安曇野の歴史巡り編で長かった松本・安曇野シリーズはようやく終了

Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS
松本・安曇野行きは、滋賀巡りの更に前、4月6日のことだった。あれから今日までの間にいろんなネタが挟まって、安曇野を完結できないでいた。ここへきて、ようやく一段落して、過去の取りこぼしを拾いに戻ることができている。昨日は滋賀巡りを完結させたから、今日は松本・安曇野編を終わらせてしまうことにしよう。
松本についてはほぼ写真も出し切ったし、書くことも書いた。残っていたのは安曇野編で、神社仏閣その他が後回しになったまま残ってしまっていた。今日はそのことについて、ひとまとめにして書きたい。
穂高駅に着いた我々は、すぐに信州そばを食べ、休む間もなくレンタサイクルを借りて安曇野散策を開始した。最初にまずその土地の神様に挨拶に行くのが筋だろうということで、穂高神社へ出向いた。駅から徒歩5分、自転車で2分くらいの距離にある。
行ってみると、なにやら大がかりな工事をしていて境内がそわそわした感じになっている。火事でもあって建て直してるのかと思ったら、来年平成21年が式年遷宮の年で、それに先立って拝殿の建て替え作業が行われているところだった。本殿などはプレハブに取り囲まれた仮住まいになっていて、なんとも雰囲気のない状態になっている。えらく運が悪いときに行ってしまったものだ。普段は木々に囲まれた深閑としたいい神社らしいのに。
式年遷宮(本殿を20年に一度新しく建て替えるという儀式)といえば伊勢神宮だけど、他の神社でも同じようなことをやるとは知らなかった。全国でもあまり多くないんじゃないか。
穂高神社では20年に一度の大遷宮祭と、その間に二回修理する小遷宮祭というのがって、大遷宮祭を3回見るとすごくいいことがあるという話だ。
創建は記録が残っておらず、はっきりしていない。ただ、927年に編さんされた延喜式神名帳(当時の公式な全国の神社一覧)に信濃安曇郡の名神大社として載ってることから、1000年以上の歴史を持っていることが分かる。
古くから日本アルプスの総鎮守として信仰されてきて、交通安全の神様として車のお祓いをする人も多いという。
本宮(里宮)の他に、北アルプス穂高岳の麓の上高地に奥宮があり、奥穂高岳の頂上には嶺宮が祀られている。

拝殿が解体されていて、おまけに表参道からではなく横から入ってしまったために、境内全体の配置がよく分からなかったのだけど、表の鳥居をくぐって入れば、正面にまず神楽殿があり、その奥に拝殿、本殿という並びになっている。右手が上の写真の末社群だ。大工事をしていたから、最初はこれが仮の本殿かと思った。
本殿は三棟横に並んでおり、中央は穂高造と呼ばれる独特の屋根を持っている。
祭神は、本殿中央に穂高見神(ほたかみのかみ)、左に綿津見神(わたつみのかみ)、右殿に瓊瓊杵神(ににぎのかみ)が、別宮に天照大御神(あまてらすおおみかみ)、若宮に安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)、相殿に信濃中将がそれぞれ祀られている。
海のない信濃なのに海の神との関わりが深いのは、北九州出身の安曇族と呼ばれる人々によってこの神社が建てられたからだといわれている。
主神の穂高見神は、海の神である綿積(わだつみ)の息子で、神武天皇の叔父に当たるとされる神だ。その綿積、穂高見神をようした安曇族は、北九州で海に関わる貿易、海運、外交、戦などを司り、天皇家の海軍でもあったとされる一族だ。それがより豊かな土地を求めて海を渡り、この地に辿り着き、一帯を治めるようになったのだという。この神社に菊の御紋が使われているのはそういう関係からだ。

境内には古い舟が飾られている。穂高神社は、毎年9月27日に行われる御船神事(おふねしんじ)でも有名で、これは昭和57の大祭のときに奉納された屋形船だ。
長さ12メートル、高さ6メートルの大きな舟形の山車である御船(おふね)2艘を激しくぶつからせるというのが祭りのクライマックスとなる。それに先立って、大小5艘の舟に穂高人形と呼ばれる人形を飾り、町中を練り歩きながら神社へと曳き入れる。
奥宮では、毎年10月8日に明神池に舟を浮かべて本宮とは別の儀式が執り行われる。
なんで信州で海の祭りが行われてるんだろうという疑問は、海の一族安曇族の歴史を知ることで納得がいく。納得がいったところで次へ移ることにしよう。

大王わさび農園を目指して自転車を漕いでいる途中に立ち寄った吉祥山東光寺。三門前の大きな朱色の下駄が目をひく。吉祥仁王尊の大下駄だ。
観光名所が少ない安曇野の中で、ここは立ち寄りポイントとして人気が高い。ちょうどわさび農園へ行く道筋にあるというのが大きかった。一本中に入っていたら、ほとんどの人が行かないだろう。
三門は立派だけど、大下駄以外は特に何があるというわけではない。この下駄を履いて願い事をすると願いが叶うといわれている。

本堂もこうしてみるとなかなかのものだ。建てられた時代はよく分からないけど、意外と古いかもしれない。
室町時代の薬師如来像など多くの仏像を持っているそうだ。
境内の桜はまだ咲いておらず、梅の季節だった。信州の春の遅さを実感した。

東光寺の斜め向かいにあるのが、本陣等々力家だ。ここは入るのに300円かかるので、ついでに寄る人と寄らない人が分かれると思う。
本陣というのは、もともとは戦場における大将が陣を置いた場所のことで、のちにそれが変化して、武将などが宿泊する家という意味で使われるようになった。江戸時代になると、幕府の役人など偉いさんの泊まるところということで特権階級のようになり、その家の主人は特別に名字帯刀を許された。
等々力家は戦国時代から活躍した一族で、一時は武田信玄の配下にも入っている。江戸時代になると、この地を治めた笠原氏に従って、大阪冬の陣にも参加した。
以降は松本藩主の本陣に指定され、狩猟のときの休憩所として使われるようになる。

入り口入ってすぐに囲炉裏の部屋がある。信州の冬は寒い。
まさか当時からこんな赤カーペットが敷かれていたわけではあるまい。でも、古い家具や大時計は年季が入っていい感じだ。いつくらいまで現役として使われていたのか、そのあたりの詳しいところまでは知らない。昭和くらいまでは使われていたような感じはある。

等々力家内部の見所としては、特にこれといったものはない。ポツリ、ポツリといわくありげに展示されているものは、素人目には価値があるんだかないんだか判断がつかない。古い陣屋の建物そのものを見せてもらうといったところか。

庭園は安土桃山時代の様式である須弥山石組とかいうもので、この地方では珍しいんだそうだ。江戸時代中期に作られたらしい。
時間があれば、縁側に座ってしばらくぼぉっと庭を眺めるのもいいだろう。

別棟へ移動するための橋が架かっているのがちょっとすごい。太鼓橋になっているのは、洒落か粋か。

帰り際、入り口で受付をしていたおばあさんが、柱の傷のことを教えてくれた。昔一揆が起きたときにつけられた刀傷がありますよと。なるほど、これがそうかと証拠写真を撮る。
なかなかいいものを見せてもらったということで、本陣等々力家をあとにした。このあとの大王わさび農園のことは、以前に書いた通りだ。
長くかかって間も開いてしまった松本・安曇野編はこれでようやく終わりとなった。何回シリーズになったのかも、よく覚えていない。このときもなかなかに盛りだくさんだった。
特に安曇野がよかった。一番の目的が松本城を見ることだったのに、行ってみれば安曇野の魅力にすっかりやられてしまって、松本城も開智学校も飛んでしまったのだけど、とても満足感一杯の一日だったことは間違いない。
松本や安曇野周辺はまだまだ見所がたくさんあるから、また行ってみたいという気持ちが強い。上高地も行ってみたいし、大正池も見てみたい。松本城にも登らないといけないし、いつか再び信州への旅に出よう、雷鳥の里を買うためにも。
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