現身日和【うつせみびより】
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流鏑馬だ、歩いて見に行こう、往復2時間 -激闘・河口湖編<第三回>
2008年05月03日 (土) | 編集 |
流鏑馬-1

PENTAX K100D+TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 河口湖へ行った4月29日に、冨士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)で流鏑馬(やぶさめ)があるというので見に行くことにした。この日を狙って行ったわけではないのに運がよかった。
 しかし考えてみると、これさえなければ往復2時間近い歩きもなかったわけで、河口湖の交通事情に対する印象はずいぶん違ったものとなっていただろう。河口湖半周と西湖方面と、2つの観光路線バスがあって、それを使えば冨士御室浅間神社も15分かそこらで着く。このときは午後1時半から始まる流鏑馬に合うバスがなかったのが痛かった。帰りは帰りで次の創造の森へ行くバスとの連絡が悪くて、結局歩くことになる。
 それはともかくとして、流鏑馬は楽しみだった。今まで見たことがなかったし、写真もぜひ撮りたいと思った。
 今日は流鏑馬の写真を紹介しつつ、私と一緒に流鏑馬についてたっぷり勉強しましょう。これさえ読めば、明日からあなたは流鏑馬にはちょっと詳しい人になれるかも。

 冨士御室浅間神社の流鏑馬の歴史は古く、始まりは千年前にさかのぼる。ただ、940年に藤原秀郷が平将門の乱を鎮圧したときに奉納したのが始まりという説と、1087年の後三年の役のときに源義家と新羅三郎義光が奥州の清原軍を破ったときにしたのが始まりという説と、二つあるようだ。どっちかよく分からないのだけど、もし平将門の方だとしたら、そんなのを見てのんきに喜んでる場合じゃなかったかもしれない。平将門は味方につければ心強いけど敵に回すと恐すぎる。
 いずれにしても平安時代から始まった古い行事で、長い歴史を持っていることは間違いない。ただし、明治30年を最後にいったん中断して、再開したのは昭和55年のことだった。
 現在は、毎年4月29日に武田流流鏑馬神事として執り行われている。名前は「やぶさめ祭り」となっているけど、これは神事だ。観光客が大勢集まるイベントとはいえ、単なる見せ物ではない。

流鏑馬-2

 例年ならちょうどこの時期に桜が満開らしいのに、今年は何しろ早かった。ほぼ完全な葉桜状態になっていて、ときどき吹く風に乗って花吹雪が舞っていた。それもまた一興ではあったのだけど。
 観客も大勢集まってきていた。なかなか有名なようだ。場所は境内では狭すぎるので、湖岸に作られた特別馬場で行われた。
 私たちがヨレヨレになって到着したときは開始10分前で、前の方はカメラの人々が陣取っていた。この手のものはポジショニングが大事だから気持ちはよく分かる。

流鏑馬-3

 神事だけに参加している人たちの衣装や立ち居振る舞いも本格的だ。祭り気分ではない。
 これは判定人の席で、座っている偉いさんなのだろう。腰に巻いているのは鹿の皮か。鹿さん……。
 弓が的に当たったら、あた〜り〜とかかけ声をかけるのかと思ったら、そんな演出はなかった。私も祭り気分で見ていたところがある。

流鏑馬-4

 流鏑馬の前にいろいろ前置きがあって、なかなか始まらない。白装束の人が紙吹雪をまきながら歩いたり、年男の行進があったり、いろんな衣装の人も参加する。それぞれに意味があって、スピーカーで解説をしゃべっていたのに、そんなもの聞いちゃいないから覚えているはずもない。
 珍しい日本の伝統行事ということで外国人観光客もけっこういた。外国にまで河口湖という観光地が伝わっているのはちょっと驚きだ。やはり富士山関係ということで向こうに紹介されることも多いのだろうか。

流鏑馬-5

 女性もいた。昔はいなかっただろうけど、これも時代の流れだ。そもそも女性の富士山登山が解禁になったのは1872年(明治4年)というごく最近のことだ。
 流鏑馬がいつから行われていたのか、はっきりしていない。もともとは騎射(きしゃ)などとも呼ばれていたようで、『日本書紀』には雄略天皇即位の457年に騁射(うまゆみ)を行ったとか、682年に長柄宮で馬的射(むなまと)をしたなどという記述があり、原形は早くからあったようだ。馬に乗って矢を射るというのは平安時代には戦のスタイルとしては当然あったはずだから、それが儀礼的なものに転じたとしても不思議はない。
 流鏑馬という言葉が最初に登場するのは、1057年の『新猿楽記』や、1096年の『中右記』だとされている。『中右記』には白河上皇が流鏑馬を見たと書かれている。
 語源というのもこれまたいろんな説があってどれが本当なのか分からない。馬を馳せながら矢を射ることから矢馳せ馬(やばせめ)と呼ばれそれがなまったものだとか、矢伏射馬(やぶせむま)の略語だなどといわれている。漢字は、馬に乗って鏑矢(かぶらや)を射流すことからこの字が当てられた。
 平安時代には朝廷の儀式として成立していた流鏑馬も、鎌倉時代になると武家のたしなみという色合いが濃くなっていく。源頼朝が流鏑馬好きで、幕府の行事として組み込んで盛んに行ったという記録が残っている。今でも鎌倉の鶴岡八幡宮では大々的に行われている。
 室町から南北朝時代、安土桃山時代にかけてはいったんすたれることになる。武士の個人修練としては行われていたようだけど、幕府や朝廷の重要な行事ではなくなっていったようだ。戦国時代にはそれどころではなかっただろうし、信長なんかは好きそうだけどそうでもなかったらしい。
 復活したのは江戸時代、将軍吉宗のときで、世継ぎの病気祈願のために行って治ったことから、それ以降将軍家の厄除けなどで盛んに行われるようになり、神事としての色合いを強めていった。
 明治維新以降は再び行われなくなり、第二次大戦によって馬も騎手も減って、ますます少なくなっていった。現在は全国各地で行われているけど、復活したのは戦後しばらく経ってからのことだ。こういうものができるのは平和だからだし、こういうのを思い出して復活させようという日本人の心の動きを喜びたい。
 流派はいくつかあるようで、特に正当とされているのは、甲斐源氏の流れをくむ、武田流や小笠原流などだそうだ。
 対外試合のようなことはめったに行われないのだけど、昭和16年に天皇の前で行われたことがあった。小笠原流、細川流、武田流がそれぞれ2人ずつ行って、武田流が全部当てている。
 昭和59年に明治神宮で皇太子妃殿下とレーガン大統領の前で披露されたものや、平成14年に同じく明治神宮でブッシュ大統領が来たときに行われたものは覚えている人がいるかもしれない。
 外国などでもちょくちょく行われているそうだ。
 日本国内でも多く、名古屋近辺だと三重県桑名の多度大社が有名だ。全国区でいうと、京都の下鴨神社あたりがよく知られているだろうか。

流鏑馬-6

 前置きの勉強がずいぶん長くなってしまった。いい加減本編に入りやがれと思っていた人も多かっただろう。本編は上の写真のような感じで行われたのだった。
 馬が思った以上に速くて、シャッターのタイミングが難しい。動きものに弱いK100Dだから余計に厳しかった。連写速度も遅いから2コマしか収まらない。20Dならもう少し撮れただろうに。
 ここは後ろ姿になってしまって場所が悪かったので、途中で移動した。本当なら的の向こう側がいいのだけど、そちらは関係者しか入れないようになっていた。

流鏑馬-7

 最初の的近くに移って、正面から狙うことにする。
 コースや距離に関してはっきりした規定はないものの、だいたいは決まっている。コースの長さは2町(218メートル)で、進行方向左手に間を置いて3つの的を立てる。馬場から的までの距離は5メートルくらい。的の高さは約2メートルとされている。
 冨士御室浅間神社は長いコースを作れなかったからか、的は2つだった。コースもくねっていて、それが難しいのだと盛んにスピーカーから説明があった。それよりも的までの距離がちょっと近かった気がした。5メートルはなかったと思う。この距離によって難易度は大きく違ってくる。

流鏑馬-8

 ここからは3枚の連続写真でお送りします。
 まずは1枚目。弓矢の準備を始めるところ。両手放しで馬に乗ること自体難しいだろうに、かなりのスピードが出ている。足だけでぎゅっと馬の胴体を挟み込むのだろう。馬もちゃんと走るから偉いものだ。

流鏑馬-9

 2枚目は弓を構えるところ。よく狙って。でも落ちないように。

流鏑馬-10

 わっ、外した。やられた。連写としては唯一成功したシーンだったのに、的を外してしまって組写真も失敗に終わった。この日失敗は数回しかなかったのに。

流鏑馬-11

 次はお見事。この女性は上手だった。安定感があった。
 この的は通常ヒノキ板が使われる。2番目の的は模様が描いてあって、あちらは矢が刺さるタイプだった。一番目は当たると割れるようになっているやつで、こちらの方がお馴染みだろう。

流鏑馬-12

 こちらも成功。歓声と拍手が起こる。
 なるほどこれが流鏑馬というものか。初めて見たものだったからなかなか感動した。しかし、我々にはそんな余韻に浸っている時間はなかった。このあと、富士桜を見るために、創造の森行きバスの最終に乗らなければいけなかった。流鏑馬の後半を端折って、再び河口湖駅に向かって1時間近い道のりを歩くことになる。
 そのついでといっては失礼だけど、冨士御室浅間神社の中を突っ切って挨拶だけはしていった。そのときの様子は、また明日にでもあらためて紹介したい。富士山信仰と浅間神社についても絡めて書きたいと思っている。
 今日もまた長々とおつき合いいただきありがとうございます。まだ激闘・河口湖編は続きます。今日で折り返しくらいかな。




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