花菖蒲の歴史と品種を勉強して天晴れ松平左金吾と叫ぼう

花菖蒲-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8



 マニアックな世界というのはだいたいが一般人お断りで敷居が高いものだけど、マニアがたくさんいるということはそれだけ魅力的な世界だという証拠で、そんな面白そうなものを敬遠してしまうのは実にもったいない話だ。入り口は狭くても、一歩中に踏み入れば、奥へ奥へと続く広い世界が存在している。どっぷり浸かってしまえば、きっと居心地がいいに違いない。
 マニアな世界に親しむには何が必要かといえば、一に好奇心、二に基礎知識だ。まずは知りたいと思わなければ何も始まらないし、知識がなければ楽しさのポイントが理解できない。最初は興味がないものでも、ちょっと知るだけでずいぶん違ってくる。少しでも分かってくれば興味も増してくるし、知るほどに楽しくなっていくものだ。
 そんなわけで、今日は花菖蒲(ハナショウブ)の品種改良というディープな世界の入り口を、私自身も勉強しつつ、紹介してきたいと思う。
 普通に暮らしている人にとって花菖蒲の品種改良なんてまったく関心がないだろうし、大部分の人にとっては、一生無縁の世界だ。何種類くらいの品種があって、どんな歴史を辿ってきたかなんてことも、一般常識として知っておくべきことではない。花菖蒲の名所に見に来ている人たちでさえ、これは肥後系の深咲きで白筋入りの見事な花ですね、なんてマニアックな会話をしてるのを聞いたことがない。それなりに興味がある人でも、花菖蒲に関する知識はそれほど多く持っていないんじゃないだろうか。
 ただ、花菖蒲というのは、さほど複雑な系統があるわけではないから、覚えることはそんなにたくさんない。バラほど多彩でもなく、作出者の名前やどの国で何年に作られたかなどといったことまでは気にしなくてもいい。もちろん、品種の数だけ名前がついているから、それを覚えようとすればすごく大変になるのだけど。

花菖蒲-2

 花菖蒲の元となった野花菖蒲(ノハナショウブ)は、日本に古来からある花で、湿地や水辺などで普通に咲いていた。色や形はカキツバタに似ていて、青紫色をしている。違いは、カキツバタの筋が白色なのに対して、ノハナショウブは黄色という点だ。アヤメはこの部分に網目状の模様がある。野生のものに関しては、見慣れればすぐに区別ができるようになる。
 ただ、ノハナショウブにしても花色の変化があって、白色やピンクなどもあるから、ちょっと戸惑うこともある。もともとはそういう変化したノハナショウブを観賞用に庭などに植えて育てたことが花菖蒲の品種改良の始まりだったのではないかと言われている。そういう中で自然交配が起こり、それをもっと人為的にやっていけば違った色や模様が出せるのではないと思うのは自然の流れだ。
 花菖蒲を観賞用とするようになったのは、平安時代あたりが始まりだったのではないかとされている。品種改良を本格的にやるようになったのは、室町時代から江戸時代のはじめにかけてのようだ。戦国時代にはのんきに花の改良なんてやってる心の余裕はない。品種が系統立ってくるのは、江戸の中期になってからだった。

花菖蒲-4

 花菖蒲は、江戸系、肥後系、伊勢系の3つのグループに大きく分けられる。それに加えて、長井古種、アメリカ系(外国系)、種間交配種などがある。まずはこの基本をおさえておきたい。
 歴史としては、長井古種が一番古く、江戸中期の江戸系と伊勢系があり、門外不出ながらのちに主流となった肥後系、明治以降外国に輸出されたものが向こうで新たな品種を生んで逆輸入してきたものと続く。
 大正時代までは一般的に栽培されていたのが江戸系のみだったので、花菖蒲は江戸系のことを指していた。
 江戸系は主に屋外での育成を考えられて改良されてきたため、群生させて楽しんでいた。一方の肥後系と伊勢系は、屋内での鉢植え用として発展してきた。現在は、肥後、伊勢とも屋外に植えられることが多くなったようだけど、その傾向は今でも残っているようだ。

花菖蒲-5

 江戸時代の初期から中期にかけては、試行錯誤の中で様々な花菖蒲が作られていった。徳川家の将軍は代々花好きが多かったこともあって、将軍様が花好きなら家臣は我も我もと花を作って、珍しいものができたら献上したから、徳川家や江戸にはたくさんの花が集まった。
 尾張二代藩主の光友(初代義直の長男)は、1671年に下屋敷があった戸山荘庭園に花菖蒲園を作った。ここは現在の戸山公園で、山手線の中で一番高い箱根山があるところでも知られている。光友が趣味で箱根山と東海道五十三次を模して作った庭園だ。
 すでにこの頃には多様なものが作られるようになっていて、この当時の花菖蒲を今に伝えているのが山形県長井市のあやめ公園に保存されている長井古種と呼ばれる一群のものだ。
 まだ花の形を変化させるというよりも、色や模様などに主眼が置かれたようで、姿は素朴なものが多い。現在、30品種が保存育成されているそうだ。

花菖蒲-6

 江戸後期、花菖蒲の歴史を変える一人の男が登場する。二千石の旗本、松平左金吾定朝という人物だ。菖翁(しょうおう)と呼ばれ、花菖蒲中興の祖と称されている。
 新たに作り出した品種は300近く。花菖蒲を飛躍的に発達させた。
 ただし、彼の作出したとされる花菖蒲で現代に伝わっているものは、宇宙(おおぞら)や霓裳羽衣(げいしょううい)など、20品種に満たないそうだ。
 菖翁の死後、彼が作った花菖蒲は、どういうツテがあったのか、堀切に住んでいた伊左衛門という園芸好きの農民に譲られ、それらを元にして堀切に菖蒲園(小高園)ができたという話だ(違う説もあり)。江戸から明治、大正、昭和にかけて賑わい、堀切菖蒲園(葛飾区)は今でも花菖蒲の名所としてよく知られている。かつては近くにいくつかの菖蒲園があったようだけど、今では残っていない。
 歌川広重の「名所江戸百景」の中にも、堀切の花菖蒲が登場する。

花菖蒲-7

 江戸系、肥後系とは系統を異にする伊勢系は、江戸中期、伊勢松阪の殿町に住んでいた園芸家・吉井定五郎という人物によって作り出された。花弁が垂れる三英咲きが特徴で、伊勢誉などが代表的な品種だ。
 花弁がちょっとクタッとしていて、表面がザラザラなのも伊勢系の特質で、雌しべの先に細かい切れ込みがあるものをくも手と呼んで、それも名花の条件となっているんだとか。
 長らく知られていなかったものが、戦後、三重大学の冨野耕治博士によって作り出されて紹介されたことがきっかけ知られるようになり、のちに伊勢花菖蒲は三重県の天然記念物に指定され、県の花にもなった。

花菖蒲-7

 肥後系は江戸の末期、肥後藩主の細川斉護が江戸の菖翁から花菖蒲を譲り受けたことで藩の間に広まって、そこから発達を遂げた品種だ。
 長らく門外不出で一般に知られることがなかったものが、昭和になって出回るようになり、一気に主流にまでなった。
 もともとは室内の鉢植え用に品種改良されたものながら、花は大輪で、華やかさと風格があるものが好まれた。江戸の粋とはまた違った九州人気質というのが表れているようだ。

花菖蒲-9

 多種多様に見える花も、パターンは決まっていて、たいていはその組み合わせになっている。
 花色としては、紫色、青紫色、紅紫色、純白色、ピンク色、黄色などで、その濃淡と二色花があり、白筋入り、白筋入りぼかし、脈入り、絞り、覆輪(ふくりん)などの模様が入る。
 花の形としては、三英咲き、六英咲き、八重咲き、受け咲き、平咲き、深咲き、垂れ咲き、台咲き、玉咲き、爪咲きなどがある。
 カキツバタやキショウブとの種間交配種などを入れて、現存する品種は2,000品種ほどだと言われている。

花菖蒲-11

 とまあ、花菖蒲というのはこんな感じだ。まだまだこの先にディープな世界が広がっているのだけど、私としても今はここまでにしておきたい。ざっくりした流れや系統が分かれば、あとは自分の目で見て、好みの花を見つけていく作業に移ればいい。バラでもそうだけど、たくさん見ていけば自分の好きな色や形がだんだん分かってくる。それが何系なのかという特徴も出てくるだろうし、そうなったときあらためてもう一段踏み込んで勉強していけばいい。
 花菖蒲は、世界に誇る日本の園芸品種だそうだ。特に今まで日本人として花菖蒲を誇りに思ったことはないのだけど、どうやらそうらしい。バラの原産国はイラン(かつてのペルシャ)だけど、イラン人がバラを自慢している様子がないのとちょっと似てるかもしれない。今後は私も花菖蒲を積極的に誇っていきたいと思う。我らが松平左金吾とまで言ってしまおう。松阪は私の故郷でもあるから、伊勢系についても更に理解を深めていきたい。
 そんなこんなで、花菖蒲をもっと大事にしていこうではありませんかという話でした。
 
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