ぶらり途中下車の旅---目白の小さな名所を徒歩と自転車でめぐる

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm(f2.8-4)
巾着田へ行った日の帰り、東京に戻ってくると雨があがっていた。日没までは少し時間があったので、椎名町で途中下車して目白まで歩いて帰ることにした。ぶらり途中下車の旅といこう。
上の写真は確か、西武池袋線の椎名町駅だったと思う。ついこの前のことなのにすでに記憶が曖昧になっている自分が恐い。雰囲気がよくて軽い気持ちで撮った一枚だから、これがどこかということを意識してなかったのだという言い訳をしつつ、次に進もう。
目白というと一般的にはどんなイメージなのだろう。山手線沿線で、北に池袋、南に新宿と、住むには良さそうな街といった感じだろうか。学校も多く集まっているから学生街という一面も持ち合わせている。わりとオシャレなイメージもあるかもしれない。
ただ、何の用事もなく訪れる場所ではないし、何か特別な観光地があるというわけでもないから、東京に住んでいる人でも目白は行ったことがないという人が案外多いんじゃないだろうか。確かに東京を代表するような名所旧跡はあまりない。鬼子母神も一応は目白界隈ということになるけど、あれは隣の雑司ヶ谷だ。
けど、目白も実際に歩いてみれば、見所もけっこうあって、魅力的な街なのだ。住むだけではなく、散歩するにもいいところなので、今日はそんな目白の小さな名所案内をしようと思う。

やって来たのは目白の森。森とは名ばかりの小さな公園で、大きな地図には名前も載っていないので森という名前はちょっと大げさだ。端から端まで歩くのに3分くらいしかかからない。場所も分かりづらくて、住宅地の合間にこそっとあって、私たちもたどり着けずに犬を散歩してる女の人に訊いて、なんとかたどり着いた。もう一回行けと言われても行き着けないかもしれない。
かつてマンションの建設計画でつぶされる予定だったところを住人の反対で残された貴重な公園だ。木が鬱蒼と生い茂っていて、かつてのこのあたりの面影を残している。
目白という街は大通りから一歩入ると、昔ながらの高級住宅地となる。駅まで遠くて不便だろうにと思うけど、ガレージに並んだベンツ、BM、ポルシェ、レンジ・ローバーを見れば、そんなことは関係ないのかと思い直す。

徳川黎明會(とくがわれいめいかい)の前。一般人を拒絶する重厚な雰囲気を漂わせている。
徳川黎明會は、1931年(昭和6年)に、尾張徳川家第19代徳川義親によって作られた財団法人で、徳川美術館の運営や、徳川家にまつわる文献や美術品の管理などを行っているそうだ。
私は尾張から行ってるからこっちの方が地元だというのに、東京で出会ってしまうと必要以上にへりくだった気持ちになってしまうのはどうしたことか。徳川美術館の前でもそんなにひるまないのに、ここはやけに雰囲気がものものしい。
徳川家の威光というのは、やはり江戸であった東京のあちこちでいまだに垣間見ることができる。東京以外の土地で江戸時代というのを認識する機会というのはめったにないのだけど、東京にはまだ江戸の名残が色濃く残る。
このあたり一帯は、徳川ビレッジと呼ばれていて、住宅地のようになっている。外国人専用の高級賃貸住宅や、徳川ドーミトリーという女子学生寮などがあるようだ。いずれにしても、あまりうろうろしてると不審者として通報されそうで長居はできない場所だ。写真を撮るだけでも大丈夫だろうかと少し心配になる。

高級つながりで、こちらは目白の住宅街の中にある高級フレンチの店「ぎんきょう」だ。
庶民らしく遠巻きに写真を撮った。
おそるおそるメニューに近づいてのぞいてみると、ランチは5,000円から、ディナーも9,000円と、失神するほどの高さではなくて安心した。安心したからといって気軽に入れる店ではないけれど。子供もお断りと書かれていたし。
何かすごく特別な日があれば、ランチくらいは一度食べてみたいと思う。

目白駅の東側エリアはぐっと庶民派となる。学校が集まっているのもこちら側で、表通りも賑やかだ。
そんな中、こんな昔ながらの店も残っていて嬉しくなる。完全に昭和の風情だ。酒屋兼食料品店というのだろうか。田舎の方に行くと、昔はこういう店がよくあった。
店先の一番いい場所にカップ麺が並んでいるあたりが素敵だ。これを主力として前面に押し出して売っているのだろうか。

目白通りをずっと東に進んで、神田川が流れる南に少し入ったところに、新江戸川公園がある。住所としては目白台で、豊島区ではなく文京区だから、もはや目白とは言えないか。神田川を渡れば新宿区の早稲田だ。
ここはかつて細川家下屋敷の庭園があったところで、跡地をそのまま回遊式泉水庭園として残してある。規模は大きくないけど、大通りの喧噪を離れて静かに過ごすにはいいところだ。生き物も多く、春は桜、秋は紅葉と、四季の変化も楽しむことができる。
この東隣には広大な庭園を擁する椿山荘(ちんざんそう)がある。もともと山縣有朋が持っていた土地で、今は名門結婚式場やホテルなどの複合施設になっている。かなり高級そうで、一般人が写真を撮るためにフラッと入っていけるような感じはなかった。チャンスがあったら一度チャレンジしてみたい。入り口の前の警備員につまみ出されてしまうのだろうか。

目白通りには都電荒川線を見下ろせる橋があって、ちょっとした都電撮影スポットになっているようだ。赤帯レンズをつけたボーイがしっかり写真を撮っていた。私も便乗して撮ってみる。
わ、しまった。都電の遅さにタイミングが合わず、連写を早まった。K100DのRAWは3枚しか連写できないことを忘れていた。もっと引きつけなくてはいけない。ちょっと失敗だ。
今度ここを通ったときは、ちゃんとチェンジアップのタイミングで待とう。都電だから剛速球は来ない。

日本女子大学。通称、目白の女子大。
高村知恵子、高橋留美子、平岩弓枝、向井亜紀、大坪千夏 などの卒業生を出している。
道を隔てた反対側には大きな田中邸が建っている。田中角栄の旧宅で田中真紀子も住んでいた目白御殿だ。
相続税で物納したものを文京区が公園にしようとしているところに、またもや田中真紀子がインネンをつけてもめている最中らしい。木を切るとか切るなとかで。
8,000坪という土地が今後どうなっていくのか、興味深いところだ。もし公開されるようなことになったら、目白(目白台)の目玉となるかもしれない。

目白といえば、やはり学習院ということになるだろうか。駅を降りてすぐ隣がもう学習院だ。
明治初期の1877年、皇族や華族のための学校として開校した。現在でも皇族のみなさんが通っている。一般人でもお坊ちゃん学校というイメージが強いけど、実際には多種多様な卒業生がいて、お坊ちゃんというのは一面的な見方に過ぎない。門を入っていく学生を見ても、ボンボンという感じはあまりない。
こういう大学への一般人の立ち入りはどうなのだろう。門の中には警備員がいるから、その人の判断にゆだねられているのだろうか。入っていいものなら入ってみたかった。歴史のある大学だし、学習院ってのはどんな雰囲気のキャンパスなのか肌で感じてみたい。一般人用の講義などもあるから、行けそうな気もするんだけど、やはり入り口でチェックはあるのだろうな。最近は物騒だから、関係のない人間の立ち入りには神経質になっているだろうし。
日本女子大は無理にしても学習院だけは狙っていきたいところだ。
とまあ、目白という街はこんなところもあるのですという紹介でした。
今後とも目白は歩いたり自転車に乗って回る機会もあるはずだから、おいおいレポートしていこうと思っている。豊島区のレンタル自転車は一日150円だから、いつでも借りられるのだ。自転車に乗ればかなり行動範囲が広がることが分かった。
目白ツウになる日はそんなに遠くないかもしれない。目指せ、メジロライアン。今は亡き大川 慶次郎もあの世から私を応援してくれるだろう。ライアン、ライアン、と。
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