものは試しと買ってみたら、すぐに30センチくらいに成長して、60センチ水槽では身動きもままらなくなったまま、かれこれ10年くらい生きている。特に掃除をしている様子はない。いつも土管の中に入ってじっとしている。
 大きな図体の割に臆病で、たまに出てきていても、私の姿を見るとあわてて土管の中に逃げていく。10年来の付き合いなのに、いまだに親しくなれていない。
 でも、いなくなると寂しいから、オヤブン、長生きするんだぞ。

日常写真-9

 たまにはアイも紹介しないといけない。
 カメラ嫌いは相変わらずだから、カメラを床に置いて撮ったら逃げなかったのでこれは上手くいったと喜んだら、ピントが合ってなかった。暗い部屋の中の黒猫ということでデジの露出も間違えていて、なんだかおかしな写真になってしまった。まあいいか。アイが黒目を大きくしてるところはなかなか撮れないから。猫は暗いところで黒目がちになってるところの方がかわいく見える。

日常写真-10

 夜、近所にヒメボタルを撮りに行った。去年教えてもらった場所に、今年もいた。小さい光がフラッシュのように点滅している。
 ただ、今年はまだ気温が低いこともあるのか、数は少なかった。8時台という時間も早かったかもしれない。もっと暑い日にもう一度出直したい。もうピークは過ぎてしまったのだろうか。

日常写真-11

 かなり近くから撮ることができた。使ったレンズはタムロンの90mmマクロで、f3.2のISO800でシャッター速度は30秒。地面で動かなければ暗がりでも充分撮れる。
 ヒメボタルのメスは羽が退化して飛べないから、こうして地面で光ってオスを待つ。オスは光りながらゆっくり飛ぶので、その姿が幻想的だ。今日はオスが飛んでいなかった。
 ヒメボタルはかなり限定された場所にしか生息していないから、なかなか見るのが難しいかもしれない。名古屋では天白の相生山緑地が一番有名だ。あそこも2回行ったことがあるけど、当たり外れが大きい。名古屋城の堀にもいるらしい。

日常写真-12

 手作りのココア団子。
 ずっと以前にういろうを作ったときに使った上新粉が出てきて、それを使って団子を作ってみた。カタクリ粉と砂糖、水を混ぜて、鍋でゆっくり加熱すると固まってくるので、それを冷まして団子状にしたらレンジでチンして、あとはココアをまぶせばできあがり。簡単だ。
 モチモチの和風食感とココアの洋風味の組み合わせはちょっと新鮮だった。混ぜるものやまぶすものでいろいろ応用もできるのでオススメしたい。

 そんなこんなの日常写真、たまにはこんなネタもいいかな。月一では多すぎるけど、3ヶ月に一度くらいなら。そのときのために日々の写真を撮りためておこう。
 以前はこういう一枚の写真で一ネタにしてたのだった。いつからか、文章が長くなり、写真の枚数が増えていった。今後どうなっていくかは、私にも分からない。どんな形になっても、続けられるだけは続けようと思っている。
 毎日の中に新しい発見や知ることの喜びがあって、書き手である私と読み手であるあなたとが、それを共有できたら幸せなこと。


撮影自由度が高い花鳥園は何度行っても撮るものがたくさんある
2008年05月30日 (金) | 編集 |
ふれあいの鳥たち-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8



「しろくじゃく」を変換したら、「白く弱」になった。最近、ATOKのアホさ加減にちょっとイラっとすることが多い。
 それは置いておいて、今日はまた花鳥園シリーズに戻ろうと思う。若干ネタ切れ気味というのはあるのだけど、花鳥園ネタを小出しにして引き延ばすよりも、一気に終わらせてしまった方がいいような気がして、なるべく優先させていくことにした。
 今日は、ふれあいの小道で触れ合える鳥たちを紹介しよう。ここでは本来人に慣れるはずのない鳥たちが人をまったく怖がらず、エサをあげたり、近づいたりできる。クジャクも肩に乗ったりということはないけど、ちょっと触るくらいはできる。うっかりすると蹴飛ばしてしまいそうなくらい無防備に床を歩いているから、人間の方が気をつけないといけない。
 クジャクにとって今は恋の季節のようで、オスがさかんに羽を広げてアピールをしていた。でも、近くにメスの姿はない。一体、誰に向かってのアピールなんだろう。写真を撮れっていうアピールではないと思うのだけど、ひょっとして私たちに対してのサービスだったんだろうか。花鳥園の鳥として、そこまでプロ意識を持っていたとしたらすごい。
 シロクジャクは、インドクジャクの白変種なんだそうだ。別の種類だと思ってた。でも、アルビノではないそうで、シロクジャクという種として確立しているようだ。
 インドやパキスタン、ヒマラヤ山脈などの開けた林に生息しているというのだけど、野生のクジャクに出会ったら、かなりびっくりしそうだ。こんな鳥が自然界に存在しているのも不思議に思える。

ふれあいの鳥たち-2

 これが本家というか普通のクジャクで、インドクジャクだ。いつ見ても派手なメタリックカラーをしている。いくらメスにアピールして好かれなければいけないといっても、ここまで着飾る必要があるんだろうか。メスから見て、このカラーリングがそのままの色で見えているとは思えない。実際、花鳥園ではオスの必死のアピールに対してメスの態度はひどくそっけない。ほとんど完全無視に近い。それでも、オスはめげずに羽を広げ、体を震わせて、必死に頑張っている。その姿を見ると、しっかり、と応援したくなる。
 人間はいろんな生き物を観賞用に改良してきたけど、インドクジャクに関しては人間のイメージを最初から超えている。逆に、こんなものを人工的に作り出してしまったら、やりすぎだと非難されるだろう。

ふれあいの鳥たち-3

 これは何だろう。名前は知らない。インコの仲間のような、そうでないような。ちょっとカラスっぽいような感じもある。
 なんで体は地味なのに、顔だけこんなカラーリングになってしまったんだ。黒いタキシードを着た覆面レスラーみたいではないか。
 日本の鳥にはこういう遊び心を持ったやつが少ない。暑い地方になるほど色が派手になるのはどういう理由なのか分からないけど、おおむね日本の鳥は真面目だ。アマゾンとかの鳥は陽気でちょっとふざけているようなところがある。ノリがラテン系だ。
 派手な色のインコなどは、東北の豪雪地帯には似合わないというのを、インコ自身が自覚するのかもしれない。

ふれあいの鳥たち-4

 フラミンゴにエサをあげると、クチバシにくわえて、それを水につけて洗うようにしてから食べた。フラミンゴの習性なのか、こいつのクセなのか。
 これも人工着色料のような色をしている。

ふれあいの鳥たち-5

 花鳥園にいるセイタカシギは、南北アメリカ大陸にいるクロエリセイタカシギという種類だ。日本の干潟にいるのはセイタカシギで、少し種類が違う。
 セイタカシギは1970年代まで日本では珍しい鳥だったそうだけど、1980年代以降増えて、今では当たり前に見られる種になった。
 アメリカにおけるクロエリセイタカシギもきっとそうなのだと思う。花鳥園でもうなるほどいる。
 他にも、オーストラリアセイタカシギ、ナンベイセイタカシギなどの亜種がいる。

ふれあいの鳥たち-6

 クロエリセイタカシギの群れの中に、何かちょっと違う茶色いやつがいた。セイタカシギの若いやつかと思ったら、レンカクじゃないか。この大きな足は間違いない。きみ、なんでこんなところに? スイレンプールで生まれて大きくなったやつが、ここに移されてきたのか。
 スイレンプールで3羽のチビがいたけど、あれは最近になってまた生まれたやつだったのか。少し前に生まれたやつが、もうこんなに大きくなっていたなんて。このままこの雑居房の住人になるのだろうか。かなり落ち着かないと思うんだけど。チビが大きくなったら、またスイレンプールに戻してもらえるのかもしれない。
 レンカクは、インドネシアやスリランカ、台湾、フィリピンなどにいる鳥で、日本にもごく稀に迷い込んでくることがあるそうだ。そんなに長い距離を飛べるとは知らなかった。水草の上を歩くだけじゃないんだ。

ふれあいの鳥たち-7

 日本では絶滅してしまったトキも、花鳥園ではそのへんをふらふら歩いている。でもこれ、トキはトキでもシロトキだ。普通のトキとちょっと似てるけど、頭の毛がないし、見た目があまり美しくない。アメリカ大陸にいるトキで、おそらくそんなに珍しいものではないのだろう。
 花鳥園にもいる真っ赤なショウジョウトキとごく近い種のようで、よく交雑種が生まれることから、同じ種類にしてしまおうなんて話もあるそうだ。けど、それはいくらなんでも乱暴だろう。真っ白なトキと真っ赤なトキが同じでは混乱してしまう。
 中国ではある程度トキの保護と繁殖に成功しているようで、日本としてはちょっとうらやましいところだ。トキも江戸時代まではありふれた鳥だったというのだけど、気づいたときにはもう絶滅に向かっていて、それを食い止めることができなかった。
 兵庫県で行われているコウノトリの人工繁殖は少しずつ成果を上げてきているようで、今後に期待したい。
 どんな生き物も、人間の都合で絶滅まで追い込んでしまうのはよくないし、救えるものなら救った方がいい。

ふれあいの鳥たち-8

 何度も登場しているオニオオハシ。普通に撮るとこんな感じだ。
 派手なクチバシと瞳に目が奪われがちだけど、体はいたって地味だったりする。
 大きなクチバシは重たそうに見えて10円玉3枚分しかない。どうしてこんなクチバシになったしまったのかは、よく分かっていないらしい。

ふれあいの鳥たち-9

 どちらかというとこちらの方が派手な色をしているのに、オオハシといえばオニオオハシと思われて、日陰者になりがちなクリハシオオハシさんだ。体はオニオオハシの方が少し大きいけど、クリハシオオハシだってそんなに負けてはいない。
 でも、実際、オニオオハシの方が華があるというか、かわいいから、仕方がないかなと思う。クリハシオオハシは生まれながらのナンバーツーを宿命づけられた鳥だ。

ふれあいの鳥たち-10

 アフリカにすむコウノトリの仲間のクラハシコウ。名前はモロ。
 花鳥園では雑居房の中で牢名主のようにでんと構えて風格を漂わせる。エサの時間以外はほとんど動くことなく、お気に入りの場所で座っていることが多い。
 間接を無茶な方向に曲げているように見えるけど、人間でいうと机に肘をついてような格好なので、これが楽なのだろう。
 クチバシの黄色い部分が鞍に似ているから、鞍端黄でクラハシコウと名づけられた。
 オスは光彩が黒っぽくて、メスは黄色い。だからこれはオスということになる。

ふれあいの鳥たち-11

 クラハシコウは肉食だから、みんながもらってる鳥のエサには見向きもしない。エサは魚で、放り投げると器用にクチバシでキャッチして食べる。エサやり体験もできる。
 キャッチする直前を撮ろうとしたのだけど、失敗。少し遅れて、すでにくわえているところだった。

 こうして写真を並べてあらためて見てみると、鳥といってもずいぶん幅広いものだなと思う。同じプールに暮らしている彼らは、他の種類の鳥たちをどう思っているんだろう。仲間と思っているのか、別の生き物だと思っているのか。もしかしたら、他のやつらの鳴き声のうるささにいつも腹を立てているのかもしれない。こんなに騒々しくちゃやっていられねえとか。実際、かなりうるさいから、この施設は街中には作れない。あいつら、夜中は静かにしてるんだろうか。
 3度目ともなればそんなに写真を撮るものもないだろうと思ったけど、これがあるのが花鳥園なのだ。被写体には事欠かないし、同じ鳥でも常に状況が違うから、いろんな撮り方ができて自由度が高い。そのあたりが動物園との違いだ。
 一人でも多くの人を花鳥園へ送り込むために、私の花鳥園シリーズはまだ続くのであった。


去年ついでに寄った平塚神社と長崎神社と2つで合わせ技一本
2008年05月29日 (木) | 編集 |
平塚神社-1

PENTAX istDS+PENTAX 18-55mm f3.5-5.6



 これまで東京の有名な神社についていくつか紹介してきた。有名どころはかなり行き尽くした感がある。けれど、よくよく調べてみると、東京十社にしても、別表神社にしても、ポツリ、ポツリと抜けているところがあって、まだまだコンプリートには遠い状態だ。これから巡る予定の神社をざっと書き出してみると、軽く20を超える。マニアックなところでは、平将門の首や手足や胴体、兜、鎧などを御神体にしている神社巡りなんてのもある。なので、神社シリーズもまだネタ切れというわけではない。
 そんな中、今日は別の目的地へ行く途中、ついでに寄った神社を二つ紹介したいと思う。特に有名というわけではないけど、何かの縁で行くことになる神社というのがある。通りから少し奥に入ったところでも行こうかと思うこともあるし、目の前を通りながら中まで入らないこともある。波長というのか、縁というのか、たまたまなのかは分からないけど。
 こういう神社紹介を、東京マイナー神社シリーズと名づけよう。そこはマイナーじゃない、自分はよく知ってるぞという人もいるだろうけど、東京へ観光に行った地方の人間が行かないような神社という意味でマイナーとさせていただきたい。そもそも観光のために東京へ行って好きこのんで神社に行く人もそんなにたくさんはいないろうというツッコミはさらりとかわして、話を先へ進めることにしよう。

 一般的にはほとんど知られていないと思われる北区平塚という町も、内田康夫の浅見光彦シリーズのファンにとっては馴染みのある場所だ。浅見家があるのがこの町で、光彦のおふくろさんが好物の団子を売っている平塚亭は、実際に平塚神社の入り口に店を構えている。JR京浜東北線上中里駅を出て、蝉坂を登っていくあたりは、作品の中で何度も登場している。
 実は、私がそのことに気づいたのは、名古屋に帰ってきてからのことだった。あの平塚神社って、浅見光彦のあの平塚神社だったんだと驚いた。全然思いもしなかった。だから、平塚亭も見ていない。なんたる不覚。
 このときは、ここから少し先にある古河庭園にバラを見に行ったのだった。ちょうど去年の今頃の時期だ。もし、知っていたら、平塚亭で団子を買って食べていただろう。惜しいことをした。もう一度あそこまで行く機会はありそうにない。

 平安時代、この地は豊島郡を治める郡衙があったところで、平安末期に秩父平氏庶流の豪族・豊島太郎近義という人間が平塚城を建てた場所だった。この時代のものだから、戦国時代のような城ではなく、城館だったのだろう。
 1062年の前九年の役(陸奥国司と豪族安倍氏との戦い)に続き、1083年に後三年の役が起こり(出羽国の豪族清原氏との戦)、それに勝利して凱旋した源義家をもてなしのが平塚城主の豊島近義で、感銘を受けた義家は鎧と十一面観音像を贈った。
 義家が死去すると、近義はその鎧を埋めて城の鎮守とし、社に義家三兄弟(八幡太郎義家、新羅三郎義満、加茂次郎義綱)の像を祀って平塚三明神としたのが平塚神社の始まりとされている。この塚が現在も平塚神社の本殿裏に残っている(非公開)。それが平らな塚であったことが平塚の地名の由来となった。豊島区は、平塚城主の豊島氏から来ている。
 鎌倉から室町時代にかけて、平塚城は豊島氏代々の居城として続くも、泰経の時代の1476年、長尾景春の呼びかけに応じて関東管領上杉氏に反旗を翻し、弟の泰明が平塚城で挙兵。それを受けて翌年、江戸城主の太田道灌が平塚城に攻め込み、落城。1478年、兄の泰経と共に再び戦ったものの、江古田・沼袋原の戦いで破れて泰明は討ち死にしてしまう。
 以降、豊島氏は急速に没落して、平塚城は使用されないまま廃城となる。
 蝉坂というのは、太田道灌が攻め入ってきた坂、攻め坂がなまって蝉坂になったといわれている。
 時は流れて江戸時代。上中里村出身で盲人の針医・山川城官貞久が江戸に出て検校にまで出世して、家光が病気になったとき、平塚明神に祈願したところたちまち病が治ったことから、自らの資金で平塚明神の社殿を建てた。その話を聞いた家光は、平塚明神に250石の知行地を与え、それが現在の平塚神社へとつながった。

平塚神社-2

 溶岩の塊のようなところに狛犬が乗っている。獅子は我が子を千尋の谷底に落として這い上がってきた強いもののみを育てるとうシーンを再現しているのだろうか。違うかもしれない。
 これとよく似たものをどこか別のところでも見た。あれはどこだったか。横浜の伊勢山皇大神宮へ行く途中にあった神社だっただろうか。
 境内社として、豊島神社、御料稲荷、菅原神社、石室神社などがある。

平塚神社-3

 表から見たところ。右手が下っていく蝉坂で、ここから右に少し歩くと古河庭園がある。まわりは静かな住宅地だ。
 神社は鬱蒼とした木に囲まれて深閑としているようだけど、境内の半分が月極駐車場になっていて、ずっこける。なんてちゃっかりした商売上手な神社。神社の境内を月極駐車場にしていいものなんだろうか。これが許されるなら、こんないい商売ない。賽銭で小銭をちまちま集めなくてもいい。

長崎神社-1

 ところ変わって、ここは豊島区長崎町。西武池袋線の椎名駅を出ると、すぐ目の前に長崎神社という立派な神社がある。神社仏閣好きなら素通りはできない。ちょっと寄っていこうかということになるはずだ。
 ここへ行ったのはいつだったか、よく覚えていない。西武池袋線なんてめったに乗らない。去年の秋、巾着田のヒガンバナを見に行った帰りだったかもしれない。
 長崎神社というから九州の長崎に関係があるのかと思ったら、まったくなかった。鎌倉時代、執権北条氏の御内人・長崎氏の領地だったことから、長崎村になり、現在も長崎という地名が残ったのだった。江戸時代には、小田原北条氏の家臣で江戸衆の太田康資(太田道灌のひ孫)の所領だった。
 かなり古い神社のようだけど、創建年代は分かっていないらしい。もともとは、長崎村の鎮守として、櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)を祀って村の安全と五穀豊穣を願ったのが始まりとされている。クシナダはスサノオがヤマタノオロチを退治することを請け負ったときにもらい受けた妻で、『日本書紀』では奇稲田姫という字を当てられていることから、稲田の女神とされる。
 それが江戸時代中期になると、 十羅刹女社(じゅうらせつにょしゃ)と称されるようになっていった。十羅刹女社というのは、法華経における10人の女性の鬼神のことで、鬼子母神と共に法華経の守護天使とされる神様だ。つまり、江戸時代に入って神仏混淆となっていったことを意味している。
 明治に入って神仏分離令が出されたため、明治5年に須佐之男命を合祀して氷川神社となり、明治7年に長崎神社と改称して、現在に至っている。

長崎神社-2

 ここでも岩に張りつく狛犬が出迎えてくれる。豊島区ではこのタイプの狛犬が流行っているのだろうか。平塚神社と同じ作り手によるものなのかもしれない。他の神社ではめったにこういうのは見かけないから、全国的に見ても珍しいと思うのだけど。
 参道の石段には金属製の手すりが付いている。お年寄りに優しくするのが狙いだろうか。
 ちょっとびっくりなのが、石段を登り切ったところに取り付けられたスライド式の金属門だ。閉店ガラガラ用だろうか。それにしては低すぎて、その気になれば楽々と乗り越えられてしまう。時間外は入らないでくださいという意思表示がしたいだけだろうか。

長崎神社-3

 なかなか面白い木の鳥居だ。両部鳥居と呼ばれるもので、柱の足下に補助をする木(控柱または稚児柱)が取り付けられている。一番上の笠木が反増といって両端が反り上がっているのも特徴だ。安曇野の穂高神社もそうだった。
 この鳥居は関東大震災で倒れて、今のものはその後作り直したものだそうだ。
 鳥居にかかっている神社額は、山岡鉄舟の揮毫らしい。山岡鉄舟と長崎神社の関わりはよく知らない。

長崎神社-4

 境内は静かで、なかなかいい雰囲気だった。ここはけっこう好きだ。
 本殿は1849年に建てられたものだそうで、歴史が感じられて悪くない。
 お参りを終えて、帰ろうと思って最後に振り向くと、ちびっこが駆けてきて、本殿の前で何か願い事をしていた。それがなんだかとてもいい光景だった。

 ここ長崎神社は、獅子舞がある神社として地元では知られている。豊島区で唯一の指定無形文化財だそうだ。
 獅子舞の獅子頭が奉納されたのが元禄年間というから、300年の歴史を持つ伝統の行事ということになる。現在では、豊島区で五穀を育てて生業にしてる人はほとんどいないだろうけど、厄除け神事として続いている。
 黒っぽい姿の獅子舞が印象的で、境内で舞いを演じるだけでなく、獅子舞をしながら町内も練り歩く。
 毎年5月の第二日曜日というから、今年は11日に行われたのだろう。

 江戸東京というと、徳川家康が幕府を開くまでは未開の地だったみたいなイメージがあるけど、その歴史は案外古い。ずっと昔から人は住んでいたし、歴史も重ねてきている。東京最古の寺院である浅草寺などは、大化の改新よりも前の628年までさかのぼる。
 東京は、関東大震災と第二次大戦の空襲と、二度壊滅的な打撃を受けているから、本当に古いものはあまり残ってないのだけど、それでも江戸時代を偲ばせるものはたくさんある。
 一般的な知名度は低いこの二つの神社でも、調べてみれば思いがけない歴史を持っていて興味深い。いろいろな出来事は、横にも縦にもつながっていて、いろんな人間が関わっている。
 今後とも、マイナー神社シリーズは継続させていこう。とりあえず目についた神社仏閣は入って写真を撮っておくべしだ。それがあとになって役に立つ。一ヶ所では弱くても、二つ三つと集まれば、合わせ技一本になる。
 神社だけでも、一生かけても巡りきれないくらいあるから、ネタには困らない。


王子バラ園まで遅刻してしまったけどいいとこ撮りの怪我の功名
2008年05月28日 (水) | 編集 |
王子バラ園-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8



 今年は季節の花にずっと遅刻続きで、バラから建て直そうと思ったのに、バラにさえ置いていかれてしまった。よもやの出遅れ。花期が長いバラとはいえ、10日以上も遅れたら致命的だ。なんとか大丈夫でありますようにと願いながら行った春日井の王子バラ園は、遅刻常習犯の私を待っていてはくれなかった。バラよ、おまえもか。
 今年は特に早かったようで、ピークは5月15日くらいだったそうだ。27日ではいかにも遅すぎる。去年は25日に行って、それでも遅れ気味だったから、今年は少なくとも20日は行っていなければいけなかったのだ。おととしは12日で、それはさすがに早すぎたけど、バラは5月の中旬と思い知るべしだ。5月の終わりじゃない。
 花の状態はかなり悪くなっていて、蕾もあまり残っていなかった。王子バラ園はどんどん剪定していくから、旬を過ぎると花の数が少なくなる。写真を撮るにしても、花が開ききってしまうと美しさが半減してしまうから、7分咲き、8分咲きくらいが一番いい。そのときは恥じらいがある。開ききると品がなくなる。
 普通に撮れる花が少なかったので、今回は方針を切り替えて、バラが持つ色と造形の美しさに迫ってみることにした。バラも撮るのが難しい花だけど、下手に小細工せず素直に写すのがいい。きれいに撮ろうとしなくても、バラはそのままで美しいのだから、足し引きしなくてもいい。
 今回は名前にこだわらず、目についたものをあれこれ考えずにパチパチ撮っていった。構図も考えず、距離感だけ決めて適当に撮った。名前から解放されると、一気にお気楽撮影になっていい。

王子バラ園-2

 一重咲きというのはあまりバラらしくないけど、よく見るとけっこう上品だ。ピンクの濃淡も情緒的で、繊細でもある。

王子バラ園-3

 私が好きな黄色いバラ2つ、寺西菊雄作の荒城の月も、天津乙女も咲いていなかった。残念。もう終わってしまっていたんだろうか。最近、あそこで見ていないのは時期を外しているだけなのか、もう枯れてしまったのか。
 代わりに黄色いバラはこれを選んだ。荒城の月や天津乙女と比べるとずいぶん色が濃い黄色だけど、これはこれで悪くない。花もまだ開ききっていなくて、いい状態だ。写真写りとしても、これくらいのときがいい。

王子バラ園-4

 バラのピンクはとても多様で、様々なピンクバラが存在する。淡いピンクからショッキングピンクのような色まで、いろいろな色が作り出せるのだろう。ローズピンクという色の名前があるように、ピンク色もバラを象徴する色の一つだ。

王子バラ園-6

 カップ咲きとピンク色は相性がいい。ゴージャスさと品をあわせ持つカップ咲きのピンクバラがけっこうある。人気の高いピエール・ド・ロンサールなどがその代表だろう。

王子バラ園-5

 私が好きなマダム・ヴィオレもこの通り。すっかり開ききってしまっていて、こうなってしまうとマダムの上品さはない。マダム・ヴィオレも、秋バラの方が姿がいいから、そのときもう一度会いに行こう。
 紫色のバラは、たくさんありそうで意外と少ない。ブルー・ライトや、マダム・ヴィオレを親に持つブルー・シャトーなどが思いつくくらいだ。青いバラを作ろうとして青くなりきらなかった青灰色みたいなバラもいくつかある。

王子バラ園-7

 これは黄色ともいえるけど、見た目の印象ではオレンジ色だった。オレンジ色のバラもバリエーションが多くて、それぞれ印象が違う。色が濃いほど華やかで、淡いものには気品を感じる。
 バラの花色の主成分は、赤色とオレンジ色と青色の色素で、その組み合わせによって色が決まるのだそうだ。だから、オレンジというのはバラでは基本色の一つで、黄色なんかの方が特殊な色ということになる。
 青色のバラが存在しないのは、青色色素と呼ばれるデルフィニジンが花弁にないからで、交配によって青いバラを作り出すのは不可能とされている。人工的に作り出すには、遺伝子組み換えをするしかない。サントリーが作った青いバラは、そうやって作られた。
 花フェスタで、岐阜県が作った青いバラ、ブルーヘブンというのを見たけど、あれは紫がかった灰色のバラだった。サントリーのものも一度見てみたい。

王子バラ園-8

 濃厚なピンク。あるいは赤。ここまで派手でどぎつくなってしまうと、私の好みからは外れる。非常に強い色だとは思うけど。

王子バラ園-9

 深紅というにはちょっと明るすぎる。
 バラというと赤いバラを思い浮かべるのが一般的な感覚だろうか。バラの花束を贈ったり受け取ったりする人生は、遠い世界に思えるけど、実際にどれくらいの赤いバラの花束が行き来しているのだろう。私は切り花は好きじゃないから、贈るにしても鉢植えにしたい。鉢植えの赤いバラになると、とたんにロマンチックじゃなくなってしまうけど。

王子バラ園-10

 少しだけ普通にも撮った。このバラは撮り頃だった。
 まだ開ききってない状態で、花を中心に蕾が取り囲んでいるというのが、被写体として理想的なバラの姿だ。
 ミニバラもなかなかいいものだ。離れて見ると印象が弱いけど、そばに近寄ると普通サイズのバラに負けてない。

王子バラ園-11

 これもミニバラで、しだれ咲きのように咲いているから、しだれバラと呼びたい。蕾の可憐さといい、他のバラとはちょっと違った魅力を持ったバラだ。

王子バラ園-12

 淡い色のバラを逆光で撮ると、ソフトフィルターをかけたような写りになる。たまたまこれがそうなったというわけではなく、絞りを開放気味で撮るとその傾向が強くなる。
 バラと光の関係というのもなかなか難しいもので、強すぎると色が飛ぶし、弱いとのっぺりしてしまう。夕方の光は花の色が濁るからあまり向かない。となると、やや弱めの日差しがあるときがベストということになるだろうか。
 レフ板を使うと、また違った写りになるだろうから、そのあたりも試してみたいところだ。簡易レフ板は買わなくても、厚手の紙にくしゃくしゃにしたアルミホイルを貼り付ければ簡単に作れる。昔は私も持ち歩いていたけど、最近はそんなこともすっかり忘れていた。

王子バラ園-13

 最後は私らしい写真で締めくくろう。

 今回は遅刻したことで怪我の功名として、いつもとは違った撮り方になった。いろんな撮り方をしようとせず、アップ写真に特化させたことでバラとの一つの距離感を掴んだ。この距離もありだ。あとはもう少し構図を工夫して、色と造形とバランスをイメージしながら撮れるともっといい。
 今年の春バラはこれで終わりになってしまうかどうか、今のところまだ未定だ。岐阜の花フェスタは今年は休みにしよう。2005年から去年まで3年連続で行ったから。近場では、鶴舞公園、庄内緑地、東山植物園あたりだろうけど、どれも行ったことがあって新鮮味がない。秋バラを見るために花フェスタへ行くというのはいいかもしれない。
 これからバラを見ようという人は、王子バラ園はもう終わりだからやめておいた方がよさそうだ。花フェスタは、これからがちょうどいい時期だと思う。5月の終わりから6月の始めにかけてが毎年ベストシーズンだから。あそこは世界一のバラ園を自称するだけのことはあるから、行ったことがない方はぜひ一度行ってみることをおすすめします。


掛川花鳥園の人気者トップスリーそれぞれの近況報告
2008年05月27日 (火) | 編集 |
花鳥園人気者-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8



 好物のブドウをもらって、うっとりしながら食べるアンソニー。いい表情だ。
 足でブドウを掴んで、器用に皮をむいて中身だけ食べる。むいた皮はそのへんにペッペッと吐き捨て、最後は種も出して完食。終盤は片足立ちが長引いて立っている足がプルプル震えていたけど、それでも食べるのに夢中で気にしていない様子だった。そんなにブドウが好きだったんだ、アンソニー。許されるものなら、ブドウくらい一房でも差し入れするのに。
 花鳥園新シリーズ第三回は、花鳥園の人気者トップスリーを紹介します。まずはヨウムのアンソニーから。
 ヨウムといえば、少し前にちょっとしたニュースになった。逃げ出したヨウムが、保護された先で自分の名前と住所をしゃべって、無事飼い主の元に戻ったというものだ。オウムや九官鳥ほどではないけど、ヨウムもけっこう人間の言葉を覚えてしゃべる。アンソニーも、ハローとかいらっしゃいませとか、4つか5つくらいを気まぐれに発する。でも、自分ちの住所を番地までしゃべれるヨウムは、なかなかいないと思う。足輪に電話番号を書いておいた方が早いとかそういう問題ではない。
 これくらい大型のインコになると知能も高く、言葉を覚えるだけでなく意味も理解して、人間とのコミュニケーションもとれるといわれている。なにしろ50年も生きるから、人と長く暮らしていればその間にいろんなことが分かるようになるのも不思議ではない。
 アンソニーは確かまだ若かったはずだ。3歳とか4歳とかじゃなかったか。まだまだこの先、賢くなっていくことだろう。

花鳥園人気者-2

 相変わらず、とぼけた顔のアンソニー。おすましさんなのだけど、どこか抜けていて笑える。おバカそうに見えて思慮深く、無愛想を装いながら人なつっこいところもある。アンソニー! と呼びかけても無視するくせに、離れていこうとするとハローと話しかけてきて、いかないでとアピールする。とっても憎めないやつなのだ。
 いろんな鳥が放し飼いにされていて、他にもヨウムはいるのに、アンソニーだけが特別な何かを持っている。スタッフもみんなアンソニーのことは気にかけていて、そばを通りかかると呼びかけたり手を振ったりしていく。アンソニーもそちらに顔を向けて、気にしている様子を見せる。
 アンソニーなりに好きな人がいるようで、人をちゃんを見分けている。よく遊んでもらっているスタッフの人が好きというのはあるのだろう。

花鳥園人気者-3

 習性なのかイラついてるのか、いつも何かをかじっている。木の台をかじってガリガリにしたり、このときはヒモをカジカジし続けていた。人間がプチプチをつぶし続けてストレス解消するみたいに。
 一日ここにいて、特にすることもないから、何かかじったりしてなければ間が持たないということかもしれない。鳥は毎日何を考えて過ごしてるんだろう。野生の鳥はエサを探すことで頭がいっぱいだろうけど、ここにいればエサの心配はしなくていい。いろんな人間が訪れるから、それを見て退屈を紛らわしているのか。

花鳥園人気者-4

 アンソニーは小屋のような台の上にいて、つながれてないから、手を差し出すと乗ってくることがある。気が向くとだけど。
 大きい体のわりには体重はさほどなく、400、500グラムくらいにしかならない。足の温かさからすると体温はけっこう高そうだ。
 腕に乗ってきたからといって、こちらに特別な関心を示すわけではなく、視線はあさっての方向を向いたまま。アイコンタクトとかそういうものはない。どこを見てるかも、よく分からない。犬や猫と違って、呼んでも返事をするわけではない。アンソニーは特別とぼけたところがあるのだけど。

花鳥園人気者-5

 こちらは入り口近くにいるヨウムくん。アンソニーとはずいぶん性格が違う感じだ。
 人との積極的な関わりを求めるふうでもなく、たまに独り言のように何かをつぶやいている。

花鳥園人気者-13

 テレビ出演以来、すっかり人気者になったポポちゃんの前は、いつも人だかりができていた。ポポちゃんは休まる暇がない。
 右側にテレビ出演のときの写真が貼ってある。自分より弱いメンフクロウに対しては大きく翼を広げて威嚇して、強いフクロウに対しては木のように細くなって隠れたつもりになるという本能が芸のようになってしまって、テレビで何度もやることになってしまった。相当なストレスがかかるから、普段はやらない。あんなもの毎日やってたら身が持たない。

花鳥園人気者-6

 人に注目されることに疲れたのか、ほとんどこちらを見ないポポちゃん。なんだか面やつれして元気がない。かなり心配だ。人気者はつらい。
 一日一回、ポポちゃんと一緒に記念写真を撮れるイベントがあるのだけど、そのときもなかなか正面を向かず、何度も顔を前に向けられて気の毒なようだった。
 ポポちゃん人気でかなり来場者が増えているようだけど、少し休ませてあげた方がいいかもしれない。

花鳥園人気者-7

 ずいぶん待って、やっとこちらを向いたと思っても、どこか遠くを見てこっちと目を合わせてはくれない。ポポちゃん、大丈夫かい。
 なんとなく顔や体つきに精彩を欠いている気がした。今年の1月に見たときはもっと元気だった。

花鳥園人気者-8

 うつむくポポちゃん。悩みは深そうだ。

花鳥園人気者-9

 ポポちゃんとは別のアフリカオオコノハズク。顔の張りや目つきの鋭さが違う。ポポちゃんもちょっと前まではこれくらい精悍だったのに。
 ポポちゃん人気にあやかって、同じグループの神戸花鳥園からアフリカオオコノハズクを10羽くらい掛川に移してきた。でも、ポポちゃんほどの芸達者は他にいなかったようだ。誰かピンチヒッターはいないのか。

花鳥園人気者-10

 オニオオハシさんも花鳥園の人気者だ。こいつを目当てに訪れるお客さんもけっこういるんじゃないか。
 オオハシさんは全部で7、8羽くらいいるだろうか。温室やスイレンプールで放し飼いにされている。それぞれに名前がついているのかどうかは分からない。ついていたとしても、どれがどれだか見分けはつかない。
 相変わらず器用にエサをくわえては、ひょいっと上を向いて、ポイッと口に中に放り込む。ほとんど百発百中で外さない。100円分のエサなど、その気になれば1分もかからずに平らげてしまう。一日にどれだけ食べていいのか、自分で分かってるだんだろうか。
 ただ、週末で人が多いときは、午後になるとエサを食べなくなるというから、満腹という感覚はあるらしい。花鳥園へ行くなら、断然、平日が面白い。

花鳥園人気者-11

 正面から見ると面白い顔になるオオハシさん。横顔がお馴染みすぎて、正面顔の印象はあまりない。大きなクチバシが邪魔して視界が悪そうだけど、クチバシの先で小さなエサをつまむことができるから、よく見えているらしい。
 鳥の視界って何度くらいなんだろう。目が横に付いてるから、180度以上見えているんだろうか。

花鳥園人気者-12

 オオハシさんはクチバシだけでなく目も印象的だ。ラピスラズリのような深い藍色をしている。
 このふちどりの青い部分はどんな役割の部分なんだろう。瞳は黒いところだと思うから、ただの飾りだったりするんだろうか。
 オオハシさんの瞳に映る景色というのを撮ればよかった。そこまで近づけるかどうかだけど、次回はそれにも挑戦しよう。

 今回はアンソニーにたくさん遊んでもらって楽しかったのだけど、ポポちゃんの元気のなさが気になった。オオハシさんはいつもと変わらず脳天気だった。
 花鳥園新シリーズは、まだ何回分か写真が残っている。今週は雨が多そうだから、写真を撮りに行けずに案外早く在庫を出し切ってしまうことになるかもしれない。


寿司ネタサンデーは他の2つのネタと合わせ技で一本
2008年05月26日 (月) | 編集 |
寿司ネタサンデー

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 今日のサンデー料理は、寿司ネタサンデーだった。先週がマクドナルドサンデーで、その前に回転寿司スシロー前哨戦としての半生サンデーというのがあった。今回はその組み合わせともいえるような、半生寿司ネタ海鮮料理となった。
 メニューは、回転寿司のネタ写真を見て、何の食材を使うかそこから選んだ。まずは基本中の基本としてマグロははずせない。次に何が食べたいかと考えたとき、久しぶりに甘エビが食べたいと思った。もう1品はいろいろ迷って、結局ホタテにした。イカもタコもあまり好きじゃないし、イクラやウニは買えない。サーモンや白身だと魚ばっかりになってしまう。ホタテなら料理に使いやすいというのもあった。ただ、ホタテだけでは面白くないから、ツナマヨとコラボレーションさせることにした。
 調理としては、大した手間はかかっていない。時間も私にしては短い1時間半コースだった。3品ともあぶり焼きしただけで、手間暇といえば下味付けとソース作りくらいのものだ。
 本来ならどれも生で食べるものばかりなのだけど、生もの恐怖症の私としては、少しでも火を通さないと不安だった。まだ半生までしか回復していない。けど、半生でも食べる気になったのは、だいぶ元に戻っているということだろう。スシローへ行く日は近いか。

 甘エビは、尾と頭を残したまま殻をむいて、背わたとはらわたを取る。水洗いをして、水気を拭いたら、塩、コショウ、白ワインを振りかけてしばらく置いておく。それをオリーブオイルで軽くあぶり焼きする。
 ソースは、オリーブオイル、白ワイン、バターを加熱して、しょう油、塩、コショウ、からし、粉チーズを加え、最後に卵を割り入れて混ぜ、固まりきらないところで火を止める。
 マグロは、塩、コショウして、しょう油、酒、みりん、を混ぜたものにしばらく漬けておき、カタクリ粉をまぶして、オリーブオイルで表面だけ焼きを入れる。
 あんかけは、だし汁ベースにしょう油、酒、みりん、砂糖、酢、唐辛子、タマネギを混ぜたものをひと煮立ちさせ、水溶きカタクリ粉を加えて作る。
 ホタテも刺身用をバターとオリーブオイルで軽く焼いた。
 ツナマヨは、ツナ缶にしょう油、マヨネーズ、みりん、白ワインを加えて、少し炒めてある。

 どれも火を加えているからそれなりに料理らしくなっているけど、生で食べるならほとんど料理とは呼べないようなものばかりだ。時間も手間もかからない。今回は楽すぎて、あまり作ったという気がしないくらいだった。
 味は無難にまとめてあるから、失敗はない。3品とも平均点以上の美味しさだった。
 半生でも大丈夫だったから、そろそろ次は生でもいけるだろう。もう、救急車ということはないはずだ。スシローへのカウントダウンは始まった。夏場はちょっとやめて、涼しくなる秋か冬あたりに行きたいと思う。

失敗マフィン

 今日のサンデー料理は、ネタとしては弱かったので、他のネタも抱き合わせで一本にしたい。まずはケーキ作りのネタから。
 これはこの前花鳥園へ行ったときに作っていったマフィンだ。一見すると普通にできているようだけど、実際は失敗している。人は見た目で判断しちゃいけないというけど、ケーキも見た目だけでは分からない。焼きすぎてパサパサになってしまった。ひとくち食べると口の中のツバを全部持っていかれてしまうというシロモノだ。フルマラソンを走りきった直後のランナーにこのマフィンを食べさせたら、カラカラに渇いた喉に詰まらせて死んでしまうかもしれないほどの危険なマフィンだった。
 マフィンのレシピは、スポンジケーキよりもバラツキが大きくて、どれを信じていいのかよく分からず、またもやオレ流でやったら、それは不正解だった。
 バター60グラム、砂糖30グラム、はちみつ20グラム、卵1個、牛乳40グラム、小麦粉90グラム、ベーキングパウダー3グラム、黒豆ココア少しという材料で、180度で30分焼いたら、この結果となった。たぶん、どこかで間違えていたのだろう。全体的な間違いかもしれない。もし、焼き時間が25分くらいだったらどうなっていたんだろうというのはちょっと思った。ああ、そうか、6個あったんだから、20分くらいから一つずつ取り出して、どこが正解の時間だったのか見極めればよかったんだ。今頃気づいた。
 作り方の手順としては、スポンジケーキのように、まず卵と砂糖、はちみつを混ぜてもっさりさせてから、最後に溶かしバターと牛乳を入れるというやり方でやったのだけど、レシピによっては先にバターを混ぜて、そこに卵を少しずつ加えているという方法もある。その場合、バターではなくマーガリンを使うレシピも多い。その方がマフィンらしくなるんだとか。
 ところで、マフィンって何? という基本的な問いかけを誰にともなく投げかけてみる。形状としてはカップケーキなんだろうけど、スポンジケーキとパウンドケーキとマフィンの明確な違いが何かは全然分かってない。
 イギリスでは丸い形に焼いたパンをマフィンというらしいけど、私たちが思い描くのはアメリカ式の焼き菓子のことだろう。形状を指してマフィンなのか、材料の違いでマフィンと区別するのか、そのあたりもなんとなく釈然としない。パウンドケーキとマフィンの食感の違いを説明しろと言われても困る。
 パウンドケーキというのを調べてみると、小麦粉、バター、砂糖、卵をそれぞれ1ポンドずつ使って作るからパウンドケーキと名づけられたんだそうだ。初めて知った。ポンドが日本語ではパウンドになまるのは、ボクシングの体重でもそうだ。
 ただし、1ポンドは約453グラムだから、そんなに大量の材料でパウンドケーキを作ったら食べきれない。バター不足のこのご時世で、個人で食べるのに400グラムのバターは使いすぎだ。
 パウンドケーキとマフィンの配分の違いとしては、マフィンは卵が少ないというのがある。その分、ベーキングパウダーを多めに使って膨らませる。そのあたりの違いが食感の違いとして表れてくるのだと思う。
 いずれにしても、マフィンはもう一度挑戦したい。緊張で喉がカラカラになっているのど自慢の出番前のおじいさんが食べても大丈夫なくらいしっとしとしたマフィンを作ろう。

樹氷ロマン

 抱き合わせネタその2は、樹氷ロマンだ。何のことだと思う人も多いだろうけど、蔵王みやげとしては有名で、山形みやげとしても売り上げナンバーワンというから、東北地方の人たちにとってはお馴染みなんだと思う。東海地方まではその名は鳴り響いていない。
 少し前に長野みやげの雷鳥の里というのを紹介したけど、あれを調べていてこの樹氷ロマンの存在を知った。両方食べたことがある人によると、美味しさは双璧らしい。この手のお菓子ファンの私とツレとしては、ぜひ食べてみなければなるまいということで、ひとっ走り山形まで行って……来たりはせずに、素直に通販で取り寄せた。これを買いに山形まで行ってたら、4万円くらいのお菓子になってしまう。
 見た目は定番の細長い長方形で、多重構造の感じも雷鳥に似ている。最初にクリームの甘みが来て、あとからビターが重なってくる感じの美味しさは、雷鳥に近い。雷鳥と直接食べ比べをすれば違いがもっとはっきり分かったのだろうけど、記憶との比較でいえば、雷鳥の方がややトータルとしてのハードさがあるような気がする。味のパンチにしても、歯触りにしても。ただ、やはり美味しさは甲乙付けがたく、両雄並び立つといったところだろうか。どちらもナンバーワンみやげの名に恥じない。
 実は河口湖へ行ったときも、同じ系列の白桃スイートチョコサンドというのをおみやげに買って食べたのだった。あれもなかなか美味しかったけど、やはり雷鳥にはかなわなかった。
 だいぶ前に名古屋嬢というのも紹介したと思う。あれも姉妹品だ。後発だけにいろいろ研究もしてるだろうから、名古屋嬢も美味しいのでオススメしたい。
 全国にはこの手の欧風焼菓子と呼ばれるお菓子が他にもいろいろあるに違いない。今度とも調査を続行したいと思っている。また見つけたら紹介しよう。

 3ネタ合わせ技で一本ということで、今日はこれくらいにしておくか。
 来週は5月の最終週だし、梅雨に入る前にネタを集めておかないといけない。バラと、少し遠出を予定している。花鳥園ネタはいざというときのために在庫として持っておいてもいい。季節ものじゃないから、いつでも使える。
 そろそろヒメボタルの時期でもある。レリーズケーブルを持ってないから、今年も写真に撮るのは難しいだろうけど、見に行くだけは行きたい。


飛びものはやっぱり難しいと思い知る三度目の正直ならず花鳥園
2008年05月25日 (日) | 編集 |
飛びもの特集-1

Canon EOS 20D+EF75-300mm f4-5.6 IS / TAMRON SP 90mm f2.8



 今日も昨日に引き続き花鳥園ネタとなる。新シリーズ第二回は飛びもの特集だ。
 花鳥園では一日に3回、フクロウやタカなどの飛行ショーが行われていて、これも呼び物の一つとなっている。私が初めてここのことを知ったとき、タカが飛んでいるところを撮ってみたいと思ったのが行くきっかけになった。
 通常は室内でのフクロウ飛行ショーが1回と、屋外でのファルコンショーが2回というプログラムなのだけど、この日は3回とも外で行われた。平日にもかかわらずお客が多かったからというのもあったのかもしれない。開始時間も前回までとは違っていたから、プログラム自体が変更になったのだろうか。
 3回ともメンバーの入れ替えがあるので、3回見ても楽しめるようになっている。当然、私たちは3回とも見た。
 最初に花鳥園に持っていったデジはNikonのD100で、2回目がFUJIFILMのS2proだった。2台ともピントも連写も遅いデジということで、飛びものには向かず苦戦した。なので今回はEOSの20Dを持っていった。これでまともに撮れなければ私の腕に問題があるということになる。
 結果は、デジではなく私のせいだということを思い知らされた。やっぱり飛びものは難しい。連写やピント以前に、ファインダーの中に飛んでいる鳥をおさめられないのだから話にならない。望遠レンズになると難易度が上がる。ショーは3回あったのに、思い通りに撮れたものは少なかった。練習不足を痛感したし、また花鳥園へ行く理由ができた。スピード感としては、ケリとツバメの間くらいだから、近場の田んぼで充分練習を積まないといけない。
 レンズは手ぶれ補正の75-300mmを使った。デジタル換算で480mmになるから、まず不足はない。これ以上の望遠になるともっと難しくなる。TAMRONの90mmマクロレンズも3回目のショーで使ってみて、これも意外と使えることが分かった。絞りをf4くらいにすればシャッタースピードも稼げるし、望遠レンズよりも画質がいい。

飛びもの特集-2

 オリャーっと飛び出したところ。太くて力強い足で蹴って飛び立ち、大きな翼を音もなく羽ばたかせる。フクロウの羽ばたきはほとんど無音だから、近くで聞いていても音は聞こえない。夜の森の暗殺者といわれるのも納得がいく。
 昼間でもしっかり目は見えていて、遠くまで見渡すことができる。ショーの中では、1キロ先のハンカチまで見えるという説明の仕方をしていた。
 こんな飛行ショーができるくらいだから当然知能は高い。ただ、気まぐれで頑固なところがあるから、やる気が起きないとエサを見せても飛ばなくなる。性格もそれぞれ違って、こういうショー向きなやつと向かないやつがいるのだろう。

飛びもの特集-3

 最初と2枚目は、たぶんベンガルワシミミズクだったと思う。3枚目は何ミミズクだったろう。ユーラシアワシミミズクだったか、違ったか。前回行って帰ってきたとき、次は名前のメモ書きが必要だと言っておきながら、すっかり忘れていた。メモ撮りもしてないので、名前が分からないやつが今後とも出てくる。
 上のやつは、久々に再登場した何とかちゃんだ。名前も覚えてない。
 カラスが嫌いで、上空に飛んでいるカラスをずっと気にしていた。近くにいると飛ばなくなるらしい。このときも久々でまだ勘が戻らなかったのか、飛ぶべきところで飛ばず、なんとかなだめすかされながら、ちょこっと飛んだだけで帰って行った。そういうこともある。
 毛が生えかわるのを待っていて、それが完了しての再デビューとなったとのことだ。休んでいる間、運動不足で、ちょっと体が重そうだった。フクロウも体重が増えすぎるとダイエットさせられるんだとか。

飛びもの特集-4

 飛び立てば猛禽の姿となる。鳴き声を一つあげながら目標に向かって飛んでいく。

飛びもの特集-5

 ハリスホークもお馴染みになった。こいつは賢くて、言うことをよく聞く。ミミズクのように気分屋ではなく、真面目な優等生だ。

飛びもの特集-6

 エサをつけたリモコンのウサギに飛びかかるハリスホーク。あの速さではウサギも逃れられまい。私は飛んでいるところに追いつけない。
 野生のハリスホークは群れで狩りをするタカとしてよく知られている。そういう鳥は非情に珍しい。

飛びもの特集-11

 これはタムロン90mmで撮ったものだ。少しトリミングしてるけど、こっちの方が撮りやすい。
 このハリスホークはまた別の個体で、名前はやっぱり忘れてしまった。

飛びもの特集-7

 飛行ショーの中で見るのは初めてのハクトウワシ。動物園では見たことがある。名前の通り、頭が白いワシで、アメリカの国鳥としても知られている。
 こいつはまだ若いので、頭が黒い。大人になるにつれて白くなっていく。
 ミミズクよりも更に巨大で、タカなども狩られてしまうのではないかと思うくらいだ。羽を広げると人間くらいの大きさがある。

飛びもの特集-8

 ここまで大きいと王者の風格で、羽ばたきの音を隠したりしない。バサッ、バサっと音が聞こえそうだ。こいつは大迫力。体重も4キロくらいあるそうだ。

飛びもの特集-9

 もう初夏だから暑さに弱いシロフクロウはショーを休んでるかと思ったら、最後に出てきた。
 前回見たときは生後3ヶ月で、まだ子供っぽさも残っていたけど、あれから4ヶ月経って、だいぶ大人になっていた。体のごまだら模様も少なくなって、白に近づいた。シロフクロウの白は白鳥の白よりも白くてきれいだ。

飛びもの特集-10

 飛行ショーにもだいぶ慣れたようで、そつなくこなしていた。飛んでいる姿も貴公子のように美しい。
 夏場は休むから、見られるのは5月いっぱいくらいだろうか。また秋になって涼しくなったら出てくるようになると思う。そのときはもう1歳だから、真っ白になってることだろう。

 今回で花鳥園は3回目だし、ショーとしては9回目だから、もう少し上手く撮れるんじゃないかと期待していたけど、なかなかイメージ通りにはいかないものだ。難しい。でも、楽しい。
 ハヤブサが疑似餌を空中で捕まえるシーンなどは全滅だった。ハヤブサの飛行シーンそのものが撮れてない。
 今回も課題を残したから、また行かねばなるまい。鳥との触れ合いと撮影と、この二つのバランスのよさが花鳥園の楽しさにつながっている。行くたびに変化もあって、飽きさせない。
 花鳥園写真はまだたくさんあるので、断続的に登場させていく予定だ。明日はサンデーだし、来週は別の散策もありそうだから、少し飛びとびになりそうだけど。


ベビーたちに会うために三度目の花鳥園へ開園から閉園まで
2008年05月24日 (土) | 編集 |
花鳥園ベビーたち-1

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II / EF75-300mm f4-5.6 IS / TAMRON SP 90mm f2.8



 5月は鳥のベビーラッシュの季節。掛川花鳥園でもいろいろなヒナが生まれている情報を掴んだ我々は、三度目の掛川花鳥園に向かった。
 今回も当然のように開園から閉園までしっかり楽しんできた。私たちが出たあとすぐに門が閉まったから、最後の客だったようだ。居座りすぎ。
 また写真をたくさん撮ってきたので、しばらくは鳥写真の割合が多くなる。今日は花鳥園新シリーズ第一弾ということで、ベビーの写真を集めてみた。これが見たくて行ってきたのだ。
 ただ、ちょっと今日はくたびれ気味なので、写真中心にコメントは短めにしておこう。

花鳥園ベビーたち-2

 弱いフクロウに対しては威嚇して大きくなり、強いフクロウには細くなって身を守るポポちゃんでお馴染みになったアフリカオオコノハズクのヒナ。ポポちゃんの子供ではないけど、花鳥園のページでこのヒナの成長期が載っていて、こいつを見に行くというのが今回の一番の目的だった。
 現在、生後ひと月弱で、だいぶ大人らしくなってきたところだ。一週間くらい前まではボロ雑巾のようにみすぼらしくて目もしっかり開いてなかったのに、ここ数日で羽が生えかわった。まん丸の目玉はほとんど親と変わらないくらいだ。
 まだまだ立つ姿などはおぼつかなくて、プラスチックのケースの中にいる。もう少ししっかり立てるようになったら外にも出てきて、触ったりできるようになるんじゃないだろうか。
 こんなチビだけど、生まれたときからエサは生肉を食べている。

花鳥園ベビーたち-3

 ミミズクかコノハズクかの子供もいて、ちらっと外に出てきていた。こちらはまだ一般公開されていない。体はもうだいぶ大きくなっているけど、まだまだヒナらしさが残っている。
 他にもフクロウ類のヒナがいるようだけど、そのへんは公開していなかった。飼育の難しさもあるだろうし、大事な子だから仕方がないところだ。

花鳥園ベビーたち-4

 コブハクチョウのヒナも話題になっていて、これも見たいと思っていたやつだった。
 あー、いるいる。親についてしっかり泳ぎ回っていた。まだ子供同士固まって親から遠くに離れることはない。親と比べると体はまだだいぶ小さいものの、手前を泳ぐバンよりも大きいくらいで、すぐにカモくらいは追い抜きそうだ。親の体が巨大だから小さく見えるだけで。

花鳥園ベビーたち-5

 毛はまだ白くなっておらず、灰色がかっている。みにくいアヒルの子だ。でもモコモコがとてもキュート。頭をなでたくなる。
 人にもだいぶ慣れてきて、手を伸ばした30センチの距離までは近づいてくる。それ以上は近づかないから、直接手からエサをあげることはできない。口もまだ小さめで、親と同じサイズのエサは飲み込めないから、砕いてやらないといけない。それでもけっこうな量を食べていた。こいつらは加減というものを知っているのだろうか。

花鳥園ベビーたち-6

 ショウジョウトキのヒナもいた。まだ巣立ちもしてないくらいで、親のおなかの下にいる。
 頭しか見えなかったけど、真っ黒だ。羽が生えかわるごとにだんだん灰色からピンクになり、全身が赤くなるまでには3、4年かかるんだそうだ。それもなんだか不思議な話ではある。そんなに長い時間をかけて赤色になるのはどんな意味があるんだろう。

花鳥園ベビーたち-7

 これはショウジョウトキの若手なのか、シロトキの若いやつか。クロトキではなさそうだ。
 ここの温室はかなりの雑居房だから、どれがどれだか分からなくなる。交雑種とかも生まれそうなんだけど、実際はどうなんだろう。

花鳥園ベビーたち-8

 これはショウジョウトキの大人になりかけのやつだろう。とすると、上の写真のやつはやっぱりショウジョウトキの若手ということになりそうだ。

花鳥園ベビーたち-9

 これはきっと、フラミンゴのチビだろう。後ろに見えているのが親なのか、どこかよそからやって来たのか。花鳥園のページにフラミンゴのヒナがやって来ましたとあったから、それがこいつだろうか。
 少しピンクがかっているけど、薄汚れた灰色で、ややみすぼらしい感じだ。クチバシもまだピンク色になっていない。
 動物の子供は赤ん坊のときの方が成長した姿よりも圧倒的にかわいいものが多いけど、鳥はしょぼくれたヒナもけっこういて、笑えたりもする。

花鳥園ベビーたち-10

 レンカクのチビが3羽に増えていて安心した。前に何羽か生まれて、水に落ちて死んでしまったそうだから、今は1羽になってしまっていると思っていた。またあらたに生まれたようだ。
 浮き草の上を器用に走り回っているけど、子供の内は飛べなくて、水にはまったら助からない。なんとか今回は無事に育って欲しい。

花鳥園ベビーたち-11

 いつもは中央付近にいるレンカクのチビが、このときばかりは大サービスで至近距離にまでやって来てくれた。1メートル半くらいだっただろうか。こんなに近くで見たのは初めてだ。
 葉の上を歩くのに適した大きな足が特徴だ。少し沈みかけた葉の上くらいならすばやく駆け抜けることができる。
 立派な足に対して体つきは貧相だ。羽よりも何よりも足の成長が最優先なのだろう。これは落ちたら泳げないというのが分かる。大人になれば、ある程度の距離を低空飛行で飛べるようになる。

 ベビーラッシュを撮りまくりとまではいかなかったものの、アフリカオオコノハズクとコブフクロウのヒナをしっかり見られたから満足だった。レンカクのチビもいたし、行ったかいがあった。3回目でもまた違った面で楽しめた。
 今回のもう一つのテーマは、ファルコンショーの飛びものをしっかり撮るというものだったのだけど、それはあまり出来がよくなかった。連写が得意なEOS 20Dをもってしても、タカやフクロウのスピードにはついていけない。そのあたりの写真もおいおい出していこうと思っている。
 今日のところはここまでとしよう。また明日。


5月の小堤西池はカキツバタだけじゃなく田園風景としても魅力的
2008年05月22日 (木) | 編集 |
小堤西池風景-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / smc Takumar 135mm f2.5 / Takumar 300mm f4



 5月の小堤西池といえばカキツバタの季節であることは間違いないのだけど、ここは春から秋にかけて、いろんな生き物や花を見ることができる魅力的な場所でもある。基本点的に田んぼの一角なので、古き良き日本の風景といった一面を持っている。この時期は端境期でやや花などは少なくて、虫たちもまだ姿を見せなくて寂しいものの、遠く近くに被写体はある。
 そんなわけで、今日は5月の小堤西池風景を紹介します。

小堤西池風景-2

 これは何を育てていたんだろう。去年まではこんなものを育ってなかったはずだ。何かの穀物っぽい感じだけど、よく分からない。稲との二毛作にしてはもう間に合わないだろうから違うようだ。別の場所ではもう田んぼに水が張られて田植えが始まっていた。
 今年はカキツバタの池もそうだったけど、このあたり一帯の風景がずいぶん様変わりしていた。

小堤西池風景-3

 カキツバタの写真をもう少しだけ。昨日の本編に入りきらなかった一枚を。
 カキツバタを風景として撮る場合は、やはり水と絡めて撮った方がいい雰囲気になる。

小堤西池風景-4

 カキツバタ風景写真をもう一枚。
 自然の中に野生のカキツバタがポツリ、ポツリと素朴に咲いている感じを表現すると、こんなふうになる。花畑のようなものを想像していくと、こんなもんなんだとちょっとがっかりしてしまうかもしれないけど、自然の風景として捉えれば風情があるとも言える。

小堤西池風景-5

 サギたちにとってはエサが豊富で暮らしやすい環境なのだろう。いつ行ってもダイサギ、コサギ、アオサギたちがいる。アマサギの姿は見かけない。
 カルガモも池の中央あたりに浮かんでいた。今年は子供が生まれただろうか。
 カキツバタの時期をのぞけば、農作業や犬の散歩の人たち以外はあまり近づく人もいないから、鳥たちにとってはのんびりできる。

小堤西池風景-6

 ケリも盛んに鳴いていた。オスがケケケケケっとけたたましく叫びながらカラスを追い払っていたから、おそらくヒナがいるのだろう。もう少ししたら、田んぼの中でエサを探し回るヒナたちの姿が見られるんじゃないだろうか。
 ツバメも飛び回っていたけど、相変わらず速すぎて撮れる気がしない。

小堤西池風景-7

 モズかなと思ったんだけど、ちょっと遠くて確認できなかった。写真で見ても小さくて確信が持てない。背中を見ればもう少しはっきりすると思ったら、その前に飛び去ってしまった。ホオジロでもないし。
 全然違うやつだったりするかも。

小堤西池風景-8

 水面に何かが顔を出して、最初カメかなと思ったら、そのままスルスルスルと水面を滑るように移動していった。ヘビだ。慌てたのでピントを合わせきれなかった。マムシに注意という看板が立っているけど、どんなヘビだろう。
 小堤西池にいる海獣コッツィーとかではない。

小堤西池風景-9

 よく似た花でもっと葉っぱが大きいガマズミも咲いていてそれは分かったんだけど、これが分からない。ガマズミとは葉っぱが違う。
 こういうコアジサイみたいなやつは似たものがたくさんあるから区別が難しい。
 分からないから保留。

小堤西池風景-10

 田植えがだいぶ進んでいた。植えるばかりになった苗も準備万端整っていた。もうそんな時期かと思ったけど、考えてみれば5月も残り10日しかない。そりゃあ田植えもしないと秋の収穫に間に合わない。
 鳳来寺四谷の千枚田も、もう田植えをしてるだろうか。あそこはヤマユリを見に行く7月の終わりしか見たことがないから、機会があれば別の季節も見てみたい。まだ水面が見える時期に行くと、空の色を映してきれいだろう。

小堤西池風景-11

 そろそろ日暮れも近づいたから、今日の農作業は終わりにしましょうか。私もそろそろ帰ることにしよう。

小堤西池風景-12

 この広い田畑を眺めるためだけでも、ここを訪れる価値はある。街中はせせこましいから、たまにはこういうところに立つと清々しい気持ちになる。
 小堤西池のオススメは夏だ。雑草が生い茂ってあぜ道を歩くのがちょっと大変だけど、虫がたくさんいて、水辺に咲く夏の花もいろいろ見ることができる。私は秋に行ったことがないから、一度訪ねてみたいと思っている。
 来年のカキツバタはどうだろう。できることなら午前中に一度行ってみたいところだ。見たこともないほど新鮮でみずみずしい花が咲いているのかもしれない。来年こそ、鮮度の高いカキツバタ情報をお届けしたいと思う。


小堤西池のカキツバタは四年連続四回目の時期はずれで唖然呆然
2008年05月22日 (木) | 編集 |
小堤西池カキツバタ-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / smc Takumar 135mm f2.5 / Takumar 300mm f4



 二度あることは三度ある。三度目の正直。仏の顔も三度まで。四度目という言葉が入ったことわざは知らないから、なんと言っていいか変わらない。仏の顔も四度目には鬼となるのか。
 小堤西池へカキツバタを見に行くのは、今年で四年連続四回目となる。2005年は5月の10日に行って、勇み足。まだ二分咲きだった。2006年は満を持したつもりの29日で大遅刻。去年はジャストミートのはずの23日でも時すでに遅し。七分枯れだった。
 今年は毎日情報を確認して、今度こそはずさないぞと身構えていた。実は昨日行くつもりが、直前になって体調不良に陥り、今日にずれ込んだ。一日くらい大丈夫だろうと思ったら甘かった。まさか、その一日が致命的だとは思いもよらなかった。
 現地に着いて、今年もまた茫然自失。完全に遅れた。認めたくないけど認めざるを得ない遅参。咲いている花の8割くらいが枯れ始めているではないか。ピークは昨日かおとといだったらしい。まいったねこりゃと思ったのも、四年連続四回目のことになる。
 訪れている人がほとんどいなくて、手前に咲いているキショウブが枯れ果てる寸前だったのを見たとき、すでにしまったという予感がした。テントにはボランティア係員の姿もない。祭りのあとのけだるい空気感が漂っていた。ピークを過ぎた花名所はどこもこんな雰囲気だ。

小堤西池カキツバタ-2

 小堤西池全体の様子はこんな感じになっている。群落地といっても自然に咲いているところなので、辺り一面カキツバタがびっしり咲いているというわけではない。良く言えば素朴、悪く言えば寂しい。天然記念物の群落地と聞いて期待に胸を膨らませていくと、ちょっとがっかりしてしまう。昭和50年代までは紫に染まるほど咲いていたそうだけど、往時の姿はもうない。昭和の終わりに激減して、その後地元の人たちの活動によって近年また少しずつ数を増やしてきたという、。
 ここは灌漑用の溜池(約2万平方メートル)で、昔からカキツバタの自生地として知られていた。少し南に行った知立市もカキツバタが有名なところで、『伊勢物語』で在原業平がかきつばたの歌を詠んだことでも知られている。それは平安時代の初期だから、少なくとも千年以上前から咲いていたということになる。
 京都市の大田の沢、鳥取県岩美町の唐川と並んで日本三大カキツバタ自生地とされていて、中でも最も規模が大きいのがここ刈谷市の小堤西池だ。昭和13年に国の天然記念物に指定された。
 天然記念物だけに、下手に手を加えられない難しさがある。観光名所にしようと思えば、人の手でもっとカキツバタも植えて、肥料もやればずっと見栄えはよくなる。けど、それはできない。知立にある無量寿寺のカキツバタは大切に手入れされたカキツバタだから、両方を見比べると違いがよく分かる。それぞれのよさがある。

小堤西池カキツバタ-3

 カメラのお仲間も少なかった。ここはいつ行ってもそんなにたくさんの人と出会ったことはないのだけど、ピーク時の午前中などはもっと大勢の人が訪れているのだろう。
 この場所は、望遠レンズを持っていかないとどうしようもないところだ。カキツバタまでが遠すぎて、標準ズームやマクロでは全然届かない。300mmレンズでデジタルの1.5倍換算450mmでもまだ足りない。花撮りなのに、鳥撮り用の400mmが必要なところはここくらいじゃないか。
 近くに咲いているものはマクロレンズでも届くけど、活躍の場は少ない。近距離は明るい中望遠レンズがベストだろうと思う。

小堤西池カキツバタ-4

 しばらく撮っていたら、ようやく見物人たちがやって来た。でも犬の散歩の途中といった感じだから、地元の人がついでに見に来ただけだろう。日本三大自生でありながら、全国的な知名度は低そうだ。刈谷市は愛知県の中でも地味な存在だから、名古屋人でもどこにあるのかよく分かってない人が多いんじゃないか。
 ここのことは、中日新聞に載ると、翌日からどっと人が押し寄せる。そういう日に行き会わせると、あらためて中日新聞が地元民に与える影響力の強さを思い知ることになる。

小堤西池カキツバタ-5

 今年は一つ大きな異変が起きていた。池の水がものすごく多かったのだ。去年は水が全然なくて、一部はひからびて地面がむき出しになっていたのに、今年はこれまで見たことがないほど水が入っていた。特に雨が多かったわけでもないから、わざと入れたのだろう。水の量によって咲き具合が変わるのかを確かめる実験的な意味があったのかもしれない。
 けど、花の量は去年の比べてやや少ないような印象を受けた。一部ではかたまってよく咲いていたものの、去年の方が花は多かったような気がする。
 その年の気温などによっても変わってくるだろうから、何がカキツバタに良くて何が悪いかを決めるのは難しそうだ。年間の平均気温が上昇すれば、当然植物にも影響が出てくるし、個別の問題だけでなく、生態系全体の問題が個々に影響を及ぼすということもある。
 見渡す限り一面のカキツバタというのは、21世紀の今はもう、夢物語となってしまった。

小堤西池カキツバタ-6

 一番奥のあたりは満々と水をたたえて風景が一変していた。四年目にしてこんなのは初めて見た。
 ここは高いところから撮りたいといつも思う。上からの俯瞰で撮ると、また違った写真が撮れるのに。簡易なものでいいから、二階建てくらいの展望台を設置してくれないだろうか。カキツバタの時期だけの期間限定でいいから。

小堤西池カキツバタ-7

 このあたりが一番集まって咲いていたところだ。全体的にしなびてしまっていて、状態のいい花を探しても見つからないくらいだった。
 一つ思ったのが、時期的な問題だけでなく、時間の問題というのもあるかもしれないということだ。今日でも、もしかしたら午前中に行っていたらもう少し花の状態はよかったんじゃないだろうか。夕方というのは、カキツバタの花がしぼみ始めてしまう時間帯なのか。
 今年は咲き始めが例年に比べて少し早かったそうだ。それでピークが19日と20日になったのだろう。普段の年なら21日というのは致命的な遅れではないはずだ。

小堤西池カキツバタ-8

 なんとかきれいな状態の花を探して、単独で撮ってみる。これくらいの状態のものは本当に残り少なくて、近くに咲いているものでは数えるほどだった。
 カキツバタは枯れ始めるとすぐに花びらがフニャフニャっと縮れたり丸まったりしてしまうので、美しくなくなってしまう。この花も日本人好みの儚さだ。

小堤西池カキツバタ-9

 カキツバタも品種改良されていろいろな種類が作り出された。野生のものでも色の違いがあって、これなどは赤が強いタイプだ。
 小堤西池のカキツバタは全体的に紫色が濃い。環境のせいなのだろうけど、去年特にそう思って、今年もそうだった。2年前、3年前はもう少し青っぽくて淡い感じだったと思う。
 無量寿寺のものは、もっと青味が強くて、爽やかな印象を与える。

小堤西池カキツバタ-10

 状態のいい花を探すのをあきらめて、雰囲気描写に気持ちを切り替えた。カキツバタが咲いているからといって、カキツバタを撮らなければいけないわけではない。カキツバタを添え物として風景写真を撮ってもいい。

小堤西池カキツバタ-11

 水がたくさん入ったおかげで、風景に変化が出た。写真を撮る分には歓迎だ。
 ただ、カキツバタは湿地に咲く花で、本来池の中に咲く花じゃない。だから、こういう光景は、ちょっと不自然にも思う。

小堤西池カキツバタ-12

 ちょっと大人描写かな。二年前、三年前はこんな写真は撮れなかった。少しは成長してると思う。

小堤西池カキツバタ-13

 帰り際、名残を惜しむためにもう一度振り向いたら、自転車の人が止まって携帯で写真を撮っていた。それ、いただきです。

 四年連続で行くことになるとは自分でも驚きだけど、四年連続で時期を外すというのはもっと驚きだ。まるで成長がない。ここまでくると、カキツバタ遅刻の常習犯だ。小堤西池のカキツバタたちもあきれているだろう。あいつ、今年も遅れやがったかと。今年こそ大丈夫と思ったのに残念だ。
 来年、もし行けるようなら、今度は少し早めに行くことにしよう。ジャストポイントを狙っていって一日遅れると、ブログの情報の鮮度を考えても価値が低くなる。今年などは、せっかく紹介して、それを見た人がいたとしても、もう手遅れという状態だ。せめてピークの一日前じゃないと。それはカキツバタに限ったことではない。
 でも、これでまた一つ、季節の花をクリアした。次はバラだ。バラは咲いている期間が長いから、そんなに焦ることはない。全部の種類が一度に咲くということもないし、来週のどこかでいいだろう。
 再来週はもう6月で、そろそろアジサイが気になってくる頃だ。とにかく季節の花に関しては遅刻厳禁ということで今後ともよろしくお願いしたいのであった。


岡崎城と家康の前半生について長々と書いたから読むのは大変注意報
2008年05月21日 (水) | 編集 |
岡崎城-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 ブログが散策に追いついたと思ったら、まだ岡崎城が残っていた。ネタ切れで過去の在庫写真を漁っていたら出てきた。行ったのは桜の季節だから、もうひと月半も前のことになる。書くのをすっかり忘れていた。
 岡崎城へ行ったのはこのときが二度目で、最初にしっかり見て回ったからほとんど新鮮さはなかった。桜見物のついでということで、今回は天守閣にも登らず、周囲を歩いただけだった。けど、ブログのネタにするのは初めてなので、まとめとして一応ちゃんと書いておこうと思う。
 岡崎城というのは家康が生まれた城のわりには全国的な知名度が低い。岡崎城自体を知らない人もたくさんいることだろう。歴史の表舞台に登場するのは、小牧長久手の戦いのときや長篠の戦いのときくらいで、それも名前が出るというだけで、ここが主戦場になったわけではない。だから、印象としては弱い。
 今日は岡崎城とその時代の家康について書いて、岡崎城をもっとよく知ってもらおうというのが狙いだ。

 1452年頃、三河国守護仁木氏の守護代だった西郷稠頼(つぎより又はちかより)とその子頼嗣(よりつぐ)が北方に対する守りを固めるために簡単な砦を築いたのが始まりとされている。
 1531年に徳川家康の祖父である松平清康が西郷信貞から奪い取って拡張工事を行い、岡崎城と名づけた。
 三河を平定して勢いづいた松平清康は、尾張に攻め込んだとき、守山城で家臣の謀反によって殺害されてしまう。いわゆる森山崩れ(1535年)というやつで、これはうちの近所で起こっている。
 跡を継いだ息子の松平広忠(家康の父)はまだ若く、力もなかったので、三河の地は再び乱れることになる。いったんは言うことを聞かせた豪族たちが次々に離れて国は弱体化し、東の今川、西の織田に挟まれてにっちもさっちもいかなくなっていく。
 1543年に岡崎城で生まれた竹千代(のちの家康)は、こんな情勢の中、今川家に人質として差し出されることになる。1547年、広忠は織田家に対抗するために今川家に従属を決め、竹千代は今川の駿河へ送られることとなった。数えで6歳のときだ。
 しかしここで一つの事件が起きる。売られたか、策略か、渥美半島の田原城主だった戸田康光に途中で奪還され、織田家に送られることになってしまったのだ。当時の織田家は信長の父、織田信秀の時代で、信長は13歳だった。運命というのはこんなもんで、ここで家康と信長は出会うこととなる。もしこの出会いがなければ、のちの歴史は大きく変わっていただろう。桶狭間のあと、家康は世に出ないまま埋もれていたかもしれない。信長に攻め入られて家臣になっていた可能性もある。
 竹千代は、大須にある万松寺(ばんしょうじ)という寺に預けられて、2年を過ごすことになる。ここは、信長が父親の葬儀にとんでもない格好で現れて、仏前に向かって抹香を投げたという有名な事件があった寺だ。
 1549年、松平広忠は父親と同じく家臣の謀反によって殺害されてしまう(病死という説もあり)。岡崎城は今川家の属城として城代が置かれることになった。
 この後、今川義元は織田家を攻めて、信長の兄信広を生け捕りに成功し、竹千代はその人質交換によって今度こそ今川家に人質として行くことになる。駿府で元服して、義元から一字をもらって元信と名乗るようになり、更に祖父の清康からももらって松平元康と改めた。
 桶狭間の合戦があったのが1560年、元康19歳のときだ。大将の今川義元の首を取られたことで岡崎城にいた今川軍が城を放り出して逃げてしまったので、その隙を突いて元康は岡崎城を奪還した。元康も桶狭間の戦いでは今川義元に従って参戦していたことはあまり語られない。
 1562年には信長と同盟を結び独立。翌年、初めて家康を名乗る。
 1570年に本拠地を浜松城に移すまでの10年間、家康は岡崎城を居城とした。それなりの改築はしたようだけど、現在のような城郭になるのはもっとあとのことだ。
 浜松に移ったあとは、嫡男の信康が入城した。
 しかし、その信康は織田信長に対する謀反の疑いをかけられ、結局切腹に追い込まれることとなる。家康の正室であり、信康の母親である築山殿とともに武田家に内通していたという理由だった。それによって築山殿も殺害されることとなる。
 けど、これもいろいろと不自然な点があり、謎とされている事件だ。どうしてそれだけのことで信長は激怒し、家康に嫡男を殺すことを命じたのか、何故家康はあっさり承諾してしまったのか。信康は信長に匹敵するほどの武将で信長が恐れたからだとか、気性が荒くてたびたび問題を起こしていたから家康が自ら行ったのだとか、あれこれ説はあるもののはっきりしない。
 それに続いて重臣だった石川数正が秀吉の元に走った事件もあり、このあたりから徳川家康は二人いて、途中で入れ替わったのだという説へとつながっていくこととなる。もともとの家康は桶狭間の数年後に病死して、家がつぶれることを懸念した家臣たちが画策して影武者を仕立てて、それが二代目の家康におさまったという説だ。石川数正の突然の不可解な出奔や、嫡男と正室の墓を信長の死後も捨て置いたままだったとか、いろいろともっともらしい話があって面白い。ただ、それをここで書くと長くなるのでやめておく。
 一時は石川数正も城代を勤めるも、秀吉に寝返ったことで岡崎城は即刻改修を余儀なくされる。数正に全部知られてしまっているからまずい。このあたりのことは以前に松本城のときにも少し書いた。
 1590年に家康が関東に移封されると、豊臣家家臣の田中吉政が入城してきた。このときに大改築が行われて、のちの城郭の基礎ができあがる。城下町を整備し、東海道を城下に引き込んで、岡崎の町は大いに賑わいをみせるようになる。
 現在の復元天守は、1617年に本多康紀が改築ものを再現している。
 江戸時代は、徳川譜代大名の本多、水野、松平などが5万石で城主を務めて、明治を迎えた。禄高は少ないものの、家康の生まれた城ということで特別な城という認識があったようだ。

岡崎城-2

 大きくて立派な大手門だけど、いかにも最近作りましたという感じがありありだ。平成になってから復元されたものだから、風格を持つようになるには少なくともあと100年はかかる。
 国道1号線沿いから少し入った公園の入り口にある。といっても、ここを通らないと中に入れないというわけではなく、横が大きな出入り口になっているから、わざわざ門をくぐる必要はない。あくまでも気分の問題だけだ。
 当時はここから北東に200メートルほどいった浄瑠璃寺の南にあったとされている。
 江戸時代のものは十間(18メートル)あったというけど、復元はどうなんだろう。完全再現されているのか、想像で作られているのか。
 最盛期の岡崎城は、江戸城、豊臣時代の大阪城、幕末の姫路城に次いで日本で四番目に大きな城郭だったことが最近の発掘調査で分かった。天守閣から500メートル離れた大林寺郭堀跡で石垣が見つかったのだ。皇居や姫路城と同規模だったとは、今の岡崎城からは想像がつかない。天守閣を中心にわりと広い範囲が公園として整備されているものの(全体では10ヘクタール)、名古屋城なんかと同じくらいのものを想像して行くと拍子抜けする。

岡崎城-5

 岡崎城名物からくり時計。9時から夕方5時までの0分と30分に時計の扉が開いて、中から家康のからくり人形が出てきて能を舞う。私はまだ見たことがない。
 奥に見えているのは「三河武士のやかた家康館」という有料の歴史資料館で、私は入ったことがない。話によると、それなりに見所があるそうだ。350円。

岡崎城-6

 徳川家康の像が建っている。それはいいとして、何故老年期の家康像なんだ。岡崎城にいたのは19歳から10年余りだから、ここくらいは若者の家康像にすべきだったんじゃないのか。家康というと老成したイメージが強いけど、当然若い頃もあったわけで、そのときはそれなりに颯爽とした若武者だったろうに。背は150センチそこそこしかなかったというし、若い頃から恰幅のいい体つきだったのかもしれないけど。
 馬に乗った武者がいたけど、あれも家康像らしい。そちらは若い感じだ。
 資料館の前には徳川四天王の一人、本多忠勝像もあって、そちらの方が格好良く作られている。兜に鹿の角をつけて、凛々しい武者姿をしている。

岡崎城-3

 このあたりの石垣などは、当時のものなのかどうなのかよく分からない。
 明治4年(1871年)の廃藩置県のときはまだ城郭は壊されず、城内に額田県庁が置かれた。明治6年から7年にかけて城郭の取り壊しは行われたものの、翌8年には旧本丸跡が城跡公園として残ることが決まっているから、ある程度は残されたのだろう。公園として整備されたのは大正8年で、そのときに二の丸跡まで含めた岡崎公園の基礎が作られた。
 そういうことを考えると、現在あrる堀や石垣などは当時のものと考えていいのかもしれない。
 昭和34年には鉄筋コンクリートながらも、かつての姿の天守閣が復元された。古い写真が残っているので、見た目の再現性は高い。
 北曲輪門や二の門、念沸堂赤門などは愛知県内の寺や民家に移築されて残っている。
 城内にある遺構としては、産湯の井戸くらいで、あまりない。

岡崎城-4

 堀にかかる朱塗りの神橋。堀は噴水が吹きだしてしまっている。なんてことをするんだ。
 アヒルはつきものだ。これはいないと寂しいくらいに感じる。昔はどうだったんだろう。渡り鳥くらいは飛んできて堀に浮かんでいたんだろうか。鯉なんかも飼っていたのかどうか。

岡崎城-7

 城内にある龍城神社(たつきじんじゃ)。この地は昔から龍に縁のあるところで、城の建っているところがそもそも龍頭山という丘の上で、岡崎城は別名、龍城とも呼ばれていた。
 西郷稠頼が城主だった頃、天女が現れ、自分はこの地にすむ龍神であるからして、私を神として祀れば城を守ってやるぞというものだから、急いで天守に龍神を祀ったというのが龍城神社の始まりとされている。
 のちに本多忠勝を合祀して、昭和37年に現在の社殿が建った。

岡崎城-8

 岡崎城はフォトジェニックな城じゃない。どの角度に回り込んでも障害物だらけで、まともに撮れない。特に正面がいただけない。誰ですか、こんなところに松を2本植えたのは。記念写真で松の木を前にして写真を撮る人はない。一番いいところを邪魔されてしまっている。
 天守閣に限って言えば、東南に位置する岡崎グランドホテル9階のスカイレストラン「パリ」がいいらしい。そこからなら天守閣の上半分がしっかり見える。
 天守閣の中は、資料館と展望室になっている。値段は200円。

岡崎城-9

 普段もライトアップしてるのかどうか知らないけど、このときは桜祭りということで夜の中、天守が白く浮かび上がっていた。

 家康は当時としては長生きといえる75歳(満年齢73歳)まで生きた。健康オタクとも言えるほど体には気を遣っていたという。八丁味噌ばかり食べていたから長生きだったんだという話もある。
 家康を天下人にしたのは、さまざまな要素が絡んでいて何が要因だったかは一概には言えない。ただ一つ言えることは、絶妙な位置取りをしたということだ。信長が生きていたときはつかず離れずで弟格ながら従属はせず、秀吉との対立の中でもぎりぎりまで家臣にならずに粘って力をためた。一転好機到来となっても、勢いに任せず用意周到に周りとの連帯を深めて千載一遇の機会をものにした。天下統一を果たしたのちも、油断怠りなくのちのちの制度を作り上げた。
 信長、秀吉、家康の中で、自分がその立場の人生を送るとなったとき、もっともなぞるのが難しいのが家康だろう。信長の才気とカリスマ性、秀吉の知略と魅力が備わっていたら、あれらの人生に似たものは実現できるかもしれないけど、家康の能力はどう分類していいのか分からないようなものだ。家康自身ももう一回やり直してみろと言われても二度はできないんじゃないか。
 それがもし、後半は影武者がやり遂げたことだとしたら、こんな愉快痛快なことはない。
 人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし。家康の有名な言葉だ。自分も歳を取るとこの言葉が染みる。若い頃は何を辛気くさいことを言ってるんだと反発した。今はもっと家康のことが知りたくなっている。

 歴史シリーズは必ずといっていいほど長くなる。自分が書いていて楽しいというのがあって止まらなくなるのだけど、読まされる方は大変だ。でも、今後も折に触れて書いていきたい。誰に頼まれなくても書いてしまう。
 城はまだまだいろいろ回りたいし、家康の足跡は静岡県にたくさんあるから、そのうちツアーを組んでまとめて巡ろう。
 近々、岐阜・関ヶ原巡りに行く予定もある。戦国野郎・戦国お嬢の方はお楽しみに。


天王川公園周辺で津島編が完結して更新が散策に追いついた
2008年05月20日 (火) | 編集 |
天王川公園周辺-1

PENTAX K100D+smc Takumar 28mm f3.5



 津島の藤に続いて本町シリーズも終わって、天王川公園周辺の写真が余った。本編に入らなかった写真を集めてみたらけっこうあったので、それをまとめて一回分のネタにしてしまおう。捨て置くのはもったいない。
 天王川公園は、天王川をせき止めて作った丸池を中心とした公園で、名前もそこから来ている。天王川という地名ではない。かつては川が町の中心を流れていた。
 丸池の横には川の名残と思われる水路がある。この水路は丸池とつながっていて、地図で見ると南側は急速に狭くなって、その後縦横に張り巡らされた水路になる。どこからどこに向かって流れているのかよく分からない。池の水量は一定で、川の一方はせき止められているから、池に向かって流れ込んでいるにしても池から流れ出ているにしても、どちらも不自然な気がする。どこかでうまいことなっているんだろうけど。
 水はあまりきれいではないものの、このあたりの水風景は好きだ。城の堀みたいでなかなか雰囲気がある。
 写真の奥が藤棚のあるところだ。

天王川公園周辺-2

 池には足こぎボートが並んでいる。こぎ出している人を見たことがないけど、それは私が訪れるのがいつも平日の夕方だからだろう。いい季節の休みの日限定かもしれない。桜の季節などはいるのだろう。
 渡りのカモを見たことがないのは、秋冬に訪れていないからか。一番最初に行ったときの季節は忘れてしまったけど、そのときはユリカモメがたくさんいた。当時はまだ野鳥に興味がなかった頃だったから、海でもないところにカモメがいることにたいそう驚いたものだった。カモメに見えるけどカモメではない鳥だろうと思った。
 遠くに見えている赤い橋は中之島に架かる橋で、歩いて渡ることができる。島の中には津島が生んだ詩人野口米次郎の銅像と詩碑が建っている。
 この周辺にだけ、夏にはたくさんの睡蓮が花を咲かせる。

天王川公園周辺-3

 公園の周囲はけっこう車がよく通るから、おちおち歩いていられない。抜け道になっているんだろうか。
 このあたりも木々が生い茂っていて、車が通らなければ散歩道にいいのに。

天王川公園周辺-4

 川の東の行き止まりには、点々と人工の小島があって、その上に何かが建っている。これは何だろう。
 昔は重要な水路だったというけど、そこまで古いもののようには見えない。何かの名残なのか、今でも使われているものなのか。歩いてはいけないところだから、船に関係あるんだろう。お祭りのときに使用されるものとかだろうか。
 調べたところ、車河戸(くるまこうど)なるもので、祭りの船の準備をするときに使うようだ。
 流れが淀む場所は水が汚い。落ち葉やらゴミやらが流れ着いてたまっている。構造上仕方がないところだけど、いい印象は受けない。藤が終わりの時期だったということもあるかもしれない。

天王川公園周辺-5

 丸池の東に御嶽神社がある。おんたけと読むのか、みたけと読むのか、名前からして山岳信仰に関係がある神社だろうか。この名前がついた神社は全国にたくさんある。津島のものはどういういわれのあるものなのか、知らない。ネットで調べても、これといった情報が出てこなかった。
 小綺麗で、しっかり手入れされているところのようだ。

天王川公園周辺-6

 祭り関係の山車をしまってあるのだろう。こういうのは山車庫とでもいうんだろうか。
 津島の尾張天王まつりは500年以上も続く伝統の祭りで、信長や秀吉もお気に入りだったと言われている。
 3ヶ月の長きに渡って行われる祭りで、クライマックスは7月の終わりの土日にある宵祭と朝祭だ。特に川にたくさんの提灯を付けた船がこぎ出す提灯祭りが有名で、大阪の天満天神祭、広島厳島神社の管絃祭とともに日本三大川祭りの一つとされている。なかなか幻想的な光景ということなので、一度くらいは見てみたいと思っている。

天王川公園周辺-7

 津島神社も3度目となるとお馴染み感が強い。今年は省略しようかなと一瞬思って、思い直した。こんなに近くまで来ていて寄っていかないと叱られてしまう。
 去年はかなり大がかりな工事をしていて落ち着かない感じだったけど、今年はだいぶ落ち着いていた。それでもまだ少しプレハブっぽいものが残っていたから、修理が完成するのはもう少し先になるようだ。
 津島神社に関しては去年しっかり書いたから、あれ以上付け足すことはない。

天王川公園周辺-8

 ここの社殿はとても好きだ。なんとなく波長が合うというか、心が落ち着く。
 去年はここの左右と裏手を囲って工事をしていた。回廊のあたりを修理していたのだろうか。
 拝殿の奥が本殿で、その左右にある回廊でつながっている。
 江戸時代初期の1605年に建てられたものということで歴史的な価値も高く、重要文化財に指定されている。

天王川公園周辺-9

 東側に建っているのが、豊臣秀吉が寄進したとされる立派な楼門だ。
 1591年に建てられたものがそのまま残っていて、こちらも重文指定になっている。

天王川公園周辺-10

 津島神社の東南にも古い家並みが残っている。こちらは本町の商家とは違って、門前のお金持ちの家といった感じだ。江戸時代は宿場があったあたりかもしれない。

天王川公園周辺-11

 このあたりはもう堀田家の敷地内なのかどうなのか。これは別の屋敷か。
 掘田家住宅は国の重要文化財になっていて、土日祝日は有料(300円)で見学することができる(平日は予約制)。
 江戸時代中期に建てられた尾張地方の代表的な建物ということで、一見の価値がある。いつか見に行こうと思いながら、私はまだ見ることができないでいる。
 天王川公園の東には江戸時代末期に建てられた氷室家というのもあるのだけど、そちらは一般公開されていない。

天王川公園周辺-12

 堀田家を遠巻きに眺める。門も塀も高くて、中の様子はうかがい知れない。623坪の敷地に母屋と土蔵3棟が建っているらしい。
 現在は津島市に寄贈されて、人は住んでいないようだ。

 津島編はこれですべて終わった。天王川公園の藤は今年も遅刻だったけど、本町のレトロ風景は大きな収穫だった。取りこぼした分は、また来年の藤のときにでも回ろう。次こそは藤まつりの期間中に行って、最高潮の藤を見てみたいものだ。
 しばらくの間、散策にブログの更新が追いつけないのが続いていたけど、これでようやく追いついた。言葉を変えれば在庫がなくなって、ネタ切れ注意報だ。明日からまた仕入れにいかないといけない。
 季節の花巡りも再開して、まずはカキツバタからだ。バラもすぐあとに控えている。そうこうしてるうちに6月になればアジサイだ。
 来週はまた電車の旅に出るつもりでいる。久しぶりに海も見たいし、ぼんやりしてる暇はないのだ。


マクドナルドサンデーは思ったよりも普通に夕飯として成立した
2008年05月19日 (月) | 編集 |
マックサンデー

Canon EOS 20D+EF 50mm f1.8 II



 今日のサンデー料理は、マクドナルドもどきサンデーとなった。何故そうなったのかは、自分でもよく分からない。特に何かきっかけがあったというわけでもなく、マクドナルドのメニューを料理に流用するとどんなものができるんだろうという思いつきから始まった。
 結果としては、マックといえばマックだし、そうと言わなければ気づかないくらいのもどき料理になった。例によって思惑通りにいかない部分があって、思ったほどの再現度にはならなかった。
 マクドナルドのメニューを見ると、やはりというかなんというか、基本はハンバーガーしかない。過去にはいろいろなサイドメニューや限定商品もあったのだろうけど、人生でマクドナルドへ行った回数が20回以下の私としては、かつてどんなメニューがあったのか知るよしもない。ロッテリアは中学のとき限定で30回くらいは行ってる。モスバーガーは3回だったか4回だったか。一つ確かなことは、私はアメリカで貧乏暮らしはできないということだ。1日3食ハンバーガーなんて、耐えられない。
 それはともかくとして、応用するとすれば、ハンバーガーの中身をおかずに採用するしかないということになり、そこから2品、もう1品は定番のポテトを作ることに決めた。

 左手前は、エビちゃんにあやかって、えびフィレオを選択してみた。ただし、実際に食べたことがないので、作り方は勘だ。おそらく、実物とはかなり違うものとなっているはずだけど、マクドナルドに作り方を訊いてもきっと教えてくれないだろうから、オレ流でいくしかない。
 その前にフィレオって何だよ、と思う。どうしてエビの場合はエビが前に付いて、魚になるとフィレオフィッシュになるんだろう。フィレオえびじゃなく、えびフィレオの理由が知りたい。
 調べたところ、分かったような分からないようなだった。まず、フィレというのは、骨なしの切り身という意味のfilletを指しているらしい。日本語ではヒレ肉みたな使い方をするあれだ。だとすれば、フィレオフィッシュならfillet of fishで、それが簡略化されてfillet o'fishになったのかというとそうでもなく、マクドナルドのメニューにはFile-o-Fishと表記されているそうなのだ。しかも、アメリカのマクドナルドではfish o filletになっているらしい。頭が混乱する。えびフィレオの場合は、えびfillet ofとなって、これまた間違った使い方ということにならないか。shrimp fillet ofでは単語の並び順がおかしなことになる。
 結局、フィレオの意味は今ひとつ分からず、問題は解決しないまま、私のえびフィレオ作りは進んでいくことになる。
 エビは背わたはらわたを取ってみじん切りにして、タマネギも刻む。ここで一つ、ネットに載っていたアイディアを採用した。白はんぺんと卵白を使うというものだ。はんぺんも刻んで、卵白と共によく混ぜる。塩、コショウ、白ワイン、しょう油少々で下味をつけて、あとは小麦粉、卵、パン粉ところもをつけて揚げるだけだ。
 これは面白い食感になる。フワフワというか、モコモコというか、かなりの弾力だ。はんぺんを多くするほどその傾向が強くなるだろうから、エビ1に対してはんぺん1/2くらいでいい。
 今回はタルタルソースを作ってつけて食べたけど、単純にしょう油味の方が美味しいような気もした。ソースはちょっと合わないか。

 右は失敗作のチーズハンバーガーだ。形が整いきらなかった。肉を使わない豆腐と白身魚のヘルシーハンバーグだったから、タネがしっかりせずにボロボロになった。
 まず、木綿豆腐を水切りして、白身魚、卵、タマネギ、塩、コショウ、パン粉でハンバーグのタネを作る。ここでひき肉を使っていればよくこねて粘りを出すところなのだけど、肉を使ってないから粘りがなかった。それで焼いたりひっくり返している間に格好がガタガタになってしまったのだった。
 豆腐ハンバーグは薄く2枚焼いて、しょう油、酒、みりん、カタクリ粉で照り焼きにした。間にとろけるスライスチーズを挟んで少し加熱して、軽く焼いたトマトを乗せてできあがり。
 味は美味しかったし、これはハンバーガーらしかった。このまま食パンに挟んでも美味しく食べられそうだ。

 奥はフライドポテトだ。普通に揚げるだけでは料理らしくないから、少し工夫して、なおかつ簡単に作れるレシピにした。
 まずジャガイモをよく水洗いして、たわしなどでこする。そうして丸ごとラップにくるんでレンジで5分ほど加熱する。
 それを皮ごと切り分けて、軽く塩とカタクリ粉を振って、たっぷりのオリーブオイルを入れたフライパンで炒めるのだ。最後に青のりと黒コショウを振りかけたらできあがり。
 ソースは、トマト、タマネギ、ケチャップ、白ワイン、水、コンソメの素、塩、コショウ、砂糖で作った簡単トマトソースだ。たいして手間もかからないし、美味しいから、このソースはオススメできる。
 こうやって作ればフライドポテトは簡単だし、ハンバーグなどのつけあわせとしてついでに作ってもいい。味はマクドナルドのものよりも上だ。

 突然の思いつきで作ったマックサンデーだったけど、意外と普通に成立した。少しカロリーが高すぎてくどいかなと心配したのだけど、思ったほどではなかった。
 アメリカ人はこの料理を食べたらどう思うんだろう。美味しいと思うのかどうか、全然見当がつかない。そもそも、彼らはハンバーガーやホットドッグを心底美味しいと思って食べてるのだろうか。イタリアやフランスや中国の人たちの味覚というのは信じられるけど、アメリカ人やイギリス人の味覚は不思議なところがある。美味しいレストランもたくさんあるはずなのに、まずいものに対する耐久性が高いということなのか。
 そういえば、アメリカ料理やイギリス料理というテーマでは、これまで一度も作ったことがない。英米人の味覚の秘密に迫るためにも、そのうち挑戦してみよう。けど、日本人にとって美味しくないイギリス料理というのは、どうやったら再現できるのだろう。意外と手強いサンデー料理になりそうだ。
 それから、えびフィレオはマクドナルドで一度ぜひ食べてみたいと思う。


煙突と斜陽の似合う津島本町は寺社の密集地帯でもある <後編>
2008年05月18日 (日) | 編集 |
津島本町2-2

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