現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
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東山植物園で感じて思った、巡る季節と花と地球と人の話
2007年04月27日 (金) | 編集 |
東山植物園2-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f6.3,1/16s(絞り優先)



 去年の秋、紅葉のトンネルをゆく老夫婦を見ていいなと思った。春の花道は若いカップルがよく似合う。どちらにもそれぞれの味があり、よさがあって、象徴的な光景だった。
 私たちは皆、物心ついてから少年、少女時代を過ごし、思春期をくぐり抜けて大人になった。そこには直接的、間接的に、いつでも花があったんじゃないだろうか。自分では特別意識しなかったとしても、思い出のシーンのどこかに引っかかりのある花があったはずだ。小学校のとき、遠くにいる好きな子を見ていた校庭には花壇があっただろうし、入学式の桜や、初めて渡したりもらったりした花束を覚えているだろう。家族旅行で行った旅先にあった花や、初恋の人が何気なく口にした好きな花の名前を覚えている人もいるかもしれない。
 もし、この地球に花がなかったら、私たちは今とは違う性格の人類になっていたに違いない。心ももっと殺伐としていたかもしれない。歌の歌詞の中にも花が登場しなかったら、なんて味気ないことだろう。花にまつわるいくつかの名曲を私たちは聴くことがなかった。
 人は花と共にあるのだということに、写真を撮るようになって初めて気づいた。花の種類の多さに驚き、季節の細やかな移り変わりを花に教えられた。決して季節を間違えない花の偉大さも知った。
 地球のすべて必然だとは思わない。もし何もかもかっちり決まり切っていたら、生きるのが息苦しくて仕方ない。この世界が素敵なのは、遊びの部分があるからだ。趣味的なところと言ってもいい。花や動物などはその代表的なものだ。こんなに種類はいらない。でも、こんなにあって嬉しいとも思う。多様さが面白くて楽しい。偶然で片づけるには多彩すぎる。きっと、天に花や鳥や動物や魚や、それぞれの担当者がいるのだろう。その仕事ぶりはとても素晴らしい。これだけ楽しませてもらっているのだから、感謝しなくてはいけない。どうもありがとう。

東山植物園2-2

 動物園や植物園は割と変わった人がいる。私だってひとりで来て嬉しそうに写真を撮ってる変わった男の一人だから人のことは言えないのだけど、動植物園というのは不思議ちゃんのような人も温かく迎え入れてくれる包容力がある。この前は、オオフラミンゴの前でいつまでも動かない女の人を見た。ひとりで動物園を訪れて、オオフラミンゴの前で立ち尽くす人生というものがどういうものなのか、私にはちょっと想像がつかなかった。今回は、植物園で至近距離から植物を観察する女の子を見かけた。近い、近い、とツッコミを入れたくなるほどの距離感で、彼女は一体何を観察していたのだろう。花ではなく木だったのが不思議だった。植物の葉っぱや枝に何か特別な思い入れがあるのだろうか。
 動植物園にいるのは動物や花だけでない、ホモサピエンスもたくさんいる。それを含めての動物園だ。ときにはそちらの方が興味深かったりもする。だから私は動物園が好きだ。

東山植物園2-3

 植物園の奥から、高台にある花畑へと続く坂道。このあたりは中国の植物が集められていたり、竹林があったりして、他とは少し趣が異なっている。
 坂道はだらだらと長く続き、年輩の人はちょっと苦しそうに登っている。ベビーカーを押しながら歩く若いお母さんは大変だ。でも母は強し。デートではちっとも歩かなかった名古屋嬢も、お母さんになればぐんぐん歩く。カバンさえ男に持たせていたのに、スーパーの重い荷物も両手で持ったりする。歳月は人を変える。
 竹林にはだいぶ伸びたタケノコがニョキニョキたくさん顔を出していた。地面から出てしまってはもう食べられない。ここの竹林は手入れが行き届いていてきれいだ。京都の嵯峨野を思い出す。静かな嵯峨野をまた歩きたい。
 それにしても、気づかないうちに新緑がすっかり濃くなっていた。少し前まで枯れ木も目についたのに、今はもう、ほぼ完全に緑におおわれている。春は花の咲かない木にも平等に訪れる。近くでウグイスが鳴いた。ホーホーホー、ケッキョ。でも、深い緑に視界をさえぎられて姿は見えない。そろそろもう、夏鳥の季節だ。

東山植物園2-4

 レプリカ縄文杉の間から地上を照らす太陽の光。この日は曇ったり日差しが戻ったりで、はっきりしない天気だった。それでも太陽の光は春と比べて明らかに強さを増していた。冬の間はあんなにも力を失っていた太陽の力が、今また戻って来つつある。今年の夏も容赦してはくれないだろう。
 どうして夏は暑くて冬は寒いの? ねえ、どちて、どちて。そう、どちて坊やにしつこく訊かれたとき、あなたは簡単に分かりやすく説明できるだろうか。こういうことって、意外と学校で習わない。いや、習ったのかもしれないけど、大人になってもはっきりとした理屈を認識してないということは、教え方がまずいのだ。案外、太陽と地球の距離の違いによるものと勘違いしてる人が多いんじゃないだろうか。
 ごく簡単に言うと、太陽に対して楕円軌道を取っている地球の傾きによって夏と冬は起こる。もし、太陽と地球の距離によるものなら、北半球も南半球も季節は同じになる。でも、北半球が夏のときは南半球は冬だ。文章だけで説明するのは難しいのだけど、地球から見て太陽が高い位置にあって垂直に近いときほど光がたくさん地面に当たって暑くなるというのがまずある。これは朝と夕方よりも昼間の太陽が上にあるときの方が気温が上がるのと同じ理屈だ。冬は太陽が斜めの位置にあって光がロスして気温が上がらず、夏は高くなるから暑くなる。ライトの光を真正面から見ると眩しくて、斜めから見るそれほどではないというのに近い。
 ところでこの前、驚きのニュースがあった。あろうことか、ロシア人の3人に1人は地球の周りを太陽が回っている天動説を信じているというのだ。ガリレオは17世紀初頭の人だ。21世紀のロシアはそれ以前のレベルということか。にわかには信じがたいけど、さすがにこの事態にロシアも焦ったようだ。何らかの対策は考えているだろう。地球が太陽の周りを回っていることを知らないということは、宇宙に関してまったく知識も興味もないということだ。それはいくらなんでもまずすぎる。
 日本でも最近は受験勉強のような実際的なものばかりを優先して、無駄ではない遊びの知識を教えなくなっている。だから、もしかしたらこれに近い現状があるのかもしれない。科学はともかく、天文学の授業なんて今あるんだろうか。大人にとっての常識も、子供には教えないと子供は知らないままだ。自分で興味を持って天文学の本を読む子供なんてのはごくわずかだろう。美しい国作りよりも常識的な人間を育てることの方が先だ。教育にゆとりなんか持たせていたんでは、短い一生で勉強は間に合わない。学ぶべきことはいくらでもあるのに。

東山植物園2-5

 春がまだ粘って少し居座っていた。最初の花と最後の花はありがたがられて大事にされる。長男と末っ子のように。真ん中はけっこう扱いが雑になりがちだ。平均的な子供はその他大勢にまとめられてしまうように。
 しかし、桜も季節はずれになると、なんとなく白々しいような、違和感のようなものがある。夏に冬ソナを観るように。それは人間の勝手な気分の問題で、遅咲きのサトザクラにしたら今の時期こそが自分たちが咲くときだ。ソメイヨシノのことなんて知ったこっちゃない。花は人間の都合に合わせて咲いているわけじゃない。
 この地方の人間にとっては桜もすっかり遠い過去の出来事になったけど、ソメイヨシノの桜前線は今どのあたりまで行っているのだろう。東北から津軽海峡を越えて北海道に上陸しただろうか。桜前線の尾っぽは、福島あたりか。今年のゴールデンウィークも、弘前城の桜は見事なんだろうな。もし、裕福なじじいになって、やることがなくなったら、沖縄から北海道まで、桜前線に合わせて日本縦断の旅に出るというのも悪くない。たとえ、震える手でカメラの手ぶれ補正機能が役に立たずに全部手ぶれ写真になったとしても、桜の撮影旅行は魅力的だ。日本人としての最高に贅沢な国内旅行かもしれない。

東山植物園2-6

 バラ園にまったく花はなし。今年はいろんな花がいつもよりも一週間くらい早く咲いてるから、バラも気の早いやつが先走って咲いてるんじゃないかと思ったけど、それはなかった。バラは例年通りになるのだろうか。だとしたら、咲き揃ってくるのは早くても5月の半ばくらいからだ。3週間早かった。早まりすぎだって。
 バラもスタイリッシュに撮るのが難しい花だ。アップにすると誰が撮っても同じになってしまうし、離れるととりとめがなくなる。背景と余白で工夫するしかない。バラも今年で3シーズン目だ。去年よりはもう少し上手に撮りたい。この上手に撮りたいという気持ちが大切で、野球のイチローとサッカーの中村俊輔と、二人の天才が同じように「もっと上手くなりたいから練習してるんです」とインタビューで答えていた。上手になるために写真を撮ってるわけじゃないというのは言い訳にならない言い訳だ。写真に限らず自分の好きなことをやるときは、もっと上手になりたいと思って続けることが大事なんだと思う。

東山植物園2-7

 春の面影が薄くなり、夏の気配を予感させる初夏、その影では早くも秋が準備を始めている。カエデも美しく染まるために今は青々とした葉を育てている。桜も紅葉も、一気に来て、あっという間に去っていくけど、そこに至るまでは長い準備をしている。人も発表会のときだけちょちょいのちょいでやって上手くいくものではない。本番は一瞬でも、積み重ねた練習と努力があってこそだ。
 日本には四季がある。それは、一年に4つの顔があるのではなくて、4つの独立した季節があって、それぞれが一年を陰になり日向になって進んでいると言った方がいい。たとえばそれは渡り鳥のように、あるいは植物が種から根を出し芽を出し花を咲かせて実を付けまた種に戻っていくように。それぞれの季節がそれぞれの一年サイクルを持っている。今見えていない冬も、見えないところで次の支度を調えている。
 たかが季節、たかが花、そんなものに何の価値があるのかと若い頃の私は思っていた。今さら若い自分を責めても仕方がない。若いというのは愚かなことだから。あのときはまだ気づかなかっただけで、気づけるようになった今を喜びたい。
 私たちは地球の一部として、今この場所、この時間に存在している。道ばたに咲く野草と同じほどの価値しかなくても、誰かの役に立っている。自分を見つけてくれる人がいる。それは慰めではなく、責任だ。咲かなくていい花はない。太陽に向かって精一杯の花を咲かせるのだ。自分のことを知ってくれている人のために。それが私たちの生きる道。単純だけど、難しい。難しいから頑張る意味がある。


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