 OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.8, 1/500s(絞り優先)
しだれ梅や動物たちで有名な名古屋市農業センターは、野草の宝庫でもある。特に初春、街中ではまだ見かけない野草たちが、ここへ行くともうとっくに咲いてましたよダンナ、という感じでみんな顔を揃えている。天白区だから気候の問題ではなくて、畑の土壌の問題なのだろう。飼育している家畜たちの有機肥料を使っているからかもしれない。誰かがわざわざ種を持ち込んだはずもないから、どこからか飛んできたか紛れ込んだのか、昔ながらの日本の野草が勝手にたくさん咲いている。古き良き日本の空き地風情のように。腰をかがめて低く歩けば、地面はもう春世界が広がっている。 春のメジャー野草トップバッターは、やはりなんといってもオオイヌノフグリだろう。年が明けて最初にこれを見つけたとき、ああ、これで春が来たとはっきり思う。春一番なんかよりもずっと身近で確実に春を感じられる花だ。昔の人はカレンダーなんか必要なかった。暮らしの中にある自然の花や鳥や生き物を見ていれば季節の細かい移り変わりまで分かったに違いない。 犬のタマ呼ばわりされてもオオイヌノフグリは毎年健気に可憐に咲いている。淡いコバルトブルーが目に優しい。今年は名前の元になった犬のタマに似てるという実も見てみよう。毎年、春が終わる事になるとこの花のことなどすっかり忘れてしまってて、それはいけないと思った。 蔑称のような生き物の名前を変えようという動きが出ている中、このオオイヌノフグリはどうなんだろう。天人唐草という別名もあるにはあるものの、いっこうに浸透する様子はない。たぶん、この先もないだろう。一度付いてしまったあだ名がその後ずっとつきまとうのと同じだ。
 こちらはタチイヌノフグリ。名前や姿からも分かるように立ち上がって咲いている。立ち上がった犬のタマのようだからではない。だいたいオオイヌノフグリの名前の付け方しかして間違っている。そもそも実が犬のタマに似ているイヌノフグリという日本古来の植物があって、明治にヨーロッパから入ってきたイヌノフグリに似た大きなやつをオオイヌノフグリと名づけた発想が安易だった。それに似ていて上に伸びてるからタチイヌノフグリというのもいただけない。クイズで間違った解答をした横の人につられて間違えたおバカ解答みたいだ。 タチイヌノフグリの花はとにかく小さいので見落としがち。しっかり花を開くのが天気のいい日の昼前後数時間しかないせいもある。それ以外は半開きでせっかくのきれいなブルーも目立たない。青はオオイヌノフグリよりも濃い。 両方とも明治時代にヨーロッパから入ってきた帰化植物で、今ではすっかり日本の春風景に馴染んでいる。けど、江戸時代より前の日本人はこれを見ていない。だから古い歌にも詠まれていない。たとえば平安の人がこの花を見たらどう詠うだろう。
 これもおなじみのホトケノザ。ピンクの花がびよ〜んと伸びてるのがホトケノザで、顔を半分ひっこめてるのがヒメオドリコソウ。個人的にはヒメオドリコソウの方が姿も名前も好きだ。仏の座なんて名前はこの花には似合わない。ピンクも仏のイメージじゃないし、葉っぱの形が仏が坐る台座(蓮華座)に似てるからといってもそこから名前を取らなくてもと思う。たぶん、現代の私たちは野草に注目するのは花の咲く時期だけなのに対して、昔の人はその草が食えるのかどうか、薬になるのかどうかという視点で見ていたから葉っぱや姿から名づけられたものが多いのだろう。花の連想からついた名前では花の時期に見分けがつかない。 ホトケノザは美味しくないし薬にもならない。春の七草の入っているホトケノザはコオニタビラコのことだと言われている。葉っぱの形はシソに似ていて、実際シソの仲間なのに、見た目以外は役に立たないのがこの花だ。
 手前に写っているのがナズナで、奥がハコベ。ナズナはぺんぺん草の方が通りがいいだろう。タネの入っている実の形が三味線のバチ(撥)に似ていて、三味線を弾く音はペンペンだからということで名づけられた。 正式名のナズナ(薺)は、撫でたいほどかわいいから撫菜(なでな)でそれが変化したという説と、夏に枯れて無くなるから夏無(なつな)でこれが転じたものという説がある。 ぺんぺん草も生えないという表現は最近まったく聞かれなくなった。どんな荒れ地にも生えるナズナでさえ咲かない土地という意味で、荒れ果てた様子を表現するのに使っていた。平成生まれは知識としては知ってるのだろうか。今の子供は学校帰りにぺんぺん草を揺らしてシャラシャラいう音を聞いたりしないのだろうな。今思うと昔の子供は草花をちぎったり虫を捕まえたりして無邪気に残酷だったけど、今のようにそういう自然に触れ合う機会が決定的に少ないと成長する上で何かが欠落してしまうんじゃなかと少し心配になる。残酷なことをして、物心がついていくに従ってそういうことはしてはいけないんだと自分で気づいて、だんだん痛みが分かるようになっていくというプロセスを経ないと、他人や生き物に対する思いやりの気持ちが充分育たないんじゃないだろうか。花をちぎったり虫をいじめたりすることが正しいことだとは思わないけど。 ナズナもハコベも共に春の七草の一員だ。それはたまたまこの時期に咲いたからではなくちゃんとした薬効があるから選ばれた。薬草としても食用としても使われてきた歴史がある。今でもハコベは小鳥のエサになるし、ナズナは煎じたり煮詰めたりして薬にしたりもできる。春の七草粥も、春の訪れを祝い、植物の生命力にあやかって健康長寿を願うという、ちゃんとした根拠があるのだ。
春野草の揃い踏みを見て、春は予感から確信へと変わった。レンゲやタンポポやツクシたちもぼちぼち顔を見せてくれるだおろう。今年はスミレももっと勉強して見分けられるようになりたいと思っている。3月になって春が深まれば、もうおちおちしていられなくなる。一週間怠けると見逃してしまう野草が出てくる。 野草に興味を持ち始めて3年目。3周目に入ったからには、もう初心者の言い訳もきかない。野草有段者にはまだまだ遠いにしても、そろそろ3級とか2級くらいにはなりたいところだ。そんな試験はないけど、感覚の問題として。 知識を得るためには、まず自分の目で見て、写真に撮って、帰ってきてから調べて勉強するという一連の作業をするのが急がば回れで一番近い。図鑑やネットの写真を見てるだけではなかなか覚えられるものではない。少しでも多くの野草を見つけるには歩くしかない。歩くには体力がいる。体力をつけるには運動して肉体を鍛えないといけない。まずはスポーツクラブに入ることから始めようか。いやいや、贅沢は敵です。貧乏人は麦を食え。スポーツクラブなど入らずとも足腰を鍛える方法はいくらでもある。ヒモにくくりつけた車のタイヤを腰にゆわえて走り、重いコンダラを引き(?)、ウサギ跳びでグランドを10週だ。野草初段への道のりは遠くて厳しい。挫けそうになる私の力になってくれる鬼コーチが必要かもしれない。自転車に乗ってメガホンで応援してくれる人を探そう。もちろん上下ジャージの正装で。農業センターの入口で待ってます。一緒に野草道を極めましょう。
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