現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
近所に歴史あり、御畳奉行と行く瀬古の古寺社巡りツアー
2008年07月10日 (木) | 編集 |
瀬古神社仏閣-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 少し前に水屋を探して守山区の瀬古を散策した。今日はそのとき立ち寄ったお寺と神社を一つずつ紹介しようと思う。同じ日にもう一つずつ寺社を回ったのだけど、写真が多くて一回分に収まりきらなかった。残った分はまたいずれ近いうちにということで。
 最初に行ったのは石山寺(いしやまじ)というお寺だった。表通りからも入れたようだけど、私はあえて裏道からアプローチした。民家の間の細い道を進んでいくと、四つ角に石山寺と彫られた石を見つけた。こういう石ってなんて呼ぶんだろう。石碑でもないし、石柱とでもいうんだろうか。ここからすでに石山寺の敷地内が始まっているという印かもしれない。その横には手書きでこの先行き止まりと書かれた木札がかかっている。寺があるのか、行き止まりなのかどっちなんだ。
 進んでみると、右手に寺の入り口があって、突き当たりは高牟神社だった。行き止まりといえばそうかもしれないけど、ちょっと紛らわしい。車に対しての注意書きだろうか。
 いずれにしても、夏場は葉が生い茂っていてよく見えない。

瀬古神社仏閣-2

「尾張西國第十三番 金剛廿一大師十六番 石山寺」と彫られれている。四国八十八ヶ所やら西国三十三ヶ所やら、日本全国にたくさんの巡礼地があって、人々はそれらを巡り歩いてきた。尾張にもいくつかあったようだけど、歴史の中で衰退したり、戦争で焼けてしまったものもあっていつしかうやむやになっていたのを、戦後の昭和30年(1955年)にもう一度ちゃんと決め直そうということで作られたのが尾張西国三十三観音だった。天白区の1番一乗院から犬山の33番継鹿尾山寂光院までの33ヶ所に定められた。
 顔ぶれを見てみると、けっこうマイナーなところが多くて、私は5つしか行っていない。気がついたらほとんど行っていたなんてことにはなりそうにないから、制覇したければ意識的に回るしかない。
 それはともかくとして、今回は石山寺についてだ。ここを訪れたのは、瀬古を散策したからというだけでなく、上の写真の山門が見たかったらというのが強かった。表からは木々が邪魔になってよく見えないから、さっそく中に入って見てみよう。

瀬古神社仏閣-3

 ほっそりしてるから迫力には欠けるものの、優美さがあっていい。この山門は好きだ。これを見るためだけでも瀬古へ行く価値はある。
 この寺は、御畳奉行の日記で有名な朝日文左衛門がたびたび訪れた寺で、「鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき」にも何度か登場している。
 文左衛門の屋敷は、名古屋城から東に2キロほどの東区主税町(ちからまち)あたりにあって、そこから石山寺までは5キロくらいだから、当時としてみればごく近場という感覚だったのだろう。善光寺街道を通って矢田川を渡り、味鋺あたりで釣りをして、竜泉寺や大森の大森寺(だいしんじ)まで足を伸ばすこともあったようだ。
 朝日文左衛門の日記を読むと、筆まめだけが取り柄のまったくのダメ武士で、愛すべき人だったことが分かる。江戸では将軍綱吉の生類憐みの令が出されているのもおかまいなしに平気で毎日のように釣りを楽しみ、禁止されている芝居見物に変装して出かけたり、酒を飲み、美味しいものを食べ、茸狩りに出かけ、気が向けば博打をしたり、女を買ったり。何しろ仕事は月に3日くらい城に行けばいいだけなので、時間がある。給料もそこそこだから、遊んでるより他にすることがない。
 筆まめぶりは尋常ではなく、今でいうブログ中毒のようなものだ。食べたものから、身の回りの出来事、江戸での大きな事件や三面記事的なニュースネタ、藩でのスキャンダルや裏事情、季節の風物詩から芝居や花火大会の感想などなど、事細かに毎日27年間も書き続けていたからすごい。どうでもいいことばかりのようでありながら、江戸時代の武士の暮らしぶりがこれほどよく分かる日記は他にない。
 最後は酒好きがたたって肝臓を悪くして、45歳で死んでしまった。80歳くらいまで生きていたら、もっといろんなことが知れたのに、もったいないことをした。
 そんなことを思いながら石山寺を参拝するとまた違った思いを抱くんじゃないだろうか。

瀬古神社仏閣-5

 境内の庭園はきれいに整備されていて名刹っぽい趣がある。
 奥に見えているのが本堂で、左手には観音堂がある。
 鎌倉時代の1245年前後、道円によって開基されたとされている。
 江戸時代に入ってから、尾張二代目藩主・徳川光友が再建するものの、明治24年濃尾地震で倒壊。翌年に再建されるも、第二次大戦の名古屋空襲で燃えてしまう。ただし、観音堂と山門は焼け残って現在に至っている。本堂は平成8年に再建されたもので、ごく新しい。
 本尊は阿弥陀如来で、薬師如来、釈迦如来像とともに鎌倉初期の恵心僧都作とされている。

瀬古神社仏閣-6

 こちらが古い観音堂。古いといっても、明治に再建されたものだろうから、そこまで古くない。
 この左手には地蔵さんが並んでいて、奥は竹林になっている。

瀬古神社仏閣-7

 この寺がいい寺だと思わせたのは、やたら蝶やトンボが飛び交っていたことだ。オハグロトンボまでいて驚いた。
 こういう場所では蝶に霊魂が乗り移るというし、見る人が見ればたくさんの霊がうろつきまわっているのかもしれない。私はまったく見えないから平気だ。ヒョウモンチョウを撮って喜んでた。

瀬古神社仏閣-4

 最後にもう一枚、山門をかっこよく撮る。
 よく見ると屋根にシャチが乗っている。さすが尾張のお寺だ。

瀬古神社仏閣-8

 山門から左に向かって30秒も歩くと高牟神社に着く。ほとんど隣り合わせといっていいくらいだから、昔は神仏混交の神宮寺だったのかもしれない。
 創建は奈良時代の717年と古く、「延喜式」にも春日部高牟神社として載っている式内社だ。こんな奥まったところにあっては訪れる人も少ないだろうし、パッと見はどこにでもあるありふれた神社という感じなのに、実は格式の高いところだ。
 高牟神社というと千種区の今池にある同じ名前の神社の方が有名だろう。あちらは、尾張を支配していた物部氏(もののべし)が武器を納めた倉があった場所に建てられたということだけど、こちらとの関係はよく分からない。名東区の高針にも同じ名前の神社がある。

瀬古神社仏閣-10

 本殿の前に天満宮でお馴染みのなで牛がどんと構えている。はてな? と思う。なんで、こんなところにキミが? 狛犬は鳥居の外にいるだけで、境内にはいない。
 ここは高見という称号をもらっていて、江戸時代までは高見天神と呼ばれていたそうだ。今は別名瀬古天神ともいう。どうして天神というのか不思議なのだけど、「本国帳」には従3位高牟天神、「尾張本国内神明帳」には従3位上高見天神とあることから、最初の頃から天神様と関係があったことが分かる。ただ、菅原道真は相殿で、祭神は高皇産霊命(タカミムスビノミコト)だ。
 菅原道真は845年生まれで903年没だから、創建された717年にはまだ全然生まれていない。延喜式の一応の完成が927年ということで、この間に天神様の神社に成り代わっていたということだろうか。
 何年のことか分からないのだけど、山田次郎重忠という人が奉納した菅原道真の画というのがあったらしく、そのことがきっかけとなったのかどうか。江戸時代にはどういうわけかそれが一般家庭のものとなっていて、明治になってから神社と話し合いで半年ごとに持ち合うことになったらしい。ただし、それは戦争の時焼けてしまって今はないという。

瀬古神社仏閣-11

 高皇産霊命というのもよく分からない神様で、「古事記」では高御産巣日神(タカミムスビノカミ)として、天地創造に関わった神として登場するものの、「日本書紀」ではちらりとしか出てこない。
 天照大神(アマテラスオオミカミ)の息子の天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)と結婚したのが高皇産霊神の娘栲幡千千姫命で、その間に生まれた子が天孫降臨したニニギノミコト(瓊瓊杵尊)という。
 天御中主神、神皇産霊神とともに性別もなく、人間界からは姿を隠している神(独神)ということで、その実像はベールに包まれている。
 そもそも誰がそういう神様をこの地に祀ろうとしたのか、詳しいことは分かっていないようだ。いつの間にか、天神さんに主役が入れ替わってしまったようなところがある。
 伊邪那岐命、素戔嗚命、天照皇大神、大山祇命、菊理媛命も祀られている。
 社殿は一度900年に再建され、1767年には矢田川が決壊して水の底に沈んでいる。1825年にも修理と造営が行われ、昭和20年(1945年)の空襲で社殿は焼け落ちてしまった。現在のものは戦後、昭和36年に建て直されたものだ。

瀬古神社仏閣-9

 あまり撮りどころがない神社なので、こんなものでも撮ってみる。水がちょろちょろちょろと出ていた。エコかな、と思う。

 京都や奈良まで行かなくても、近くに歴史のある神社仏閣はあるものだ。うちの近所と奈良時代や平安時代というのはイメージが結びつかないのだけど、その頃からここにも人が住んでいて、都と同じ長さの歴史があるのだということを再認識した。
 石山寺はいいお寺だし、高牟神社は不思議な神社だから、両方セットでオススメしておこう。近い人は一度訪ねていってみてください。遠くから行くほどのところもでもないと思うけど、朝日文左衛門が遊び歩いていたところを辿る散策というのは楽しいかもしれない。川で釣りをして、寺巡りをして、ご馳走を食べて、芝居を見に行って、酒を飲んで、博打をして、家に帰って日記を書いて寝る。関ヶ原の戦いから100年、平和っていいような悪いような。




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