 PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4
日間賀島本編が終わって、あらためて残っている写真を見てみたら、けっこう枚数があった。イルカネタもあるのだけど、その前に日間賀島写真を出し切ってしまうことにした。もう一度行けるかどうか分からないところだから、撮ったものは全部でも出しておきたい。たとえば10年後、20年後にもう一度訪れたとき、島の風景はどんなふうに変化しているのかの確認にもなる。そのときまでこのブログが残っているかどうかは怪しいけれど。 西港はこうして見ると、やっぱり賑やかだ。観光地の表玄関という風情がある。東港はずっと寂しい。20年くらい前までは、ここもひなびた港風景だったそうだ。日間賀島が観光地として目覚めたのは意外と最近のことで、ホテルや民宿が激増したのも平成に入ってからだ。それまでは、釣り客かよほどの物好きくらいしか訪れる人はいなかったという。 観光地化して島の暮らしもいろいろ変わったことだろう。いいことばかりではないにしても、日間賀島の存在が一般に知られるようになったのは悪いことではないと思う。人でも、街でも、島でも、人に注目されないということは寂しいものだ。
 この日は晴れたり曇ったり、日差しが強くなったり弱くなったりと落ち着かない空模様だったのだけど、ときどき気持ちいい青空を見せてくれた。これぞ島の空にふさわしい青だ。 島には日差しを遮るところが少なくて、しっかり日に焼けてしまった。腕や顔は真っ赤な茹でタコ状態になった。日焼け写真もどこかで紹介できるかもしれない。 さびた看板をよく見ると、点なしの大田とある。こんなところに親戚はいないはずだけど。
 塗り色で私が心惹かれるのは、神社の朱塗りと家の黒塗りだ。単純に言ってしまえば好きということなんだろうけど、もう少し心の深いところで惹かれるものを感じる。見ると妙に嬉しくなる。 黒塗りの家は、子供の頃から田舎で見ているからというのもあるかもしれない。だから、懐かしさもある。ただ、黒塗りの松本城もすごくいいと感じたから、何か遠い過去の記憶と関係していたとしても驚かない。
 この島で車を運転する自信はない。どう見ても対向車とすれ違えそうにないけど、どうしてるんだろう。これでは3ナンバーの車は走れないし、バスなどまるで無理だ。アップダウンも厳しいし、お年寄りにとっては大変だろう。乳母車を押しながら歩いていたら、坂道で転げ落ちていってしまいそうだ。 島の人は慣れたもので、こういう道をスクーターでビュンビュン飛ばしていく。移動手段としては、スクーターに勝るものはない。
 私が路地好きで細い道ばかりを選んで通っているわけではない。この幅が島の標準なのだ。外周だけが車が楽に走れる車幅で、内部はすべてこんな道が入り組んでいる。路地好きにはたまらない。 側溝にフタがされてないのもちょっと怖いところだ。うっかり油断してると落ちそうになる。
 島では珍しいオールドモダンな感じの建物があった。といっても、洋風建築とかではなく、単にライトブルーのペンキを塗っただけなんだけど。かなりペンキがはげてきて、ところで普通の日本家屋の地が見えている。塗り立てのときは、けっこうハイカラな感じに仕上がっていたんじゃないだろうか。
 住宅やアパートのたぐいはほとんどない。これは珍しい。大部分が一軒家というのも、考えたらすごいことだ。ひとり暮らしの人が少ないということでもあり、よそ者もほとんどいないということだろう。 島にマンションがあったらおかしいといえばおかしいけど、そういう需要はまったくないんだろうか。よそから引っ越してきた人は、みんな一軒家を借りたり、建てたりしてるのか。
 大光院から降りてきた東港の近くで、10人くらいのお遍路さんのグループと行き違った。お経が聞こえていたのは、この人たちだったか。 四国まで行くのは大変だから、日本各地に地元の八十八ヶ所が作られている。知多もその一つだ。何が楽しくてそんなことをしてるんだと思うかもしれないけど、これはある種コレクション的な楽しみだから、オマケとかカードをコンプリートするのが趣味の人と違いはない。一つひとつクリアしていく達成感が気持ちいいに違いない。私にもその気持ちは分かる。 1番豊明の曹源寺から88番大府の円通寺まで、やってみたらきっと面白いだろう。そうとは意識せずに、10くらいはもう行ってそうだ。どうでしょうゼミナールの大泉校長にならって、私もそのうち八十八ヶ所巡りをしてみようか。
 海といえばなんといってもトンビなのに、そのことをまたすっかり忘れていた。次こそトンビのエサを持っていこうといつも思っているのに、いざ行くとなると思い出さない。 トンビはたくさん舞っていて、一時はかなり近くまで降りてきていた。首をくいくい動かしながら下をうかがっていたから、何か手に持っていたら見つけて食いついたんじゃないだろうか。 まあでも、トンビは野鳥だから、自分でエサを見つけられるだろう。下手にエサなんかやらない方がいい。
 島の岩場に植えられたアジサイというのも一風変わった風情だった。 島に自生している花というのは多くなさそうだ。未開拓の土地が少なくて、空き地もあまりないから、ありふれた野草というのもほとんど見かけなかった。その分、島の人があちこちにいろいろな花を植えて育てている。季節の花はどうなんだろう。桜の名所とかもあるんだろうか。
 おみやげはやっぱりタコや干物関係が多い。私は今回買わなかった。荷物が多かったのと、このあと篠島へ行くから重たいのは嫌だったということもあって。買うとしたら、タコ入りの海苔を買いたかった。ごはんですよの本格的バージョンみたいなやつ。
 島の一周を終えて、ちょっと一服。 ソフトクリームは、バニラと抹茶の二者択一だった。チョコではなくあえて抹茶にしたのは、やはり訪れる観光客の年齢層に合わせたのだろうか。 記念撮影をしてるそばからドロドロに溶けてきて、食べる頃には収拾がつかなくなりそうだった。手がネチョネチョになる。ソフトは美味しかった。
 午後3時半くらいの船に乗って篠島へ向かった。日間賀島での滞在時間は約4時間。そんなにいたとは思えないほど、短く感じられた。それだけ楽しかったということだろう。 日間賀島ってどんなところだったと訊ねられたら、なかなかいいところだよと答えるだろう。このなかなかという言葉のニュアンスを伝えるのは少し難しい。すごくいいところだったよとは、あえて言いたくない。 自然と島の人情に触れてのんびり島時間を過ごしてみませんかみたいな、ありきたりの宣伝文句はこの島には似合わない。実際そんなに情緒のあるところではない。 それじゃあ、俗っぽい観光地かといえばそうでもなく、島側から観光客に対しての干渉は必要最小限にとどまっていて、過剰な演出などもない。遊び場らしい遊び場が用意されているわけでもなく、観光客を呼ぶための特別な目玉があるわけでもない。かといって、手つかずの自然が残る島というのとも違う。 悪く言えば中途半端で何もないところなのだけど、そこがこの島のよさでもある。何もないけどなんとなくいいのだ。スケール感の良さというのもある。広すぎず、狭すぎない。遠すぎず、近すぎない。 ふと思ったのが、この島は夏休みの少年少女が子供だけで訪れて、小さな冒険をするのに最適なところじゃないかということだった。親に渡された手書きの地図を持って、初めて船に一人で乗って、初めて一人で離島を訪れ、一日島で遊んで過ごす。そこにはきっと、たくさんのワクワクとドキドキがあって、いい思い出になる。小さな島だから迷子になったところでたいしたことはないし、未開の森といった危険な場所も少ない。子供の足で歩いても2時間か3時間で一周できる。どこへ行っても民家や店がある。 島に一人降り立っても、たぶん、最初は何をしていいか分からないだろう。でも、何をしてもいいと分かれば、そこには冒険がある。海で遊んでもいいし、セミ捕りをしたり、迷路のような集落を駆け回ったり、島の子供と友達になってもいい。そうか、ここはPSの「ぼくのなつやすみ2」の世界なんだと気づいた。 大人にとってもこの島というのは、日常と非日常の微妙な距離感の良さなんじゃないか。まったくの非日常でもなく、日常でもない。それはちょうど、夏休みに遊びに行く祖父母や親戚の家といった距離感に近いのかもしれない。すべての島がそうなのではなくて、隣の篠島ではまったく違った印象を持った。だからこれは、日間賀島特有の感覚なんだと思う。 もちろん、人によって感じ方は様々なのだけど、私にとっての日間賀島はそういうところだった。一期一会になるのか、また何年後かに訪れることになるのか、いずれにしても忘れがたい思い出として私の中にずっと残っていくことだろう。
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