現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
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成田山へ行くべきか神田明神へ行くべきかそれが問題だ 2006年8月19日(日)
2006年08月20日 (日) | 編集 |
犬山成田山

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/400s(絞り優先)



 ふと気づくと、「成田山ステッカー」を貼った車をほとんど見かけなくなっていた。全国的なものなのかどうなのかよく分からないのだけど、10年か15年くらい前までは、名古屋を走る多くの車に成田山のステッカーが貼られていたのに。カローラとかサニーとかに。さすがにあんまりカッチョよくないと気づいたのだろう。成田山ステッカーの売上げはがた落ちなんじゃないだろうか。それともみんな持っているけど貼れないだけなんだろうか。
 そんな一時は一世を風靡した成田山は今どうなっているのだろうと、この前初めて訪れてみた。といっても千葉にある総本山ではなく、犬山の成田山だ。愛知県民にとっての成田山はここと相場が決まっている。メイダイと言えば明治大学ではなく名古屋大学のことであるように。
 第一印象は、とても立派だけどなんか違う、といったものだった。イメージしていたものよりも新しすぎるというか、古めかしさがまったくない。歴史的建造物というより宗教施設といった趣で、個人的にはちょっと残念な感じだった。私は古めかしければ古めかしいほどぐぐっと惹きつけられる人間なので。
 正式名称は大本山成田山名古屋別院大聖寺。創建は昭和28年と知ってカクッときた。どうりで新しいわけだ。神社仏閣は数十年くらいでは風格はまったく出ない。500年くらいは経たないと。
 ご本尊は当然ながら本家と同じ不動明王。御利益は、やはり交通安全が主なもので、その他、家内安全、商売繁盛など、懐は深い。なんでもありとも言える。ペットの健康祈願なんてのもある。
 犬山城のとなりの小高い山の上に建っていて、見晴らしはいい。夜景のちょっとした名所にもなっていて、花火大会もここからよく見えるらしい。初日の出も拝めるということで、初詣客でもたいへん賑わう。大晦日の夜は先着順で除夜の鐘を鳴らせるとか。

 本家である成田山明王院神護新勝寺は940年開山というから、さすがに歴史が違う。宗派としては新義真言宗智山派になるらしい。
 成田山新勝寺(しんしょうじ)と平将門がすぐに結びつく人は歴史好きか成田山の近隣住人だろう。私は成田山について勉強するまでまったく知らなかった。話はこうだ。
 時は平安時代中期、関東で勢力を伸ばしていた平将門は、自分の意志とは関係ないところでいくつかの争いに巻き込まれて、気がつけば朝廷に目を付けられる存在となっていた。それでも強気の平将門は、朝廷からの討伐対象となってしまう。いくつかの戦いに勝ち、また負け、とうとう取り囲まれる格好になった939年、朱雀天皇の命を受けた僧の寛朝は、京都の高雄山神護寺にあった空海が彫った不動明王を抱えて東に向かった。そこでの不動護摩の儀式が効いたのか、翌940年、平将門はついに破れ、平将門の乱は平定されたのだった。
 役目を終えた寛朝は、不動明王を再び抱え京に戻ろうと……ん? 動かない? うりゃー! ううう、動かんっ! 不動明王はどうしたことかぴくりとも動かなくなってしまった。そのときどこからか声がする。ここにとどまってこの地を守ることにした、と。そういうことならと、そこにお堂を建てて新勝寺としたのが成田山というわけだ。ただ、現在の場所になったのはもっとあとの1560年代という話もある。
 といういきさつで建てられた成田山なので、平将門ファンの人はうかつにお参りにいくのはまずいかもしれない。平将門とその家来の子孫の人たちは千年以上経った今でも成田山へは決して近づかないという。

 成田山は現在、8つの別院、12の分院、その他末寺や末教会を各地にたくさん持つ大勢力となっている。本家新勝寺には年間1,300万人も訪れるというから、これは日本人の10人に1人が行っていることになる。みんなで行けば平将門の怨霊も怖くないということか。
 成田山が人気を集めるようになったのは、不動明王をたびたび公開するようになった江戸時代からのようだ。ちょうど場所的にも江戸から3泊4日くらいの距離にあったということで、成田山詣では庶民の憧れとなったんだとか。
 更に名を高めたのは歌舞伎役者の初代市川團十郎だった。子宝に恵まれなかった團十郎が成田山に詣でて子供が生まれたことで成田屋を名乗るようになり、更に不動明王が登場する芝居をしたことで成田不動はますます庶民の信仰対象となったのだった。

 ところで不動明王とはどんな神様なのだろうか。それも知らなかったので少し勉強してみた。
 元々はインドのヒンドゥー教シヴァ神のことなんだそうだ。それが中国に渡って、空海が日本に紹介したことで広まり、真言密教の中では、大日如来の化身(または使者)とされている。
 左手にはどんな人間も仏の道に引き込むための索(なわ)を持ち、右手にはあやまった行いをやめない人間の煩悩を断ち切るための利剣を握り、顔はとても怒っている。この怒りの形相は人間そのものに向けられたものではなく、迷いを捨てきれない人間に対して叱り飛ばしてでも信仰の道に導こうという父親のような怒りであるという。背中には火まで背負い、まさに星一徹状態。奴僕(ぬぼく)の姿をしているのは、災難があればどこへでも駆けつけていくためだ。不動なのにと思うかもしれないけど、動かないのは自分ではなく確かな信念が動かないという意味だそうだ。怒りん坊の宮沢賢治みたいだな。
 お不動さんなどと呼ばれ、庶民からも親しまれているのは、このあたりの親身で熱いところからなのかもしれない。
 日本三大不動尊は、三井寺の黄不動、青蓮院の青不動、高野山の赤不動の三つだと言われている。

 何も知らないままふらりと出向いた成田山だったけど、帰ってきてから勉強してみたらまた違う思いも生まれた。単なる交通安全のステッカーを売ってるだけの神社仏閣ではなかった。
 さて、空海作の不動明王を詣でるべきか、それとも平将門を恐れるべきか、それが問題だ。まずは平将門を祀ってある神田明神にお参りに行くのが先だろうか。そのときの感じでどっちか決めよう。でも、平将門の首塚はちょっと近づけない。


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