現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
名古屋城の鬼門龍泉寺に浮き沈みの歴史あり 2006年11月18日(土)
2006年11月19日 (日) | 編集 |
龍泉寺正面

OLYMPUS E-1+ZD 14-45mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/60s(絞り優先)



 名古屋市の東北のはずれ守山区に龍泉寺という寺がある。正式名称は、松洞山(しょうとうざん)大行院龍泉寺。ここにはいくつかの異なった年代の歴史が重なり埋もれているので、説明すると少しややこしい。現在は、甚目寺、荒子、笠寺とともに尾張四観音のひとつとされ、節分祭りの賑わいが特に有名となっている。尾張四観音というのは、名古屋城を築城した際、家康がそれぞれの方角を守る守護神として定めたもので、龍泉寺は東北の鬼門に当たる。
 時代を遙かにさかのぼると、守山や春日井のこのあたりは古墳がたくさん残っていることから、早くから人が住んでいた場所だと分かる。壬申の乱のときには、この地を支配していた尾張氏も関わったりしている。
 龍泉寺は奈良時代の780年頃、最澄が熱田神宮にお参りしたとき、龍神のお告げを受けて龍がすむ多々羅池のほとりでお経を唱えると、龍が天に昇り、そこに馬頭観音が現れたので、これを本尊としてこの地に祀ったのがはじまりとされている。また、弘法大師も熱田神宮を訪れたとき受け取った八剣のうちの三剣を龍泉寺に納めたという伝説もある。そのために、昔から熱田の奥の院とも呼ばれてきた。
 平安時代になると、このあたり一体は天台宗が栄えるようになり、龍泉寺は春日井の密蔵院の末寺ということになる。密蔵院全盛期はものすごい広さと信者を誇っていたそうだけど、今はすたれ、本寺はぐぐっと規模が縮小されマイナーとなり、末寺も龍泉寺と石山寺しか残っていない。
 戦国時代は織田家の領地となる。最初ここに砦が作られ、1566年、信長の弟の信行(信勝とも名乗る)によって龍泉寺城が築城された(はっきりとした場所は分かってない)。城跡に寺が作られるというのが多い中、寺のあるところに城が築かれるというのはちょっと珍しい。しかし、信行が信長との後継者争いに敗れて清洲城で暗殺されると、龍泉寺城はすぐに廃城となってしまう。
 まだまだ龍泉寺の紆余曲折は終わらない。1584年の小牧長久手の戦いのとき、岡崎城急襲作戦に失敗した豊臣秀吉軍は、犬山城からこの龍泉寺城跡へと移ってくる。2キロ先の小幡城にいる徳川家康との戦いに備えるためだ。けど家康が夜の内に小牧山城へと退いてしまったため、秀吉軍はここを引き払い楽田城に再び移動した。その際に秀吉軍の池田勝入隊によって火をつけられ消失の憂き目に遭う。400年後の未来の人たちのことまで考えろと言うのも無理な話だろうけど、せっかく建てた城を燃やすことないだろうに。
 燃やされたら建て直す、これもまた人の道。1598年に天台宗の秀純大和尚が堂塔を再興。がしかし、明治39年にはまたもや放火され、今度は本堂などことごとくが燃え落ち、仁王門と多宝塔、鐘楼だけがなんとか残る。それでもめげなかったのは偉かった。悪いことの後にはいいことがある。焼け跡からなんと小判がざっくざく、という嘘のようなホントの話。慶長小判100枚が出てきて、それを元手に信者の寄付を集めて本堂などが再建され、現在に至っている。
 このように龍泉寺というのは、歴史の波にもまれて浮き沈みの激しいところなのだ。この土地には良くも悪くも強いパワーがあるのかもしれない。

 仁王門には重要文化財の仁王像があり、入って左には朱色の多宝塔が建っている。仁王門は、1602年頃に再建されたもののようだ。多宝塔にかつてあった大日如来像は小牧長久手の合戦のときに燃えてしまったので、現在は釈迦如来像が置かれている。普段は非公開で、ときどき一般公開もある。
 その他、地蔵菩薩立像や円空一刀彫などを所蔵しているそうだ。
 右奥には、模擬天主と展望台、日本庭園などがある。天主は昭和39年(1964年)に建てられたもので、今は宝物館となっている。入場料は100円と安いのだけど、日曜祝日しか開いていないという狭き門。時間も9時から3時半までと、やる気があまり感じられない。そのわりには、小学生以下からも30円を取る。普段めったに人が訪れないから、人件費を考えると開けてられないというのは分かるけど、もう少しなんとかならないだろうか。おかげで私はまだ一度も入ったことがない。
 入口の手書き板にはこう書かれている。
「百万ドルの絶景」
 お寺と百万ドルっていう取り合わせがチャーミングだ。心惹かれる。しかし、午後3時半ではどう考えても夜景にはならず、昼間の風景で百万ドルに値する絶景が世界でどれくらいあるだろうかと考えると、夢は夢のままそっとしておいた方がいいのかもしれないなと思う私であった。

龍泉寺本堂

 ここの本堂は好きだ。大きな朱色の大提灯や、すべて木で作られた感じがいい。舞台裏を見ると安っぽく感じてしまうようなところも中にはある。
 ところで、お寺と神社での参拝作法の違いってみんな知ってるんだろうか。私はつい最近まであやふやなままオレ流で拝んでいた。あんまりきちんとしすぎているのも照れくさいような気がして。けど、一応正式な作法を知っておくだけ知っておいても損はないだろうということで調べてみた。いろいろ宗派や神社仏閣によって独自のものがあるから絶対というわけではないものの、基本はある。
 神社の場合は、二礼二拍手一礼だ。鈴があれば鳴らして、賽銭を入れて、2回お辞儀をして、2回拍手を打って、お願い事をして、最後に1回お辞儀をする。このとき気をつけたいのが、賽銭は投げるものではなくそっと手から放すものだということだ。神様に向かって銭を投げつけてはいけない。銭形平次じゃないんだから。あと、拝むときにてを合わせたままはよくないという話もある。柏手は、両手を合わせた状態から右手を下げてずらし、打ってからまた手の位置を戻す。
 お寺の場合は、柏手は打たない。賽銭を入れて、手を合わせてお願い事をする。そのときは、住所、氏名、年齢、職業、希望の商品名を明記の上ご覧の宛先までお送りください。発送をもって発表にかえさせていただきます、という感じになる。半分冗談で半分ホント。お願いの前に住所と名前を言うのは、そうしないとどこの誰やら向こうも分からないからという理由らしい。
 龍泉寺の場合は、神社形式のようで、柏手を打ってくださいという説明書きがあった。天台宗だからなのか、弘法大師と関係があるのか、ここの流儀なのか、そのへんはよく分からない。

龍泉寺裏からの夜景
PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4)

 展望台からの百万ドルの絶景が見られなかったので、仁王門から左に行った墓地から夜景を眺めることにした。車で坂道を降りていく途中でこの光景が広がっている。ただし、どんどん先へ行っても行き止まりになるので、途中広いところでUターンしないといけない。
 すぐ手前はたくさんの墓石なので、のんきにデートしたり夜景写真を撮ったりするにはあまり向かないけど、少し眺めるくらいならいい場所だ。遠くに名古屋駅のタワー群を中心とした街灯りを見ることができる。
 竜泉寺街道を少し北へ行ったところにスーパー銭湯「竜泉寺の湯」がある。ここの露天風呂からきれいな夜景が見られるそうだから、それもコースに組み込むといいかもしれない。ただし、混浴で彼女と一緒に夜景というわにはいかないし、女風呂ものぞくことはできない(たぶん)。

 人に歴史あり。神社仏閣お城にはもっと歴史あり。普段何も思わず走ってる道も、無数の人々の足跡が踏み固めたものだ。数百年、数千年の歳月に思いを馳せて歩いてみれば、遠くから馬が駆ける蹄の音が聞こえてくるかもしれない。あるいは、人々の叫びや笑い声なども。
 自分が住む街の神社やお寺も、調べてみると様々な歴史があったことを知る。お願い事をする場所としてだけでなく、日常的にふらっと訪れてみると何かいいことがあるかもしれない。身を祓い清めるという意味でも。
 私は尾張四観音も全部回って、恋の三社めぐり(城山八幡宮、高牟神社、晴明神社)も巡り、その他様々なところを訪れているから、それはもう穢れもすっかり落ちて清らかな人となっている。
 ……。
 誰ですか、今ヤジを飛ばしたのは?
 まだまだ巡り足りないということか。こうなったら、巡って巡って巡るしかない。ついでに飛んで飛んで飛んで回って回って回っておこう。神社の境内で昇竜拳をしてる男がいたら、それは私か猫ひろしかどちらかです。


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://okuromieai.blog24.fc2.com/tb.php/434-2e21f058
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

オオタ(マサユキ)

Author:オオタ(マサユキ)
ブログランキング・バナー(FC2)
ブログランキングに参加してます
Dry&Wet(ホーム)



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する