 PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f8 1/32s(絞り優先)
横浜観光と神社仏閣は結びつかない。そのことに気づいたとき、けっこう驚いた。たいていの観光地はどこかで神社仏閣と絡んでいるもので、東京でさえ例外ではないのに、横浜で有名な神社仏閣というとまったく思い浮かばなかった。同じ神奈川の鎌倉があれほど神社仏閣だらけなのに。 考えてみればそれもそのはずで、特に観光地になってるみなとみらい21などは明治になって横浜港が開港して以来発達したところで、それ以前はさびれた寒村にすぎなかった。観光コースはどこも埋め立て地で、古い歴史もあろうはずがない。横浜の史跡巡りをするなら、東海道沿いの金沢地区などへ行く必要がある。あちらには歴史の名残や神社仏閣もたくさん残っている。 それでも横浜観光のついでに神社仏閣へも行っておきたかった。そこで見つけたのが伊勢山皇大神宮(イセヤマコウタイジングウ)だった。ガイドブックに小さく出ていて、横浜の総鎮守というではないか。これはもう行かねばなるまい。 ということで私たちは横浜に着いてまず最初に挨拶をしに行ったのだった。
明治3年(1870年)、外国に対する貿易港となった横浜の街は異国情緒あふれるエキゾチックな街となりつつあった。そんなとき、このまま日本の精神を忘れるのはよくないと、県知事の井関盛良はこの地に神社を造ることを思いつく。せっかくなら総大将がいいだろうということで、伊勢神宮から天照皇大神を分霊して横浜に招いた。現在の掃部山公園のあたりにあった旧戸部村の祠を今の場所に移して、国費で伊勢山皇大神宮を創建したのだった。そのとき同時に地名も野毛山から伊勢山へと変更している。 以来、関東のお伊勢さんとして地元民には大変親しまれているという。ガイドブックの扱いは小さいからよそから横浜観光に行ってここもコースに入れる人はあまり多くないと思うけど、年間150万人の参拝客があるというからたいしたものだ。 横浜の総鎮守ということで、みなとみらい地区にある大部分の超高層ビルは、ここの神主が地鎮祭をおこなっている。このあたりの情緒が日本的で私は好きだ。最先端の超高層ビルと神主のお祓いというセットメニューは外国人の目には奇異に映ることだろう。横浜ベイスターズも毎年ここで必勝祈願をしている。ガンバレ、伊勢山皇大神宮の神様。
桜木町駅から徒歩10分弱なのだけど、裏から行くと分かりづらい。成田山横浜別院の境内を通って右側の道を抜けた先になる。途中で分からなくなって競馬へ行く地元のおじさんに道を尋ねてしまった。表通りから行くと、紅葉坂を登っていくのが分かりやすい。ただし、裏側から行くのが表参道で、表通りから行くと裏参道になるので、やっぱり裏から行くのが正式なようだ。 高台にあるので、登っていくのがけっこう大変だ。かつては高いビルもない鬱蒼とした山のようなところだったから、ここから横浜の町並みや海が遠くまで見渡せたそうだ。今はすっかり視界も悪くなった。 境内は桜の名所にもなっていて、このときもやっぱり裏から表参道を登っていく方がいい。
 拝殿の中では何やら祈祷がおこなわれていた。小さな赤ん坊を抱いた人や、その関係者らしき人が集まっていたから、初宮詣というやつかもしれない。その他様々な祈祷なども受け付けていて、結婚式も執りおこなうようだ。お祓いは金額によってメニューも違ってくる。1万円なら普通の記念品、2万円なら特別な記念品がもらえて、3万円になると神楽舞がついてくる。この料金システムって、なんとなくあやしい店の料金体系に似ているような気もする。 拝殿の外観は、伊勢神宮を思わせるようなものとなっている。独特な鳥居の姿もそうだ。拝殿そのものは関東大震災のあと昭和3年に再建されたものだから、まだ新しい。 祭神は天照大御神の他、月讀命、須佐男命、大国主命、住吉三柱神となっている。 境内には杵築宮、三輪明神分霊大神神社などもある。 例大祭も盛大で、20基の神輿がみなとみらいの高層ビル群の間を練り歩くんだそうだ。
 伊勢山皇大神宮の手前には成田山横浜別院がある。名前の通り、成田山の別院だ。全国に別院が8つあって、その中の一つとなっている。このあたりは神社仏閣過疎地帯なので、せっかく行ったなら両方抱き合わせで参拝していくのがいいだろう。 この横浜別院がまた面白いところで、神社仏閣の商店街のようになっている。不動尊、水子地蔵、寺院、稲荷などが商店のように並んでいるのだ。 地元ではもっぱら野毛山不動尊や延命院と呼ばれていて、成田山の別院というのはあまり意識されてないという話もある。その成り立ちは少しややこしくて、なおかつはっきりしない。 もともとは、横浜の地に不動明王を祀る寺がなくて、成田山新勝寺まで行くのは遠いから、なんとかここに支社を造ってくれないだろうかという地元民のリクエストから始まった。分霊してもらった横浜別院ができたのは、伊勢山皇大神宮と同じ明治3年というのだけど、両者に関連があったのかなかったのかはよく分からない。関東大震災と空襲で全部焼けてしまって資料や記録が残ってないんだそうだ。 それからどういう経緯を経て、いろんな神社仏閣が寄り集まるようになったのかもよく知らない。境内の雰囲気は、明治以降のものでありながら江戸時代のセットのようでもある。
 いきなり話は飛んで、中華街の関帝廟(かんていびょう)。途中の観光コースには神社仏閣は出てこない。 関帝廟というのは中華街の中の一つのセットというか、ランドマーク的な建物かと思っていたら、本気の寺ということで意外だった。ここで暮らす中国人たちの大いなる心の支えとなっているという。神楽坂の毘沙門天みたいなものだろうか。『三国志』に出てくる関羽を神として祀っている。中国人の関羽信仰というのは相当なものなんだそうだ。 このときは夜ということで中に入ることができなかった。入ることができたら、本堂の慈眼山長楽寺などを見ることができたはずだ。しかし、派手な外観だな。金銀財宝ギーラギラな感じ。中国明・清時代の南廟堂様式らしい。
一番最初は、ひとりの中国人が山下町に小さな廟を建てたことに始まる。その後、訪れる人が多くなり、中華街の発展とともにだんだん大きくなっていったようだ。建物は震災や火事、空襲で焼けて、現在のものは4代目となっている。凝った装飾などは中国や台湾から職人さんを呼んで完成させたという。メイドイン中国でも、ここのものは全然意味が違う。 もともと関帝廟というのは、関羽の人格を敬愛する中国の人々によって生み出されたものだった。信義に厚くて、金にも潔白な人物だったということで、のちの時代で神格化されていった。ひとりの人物を神として祀るのは日本でもやってることなので不思議ではない。菅原道真さんなどがその代表だ。 信義を重んじるということが中国では昔から大切な美徳としてあって、そのイメージと関羽が重なる部分が多かったのだろう。それと、商売上手だったという一面もあったようで、そういうことでも中華街の人々に信仰されているようだ。世界中のチャイナタウンに、この関帝廟は建っている。
個人的にはちょっと物足りない横浜神社仏閣巡りだったのだけど、みなとみらいに近いところにこれだけあると知らなかったという人も多かったかもしれない。神社仏閣は探せば必ずある。なくても私が見つけてみせよう。神社仏閣探偵になれるくらい詳しい私なのだ。 横浜神社巡り第二弾があるとすれば、やはり金沢方面に行くことになるだろう。宿場町の面影を残すあたりとあわせて行きたい。それと、寺社ではないのだけど、三渓園という古い建築物を集めて野外展示してあるところがあって、そちらもぜひ行きたいと思っている。場所が離れているから少し不便かもしれないが。離れているといえば、川崎大師も行かねばなるまい。 横浜は近過去と現代だけの街じゃない。神社もあるじゃんなのだ。関係ないけど、野毛山動物園も、ズーラシアも行ってみたい。八景島シーパラダイスも。ハマの大魔神社はもうないんだろうな。また行こう、横浜たそがれ。
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