現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
富士山という主役不在の河口湖にて ---激闘・河口湖編<第一回>
2008年05月01日 (木) | 編集 |
河口湖-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 山梨側からの富士山を見るというのが河口湖行きの一番の目的だった。新宿8時14分発のホリデー快速河口湖1号に乗って、2時間ちょっとで河口湖駅に到着した。
 駅からまずロープウェイに乗ろうと、テクテク歩いていった。ほんの近くと思ったら意外に遠く、約10分くらいだっただろうか。ここからすでに激闘河口湖編が始まっていたことを、我々はまだ知らない。
 ロープウェイで登った天上山公園カチカチ山の話は後回しにして、今日は遊覧船と河口湖の写真から紹介したいと思う。

河口湖-2

 遊覧船アンソレイユ号に乗り込む。料金は900円で、河口湖を30分かけて1周する。
 この日、天気予報は快晴を伝えていたのに、河口湖に着いてみると思ったほど空模様が芳しくない。強い日差しはあるものの、低い位置に雲が多く、全体に霞がかっている。肝心の富士山も、裾野がわずかに見えるだけで、上の方はまったく見ることができない。なんとか晴れてくれないものかと願いつつ、出向を待つ。
 私たちは後ろ甲板に陣取った。先頭は船室になっていて先まで行けず、二階のデッキよりも下の方が見晴らしがよさそうだった。
 湖上にはさまざまなものが浮いている。スワンボートにジェットスキー、手こぎボートにアヒルたち。いかにも行楽シーズンの一日という風情だった。
 水はなかなかきれいだ。琵琶湖や諏訪湖なんかとは違う。でも、透明度は低い。もっと山上の鏡のような湖面をイメージしていたから、ちょっと意外だった。この日は風が少しあって湖面が波打っていたのと、いろいろな船が行き交って波が立っていたというのもあった。

河口湖-3

 ほどなくして船は岸を離れた。けっこうスピードを出す。30分といっても、30分ごとに船が出て、船は一艘しかないから、実質25分もない。遊覧船というようなゆったりしたものではなく、四角い部屋を丸く掃除するように河口湖の中心近くを丸く描く感じだ。
 船はうなり音をあげながら飛ばしていく。かなり油くさい。陽当たり良好という意味のアンソレイユ号という名前を持ちながら、漁船のような男らしさだ。BGMはシャンソンよりも鳥羽一郎が似合いそう。
 揺れは少ないので船酔いしやすい人もなんとか大丈夫なんじゃないか。酔う前に戻ってきてしまうというのもある。え、もうここで引き返すのと思うくらいあっけない。片道10分ちょっとだから、こんなものか。サイトのコース紹介では西の方の奥まで行くように書かれているけど、実際はそこまで深く行ってなかった気がする。

河口湖-4

 船内の様子。やっぱり親子連れが多い。みんなで記念写真を撮ったり、撮ってもらったりといったお馴染みの光景が広がる。船が恐かったのか、泣き叫んでいたチビがいた。
 でも船はなかなかいいもんだ。子供の頃、釣り船で酔ったことがあって、あまりいい印象を持ってなかったのだけど、東京で船上バスに乗って以来変わった。船は気持ちいい。こんなことなら名古屋港の金鯱号にも乗っておけばよかった。機会があればどこかの激流でライン下りにも乗ってみよう。

河口湖-5

 モーターボートも飛ばしまくり。大きな白い波を立てて近くを行き過ぎる。アンソレイユ号もゆーらゆーら。近くにいたスワンボートはぐわんぐわんと激しく上下に波打っていた。あっちの方が酔いそうだ。
 スワンを必死にこぐお母さんの横では女の子たちがこちらに向かって手を振ってきたので、私たちも振り返してみた。

河口湖-6

 そろそろ富士山の写真も見せないといけないだろう。これが河口湖から見た富士山だ。
 どれが?
 よく目をこらすと、ゆるやかな稜線が見えるだろう。それがそうだ。
 晴れているのに雲が多くて、ここまで見えないとかなり悔しい。結局この日は終始こんな感じで、最後の最後になって、少しだけ見えただけだった。まさか晴れた日に河口湖まで行って富士山を見られないとは思ってもみなかったから、残念というか信じられない気持ちだった。
 右の方に見えている雪をかぶった山は南アルプスだ。冬は空気が澄んでいてもっとはっきり見えるのだろうけど、この日はもやっていて遠くにかすんでいた。
 船の呼び物として産屋ヶ崎から見える逆さ富士というのもあるのだけど、逆さどころか本体さえ見えないのだからどうしようもない。この日は完全に主役不在となった。

河口湖-7

 河口湖にかかる唯一の橋がこの大橋だ。600メートルくらいありそうなのに、みんなゾロゾロ歩いていた。なかなか眺めはきっといいだろう。
 何しろ河口湖は車で行かないと、どこへ行くにも歩くことになる。周遊のレトロバスが走っているものの、本数が少なくてその時間に合わせるとスケジュールがかなり限られてしまう。レンタサイクルもあまりないようだし、タクシーも走ってない。観光地でよく見かける人力車のたぐいも見ない。ここはもう少し交通手段というものを見直した方がいいと思う。もっと移動手段を増やして回りやすくすれば、更に魅力的な観光地になる。バスの路線と本数を増やしてもいいけど、せっかくだから水上バスでどこへでも行けるようにするのがよさそうだ。それなら単なる移動手段というだけでなく、乗っている間も観光気分になれて得した気分になる。

河口湖-8

 遊覧船は富士山不在のまま20分ちょっとで終わりとなった。時間の短さよりも富士山が見られなかったのが心残りだった。
 写真はアンソレイユ号と、乗り降りする人たち。横では2匹のちょっと寂しい鯉のぼりが泳いでいた。
 このとき時刻は12時半。このあと私たちは1時半から始まる流鏑馬を見るために冨士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)へ向かうことになるのだけど、ここでも交通手段がない。バスを待っていては時間に間に合わず、行くには歩くかヒッチハイクするかの二者択一となり、我々は素直に前者を選んだ。段ボールとマジックを持っていたら、冨士御室浅間神社と書いたものを掲げながら歩きたかった。
 地図で見ると直線距離にして3キロもないくらいなのだけど、道がくねっていて分かりづらいため、実際には3キロ以上歩くことになる。1時間近くかかって、かなりヨレヨレになりながらぎりぎりに到着した。おまけに帰りまで歩くことになってしまって、途中で笑えてくるくらいボロボロの二人なのであった。
 流鏑馬のことは日をあらためて書きたいと思う。

河口湖-9

 浅間神社へ向かっている途中で見た河口湖の様子。南側は溶岩がむき出しになっていて、富士山が猛烈な力を持った火山であることを思い出せる。かつて噴火によって流れ出した溶岩流は河口湖まで流れ込んできたのだ。
 私たちが知っている富士五湖ができたのは、今から2千年から千年くらい前にかけてで、ごく最近のことだ。それまで富士五湖は五湖ではなく、富士山そのものもダイナミックに姿を変えてきた。
 大きくさかのぼって500万年前までは、ここは海の底だった。
 20万年ほど前までに火山活動が活発となり、1万5千年前までにかけて古富士火山が姿を現し、その火山活動によって陥没した地表に水がたまって湖が誕生した。その頃は宇津湖と古せの湖という二大湖だった。
 古富士が爆発を繰り返し、現在の富士山が生まれた。今の富士山は新富士という二代目に当たる。その前には小御岳という段階があって、その下には先小御岳という古い火山も埋まっているというから、4代目といった方がいいかもしれない。富士山は3層または4層が重なってできている。
 新富士になっても噴火は止まらず、せの湖、旧河口湖、明日見湖、宇津湖ができたかと思えば消え、河口湖、本栖湖ができてからも大きく姿を変化させている。
 864年には青木ヶ原溶岩流がせの湖を分断して西湖と精進湖になり、937年の鷹丸尾溶岩流は川をせき止めて山中湖を作った。
 河口湖は大田川が埋まって誕生したものだ。
 富士五湖の水はほとんどが湧き水で、降った雨は地面を流れずに土に染みこんで、地下水となったものが湖の底で湧きだしている。それぞれ川を持たないので、水は溜まりっぱなしとなり、昔は大雨が降ると湖岸に大きな被害を出したという。現在は排水処理で水量を調節できるようになっている。

河口湖-10

 湖岸には巨大な溶岩がゴロゴロしている。歩き疲れた私たちは、ここに腰を下ろして一服することにした。
 富士山の噴火は、江戸時代の1707年以来、300年以上起こっていない。それまで100年周期くらいで起こっていたのに300年も沈黙を続けているのが不気味だ。もう富士山は休火山だと思っている人も多いようだけど、今でも立派な活火山だ。まだ噴火は起こる。次に噴火したらどんなことになるか想像もつかない。富士山の形も湖も大きく変わることだろう。
 宝永大噴火では噴煙は成層圏まで達し、江戸にも4センチの火山灰が積もったという。富士山の噴火は日本に大打撃をもたらすことになるから、なんとか静まったまま美しい今の姿でいて欲しいと思う。その前に一回登っておかないといけないだろうとも思っている。

河口湖-11

 浅間神社のあと、とって返して創造の森へ富士桜を見に行くことになるのだけど、その話もまたあらためてとする。
 最後のしめくくりとしてレトロバスに乗って北側の美術館まで足を伸ばした。
 空はゆっくりうっすらと夕焼け色に染まり始め、富士山の稜線が少しずつ明瞭になっていった。上の写真でもなんとか確認できる。
 河口湖は近くに温泉が見つかったことから、富士五湖の中で一番早く開発が進み、観光地化していったところだ。湖岸には多くのホテルや旅館、飲食店が建ち並び、見所も多い。
 釣り人にとっては釣り場として馴染み深いだろう。バス釣りの人も多く、マスなども放流されているようだ。冬はワカサギ釣りで賑わう。
 湖の中央には富士五湖の中で唯一となる島、鵜の島がある。そこでは豊玉姫命や弁天様が祀られている。
 ここは文学者ともゆかりの深いところで、谷崎潤一郎は昭和17年に富士ビューホテルに滞在して、河口湖を舞台に『細雪』を書いた。冨士御室浅間神社近くに文学碑も建っているそうだけど、時間がなかったこともあって見逃してしまった。
 伊藤左千夫もここを訪れ、『河口湖』という作品を残してる。
 谷崎潤一郎は「何処か日本の国でない遠い所へ来たような気がしたが、それは眼に訴える山の形や水の色が変っているからと云うよりは、むしろ触覚に訴える空気の肌ざわりのせいであった」と描写し、伊藤左千夫は「富士のすそ野を見るものはだれもおなじであろう、かならずみょうに隔世的夢幻の感にうたれる。富士はほとんど雲におおわれて傾斜遠長きすそばかり見わたされる」と書いた。
 伊藤左千夫というと一般には小説『野菊の墓』で知られる作家だろうけど、本業は歌人だった。私は太宰治の辞世の句となった「池水は濁りににごり 藤なみの影もうつらず 雨ふりしきる」という句が強く心に残っている。
 太宰治は隣の天上山に登って『カチカチ山』を書いた。天下茶屋の「富士には月見草がよく似合う」も有名だ。
 左千夫には「亀井戸の藤も終りと 雨の日をからかささして ひとり見に来し」という句もあって、どちらの藤も東京亀戸の亀戸天神で詠んだものだ。実はこの日の早朝、私はその亀戸天神に藤を見に行っている。伊藤左千夫の墓は、亀戸の普門院という寺にある。
 いろんなことが連鎖的につながって、面白くもあり不思議でもあり、ちょっと恐ろしいようでもある。何者かの作為めいたものを感じるのは深読みしすぎだろうか。

河口湖-12

 連なり、重なる山々があかね色の空にかすみながら浮かんだ。この風景を見て、もう満足とする。
 この時間になってもついに富士山は全容を見せてくれなかった。富士桜を見に行くバスの中でやっと山頂まで見られたと思ったら、またすぐに雲に覆われてしまった。この日は富士山運がなかった。

河口湖-13

 時間があれば夕焼けから夜景まで堪能したかったところだけど、このあと東京に戻って池袋のサンシャインへ行くという強行日程のため、ここで河口湖は切り上げとなった。
 河口湖シリーズの回数を重ねていく中で我々の激闘ぶりが徐々に明らかになっていくだろう。シリーズが完結したとき、それがすべて一日15時間の間に起こった出来事だとあなたは信じられないかもしれない。
 第一回から写真も多くて文章だいぶ長くなった。さて、明日からの第二回以降はどうなることか。今日のところはここまでとしたい。




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