紫式部も清少納言も訪れた長谷寺はカッコイイ寺だと思う 〜長谷寺3回

長谷寺1-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 一般的に長谷寺(はせでら)といえば、鎌倉の方を思い浮かべる人が多いかもしれない。関西で長谷寺といえば、奈良桜井にある長谷寺のことだと思うだろう。関東なら長谷寺といえばアジサイだし、関西では長谷寺と聞けばボタンを連想するんじゃないだろうか。
 どちらが本家かといえば、それはもう文句なしに奈良の長谷寺の方だ。こちらが真言宗豊山派(ぶざんは)の総本山になっている。ただし、二つの寺の関わりは深く、開基は両方とも徳道上人ということになっている。そこにはこんな伝説がある。
 721年(727年とも)に徳道はクスノキの大木から二体の十一面観音を彫り上げ、一体を奈良長谷寺(他と区別するために大和国長谷寺とされることもある)の本尊とし、もう一体を海に流したのだという。それから15年後、その仏像が三浦半島に流れ着いたので、徳道を呼んで鎌倉に建てた寺が鎌倉の長谷寺なのだとか。
 けどちょっと待て、二体の十一面観音像は、高さ10メートル以上もある日本一大きな木造の仏像だ。そんなものが15年間も海をぷかぷか漂ってるわけがない。とっくに漁師か誰かが見つけてる。一体、誰がこんな伝説を考えたんだ。
 実際のところ、奈良の長谷寺も鎌倉の長谷寺も、いつ誰がどういう経緯で建てたのかよく分かっていないというのが本当のところらしい。どちらも奈良時代ではないかと言われている。
 奈良の場合は、686年に道明が天武天皇の病気平癒を祈願して西の岡に三重の塔を建立して銅板法華説相図を安置し、727年に徳道が聖武天皇の勅願によって東の岡に十一面観世音菩薩を祀ったことで寺の体裁が整ったというのが寺伝となっている。
 鎌倉の方は、736年に藤原房前(父は藤原不比等、おじいさんは藤原鎌足)が徳道を招いて建てたということになっているようだ。そのこともあって、当時は新長谷寺と呼ばれていたという。

 長谷寺の長谷は、地名の初瀬(はせ)から来ているのだろうか。古くは泊瀬(はつせ)と表記されたともいう。
 この地は飛鳥時代より以前のヤマト王権の中心地に近いところで、雄略天皇が初瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)を置いた都でもあった。ただ、都の跡地は見つかっておらず、はっきりここだと分かっているわけではないようだ。
 平安時代中期、貴族の間で観音信仰というのが爆発的なブームとなる。長谷寺への参拝も流行し、それは長谷詣でと言われた。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の歌で有名な藤原道長をはじめ、そうそうたる顔ぶれがこの寺に参拝に訪れている。『更級日記』の菅原孝標女や『蜻蛉日記』の藤原道綱母、『源氏物語』の紫式部や『枕草子』の清少納言など、女性も多く訪れた。
 京の都から長谷寺までは70キロ近い。歩いて片道3日か4日かかったという。一日20キロ歩く計算だ。道のりは平坦ではなく、山も越えないといけない。宮廷暮らしの貴族たちがそこまでして参拝したいと思ったのは、それはもう流行としか言いようがないんじゃないか。みんなが行くから自分も行かないと話に乗り遅れるという一心で苦労して行ったのだろう。純粋な信仰心とは違う気がする。
『蜻蛉日記』や『枕草子』にはそのときの様子が書かれている。みんな死にそうな思いをしていたようだ。それを思えば私の歩きなどたいしたことはない。

 長谷寺もいろいろと紆余曲折を経ている。一時は東大寺(華厳宗)の末寺となったり、興福寺(法相宗)の末寺となったり、新義真言宗に宗旨替えしたりした。戦国時代になって、秀吉によって根来山を追われた新義真言宗門徒がたくさん入山し、僧正専誉によって真言宗豊山派が確立された。
 今では全国に末寺三千、信徒数は三百万人といわれる大宗派となっている。大本山は東京の護国寺で、大正大学なども持っている。
 今回も充分すぎるほど前置きが長くなったところで、ぼちぼち境内に入っていくことにしよう。

長谷寺1-2

 長谷寺の入り口まで辿り着いてやれやれと安心するのはまだ早い。ここからはひたすら登りの階段が続くことになる。本堂は初瀬山の中腹に位置していて、見晴らしがいいことでも有名だ。ということは、そこまで登っていかなくてはいけないことを意味している。紫式部や清少納言がふうふう言いながら歩いて登っていった姿を想像すると、ちょっとおかしい。どんな旅装束や化粧だったのだろう。ここまでやって来た頃には、もうヨレヨレになっていたんじゃないか。それとも宮廷の人間としてどんなときもシャンとしていたんだろうか。
 奥に見えているのが仁王門で、その手前に料金所がある。入山料は500円。
 寺社で参拝者から拝観料を取るようになったのは、日本の歴史上いつからなんだろう。奈良時代あたりからこういうシステムだったのか、それとも江戸時代か、もっとあとなのか。
 長谷寺ではそんなに悪い印象は持たなかったけど、人気のある寺社ほど拝観料を徴収するのは当たり前という態度のところが多い。ありがとうございますという感謝の気持ちも見られなかったりする。頭の一つくらい下げてもバチは当たるまい。

長谷寺1-3

 なかなか立派な仁王門(楼門)だ。迫力がある。
 一番始めは平安時代に建てられたそうで、それから何度も焼けてはそのたびに再建するというのを繰り返し、現在のものは明治18年(1885年)に再建されたものだという。
 それでも、重要文化財に指定されている。

長谷寺1-4

 両脇には仁王像が構えている。仁王門が燃えたということは昔の仁王像も一緒に燃えたのだろう。これはいつの時代のものだろうか。
 楼上には十六羅漢像が安置されているそうだ。
 わらじを奉納する習慣があるのか、たくさんかかっていた。そういえば、昔の人はこんな草履を履いて歩いてきたのだ。その大変さも加味しないといけない。タイムマシンに乗って平安時代へ行くときは、ウォーキングシューズをおみやげに持っていってあげよう。信長ならドクター中松のジャンピングシューズも気に入ってくれるかもしれない。嬉しそうに跳ねている信長を見てみた。

長谷寺1-6

 このあたりの彫り物も細かい。
 ほうほうと感心しつつ、先を急ぐ。長谷寺は思っていた以上に手強そうだ。登りが続くし、境内も広い。見学時間は30分しかなかった。

長谷寺1-5

 これが長谷寺名物「登廊(のぼりろう)」だ。屋根付き階段が399段。長さ108間は、煩悩の数になぞらえている。
 二回折れ曲がっていて、それぞれ下登廊、中登廊、上中登廊と呼ばれている。これも重要文化財に指定されている。
 最初のものは、1039年、春日大社社司の中臣信清が子供の病気が治ったことを感謝して寄進したものだそうだ。
 下登廊と中登廊は古くなったので、1889年(明治22年)に再建されている。
 上から吊り下げられているのは、長谷型燈籠と呼ばれるもので、これも独特の姿をしていて印象に残る。
 長谷寺のもう一つの名物であるボタン(牡丹)はこの登廊の両脇に植えられている。唐の皇妃の馬頭夫人(めずぶにん)が、遠く長谷寺に向かって馬顔が治りますようにとお願いしたところ、一夜にして美人になったというので、そのお礼としてボタンを送ってきたのがボタン園の始まりという伝説があるらしい。そんな無茶な。馬頭夫人の献木という話は本当にしても、一晩寝て馬面が治ったら苦労はしない。元巨人の駒田に実験してもらおう。そういえば、駒田は奈良の桜井商業卒業だから、この近所ではないか。奈良っ子は遠足とかで長谷寺や室生寺へ連れて行かれるというから、駒田もここに来ている可能性が高い。この故事を知らなかったのか。
 4月の下旬から5月の上旬にかけて、150種類7,000株のボタンが咲き誇り、大挙して人が押し寄せるそうだ。同じ時期に室生寺のシャクナゲも咲くから、セットで回る人も多いのだろう。
 桜もきれいなようで、写真で見ると初瀬山の桜風景は、ミニ吉野山という風情だ。

長谷寺1-7

 うちの田舎の丹生大師にも、こういう屋根付きの階段がある。もちろん規模は全然違って小さいものだ。
 屋根付き階段は全国的に見て数が少ない。どういう意図で建てられたもので、何故一般的なスタイルとして定着しなかったのか、そのあたりの事情はよく知らない。かなりいいものだから、他のところももっと真似してよさそうなのに。

長谷寺1-8

 登廊の途中やその他のところにもちょくちょくいろいろな建物があって、説明板が立っていたりもした。いちいちは寄っていられないので、写真だけ撮っておく。パンフレットを見ても、ひとつひとつに名前が出ているわけではない。普段は門を閉めているところもあるようだ。

長谷寺1-9

 これは確か、開山堂だったと思う。徳道上人関係の建物だろう。

長谷寺1-10

 気がついたら登廊を外れて、左手から登ってしまったようだ。ちょっと失敗。結局、帰りも上と中の登廊を回ったから、これがタイムロスにつながった。
 下登廊を右に折れて中、上と進み、本堂と右手の建物を見て、帰りは本堂の左から五重塔方面を回って戻るというのが一般的なコース取りだろう。それが無駄がない。
 ここまで来れば本堂はもう目の前だ。汗だくでフラフラにはなっていたのが元気になった。

長谷寺1-11

 本堂の中にある本尊十一面観音は撮影禁止になっているから、横から本堂の中を撮る。
 とにかく本堂はカッコイイ、十一面観音はすごいで、圧倒された。こりゃまいりましたと言うしかない説得力がある。写真ではお伝えできないのが残念だ。私はやられてしまった。
 写真といえば、長谷寺に関する予習が不充分で、どこからどう撮るのがいいのかが分かっていなかった。定番スポットとして、本堂前の舞台から五重塔や周囲を見渡す風景というのがあったのに、それにまったく気づかなかった。本堂が清水寺のような舞台造りになっていることさえ知っていれば、そのあたりの写真も撮ったのに、失敗した。
 できることなら、桜の季節にもう一度撮りに行きたいところだ。実現するだろうか。

長谷寺1-12

 こちらが本堂右手の上登廊。
 額に描かれているのは鳩の絵だろうか。長谷寺と鳩は関係あったかどうか。

 長谷寺本編の第一回はここまでとしよう。次回の後編は本堂の全景から再開して、五重塔などの紹介をしたい。
 なんだかんだで長谷寺シリーズも残り一回となった。続く室生寺も前後編の二回でおさまりそうだし、赤目行きの終わりが見えてきた。
 そろそろ次の遠出の時期が近づいてきたようだ。当日の時間割は完成しつつある。またかなり無茶な計画となっていて、自分でも恐ろしいような楽しみのようなだ。
 
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