 PENTAX K100D+smc Takumar 28mm f3.5
今日は昨日に続いて津島のレトロ町本町についての後編をお届けしたい。 本町のたたずまいには、銭湯の煙突がよく似合う。遠くを見ると何本か立っている。まだ営業してるのだろうか。 昭和30年代、40年代が銭湯のピークだった。家庭用の風呂が普及するにつれて銭湯はすたれていき、下駄をカラコロ鳴らして赤い手ぬぐいをマフラーに風呂桶を持って銭湯通いなんて光景も、今は昔の今昔物語だ。 それでも、銭湯が絶滅の危機に瀕しているかといえば、まだそこまではいっていない。組合に加盟しているところだけで全国5,000軒以上というか、実際の数はもっと多いはずだ。田舎ほど少なく、都会の方がよく残っているのは、風呂なしアパートが多いからだ。一番多いのは東京で、大阪、北海道、神奈川、愛知、京都と続く。東京は数年前に1,000軒を割ったものの、まだ900軒以上の銭湯が営業を続けているそうだ。 最近はスーパー銭湯が全国各地にできて、けっこうな人気となっている(スーパー銭湯発祥の地は大阪で、1995年頃から名古屋でブームになって、その後全国に広まっていった)。大江戸温泉物語のように銭湯のテーマパークのようなものもできている。銭湯と公衆浴場は別扱いらしいのだけど、細かい定義まではよく知らない。 津島は一番多かったときには8軒ほど銭湯があったそうだ。現在では2軒だか、3軒だからしいのだけど、それでも残ってる方だろう。本町湯というところは確かにやっているという情報を得ていたので、そこを目指した。 上の写真は、地図で見ると筏場浴場と書かれているところだ。けど、入り口が見つからず、近づくことができなかった。おそらくもう営業はしてないのだろう。 そのすぐ北にある長珍酒造というところも行こうと思っていて見つけることができなかった。地図でも道から中に入ってたところだから、一般人進入禁止かもしれない。写真に写ってる黒い建物なんかがそれっぽいのだけど、どうだろう。
 裏手に回っても屋根の上から顔を出す煙突はよく目立つ。昔は高い建物がなかったから、銭湯の煙突が町のランドマークだったのだろう。 銭湯の値段は都道府県ごとに決められていて、400円前後のところが多い。一番高いのが東京の430円で、安い宮崎などは300円だ。私の感覚では町の銭湯は200円くらいが妥当なんじゃないかと思うけど、現在のように客が少なくなってしまってはそれではとても経営が成り立っていかない。 最近の原油高騰は銭湯も打撃を受けていて、ここ数年で閉鎖に追い込まれる銭湯が増えているのだという。誰がどういう原因で原油の価格が上がってるのか知らないけど、ガソリンが高くなってスタンドが儲かるわけでもなく、消費者にも痛手では共倒れという感じだ。原油国だけが潤っているんだろうか。 それにしても銭湯が400円もしてしまうということは、もはや貧乏人は銭湯も行けない。毎日通ったら月に1万2,000円もかかってしまう。そのへんの月極駐車場よりも高い。お年寄りが年金の中から出す金額としても1万円以上というのは安い額ではない。銭湯通いが好きなじいちゃんが2日に1度、3日に1度にしなくてはいけないとなると、世知辛い世の中になったもんだと思わずにはいられない。
 おほほ、これはすごい、と頬がゆるむ。純昭和だ。本町湯は昭和13年にできたそうだけど、その頃からほとんど変わってないんじゃないか。さすがに戦後になって一度くらいは改築してるだろうか。 中の様子を写した写真を見たけど、またすごいことになっている。レトロという次元さえも超えている。いつか機会があれば、中の様子を余すところなく写真におさめて紹介したいと思う。かなりびっくりするはずだ。近くの方はぜひ直接行って、自分の目で確かめて欲しい。
 横に回ると、薪をくべている。これまたびっくり。ここの銭湯は、薪を燃やしてお湯を沸かしているのだ。いまどき、薪の方が高くつきそうだけどどうなんだろう。火の番も大変だ。 うちの祖父母の家は、私が小学生くらいまでは薪の五右衛門風呂だった。薪を燃やすのが好きで、遊びに行くとよく番をしていた。竹筒を吹いて火の勢いを強くするのが楽しくて、じゃんじゃん燃やしてちんちんにしてしまうのだった。 このあたりの一角は、完全に時代が30年は戻っている。というか、止まっている。
 津島は津島神社の門前町として発展した一方で寺の多い地区でもある。このあたりだけで30以上も寺社があるという。地図を見ると、こんなに狭いところにこんなにもたくさん寺は必要ないだろうというくらい寺が密集している。理由はよく分からない。 上の写真は、本町1丁目にある成信坊(じょうしんぼう)というお寺さんだ。時間がなくて中には入らなかったけど、外から遠巻きに見るだけでも立派な堂と門だった。帰ってきて調べたところ、創建年は不明らしい。
 すごく狭いところに、こそっおさまった坂口神社。小さいながら門もある。祠の前にはミニサイズの狛犬もしっかりいる。 もともとどれくらいの規模だったのかは知らないけど、なんとか残そうという姿勢がいい。
 これはやや大きめの筏場神社。番地では本町の隣の横町にあって、その隣が筏場町だから、そこから名前はきているのだろう。 かつてこのあたりは筏をとめておいた場所だったのだろうか。海だったのか、川だったのか。とすれば、これは水の神様かもしれない。
 堤下神社。ここは小さいながらも境内に木が茂っていて、神社らしい雰囲気を持っていた。 かつて天王川が流れていた堤防の下にあったから、この名前がつけられたのだろう。 境内には井戸の跡が残されている。井戸は糀屋の前に上切の井戸というのもあって、あちらはまだ枯れていないようだ。 この他にも、加藤清正ゆかりの清正公社など、見切れなかった寺社がたくさんある。
 天王通に出て、少し西へ行くと、津島佐織キリスト教会というのがある。建物の感じからしてプロテスタントだろう(同盟福音キリスト教会)。 カトリックの教会は、まったくのよそ者に対しても扉を開いていて、自由にふらっと入っていけるけど、プロテスタントの教会は入りづらい。必ずしも閉鎖的というのではないのだけど、信者なり地域なりの密接な関係から成り立っているから、観光気分の一見さんに対しては開かれていない感じがある。 カトリックとプロテスタントとの違いをちゃんと説明しようとするとすごく長くなってしまうから簡単に書くと、新教とも呼ばれるようにプロテスタントはカトリックから分離した一派から起こった教団の総称だ。16世紀初頭に、腐敗したカトリック教会に対する抗議運動がドイツで始まった。いわゆるルターの宗教改革というやつだ。その後ドイツで国内戦争が勃発し、宗教改革の動きはヨーロッパに広まることになる。プロテスタントという名称は、ルター派がローマ帝国のカール5世に送った宗教改革を求める抗議書「プロテスタティオ」から来ている。 その後、プロテスタントもたくさんの宗派が生まれ、それぞれが現在どうなっているかはなかなかややこしい話のようだ。どこかでプロテスタントの教会に入るようなことがあれば、そのときにまた勉強して詳しく書きたい。
 地図で津島の大椋(オオムク)というのを見つけて、それらしいところへ行くも、見あたらない。黒塀で囲まれたところに大きな木がたくさん立っていたからその中の一本かとも思ったのだけど、どうやら違うようだ。 帰ってきて調べたところ、枯れて切り倒してしまったらしい。国の天然記念物だったらしいのに、そんなことしていいのか。巨木だから自然に倒木したら大変ということで先手を打って切ってしまったのか。 三重県の津市に推定樹齢1500年という大椋(椋本の大ムク)があるそうだから、機会があれば見てみたい。一番大きいのは、兵庫県佐用郡にある三日月の大椋というやつらしい。
 誰も見向きもしなくても、路傍に花は咲く。 しゃがんで写真を撮ろう。
 こういう歴史のある古い町並みは、夕方の斜陽がよく似合う。昭和の色合いがますます深まって、懐かしさにちょっと切ないような気持ちになる。 一通り歩いたところで、ここまでとする。けっこう歩いた。でも、家に帰ってきてからネットで散策マップを見つけて見てみると、いくつか見逃したものがある。氷室家住居や蔵の道は知らなかった。詩人野口米次郎の生家も残っているようだし、屋根神様や丸ポストなんてのも載っている。旧津島信用金庫の古い建物も逃している。これだけ見落としが多いと、もう一度行かないといけないだろう。また来年の藤の季節かな。 それにしても、こんなにいい素材を持ちながらいかしきれてないのはもったいない。ここは、足助の町をお手本にすべきだ。町の性格は違うものの、足助は住民が協力していろいろなイベントを行って町興しに成功している。中馬のおひなさんなどは良い例だ。 津島元町の住人にしてみれば静かに暮らせればそれが一番と思っているかもしれないけど、せっかく天王川公園の藤や天王まつりという大勢集まるイベントがあるのだから、そのときだけでも町まで観光客を呼び込んでお祭りにしたらどうだろう。祭り会場からも駅からも、歩いて10分、15分という好立地なんだし。 古い町並みが好きな人ならきっと感じるものがある場所だから、機会があればぜひ一度訊ねてみるといいと思う。
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