現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
浅野祥雲コンクリ像は尾張旭の山の上に人知れずどんと立つ
2008年07月16日 (水) | 編集 |
尾張旭弘法-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 そのコンクリ仏像との出会いは偶然だった。尾張旭の神社巡りをしている途中、地図に愛宕大師の文字を見つけて、ついでに寄ってみるかという軽い気持ちに過ぎなかった。行ってみると、小高い丘の上に巨大な弘法さんがそびえ立っているではないか。こんなものがここにあるとはまったく予期していなかっただけに、驚き、のけぞった。
 これだけ尾張旭に昔からちょくちょく行っているのに、この存在は全然知らなかった。家に帰ってきてから調べてみると、知る人ぞ知るB級珍スポットとして、わりと知られたところのようだ。そのゆえんはやはり、この大きなコンクリートの弘法さんにある。
 五色園、桃太郎神社、関ヶ原ウォーランドと、キーワードを並べれば、ああ、あの人の作品かと気づく人もいるだろう。中部地方を中心に数々のコンクリート人形作品を残した浅野祥雲(あさのしょううん)その人の作だ。台座を含めると10メートル近い弘法像は、浅野祥雲が手がけた最も大きな像とされている。
 五色園を二度訪れている私でさえこの像のインパクトにはのけぞったくらいだから、浅野祥雲初心者が受ける衝撃はいかばかりか。

尾張旭弘法-2

 脇に回ってみると、なるほどこれは浅野ワールドだと思わせるコンクリ像たちが立ち並んでいる。これを見たとき、なんか、似たものをどこかで見たことあるなと思ったのだった。
 五色園では親鸞聖人の教えやエピソードをコンクリート像で再現した等身大(というより1.5倍くらい)のジオラマとなっているのだけど、こちらはわりと普通に立っていて、サイズも小さめだ。
 不動明王像と立て札があるから、真ん中がそうに違いない。背負っている炎(光背)が真っ赤に燃えているように表現されているあたりがいかにも浅野作風だ。
 流れる滝は何を表現しているのだろう。左右は誰なのか。不動明王にこんな付き人いたっけな。
 不動明王はインドで生まれた神様で、大日如来の化身とされている。どんなに俗にまみれた人間も力ずくで救おうとするあまり怒ったような表情として描かれることが多い。日本へは弘法大師空海が密教とともに持ち込んだとされている。

尾張旭弘法-3

 もう一方の脇には黄金のお釈迦様がいる。こちらもさほど大きくはない。
 しかし、この組み合わせはどうなんだ。中央に巨大な弘法大師が立っていて、左右で不動明王と釈迦如来が脇を固めるというのは、バランスとしてちょっとおかしいようにも思うのだけど、これはこれで成立しているのか。浅野祥雲が自分の熱い思いをぶつけた結果こうなったのか、依頼通り忠実に作ったのか、そのあたりの詳しいところまでは分からない。
 作られたのは昭和6年(1931年)で、浅野祥雲40歳の初期の作品だ。なんでも、瀬戸電気鉄道が観光用に作ったのだという。近くを走る鉄道の乗客を増やそうという目的だったようだ。できた当時は大変な話題となり、お祭りの日には身動きが取れないほどの人出だったとか。
 戦後は客足がばたりと止まり、現在は訪れる人もめったにないような珍スポットとなっている。ただ、これをちゃんと守っていこうという地元の人たちの活動もあり、建立80年に向けて今寄付金を集めているところだという。弘法像もだいぶ老朽化が進んで、補修や塗り直しが必要な時期に来ている(昭和30年に一度塗り直しをしているようだ)。

尾張旭弘法-4

 引いてみると、シュールさがいっそう際立つ。
 左側の建物は、拝殿兼集会所のようになっていて、屋根がついているから雨の日でも弘法さんを拝むことができる。

 浅野祥雲は、明治24年(1891年)、岐阜県の農家の三男坊として生まれる。父親が農業のかたわら土人形を作る作家で(足助の土雛として紹介したようなやつだろう)、祥雲も子供の頃から土人形作りには親しんでいたという。
 しかし、土では大きな人形は作れない。自分はもっと大きな人形を作りたいんだ、そうだ、コンクリートならできるかもしれないと思い立ち、33歳のとき名古屋に出てきた。当初は映画館の看板を描いたりして生計を立てていたようだ。
 それから数年の間にどうやってコンクリート人形作家としての地位を築いたのかはよく分からない。尾張旭の弘法さんを作ったのは40歳で、趣味として作ってる人にこれほど大きなものを依頼しないだろうから、その数年前にはすでに名前が売れていたということだろう。
 昭和53年に87歳で亡くなるまで、数々のコンクリ像を作ったとされているが、その全貌は明らかになっていない。現在残されている代表的な作品としては、関ヶ原ウォーランド、五色園、桃太郎神社、中之院軍人墓地などがあり、かつては関東などからも依頼があり、作ったとも言われている。噂では朝鮮半島にも浅野作品はあるらしい。
 制作費が安くて、ときには無償で提供したというから、さすがこの道の第一人者。他の追随を許さない。もしかしたら、あなたの街にも浅野祥雲作のコンクリート人形がいるかもしれない。

尾張旭弘法-5

 弘法さんたちがいる右手には、御岳山(みたけさん)遥拝所と書かれた木が立っている。更に左手にいくと、下に民家があってそちらに続いている。行きすぎないところで視界を確保して、御岳山を拝んでみることにする。

尾張旭弘法-6

 って、ホントに見えるのか!? 御岳山といえば、古くから山岳信仰で知られる霊山だけど、あるのは東京都の青梅市だ。標高も929メートルしかない。真冬の一番空気が澄んだときでも見えるような気がしないのだけど、実際見えるんだろうか。こっちの方角にあるから、気分だけでも拝んだ気になるということか。

<追記>
 コメント欄で教えていただいたように、これはやっぱり木曽の御嶽山(おんたけさん)のことのようですね。確かに御岳山とも書くけど、紛らわしいから、正式に御嶽山と表記して欲しいところ。
 御嶽山なら天気がよければ充分に拝めるはず。

尾張旭弘法-7

 南側は視界が開けていて、尾張旭や瀬戸の街並みが一望できる。高いところにいる弘法さんが見下ろしている風景もこれと同じものじゃないかと思う。きっと尾張旭を見守ってくれているのだろう。

尾張旭弘法-8

 愛宕山大師をあとにして山道を行くと、水野又太郎良春の墓という案内標識が出ている。
 水野又太郎良春といえば、かつてこのあたりを支配していた武将で、尾張旭新居の基礎を作った人物でもある。せっかくだから寄って挨拶していくことにしよう。

尾張旭弘法-9

 お墓へ向かう途中、山の中のすごいロケーションに一軒の家があった。すごい場所に住んではるなぁと感心してしまうような場所だ。意外と家の裏手は開けているのかもしれないけど、それにしても隣近所はなさそうだ。
 緑の草木に囲まれて、夢の中に出てくる幻の家のようでもあった。モミジの木がたくさんあったから、紅葉の季節はまたすごくいい雰囲気になるんじゃないだろうか。そのときまで覚えていたら見に来ようと思った。

尾張旭弘法-10

 これが水野又太郎良春の墓とされる宝篋印塔(ほうきょういんとう)だ。左側に三基並んでいる塔の中央が良春の墓で、左右のどちらかは息子兼春の妻・松木てつのものとされている。
 右手前にあるのは、愛宕神社の祠だ。どれもかなり荒れている。塔は上の部分はなくなってしまっている。
 水野又太郎良春は守山区志段味生まれの室町時代の武将で、奈良の吉野金峯山寺(よしのきんぷせんじ)で修行をして僧兵となり、金峯山寺の僧兵の頭にまでなった人物だ。南北朝時代には南朝について戦ったものの、どうやら南朝に未来はないと気づいて故郷に戻ってきたのち、尾張旭に移り住んだ(1361年)。新たに居を構えたことから新居と呼び習わされ、それがそのまま地名として現在も残っている。
 ここから少し西へ行ったところにある城山は、新居城があった場所で、水野又太郎良春から4代目(または5代目)の水野雅楽頭宗國(みずのうたのかみむねくに)が築城したとされている。新居城は跡地として少し残っているものの、建物などの遺構はない。城といっても戦国時代のような天守を持つものではなく、砦と屋敷を兼ねたようなものだったのだろう。城山にあるお城もどきは城レストランと展望台で、復元でもなんでもない。
 ちなみに、尾張旭の無形文化財として伝わる棒の手の無ニ流は、良春が法名として無二を名乗っていたところから来ている。実際の無二流創始者は、息子の嫁の松木てつだと言われている。息子が大峰山で修行中に病にかかり、それを看病にいったついでに自分も修行をして棒術を会得してしまったというすごい母だった。息子の心道が若くして亡くなり、その遺志を継いで、新居で棒術を広めたものが今に伝えられている。

尾張旭弘法-11

 愛宕山の入り口には安生山退養寺(たいようじ)というお寺がある。愛宕山もこの退養寺の敷地内にあるから、弘法像も退養寺の管轄ということになるのだろうか。コンクリの弘法さんも、厄除弘法大師という正式名を持っている。尾張国三大弘法の一つというのだけど、残りの二つは知らない。
 退養寺は1361年に水野又太郎良春がこの地に移ってきたときに創建した寺で、江戸時代になってからは、尾張初代藩主・徳川義直がこのあたりで狩りをしていたことから、1667年に義直の命で再建されている。
 地元の人は尾張旭の東寺と呼んでいるらしい(西寺は洞光院)。
 臨済宗の禅寺で、定光寺に属しているそうだ。義直の霊廟が定光寺にあるから、そのあたりの関係だろうか。
 本尊は釈迦牟尼仏。

尾張旭弘法-12

 門をくぐって本堂を見ると、なんじゃこれと思う。室町時代に創建された歴史のある寺という面影はどこにもなく、白塗りコンクリート造りの建物は新興宗教の本部みたいだ。
 昔はこんな本堂じゃなかったはずだけど、いつどんなきっかけでこんなことになってしまったのだろう。本堂は何度も焼けているというから、懲りていっそのこと燃えないコンクリート造りにしてしまえということになったに違いない。
 現在の旭小学校は、明治6年に、ここの本堂を仮校舎として開校されている。

尾張旭弘法-13

 境内の全体を見渡してみると、田舎のお金持ちの家の庭みたいだ。立派な本堂といい、この庭といい、けっこうお金はありそうだから、弘法像くらいすぐに直せるんじゃないかと思ってしまう。このお寺とあの弘法像は管理が別なんだろうか。
 今はなき瀬戸電気鉄道が作ったものだとすると、瀬戸電を吸収した名鉄が金にならないことをするとも思えないし、そうなるとやはり近所の人たちで何とかするしかないのか。私の賽銭の10円ではペンキの一塗りにもならない。ペンキ塗りが趣味の私だから、塗らせてくれるなら喜んで塗るのだけど。

 こんなところにも展開されていた浅野祥雲ワールド。こうなったら、犬山の桃太郎神社も行っておかなければなるまい。紅葉のときに寂光院へ行くついでに寄るか。犬山といえば今年いっぱいで廃線になるモンキーパークのモノレールにも乗らないといけないから、いずれにしても一度は行くことになる。
 岐阜歴史巡りのときはもちろん、関ヶ原ウォーランドも立ち寄ろう。かなり毛色が違っている南知多の中之院軍人墓地のコンクリート軍人像も気になるところだ。
 浅野祥雲初心者は、ぜひ日進市の五色園から始めることをオススメします。あそこには浅野ワールドのエッセンスがすべて詰まっている。これでもかと繰り出されるめくるめくコンクリ像体験をあなたもぜひ。尾張旭の巨大弘法像もよろしく。


この記事に対するコメント

いつも楽しく、なるほど!と感心しながら読ませて頂いております。
守山区民として、「あっ!あそこだ!」とか、「へぇ〜〜!」「あの時のあのカメラの人って・・・?」とか思ってしまいます。

さて、御岳山は「おんたけさん(御嶽山)」では?
長野県と岐阜県の県境に聳える山です。3067mの標高があり、尾張旭からも場所が良ければ十分に遠望可能かと思います。

これからも、いろいろな分野の事柄に対するとても詳しい解説を期待しています。毎日の更新がとても楽しみです。

【2008/07/16 22:01】 URL | mouming #mQop/nM. [ 編集]

やっぱり御嶽山のことですね
★moumingさん

 はじめまして、こんにちは。
 ようこそ、いらっしゃいませ。

 moumingさんも守山区民ですか。
 それじゃあ、どこかで目撃されてるかもしれませんね。(^^;
 けっこう近所をうろついてるから。

 御岳山はやっぱり御嶽山(おんたけさん)のことですね、きっと。
 両方の字があるけど、あえて御岳山と書いてあったから、東京の御岳山のことかと思ってしまいました。
 考えたら、方角的にいっても北東だったから、御嶽山のことです。それなら当然見えますもんね。

 最近、神社仏閣ネタが多くなってるけど、なるべくいろいろ書きたいと思ってます。
 勉強と思うと面白くないけど、知らないことを知ることは楽しいことだから、私も楽しみながら書いてます。
 またいつでも遊びにきてください。

【2008/07/17 04:04】 URL | オオタ #dcJU4M0Q [ 編集]


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