
PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 世の中には路地好きを自認する人たちがいて、路地歩きや路地の写真を撮ることを趣味としていたりする。その数は決して少なくない。路地の本も何冊も出ている。ひょっとするとあなたの周りにも隠れ路地ファンがいるかもしれない。ほとんどの人は知らないと思うけど、全国路地サミットなんてものも毎年開催されている。洞爺湖サミットの裏でひっそりと。第6回目の今年は、10月に長野市で行われるそうだ。 私はそういう人たちとファミレスで5時間も6時間も路地について熱く語り合えるほど路地についての思い入れはないけれど、人並み以上に好きだとは思う。路地にまったく興味がない人を0、それなりに嫌いじゃない人を5、路地マニアを10とすると、私はだいたい7くらいだろうか。いや、本物の路地好きからすると、まだ6程度かもしれない。 路地なんてものは日本全国どこにでもあるし、昭和の子供としてはいつも見慣れたありふれたものだった。大人になるまでは特別なものとして捉えたことはない。路地について意識することなく時は流れ、昭和が終わり、21世紀に入った今、路地というものの貴重さと魅力を再認識することとなった。懐かしくもあり、見るとなんとなく嬉しくもなる路地。やっぱり路地っていいもんだなとあらためて思ったのは、去年神楽坂へ行ったことがきっかけだろうか。 その後、月島、佃へも行き、その他東京の路地を歩いた。名古屋周辺でも名もない路地をあちこちで見て、写真も撮った。特にここ最近、路地に対する思い入れが強くなってきている。路地マニアの人と1時間くらいならおしゃべりできそうな気がする。 路地の定義とは何かというと、それははっきりしていない。一般的には家と家との間の細い道ということになるのだろうけど、もう少し限定すべきかもしれない。単なる通路ではなく、生活感のある細道とでも言えばいいだろうか。当然ながら歴史があればその方がぐっと魅力は増す。ビルとビルとの間の細い空間も面白いことは面白いけど、あれは路地とはまた別のものだ。 日間賀島でも細く入り組んだ集落の路地を自転車で行き、写真も撮った。あっちもなかなかよかったけど、路地に関しては篠島の方がいい。情緒と趣がある。 場所は、中央の集落で、海水浴場から一歩中に入ると、すぐに路地が始まる。そのままきついアップダウンを繰り返して、反対側に突き抜けるまでずっと路地が続く。路地好きにはたまらない場所だ。 今日はそんな篠島の路地写真コレクションをお届けすることにしよう。
 いきなりの急坂。出だしから息切れ必至。調子の悪いスクーターなら途中で止まってしまいそうだ。おばあちゃんとか、こんな坂道を登っていけるんだろうか。 こんなところにも家は寄り添うように建っている。坂道が先にあってその横に家を建てたのか、家を建てた横に道を作ったのか、どちらだろう。 家は土台を平行にして、その上に建っている。でも本当に水平かどうかは分からない。なんとなく傾いていそうな気もする。ビンを床に置いたらコロコロ転がっていきそうだ。
 家々は狭い空間の中、無秩序に、雑然と建っている。家の向きもあっちこっち思いおもいの方を向いている。何しろ道は曲がりくねって折れ曲がり、坂道の連続だから整然となんて建てられない。見ているとすごく危なっかしいように思うけど、これはこれで上手く調和が取れているのだろう。今更建て直しなんていっても、重機どころかトラックさえ入れないから無理なんじゃないかとも思える。引っ越しも大変だ。
 どこまでが公道で、どこからが私道なのか、どこから家の敷地が始まっているのか、境界線が曖昧でよく分からない。昔から顔なじみの人同士が住んでいる島だからモメゴトは起きないのだろうけど、法廷闘争になったらいろいろ難しい問題が出てくる。たとえば隣の家の庭に植わっている木の枝が自分の敷地に入ってきたときは勝手に切ってもいいとかいけないとか、木の実は取ってもいいとかいけないとか、木の根はどうだとか、ややこしい法律があるのだ。あるいは、ここの道で自転車と歩行者がぶつかって自転車が転んで家のドアを壊したら、誰に責任があって誰が弁償するかとか。 そんなことは島の中で上手く処理することで部外者には関係ないことなんだけど。 ただ、こういう狭い生活空間というのは、単なる田舎の村とは事情が違ってそうで、そのあたりに興味はある。山村の場合、一軒いっけんは広い敷地にあって、隣り合っていてもプライベートな空間として閉ざされているから、毎日の暮らしの中ではさほど濃密な関わりを必要としない。そういうことを考えると、よそ者が離島に住むというのは普通の田舎以上に難しそうだ。
 道は登って下って、突然折れ曲がる。このまま進んでいいもんだろうかとやや不安になる。曲がった先は民家の玄関先ってこともある。 日間賀島は集落の中のどこへ行くにも自転車で行けたけど、ここは無理だ。階段が多すぎてひいていくこともできない。篠島をしっかり散策しようと思ったら、自転車は捨てて、時間をかけて歩くしかなさそうだ。自転車を置いた場所まで戻っていると効率が悪い。
 正法禅寺から西方寺あたりは、とても見晴らしがいいところで、この島のビューポイントの一つと言っていい。坂のある町はどこも風情があるものだけど、島の港町となればまた格別だ。 ここからの夕焼けの眺めはすごく素敵だろうなと思わせた。イメージとしては、尾道を舞台にした大林宣彦作品で、制服姿の中学生男女が似合いそうだ。狭い島だから、こんなところでいちゃついてたらたちまち島中に知れ渡ってしまいそうだけど。
 坂を下りて再び路地に入る。このあたりは平坦で、民家も比較的新しい。島の集落の中でも、古いエリアと新しいエリアがありそうだ。
 あ、猫。そうだ、そうだ。路地といえば猫がつきものだ。猫がいない路地なんてクリープを入れないコーヒーみたいなものだ。違いの分かる男の私としては、路地猫を是非撮らねばならない。うーん、マンダム。 路地裏の野良猫を撮る趣味の人もけっこう多い。そういう人たちはカメラを抱えて日々路地裏をさまよっている。でもあの人たちが好きなのは路地裏にいるノラであって、路地裏そのものではないのだと思う。猫を探しながら路地も撮るといったスタンスだろう。 路地好きは路地を撮りながら猫も撮る。結果的に同じような写真になっても、語り合えることは多くないかもしれない。
 さっきの猫が上を見上げて何を見てるんだろうと思ったら、家の窓から顔を出してる飼い猫がいたのだ。島の中にも飼い猫とノラがいる。お互いに交流はあるだろうし、ノラ生活をしてるやつも誰かにメシをもらってるはずだ。おそらく、どちらでも選択できる立場にあって、どちらか自分が好きな方を選んでいるのだと思う。 外にいる方も首輪をつけてないだけで実際には飼い猫かもしれない。毛並みもきれいだし。ここでは家猫とノラの境界線もぼやけている。
 八王子社の前をぷらぷら歩いていた猫。これは純然たるノラといった様子だった。この神社は犬嫌いの神様が祀ってあるところだから、猫にとってはいいところといえるだろうか。
私たちが歩いた路地は島の一部で、他にも魅力的な路地がありそうだ。地図を見ても歩いていない細い道が何本もある。 日間賀島に関してはある程度見切ったという満足感があったけど、篠島は3分1も見ていない。歩いた距離も、回ったエリアも、見所も。これだけ残してしまうと、再訪の気持ちが出てくる。パッと行ってサッと帰ってこられるところでもないから次はいつになるか分からないけど、もう一度行きたい気持ちは強い。 離島シリーズとしては、愛知3島の残り一つ、佐久島もある。あっちは篠島など問題にならないくらい非観光地でひなびているそうだから、それはそれで興味がわいてくる。一色町から行かないといけないから、けっこう遠い。篠島や日間賀島から見えている隣の島なのに、あちらとは高速船の行き来がないのだ。一色町から行くよりも島から行った方がずっと近いのに、なんでだろう。島民同士の交流もあまりないんじゃないだろうか。佐久島もいずれ機会を見つけて行ってみたい。 篠島編はあと一回、神社仏閣編で完結になる予定だ。篠島についての感想は、また次回ということにしよう。島巡り番外編もありそうなので、もう少し島話におつき合いください。
|