現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
よそ者が短時間垣間見た渋谷は尾崎豊ではなくコブクロが似合う街だった
2008年02月21日 (木) | 編集 |
渋谷の夜-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 何度も東京へ行っているのになんとなく行きそびれている場所がいくつかある。渋谷もその中の一つだった。訪れるのが遅すぎた感もある。尾崎豊が「Scrambling Rock'n'Roll」を歌ってからすでに23年近い歳月が流れた。
 Scrambl交差点では心を閉ざし解りあうことがない。と10代で歌った尾崎豊は、生きて40代になっていたら今頃どんな歌を歌っていただろう。彼がこの世を去ってから、もう15年以上になる。
 2008年の渋谷に、もはやあの頃の熱や感傷はない。きらびやかで乾いているのは同じだとしても、乾きの質が違ってきているように思う。一番変わったのは、私たちは幼いまま若さを失い、昔みたいに無邪気でいられなくなったところかもしれない。渋谷という街が持つエネルギーもまた、変容し続けているのだろう。
 尾崎豊がうろつき駆け回っていた渋谷は、今はもうない。

渋谷の夜-2

 109、パルコ、センター街、道玄坂。表参道に代官山、恵比寿、原宿。代々木公園、明治神宮、甲州街道。ファッションと商業の街、ビジネス街やオフィス街、住宅街などが複雑に入り組んだ多彩な顔を持つ渋谷という街は、空襲の後の戦後復興で大きく様変わりした。
 終戦からほんの10年、昭和30年代には早くも高層ビルが続々と建設され始め、商業地区とオフィス街が両輪の用に発達していった。中でも東急の進出が果たした役割は大きかった。昭和29年に東急会館ができ、昭和31年に東急文化会館が建てられると、渋谷は東急の街として発展していくことになる。
 昭和39年の東京オリンピックを契機に、道路や鉄道網が整備され、街並みは大きく変貌を遂げる。渋谷は新宿、池袋と共に早くから副都心化が進められた街だった。
 昭和40年代は、東急対西武という図式になっていく。昭和43年に西武百貨店ができると、昭和48年にはパルコ、ロフトと続き、それに対して東急は109、東急ハンズで対抗した。
 渋谷駅、原宿を中心に若者の街としての色合いを強めていったのは、昭和50年代のことだ。原宿の歩行者天国では竹の子族が踊り、渋カジと呼ばれるファッションも記憶に新しい。尾崎豊が青山学院に通いながら青春時代を過ごしていたのもこの頃だ。
 平成になってからの渋谷はどうなのだろう。Bunkamuraができたのが平成元年。それ以降も休みなく変わり続けているのだろうけど、何がどう変わったのかは見えてこない。平成ももう20年になるというのに、この時代は形容が難しい。時代の色や肌触りのようなものは、ずっとあとにならないと分からないものかもしれない。
 歴史をずっとさかのぼれば、この土地は海に浮かぶ島だった。それでも早くから縄文人が住んでいたことが分かっている。先史時代の遺跡が30ヶ所以上見つかっていて一部は保存されているし、初期の古墳跡からはたくさんの遺物や人骨などが発見されている。
 奈良、平安時代はうち捨てられた土地となってほとんど人が住んでいなかったようだ。平安末期になって武家が台頭してくると、源氏の一派が移り住むようになる。
 鎌倉から室町、戦国時代にかけては地方豪族の支配下にあったとされる。鎌倉街道も通るようになっていた。
 江戸時代になるとこのあたりは幕府の直轄地となり、移り住む人も増え、少しずつ賑やかになっていく。武家屋敷が点在し、原宿あたりは早くから開けていった。
 明治時代は、住宅街として発展する。明治17年に山手線が開通し、東京市電、玉川電鉄と連絡したことで住むのに便利な街となった。昭和に入っても、東横線、帝都電鉄、地下鉄の東京高速鉄道が開通し、ますます交通の便がよくなっていく。

渋谷の夜-4

 話は現代に戻る。
 人が賑わう駅前に、緑色の電車が置かれている。かなり唐突な印象を受けるけど、これは何なんだ。待ち合わせの新たなスポットか。
 帰ってきてから調べてみると、昭和29年に製造された通称アオガエルと呼ばれた電車で、ここにモニュメント兼待ち合わせ場所として置かれることになったんだそうだ。2006年というから最近のことだ。
 ただ置かれているだけではなく、中に入ることもできるようで、寒い日などは待ち合わせの人がこの中にたくさん入って満員電車のようになっているとか。なるほど、そういう使い道もあったか。内装はほぼ当時のままというから、電車好きにはたまらない。頼んでもいないのに一人でアナウンスや出発の合図などをしている人もいそうだ。
 この写真は、渋谷の動と静が表現された写真になったと思う。目的地に向かう人と、誰かを待つ人と、そのコントラストが渋谷らしさの特質の一つだ。

渋谷の夜-5

 何気なく撮ったスナップは、いかにも東京というワンシーンになった。地方のどの街でも同じ光景はある。でも、東京には独特の孤独の空気感が支配している。あんなにも無数の人が行き交っているのに、友達同士、恋人同士が楽しそうにしていても、どこか孤独の影が見え隠れする。それは必ずしも悪いことではないけれど。

渋谷の夜-6

 私が抱く渋谷のイメージは、この写真のようだ。夜なのに明るすぎてノイジーで、混沌としたエネルギーが小さく弾けて不協和音が街全体を包み込んでいる。その中に自分が入ってしまえば大音響の音楽の中のように感覚が麻痺してしまい、客観的な場所に身を置くとざわめきが落ち着かない。
 闇には孤独と夢を織りまぜ おびえた心のアクセルふかしても 街からは逃げられやしねえよ、と尾崎豊は歌った。
 ここに集まってくる誰もがみんな自分自身で、他人に対して無関心であることで心地よさを感じているようだ。東京生まれも地方出身者も、みんなここでは主役であり訪問者でもある。渋谷は若者の街だなどという単純な縛りではこの街は捉えきれない。もっと多様で、微妙なバランスを保っている。
 この街は、他のどの街にも似ていない。

 ハチ公が主人の上野英三郎教授の帰りを待っていた頃の渋谷はどんな風景だったのだろう。1925年といえばまだ戦前だ。戦後とはまったく違う、のどかな駅前だっただろう。
 主人の急逝後、ハチはいろいろな家をたらい回しにされている。預けられた先で悪さをしたり畑を荒らしたり、ハチがもとで住人同士のいさかいが起こったりしたからだ。
 ハチが渋谷駅でたびたび見られるようになったのは、預けられた先が駅の近くで、かつてここまで主人を出迎えていたからだった。最初はどこの野良犬だということでいじめられたりもしたそうだ。それをあわれに思った斉藤弘吉という人がハチのことを新聞に投書して、それで世間一般に知られるようになり、それ以来みんなに大事にされるようになったという。
 1935年、普段は行かない渋谷川の稲荷橋付近の路地で死んでいるのが発見された。死因はフィラリアで、13歳だった。葬儀は盛大に行われたという。
 銅像が造られたのは1934年で、そのときはまだハチは生きていた。ハチも銅像の除幕式に参列している。
 第二次大戦でハチの銅像は戦争のため持っていかれて、現在のものは戦後の1948年に作られた二代目だ。1989年の渋谷駅拡張工事で場所も向いてる方角も変わった。駅前広場の中央に位置しているイメージがあったのに、こんな端っこの方に追いやられているのを見てちょっと意外な気がしたのはそういうことだったのか。

 私の中にある渋谷は、尾崎豊とわかちがたく結びついている。たとえば、「街の風景」などは渋谷の街を強く思わせる。
 けど、あれから時は流れ、この街に合う音楽も変わった。21世紀、平成20年の今、私が思う渋谷のテーマソングは、コブクロの「蕾」だ。あの時代の激しさは失われて、少し優しい曲が似合うようになったと思う。
 今日の記事は、コブクロの「蕾」をBGMに流したかった。もしよければ、曲を流しながら写真を見てみてください。


21世紀でも東京タワーは定番のご馳走のように特別であり続ける
2007年12月13日 (木) | 編集 |
東京タワー2-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 特別展望台にあがってすぐ、お台場方面から花火が打ち上がって、展望台の中が歓声に包まれた。意表を突かれた形で突然始まったから、みんな驚いたようだ。思いがけずいいものを見られて私たちも喜んだ。けっこう本格的な打ち上げ花火で、10分か15分くらい続いただろう。お台場では週末にいつもやっているのだろうか。
 東京タワーくらい高いところなら都内で開催されるあちこちの花火大会が見られそうだ。小さくて音も遮断されてしまうから迫力には欠けるけど、大混雑と暑さ寒さからは逃れることができる。来年はひとつくらいそういう花火鑑賞もいいかもしれない。みんな考えることは同じで、展望台は展望台で混雑するのだろうけど。

東京タワー2-2

 2002年に大きくリニューアルしたとかで、特別展望台も小綺麗になっていた。足下が青や赤などにライトアップされて、脱昭和の意気込みが感じられた。ちょっとムーディーな感じで悪くない。
 それにしても、11人乗りのエレベーターが1基というのはどう考えても無理がある。大展望台から特別展望台に登る人が何割くらいなのかは知らないけど、エレベーターに乗るまでに何分並ばされたか。30分以上は立たされていた。エレベーターが1つだから、帰るときもまた待たされる。乗った人間を降ろしてまた乗せて、到着階での入れ替えてだから、効率の上げようもない。もちろん、エレベーターは遅い。
 上まで来ると展望スペースも狭いからエレベーターを増設するのは無理だ。せめてもう少し高速エレベーターにならないものかとも思うけど、構造上それも難しいのか。
 週末の東京タワーは老人子供に厳しい。車椅子やベビーカーでは特別展望台には登れないんじゃないかと思うけどどうだろう。行列に並んでいる間に孫を連れたおじいちゃんやおばあちゃんは倒れてしまいそうだ。
 そもそも、150メートルの展望台までに820円取っておいて、そこから100メートル上に行くだけのために600円もぶんどるというのは取りすぎだろう。おのぼりさんの足下を見ている。一生のうちに何度も行かない東京タワーにせっかく来たんだから、上まで登っていこうということになるではないか。ただ、上をあまり安くしたらみんな登りたがってますます行列と混雑が大変なことになってしまうから、これも苦肉の策ということか。
 東京タワーへ行くなら平日の方がよさそうだ。

東京タワー2-3

 そんなに並んでまで上まで行かなくてもいいやと思ったかもしれないけど、それがそうでもないところが悔しいところなのだ。たかが100メートル、されど100メートルで、150メートルと250メートルでは明らかに世界が違う。スケール感の違いはそのまま感動の違いとして表れてくる。ビル群が遙か下に見える感覚というのは、通常では味わえない新鮮な感じを受ける。たった100メートルに600円と思うけど、それだけの価値はある。一度は見ておきたい光景だ。
 少しでも元を取るためのぜいたくな楽しみ方としては、夕方前に大展望台に登って、昼間の景色と夕焼けを見て、日没後に特別展望台で夜景を見るというコース設定をすることだ。時間制限はないから、なんなら朝一に弁当持参で登って、営業終了までいたってかまわない。それなら1,420円は安い。

東京タワー2-4

 週末の夜ともなればカップルだらけになるのは仕方がないところだろう。私はカップルを見たり後ろ姿を撮ったりするのが好きだから歓迎だけど、おのぼりさんとして男同士で行ったりすると、ちぇっとか思うだろう。それをバネに頑張るというのもありかもしれない。

東京タワー2-5

 タワーの中の「東京カレーラボ」というカレー屋でカレーを食べることにした。最初は昭和の雰囲気満点の「タワーレストラン」で食べようと思っていたのだけど、カレー屋の呼び込みに負けてついうっかり入ってしまった。カレー屋ではなく、「カレーをテーマにしたレストラン」なんだそうだけど。
 ちょっと汁っぽいカレーで、変わった味のスパイスが効いていた。まずまず美味しかったとは思う。
 ツレはここのカレーが原因だったか定かではないのだけど、これをきっかけに体調を崩すこととなる。このときはまだそんなことになるとは思いもよらない二人であった。

東京タワー2-6

 外に出たらイルミネーションがきれいだったので寄っていくことにした。
 ツレはここでデジを落として壊してしまうという不幸に見舞われる。悪いことが続くときは続くものだ。いろんな意味で思い出深い東京タワーとなった。

東京タワー2-8

 このイルミネーションは毎年恒例で、クリスマスの25日まで毎日点灯されているそうだ。
 15メートルのもみの木のツリーと4万個のイルミネーションが華やかに彩り、東京タワーと光の競演をしている。
 他にもミニ東京タワーがあったり、機関車の光オブジェが飾られたりしている。
 この場所は無料なので、小さい子連れの親子などが多かった。もちろん、カップルも。

東京タワー2-9

 どういうつながりがあるのかは知らないけど、隣では南極観測船で活躍した樺太犬の像が飾られていた。名古屋港にあるタロジロの銅像を思い出す。なんでこんなところにあったのだろう。

東京タワー2-10

 午前0時、東京タワーのライトアップが消える瞬間を一緒に見たカップルは永遠の幸せを手に入れるという伝説がある。卒業式の日に、校庭のはずれにある伝説の樹の下での女の子からの告白で生まれたカップルは永遠に幸せになる、というのと同じようなものだ。ずいぶん前に聞いたような気がするけど、今でも深夜0時前になるとたくさんのカップルが東京タワーのまわりに集まってきてタワーを見上げているんだそうだ。
 12月は特別に夜の8時になるとライトダウンの演出が行われている。今年で3回目だそうで、クリスマス・ライトダウンストーリーと名づけられた光と音の30分のショーがある。東京タワーの中にいたら当然見ることはできない。ライトダウンの8時は、帰りのエレベーターの行列の中にいた。
 タワーの文字はハートマークをしていた。昔は年号だった。何かのドラマで見た記憶もある。その他、イベントでは別の文字などが点灯されることもあるようだ。

東京タワー2-11

 人が撮ってるところではそれにつられてみんな撮るという法則があって、実に面白い。一人が二人になり、三人、四人と増えていく。みんな他人が何を撮ってるか気になる。自分もその場に立って撮っている方を見ると、なるほどと思う。そういうことか、と。

 毎年200万人が訪れる東京タワー。年間収入40億円のうち、放送局などからの収入が半分、観光客の入場料が半分という割合だという。
 今回私も初めて登ってみて、いろいろ感じるところはあった。リリー・フランキーの作品で東京タワーが持つ意味を再認識した人も多かっただろう。まだまだ魅力は古びてない。少し年を取ったけど、今でも東京タワーは日本のヒーローであることに変わりはない。
 まだ行ったことがないという人はぜひ、一度行ってみて欲しいと思う。それは理屈じゃないし、理由など必要ない。一度行っておくという事実が大切なのだ。
 東京の街のあらゆる場所から見える東京タワー。それを眺めるとき、あそこに登ったんだと思って見るのとそうでないのとでは見え方や感じ方も違ってくる。東京に住んでいる人こそ登るべきだと思う。
 見上げればいつもそこにある。だから私たちは安心していられる。けれどそれは当たり前のことなんかじゃなくて、いつだって特別なことだ。永遠は約束されていない。だから、心の中に必要なのだ。あなたの心の中に東京タワーはありますか?


東京タワーの展望台から見えるのは東京タワーのない東京の街
2007年12月12日 (水) | 編集 |
東京タワー1-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 1年間、おのぼりさんとして東京の街を巡りながら、一番行くべき所へ行っていなかったことに気づいた。そう、東京タワーにまだ行っていなかった。おのぼりさんなら真っ先に行かなければならない東京のシンボル。昔も今も日本一高い山が富士山であるように、日本一高い建物はずっと東京タワーであり続けている。こんなときじゃないと行けないだろうということで、ツレと一緒に行ってみることにした。
 東京巡り一周年記念として東京タワーに登ったのは正解だった。リリー・フランキーがそうであったように、東京という街に関わる人にはそれぞれ東京タワーに登るべきときがある。東京で生まれた人にとっては小さい頃両親に連れられて行くところだろうし、地方出身者なら初めて行く東京名所になるかもしれない。あんなものは気軽にひょいひょいと何度も行くようなところじゃない。何かのきっかけで、えいやっと気合いを入れないと行けない。たまたま巡り合わせで気軽に行くことになったとしても、それはきっと心に何らかの印象を残すものになるだろう。
 東京タワーは21世紀の今でも、東京のシンボルとしてでんと大きく構えて立っている。時代と共に古びていって時代遅れのものに成り下がったと思っている人がいるかもしれない。私も登ってみるまでそう思っていた。けど、実際は違っていた。その圧倒的な存在感は今なお健在で、東京タワーはやっぱり日本一なんだと深く納得させられたのだった。
 その偉容は、近づくほどに頭上にのしかかり、真下から見上げると、ただ感嘆の声をあげるばかりとなる。こりゃあ、すごいな、と。名古屋のテレビ塔とは全然違う。

東京タワー1-2

 写真が前後するけど、少し離れた場所から見た東京タワーだ。お馴染みのオレンジと白の光が夜空にくっきりと浮かび上がる。
 これは冬バージョンで、暖かい色のオレンジ色となっている。夏場は涼しげな薄いオレンジ色で、東京タワーも季節によって衣替えをしているのだ。
 他にもいろいろなイベントでライトアップの色が変わることがある。乳ガン早期発見啓蒙キャンペーンで毎年ピンクになり、今年の11月には世界糖尿病デーでブルーになった。少し前には 「マトリックス リローデッド」公開記念でグリーンになったり、 2002ワールドカップ開催記念ではシャンパンブルーになったこともあった。
 照明デザインを担当したのは、ライトアップの第一人者、石井幹子だ。現在のように下から照らし出すライトアップが始まったのは1989年だった。それまでは鉄塔の四隅に一定間隔で電球を設置してシルエットを浮き上がらせていた。一晩の電気代2万5,000円を高いとみるか安いとみるかは難しいところだ。
 東京タワーがある港区芝公園はやや半端なところに位置していて、初めて行く場合はちょっと迷う。どこからでも見えるから歩いて行けばやがては辿り着けるのだけど、地下鉄で行く場合はそうもいかず、やや面倒だ。一番分かりやすいのがJR山手線で浜松町まで行って、そこから歩くという方法だ。ただ、15分くらいかかってちょっと遠い。あとは、大江戸線の赤羽橋か、三田線の御成門駅、日比谷線の神谷町駅あたりが5分から7分くらいと近いものの、地方人には聞き覚えのない駅名だ。なんで東京タワー駅というのを作らなかったのだろう。
 平日はともかく、週末の東京タワーはかなり混雑しているから、チケットをあらかじめ買っていくというのがオススメだ。コンビニの端末で買えば820円が740円とわずかに安くもなるし、チケット買いで並ばなくて済む。その後エレベーター待ちで並ばざるを得ないのだけど。

東京タワー1-3

「誓いのタワー」にリボンを結ぶというイベントがあって、趣旨はよく分からないまま我々も参加してみた。誓いなのか願いなのか、その根拠や意図はどこにあったのだろう。特に願い事を書いたりするわけでもなさそうだ。東京タワーへ来たという記念と思っておけば大きな間違いではないだろう。
 こういうものはあまり斜に構えず、素直にやっておくのが一番だ。深く追求してはいけない。去年も5万人がリボンを結びつけたとかで、完成したツリーの写真を見たらモコモコにふくらんでいた。上の写真は、まだまだやせ細っている状態だ。これからクリスマスにかけてだんだん膨張していく。

東京タワー1-4

 時間がなくておみやげ屋はあまり見られなかったのだけど、外からちらっと見たところ、かなり昭和色が濃そうだった。なつかしおみやげの定番である木刀が入り口すぐにあったり、神風と書かれたはちまきやペナントのようなものさえあった。もちろん、金色の東京タワーミニチュアも各種取りそろえられていた。やはりおみやげ物屋はこうでなくちゃいけない。王道中の王道をここに見た。

東京タワー1-5

 展望台の入り口が分からず、少し迷った。チケット売り場からエレベーターの方につながっていて、フットタウンと呼ばれるテナントスペースへ最初に行ったから分からなくなってしまったのだ。そこの2階から1階に降りたところにエレベーターがある。
 コンビニで買ったチケットはエレベーター前のカウンターで通常のチケットと交換することを忘れないように。コンビニチケットを持って並んでいてもエレベーターの前で止められてしまうから気をつけたい。
 それにしても長蛇の列にびっくり仰天。土曜の夕方6時半でこんな状態になっているとは思いもよらなかった。東京タワーはこんなにも人気スポットだったんだ。8時半頃帰るときに見たら、列は2倍以上になっていて外まではみ出していた。恐ろしいことだ。
 結局、エレベーターに乗るまでに30分近く待たされただろうか。ただでさえ定員数の少なくて遅い旧式エレベーターなのに、この日は3基の内1基が点検で動いてなくて、2基でまかなおうとしてるから無理がある。この点検作業はしばらく続くようだ。土日は階段も解放されているようだけど、夜は閉まっている。

東京タワー1-6

 ようやく大展望台に到着した。ここまで来るまでになんだかえらく苦労したから、感動というよりもやれやれという気持ちが強かった。リリーさんのようにドラマチックとはいかなかった。
 150メートルという高さは今となっては平凡だ。東京には他にももっと高い展望スペースがたくさんあって、私たちは何ヶ所も行ってるからこの程度では驚かない。
 ちなみに、日本で一番高い展望スペースは、横浜ランドマークタワーの273メートルだ。東京タワーのこの上にある特別展望台の250メートルより高い。サンシャイン60のスカイデッキが240メートル、名古屋ではミッドランドスクエアのスカイプロムナードが220メートルだ。以前はJRセントラルタワーズの245メートルがあったけど今はない。名古屋のテレビ塔は180メートルだ。

東京タワー1-7

 大展望台にはタワー大神宮がある。これぞ日本文化。外国人にこのセンスが理解できるだろうか。現代でも超高層ビルを建てる前に神主さんを呼んでお祓いをするくらいだから、昭和33年にここを建てたとき神様もお祀りしようと考えたのは不思議ではない。あるいは、こんなに高い建物を建ててしまったことでバベルの塔のように神の怒りを買うことを恐れて、先回りしてここに神様を呼んでしまおうと考えたのかもしれない。
 祭神は、伊勢神宮と同じ天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)。ちょっと大胆な神様選びとも思えるけど、ここが天に近い場所であることを考えると妥当なところか。
 御利益は、恋愛成就、合格祈願、交通安全だそうだ。どの程度の力なのかは分からないけど、天界に一番近い神社だから願い事が聞き入れられやすいなんてことも言われたりする。

 正式名称「日本電波塔」が建てられたのは、昭和33年(1958年)のことだった。戦後の復興めざましい東京で、今後発展していくであろうテレビ、ラジオの放送事業に対応するための総合電波塔として建設された。
 高さは一般的に333メートルとされているけど、実際には332.6メートルだそうだ。ちょっとだけサバを読んでいる。完成当時はパリのエッフェル塔よりも高く、世界一高い塔だった。
 工事は大量の職人がかき集められ、これだけの規模でありながら1年3ヶ月で完成している。ビートたけしのおやじさんの菊次郎もペンキ職人として参加するはずがそれを断ったというエピソードがたけしの作品の中で出てくる。最近では、映画『三丁目の夕日』で建築途中の東京タワーが登場していた。
 2011年の地上デジタル放送に向けて、新東京タワー構想が実現の手前まで来ている。紆余曲折を経て、墨田区に建てられるという話が決まって、いよいよ着工間近となったところで待ったがかかった。今ある東京タワーのアンテナの位置を高くすれば地デジにも対応できると言い出したからだ。
 完成すれば高さ610メートルという異次元の塔となる第2東京タワーだけど、この先の展開は読めない。工事を始めるなら2008年からということだ。さて、どうなることか。個人的には東京タワーは1本でいいだろうという思いがある一方で、450メートルの展望台からの眺めも見てみたいとも思う。
 もし新東京タワーが建てられなかった場合は、東京タワーの背が今より100メートルくらい伸びる可能性もある。それはそれで見てみたい。

東京タワー1-8

 ずいぶん前置きが長くなってしまった。東京タワーといえば展望台からの眺めがメインだろう。夜なら東京の夜景だ。その写真を出さずにどうする。
 当然三脚は禁止だけど、ガラスの映り込みも少なく、おあつらえ向きに肘を載せる台があるから写真は撮りやすい。手持ちの夜でブレを完全になくすことは無理でも、ある程度抑え込める。
 手ぶれ補正付きのK100Dならシャッタースピードは1秒でこれくらいは止まる。一段絞りのF3.2だったか。できればもう少し絞りたかった。

東京タワー1-9

 こちらはお台場方面だ。芝はもう海に近いところで、隅田川の河口も見える。遠くにはレインボーブリッジのライトアップもよく見えた。
 昼間なら富士山や房総半島まで見渡せるそうだ。元日は朝の6時にオープンして、初日の出を見るために大勢の人が展望台に登るという。

東京タワー1-10

 六本木には近いから、ヒルズやミッドタウンも近い。ただ、新宿の高層ビル群は遠く、全般的にはやや見所が少ないようにも思った。池袋は遙かに遠く、サンシャインも暗くて高いビルとして小さく見えるだけだ。
 そして、何か物足りないなと思って、はたと気づいた。そうだ、東京タワーがないんだ、と。
 東京で高いところに登れば、たいていのところからは東京タワーが見える。それを目印に方角を判断してるのに、目標物としての東京タワーがない。これは意外な盲点だった。当たり前なんだけど、東京タワーを見たければ東京タワーに登っている場合じゃない。

東京タワー1-11

 東京タワー名物のひとつガラス張りの床「ルックダウンウインドウ」。足下から真下を見られるようになっている。
 ただ、夜はガラスの傷に光が反射して下は見づらい。昼間はきっと恐いのだろうけど、夜はさほどではない。子供はこの上で飛び跳ねていた。あんまりはしゃぐと床が抜けるぞ。
 ここも座るところがほとんどない。スペースの問題もあるだろうし、長居されても困るという思惑もあるだろう。休みたければフロアにあるカフェで何か注文しろということか。
 このあと、特別展望台にも登るのだけど、その話は後編で。だいぶ長くなったので、前半はここまでとしたい。続きはまた明日。


溢れかえる人混みと小さな奇跡の2年目神宮外苑いちょう並木
2007年12月11日 (火) | 編集 |
2年目の神宮外苑-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 うわっ、なんだこりゃ。それが私たちの第一声だった。
 思い起こせば去年のこの日、12月8日の朝7時、神宮外苑のいちょう並木から我々の東京巡りが始まった。ちょうど一年後の同じ日、同じ場所に舞い戻った私たちを待ち受けていたのは、お祭り会場と化した神宮外苑だった。いやはや、びっくり。人はいるだろうとは思ったけど、まさかこれほどとは想像してなかった。今になってみれば、あの日のこの場所は奇跡のように無人のいちょう並木だったのだ。
 それは平日の朝7時だったからだろう。この日は土曜日の午後3時、そりゃあまあ人が多いに決まっている。東京を侮っちゃいけない。
 入り口からすでに石焼き芋の屋台カーが何台も並び、はとバスまで入り口に横付けしている。無数のカップルに親子連れ、老夫婦に女の子たち。ちびっこはあたりを駆け回り、落ち葉を集めてばらまき、犬の散歩人たちが犬談義に道をふさぐ。駐車場の入り口では警備員がスピーカーでがなり立てている。一周年の感慨も何もあったもんじゃなかった。
 それでもせっかく来たのだからとなんとか気を取り直して、奥まで歩いてみることにする。人波に飲み込まれながら。

2年目の神宮外苑-2

 今年は紅葉も全体的に遅かったけど、イチョウも例外ではない。去年の写真と見比べてみると、明らかに今年の方が残っている葉っぱが多い。去年はかなり落ちていて、多くの枝が顔を出していた。その分しっかりイチョウの絨毯ができていてよかったのに、今年の見頃はまだこれからだ。
 ただ、気候が原因なのか、色づきがよくない。本来はもっと明るい黄色になるはずが、なんとなく黄土色のように濁っていて鮮やかさが足りない。夕方近くで曇り空だったこともあるにしても、本来のイチョウの葉色ではないように感じた。秋口に暖かい日が続いたのが色づきの悪さにつながったのだろうか。紅葉は寒暖の差が激しい年ほどきれいに染まる。

2年目の神宮外苑-3

 まだまだ葉の落ちる量が少ないのと、夕方のこの時間でこの人出では踏み荒らされ、蹴散らされてしまって黄色の絨毯は望めない。行くならやはり早朝に限る。前回は深夜バスで朝っぱらに東京に着いたから朝一見物が実現したのだった。
 神宮外苑のいちょう並木については、去年の12月9日の記事(日付は12月10日)で詳しく書いたので繰り返さない。興味のある方は読んでみてください。私もあらためて読み返してみたけど、あの頃は今よりずっと一所懸命にいろいろ調べて力を入れて書いていたんだとあらためて思った。写真の腕はともかく、文章の内容に関しては今の私は去年の私に負けている。もっと頑張らねばと思った。

2年目の神宮外苑-4

 噴水前まで行くと、ずっこけそうなくらいにすごいことになっている。再びなんじゃこりゃと私たちは顔を見合わせて笑うことになった。
 周囲を屋台がぐるりと取り囲み、完全にお祭りムードに包まれている。その屋台の顔ぶれもとりとめがない。どういう基準で選定したのか謎なのだけど、山形名産やら京風たこ焼きやら長崎、新潟、埼玉などの物産展の様相を呈している。肝心の東京名物は見あたらない。ミスタードーナツの出張店があったけど、あれの本社はダスキンで大阪だ。何故か風林火山の旗まで立っていた。あの屋台のチョイスがよく分からなかった。

2年目の神宮外苑-6

 どれも観光地価格で高い中、私たちが選んだのは山口代表の「昭ちゃんコロッケ」だった。NHKのコンクールで金賞を受賞したとかで日本一のコロッケを自称していたのに惹かれた。200円というのは冷静に考えるとコロッケとしては安くないだけど、こういうところでは冷静な判断力は失われがちだ。
 何を持ってして日本一とするかの判断は難しいところだけど、肉コロッケで柔らかくて美味しかったので満足だった。日が落ちかけて寒くなってきたところでコロッケの温かさがおなかに染みた。ちょっとおすすめしたいと思ったら、いちょう祭りは12月9日で終わってしまったらしい。山口まで行ったときはぜひ食べてみてください、昭ちゃんコロッケ。山口県でどれくらいの知名度なのかはまったく不明だけど。

2年目の神宮外苑-5

 絵画館の前にもこんな無粋な看板を立てられてしまって、どうにもならない。どう考えてもここに設置しちゃあ駄目なことは分かりそうなものだ。左右は屋台に阻まれてフェンスに近づくことさえできない。絵画館を撮るのを楽しみにしてた人もいただろうに。
 今日からはこの看板も取り外されただろうから、ここ数日の朝っぱらが神宮外苑いちょう並木の一番の見頃ということになるかもしれない。

2年目の神宮外苑-7

 感傷に浸るまもなく日が落ちてあたりが暗くなり始めた。帰りは反対側を歩いて帰ることにした。こちらを歩くのは初めてだ。去年は噴水広場から神宮球場の方に歩いて抜けた。
 夕方が近づいても人混み具合は衰えず、勤め帰りの人も参戦して賑わいは夜まで続いたのだろう。
 写真を撮るには日没後は厳しい。シャッタースピードが上がらずに歩く人がブレてくる。

2年目の神宮外苑-8

 メインストリートにはイチョウの落ち葉もまばらだけど、少し中に入るとけっこう落ちていていい感じだ。やっぱりイチョウの黄葉の楽しみの半分以上は黄色の絨毯にある。これがあるから絵になるのだ。ただイチョウ並木があるだけでは面白みがない。モミジの紅葉はグラデーションの変化なども楽しめるけど、イチョウの黄色はそれだけでは単調だ。

2年目の神宮外苑-9

 夕方のカフェ前。歩く人の像が流れ始める。三脚があれば、もっとスローシャッターにして、移動する人を線のようにすると面白い写真になる。背景の動きを止めて前を横切る人の影だけが動く写真は、状況によってはいい写真になる。たとえば駅の構内や交差点などによく使われる。

2年目の神宮外苑-10

 信号が青に変わって横断歩道を渡り始めた人が真ん中で立ち止まって、一斉にカメラを構えて写真を撮り始める姿がおかしかった。みんな考えることは同じだ。ここからなら一番奥の絵画館まで一直線に見渡せる。車が走っている間は撮ることができないから、信号を渡るときしかチャンスがない。望遠レンズを使って圧縮効果を狙っても面白そうだ。
 逆の目線から言えば、車の信号待ちで車の中からいちょう並木を撮る人を撮るのも面白い。

2年目の神宮外苑-11

 名古屋に戻ってきてから、イチョウの葉を拾ってくるのを忘れたことに気がついた。去年のブログの最後の締めくくりに、ゲーテの話とイチョウの葉のことを書いた。イチョウの葉はもともと二枚だったのが一枚になったのか、一枚だったのが二枚に分かれたのだろうかとゲーテは若い恋人にあてて詩を送った。そして、私も次に訪れたときはイチョウの葉を拾ってこようと思っていたのに、すっかり忘れていた。
 家に帰ってバッグの中身を出して整理をしていたら、底に一枚のイチョウの葉を見つけた。ああ、なんて粋なことをするんだと思う。嘘みたいにできすぎた演出だけど、小さな奇跡は確かに起こった。ハラハラとイチョウが舞い落ちる並木を歩いている途中でヒラリと一枚の葉がバッグの中に入ったのだろう。まったくの偶然だけど、こういうことがあるからこの世界は面白い。
 このイチョウの葉は大事な本の間に挟んでおこう。二度と読み返さないような作品がいい。ずっとあとになって見つかったとき、そういえばこれはあのときのと思い出せるように。
 去年と今年は違う年だ。私自身も同じではいられない。変わらないものなど何もないし、思い出さえも変質してしまう。けど、いつだって12月8日は忘れずにいたいと思う。また来年、ここへ戻っていこう。一日いちにちを重ねていくことが未来につながっていくのだと信じて。
 そんな2年目の神宮外苑いちょう並木だったのでした。




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