柏原第三弾は執着しすぎたお寺コレクション 〜滋賀岐阜歴史編7

柏原3-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 柏原編も今日で3回目となり、西の外れまでやって来た。そのまま真っ直ぐ行って山の方に入っていくと、北畠具行の墓がある。後醍醐天皇に仕え、鎌倉幕府倒幕に参加したのが発覚してこの地で斬首された人物だ。ちょっと山奥そうだったので省略。
 少し手前を右手に入っていった先に、婆娑羅大名として知られる京極道誉(佐々木道誉)などを出した京極氏の菩提寺である清滝寺徳源院があった。駅の方に戻ってきて案内マップを見たら載っていて、しまったことをしたと後悔したときにはもう遅かった。多少距離はありそうだけど、知ってたら行っていた。立派な三重の塔も見逃してしまった。
 上の写真は、柏原一里塚を復元したものだ。石碑の向こう側に少し見えている盛り土がそうだ。
 一里塚は、名前の通り一里ごとに置かれた塚で、家康の命を受けた二代将軍秀忠が東海道、中山道、北陸道に作らせたのだった。現場監督は、のちに徳川の金銀財宝を好き放題にしたことをとがめられて処刑された大久保長安。その前は武田家の金庫番をしていた。
 一里塚は旅行者にとっての目安であり、カゴや馬乗りの料金メーターの役割も果たしていた。盛り土をして、そこに木を植えて遠くから見えるようにするのが一般的なスタイルだった。榎(えのき)が多かったのは、成長が早く倒れにくいからだとか。
 柏原の一里塚は、江戸日本橋から数えて115番目で、東の外れに街道を挟んで南北に一つずつあったらしい。今は両方なくなって、少し離れた田んぼの中に復元されている。

柏原3-2

 街道から一歩南にはいると、急に田園風景が広がる。その向こうに見えているのが現在の幹線道路である国道21号線だ。この道は交通量が多い。
 普通、柏原に中山道を見に来てこんな道は歩かないと思うけど、私は外れにある津島神社に向かったのだった。こういう無駄とも言える大回りが積もり積もって大きなダメージとなっていくのがいつものパターンだ。小回りしていけば余力も残るものを、貧乏性が自らを苦しめることになる。

柏原3-3

 名前がそのものずばりだから、やはり愛知県津島市の津島神社を勧請したものなのだろう。津島神社は東海地方を中心に3,000社もあるというから、滋賀の外れに一つくらいあっても驚くことではない。
 ここも詳しいことは調べがつかなかったけど、おそらく素盞嗚尊(スサノオノミコト)を祀っているのだろうと思う。
 スサノオというのも、ヤマトタケル同様、各地のいろんな伝説が融合して生み出された架空の人物という色合いが濃い。
 イザナギとイザナミの子とされ、アマテラスオオミカミ(天照大神)とツクヨミ(月夜見)とは兄弟ということになっている。
 アマテラスは高天原を、ツクヨミには夜を、スサノオには海原を治めるようにイザナギに命じられたのに、スサノオだけはごねて母のイザナミのいる根の国に行くと言い出した。怒った父親は近江の多賀に引っ込んでしまい、スサノオは姉のいる高天原に行って暴れ、今度はアマテラスが天の岩屋に隠れてしまった。スサノオは高天原から追い出され、葦原中国へ向かうことになる。
 出雲に入ったとき、その地を荒らし回っている八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の話を聞いて、それならオレに任せとけとばかりに退治にしにいって、見事打ち破ってしまう。このときヤマタノオロチの尾っぽから出てきたとされるのが天叢雲剣で、それはのちにヤマトタケルが使って草薙の剣になる剣だ。これをアマテラスに献上して許しを請うスサノオなのだった。
 その後、スサノオも落ち着いて、ヤマタノオロチに食べられるはずだったクシナダヒメを妻にもらい、出雲の地で静かに暮らしたとされる。大国主命(オオクニヌシノミコト)は、この二人の子供だともいわれている。

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 このあたり一帯は人もあまり訪れないような静かなところで、神社の境内は更に静かな雰囲気だった。
 上の写真は、拝殿の奥の本殿で、昨日紹介した日枝神社とよく似ている。本家の津島神社は朱塗りが特徴的な派手な神社なのだけど、ここのものはシックだ。

柏原3-5

 せっかくだからというので、地図上にあるお寺もできるだけ回っていくことにした。入れるところは入って、手だけ合わせてきた。このあと向かうことになっていた関ヶ原の霊たちに負けない神様パワーを味方につけておく必要があったのだ。
 上の写真は、勝専寺(しょうせんじ)というお寺だ。真宗大谷派という以外は、くわしいことは調べがつかなかった。このあとに続く寺もほとんど分からなかった。

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 浄土真宗本願寺派の教誓寺。

柏原3-7

 これはもちろん、お寺ではない。こういう古い家屋を見るとつい撮りたくなる。廃墟ファンというほどではないにしても、目に見える形で歳月の厳しさや残酷さを知ることができる被写体というのは、なかなか魅力的なものだ。心惹かれるものがある。

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 宝林寺。ここはちょっと民家っぽくて入りづらかったので、外からにしておいた。

柏原3-9

 これが長命寺だったか。このあたりは奥まったところで、観光客が迷い込むようなところもないから、あまりうろちょろできない気がして腰が引けていた。
 長命寺だとすると、824年に行基が創建した曹洞宗の古刹だ。もともとは天台宗だったらしい。

柏原3-10

 安立寺(あんりゅうじ)も、もとは真言宗の寺で、現在は改宗して浄土真宗本願寺派になっている。
 1820年の再建ということで、門や堂なども古くて雰囲気のあるものだった。特に三門がいい。

柏原3-11

 明源寺(みょうげんじ)は、真宗仏光寺派で、最初は山ケ鼻にある天台宗のお寺だったらしい。それでも、ここに移ったのは1501年というから、もう相当な古顔だ。
 門は古いものの、本堂を建て直したばかりで、これがピカピカで大変立派だった。
 ここの正面あたりに勝栄寺というのがあったはずなのに、写真がない。見逃したのか、撮り逃したのか。

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 久昌寺(きゅうしょうじ)というのを探してうろつく。見えている屋根がそうだったのか、違ったのか。
 あとから考えると、こんなに寺に執着する必要はなかった。寺コレクションなんてしてる時間と体力があったら、京極の徳源院を見ておきたかった。
 少し離れたところにある西来寺と龍王寺も逃してしまった。西来寺だけは見ておくべきだったかもしれない。

柏原3-13

 最後は柏原太子堂へとやって来た。これで駅南ゾーンの寺巡りは終わりだ。最後に駅北の成菩提院へ向かうことにした。これは柏原の中では重要な寺なので、ぜひ行っておきたかった。疲れ切った足にムチを打って向かった。そのときの話はまた次回ということにしよう。
 次は柏原編最終回ということで、成菩提院を中心に紹介したいと思っている。
 
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