現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
又太郎良春さんはアマツヒコネ神がお好き? ---尾張旭神社巡り4弾
2008年07月17日 (木) | 編集 |
多度神社-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 尾張旭神社巡りの第一弾として最初に行ったのは渋川神社だった。その次に直會神社と一之御前神社を回って、前回が井田八幡神社だったから、今回の多度神社は第四弾ということになる。始まったのが2007年の4月だから、すでに1年3ヶ月の歳月が流れた。たった5つ回るのにこんなにかかっていていいもんだろうか。尾張旭の主な神社は9つしかないから、当初は半年くらいで軽く終わるはずだった。今のペースでは今年中に終わるかどうか怪しい。神社は待っていてくれるかもしれないけど、歳月は人を待ってくれない。残り4つは少し急いだ方がよさそうだ。
 多度神社は、昨日紹介した愛宕山大師(退養寺)から西に300メートルくらいの場所に位置している。城山街道には多度神社南という交差点があるから、あの道を知ってる人なら、あのあたりかと分かるだろう。ただ、実際に多度神社へ行ったことがある人はあまり多くないんじゃないか。奥まったところにあって道が行き止まりになっているから、偶然通りかかってちょっと寄っていくようなところではない。

多度神社-2

 普段はめったに人が訪れるようなところではないだろうけど、手水舎は一応ちょろちょろと水が出ていた。若干口をつけるのがためらわれたので、略式で手を清めるにとどめた。一つだけかかっているタオルがやけに汚れている。せっかく手を洗ってもこれで拭いたらかえって汚れそうだ。

多度神社-3

 小高い山の上にあるから、階段はやや長めだ。急ぐこともないからのんびり登っていく。
 近くに中学でもあれば、部活の練習用によさそうな階段だ。ただ、旭中は線路を越えた南側だから、わざわざここまでは来ないのだろう。私たちの時代は、こういうところでウサギ跳びだった。今思えば無茶なことをやらされたものだけど、ウサギ跳び全面禁止というのもちょっと過保護すぎるような気もする。空気椅子とか、今でもやってるのかな。

多度神社-4

 石段の左右はちょっとしたジャングル状態になっている。完全に山の中という感じだ。東にある愛宕山のように名前のついた山ではないようだけど、標高は何十メートルかありそうだ。

多度神社-5

 階段を登り切ると、広めの境内の奥に本殿が建っている。
 このときは何かの工事をしていて、境内はそわそわと騒がしかった。去年初めて訪れたときは、しんと静まりかえっていて寂しいところという印象だったのに、ずいぶん雰囲気が違っていた。
 特に用事もなく二度訪れるようなところでもないのだけど、最初のときは夕方の暗い時間で、撮った写真の多くがブレていて使えなかったので、もう一度撮り直しに行ったのだった。再訪すれば新たな発見もあるから、無駄ではなかった。

多度神社-6

 住所は新居町ということで、ここも昨日登場した水野又太郎良春の領地に属していた。室町時代の1361年、桑名の多度大社(勢洲多度社)から勧請して建立したとされている。一説では、熱田多度神社から勧請したという話もある。いずれにしても、桑名の多度山にある多度大社の流れには違いない。
 多度大社というのも創建は5世紀という古くて由緒のある神社で、昔からお伊勢参りとセットでみんなお参りしたところだった。あちらも何年か前に一度行っているけど、できればもう一度行って、ブログにちゃんと書いておきたい神社の一つだ。あのときは山歩きがメインだったから、しっかり見てなかったという心残りもある。当時はまだ神社仏閣に対してほとんど興味もなかった。
 多度神社というのはいくつかあって、ここらでは海上の森の中にもある。
 多度大社の祭神は、天照大御神の子である天津彦根命(アマツヒコネ)だけど、どうして水野又太郎良春はたくさんの神様の中からこの神様を選んだのだろう。アマツヒコネはたくさんの氏族の祖神となっているからといった単純な理由からだったのか、何かもっと深い思い入れがあったのか。
 その時代のそこの有力者が、どこからどんな神様を呼んでくるかというのも興味深いところだ。何か特別な理由がない限り、好き嫌いということだけかもしれない。外国では神の選択肢がほとんどないのに対して、日本ではたくさんの選択肢があった。こんなによりどりみどりで自分が好きな神を選べる国は他にない。アマツヒコネさん、ご指名入りましたー、ってなもんだ。

 創建から320年後の1681年に、水野家8代目の重大夫同金左右ヱ門尉が社殿を再建、1920年には本殿を修理するも、拝殿は朽ち果ててしまっていたという。1891年には濃尾地震もあった。
 戦争で更に荒れてしまい、なんとかしようではないかという話になって、現在の形に再建されたのは終戦から10年以上経った昭和33年(1958年)のことだった。寄付金や支援だけでは資金が足りず、境内の一部を売ったのだという。
 拝殿はかなり立派で、まだ50年しか建っていないから、古びた感じもない。
 このとき横の方で工事していた建物は、神社の社殿ではなかったかもしれない。

多度神社-7

 賽銭を入れるためにちょこっと扉を開けて、中をのぞき撮りしてみる。拝殿だから神様はいない。いるのはこの奥の本殿だ。拝殿をこんなに立派にせずとも、本殿をもっと大きくすればよかったんじゃないかと思ったりもした。

多度神社-8

 本家の多度大社にも別宮としてある、天目一連命(アメノマヒトツノミコト)を祀った一目連社(いちもくれんしゃ)がここにもあった。
 天目一連命は、本宮の祭神・天津彦根命の子供で、天照大御神の孫に当たる。
 刀や斧などを作って活躍した神ということで、鍛冶の神様ということになっている。多度大社には全国から金属関係の人たちがお参りに行くそうだ。
 ここは変な作りになっていて、高い塀で社がよく見えない。これは目一杯背伸びをして撮っている。足と手が震えそうだった。

多度神社-9

 左側の塀は更に高く、社の全貌をカメラに納めようとすれば、ジャンプして撮らないと入らない。中に入ろうとした人間がいたのか、有刺鉄線まで張られている。
 児社(ちごしゃ)に祭られているのは、少彦名命(スクナビコナノミコト)だ。
 とにかくちっちゃい神様で、一寸法師の元となったとも言われている。
 海の彼方から小さな船に乗り、蛾を身にまとってやって来て、大国主と兄弟の契りを結んで活躍したものの、粟の茎に弾かれて再び海の彼方に飛ばされてしまったという話だ。そんな神様いるかと思うけど、よく分からないことが多いという。
 医薬や酒造りも極めたということで、そのあたりの神様ということにもなっているようだ。

多度神社-10

 菅原道真が祀られた小さな天神様もあった。
 尾張旭はあまり神社が多いところじゃないから、一ヶ所でいろんな神様を取りそろえないといけない。天満宮として独立したところはないから、受験の合格祈願はみんなここに来るのだろうか。場所柄、旭野高校狙いの中学生とかが多いようだ。

多度神社-11

 横から見ても拝殿は立派なものだ。本殿(神殿)は、拝殿と塀に囲まれて全体を見ることができない。
 多度神社について私が紹介できるのは、これで全部だ。あまり盛り上がらなかった。
 最後に捕捉を少し。
 昨日もちょっと出てきた棒の手の無二流は、この多度神社に奉納される。水野又太郎良春の神社だから当然だろう。
 尾張旭にはその他4つの流派があって、検藤流は一之御前神社に、残り3つ直心我流、東軍流、直師夢想東軍流は渋川神社に奉納される。
 毎年10月の第二日曜日に行われる秋祭りの一環として行われるもので、その日はこのあたり一帯の神社や街が賑やかになる。私もちょこっと見に行ってみようかと思っている。
 多度神社では大晦日から元日にかけて、厄落としの行事をやっているそうだ。うちの田舎でいうところのどんど焼きみたいなものだろうか。多い年は1万人の初詣客が参拝に訪れるというから、尾張旭ではしっかり地元の神社として認知されているようだ。普段写真を撮りに来るような人がいないだけで、私が思っているよりもずっとメジャーな神社なのかもしれない。
 尾張旭の神社は残り4つ。近場だし、ブログのネタに困ったら回ることにしようか。写真だけ撮りに行っておいて、ネタの在庫にするのもよさそうだ。




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